
↑何かで見たことあるけど、、、たしかにぱっと見、なんのかよくわからん!( ・Д・)
今回の考古学・歴史ニュースは
「五角形の面が12枚、異なる大きさの穴が12個、丸い突起が20個という同じ設計の青銅器がローマ帝国北西部から約134点も見つかっているのに、古代の文章にも壁画にも使用場面が一度も現れず、測量器、距離計、暦、燭台、サイコロ、手袋を編む道具、軍用品、占いの器という50を超える説だけが残された――「現代の複製品で使えた」ことを「古代人がそう使った証拠」と取り違えず、発見場所、寸法、摩耗、素材、製作技術を手がかりに容疑者を一つずつふるい落とし、2023年の完全品発見と翌年の追加発掘が謎をどこまで動かしたのかを追いかけるよ!( ・Д・)」
ってお話です(*・ω・)ノ
📰はじめに
ローマ人は、よく書いた。
皇帝の命令、土地の測り方、軍隊の編成、建築技術、農作業、料理、薬、神々への奉納、果ては他人を呪う文句まで、粘土板、木簡、パピルス、石碑、金属板へ書き残した。
そして、よく描いた。
モザイクや壁画、墓碑、浮彫、貨幣には、兵士の武器、職人の工具、農具、楽器、台所用品、儀礼具が細部まで表現されている。
それなのに、この十二面体だけは、名前さえ分からない。
古代人が何と呼んだのか、誰が所有したのか、どの向きで持ったのか、何を穴へ通したのか、そのすべてが消えている。
しかも、見つかったのは一つや二つではない。
現在の継続的な集成では、完全品と破片を合わせて約134例に達する。それだけ存在するのに、使用法を示す文字も絵も、使いかけの状態で残された確実な例もない。
まるで帝国が、製品だけを残して説明書をすべて回収したような遺物なのである。
↑うん、なんなのこれ!( ・Д・)(「Wikimedia Commons」の画像より転載)
⚙️ 12の穴と20の突起――作るだけでも難しい青銅器
一般に「ローマの十二面体」または「ガロ・ローマの十二面体」と呼ばれる遺物は、中空の銅合金製品である。
十二枚の五角形が組み合わさり、三つの面が交わる20の頂点には、小さな球形または丸みを帯びた突起が付く。各面の中央には一つずつ穴が開き、向かい合う二面を一組とすると、六方向へ見通せる構造になっている。
ただし、現代の工業製品のような完全な「正十二面体」ではない。
面や辺はわずかにゆがみ、穴の直径も同じではない。一つの個体のなかでも約0.6~4センチまで差があり、穴の周囲には二重、三重、ときには六重の同心円や点刻文が刻まれている。
突起を除く本体の直径は約4~10センチ、突起を含めると約11センチに達する。重さも多くは35~580グラムほどだが、1キロを超える例さえある。
つまり「ローマ式十二面体」という基本設計は共通しているのに、完成品の寸法、重量、穴の組み合わせ、装飾は一つずつ異なる。
製作も簡単ではなかった。
厚さわずか0.5~4ミリほどの中空体を一体として成形するには、蝋で原型を作り、土などで包み、加熱して蝋を流し出した空間へ溶けた銅合金を注ぐ失蝋鋳造法が使われたと考えられている。
金属が途中で冷えて詰まれば失敗する。薄い壁を保ちながら十二の面と穴をつなぎ、鋳造後には外面を磨き、同心円を刻み、突起を整えなければならない。
↑こんな現場!( ・Д・)(「THE PAST」の記事内画像より転載)
2023年にイングランドのノートン・ディズニーで見つかった個体も、銅を主体としながら鉛をかなり多く含む合金だった。鉛は製品を硬く丈夫にする材料ではないが、溶けた金属の流れをよくし、複雑な型の細部へ行き渡らせる効果がある。
この十二面体が、強度を必要とする槌や武器ではなく、「複雑な形を美しく鋳造すること」を優先した製品だったことを示しているのかもしれない。
外面が丁寧に仕上げられている一方、内面は粗いままの例が多い。穴の奥を日常的に触ったり、何かを精密に押し通したりする工具なら、内側の仕上げや摩耗にも、もっと一貫した特徴がありそうだ。
だが、それがない。
年代の分かる例は、おおむね西暦200年頃から4世紀後半に属する。一部には2世紀まで遡る可能性があるものの、確実な初期例は少ない。
この時代、ローマ帝国は「五賢帝の安定期」を終え、3世紀の軍事危機、皇帝の乱立、疫病、国境地帯への攻撃を経験していた。西暦260~274年にはガリア、ゲルマニア、ブリタンニアなどがローマ中央政府から事実上離れ、「ガリア帝国」と呼ばれる政権を形成している。
興味深いことに、十二面体の約70パーセントはガリア・ゲルマニア属州、約20パーセントはブリタンニアから出土し、全体の約90パーセントが一時ガリア帝国に含まれた地域に集中する。
イタリア、ヒスパニア、北アフリカ、ギリシア、小アジアなど、ローマ文化の中心や他の広大な属州からは、基本的に見つかっていない。
帝国共通の「ローマ製品」というより、ローマの技術とガリア・ブリタンニアの地域文化が交わった場所で生まれた工芸品らしいのである。
↑壊れてるのもあるよ!( ・Д・)(「Wikimedia Commons」の画像より転載)
🔎 1739年、最初の十二面体は記録だけを残して消えた
研究史の始まりからして、この遺物は謎めいている。
1739年6月28日、イングランドのハートフォードシャー州アストンで見つかった「十二の面を持つ青銅器」が、ロンドン考古協会の会合へ持ち込まれた。
発見者ジョージ・ノースが紹介したこの品は、畑から銅貨とともに出たと記録されている。現在知られている最初のローマ十二面体である。
ところが、実物はその後行方不明になった。
最初の一個からして、正確な寸法も出土層も再調査できず、会議録の短い記述だけが残ったのだ。
その後、フランス、ベルギー、ドイツ、オランダ、スイス、オーストリア、ハンガリー、ブリテン島などで類例が増えていった。
1907年、フランスの研究者ド・サン=ヴナンは41点を集成した。1970年にF・H・トンプソンが研究を整理した頃には、およそ50点。1994年にはクリストファー・ヒルが新出例を加え、現在はミヒャエル・グッゲンベルガーによる継続的な目録が約134点を数える。
個体数が増えれば、用途も分かりそうなものだ。
しかし古い発見の多くは、畑仕事、建設、川底の浚渫、古物収集、近年では金属探知などによる偶然の出土だった。
「どこで見つかったか」は分かっても、「どの建物の、どの床面に、何と一緒に置かれていたか」が分からない。
記録のある発見地点を大まかに分けると、半数以上は都市や集落、2割弱は軍営、約8.5パーセントは聖所との関係が考えられる場所、約7パーセントは墓地、約5.5パーセントは井戸の埋土やゴミ穴、約4パーセントは貨幣・青銅器の埋蔵、約4パーセントは川からである。
これは、どの説にとっても困る分布だ。
軍用品なら軍営に偏ってほしい。儀礼具なら神殿や奉納坑に偏ってほしい。家庭用品なら住居から使用中の状態で見つかってほしい。
ところが十二面体は、町、砦、墓、川、浴場、埋蔵品、廃棄穴へ散らばり、どこにも決定的な集中を示さない。
ただし、この数字にも注意が必要である。
「集落から出た」といっても、その場所に神棚や占い師の部屋がなかったとは限らない。「軍営から出た」といっても、兵士が私物として持っていた宗教具かもしれない。最終的に捨てられた場所は、使用場所と同じとは限らない。
出土地点の分類だけで、用途を自動的に決めることはできないのだ。
↑たくさんあるし、種類もあるね!( ・Д・)(「Wikimedia Commons」の画像より転載)
📐 測量器、軍用品、暦、燭台――実用品説をふるいにかける
まず、もっとも機械らしく見える「測量器・距離計」説から調べてみよう。
向かい合う二つの穴をのぞき、遠くに置いた一定の高さの標尺が二つの円へちょうど収まる位置を探せば、相似三角形の原理によって距離を求めることはできる。
実際、複製品を使った実験では、十二面体を簡易的な視準器として機能させられる。
だから測量器で決まり!( ・Д・)
……とはならない。
大切なのは、「この物体を距離測定に利用できるか」ではなく、「古代人が距離測定のために設計し、実際に利用した証拠があるか」である。
個体ごとに寸法が違っても、一つずつ調整表を作れば測量器にはできる。したがって、規格が統一されていないことだけでは完全な反証にならない。
しかし、どの面を使えば何歩、何フィートなのかを示す数字、文字、目盛、基準線が一切ない。穴の対の比率も個体間で共通せず、ほとんど同じ大きさの穴が向かい合う例まである。
測定値を読み取る仕組みが遺物そのものに残らず、別の標尺と換算表が必須なら、その付属品や記録が134点すべてから消えたことになる。
1970年にはトンプソンが、当時提案されていた測量器説の計算と実用性を検討し、支持できないと結論づけた。その後も新しい距離計モデルは提案されているが、考古学的な使用証拠は増えていない。
軍事用の距離計や砲兵器具という説にも、同じ問題がある。
軍営から出た例は確かに存在する。だが、記録地点の過半は民間の都市・集落であり、軍営は2割に満たない。
ローマ軍は属州を越えて移動した。標準装備なら、北西部だけでなく、ダキア、シリア、北アフリカ、イタリアなど別の軍事地域にも広がりそうなものだ。
約134点の分布が地域文化の境界と重なり、軍隊の活動範囲とは一致しない以上、少なくとも「ローマ軍全体の標準測量器」説はかなり苦しい。
次は、暦または天体観測器説である。
十二の面を十二か月や黄道十二宮に対応させ、穴を通る太陽光の位置から季節や冬小麦の播種日を知ったという案は、形の美しさにも北方の農業にもよく似合う。
だが、十二面に月名も星座も方位もなく、どの穴を上にするかを示す印もない。個体ごとに穴径と面の組み合わせが異なるため、同じ緯度・同じ日付を示す共通装置にも見えない。
「太陽光を通せる」ことと、「暦として設計された」ことの間には、まだ大きな穴が開いている。
燭台説には、わずかながら物質的証拠がある。
ゲルマニアで見つかった一例の内部に蝋が残っていたと報告されている。穴へ細い蝋燭を差し込み、20の突起を脚としてどの面でも安定させることは可能だ。
しかし、蝋の残った例は例外的であり、多くの個体に煤、熱変色、繰り返し蝋を削った摩耗が確認されているわけではない。失蝋鋳造や後世の保管・処理との関係も検討しなければならない。
日用品の燭台なら、十二面すべてに異なる穴を作る理由も説明しにくい。
サイコロや玩具という説も、突起のため転がり方が不規則で、面を区別する数字や記号がなく、高価な銅合金を薄く中空鋳造した理由が残る。
もちろん、占いの投具なら公平なサイコロである必要はない。だがその場合、もはや単なるゲーム用品ではなく、儀礼説の領域へ入っていく。
↑精巧過ぎるよね!( ・Д・)(「Wikimedia Commons」の画像より転載)
🧶 手袋は本当に編める――しかし、なぜ青銅の十二面体なのか?
現代でもっとも人気があるのは、「手袋の指を編む道具」説である。
五角形の面を上に向け、その周囲にある五つの突起へ毛糸を掛け、下の輪を上へ持ち上げていく。すると中央の穴から、細長い筒状の編み地が伸びてくる。
穴の大きさを選べば、親指、人差し指、小指など、太さの違う指部分を作れるというわけだ。
実際に複製十二面体で手袋を作った人もいる。
これは空想だけの説ではない。「この形で筒状の布を作れる」ことは、実験によって確かめられている。
だが、ここでも可能性と証拠を分けなければならない。
第一に、突起へ糸を何度も掛ければ、頂点や穴の縁に一定方向の微細な摩耗が残るはずである。ところが十二面体は、腐食や破損を除けば、外面・内面とも摩耗の乏しい例が多い。完全なノートン・ディズニー例にも、明確な使用摩耗は確認されていない。
第二に、同じ筒編みは、穴を開けた木片や骨の輪へ数本の釘・突起を付ければ、はるかに安価かつ軽量にできる。
銅合金を大量に使い、失敗の危険が高い薄肉中空鋳造を行い、使用しない面にまで穴と同心円を作る必要がない。
第三に、ローマ時代の防寒衣料が存在したことと、この技法で編んだことは別問題である。
古代の靴下や手袋には、布、革、あるいは一本の針で糸を輪にしてつなぐ「ナールビンディング」が使われた。突起を並べた枠による筒編みをローマ帝国北西部で行ったという確実な考古資料はなく、同種の編み枠が文献へ明瞭に現れるのははるか後世である。
第四に、ドイツのアルロフでは、十二面体とよく似た中空銅合金製の「二十面体」が、西暦200年頃の墓から発見されている。
頂点に突起を持つが、十二面体のように全ての面へ穴が開くわけではない。もし一連の多面体が同じ文化的発想から生まれたなら、「手袋の指を編む」という用途だけでは、穴のない面が多い二十面体を説明できない。
そして「寒いブリタンニア、ガリア、ゲルマニアに集中するから手袋だ」という分布論にも落とし穴がある。
その地域は同時に、ローマ支配下でケルト系の言語・宗教・金属工芸の伝統が強く残った地域でもある。寒冷地との一致は防寒具説を支えるように見えるが、地域文化説でも同じ分布を説明できるのだ。
編み物説は、再現実験という長所を持つ。
しかし現状では、「十二面体でも編める」ことは示しても、「十二面体が編むために作られた」ことまでは示していない。
↑134例の分布図!( ・Д・)(Guggenberger and Leach 2025, Fig.2より転載)
🕯️ 神を迎える器か、ただ捨てられた高級品か――完全品が残した新しい謎
実用品説をふるいへ掛けると、最後に残りやすいのが宗教・儀礼・占い説である。
ローマ帝国の宗教は、ローマの神々だけを全属州へ同じ形で押しつけたものではなかった。
ブリタンニアでは土地の女神スリスがローマのミネルウァと結びついて「スリス・ミネルウァ」となり、北部の神々はマルスと同一視された。ガリアやゲルマニアでも、在地の神、ローマの神、皇帝崇拝、東方起源の密儀宗教、護符、呪術、占いが混ざり合っていた。
十二面体が北西属州だけに集中し、形は共通しながら一つずつ異なり、文献に現れず、摩耗も少ないことは、地域的で秘儀的な祭具という解釈によく合う。
墓、川、聖所、貨幣埋蔵から出る例があることも、死者への供献、神への奉納、占い師や祭司の私物だった可能性を感じさせる。
だが、「用途不明だから儀礼具」は考古学で最も危険な近道でもある。
神殿との関係が考えられる出土例は約8.5パーセントにすぎず、過半数は都市や集落から来ている。宗教説にも、儀礼中の十二面体を描いた絵、神名を刻んだ銘文、一定の奉納方法という決め手がない。
そこで重要になったのが、2023年6月、イングランド中部リンカンシャーのノートン・ディズニーで見つかった完全品である。
地域の歴史考古学グループと専門調査会社は、ローマ街道フォッス・ウェイ、1930年代に発掘されたヴィラ、鉄器時代から続く集落景観の近くで発掘を行っていた。
調査終了間際に開けた第4発掘区で、ボランティアの一人が、完全な十二面体を土の中から発見した。
高さ約8センチ、重さ約245グラム。イギリスで知られる33例目、ミッドランズでは最初の例であり、穴も20の突起もほぼ無傷だった。
出土地点から約700メートル離れたヴィラ周辺では、1989年に馬に乗る在地系の神像も見つかっていた。十二面体は4世紀の土器を伴う穴から出て、摩耗もなく、非常に丁寧に作られている。
発見直後、調査グループは「日用品ではなく、地域的な宗教または儀礼に関わる品が意図的に置かれた」という作業仮説を示した。
ついに、儀礼説を裏づける完全な出土状況が見つかったように思えた。
しかし発見は調査最終日の直前で、穴の全体を掘る時間がなかった。
研究チームは2024年に戻り、深さ約2メートルの穴を四分割して掘り下げた。その結果、穴はもともと砂を採った採掘坑で、後にゴミ捨て場として埋め戻されたことが分かった。
内部には壊れた土器、動物骨、靴底に打つ鉄鋲、屋根瓦、床暖房や壁内暖房に用いる箱形タイルなどが大量に混じっていた。
十二面体より上の層からは、在位西暦268~270年の皇帝クラウディウス2世の貨幣が出土した。周囲の土器には4世紀に作られた地元産スワンプール土器も含まれ、十二面体が遅くともローマ支配末期の埋め戻し過程へ入ったことが分かる。
だが、十二面体は採掘坑の底に置かれた「基礎奉献」ではなく、最上部に置かれた「穴を閉じる儀礼」でもなかった。
埋土の途中で、日常の廃棄物と混じっていたのである。
発掘を監督した専門家は、配置に特別な構造や意図を示すものはなく、最終的には他のゴミと一緒に捨てられたように見えると判断した。
これは儀礼具説を否定するのだろうか。
そうとも限らない。
神像が壊れてゴミ穴へ捨てられることもあれば、祭具が効力を失い、所有者の死や建物の廃絶後に処分されることもある。発見地点は、物が最後にたどり着いた場所であって、生前の使用場所ではない。
ただし、「儀礼的に埋納されたから儀礼具だ」という最も分かりやすい証拠は失われた。
ノートン・ディズニー例が教えたのは、答えよりも、出土状況を最後まで掘らずに物語を完成させてはいけないということだった。
そして2025年、さらに大胆な宗教説が学術誌で提示された。
古代ギリシアのプラトンは『ティマイオス』で、四つの正多面体を火・土・空気・水へ対応させ、残る十二面体を宇宙全体の形と結びつけた。後代のピュタゴラス派・新プラトン派にとっても、十二、二十、三十という面・頂点・辺の数は、宇宙、神々、調和を考える特別な数だった。
十二面体が作られていた時代の哲学者イアンブリコスは、神々を人間の形に閉じ込めず、宇宙に似た「神聖な容器」として捉えるピュタゴラス的伝統を書き残している。
そこで研究者たちは、ガロ・ローマの十二面体を、香、光、煙、小物などを内部へ入れ、神的存在を招く容器、あるいは数と形を用いる占いの器だったのではないかと提案した。
中空で、どの方向からも内部へ通じ、穴径が異なり、使用摩耗が少ないことは、この案と矛盾しない。ローマの著述家がドルイドとピュタゴラス思想の類似を語ったことや、ローマ化したケルト文化圏へ分布が偏ることも、傍証として組み込まれている。
しかし、これはまだ美しい推理であって、証明ではない。
『ティマイオス』にもイアンブリコスにも、穴と突起を持つ青銅製十二面体の記述はない。ドルイドが実際にこの品を作ったことを示す工房も銘文もない。穴から香煙を出したのか、何かを振ったのか、光を通したのかも分からない。
儀礼説は、実用品説が抱える矛盾を多く避けられる。
だが「反証されにくい」ことと「証拠が強い」ことは同じではないのである。
現時点で最も安全に言えるのは、十二面体がローマ帝国北西部のローマ化したケルト文化圏で、西暦200~400年頃に作られた、高度で高価な地域的工芸品だったということだ。
軍の標準装備でも、帝国共通の日用品でもなさそうである。測量や編み物に利用することはできるが、そのために作られた証拠は乏しい。宗教・占い・身分表示・職人の傑作見本など、実用性以外の価値を持った可能性が、相対的には高く見える。
これから必要なのは、さらに魅力的な新説ではない。
穴と突起の顕微鏡レベルの使用痕、内部に残る蝋・油・樹脂・香料・繊維・土壌の分析、破片が偶然壊れたのか意図的に壊されたのかの検討、合金と鋳造技法の地域差、そして何より、次の十二面体が発掘調査の最中に手つかずの状態で見つかることである。
約134点も存在するのに答えがないのは、古代人が何も残さなかったからだけではない。
近代の発見者が、十二面体の周囲にあった土、建物、遺物の関係を記録する前に掘り出してしまったからでもある。
なにはともあれ……。
ローマ帝国が失くしたのは、青銅の十二面体ではなかった。
ぼくたちが本当に探しているのは、その小さな物体を手に取った人の動作と、それを見て意味を理解できた共同体の記憶なのだ!( ・Д・)
なにはともあれ……
これはしっかり考古学ミステリーだよ!( ・Д・)











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