2025ねん 10がつ 17にち(きんよーび、晴れ)

Youtube時間確保のために何ができるだろうか……( ・Д・)

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proof

↑数理的なイメージ!?( ・Д・)



今回は「前前回と前回の続きで、Krieger (1944) と Spaulding (1953)を比較してみたぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

*最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



Krieger (1944) と Spaulding (1953) の対比・対立点

では両者の「対比/対立点」を簡単に整理してみます。両者はいずれも “タイプ(artifact type)” を巡る議論に関わりますが、その立ち位置と重点がかなり異なります。以下、主要点を列挙します。

A. 理論的出発点の違い

  • Krieger (1944):主に理論的・概念的整理を目的とする。タイプの概念、タイプが何を表すべきか(文化的実践の単位であるべきか)、診断モードの選択基準といった哲学的・方法論的問題の明確化に重点を置く。タイプを「意味ある歴史的単位」として扱うことを強調する。

  • Spaulding (1953):主に実践的・統計的手法の提案を目的とする。遺物属性データの共起性・頻度解析を通じて、客観的にタイプを“発見”するための統計的アルゴリズムを提示し、タイプをデータ内部の構造として検出する手続きを示す。

要するに:Krieger は「タイプとは何か」を理論的に定義しようとし、Spaulding は「データからどうやってタイプを取り出すか」を技術的に示した。






B. 「タイプ」の本質に関する認識の差

  • Krieger:タイプは可能ならば「文化的行為の単位=機能や意味を伴う実践の痕跡」として理解されるべきだと主張する。したがって、タイプ同士の比較は行為の伝播や文化的意味の伝達を示唆するものになりうる。

  • Spaulding:タイプはデータの中に現れる「属性の共起パターン」として検出されるもので、形式的・頻度的に裏づけられたグルーピングを重視する。Spaulding にとっては、まず客観的にタイプを検出し、その後で解釈(歴史的意味づけ)を行うのが手続き的に正しい。

差異:Krieger は型に意味(機能・行為)を先に求めがちで、Spaulding はまず統計的実体性(データが示すまとまり)を基礎に置く。






C. 方法論(手続き)の違い

  • Krieger:診断モードの選択やタイプ定義の理論的根拠を重視。タイプ設定の透明性と歴史的妥当性を論理的に保証しようとする。したがって手続きは概念的・記述的で、研究者の判断・解釈が入りやすい。

  • Spaulding:χ²などの統計的検定、共起表の解析といった明確な計算手順を提示する。これにより分類の客観性・再現性を高めようとする。

結果として:Spaulding の手法は「誰がやっても同じ分類を得る」ことを目指すのに対し、Krieger は「分類が意味ある歴史解釈を可能にすること」を目指すため、手続きがより解釈的となる。






D. 対立点の所在(歴史的文脈での“争点”)

歴史的には、Krieger のような 概念重視派 と、Spaulding のような 統計的手続き重視派 の間で「タイプとは何か」「どのように設定すべきか」という議論が続いた。具体的対立点をまとめると:

  1. 恣意性 vs 客観性:Krieger のアプローチは診断モードの選択で恣意性が生じうるという批判を受ける一方、Spaulding の方法は形式的で客観的だが、得られたクラスターが文化的に意味ある単位かどうかは別問題である。

  2. 意味づけの先後:Krieger は意味(機能・習慣)を重視してタイプを定義する傾向があり、Spaulding はまずデータに現れる統計的まとまりを優先する。これが分類→解釈の順序を巡る分岐を生む。

  3. 年代推定(seriation)との関係:Krieger の考える「歴史的タイプ」は時系列解析で有用であると言われるが、Spaulding 的な統計的タイプは、適切に扱えば時系列的単調性を示すこともできる。両者は方法論的に補完しうるが、運用次第では矛盾する成果を生む。





E. 今日的視点

現代の考古学史・方法論の評価では、Krieger と Spaulding は互いに補完しあう関係と見做されることが多い。Krieger は「何を探すのか(概念)」を与え、Spaulding は「どうやって発見するのか(手続き)」を与えた。理想的には、診断モードの理論的正当化(Krieger)とそれをデータに即して客観的に検出する統計手順(Spaulding)を両立させることが望ましい、というのが現代的な合意に近い。







📰あるけまや流まとめ

やっぱり日本考古学的にはクリーガーの考え方が近いですよね。



違いがあるとすると、日本考古学者というか特に土器を専門とする考古学者が『日本考古学における土器研究が世界で一番』という根拠のない自信に満ち溢れていることかな(笑)

日本人研究者は全くといっていいほど海外の考古学に目を向けないのに(英語論文読まないし書かないのでガラパゴス化している)、不思議と圧倒的な自信があるんですよね。



日本人だから謙虚であるはずなのにアメリカ人並の自信を持ってるんですよ。

客観的には『頭おかしい』と思うんですけれど、でも私も日本考古学で育った土器研究者だから日本の土器研究が一番だと思ってる(笑)



でも私の場合は海外の土器研究事例知ってるからね。

他の「アタオカ」とはレベルが違うぜ!( ・Д・)




で、たぶん日本人がやたらに自信がある理由は私的には二つ!

①ガラパゴス化してて本当におかしくなってる。

②日本の出土の仕方が特殊(細かな自然層位発掘が可能)



まぁ日本人は外国でのモノの出方を知らんのだからやっぱり理由は①かな(笑)

私としては②が重要だなと思うんですけどね、アタオカじゃないんで!( ・Д・)



・・・話を戻すと、日本人考古学者(土器研究者)的にはクリーガーが理解しやすい。

私はスパルディングのようなモード研究の有効性が理解できず苦しんだ。

その結果、現在の一般的な理解としての『両者の補完的併用が重要』っていうのがやはりしっくりきます。


この二者の対立は『自然言語記述に頼った”伝統的、古き良き”考古学 vs. 数的記述に重きを置く数理考古学』の対立構図と似ていると思うんですよね。


だから数理考古学や理論考古学がアメリカでは一定の地位を築いているのも納得です。


そうなるとやっぱり日本人考古学者が敵だね、私日本にいるtから周り敵ばかりじゃん!( ・Д・)