
↑オス同士の縄張り争いとか同族間で争うのは分かるけどそもそも飢餓などの極限状態でもないのに殺す気で闘う動物って人類の他にいるのかね?( ・Д・)
今回の考古学・歴史ニュースは
「5300年前のアルプスで背中から矢を受けたアイスマン・エッツィは、長く“矢で大出血してその場で死亡した殺人被害者”と考えられてきたけれど、最新の医学的再検討では数時間生きていた可能性が高く、襲撃現場と遺体発見地点も違ったらしいうえ、『死んですぐ氷に封印されたタイムカプセル』という有名な物語まで書き換わっているぞ!( ・Д・)」
ってお話です(*・ω・)ノ
📰 はじめに
1991年9月19日。
イタリアとオーストリアの国境に近い、標高3210メートルのアルプス。
ドイツ人の夫婦、エリカとヘルムート・ジモンは、山歩きの途中で氷の中から突き出した人間の背中を見つけた。
最初は、最近遭難した登山者だと思われた。
警察が来る。
救助隊が来る。
身体は氷へ頑丈に固着していた。
誰も、それが5300年前の人間だとは知らない。
だから遺体を取り出すために、氷を削る道具まで使われた。
9月23日、ようやく遺体は回収され、法医学研究所へ運ばれる。
ところが、その横から出てきた奇妙な斧や革製品を見た研究者たちは気付き始めた。
この人、最近死んだんじゃないぞ。
そして放射性炭素年代測定が突き付けた答えは、紀元前4千年紀末。
エジプトの巨大ピラミッドが建つよりもはるかに前。
ストーンヘンジの巨大石造建築が完成するよりも前。
アルプスを越えようとした一人の男が、天然のミイラとなって現代へ帰ってきたのである。
彼の名は分からない。
だから、発見されたエッツタール・アルプスにちなみ、
エッツィ(Ötzi)
と呼ばれるようになった。
そして発見から10年。
身体をX線で調べ直した研究者が、左肩の奥に、それまで誰も気付かなかった石の鏃を発見する。
エッツィは遭難しただけではなかった。
誰かに、背後から射られていた。
5300年前の殺人事件が始まったのである!( ・Д・)

↑寒空が美しいね!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
🔪 ただし「史上最古の殺人」ではない
まず、今回の記事の元になった話でよく使われる、
「史上最古の殺人事件」
という表現について。
めちゃくちゃ魅力的な言葉ではある。
ただし、文字どおりには正しくない。
スペイン北部のシマ・デ・ロス・ウエソスでは、約43万年前の人類の頭蓋骨「Cranium 17」に、同じような鈍器で繰り返し殴られたとみられる二つの致命傷が確認されている。
2015年の研究では、これが現在知られている人類化石記録の中で、最古級の明確な「致死的対人暴力」と評価された。
エッツィより、40万年以上も古いのである。
では、なぜエッツィの事件が特別なのか。
それは「最古だから」ではない。
被害者本人の身体、傷、胃の中身、衣服、武器、道具、DNA、そして死亡した場所の環境まで、一人の人物について異常なほど多くの証拠が残っているからである。
犯人の名前だけが分からない。
まるで5300年間冷凍保存されていた未解決事件の捜査資料一式が、突然警察へ届いたようなものなのだ。
⏳ 5300年前とは、どんな時代だったのか
エッツィが生きたのは、ヨーロッパでは銅器時代。
新石器時代の農耕社会を基盤としながら、人類が銅という新しい素材を本格的に利用し始めた時代である。
石器はまだ現役だった。
エッツィ自身も、火打石製の短剣や鏃を持っている。
しかし同時に、彼は銅製の斧を持っていた。
石から金属へ一夜で切り替わったわけではなく、
石器と金属器が同時に使われる社会
だったのである。
金属を作るには、鉱石を見つけ、採掘し、1000℃近い高温を作り、精錬し、鋳造しなければならない。
そのため鉱夫、金属職人、交易者など、新しい専門的な役割が生まれ、遠隔地との交換も拡大した。
銅器時代は単なる「新素材の登場」ではなく、人間同士のつながり方や富のあり方まで変えていく時代だった。
しかも紀元前3300年頃といえば、世界史的にも巨大な変化が起きている。
南メソポタミアでは都市と行政の発達に伴い、紀元前3300年頃には最初期の文字が使われ始める。
エジプトでも第1王朝成立へ向かう政治統合が進み、初期の文字体系が形成されつつあった。
一方アルプスでは、文字を持たない農耕民たちが高い山を越え、地域をまたいで石材や金属、知識を交換していた。
エッツィは「原始人」ではない。
都市文明とは別のかたちで、高度な技術と長距離ネットワークを持つ社会に生きた人間だった。

↑発見当時の写真!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
🪓 彼が普通の男ではなかった可能性を示す、一本の斧
エッツィの所持品の中でも、とりわけ重要なのが銅斧である。
斧身は99.7%の銅。
約60センチのイチイ製の柄へ差し込み、白樺のタールと革紐で固定していた。
しかも、ほぼ完全な柄付きの状態で残っている。
当時としては非常に価値の高い品であり、銅斧を所有できたことから、エッツィは社会的地位の高い人物だった可能性が指摘されてきた。
そして2017年。
鉛同位体分析によって、さらに意外なことが分かった。
斧の銅は、アルプスで採れたものではなかった。
イタリア中部、南トスカーナの鉱石に由来していたのである。
現在の道路距離をそのまま当てはめることはできないが、かなり遠くから金属か製品が移動してきたことは間違いない。
アルプスの山男が持っていた一本の斧の背後に、鉱山、精錬、職人、交易という長い物質の連鎖が存在していた。
そして、この貴重な斧が彼の死後も残されていたことが、5300年前の事件をさらに奇妙にする。
金品目当ての襲撃だったなら、
なぜ犯人は銅斧を持っていかなかったのか?
現在も答えは出ていない。
🧥 死者の服まで残ったから、銅器時代の日常が見えた
普通の遺跡では、石と土器と金属が残り、革や布や木は腐って消えてしまう。
だから考古学者が復元する過去は、最初から「腐らなかった物」に偏っている。
エッツィは、その偏りをひっくり返した。
革。
毛皮。
編んだ草。
動物の腱。
樹皮。
木材。
こうした、本来なら消えてしまう品々が残っていた。
彼の衣服には皮革や毛皮、編んだ草が使われ、縫製には動物の腱や植物繊維が用いられている。
羊毛を織った布の衣服は確認されていない。
イチイの未完成の弓、鹿皮の矢筒、火打石の短剣、火起こし道具、白樺樹皮製の容器まで携えていた。
つまりエッツィは、一体のミイラであると同時に、
5300年前の人間一人分の生活用具セット
なのである。
遺跡から一本の斧だけが出るのとは、情報量がまるで違う。
🥩 死ぬ直前まで、彼は食事をしていた
さらに彼の胃まで残っていた。
2018年の研究では、最後の食事が脂肪分の多い食物、野生動物の肉、穀物などから構成されていたことが明らかになった。
標高3000メートルを超える場所を移動するには、大量のエネルギーが必要になる。
高脂肪の食事は、現代人から見れば重そうでも、高山を歩く人間には合理的である。
ここも、事件を考えるうえでおもしろい。
エッツィは何日も何も食べず、死にかけながら山へ逃げ込んだ人物ではない。
少なくとも死の近くまで食事を取り、高山を移動するための装備を持っていた。
一方で、その右手には深い切り傷があった。
何かが起きていた。
ただし、それが私たちが長年想像してきた「負傷した逃亡者の最後の一日」と完全に同じだったかは、今になって怪しくなってきたのである。

↑ほんと生々しいよね!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
🏹 2001年、一個の鏃が「遭難死」を殺人事件へ変えた
発見から最初の10年間、死因については遭難、低体温症、疲労など、さまざまな可能性が考えられていた。
転機は2001年。
改めてX線画像を調べたところ、左肩の奥に石製の鏃が残っていることが分かった。
さらに背中には、矢が入った傷口があった。
方向からみれば、矢は背後から撃ち込まれた。
エッツィは、何者かに射られていたのである。
2005年にはマルチスライスCTが行われ、2007年の研究では左鎖骨下動脈に損傷と仮性動脈瘤が確認された。
これによって、
「矢が重要な血管を損傷し、エッツィは大量出血して短時間で死亡した」
という説明が強く支持されるようになる。
南チロル考古学博物館の現在の解説にも、この従来説は残っている。
背後から射られる。
矢が動脈を切る。
大量に出血する。
倒れる。
そこへ頭部への打撃あるいは転倒が加わった可能性がある。
5300年前の殺人事件としては、あまりにも分かりやすい筋書きだった。
ところが2025年、この「分かりやすさ」にメスが入った。
🩻 最新研究は、ミイラの身体をそのまま人体だと思わなかった
問題は、エッツィが生きている人間と同じ身体ではないことである。
5300年間のミイラ化で、水分が失われた。
筋肉が縮んだ。
皮膚も縮んだ。
現在の身体をCTで見て、
「ここからここまで矢が通った」
と測っても、生前の身体では距離が違う。
そこで2025年11月に発表された研究では、ミイラ化による軟組織の収縮を考慮し、生前に近い肩と腕の位置へ戻したうえで矢の通り道を再構築した。
その結果、生前の創道は約11~13センチ。
そのうち約8~10センチが筋肉を通っていたと推定された。
そして、ここから意外な結果が出た。
筋肉は柔らかく動く。
穴が開いても組織が寄り、外への出血を抑える。
矢が残っていれば、それ自体が栓のような役割を果たす。
研究チームは、
矢傷から外へ大量出血し、急性出血性ショックで直ちに死亡した可能性は低い
と結論付けたのである。
⏰ エッツィは、矢を受けてから「数時間」生きていた可能性
これは、
「矢は死因ではなかった」
という話ではない。
矢傷は依然として重大である。
しかし、これまで想像されたように、撃たれて数分で倒れたとは限らない。
最新研究では、矢を受けてから数時間生存できた可能性が高いとされた。
局所的な出血だけなら、即座に致命的な血液量を失うとは考えにくい。
ところが標高3000メートルを超える高地で、負傷したまま何時間も激しく動けば話は変わる。
酸素は薄い。
気温は低い。
身体は登山によって大量の酸素を必要とする。
そこへ出血が加われば、酸素を運ぶ能力は低下する。
つまりエッツィは、
矢そのものによって即死したのではなく、矢傷+失血+高地+寒冷+激しい移動
という複数の要因によって、徐々に死へ追い込まれた可能性が出てきたのである。
これは5300年前の事件の時間軸を大きく変える。
犯人が矢を放つ。
エッツィが倒れる。
犯人が去る。
死ぬ。
ではない。
撃たれた後にも、エッツィには「数時間の人生」が残っていた可能性がある。
では、その間、彼は何をしていたのか。

↑これが例の立派なエッツィの銅斧!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
🥾 そして「殺された場所」まで変わった
最新研究はさらに踏み込んでいる。
エッツィが矢を受けたあと数時間動けたなら、
現在ミイラが見つかった場所で射られたとは限らない。
研究者たちは、矢は山を登っている途中で撃ち込まれた可能性があり、発見地点そのものは暴力事件の現場ではなかったと結論付けている。
これなら、発見地点に襲撃者の痕跡がなく、価値の高い銅斧まで残っていたことも説明しやすくなる。
犯人は彼を撃った。
しかし、その場では殺せなかった。
エッツィはそこから移動した。
そして別の場所で力尽きた。
そんなシナリオが可能になったのである。
ただし「どこで射られ、どれだけ移動したか」が確定したわけではない。
数百メートルなのか。
もっと短いのか。
誰かと一緒だったのか。
一人だったのか。
5300年前の捜査範囲が、むしろ広がってしまった。
🤕 「頭を殴られて殺された」説まで怪しくなった
エッツィの頭部には長く、重い頭部外傷があった可能性が議論されてきた。
犯人が矢を撃ったあと近づき、頭を殴ってとどめを刺した。
あるいは矢を受けたエッツィが転倒し、岩へ頭をぶつけた。
そんな復元も行われてきた。
ところが2025年の臨床的再検討では、この「外傷性脳損傷」自体についても疑問が示された。
CTで頭蓋骨の骨折のように見える部分には、正常な解剖学的構造と区別しにくいものがあり、皮膚にも生前に負った明確な対応傷が確認できない。
顔や身体の変色についても、外傷だけでなく、死亡後に血液が重力方向へ沈む死斑で説明できる可能性がある。
つまり、
矢で射られ、頭を殴られて即死した
という映画のような最期は、以前ほど確実ではなくなった。
殺人事件である可能性は非常に高い。
しかし、「どう殺されたか」は再び未解決になったのである。
🩹 右手の傷には、包帯が巻かれていたかもしれない
一方、最新研究でむしろ注目度が上がった傷もある。
右手の深い切創である。
傷は死亡の数日前に受けたと考えられ、皮膚だけでなく第2中手骨にも達していた。
つまり、ちょっと手を切った程度ではない。
刃物を伴う争いに巻き込まれた可能性がある。
そしてエッツィの右手は、左手と比較して不自然な姿勢を取っている。
2025年の研究では、
死亡時に右手へ包帯のようなものが巻かれていたため、この姿勢になった可能性
が提示された。
もしそうなら、エッツィあるいは彼の仲間は、
傷をそのままにするより、何かを巻いて固定した方がよい
という実践的な治療知識を持っていたことになる。
5300年前の殺人事件を調べていたら、5300年前の応急処置まで見えてきたわけである。
↑これがアイスマンことエッツィの姿!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
⚔️ 数日前の乱闘と、最後の矢は同じ事件だったのか
ここからは、まだ仮説である。
右手の傷は数日前。
背中の矢は死亡直前の数時間以内。
この二つが関連するなら、エッツィは突然山中で偶然襲われたのではなく、すでに誰かとの対立へ巻き込まれていた可能性がある。
集団間の戦闘だったのか。
個人的な争いだったのか。
政治的対立だったのか。
盗みだったのか。
復讐だったのか。
その答えはない。
だが奇妙なのは、やはり所持品である。
銅斧が残る。
短剣も残る。
弓や矢も残る。
衣類や容器も残る。
犯人が強盗なら、高価な斧を捨てていくのは不思議である。南チロル考古学博物館も、なぜ襲撃者が斧を奪わなかったのかを現在まで事件最大の謎の一つとしている。
「犯人が斧を持ち帰れば、自分が殺人犯だと知られるため置いていった」
という推測もある。
でも、それを証明する資料はない。
5300年前なので、犯人を取り調べることもできない!( ・Д・)
↑残りの良いベルト!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
❄️ そもそも「その場で氷漬け」になっていなかった
そして近年、事件そのもの以上に大きく変わったのが、
エッツィの保存過程
である。
昔の有名な復元では、こうだった。
エッツィは山中を逃げる。
谷状の窪地で死ぬ。
すぐに雪が降る。
氷河に覆われる。
窪地のおかげで氷河の動きから守られ、そのまま5300年間、完全な氷のタイムカプセルとなる。
だから奇跡的に保存された。
分かりやすい。
そして美しい物語である。
ところが氷河考古学が発達し、世界各地の氷雪遺跡について膨大な知識が蓄積されると、この説明が合わなくなってきた。
2023年の研究では、エッツィは春から初夏頃、現在の発見地点より上方の雪上で死亡した可能性が高いとされた。
その後、雪や氷が融けた際、遺体と道具類が下の窪地へ滑り込んだ。
さらに雪と氷に覆われたが、それで終わりではない。
🌞 5300年間ずっと凍っていたわけでもなかった
もっと驚くのはここである。
その研究によると、エッツィが入った窪地は、死亡後およそ1500年間にわたって、暑い夏には何度も部分的に露出した可能性がある。
融ける。
身体の一部が出る。
また雪が降る。
凍る。
また融ける。
そうした過程によって、身体や装備の一部は損傷した。
より新しい時代の植物なども窪地へ混入した。
完全に雪と氷で閉ざされたのは、死亡からずっと後、およそ3800年前だったと考えられている。
つまり、
エッツィは5300年間、一度も外界に触れない完全な冷凍庫へ入っていたわけではなかった。
論文は端的に、
「5300年間の氷のタイムカプセルではなかった」
と結論している。
この違いは大きい。
遺体の姿勢。
壊れた道具。
周囲の植物。
発見地点。
これらすべてを、
「死亡直後の状態そのまま」
として読むことができなくなるからである。
🧊 それでも、死んだときの姿勢は残った?
ところが、ここがまたおもしろい。
2025年の医学的研究では、死斑の位置や胸部の圧迫、腕の姿勢などから、エッツィは死亡時にも現在に近いうつ伏せ姿勢だった可能性が高いとされている。
一方、氷河考古学では、死亡後に雪とともに窪地へ滑り込み、何度か再配置されたと考えられる。
これは必ずしも矛盾しない。
うつ伏せで死亡した身体が、雪と氷ごと比較的短い距離を移動し、大まかな姿勢を保ったまま窪地へ入った可能性もある。
重要なのは、
発見地点=死亡地点=襲撃地点
という一対一の対応が、今では成立しなくなっていることである。
1991年の発掘地点は、「最後の戦闘が起きた場所」ではなく、死後の自然現象まで含めた長い形成史の結果なのである。
これはまさに、考古学でいう「遺跡形成過程」の問題である。
↑残りの言い靴!( ・Д・)(「South Tyrol Museum of Achaeology」の記事内画像より転載)
🧬 そして顔まで変わった――肌はもっと暗く、髪は少なかった
研究によって書き換わったのは、死に方だけではない。
エッツィ本人の見た目も変わっている。
長年、博物館やテレビでは、比較的明るい肌に長めの毛髪を持つ男性として復元されてきた。
しかし2023年、高品質なゲノムを再解析した結果、以前のDNA研究には現代人由来の汚染などの問題があったことが分かり、姿が修正された。
新しいゲノムが示したのは、
従来想像されたより濃い皮膚色
そして、
かなり進んだ男性型脱毛の遺伝的傾向
だった。
死亡時には薄毛、あるいはかなり頭髪を失っていた可能性がある。
さらにゲノムには、初期のアナトリア農耕民と共通する祖先成分が非常に高い割合で残されていた。
つまり彼は、数千年前にアナトリア方面からヨーロッパへ農耕を広げた人々の系譜を色濃く引く男性だった。
一本のミイラを30年以上研究しているのに、
顔も、
死因も、
死亡地点も、
保存過程も、
まだ変わり続けている。
📅 逆に、2026年になっても変わらなかったものもある
科学は新説を出すだけではない。
古い研究が正しかったことを確認する場合もある。
2026年2月、ETHチューリッヒに30年以上保存されていたエッツィの凍結組織試料について、新しい放射性炭素年代測定の成果が発表された。
複数回の分析を合わせた値は4527±7 BP。
最初期の1994年の測定値4550±27 BPと、きわめてよく一致した。
現在の較正では、年代確率が紀元前3356~3326年、3232~3180年、3157~3108年という複数区間へ分かれるものの、「約5300年前の銅器時代」という基本年代は揺らいでいない。
30年以上前の分析技術でも、年代そのものは驚くほど正確だったのである。
新しい技術が古い結論を壊すこともあれば、
古い結論の精度を証明することもある。
これも科学のおもしろいところだ。
🦠 2026年、今度は「死体の中がまだ動いている」と分かった
そして事件捜査とは少し違うが、今年2026年にはさらにとんでもない研究が出ている。
エッツィの身体に存在する微生物を、ゲノム解析や培養などによって包括的に調べた研究である。
そこには、大きく三種類の微生物世界が重なっていた。
生前の腸内細菌に由来するもの。
死後、氷河環境から入ってきた寒冷適応微生物。
そして1991年以降、研究・保存の過程で現代環境から加わったもの。
つまりエッツィは、
「紀元前3300年頃の身体」
だけではない。
死亡後の5300年間と、博物館で保存された30年以上の歴史まで、微生物として身体へ重ねているのである。
しかも寒冷環境へ適応した一部の酵母などには、現在の保存環境でも活動し得るものが確認された。
エッツィは物理的にも生物学的にも、完全に停止した「凍ったタイムカプセル」ではない。
研究チームは今後の保存のためにも、微生物群集を継続的に監視する必要があるとしている。
まさか5300年前の殺人事件を調べていたら、
犯人どころか、ミイラに住む酵母の心配までしなければならなくなる
とは誰が思っただろうか!( ・Д・)
🔬 1991年の「遺体」が、なぜ今も新発見を生むのか
エッツィ研究の歴史を並べると、おもしろい。
1991年。
遭難者だと思って回収したら、先史時代のミイラだった。
1990年代。
放射性炭素年代測定で約5300年前と分かった。
2001年。
X線を見直したら、肩に鏃があった。
2000年代。
CTによって血管損傷が明らかになり、殺人事件像が作られた。
2010年代。
胃内容物、DNA、病原体、衣服の動物種、斧の原料産地まで分かっていく。
2020年代。
氷河考古学が「死んですぐ永久凍結」の物語を崩した。
ゲノム研究が「明るい肌と豊かな髪」という復元を変えた。
医学的再検討が「矢で即死」という事件の時間軸を書き換えた。
そして微生物学が、ミイラそのものを「変化し続ける生態系」として見始めた。
同じ遺物なのに、答えが増え続ける。
これは最初の研究者たちが間違っていたからではない。
質問するための技術が変わったからである。
目視で分かること。
X線で分かること。
CTで分かること。
同位体で分かること。
DNAで分かること。
タンパク質で分かること。
微生物ゲノムで分かること。
一つの身体から読み取れる情報量そのものが、30年間で激増している。
🕵️ それでも犯人だけは、見つからない
現在かなり確からしいのは、エッツィが生前に暴力を受けたことである。
数日前には右手へ深い切り傷を負った。
死亡の近くには、背後から矢を受けた。
その矢傷は彼の死へ大きく寄与した。
だが最新研究では、即死ではなく、数時間生存した可能性が高い。
発見地点は襲撃そのものが起きた場所ではなかった可能性も高まった。
一方、誰が撃ったかは分からない。
なぜ撃ったのかも分からない。
人数も分からない。
彼が逃げていたのか、追っていた側なのかも分からない。
銅斧が残された理由も分からない。
数日前の手の傷と最後の矢が同じ対立に由来するのかも分からない。
科学技術がどれほど進歩しても、物質から復元できる範囲には境界がある。
鏃は、
「矢を撃たれた」
とは教えてくれる。
しかし、
「犯人は誰で、なぜ撃ったのか」
とは喋ってくれない。
そこに、5300年前の殺人事件のおもしろさと限界がある。
🏹 彼の「最後の日」は、これからも書き換わる
5300年前。
一人の男がアルプスを歩いていた。
身長はおよそ160センチ。
年齢は45歳前後。
毛皮と革をまとい、火打石の短剣を持ち、未完成の弓と矢を運び、遠いトスカーナの銅から作られた高価な斧を携えていた。
数日前、彼は手に深い傷を負った。
それでも食事を取り、山へ向かった。
そして、どこかで背中から矢を受けた。
だが、その場では死ななかったらしい。
負傷した身体で、さらに高地を移動した。
寒さ。
薄い空気。
疲労。
出血。
そのどれか一つではなく、すべてが少しずつ彼の生命を削ったのかもしれない。
やがて雪の上で倒れる。
うつ伏せのまま動かなくなる。
後に融雪によって身体と道具は窪地へ滑り込む。
雪と氷に覆われる。
時には再び露出する。
また埋まる。
そして約5300年後の1991年。
ハイカーが、その背中を見つけた。
長年語られてきた、
「戦いで負傷した男が山へ逃げ、追っ手に背中を射られ、その場で大量出血して倒れ、すぐ氷に封じ込められた」
という物語は、とても分かりやすかった。
けれども現在、ほぼすべての部分に修正が入っている。
撃たれた場所も違うかもしれない。
死ぬまでの時間も違う。
頭部外傷さえ怪しい。
遺体は死亡地点から動いた可能性がある。
5300年間永久凍結されてもいなかった。
肌や髪の復元も変わった。
それでも、
一人の人間が暴力を受け、5300年前のアルプスで死んだ
という中心だけは残っている。
これが考古学のおもしろいところだと思う。
新発見とは、必ずしも新しい遺跡を掘り当てることではない。
30年以上前に発見され、世界中が知っている一体のミイラを、
別の技術で、
別の角度から、
もう一度見る。
すると、昨日まで「事実」だった物語が動き始める。
エッツィ最大の秘密は、
「誰に殺されたのか」
だけではないのかもしれない。
5300年前に死んだ一人の人間が、現代科学の進歩に合わせて、何度でも違う歴史を語り始めること。
それこそが、アイスマンに今も隠されている最大の謎なのだ!( ・Д・)
なにはともあれ……
お盆休みは考古学・歴史関係のミステリー、ホラーもの探してみるかな!( ・Д・)








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