2026ねん 4がつ12にち(にちよーび、晴れ)
ちゃんとした休みが欲しい!( ・Д・)
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↑「きのよろい」ってだけで、もうだいぶロマンあるよね!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは日本で木製のよろいは三例しかないらしい!……でも、その“三例”って実はかなり条件つきなんだよね( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


📰 はじめに


「日本で木製のよろいは三例しかない」

これ、かなり強い言い方だよね。
実際、2026年に兵庫県の西野山3号墳出土木製甲の保存処理が終わって公開されたときも、赤穂市教育委員会の説明として「全国で3例しかない木製甲」と報じられていた。そこで挙げられていた他の2例は、滋賀県の雪野山古墳と奈良県の上殿古墳だという。


でも、ここが面白いところ。

この「三例」は、どうやら日本列島の全時代を通じた木製よろい全部、という意味ではないんだよね。
というのも、糸島市の公式解説では、弥生時代の木甲は17例あり、そのうち8例は刳抜式だとされている。福岡市の博物館解説でも、雀居遺跡や今宿五郎江遺跡などから弥生時代の木のよろいや楯が出土していると説明されている。


つまり今回の話を雑に先取りすると、

「日本で木製のよろいが三例しかない」

は、そのままだとちょっと誤解を呼ぶ。
でも、

「古墳時代の木製甲として特に知られる例はごく少なく、いま“三例”として話題になる」

なら、かなり納得しやすいんだよね。

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↑よく残ってるものだ!( ・Д・)(「文化遺産オンライン」の画像より転載)


🧭 まず整理すると、“木製のよろい”には時代差がある

ここ、かなり大事。

京都国立博物館の解説では、弥生時代には木の厚板を削った刳抜式甲や、薄い四角い板を革紐でつないだ甲があり、これに対して古墳時代の甲は主に鉄製だとされている。福岡市博物館でも、弥生時代の木製よろいは、その形が古墳時代の短甲に似ていることから、後の鉄のよろいの元になった可能性があると説明している。


つまり日本の防具史って、

弥生時代には木のよろいがあり、
古墳時代に入ると鉄製甲冑が主流になっていく、

という流れで見るのが基本なんだね。

だから「木製よろいは三例」という言葉を見たときは、
その三例が“いつの話か”
をまず確認したほうがよいわけさ。


🏺 じゃあ“全国で三例”って何の三例なのか

いま話題になっている「三例」は、古墳時代の木製甲の話として受け取るのが自然だと思う。

兵庫の西野山3号墳では、有機質製短甲が出土しており、文化遺産オンラインでも「極めて特殊な遺物」とされている。2026年の保存処理後の報道では、木そのものは失われていたものの、漆の薄膜が土に残っていて、再分析の結果、改めて木製であることが確認されたとされる。さらに鋸歯文や朱の痕跡も見つかったという。


滋賀の雪野山古墳でも、東近江市埋蔵文化財センターの解説に「木製短甲の痕跡」が見つかっており、小札革綴冑とセットで副葬されていたようだと書かれている。

そして奈良の上殿古墳については、今回の赤穂側の説明で、雪野山古墳と並ぶもう一つの木製甲の例として挙げられている。手元で確認しやすい公開資料では雪野山や西野山ほど詳しい概要ページが見つかりにくいのだけれど、少なくとも現在「全国で三例」と紹介される文脈では、上殿古墳がその一角に置かれている。


つまり、「三例」というのは
木製よろい全般の数というより、
古墳時代の木製甲として特に数えられている、ごく希少な例数
と見たほうがよさそうなんだよね。



🌾 でも弥生時代まで広げると、話は一気に変わる

ここが今回いちばん面白いところ。

糸島市の公式ページでは、弥生時代の木甲は17例あるとされている。しかも深江石町遺跡の例は、後胴1点・前胴2点・半裁材2点が出土し、製作途中の未成品だからこそ、木製鎧の作り方までわかる貴重な資料だと説明されている。伊場遺跡の例と同じタイプだともされている。


福岡市の資料でも、雀居遺跡では弥生時代の「木製のよろい」や楯が出土していて、今宿五郎江遺跡でも木のよろいと楯が見つかっている。つまり北部九州では、木製防具は“幻の一例”というより、弥生時代の武装を考えるうえでかなり重要な資料群なんだね。


なので、今回のテーマを正確に言い直すなら、

「日本で木製のよろいは三例しかない!」

ではなくて、

「古墳時代の木製甲は、いま“三例”として語られるほど珍しい。でも弥生時代まで広げると、木製よろいはもっとある」

になる。
このズレ、かなり大きいです。



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↑これらは弥生時代の事例、サクっと調べただけでもたくさん出てくるね!( ・Д・)(「福岡県埋蔵文化財センター」、「糸島市」のサイト画像より転載)


🎨 しかも木製よろい、見た目が地味どころかかなり凝っている

木って聞くと、なんとなく“鉄の代用品”みたいに思いがちなんだけど、実物はむしろ逆なんだよね。

伊場遺跡群出土品について文化遺産オンラインは、複雑で精緻な文様彫刻が施され、漆塗りで赤彩・黒彩をほどこした木甲が特に注目されるとしている。その鮮やかな造形と装飾性は、漆工・木工の高い技術力を如実に示し、他に例を見ないとまで書かれている。


さらに浜松市博物館の資料でも、伊場の木甲は前胴と後胴からなり、黒漆の上に赤漆が塗られていたこと、そして出土から50年がたってもこれを超える良好な資料は出土していないことが語られている。

これ、かなり好きなんだよなあ。


木製よろいって、単に「鉄がないから木で我慢しました」みたいなものではなく、
ちゃんと彫り、塗り、色を重ね、見せるためにも作られている。
つまり防具であると同時に、威儀具でもあり、権威の表現でもあった可能性が高いんだよね。


🌊 なぜこんなに少なく見えるのか

ここはたぶん、二つ理由がある。


一つは、もちろん保存の問題。
木は残りにくい。西野山3号墳の例でも、木自体は失われ、漆膜だけが薄く残っていた状態だった。逆に言えば、低湿地や水分条件のよい遺跡では、木製品が残りやすい。弥生時代の木製よろいが低地遺跡で目立つのは、この保存条件の差ともかなり関係していそうだ。


もう一つは、材料の主役交代だね。
京都国立博物館の解説どおり、古墳時代に入ると甲は主に鉄製になる。だから木製甲は、弥生から古墳への移行を考えるうえで重要ではあっても、古墳時代全体では主流にならなかった。そうなると、ただでさえ残りにくい木製のものは、ますます希少に見えてくる。



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↑先に挙げた古墳時代の事例のカラフル図面と復元!( ・Д・)(「浜松市博物館館長講座」の資料内画像より転載)


🧠 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

あるけまや的に今回おもしろいのは、「三例しかない!」が単なるレアもの自慢で終わらないところ。

むしろ大事なのは、その言葉の裏に
弥生と古墳の境目
が見えてくることなんだよね。


弥生時代には木のよろいがかなり重要だった。
しかもそれは、単なる粗末な防具じゃなく、赤や黒の漆で飾られ、文様も彫られた、かなり気合の入った装備だった。
その一方で古墳時代に入ると、甲冑の主役は鉄へ移る。
でも完全に一気に切り替わるわけじゃなく、木製甲の痕跡がごく少数、古墳の副葬品として残る。


これって要するに、
素材の転換であり、
戦い方の転換であり、
権威表現の転換でもあるんだよね。

木から鉄へ。
でも木はただ消えたんじゃなくて、その途中のすごく面白い場所に立っている。
今回の「三例」って、その境目の残骸みたいなものなんだと思うのさ。


✍️ あるけまや的まとめ

今回の話を雑に言うと、

「日本で木製のよろいは三例しかない」というのは、そのまま言うと少し誤解がある。いま“三例”として話題になっているのは、古墳時代の木製甲として知られる兵庫県西野山3号墳、滋賀県雪野山古墳、奈良県上殿古墳のことらしい。一方で、弥生時代まで広げると、糸島市の公式説明では木甲は17例あり、福岡市でも雀居遺跡や今宿五郎江遺跡から木のよろいや楯が出土している。つまり「三例」は全時代の総数ではなく、かなり時代をしぼった話なんだね。


だから今回のポイントは、

「木製よろいが少ない」
だけじゃなく、

「弥生には木のよろいがかなりあり、古墳では鉄が主流になり、そのはざまに“ごく希少な木製甲”が残る」

というところにある。


この話、単に珍品の数を数えてるんじゃない。
日本列島の武装の歴史が、素材ごと切り替わっていく瞬間を見ているんだよね。

木で守る時代。
鉄で守る時代。
その境目が、たった数例の資料にぎゅっと詰まってる。

こういう話、かなり好きなんだよね( ・Д・)



なにはともあれ・・・・・・

「きのよろい」!リアルRPGシリーズいいなって思う!( ・Д・)







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