2025ねん 10がつ 13にち(げつよーび、くもり)
トイレなんま近い!私の脳みそはノンアルビールに騙されている!( ・Д・)
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今回は「🏛️Lewis Morganの『古代社会』1877)の要約と解釈!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
*最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ
あるけまや的コメント!( ・Д・))
本当は最初に紹介いした時系列的にさささっととりあえず数理考古学史の流れを抑えちゃおうと思ってましたけども、やぱ内容が難しいかなと思って、のんびりいく作戦に変更しましたヾ(´ω`=´ω`)ノ
さて、今回はモーガンを取り上げましたが、本当はダーウィンの「種の起源」(1859)の影響を受けて、社会学の祖のひとりであるオーギュスト・コントと文化進化論の祖であるハーバード・スペンサーによって「進化」や「社会進化」という用語が生み出され、人類史における社会発展を生物進化になぞらえるところから始まってるんですよね。
(*これが社会有機体説のスタートでもあります。物質文化マクロ生態学の成立の過程には『文化進化論』と『社会有機体説』の研究史が関係してきますので学習必須です!後者には物理学の発展に伴い、生物学において生物をどのように捉えるかという研究史も関係してきますがそこはあっさりでいいです、たぶん(*^・ェ・)ノ)
次の段階として、モーガンのように社会発展 / 社会の複雑化 / 社会進化を段階的に捉えるようになるんです。
なのでモーガンもそうした研究史の潮流の中で『古代社会』を書いたわけですが、影響力が強過ぎて、白人至上主義からの人種差別やら、今で言う先住民、当時の”原住民”や発展途上国の人々への抑圧の正当化に繋がって、一部悪役みたいになってますがちょっとかわいそうですね( -д-)ノ
ででで、前回のボアズが批判していたのはモーガンに始まるような、検証が弱いというか、自己のフィールドワークで得た社会発展に関する知見をそのまま人類普遍の法則にしてしまうような単系社会進化論のことなのです。
ボアズは直接モーガンを批判していませんが、まぁ恐らく矛先のひとつはモーガンでしょう。
後世に批判されまくって完全否定喰らったモーガンですが、彼によって始まった『段階的な社会発展観』は実際には現在にまでずーっと続くんですよ。
考古学的にはそっちの方が楽なんですよね。
具体的な特定の「モノ」の出現・消失で時期を区分したがるのが考古学者なので( ・Д・)
他方でボアズの「個別記述主義」は現在も世界中で支配的です。
現在の考古学や境界分野では、『法則定立的研究 VS. 個別記述研究』が起きていると言えます。
もちろん法則定立的研究チームの方が激弱状態ですがヽ(TдT)ノ
さて、ボアズの述べた多系進化の道筋も、結局は段階的発展史のバリエーションを増やしただけに過ぎないんじゃないかと私は思っているし、そのバリエーションを可能な限り細分化したのが個別記述主義であって、反対にできる限り統合したものが法則定立的研究だと思ってます。だから要は対する二者は二項対立的な存在ではないし、系の数によって段階的に分類する存在でもなく、『濃度』のようなものだと私は思います。
別の例えをするならば、研究史の中で両者の対立に見られる”一時的な優劣”は振り子のようだと思う。そうした中、振り子のように揺れる先の片側の頂点(法則定立的研究)、つまりシンプルモデルを構築してから、逆側の頂点(個別記述主義)まで複雑さを少しずつ攻略していきたい!というのが私の立場です(*・ω・)ノ
またその内出てきますけれど、法則定立的研究志向は一時期隆盛を誇って、また下火になって、現在再度ぼぼぼっと燃焼中な感じです。
私の研究もそんな学界に対して火に油を注ぎたいものです、いろんな意味で!( ・Д・)





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