2026ねん 7がつ15にち(すいよーび、くもり)

昨晩も5km走って元気!( ・Д・)
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↑完全な数式ってなんなのかね!?( ・Д・)





今回の考古学・歴史ニュースは

グアテマラのシュルトゥン遺跡で、約1200年前の壁面文字から、マヤの天文学者・数学者とみられる人物の名前が初めて特定されたぞ! しかも、その名前は“完全な数式”のような暦算・天文計算の末尾に書かれていたらしいぞ( ・Д・)」

ってお話です(*・ω・)ノ




📰 はじめに


これは、かなり面白い。

舞台は、グアテマラ北東部ペテン県にある古典期マヤ都市、シュルトゥン。

サン・バルトロ遺跡の近くにあり、現在はサン・バルトロ=シュルトゥン地域考古学プロジェクトのもとで調査が続けられている地域である。

今回話題になっているのは、シュルトゥン遺跡の建物10K-2。

ここには、王、書記、専門家たちの姿や、暦・天文計算に関わる小さな文字列が描かれた部屋がある。


その壁面に残された「Text 19」と呼ばれる小さな文字列を詳しく調べたところ、最後に、

che-he-na

つまり、

「かく語る」「そう言う」

のような引用・帰属の表現があり、その後に、

Sak Tahn Waax

という個人名が続くことがわかった。

訳せば、

「白い胸のキツネ」

である。

いや、名前がかっこいい( ・Д・)

そして、この名前は単なる落書きの署名ではない。

その直前にあるのは、260日暦、365日太陽年、金星周期、火星周期などを結びつける、かなり高度な暦算・天文計算だった。

つまり、マヤ世界で初めて、天文・数学的な仕事に個人名が直接結びついた可能性があるのだ。


🗺️ サン・バルトロとシュルトゥンはどう関係するのか

まず、場所を整理しておきたい。

今回の発見地点は、正確にはシュルトゥン遺跡である。

ただし、調査プロジェクトとしては、サン・バルトロ=シュルトゥン地域考古学プロジェクトの一部である。

サン・バルトロは、先古典期後期の美しい壁画で有名な遺跡である。

マヤ最古級の文字や、神話的な壁画で知られている。

一方、シュルトゥンは、より大きな古典期マヤ都市である。

古くは20世紀初頭に知られていたが、長いあいだ本格的な調査は限られていた。

近年の調査によって、王朝、都市構造、壁画、暦算、書記活動が少しずつ明らかになってきた。

つまり、サン・バルトロは先古典期の神話的・王権的世界を見せる遺跡。

シュルトゥンは古典期の都市社会と知的活動を見せる遺跡。

この二つが、同じ地域プロジェクトの中でつながっているのである。


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↑シュルトゥンの位置!( ・Д・)(Rossi et al. 2026の図(fig. no.なし)より転載)


🏛️ シュルトゥンとはどんな都市だったのか

シュルトゥンは、グアテマラ北東部のマヤ低地にある古典期都市である。

有名なティカルからも比較的近い。

この地域は、古典期マヤの政治的・軍事的・儀礼的ネットワークの中で、非常に重要な場所だった。

王たちは石碑を建てる。

戦争や同盟を行う。

神々や祖先と結びつく儀礼を行う。

暦を読み、時間を整え、王権を宇宙の秩序に接続する。

そうした古典期マヤ世界の中で、シュルトゥンもまた一つの都市国家として機能していた。

特に7世紀から9世紀は、マヤ低地の都市王朝が強く動きながら、同時に大きな政治的変化へ向かっていく時代である。

今回の壁面文字が関わる8世紀後半は、まさにその激動期にあたる。


🏠 建物10K-2は、ただの部屋ではなかった

今回の舞台となる建物10K-2は、シュルトゥンの住宅地区にある小さな部屋である。

しかし、ただの住居ではない。

壁には人物像が描かれている。

王の前で儀礼や書記活動に関わる人物たちが描かれている。

さらに、壁のあちこちに小さな文字や数字が書かれている。

これらは、普通の王碑文のように大きく整えられた公式記念碑ではない。

むしろ、作業メモに近い。

暦の計算。

天体周期の計算。

数字の配列。

補助的な注記。

そうしたものが壁に書かれている。

まるで、現代の研究室や数学者のオフィスにあるホワイトボードのようである。

もちろん、実際にはマヤの部屋であり、ホワイトボードではない。

でも、壁に計算を書き、検討し、整理していたように見える点が非常に面白い。

ここは、古典期マヤの知的作業の現場だった可能性がある。


📚 マヤの本はほとんど残っていない

この発見が重要なのは、マヤの本がほとんど残っていないからである。

古代マヤには、樹皮紙で作られた折本、つまりコデックスがあった。

そこには暦、神々、天文、儀礼、占い、歴史などが記されていた。

しかし、スペイン植民地化以降、多くのマヤの本は失われた。

現存するマヤ・コデックスは非常に少ない。

ドレスデン絵文書、マドリード絵文書、パリ絵文書、そしてメキシコ・マヤ・コデックスなどが知られるが、いずれも後古典期以降の資料である。

つまり、古典期マヤの書物文化そのものは、ほとんど直接残っていない。

だからこそ、シュルトゥン10K-2の壁面文字は重要である。

紙の本ではない。

しかし、そこにはコデックスに似た暦・天文計算が壁に書かれている。

失われた古典期マヤの本作りや知識生産を、壁が代わりに見せてくれているのである。



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↑こんな感じの壁画!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のFigure 1.より転載)


🌙 2012年、最古級の天文表として注目された

シュルトゥン10K-2は、今回いきなり有名になったわけではない。

すでに2012年に大きな注目を集めている。

そのとき報告されたのは、壁面に描かれた古典期マヤの暦・天文表である。

月の周期に関わる表。

金星や火星に関わる可能性のある数表。

非常に大きな日数計算。

こうしたものが、部屋の壁に書かれていた。

それまで、マヤの天文表といえば、後古典期のドレスデン絵文書などが有名だった。

しかしシュルトゥンの発見によって、古典期にもすでに高度な天文計算が行われていたことが、壁面資料として見えてきた。

これは大きかった。

シュルトゥン10K-2は、古典期マヤの天文学者・暦算専門家たちの作業場のように見える部屋だったのである。


🧑‍🏫 王だけでなく、専門家がいた

マヤ碑文研究では、王の名前や戦争、儀礼、即位、捕虜、神々の話がよく出てくる。

それは当然である。

石碑や建造物の碑文は、王権を示すための公式記録であることが多い。

しかし、実際の社会は王だけで動いていたわけではない。

王の背後には、書記がいる。

絵師がいる。

暦算専門家がいる。

儀礼専門家がいる。

天体や暦を読み、王の行為を宇宙の秩序に接続する人びとがいた。

今回の発見が面白いのは、まさにそこだ。

王の名前ではない。

戦争の勝利者でもない。

暦と天文計算に関わる人物の名前が、壁面の計算文に結びついている。

これは、マヤ社会の知的専門家を、初めて個人名としてかなり具体的に見せてくれる資料なのである。


🦊 その名はサク・ターン・ワーシュ

今回特定された人物名は、

Sak Tahn Waax

である。

日本語で書くなら、

サク・ターン・ワーシュ

くらいが近いだろう。

意味は、

「白い胸のキツネ」

とされる。

この名前は、Text 19の最後に現れる。

直前には、

cheheen

つまり、

「そう言う」「かく語る」

のような表現がある。

そのため研究者たちは、この部分を、

「……そうサク・ターン・ワーシュは言う」

あるいは、

「……サク・ターン・ワーシュによる」

のような帰属表現として解釈している。

つまり、この計算文がサク・ターン・ワーシュ本人の作業だったのか、あるいは後の書記が彼の計算を引用したのかは、まだ完全には決められない。

でも、いずれにしても、数学的・天文学的な仕事が個人名に結びつけられている。

ここが非常に重要である。


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↑これが彼の名前!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のFigure 5.より転載)


⚠️ 「天文学者・数学者」は現代の呼び方である

ここで少し注意したい。

サク・ターン・ワーシュが「天文学者」「数学者」と呼ばれているが、これは現代の説明用語である。

古典期マヤの人びとが、現代の大学のように、

「私は天文学者です」
「私は数学者です」

と名乗っていたわけではない。

マヤ社会では、暦、神々、王権、儀礼、天体、占い、政治が深く結びついていた。

だから、この人物は現代的な意味での科学者というより、

暦算専門家。
天体周期を読む人。
書記。
儀礼に関わる知識人。
王権を時間の秩序に接続する専門家。

そう考える方がよい。

それでも、現代の読者にわかりやすく言えば、彼はマヤの天文学者・数学者だったと言える。

ただし、その中身は、現代の理系研究者とはかなり違う。


🧮 では「完全な数式」とは何なのか

ここが今回のいちばん気になるところである。

「完全な数式」と聞くと、私たちは現代数学の式を思い浮かべる。

たとえば、

x + y = z

とか、

E = mc²

のようなものだ。

でも、今回のText 19はそういう数式ではない。

マヤ文字で書かれた、暦の日付と日数の連鎖である。

つまり、

ある日付から、
何日進み、
次の日付に到達し、
さらに何日進み、
また次の日付に到達し、
最終的に大きな周期を完成させる。

そういう形をしている。

マヤ碑文研究でいう「距離数」、つまりDistance Numberを使った暦算である。

だから、現代的な式ではなく、

暦・天文周期を日数で束ねた計算文

と考えるのがよい。


📆 Text 19の骨格を簡単に言うと

Text 19の骨格は、おおよそ次のようなものである。

まず、ある暦日から始まる。

そこから20日進む。

次に260日進む。

さらに1560日進む。

最後に1080日進む。

すると、全体で2920日になる。

この2920日が重要である。

なぜなら、

2920日 = 365日 × 8

であり、

同時に、

2920日 = 584日 × 5

でもあるからだ。

365日はマヤの太陽暦ハアブに対応する。

584日は金星の会合周期に対応する。

つまり2920日は、8太陽年であり、5金星周期でもある。

太陽年と金星周期が、同じ数の中で再び合う。

ここに、マヤ暦算の美しさがある。


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↑前のローマの巻物もそうだけど画像解析技術はすごいね!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のFigure 2.より転載)



🔥 さらに火星も入ってくる

Text 19がすごいのは、太陽年と金星だけではない。

途中に1560日という間隔が入っている。

これは、

780日 × 2

である。

780日は、火星の会合周期に近い。

つまり1560日は、火星周期2回分である。

さらに、1560日は260日暦を6回分でもある。

つまり、この一つの間隔の中に、火星と260日暦が重なっている。

そして全体は2920日。

金星5周期。

太陽年8年。

その中に、260日暦、20日単位、360日単位、火星周期が組み込まれている。

これは単なる日付メモではない。

複数の時間のリズムを、ひとつの計算文にまとめたものなのである。


🧩 具体的にはどんな並びなのか

研究論文の復元に従うと、Text 19はおおよそ次のような流れになる。

4 Akbal 6 Muan
そこから20日後、
11 Akbal 6 Pax
そこから260日後、
11 Akbal 1 Zac
そこから1560日後、
11 Akbal 1 Pax
そこから1080日後、
12 Akbal 6 Muan

そして最後に、

「そう言う、サク・ターン・ワーシュ」

と続く。

もちろん、実際のマヤ文字はもっと複雑で、一部は欠けており、研究者による復元も含まれている。

しかし、重要なのは、この流れ全体が2920日という大きな周期に収まっていることだ。

この中に、20日、260日、360日、365日、584日、780日という複数の時間単位が組み込まれている。

これが「完全な数式」と呼ばれる理由だと思う。


📐 “完全”とはどういう意味か

ここでいう「完全」は、少し注意が必要である。

完全というのは、

「全部が完全に保存されている」

という意味ではない。

実際には、Text 19には傷みや欠損がある。

また、一部の日付や数は省略されており、研究者が暦の整合性から復元している。

それでも、Text 19は、他の壁面メモよりも自己完結した構造を持っている。

始まりがある。

複数の間隔がある。

終わりがある。

合計2920日の大きな周期がある。

そして、最後に個人名による帰属がある。

つまり、これは単なる計算の断片ではなく、ひとつのまとまった計算文として読める。

その意味で「完全な公式」「自己完結した式」と言えるのだろう。

現代的な数式ではない。

しかし、マヤ暦算の文法の中では、かなり美しく閉じた計算である。


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↑肉眼じゃよくわからんのにね!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のFigure 3.より転載)


🌞 260日暦と365日暦

この計算を理解するには、マヤの暦を少し知る必要がある。

マヤには複数の暦があった。

有名なのが、260日のツォルキン。

これは儀礼暦・祭祀暦として重要だった。

20の日名と13の数字が組み合わさり、260日で一巡する。

もう一つが365日のハアブ。

これは太陽年に近い暦である。

18か月×20日と、最後の5日からなる。

260日暦と365日暦は同時に動く。

そして、同じ組み合わせの日付が再び現れるまでに52年、つまり18,980日かかる。

これがカレンダー・ラウンドである。

マヤの暦は、一つの時計ではない。

いくつもの歯車が同時に回る仕組みだった。


♀️ 金星はなぜ重要だったのか

マヤ天文学で特に重要な天体の一つが金星である。

金星は、明けの明星、宵の明星として非常に目立つ。

空に現れ、消え、また現れる。

その周期は、戦争や王権、儀礼と関係づけられることがあった。

ドレスデン絵文書にも、金星表が残されている。

金星の会合周期は約584日。

Text 19の全体である2920日は、その5倍である。

つまり、サク・ターン・ワーシュに帰属された計算は、金星の動きと太陽年をきれいに接続している。

金星の空のリズムと、人間社会の暦のリズムを結びつける。

それが、この計算の大きな意味の一つである。


♂️ 火星も見ていたマヤの暦算専門家たち

さらに面白いのが火星である。

火星は金星ほど単純ではない。

動きが複雑に見える。

明るさも変わる。

空の中での位置も大きく変わる。

それでもマヤの暦算専門家たちは、火星の周期にも関心を持っていた。

火星の会合周期は約780日。

Text 19では、その2倍である1560日が重要な間隔として現れる。

これは、シュルトゥンの専門家たちが火星周期を理解し、それを他の暦周期と組み合わせていたことを示す。

しかも、1560日は260日暦6回分でもある。

つまり、火星と祭祀暦が重なる。

マヤの時間世界では、天体と暦と儀礼が分離していなかった。

それらは一つの複雑なシステムとして扱われていたのである。


🧠 これは占いか、科学か

ここで現代人は、

「これは科学なのか、占いなのか」

と考えたくなる。

でも、古典期マヤの世界では、その区別自体が現代的すぎるのだと思う。

天体を観測する。

周期を計算する。

暦に合わせる。

王の儀礼の日を決める。

戦争や即位や奉献のタイミングを考える。

神々や祖先との関係を整える。

これらは分かれていない。

つまり、マヤの天文学は、純粋な自然科学ではなく、社会と宇宙を結びつける知識体系だった。

だからこそ、天文計算は政治的にも重要だった。

時間を読むことは、王権を支えることでもあった。


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↑見つかったマヤ文字列!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のFigure 4.より転載)

👑 王のための知識だったのか

10K-2の壁画には、王や専門家たちの姿が描かれている。

シュルトゥンの王ヤシュ・ウェネル・チャン・キニチに関わる新年儀礼の場面も知られている。

つまり、この部屋の知識は、ただ専門家たちが趣味で計算していたものではない可能性が高い。

王権と関係していた。

暦算専門家たちは、王の儀礼、暦、天体、政治的時間を支えていたのだろう。

マヤの王は、ただ人間の世界を支配するだけではない。

神々、祖先、暦、宇宙秩序と結びつく存在である。

その王権を成立させるためには、時間の専門家が必要だった。

サク・ターン・ワーシュは、そうした知的・儀礼的専門家の一人だったのかもしれない。


🖌️ 誰が書いたのかはまだ完全にはわからない

ただし、ここも慎重に見たい。

Text 19の最後にサク・ターン・ワーシュの名前がある。

だからといって、彼本人が筆を持って壁に書いたと断定できるわけではない。

可能性はいくつかある。

彼本人が計算し、書いた。

彼本人が計算し、別の書記が書いた。

後の書記が、彼の計算を引用して書いた。

あるいは、サク・ターン・ワーシュは有名な数学・天文専門家で、その名を権威として記した。

現時点では、完全には決められない。

しかし、どの場合でも重要性は変わらない。

なぜなら、数学的・天文学的な計算が、個人名に帰属されているからである。

これは、マヤ文字資料の中で非常に珍しい。


🧑‍🎨 壁には複数の手があった

10K-2の壁面文字には、複数の書き手が関わっていた可能性がある。

うまく整った文字もあれば、より粗い文字もある。

漆喰の重なりから、壁面が繰り返し使われたこともわかる。

つまり、この部屋は一度だけ美しく飾られて終わった空間ではない。

何度も書かれ、消され、重ねられ、使われた可能性がある。

そこには、学びや訓練の場のような性格もあったかもしれない。

熟練者の文字。

見習いの文字。

計算の下書き。

完成した式。

そうしたものが同じ壁に残っている。

これは、古典期マヤの教育や専門知識の伝達を考えるうえでも非常に重要である。


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↑さっきの文字列の中身!( ・Д・)(Rossi et al. 2026のTable 1.より転載)


📖 ドレスデン絵文書との関係

マヤ天文学で欠かせないのが、ドレスデン絵文書である。

後古典期のマヤ絵文書で、金星表や月食表などが含まれている。

長いあいだ、マヤ天文学を考える中心資料の一つだった。

しかし、ドレスデン絵文書は古典期より後の資料である。

そのため、古典期にどのような天文計算が行われていたのかは、石碑や断片的な碑文から考えるしかなかった。

シュルトゥン10K-2は、そこに大きな窓を開けた。

壁に描かれた暦・天文表は、後のコデックスに見られる計算伝統の古典期の姿を示している可能性がある。

今回のText 19も、ドレスデン絵文書の火星・金星・月の表と直接同じではないが、同じような知的世界に属している。

つまり、マヤの天文知識は、後古典期の本だけで突然現れたのではない。

古典期の宮廷や専門家集団の中で、すでに複雑に発展していたのだ。


📜 なぜ壁に書いたのか

なぜ、こんな計算が壁に書かれていたのか。

これも面白い問題である。

紙の本に書けばよいではないか。

そう思うかもしれない。

でも、壁には壁の意味がある。

作業中の計算を共有するため。

教育や訓練のため。

儀礼空間として見せるため。

王や専門家集団の権威を示すため。

コデックス作成の下書きや参照用として使うため。

いろいろな可能性がある。

10K-2の壁面文字は、まるで本の中身が壁に広がったようにも見える。

あるいは、紙の本を作る専門家たちが、壁を使って計算していたのかもしれない。

この部屋は、マヤの知識生産の現場だった可能性が高い。


🧮 マヤ数学は、抽象だけではなく時間の実務だった

マヤ数学というと、ゼロの概念や二十進法がよく紹介される。

それはもちろん重要である。

でも、今回のText 19が示すのは、もっと実務的な数学である。

日数を数える。

周期を重ねる。

天体の動きを暦に合わせる。

複数の周期が再び合う地点を探す。

これらは、抽象数学だけではない。

社会を動かすための時間管理である。

いつ儀礼を行うのか。

いつ王が記念碑を建てるのか。

いつ神々と関わる日と考えるのか。

いつ天体現象が意味を持つのか。

こうした問いに答えるための数学である。

マヤの数学は、時間を扱う社会技術でもあった。


🌌 数式というより、宇宙の時間を束ねる装置

だから、Text 19を「数式」と呼ぶなら、少し詩的に言えば、

宇宙の時間を束ねる装置

である。

20日単位。

260日暦。

360日単位。

365日太陽年。

584日金星周期。

780日火星周期。

これらが、2920日という枠の中で関係づけられる。

人間の暦と、天体のリズムが合わされる。

しかも、その計算の最後に個人名がある。

つまり、サク・ターン・ワーシュは、時間をただ数えたのではない。

複数の時間を美しく重ね、意味ある形にまとめた。

それが、この発見のすごさだと思う。


🧑‍🔬 研究史として何が新しいのか

今回の発見は、完全にゼロから出てきたものではない。

研究史の積み重ねの上にある。

まず、サン・バルトロの壁画発見によって、この地域の先古典期マヤ王権・神話・文字研究が大きく進んだ。

次に、シュルトゥンの本格調査によって、古典期都市としての重要性が見えてきた。

2012年には、10K-2の壁面天文表が報告され、古典期マヤの暦算・天文学の現場として注目された。

2015年ごろには、10K-2がコデックス制作や専門知識の政治性と関わる場所として議論された。

そして2026年、Text 19の再検討によって、サク・ターン・ワーシュという名前が、数学的・天文学的な計算と結びつけられた。

つまり、これは一発の派手な発見ではない。

20年以上の調査、保存、撮影、碑文解読、画像処理、比較研究の積み重ねから出てきた成果である。




🔍 画像処理が文字を見せた

Text 19は、肉眼で簡単に読める状態ではなかった。

かなり小さい。

かすれている。

欠けている。

部分的に損傷している。

そこで研究者たちは、写真、スキャン、マルチスペクトル画像、デジタル画像処理を使って、文字の輪郭を復元した。

見えにくい黒い線を浮かび上がらせる。

色調を変える。

損傷部分を比較する。

類似する字形と照らし合わせる。

そうして、11個の文字ブロックの構造が読めるようになった。

考古学は、土を掘るだけではない。

いまは、壁のかすかな筆跡をデジタル技術で読み直す時代でもある。

今回の発見は、マヤ碑文研究とデジタル画像処理の協力によって生まれた成果でもある。


⚠️ それでも慎重に見るべき点

今回の発見は非常に重要だが、いくつか慎重に見るべき点もある。

まず、サク・ターン・ワーシュが本人の署名なのか、後の書記による帰属なのかは完全には決まっていない。

次に、Text 19には欠損や省略があり、研究者の復元を含む。

また、「数学者」「天文学者」という呼び方は現代的な説明であって、古典期マヤの職名そのものではない。

さらに、「完全な数式」といっても、現代数学の方程式ではない。

これは、暦日と距離数によるマヤ式の暦算・天文計算である。

このあたりを押さえておかないと、少し誤解しやすい。

でも、慎重に見てもなお、この発見は大きい。

マヤの知的専門家の名前が、初めて具体的に見えてきたからである。


✨ おわりに

今回のシュルトゥンText 19の発見は、非常に美しい。

大きな神殿でもない。

巨大な石碑でもない。

王の戦勝記録でもない。

壁の片隅に残された、小さな暦算の文字列である。

しかし、その中には、マヤの宇宙が詰まっている。

260日暦。

365日太陽年。

金星。

火星。

20日単位。

360日単位。

2920日という大きな周期。

そして最後に、

「そう言う、サク・ターン・ワーシュ」

という個人名。

これは、古典期マヤの知の現場を一気に人間らしくしてくれる。

これまで、マヤ天文学はすごいと言われてきた。

マヤの暦は精密だと言われてきた。

でも、それを作った人びとの名前は、ほとんど見えなかった。

王の名は残る。

神の名は残る。

戦争や儀礼の記録は残る。

しかし、計算した人、暦を組み立てた人、天体の周期を束ねた人の名前は、歴史の奥に隠れていた。


今回、その一人が姿を現した。

サク・ターン・ワーシュ。

白い胸のキツネ。

彼が本当に自分で壁に書いたのか、あるいは誰かが彼の仕事を引用したのかは、まだわからない。

それでも、彼の名は、古典期マヤの数学的・天文学的な仕事に結びついた。

これはすごい。

「数式」と呼ばれているものも、現代的な方程式ではない。

でも、だからこそ面白い。

それは、マヤの時間世界を束ねる計算文だった。

太陽と金星と火星と儀礼暦を、2920日の中で結びつける知的な構造だった。

マヤの天文学は、空を眺めるだけではなかった。

時間を数え、重ね、王権と儀礼と社会の中に組み込む知識だった。

そして、その知識を担った人間がいた。

今回の発見は、マヤ文明の偉大さを抽象的に語るだけでなく、

その知を作った一人の名前

を私たちに返してくれたのである。

いやあ、これは本当に良い発見だね。

マヤ碑文研究、まだまだ壁の片隅から世界を変えてくるぞ( ・Д・)




なにはともあれ……


技術革新によってマヤの碑文情報も増えていくといいな!( ・Д・)









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