
↑うちの学校の下も掘ってみたい!( ・Д・)
今回の考古学・歴史ニュースは「イギリスの名門校ニュー・ホール・スクールの敷地内で、チューダー朝時代、つまり約500年前のものとみられる地下トンネルが見つかったぞ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
📰 はじめに
いや、また学校である。
この前は、ローマの高校の体育館の下から1800年前の豪邸が見つかった。
そして今度は、イギリスの学校の敷地から500年前のトンネルである。
学校の地下、強すぎない?( ・Д・)
しかも今回の場所は、ただの学校ではない。
エセックス州チェルムズフォードにあるニュー・ホール・スクール。
ここは、かつてヘンリー8世が所有したチューダー朝の宮殿、ボーリュー宮殿の跡地にある学校なのだ。
つまり、今回見つかったトンネルは、
「学校の地下に謎の通路があった!」
というだけではない。
王の宮殿。
アン・ブーリンの実家。
ヘンリー8世の地方宮殿。
チューダー朝の生活。
そして、近現代の学校。
こうした歴史の層が、ひとつの地下トンネルから見えてくるかもしれないのである。
🏫 ニュー・ホール・スクールとはどんな学校なのか
ニュー・ホール・スクールは、イギリスのエセックス州チェルムズフォードにあるカトリック系の学校である。
学校そのものの起源は17世紀にさかのぼる。
もともとは現在のベルギーにあたるリエージュで、1642年に創設されたカトリック教育の学校だった。
その後、フランス革命期の混乱で大陸から移動し、1799年に現在の場所に落ち着いた。
つまり、学校としても長い歴史を持っている。
でも、この場所がさらに面白いのは、学校が入っている敷地そのものが、もっと古い王室の歴史を持っていることだ。
ニュー・ホール・スクールは、かつてのボーリュー宮殿の跡地にある。
ボーリュー。
フランス語風に言えば「美しい場所」。
なんか名前からしてヘンリー8世が好きそうである( ・Д・)
👑 そこはヘンリー8世の宮殿だった
この地は、もともとニュー・ホールと呼ばれる邸宅だった。
16世紀初頭には、トマス・ブーリンが所有していた。
トマス・ブーリンは、後にヘンリー8世の2番目の王妃となるアン・ブーリンの父である。
そして1517年、ヘンリー8世はこのニュー・ホールを取得した。
その後、大規模な改築を行い、豪華な宮殿へと作り替えた。
それがボーリュー宮殿である。
ヘンリー8世といえば、6人の妻、宗教改革、強烈な王権、豪華な宮廷文化で知られる人物だ。
でも彼は、宮殿をたくさん持っていた王でもある。
王が移動する。
宮廷が移動する。
家臣や使用人や物資も移動する。
だから、王の宮殿は一つだけでは足りない。
各地に宮殿や狩猟用の邸宅を持ち、そこを巡りながら支配と社交を行っていた。
ボーリュー宮殿も、そうしたチューダー朝の王権ネットワークの一部だった。
🏰 宮殿はただの住まいではない
宮殿というと、王様が暮らす豪華な家を思い浮かべる。
でも、チューダー朝の宮殿は、ただの住まいではない。
政治の舞台。
外交の舞台。
宴会の舞台。
狩猟の拠点。
権力を見せる空間。
大量の使用人や物資を動かす巨大施設。
そういう複合的な場所だった。
王が滞在すれば、そこには宮廷がやってくる。
食料が必要になる。
酒が必要になる。
暖房が必要になる。
馬や家畜の管理も必要になる。
衣服、寝具、家具、皿、瓶、照明、台所、倉庫、通路。
とにかく裏方が巨大になる。
だから宮殿の考古学では、華やかな広間だけでなく、台所、倉庫、排水、庭園、サービス用通路のような“裏側の構造”がかなり重要になる。
今回のトンネルも、そこに関わる可能性がある。
🧱 発見のきっかけは「ハハ」の修繕だった
今回、トンネルが見つかったのは、学校敷地内の歴史的な「ハハ」と呼ばれる造園構造物を修繕している最中だった。
ハハ。
名前がかわいい。
でも、ちゃんとした庭園用語である。
ハハとは、景観を遮らずに家畜などの侵入を防ぐための、溝状の境界施設である。
普通の柵を立てると、庭園や邸宅からの眺めが邪魔になる。
そこで、片側を掘り下げて壁にする。
遠くから見ると景色はつながって見えるのに、実際には家畜が越えられない。
そういう、いかにもイギリス庭園っぽい工夫である。
そのハハの修繕中に、レンガ造りの地下通路の入口が見つかった。
つまり、今回の発見は、華やかな宮殿本体の部屋ではなく、庭園や外構、そして地下の構造に関わる発見だった。
ここが面白い。
宮殿の歴史は、建物の正面だけではなく、庭と地下にも残っているのである。
🕳️ 見つかったのはどんなトンネルなのか
今回見つかったのは、レンガ造りの地下通路の入口である。
まだ全体が発掘されたわけではない。
だから、どこまで続いているのか、何のために作られたのか、確定しているわけではない。
ただし、学校側や報道では、ヘンリー8世の時代、つまりチューダー朝期にさかのぼる可能性があるとされている。
地下からは、陶器、骨、ガラス瓶、ガラス片、鉛の破片などが見つかっている。
これらは現在、詳しく調査されている。
中でも陶器については、状態がかなり良いものもあるらしい。
そのため、単にゴミとして投げ込まれたのか、それとも保管のために置かれたのか、まだ議論がある。
このあたりが考古学的に大事である。
地下にモノがある。
だからゴミ捨て場だ。
……とはすぐには言えない。
モノの残り方、壊れ方、まとまり方、置かれた場所を見ないといけない。
🍶 陶器や瓶は、宮殿生活の裏側を語る
今回出てきた陶器やガラス瓶は、一見すると地味に見えるかもしれない。
でも、こうしたものこそ、生活の実態を語る。
王の宮殿と聞くと、金銀の食器、豪華なタペストリー、紋章、儀式用の衣装を想像しがちだ。
もちろん、それも重要である。
でも、宮殿で毎日使われるものは、それだけではない。
保存容器。
調理器具。
飲食器。
瓶。
骨。
鉛材。
修理されたもの。
割れたもの。
捨てられたもの。
こうした日常的な遺物は、宮殿を動かしていた裏方の世界を見せてくれる。
王の生活は、王だけでは成立しない。
大量の使用人、料理人、職人、管理者、庭師、馬丁、警備、事務官がいた。
つまり、宮殿とは、きらびやかな王室空間であると同時に、巨大な労働と物流のシステムでもあった。
トンネルや地下空間は、その“見えにくい宮殿”を考える手がかりになる。
🔐 秘密の逃げ道だったのか
地下トンネルと聞くと、すぐに想像したくなるのが、
「王族の秘密の逃げ道か?」
「宗教改革期のカトリック逃亡路か?」
「アン・ブーリン関係の何かか?」
「陰謀の通路か?」
みたいな話である。
気持ちはわかる。
地下トンネルは、どうしてもロマンが強い。
でも、現時点では慎重に見た方がよい。
今回のトンネルについては、保管場所、サービス用通路、庭園施設、宮殿の裏方に関わる構造など、いろいろな可能性が考えられている。
秘密の逃げ道だったと決めつける証拠は、今のところない。
むしろ宮殿のような大規模施設では、実用的な地下構造があっても不思議ではない。
物資を置く。
排水や導水に関わる。
庭園や家畜管理と関係する。
人目につきにくい動線として使う。
こうした用途の方が、考古学的にはまず考えやすい。
ロマンは大事。
でも、ロマンに引っ張られすぎると危ないのである( ・Д・)
⚔️ チューダー朝は、変化の時代だった
今回のトンネルが本当にヘンリー8世の時代のものなら、背景には16世紀イングランドの大きな変化がある。
チューダー朝は、王権が強まり、宗教が揺れ、宮廷文化が発展した時代である。
ヘンリー8世は、最初はカトリック王として振る舞っていた。
しかし、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題をきっかけに、ローマ教皇庁との関係を断ち、イングランド国教会の成立へ向かう。
そして修道院解散が進み、宗教施設の土地や財産が再編されていく。
この変化は、政治だけでなく、建築や土地所有にも大きな影響を与えた。
誰が土地を持つのか。
どの建物が壊されるのか。
どの屋敷が王のものになるのか。
どの宗教空間が世俗の空間へ変わるのか。
チューダー朝の地下には、そういう大きな社会変化も眠っている。
今回のトンネルがただの倉庫や通路だったとしても、それはこの時代の宮殿経営と社会変化の中に位置づけられる。
👸 アン・ブーリンの影も見える
ニュー・ホールの歴史でどうしても気になるのが、アン・ブーリンである。
この邸宅は、もともとアン・ブーリンの父トマス・ブーリンが所有していた。
その後、ヘンリー8世が購入した。
そして数年後、ヘンリー8世は最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を求め、アン・ブーリンと結婚する。
もちろん、今回のトンネルがアン・ブーリンと直接関係するわけではない。
そこは慎重である。
でも、この場所がチューダー朝政治の中心人物たちと関係していたことは確かである。
邸宅というのは、ただの建物ではない。
所有者が変わる。
王が買う。
名前が変わる。
改築される。
宮廷が訪れる。
そして、その場所が政治の記憶を帯びていく。
ニュー・ホールからボーリューへ。
この名前の変化自体が、ヘンリー8世の権力の見せ方を物語っている。
🏚️ 消えた宮殿の一部が、学校に残った
ボーリュー宮殿は、かつて非常に重要な王室宮殿だった。
しかし、その後、王室の所有を離れ、時代が下るにつれて大部分が失われていく。
18世紀には宮殿の多くが解体・改変され、現在のニュー・ホール・スクールの建物には、その一部だけが残っている。
つまり、現在見えている学校の建物は、かつての宮殿全体ではない。
失われた部分が多い。
だからこそ、地下や庭園、外構から出てくる遺構が重要になる。
地上に残らなかった宮殿の形が、地下にはまだ残っているかもしれない。
建物が消えても、基礎が残る。
通路が残る。
廃棄物が残る。
庭園構造が残る。
そうやって、失われた宮殿が少しずつ復元されていく。
これが考古学の良いところである。
🏫 学校で発見される意味
今回の発見が特に面白いのは、やはり学校で見つかったことだ。
生徒たちは、普段から歴史を授業で学んでいる。
でも、その歴史が校舎の下から出てくる。
これは強い。
教科書にあるチューダー朝が、急に自分の学校の敷地に現れる。
ヘンリー8世が、ただの歴史上の人物ではなく、自分たちの学校の過去とつながる。
これは、歴史教育としてものすごく良い。
歴史は遠い昔の話ではない。
自分が歩いている地面の下にもある。
しかも、それは王や貴族の歴史だけではない。
陶器や骨や瓶のような、生活の痕跡としても残っている。
学校の地下トンネルは、生徒たちにとって最高の教材になりそうである。
🔎 ただし、まだ調査はこれから
今回の発見は、まだ始まりにすぎない。
トンネルの全体像は、まだわかっていない。
年代も、遺物や構造の詳しい分析が必要である。
用途も未確定である。
トンネルが本当にヘンリー8世時代に作られたのか。
後世の改修や再利用がどれくらいあるのか。
中の遺物は使用時のものなのか、後から入ったものなのか。
保管なのか、廃棄なのか、別の用途なのか。
こうした点は、これからの発掘と分析にかかっている。
だから、現時点では、
「ヘンリー8世の秘密地下道発見!」
とまでは言わない方がよい。
むしろ、
「ヘンリー8世ゆかりのボーリュー宮殿跡で、チューダー朝期に関わる可能性のある地下構造と遺物が見つかった」
というのが正確だと思う。
地味に聞こえるかもしれない。
でも、研究としてはこちらの方がずっと面白い。
🧠 今回の発見の何が重要なのか
今回の発見の重要性は、三つあると思う。
一つ目は、ボーリュー宮殿の失われた構造を考える手がかりになること。
二つ目は、チューダー朝の宮殿生活の裏側、つまり保管・サービス・庭園・物資管理のような実務的な部分を見られる可能性があること。
三つ目は、歴史教育の場である学校と、考古学的発見が直接つながったことだ。
特に二つ目は大事である。
歴史では、どうしても王の結婚や戦争や宗教改革のような大事件に目が行く。
でも、王の宮殿を動かしていたのは、日々の物資管理や労働である。
陶器や骨や瓶や鉛片は、その日常の痕跡かもしれない。
地下トンネルは、チューダー朝の派手な王権の下にあった、地味だけど重要なインフラを見せてくれる可能性がある。
✨ おわりに
また学校である。
ローマの高校の体育館の下からは、1800年前の豪邸。
そしてイギリスの名門校ニュー・ホール・スクールの地下からは、500年前のチューダー朝トンネル。
学校の下には、いったい何が眠っているのか( ・Д・)
今回の発見は、見出しだけなら「秘密の地下トンネル発見!」で終わらせられる。
でも、よく見るともっと面白い。
そこは、ヘンリー8世が所有した宮殿だった。
アン・ブーリンの父が所有した邸宅だった。
王が改築し、美しい場所、ボーリューと名づけた場所だった。
そして今は、生徒たちが学ぶ学校になっている。
その地面の下から、レンガ造りの通路、陶器、骨、ガラス瓶、鉛片が出てきた。
王の宮殿は、きらびやかな広間だけでできているわけではない。
地下の通路、倉庫、庭園の境界、使用人たちの動き、日々の器や瓶も含めて、宮殿なのである。
今回のトンネルは、その見えにくい宮殿の裏側を少しだけ見せてくれる。
そして、生徒たちにとっては、歴史が教室の外どころか、校庭の下から出てきたことになる。
歴史は本当に、地面の下にある。
たまに学校の下にもある。
いや、最近は学校の下から出すぎである。
次はどこの学校から何が出てくるのか、ちょっと楽しみになってきたぞ( ・Д・)
何はともあれ……
日本だと学校は元墓地だった説多くない?( ・Д・)











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