2024ねん 7がつ 6にち(どよーび、雷)

雷で停電してJRのホームドア開かなくなったさ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは川船が護岸材に再利用されてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は京都市の長岡京跡・淀水垂大下津町(よどみずたれおおしもづちょう)遺跡です。

河川整備のための工事に伴って行った発掘調査で桂川に対する約70mもの旧護岸跡が見つかりました。

護岸のための石材や盛り土が確認され、その中から土器や川舟が見つかったのです。




見つかった土器等の資料から、1623年(元和9年)の淀城築城と城下町整備のために構築されたと推測されています。

重要なのは川舟が護岸材として利用されていたことで、このおかげで6艘もの川船が良好な状態で保存される結果となったのです(*・ω・)ノ

絶えず適度に水分が補給されて酸素を奪われる状態が遺物の残りを良くすることは当サイトではもうおなじみのことかと思います。

下の写真の舟の右側の土壌がグライ化して青色を呈していることからも酸素が足りない埋没環境であったことが分かりますね。





6艘の内、1艘は上に挙げた写真のようにほぼ完形な状態で見つかっています。

最近流行りの水中考古学で見つかるように、海の大型船は発見事例が多いものです。

他方で川舟などの小型のものはなかなか見つかりません。

そのため今回の、木材の構築の仕方、つまり造船技術が明瞭な状態の川舟の発見は初のことなのです。



確認された構造はオモキ造りと呼ばれるもので、縄文時代に見られるような丸太をくりぬいた舟の側面と舟底部に板材を組み合わせるものとなっています。

この手法自体が北陸のもののため京都の淀川水系で見つかった事例としても初のことです。

この点でも大きな発見と言えるでしょう(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

個人的には水中考古学とか船舶系の研究はあまり好きではないのですが、、、

理由は広がりに欠けるからで、主に扱うテーマとしてスケールが小さいなって気がどうしてもしてしまう。

やってる人からすれば大きな課題を抱えているのかも知れませんけどね( ・Д・)



それでも船っていいですよね、展示するとかっこいいから人を引き寄せますよね。

サムネ画やトップ画に挙げた船の模型も良いけれど実物サイズで「船の歴史」のような変遷史を見れるといいな~と思います。

更には、それぞれ体験で乗れると嬉しいのだが( ・Д・)

揺れ具合とか快適さの違い、速度の違いなどを感じたい!(*^・ェ・)ノ




何はともあれ、

展示にも金がかかる!( ・Д・)



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