
↑なんかこういう現場写真好き!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP)
📰はじめに
2019年の火災で世界を震わせた、フランス・パリのノートルダム大聖堂。
再建工事に向けた調査のなかで、2022年、床下から複数の人骨と鉛製の棺が発見された。
この発見自体は当時もニュースになったが、その後の分析によって、長らく正体不明だった人物の身元が、かなり具体的に判明してきた。
しかも、その人物は――
300年以上前から「ここに眠っているはずなのに、見つからなかった人物」だった可能性が高い。
🪦 ノートルダムの床下で何が見つかったのか
見つかったのは、大聖堂の中心部にあたる場所に埋められていた鉛の棺。
鉛は高価で加工も難しく、主に高位の人物の埋葬に用いられていた。
同時に発見された別の棺は、銘文などから17世紀の高位聖職者アントワーヌ・ド・ラ・ポルトだと比較的早く特定された。
だが、もう一体の遺体には名前を示すものがなかった。
それにもかかわらず、
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埋葬位置は特等席
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棺は鉛製
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丁重な扱い
この条件がそろっている。
そこで研究者たちは、この人物を仮に
「騎士(ホースマン)」と呼び、詳細な分析を進めることになった。

↑からっぽですね!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP)
🐎 なぜ「騎士」だと分かったのか?
剣も鎧も出てきていない。それなのに、なぜ「騎士」なのか。
決め手になったのは、骨の特徴だった。
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骨盤
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大腿骨
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股関節まわり
これらに、長年にわたって馬に乗り続けた人に特有の変形が見られた。
つまりこの人物は、
日常的に馬に乗る
→ それもかなりの頻度で
→ 若い頃から続けていた
可能性が高い。
さらに、骨には重い病気の痕跡も残っていた。結核に由来する病変、そして慢性的な炎症。
歴史資料と照らし合わせると、ここで一人の人物が浮かび上がってくる。
🕵️ 300年来の行方不明者がいた
16世紀フランス・ルネサンス期の詩人
ジョアシャン・デュ・ベレー。
彼は、亡くなった後にノートルダム大聖堂へ埋葬されたと記録されている。
ところが18世紀以降、墓の所在が分からなくなり、「どこに眠っているのか分からない人物」になっていた。
研究チームは、
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死亡時の年齢
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病気の記録
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生活様式(騎乗)
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埋葬の格式
これらがデュ・ベレーの史料とよく一致すると指摘している。
現時点では100%の断定ではないが、「最有力候補」であることはほぼ間違いない、という評価だ。

↑彼がデュ・ベレーらしい!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載)
🧪 考古学は「確率」を積み上げる学問
ここが重要なところ。
考古学の身元特定は、ドラマのように「DNA一致!解決!」とはいかない。
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年代
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病理
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生活痕
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文献記録
これらを一つずつ重ねて、最も矛盾の少ない人物像に近づいていく。
だからこそ今回の発見は、「完全解決」ではなく、
300年越しの歴史ミステリーが、ようやく輪郭を持ち始めた瞬間とも言える。
🏛️ ノートルダム大聖堂は「墓でもあった」
ノートルダム大聖堂は、祈りの場であると同時に、長いあいだ埋葬の特等席でもあった。
高位聖職者、貴族、重要人物――彼らは大聖堂の床下に眠り、時代の変化のなかで忘れられていった。
2019年の火災は悲劇だった。
だが、その後の修復工事がなければ、この人物は今も「名もなき遺体」のままだったかもしれない。
🔮 火災が呼び起こした、もう一つの歴史
建物は壊れた。
だが同時に、眠っていた記憶が掘り起こされた。
文明の遺跡は、壊れたときにだけ語り始めることがある。
ノートルダムの床下で起きたのは、
まさにそんな出来事だった。



↑現代の考古学って感じですね~!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP)





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