2024ねん 5がつ 31にち(きんよーび、台風から晴れ)

ポジティブに考えると世界で一番焼き鳥を上手に焼ける考古学者である( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは中世の山寺に続く道路の跡が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は滋賀県、近江八幡市の阿弥陀寺遺跡です。

阿弥陀寺は平安時代前期に麓の大嶋・奥津嶋神社の神宮寺として創建され、中世には天台宗寺院として栄えたとされています。

しかし16世紀前半以降の記録がなく、現在の姿も江戸時代末期に再建されたものだそうです。

ということで中世の当時の様子は全然分かっていないのです。




上に挙げた写真からすると、石ばっかりの山道に見えますよね。

私には道の悪い山道にしか見えない( -д-)ノ





考古学って扱う時期が変わると掘り方・調査の仕方が変わると聞いていて、重機使っちゃうような調査もあるそうです。

マヤ文明遺跡で重機使ったら間違いなく戦犯ですね。

日本でも縄文、弥生とか古代系で重機使うことはないですね。




上に挙げた写真を見ると、こんな掘り方するんだなーって思っちゃいますが、、、

左右に排水のための側溝があります

写真の撮り方の問題で、右側の側溝が比較的分かり易く映ってるかなと思います。

(調査員を基準に、二人分右の位置にあります)




先ほどは一般語として石と書きましたが、考古学的にはレキ(礫)ですね。

このレキが一見散乱しているように見えますが、側溝を組んでいるだけではなく、調査員の立っている位置から上方にかけて階段状のレキ集中遺構が見られる、気がします( -д-)ノ

↑情報ないので気のせいかも( ・Д・)





おわりに

道路遺構だけではなく、当時の遺物ももちろん出ています。

じゃないと時期が分かりませんからね(´・ω・`)



私は最近、古代から現代まで全部の歴史を繋ぐという、全人類史全部繋いじゃう研究をやってて、中世とかの生活史も勉強し始めたところです。

考古サイドからすると歴史時代は文章記録が豊富だからどうせ色々分かってるんでしょと思っちゃうんですが、実際にはなかなかよく分からないことが多いようです。

今回の発見は、そうした状況において、中世日本のこうした山寺に住んでいた人々の当時の生活や、当時の道路工事技術を知る上で重要な発見なのです。



何はともあれ、

やぱただの山道に見えるぅ!( ・Д・)



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