2025ねん 10がつ 13にち(げつよーび、くもり)

トイレなんま近い!私の脳みそはノンアルビールに騙されている!( ・Д・)

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↑数理的なイメージ!?( ・Д・)



今回は🏛️Lewis Morganの『古代社会』1877)の要約と解釈!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

*最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



ルイス・モーガンの『古代社会』は、19世紀人類学の転換点を画した著作であり、人類文化を普遍的な発展段階として体系化した最初期の理論的試みである。彼は、民族誌・歴史資料・技術的遺物の観察をもとに、人間社会が「未開(Savagery)」「野蛮(Barbarism)」「文明(Civilization)」という三つの主要段階を順に経て発展してきたとする、いわゆる単線的進化論(unilinear evolutionism)の枠組みを提示した。



Ⅰ. 段階的進化の枠組み

モーガンは「人間の進歩は技術的発明・社会制度・知的発展の三者が相互に影響しながら進行する」という仮説を置く。各時代の文化的水準は、主として生活技術と社会組織の発展段階によって特徴づけられるとされ、彼はこれをさらに細分化して七つの段階に区分した。

  • 未開(Savagery)

    • 下位段階: 火の使用と魚食の獲得

    • 中位段階: 弓矢の発明と狩猟社会の成立

    • 上位段階: 土器の製作による調理技術の発展

  • 野蛮(Barbarism)

    • 下位段階: 家畜化・農耕の開始

    • 中位段階: 鉄器の使用・定住的村落社会

    • 上位段階: 都市的共同体の萌芽、文字以前の記録法

  • 文明(Civilization)

    • 文字の発明による歴史記録の開始、国家・法・財産制度の確立

この体系は、道具や技術の進歩を文化進化の指標とみなす点に特徴があり、物質文化の分析を通じて社会構造を理解しようとする後の考古学的手法に強い影響を与えた。



Ⅱ. 技術と知性の発展

モーガンは、文化の発展を推進する最も根本的な要因を「発明と発見(inventions and discoveries)」に見いだした。人間の知的能力は、環境に対する実践的適応を通じて累積的に拡大していくと考えられ、物質技術の進化が社会制度や家族形態、政治的組織の発展を導くとした。


たとえば、火の使用・陶器の発明・冶金技術の導入といった各段階的成果は、人間社会の「知性(intelligence)」の成長の証であり、同時にその社会の「進化的位相」を測る尺度でもあるとされた。



Ⅲ. 社会制度の進化

『古代社会』のもう一つの柱は、親族制度と社会組織の進化に関する考察である。モーガンは、イロコイ族の調査を通じて得た知見をもとに、家族制度が「血縁中心の群婚的段階」から「家父長制」「一夫一婦制」へと進化していくと主張した。この過程を、彼は人類全体に共通する「自然的法則」とみなし、家族形態と社会構造の発展を相関的に論じた。


すなわち、政治的組織は血縁集団の分化と再統合によって生じ、最終的に国家(state)の成立に至るという歴史的連続性(gens → tribe → confederacy → state)を描いている。



Ⅳ. 歴史観と人間中心主義

モーガンの思想の背景には、当時の科学的進歩主義と啓蒙主義的世界観が色濃く存在する。彼にとって「進歩(progress)」は不可逆的かつ普遍的な法則であり、人類すべてが同じ道筋をたどって文明へと到達するという確信があった。この見方は、後に文化相対主義者たちによって批判されることになるが、当時としては比較的「科学的な歴史法則」を模索する試みであった。



Ⅴ. 理論的意義

『古代社会』は、文化を比較し、その発展段階を体系化しようとした最初の包括的モデルである。とりわけ、

  • 技術的指標による文化段階の定量的分類、

  • 親族構造と社会組織の相関的進化モデル、

  • 「進化=普遍法則」という認識論的前提
    といった点で、のちの考古学・社会進化論・文化人類学の枠組みを決定づけた。

モーガンの理論は後代の研究者によって批判・修正を受けつつも、社会を「系統的に分類・比較する」という発想を定着させた。その意味で、『古代社会』は19世紀における「文化を科学的に扱う」最初の壮大な試みであり、文化進化論の古典として現在も重要な位置を占めている。






あるけまや的コメント!( ・Д・))

本当は最初に紹介いした時系列的にさささっととりあえず数理考古学史の流れを抑えちゃおうと思ってましたけども、やぱ内容が難しいかなと思って、のんびりいく作戦に変更しましたヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、今回はモーガンを取り上げましたが、本当はダーウィンの「種の起源」(1859)の影響を受けて、社会学の祖のひとりであるオーギュスト・コントと文化進化論の祖であるハーバード・スペンサーによって「進化」や「社会進化」という用語が生み出され、人類史における社会発展を生物進化になぞらえるところから始まってるんですよね。



(*これが社会有機体説のスタートでもあります。物質文化マクロ生態学の成立の過程には『文化進化論』と『社会有機体説』の研究史が関係してきますので学習必須です!後者には物理学の発展に伴い、生物学において生物をどのように捉えるかという研究史も関係してきますがそこはあっさりでいいです、たぶん(*^・ェ・)ノ)



次の段階として、モーガンのように社会発展 / 社会の複雑化 / 社会進化を段階的に捉えるようになるんです。

なのでモーガンもそうした研究史の潮流の中で『古代社会』を書いたわけですが、影響力が強過ぎて、白人至上主義からの人種差別やら、今で言う先住民、当時の”原住民”や発展途上国の人々への抑圧の正当化に繋がって、一部悪役みたいになってますがちょっとかわいそうですね( -д-)ノ



ででで、前回のボアズが批判していたのはモーガンに始まるような、検証が弱いというか、自己のフィールドワークで得た社会発展に関する知見をそのまま人類普遍の法則にしてしまうような単系社会進化論のことなのです。

ボアズは直接モーガンを批判していませんが、まぁ恐らく矛先のひとつはモーガンでしょう。




後世に批判されまくって完全否定喰らったモーガンですが、彼によって始まった『段階的な社会発展観』は実際には現在にまでずーっと続くんですよ。

考古学的にはそっちの方が楽なんですよね。

具体的な特定の「モノ」の出現・消失で時期を区分したがるのが考古学者なので( ・Д・)




他方でボアズの「個別記述主義」は現在も世界中で支配的です。

現在の考古学や境界分野では、『法則定立的研究 VS. 個別記述研究』が起きていると言えます。



もちろん法則定立的研究チームの方が激弱状態ですがヽ(TдT)ノ



さて、ボアズの述べた多系進化の道筋も、結局は段階的発展史のバリエーションを増やしただけに過ぎないんじゃないかと私は思っているし、そのバリエーションを可能な限り細分化したのが個別記述主義であって、反対にできる限り統合したものが法則定立的研究だと思ってます。だから要は対する二者は二項対立的な存在ではないし、系の数によって段階的に分類する存在でもなく、『濃度』のようなものだと私は思います。

別の例えをするならば、研究史の中で両者の対立に見られる”一時的な優劣”は振り子のようだと思う。そうした中、振り子のように揺れる先の片側の頂点(法則定立的研究)、つまりシンプルモデルを構築してから、逆側の頂点(個別記述主義)まで複雑さを少しずつ攻略していきたい!というのが私の立場です(*・ω・)ノ


またその内出てきますけれど、法則定立的研究志向は一時期隆盛を誇って、また下火になって、現在再度ぼぼぼっと燃焼中な感じです。

私の研究もそんな学界に対して火に油を注ぎたいものです、いろんな意味で!( ・Д・)