2021ねん 10がつ 19にち(かよーび、ぷち雨)
考古学ネタがあり過ぎて困る!( ・Д・)
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今回の考古学・歴史ニュースは「縄文時代に焼かれた人骨が意図的に並べられて埋められてたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台は新潟県、阿賀野市、土橋遺跡です。
この土橋(つちはし)遺跡は今からおよそ4000年前の縄文時代後期の集落が見つかっている遺跡として知られています。
立地が良いのか、この遺跡からは弥生時代、古墳時代、中世の集落跡も見つかっています。
さて、この土橋遺跡から今回は「焼けた人骨が意図的に並び替えられた状態」で見つかりました。
この発見は「焼けた人骨」と「意図的に並び替えられた状態」という2点に分けて考えることが出来ます。
まず「焼けた人骨」と言うと、「火葬」を想像してしまいますが、今回のものはそれとは異なります。
火葬と思われる最初の痕跡は2世紀の弥生時代後半に見られ、高い蓋然性をもって火葬と推定できる事例は6世紀になります。
文字記録に残る最古の事例は700年で、元興寺の開祖である道昭が火葬されました。
その後日本では仏教の影響により度々火葬が用いられますが、現在のように火葬が一般化するのは明治期以降なのでとても新しい習俗です。
私たちの感覚だと埋葬行為は一度きりですが、かつては「再葬」という儀礼行為が行われていました。
文字通り、一度埋葬した遺体(人骨)を取り出して儀礼を行い、再び埋葬します。
再葬の定義は2回以上なので2度とはかぎらない点がポイントです。
但し基本的には2度でしょうし、以下に述べるような奇跡的・理想的な好条件でない限り考古学的には何回再葬されたか判別できません。
例えば石棺や墓穴といった明確な遺構に人骨の一部が残っていて、別の明確な遺構に再葬された人骨がやはり一部残っていて、更に別の明確な遺構に再葬された人骨が残っていて、それぞれ副葬品として時期の異なる土器などの遺物を伴っている場合です。
これならば人骨の分析から同一個体であることが判明しますから、3度埋葬されたこと、つまり2度再葬されたと言えるでしょう。
再葬はおよそ5500年前の縄文時代中期頃に始まり、弥生時代にも続きます。
同時期に人骨を焼いて再葬する「焼人骨葬」が現れ、この風習も弥生時代に引き継がれます。
なので、今回の発見の一つである「焼けた人骨」というのは珍しい事例ではないのです( -д-)ノ
これまでに人骨集中遺構の写真を2枚挙げてきましたが、小型の遺構のため薬品で固めてズボっとそのまま回収しています。
先ほど「珍しい事例ではない」と書きつつも、実際にはレアな事例のため、こうした保存方法が選ばれたのだと思います。
さて、今回の発見の2点目が「意図的に人骨が並べられていること」なのですが、これがちょっと『黒魔術』っぽい方法が取られているのです( -д-)ノ
その方法とは、一度埋葬した骨をまず取り出して、大腿骨(足の骨)で井桁状に組み、その中に他の骨を入れます。
今回の事例では、上腕骨(腕の骨)と足の脛骨を用いて四角形に組み、その中に頭蓋骨や肋骨を入れています。
挙げた写真だと分かりにくいのですが、説明を聞くとなんだかおどろおどろしくありませんか?ヽ(TдT)ノ
このタイプの埋葬方法は『盤状集積葬』と呼ばれ、愛知県の三河湾域で多数見つかっているものです。
でも愛知県の三河湾周辺域に集中している上に、他の地域では見られません。
そして愛知県の事例では「骨は焼かない」のです。
つまり今回の土橋遺跡の事例がレアな理由は、、、
愛知県の中でも限定的な地域でしか見つからない埋葬方法が新潟県で見つかり、更にオリジナルの埋葬方法では見られない「焼人骨再葬」との組み合わせの方法が取られている点です。
現在の愛知県の三河湾周辺に居住した人が遥々新潟県に移り住み、それぞれの葬制が混じり合った結果なのでしょうかね?
今後の類例の発見に期待です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
おわりに
今回は写真の問題で『黒魔術』っぽいおどろおどろしさが伝わらなかったと思います。
黒魔術をイメージしたサムネ画像に名前負けしたような感じがしますヽ(TдT)ノ
なので、次回、リベンジします。
「日本にもこんなのあるんだ~!?」って驚かせるのを目標にしたいなと思います( -д-)ノ
そう言えば、グーグルアドセンスに不正なトラフィックがあるって言われて、現在、広告制限受けてるんですよね。
自分でクリックとかしないし、全然身に覚えないのに・・・
グーグル稼いでるくせに・・・
黒魔術かけるぞっ!( ・Д・)
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