
📰はじめに
こんにちは、「あるけまや」風にじっくりと長めにお届けします。今回は、鳥取県鳥取市・本高・古海(もとだか・ふるみ)古墳群で、約 1,700年前(古墳時代前期)に築造された「前方後方墳」とみられる墳丘が発見されたというニュースを取り上げます。かねてより当地は「方墳/方形墳」が主体とされてきたなかで、前方部・後方部を備えた墳丘形式の出現というだけでも注目を浴びています。「最古級」という言葉が示すのは、単なる年代の古さだけでなく、墳形・社会構造・地方政権の展開という、三重の新発見を内包しています。では、この発見が私たちに何を語り、何を問いかけているのか。発掘現場から、時代の地層を遡る旅へご案内しましょう。
🏔️ 発見の舞台:本高・古海古墳群「古海36号墳」とは?
新たに発掘調査が進められているのは、鳥取市・山陰道の鳥取西インター東側に位置する「本高・古海古墳群」です。令和7年10月時点では、同群内にある「古海36号墳」が全長約65メートル、墳形が「前方後方墳」と確認され、築造時期がおよそ1,700年前=古墳時代前期と推定されました。
「前方後方墳」という墳形は、言ってみれば前方部が四角ないし長方形、後方部が方形または四角形、というタイプ。一般に「前方後円墳」がよく言われる中で、この形式の出現は地方における墳墓形式の変化、そして中央政権との関係性・地域王権の形成過程を浮き彫りにします。しかも、墳丘の裾(すそ)から出土した土器によって古墳時代前期に位置付けられ、「鳥取平野でも最古級の墳墓の一つ」である可能性が高まっているという点も、研究者にとって胸躍る材料です。
🧱 墳形と年代が語る:地域王権と墳墓形式の転換
何がこの発見を「特別」とさせているか。それは、墳形・規模・年代の三つが揃って「地方における王権成立期の証拠」として機能し得ること。
通常、古墳時代初期・前期に地方でみられるのは「方墳」「方形墳」「前方後方墳」などが多く、「前方後円墳」は近畿を中心とする中央勢力の影響下で拡大した形式とされています。 鳥取において、この約1,700年前という時期に「前方後方墳」が築造されていたということは、地方王権あるいは有力者層が早期に墳墓形式を変化させ、ここに王権・儀礼・象徴の構図が生まれていた可能性を示唆しているのです。しかも全長65 mという墳規模も地方とはいえ有力な勢力を感じさせる数字です。
更に墳頂部から出土したとされる「葬儀に使用された土器・埴輪」も確認されており、これらは被葬者の社会的地位・儀礼の内容・他地域との交流関係を探る上での重要な手掛かりとされています。
🔍 出土物・調査手法・今後の焦点
調査報告によれば、古海36号墳の裾部から古墳時代前期の土器が出土しており、その分析から築造時期の推定が成されています。 また、調査チームは墳丘の墳形・造営手法について今後詳細な地形測量・3Dモデリング・土層分析を行う予定とされており、この墳丘がそのまま「地方初期墳墓の変化を示すモニュメント」になる可能性があります。 特筆すべきは、今回の調査で「墳丘の地山削り出し/盛土の少ない築造方法」や「墳形が変形している可能性」について理解できる見込みであること。。これらは、古墳造営における技術・労働体制・地域資源の情報を読み解く上で重要です。
🌏 日本列島と地方王権:鳥取における古墳文化の新地平
この発見を日本列島の古墳文化という大きな枠で捉えると、以下のような視点が開けます。
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全国には古墳時代に約16万基以上の古墳が存在しており、その多くは3〜7世紀にかけて築造されたものです。
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墳形・規模・副葬品の違いが、「中央政権(大和朝廷)と地方有力者」「モノづくり・交易・儀礼の変化」を反映しています。
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鳥取県という山陰・地方において、「最古級」とされる前方後方墳の出現は、中央からの一方的な影響だけではなく、地方独自の王権・儀礼システムの存在を示すものと言えそうです。
おわりに
まぁ現地表面から目標の層まで浅いし、この山の中で後世の人口攪乱もなさ気だし、ってことは層序が単純なわけで、幅激狭くてもOKってことかな。まぁ予算は石室当てる時の本調査に集中して使いたいという思惑の現れかもね、、、てか、だろうね!( ・Д・)







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