2024ねん 8がつ 10にち(どよーび、晴れ)

良く寝て程良く研究してるヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは忘れない内にチャタル・ヒュユクについて紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前にチャタル・ヒュユクに関して記事を書いた時に、「この遺跡面白い!」って思って、「今度紹介しますね~」って言ってたのが今回の記事です!

覚えてる内にやらないと忘れちゃうんですよね( -д-)ノ

モチベ高い内に色々やらんとダメなのです( ・Д・)



↓件の前回の記事(*・ω・)ノ
↑読んでない方は是非!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


ということで、今回の舞台はトルコのチャタル・ヒュユク遺跡です!

時期はBCE 7500年~6300年に帰属します。

チャタル・ヒュユクの名が「分岐した丘」を意味し、東と西の丘に分かれています。

東の方が古く、西の丘の上層部はBCE 4300年頃に帰属し、青銅器時代の遺構となっています。




日本で言うならばチャタル・ヒュユクの古い時期はおおよそ縄文時代の前期(1万1000~7000年前)に相当します。

この時期は両者共に新石器時代です。

チャタル・ヒュユクの西の丘は上に述べたように約6000年前にはすでに青銅器時代に突入していますので日本よりも遥かに人類社会の発展スピードは速いですねΣ(・ω・ノ)ノ

弥生時代のスタートが約2000年前なので4000年も先行していることになります( ・Д・)




……あ、格差の人類史を数式と動画で描くのが今の研究の目標だけれども、『社会の発展度合い』って尺度で描いても面白そうですね。

まぁ現代社会まで描くと問題が起きそうですが( ・Д・)

産業革命までなら・・・問題ない?( -д-)ノ




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さて、チャタル・ヒュユクの住居は保存状態が良く、構造も調度品の配置も判明しています。

これが面白いところです。

上に挙げた画像の左端に梯子がありますが、なんと屋根から入る構造の家屋だそうです。

変わってますねΣ(・ω・ノ)ノ




この保存状態がとても良い住居群ですが、何故かというと古い住居の内部に土と瓦礫を詰めて埋め、その上部に新たな家を造る慣習があったようです。

そのため東の丘では18層もの住居が積み重なっていて、高さは21mにもなるそうです。




これってマヤ文明の重層建築のもっと凄いバージョンですよね。

めちゃくちゃ良質なデータが獲れるじゃない!( ・Д・)




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↑古い時代の家屋なのに保存状態いいよね( ・Д・)(「TURKISH Air & Travel」の記事内画像より転載)



しかもチャタル・ヒュユクでは亡くなった家族をベッドの下や床下に埋葬する文化を持っていました。

祖先崇拝の一種ですね。




これもマヤ文明と同じ!

年代ごとの埋葬遺構と副葬品のデータが得られる!

凄すぎる!

考古学的に超重要遺跡ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





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さて、更なるチャタル・ヒュユクの面白いところは、、、

新石器時代なのに「都市構造」を有している点です。




下に挙げた画像のように物凄い数の住居が密集しています。

住居と住居の間の隙間はなく、人々は屋根伝いに移動していたようです。

ちなみに人口は平均で5000~8000人程度で、最大で10000人に達していたようです。




都市構造を持っていて、1万人の大人口、、、

初期国家の定義からして、もうこれ国家レベルの規模なんですけど、

なんとチャタル・ヒュユクは平等な社会と考えられています。




なので国家じゃないのです、たぶん、今のところ( ・Д・)




先行研究によれば、各住居のサイズは一定で大小の差はほとんどないそうです。

また墓には副葬品が含まれ、木製容器、籠、食べ物が共通してみられ、男性の場合は木製・骨製柄付き剣、石製棍棒、土製印章、銅製腕輪、S字状骨製バックル、女性の場合は、化粧用石製パレット、各種装飾品、黒曜石製鏡が出土しています。

またタカラガイを目にはめ込んだ頭骨も検出されています。


・・・でもこうした副葬品を伴う事例は”例外”であるそうです( ・Д・)

そしてこれまでには分業化の証拠も見つかっていないのです。



つまりチャタル・ヒュユクは人類社会の発展史の中で国家形成2歩(?)くらい手前の最後の平等社会の状態だったのかも知れないのです(*・ω・)ノ






おわりに

いやー、こんな遺跡あるの知らなかった!(*・ω・)ノ

ほんといいもの見つけましたわ。



考古学者ってやはり人の子というか、自分がやってる地域・時代のものが最高と考えがちなんですよね。

マヤ研究でも「あるある」です。

だからここ、チャタル・ヒュユクでも、この遺跡が”理想の平等社会”として描かれている可能性があります。



私は最近数理考古学をやってるせいか、やはり物事は連続的に変化すると考えがる傾向にあります。

そうした視点に立つとチャタル・ヒュユックの18層の中で、平等な社会から階層化社会への変化が見て取れてもおかしくないかなと思ってしまいます。




”例外的”に広い居間を持つ住居もあるそうですし、”例外的”に副葬品を伴う墓もあるわけです。

そうした点が階層化の兆候かもしれませんよね。



建造物の重層性と埋葬遺構の特殊性から明らかに発掘が大変な遺跡ですから、現段階でどれだけのデータが取れるか謎ですが、今度頑張ってみようと思います(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱ考古学は楽しいぜ!( ・Д・)



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