↑水中考古学って羨ましいわぁ!( ・Д・)
今回の考古学・歴史ニュースは
「イタリア・シチリア島西岸の海底46メートルで、約2100年前のローマ時代の沈没船と数百個ものアンフォラが発見され、その多くが古代のワイン輸送を代表する『ドレッセル1A型』だったけれど、船はどこから来て、どこへワインを運ぶ途中で沈んだのか、まだ全然分かっていないぞ!( ・Д・)」
ってお話です(*・ω・)ノ
📰 はじめに
海底探査装置に映ったのは、一つの大きな塊だった。
岩だろう。
最初は、そう思ったという。
場所は地中海に浮かぶシチリア島西部、マザーラ・デル・ヴァッロ沖。
漁師でフリーダイバーでもあるジャコモ・デ・モラは、イゴール・ビスッリと海底を調べていた。
水深は、およそ45~50メートル。
視界もよくない。
それでも気になって潜ってみる。
海底に見えてきた暗い塊へ近づく。
すると――。
岩ではなかった。
縦長の壺。
また壺。
その隣にも壺。
その奥にも壺。
海底一面に、何百個もの古代のアンフォラが積み重なっていたのである!( ・Д・)
二人は発見を当局へ通報。
その後、パレルモの文化財保護カラビニエリ、シチリア州海洋監督局、メッシーナの潜水カラビニエリなどによる正式な調査が行われた。
2026年8月8日、イタリア当局はこれを紀元前2~1世紀頃のローマ時代の沈没船と発表した。
場所は海岸から約3マイル、約4.8キロ。
水深46メートル。
海底には数百個のアンフォラと、鉛製の錨桿2点、さらに別の鉛製構造物が残っていた。
イタリア文化相は、この発見を「近年でも最も重要な水中考古学的発見の一つ」と評価している。
しかし、この船の本当のおもしろさは、
「ローマ船が見つかった!」
だけではない。
積荷の壺を一つずつ調べれば、
2100年前の商品が、どこで生産され、どの港へ集められ、どんな航路を通って、どこの市場へ売られる予定だったのか
という、古代地中海の物流網そのものを復元できる可能性があるのである。
🏺 船を覆っていたのは、約500個の「アンフォラ」
公式発表は「数百個」としているが、現地調査に関する報道では、およそ500個と推定されている。
アンフォラの堆積範囲は約21メートル×6メートル、高さは場所によって約2メートルにも達するという。
ただし、これは現段階では海底に露出した積荷の範囲として理解した方が安全である。
「船体そのものが完全な形で21メートル残っている」と確認されたわけではない。
木造船の船体は海水中で失われやすく、アンフォラの山の下や海底堆積物の中に船底材が保存されている可能性がある。
今後の調査で、それが分かってくるだろう。
そして日本語記事では「素焼き容器」と表現されているが、アンフォラは単なる植木鉢のような器ではない。
粘土を焼いて作った古代地中海の規格化された輸送容器である。
細長い胴。
二本の取っ手。
狭い口。
そして多くの場合、尖った底。
ワイン。
オリーブ油。
魚醤。
オリーブ。
果実。
さまざまな商品を大量輸送するために使われた。
液体用の器では、内面を松脂由来のピッチなどで処理して浸透を抑えた例も知られている。
現代でいえば、
段ボール箱+ペットボトル+商品ラベル
を合わせたような存在である。
形が違えば、生産地域や年代が違う。
表面に工房印があれば、生産者まで分かる。
墨書が残れば、中身や重量、商人名まで読み取れることがある。
だから考古学者は、アンフォラの破片を見るだけでも興奮する。
それが今回は、破片ではなく数百個単位で一つの船に積まれているのだ。
🍷 そして大部分は「ドレッセル1A型」だった
今回、公式に確認されている最大の特徴がこれである。
アンフォラの大部分が、
Dressel 1A――ドレッセル1A型
だった。
「ドレッセル」とは地名ではない。
19世紀末のドイツ人考古学者ハインリヒ・ドレッセルの名前である。
ローマで大量に発見されたアンフォラとその銘文を研究したドレッセルは、器形を番号で分類した。
その分類表は1899年の『ラテン碑文集成』にも収録され、その後100年以上たった現在まで改良されながら使われている。
つまり今回、
「ドレッセル1Aが大量にある」
というだけで年代と交易圏をかなり絞れるのは、19世紀以来積み重ねられた土器型式学の成果なのである。
ドレッセル1は後期ローマ共和政を代表する輸送用アンフォラ。
その中でも1A型は、おおむね紀元前140~130年頃から紀元前1世紀中頃まで使用されたと考えられている。
主な生産地はイタリア半島のティレニア海沿岸。
エトルリアからカンパニアにかけて多くの窯が知られ、ポンペイ周辺、コサ、カエクブムやファレルヌムといった有名なワイン産地も含まれる。
そして容器に残された古代の墨書などから、
ドレッセル1が主としてワイン輸送用だったことはかなり確実
なのである。
しかも分布はイタリアだけではない。
スペイン。
南フランス。
ガリア内陸。
ポルトガル。
さらにはブリテンやドイツ方面まで届いている。
ローマ共和政後期にイタリア産ワインが広範囲へ流通していたことを示す、代表的な考古資料なのである。
↑確かに大量にあるね!( ・Д・)(「AFP BB News」の記事内画像より転載;credit: ITALIAN CARABINIERI)
🤔 では、この船は本当に「ワイン船」だったのか?
ここはニュースの見出しより慎重に考えたい。
可能性はかなり高い。
しかし、まだ確定ではない。
ドレッセル1Aが大量に積まれている以上、主積荷がワインだったという推定には十分な根拠がある。
一方でアンフォラは、形が同じなら絶対に一種類の商品しか入れない、現代の専用容器ではない。
実際、ドレッセル1系のアンフォラからはワイン以外に、樹脂、ナッツ、オリーブなどが確認された例もある。
だから最終的には、
内部に沈殿物が残っているか。
器壁へ酒石酸などブドウ由来の化学物質が吸収されているか。
松脂などの防水材が残っているか。
蓋や栓が残っているか。
といった残留物分析が必要になる。
実際、ローマ時代のアンフォラでは、化学分析によってワインと松脂由来のピッチを組み合わせて確認する研究が進んでいる。
つまり現在の正確な表現は、
「ワイン輸送用として典型的なアンフォラを大量に積んだ船で、ワイン船だった可能性が高い」
となる。
「2000年前のワイン500本がそのまま入っている!」
という意味ではない!( ・Д・)
📦 なぜ壺の底は尖っているのか?
アンフォラを見ると不思議なのが、底である。
普通の壺なら平らにして、床へ置けるようにした方が便利に思える。
なのに輸送用アンフォラの多くは、下へ向かって細くなり、先端が尖っている。
これには船舶輸送との相性がある。
船倉ではアンフォラを一列に並べ、その間へ上段の尖った底を差し込むように重ねる。
縄や木材、植物性の緩衝材などで固定する。
すると大量の壺を比較的密に積める。
丸い船体が揺れても、平底瓶をただ床へ並べるより安定させやすい。
さらに尖った部分は、壺を傾けて液体を注ぐ際の補助にもなる。
アンフォラは、
地上で便利な食器としてではなく、船と倉庫を移動する「物流容器」として形作られた道具
なのである。
だから沈没すると船体の木材が腐っても、陶器だけは残る。
海底へ、
「船の形をしたアンフォラの山」
が現れることがある。
古代沈没船が最初に発見される際、アンフォラの山が手掛かりになることが非常に多いのもそのためである。
今回もまさにそれだった。
ソナーに映った「妙な岩」は、2000年前に積み上げられた貨物の形だったのである。
⚔️ この船が沈んだ頃、ローマは「地中海国家」へ変わっていた
紀元前2~1世紀。
まだローマ帝国ではない。
ローマ共和国である。
しかし、この頃にはローマはすでにイタリアの一都市国家ではなくなっていた。
紀元前264~241年の第一次ポエニ戦争でカルタゴと激突。
最終的にローマが勝利し、シチリアの大部分はローマ最初の属州となった。
そして紀元前146年にはカルタゴが滅亡。
同じ年にはギリシアのコリントスも破壊される。
スペイン方面でも征服が進む。
紀元前1世紀へ入れば、マリウス、スッラ、ポンペイウス、カエサルらの時代へ向かう。
つまり今回の船は、
ローマがイタリア半島国家から地中海世界の巨大政治勢力へ変貌していく最中
を航海していたのである。
征服が進めば兵士が動く。
移住者が動く。
奴隷が動く。
都市人口が増える。
そして食べ物も動く。
穀物。
油。
魚醤。
そしてワイン。
政治的支配の拡大と、商業圏の拡大は別々ではない。
今回の沈没船は、ローマの「征服史」を軍団ではなく、数百本の酒瓶から見る資料なのである。
↑アンフォラ🏺しか写ってない!( ・Д・)(「AFP BB News」の記事内画像より転載;credit: ITALIAN CARABINIERI)
🗺️ なぜシチリア沖なのか?――ここは地中海の交差点だった
地図を見ると、シチリアの重要性がすぐ分かる。
イタリア半島の先端。
北にはティレニア海。
東にはギリシア方面。
南へ渡れば現在のチュニジア。
西へ進めばサルデーニャ、スペイン。
その中央に、シチリアが横たわる。
今回のマザーラ・デル・ヴァッロは島の西岸にある。
海を渡れば、かつてカルタゴが存在した北アフリカは遠くない。
つまりここを通る船が、シチリア産品を運んでいたとは限らない。
イタリア本土から北アフリカへ向かう。
北アフリカからイタリアへ向かう。
スペイン方面へ進む。
あるいはシチリアの港へ寄港して積荷を積み替える。
さまざまな航路が考えられる。
しかも今回、一部報道では主要なドレッセル1A以外に、ランボリア2型、北アフリカ系とみられるアンフォラ、さらにネオ・ポエニ型アンフォラも確認されたと発見者が述べている。これはまだイタリア当局の正式な型式報告ではないため暫定情報だが、本当なら非常に面白い。
異なる生産圏の容器が同じ船へ積まれていた可能性があるからである。
一港で積んだ一種類の商品を運ぶ単純な直行便ではなく、
港から港へ寄り、
商品を積み、
一部を降ろし、
また別の商品を積む。
そんな古代の沿岸交易を示す可能性もある。
逆に空になったアンフォラを再利用していた可能性もある。
この辺は今後、陶土の岩石学的・化学的分析によって産地を特定しなければ分からない。
🔎 沈没船が「古代経済のタイムカプセル」になる理由
陸上遺跡からアンフォラが100個出たとする。
でも、それらが10年間で捨てられたのか、100年間で捨てられたのか分からないことがある。
ところが沈没船は違う。
船が沈んだ、その瞬間。
船内の商品がまとめて海底へ落ちる。
だから積荷は原則として、
同じ航海で一緒に運ばれていた商品群
になる。
これは考古学的に非常に強い資料である。
ドレッセル1Aが400本。
別型式が30本。
北アフリカ製が数本。
調理土器が5個。
ランプ。
船員の食器。
錨。
もしそんな構成が分かれば、
「この船の主要商品は何か」
「船員はどこに文化的背景を持っていたか」
「どの港を経由したか」
まで考えられる。
さらにアンフォラに刻印や墨書が残っていれば、生産者や商人の名前まで見える可能性がある。
陶土を分析すれば窯場。
内部残留物から商品。
船体材の樹種分析から造船地域。
木材が残れば年輪年代。
鉛製錨の同位体分析から鉱山。
一隻の船から、一つのサプライチェーンを丸ごと復元できる可能性があるのである。
だから沈没船考古学では、「黄金があったか」よりも、普通の壺が何百個並んでいる方が、経済史的にはおもしろい場合さえある。
⚓ シチリアの海は、半世紀以上「水中考古学の研究室」だった
今回の発見は突然始まった話でもない。
シチリア西部は、水中考古学史そのものに重要な場所である。
1971年。
マルサラ沖で古代船の木造船体が発見された。
調査を率いたのが、水中考古学の先駆者オナー・フロストだった。
7年に及ぶ発掘、引き揚げ、保存によって復元された「マルサラのポエニ船」は、紀元前3世紀のカルタゴ系造船技術を伝える希少資料となり、水中考古学史上の画期的研究となった。
さらにシチリア西方のエガディ諸島沖では、紀元前241年、第一次ポエニ戦争最後の大海戦が行われた。
2005年以降の広域海底調査では、ソナー、ROV、AUVなどを使って海戦場そのものが特定され、2024年シーズン終了までに27点もの古代軍船の衝角が考古学記録へ加えられた。
兜。
武器。
アンフォラ。
船の衝角。
歴史書に書かれた海戦が、海底の分布として再構成され始めている。
面白いのは、今回の商船が沈んだのも、それと同じシチリア西部の海だということ。
数十年前にはカルタゴとローマの軍船が戦っていた。
その後には、ワインを積んだ商船が行き交う。
戦争によってローマが海域を支配し、
その海域を、今度は商品が流れる。
軍事史と経済史が、同じ海底に重なっているのである。
↑こうしたアンフォラ内の内容物の分析研究もあるよ!( ・Д・)(Chassouant et al. 2022, Fig.1より転載)
🛟 なぜ500個のアンフォラを全部引き揚げないのか
「せっかく見つけたなら、全部引き揚げて博物館へ!」
と思うかもしれない。
しかし現在の水中考古学では、それが必ずしも正解ではない。
海底で2000年間安定していた陶器や木材を引き揚げると、環境が一変する。
塩分。
温度。
水分。
酸素。
特に木材が残っていれば、保存処理なしに乾燥させると急激に変形・崩壊する可能性がある。
そして500個のアンフォラを引き揚げれば、
脱塩。
保存。
記録。
保管。
展示。
それだけで膨大な費用と施設が必要になる。
イタリア当局は現段階で船全体を引き揚げる予定はなく、まず詳細な記録と保存状態の評価を行う方針だとされる。必要に応じて一部資料を回収し、分析する可能性がある。
今後の最大のポイントは、
船体がどれだけ残っているか。
アンフォラの正確な個体数。
型式構成。
原産地。
中身。
沈没年代。
出航港。
目的地。
である。
そして何より、
なぜ、この船はここで沈んだのか。
嵐。
座礁。
船体損傷。
積荷の移動。
衝突。
航海事故。
現段階では何も分かっていない。
船底まで調査できれば、破損状態や積荷の崩れ方から沈没過程そのものを復元できる可能性もある。
↑植物の花粉、ブドウらしいよ!( ・Д・)(Chassouant et al. 2022, Fig.3より転載)
🍷 2100年前、届かなかったワイン
紀元前2~1世紀。
どこかのブドウ畑で、ブドウが収穫された。
潰す。
発酵させる。
ワインになる。
陶工は別の場所で大量のアンフォラを焼く。
内側を処理する。
ワインを入れる。
蓋をする。
商人が買う。
荷車で港へ運ぶ。
港では人夫たちが一本ずつ船倉へ積み込む。
一段目。
二段目。
その上にも別のアンフォラ。
数百本。
船は港を離れる。
行き先はまだ分からない。
シチリアだったのか。
北アフリカだったのか。
イベリア半島だったのか。
途中の港へ寄りながら、西地中海を巡る予定だったのかもしれない。
だがマザーラ・デル・ヴァッロ沖まで来たところで、何かが起きた。
船は沈む。
船員がどうなったのかも分からない。
木造船体はやがて海底へ埋まり、一部は失われる。
しかし焼き物は腐らない。
アンフォラだけが、積荷の形を残す。
2000年以上経った2026年。
ソナーを見た現代人が、
「変な岩だな」
と思って潜る。
するとそこには、
届けられなかった商品が、まだ荷物の山になって残っていた。
今回見つかったものは、500本の古い壺ではない。
ブドウ農家。
陶工。
商人。
港湾労働者。
船主。
船員。
消費者。
そしてそれらを結んでいた航路。
ローマ共和国が地中海へ広がっていく中で形成された、2100年前の巨大な物流システムが、航海の途中で突然停止した瞬間なのである。
この船がどこから来て、どこへ行こうとしていたのか。
それが解明されたとき、
海底のアンフォラは初めて、
「ワインが沈んだ場所」から、「古代地中海経済の一本の航路」へ変わるのだ!( ・Д・)
なにはともあれ……
大量のワインか、どれくらいの価格のワインを沈めたんだろうね?( ・Д・)










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