2022ねん 12がつ 31にち(どよーび、晴れ)
もう今年最後だね!( ・Д・)
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今回の考古学・歴史ニュースは「木製の埴輪ってあるんだね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
今の所属の関係もあり、元々国家形成研究の一環としてマヤ文明社会と古墳時代社会の比較をやってみたかったということもあり、ちょちょちょっと古墳の勉強してましたけど、、、
木製の埴輪ってあるんですね!?
知りませんでした( -д-)ノ
まぁ木製品にあまり興味ないもので、、、マヤってほぼ木製品出ないしね( ・Д・)
……話を戻すと、やはり埴輪って土製のイメージですよね。
古墳時代には石製品で様々なものの模造品とか作ってるから、木製で埴輪作っててもおかしくはないとは思うのだけれども、
埴輪って古墳の上に並べて使用するイメージもありますよね。
だとすると、これまでの記事でも紹介してきたようにレアな遺物が残存する条件はかなり狭くて、日本の木製品の事例だと大体が水分が供給され続けて酸素の供給が滞ってる場所なんですけど、
古墳のような墳丘上の所で絶えず水分が供給されるところなんてイメージ湧かないじゃないですか。
もし古墳が滝に打たれてたら別だけど!( ・Д・)
だから木製の埴輪があっても残存しないだろうな〜って思ってたら、あるんですね!Σ(・ω・ノ)ノ
世の中知らないことで一杯ですわ(*^・ェ・)ノ
ってことで、今回の舞台は大阪府、羽曳野(はびきの)市にある峯ケ塚古墳です。
近年、世界遺産に登録されたことで有名な百舌鳥・古市古墳群はご存知の方も多いかと思います思います。
2019年の登録ですから本当に最近の話です。
今回紹介する峯ケ塚古墳はこの百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の一つなのです。
2019年の登録ですから本当に最近の話です。
今回紹介する峯ケ塚古墳はこの百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の一つなのです。
見つかったのは木製埴輪で長さは352cmと日本最大の記録をおよそ90cmも更新しました。
さて、最初に挙げた写真は真上から撮影したもので、考古学的にはそのような写真がベストですね。
さすがは市教委が撮影したものです。
一般的にはサイズ感が分かりにくいですが、専門としては周りに開いているサブトレンチの形状から大体の予想がつきます。
恐らくは別撮りでスケール入りのバージョンも撮影しているはずです。
続く2枚目の写真では人間がスケールの代わりを果たしているのですが、斜めから撮影しているのでせっかくの日本最大サイズの遺物が小さく見えますよね。
まぁこれも遺物の隣にスタッフ(長い定規みたいなもの)が置いてあるので3mちょいの長さがあることは確認できます。
3番目の写真は人間がイイ感じのスケール感を出しているのでデカいってことを知る上で一般的にはこれが一番良いのかなと思います。
こう見てみると、現場写真って先入観に囚われず色々撮った方が良いようですね(*^・ェ・)ノ
さて、今回のレアな遺物の出土地点は周濠です。
先に述べたように木製品の残存には水分が必要なことが多いですが、これで納得です。
完全に濠(ほり)の存在を忘れていました( -д-)ノ
出てきた木製埴輪の形状はやや分かりにくいのですが、上に挙げたような石見型木製品(いわみがた)です。
2枚目のものは類似形状の土製埴輪の事例です。
記事を見つけた時は本当に木製埴輪ってなんぞ?って思いましたが、写真探してて、ふと、あ、これ見たことあるやつだ!ってなりました。
皆さんも知ってたやつでした?
この「石見型」の資料は権力者の玉杖を模したものとか、儀礼の際に使う杖や武器、旗を模したものと色々な解釈がなされています。
また神聖な場を区切るための結界の意味があったとも言われています。
今回のケースでは、峰ケ塚古墳の北部に祭祀の場と考えられる造り出しがあり、その周辺の周濠から石見型木製品が出土したことから、本来は造り出し部に立てられていたものかも知れません。
造り出し部の調査や、今後こうした事例が増えていく中で、石見型木製品あるいはこうした形状の遺物の役割が明らかになるかも知れませんね。
おわりに
なんだかんだ今年も終わりますね~。
今年も古墳時代とか日本の研究や勉強する時間をあまり取れなかったけども、来年は少しはなんとかしたいですね。
まぁ来年は来年で、マヤ関係の欧米研究史をガガガっとまとめにゃならんのですが、、、
記事に少し力入れつつ最低限情報収集をするよう努めますね( -д-)ノ
そんなこんなで皆様も良いお年をお過ごし&お迎えください。
良いお年を!( ・Д・)
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