さて、生まれ変わったかのように頑張るか!(・∀・)つ
文化と進化のプロセス:ボイド&リチャーソンによる文化進化理論の確立
📰はじめに
1985年、ロバート・ボイド(Robert Boyd)とピーター・J・リチャーソン(Peter J. Richerson)は、シカゴ大学出版局から『Culture and the Evolutionary Process』を刊行した。この書は、文化を「遺伝的進化とは異なるが、それと同等に進化的メカニズムで説明できる体系」として数理的に捉えた初の総合的理論書であり、今日の文化進化論・文化遺伝学・数理社会科学の出発点とされる。
1. 書籍の背景
1970年代の生物学では、進化を遺伝子レベルで説明する「総合説(the Modern Synthesis)」が支配的だった。これに対し、ボイドとリチャーソンは「文化もまた進化的プロセスを持つ」という立場から、文化的特徴(行動・技術・信念・規範)がどのように伝わり、変異し、淘汰されるかを分析する新しい枠組みを提示した。彼らのアプローチはダーウィン主義を文化に応用した単純な比喩ではなく、個体間の模倣・学習・社会的伝達を明示的な確率過程として数理的に定式化することに特徴がある。
2. 理論の枠組み
(1) 文化伝達の3モード
ボイドとリチャーソンは、人間社会における文化情報の伝達を3つのモードに整理する。
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垂直伝達(Vertical Transmission):親から子への文化的継承(例:言語・信仰・価値観)。
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水平伝達(Horizontal Transmission):同世代間の模倣や流行による拡散。
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斜交伝達(Oblique Transmission):年長世代全体から若年層への学習(教育・制度など)。
これらの伝達経路は、進化的プロセスにおける遺伝子伝達とは異なる動態を生み出す。たとえば、水平伝達が強い社会では流行的変化が加速し、垂直伝達が支配的な社会では文化が安定化する。
(2) 変異と淘汰のプロセス
文化は模倣の誤差・創造的改変・社会的学習バイアスなどを通じて変異を生じる。
代表的な「文化的選択バイアス(cultural selection biases)」として、彼らは以下を挙げた:
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内容バイアス(content bias):内容が魅力的・理解しやすいものが残る。
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頻度依存バイアス(frequency-dependent bias):多くの人が採用している行動が模倣されやすい。
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権威バイアス(prestige bias):成功者・高地位者の行動が模倣される。
こうしたメカニズムを通じて、文化的特徴は自然選択とは異なる「社会的淘汰圧」によって進化する。
(3) 数理モデルによる表現
ボイドとリチャーソンの最大の革新は、これらのプロセスを確率過程・差分方程式・マルコフ連鎖として表現した点にある。文化変化を「個体群における文化的型(trait)の頻度変化」として定式化し、遺伝的進化モデル(Fisher、Wright、Maynard Smith)と同様の数学的枠組みを文化に適用した。
これにより、文化の安定状態・多様性維持・進化速度などが解析可能となった。彼らのモデルは、その後の進化文化学・社会学的モデリング・模倣ダイナミクス研究(Cavalli-Sforza & Feldman, 1981 など)と共に、文化進化を定量的に扱う基礎を築いた。
3. 主な知見と含意
ボイドとリチャーソンは、文化を「生物進化の単なる副産物」ではなく、「独立した進化システム(an autonomous evolutionary system)」として扱うべきだと結論づけた。
彼らによれば、文化は以下の特性を持つ:
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遺伝的進化よりも変化速度が速い(数世代以内に変化が拡散)。
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模倣の誤差と選択的学習によって新奇性が生まれる。
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環境変化への適応を迅速に行う柔軟性がある。
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社会構造・制度・規範を通じて集団単位の淘汰が発生しうる。
このようにして、文化は遺伝的進化とは異なるメカニズムで人類史を方向づける動因として位置づけられた。
4. 学問的影響
『Culture and the Evolutionary Process』は、以下の諸分野に持続的な影響を与えた。
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文化進化論・進化文化学:Henrich, Mesoudi, Boyd (続著)らが理論を発展。
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考古学・文化人類学:文化的変異・拡散を進化的モデルで説明する試み。
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経済学・社会シミュレーション:模倣・規範ダイナミクス・社会学的学習モデルの理論基盤。
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心理学・行動科学:社会的学習理論と結合し、ヒト特有の文化進化能力を説明。
この書は「社会における文化伝達の方程式」を提示した初めての体系的試論として、現代の文化進化研究の出発点である。
あるけまや流コメント
でも本当にこの研究は面白いと思う。私の物質文化マクロ生態学はその名の通り、一社会の物質文化の在り方とその変化を「マクロ」な視点で捉えるものだけれど、この研究は個体間の情報伝達を扱っているので「ミクロ」な視点だと思う。つまり両者は補完的な関係にあるのかなと思う。
しかしながらどう接続していいかまったく分からない。物理学でもミクロな世界を扱う量子力学では確率的な話になるよね。そしてこの研究でもミクロを扱って確率的な話になっている。物質文化マクロ生態学でもドリフトの属性は確率なのだけれど、もっと大雑把だから(笑) 物理学におけるマクロとミクロの研究と物質文化におけるマクロとミクロの研究の対比は面白いと思う。だけれど物理学において相対性理論と量子力学を繋げる統一理論の構築が困難であったように、物質文化におけるマクロ・ミクロの統一は困難になるんだろうなと思います。
ま、今はその段階じゃないからいいか!( ・Д・)






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