2026ねん 4がつ5にち(にちよーび、くもり)
今日は休みだぜ!久々にのんびりしておる!( ・Д・)
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↑Youtubeのサムネ画みたいになってしまった!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは群馬の山あいでも、古墳時代に馬を育てていたのかも( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



📰 はじめに

古墳時代の馬っていうと、どうしてもヤマト政権とか大きな古墳とか、そういう“中心地の話”に見えがちだよね。

でも今回の舞台は、群馬県の東吾妻。
上信自動車道吾妻東バイパス事業に伴う発掘調査で、東吾妻町金井の 金井水頭山B遺跡 から、古墳時代の 馬の歯 が見つかった。しかも群馬県は、この発見を 吾妻地域で初めて確認された古墳時代の埋葬馬 であり、地域での 馬の飼育・生産 を示す重要資料だとしている。 


これ、地味に見えるけどかなり強い。

なぜなら今回見つかったのは、
金ぴかの馬具じゃなくて、
もっと直接的に「この地域に馬そのものがいた」ことを示す資料だからだ。 


🪦 見つかった場所は、ただの集落じゃない

今回の馬の歯が出たのは、1号古墳の周堀の縁に掘り込まれた14号土坑 からだった。群馬県によると、遺跡では 2基の円墳 が確認されていて、墳丘は 6世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火の火山灰の上 に築かれ、周堀付近には埴輪も伴っていたことなどから、古墳は 6世紀前半ごろ の築造と考えられている。


つまりこれは、
「どこかで馬の歯が出ました」
ではない。

古墳のすぐそばに、意図をもって埋められた馬らしい

という話なんだよね。


🦷 歯だけなのに、むしろ話が濃い

ここが今回の面白いところ。

出土したのは、上下がそろった状態の馬の歯。
歯以外の骨は残っていなかったけれど、群馬県は 土坑の大きさから、本来は全身を埋めていたと思われる と説明している。さらに専門家の観察では、この馬は 5〜6歳程度、最大でも8歳くらいまで の若い個体らしい。


これ、かなり重要なんだよね。

ただの自然死した動物の残りなら、こういう文脈にはなりにくい。
でも古墳の縁に掘った土坑に若い馬が埋められていたとなると、
そこにはかなりはっきりした社会的意味が出てくる。 


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↑歯だけしっかり残ってるね!( ・Д・)(「群馬県」のサイトより転載)


年代もちゃんと古墳時代に合っている

今回の発見が強いのは、年代が感覚ではなく測られているところだ。

群馬県によると、出土した歯の放射性炭素年代は、較正年代で 西暦535〜605年 の範囲に入り、確率的にも 古墳時代後期 の埋葬とみてよい。だからこの馬は、古墳の築造と ほぼ同時か、少し後 に埋葬されたと考えて矛盾がないという。


つまり今回は、

  • 古墳の近くから出た
  • たまたま近くにあっただけではない
  • 年代もちゃんと合う

という三拍子がそろっている。


🐴 なぜ「飼育や生産を示すか」になるのか

ここがタイトルの核心。

群馬県の説明では、古墳時代に朝鮮半島からもたらされた馬は、軍事や農耕などさまざまな面で活躍した一方、飼育や生産には先進的な技術が必要 で、誰でもできるものではなかったという。だからこの時期、馬は 飼育・生産に関わった集落や首長の古墳周辺に埋葬される のが特徴であり、今回それが吾妻地域で確認されたことは、この地域でも馬の飼育・生産が行われていたことを示す とされている。


つまり今回の歯は、
馬の存在証明であると同時に、

馬を扱える社会組織が、この地域にあった

ことをにおわせる資料なんだよね。


🗺️ 群馬の中でも、吾妻では初めて

群馬県内では、古墳時代の馬の埋葬例自体はまったく初めてではない。
県の発表では、高崎市の 剣崎長瀞西遺跡 で5世紀の古墳近くや竪穴建物から馬骨と馬具が出ているし、渋川市の 金井東裏遺跡 などでは榛名山噴火に巻き込まれた馬の歯や骨も知られている。


でも、吾妻地域で古墳時代に埋葬された馬が確認されたのは今回が初めて
そこが今回のニュースのいちばん大きなところだ。毎日新聞なども、この点を「吾妻地域で初」として報じている。


🌄 山あいの地域史が、少し変わる

あるけまや的に今回おもしろいのは、
この発見が「群馬に馬がいた」というだけで終わらないところ。

吾妻って、どうしても“中心から少し離れた山あいの地域”みたいに見られやすい。
でも今回の発見は、その見方に少し揺さぶりをかける。

馬の飼育や生産って、かなり高度な技術と組織力が必要だった。

だとすると吾妻地域は、ただ中央の影響を受けるだけの場所ではなく、
6世紀の馬文化ネットワークの中にちゃんと組み込まれていた地域 と見た方がよくなる。群馬県は、群馬への馬飼育文化は 長野県から伝わった可能性 にも言及している。

つまり今回の歯は、
単なる動物骨じゃなくて、
地域がどこにつながっていたかを示す“交通路の化石”みたいなものでもあるんだよね。


✍️ あるけまや的まとめ

今回の話を雑に言うと、

群馬県東吾妻町の 金井水頭山B遺跡 で見つかった馬の歯は、
古墳の周堀の近くに掘られた土坑から出て、年代も 6世紀後半ではなく、6世紀前半〜7世紀初頭の古墳時代後期 にしっかり合っていた。しかも土坑の大きさからは、本来 全身埋葬 だった可能性まである。


だから今回の発見は、

「吾妻でも古墳時代に馬がいた」
だけじゃなく、

「吾妻でも馬を飼い、扱い、生産に関わるような社会が動いていたかもしれない」

というところまで見せてくる。


歯だけなのに、話がでかい。
いや、歯だからこそでかいのかもしれない。

馬具より先に、まず馬そのものがいた。
それが古墳のそばで静かに見つかる。


こういう発見、かなり好きなんだよね( ・Д・)

 


なにはともあれ・・・・・・

馬肉食べるのっていつからなんだろうね?( ・Д・)






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