20XXねん 3がつ 17にち(どよーび、晴れ)
卒業祝いにこれまでで最大の花束を買ったよ
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↑Proyecto Arqueológico Waka’のフアン・カルロス・ペレス撮影
【目次】
2.いつ、どのような社会だったのか?
ペルー・ワカは、西暦250~1000年頃のマヤ低地における古典期遺跡の一つです。当遺跡の調査チームによって、古典期には交易の要所であったと推定されています。
古代マヤの歴史では、最も早い国家の成立は先古典期後期~古典期初頭(西暦250年前後)と考えられており、ペルー・ワカは最も古い時期(2世紀)に王朝が成立した都市の一つと考えられています。またこれまでの調査で、5~7世紀に属する6つの女王の墓と人身供犠に関係する遺構が検出されています。
今回発見された王墓の写真(上写真)を見ると、多量の土器が副葬されていることが分かります。これらの土器の分析から西暦300~350年の王墓と考えられています。
つまりこれまでの成果と比較して、王朝の系譜において早い段階の王様の墓が見つかったという意味で重要な発見なのです。王朝成立後の支配者の墓は、それ以前の墓と比べて副葬品の種類や数に大きな違いが確認できる例が多いため、今回の発見は国家形成の問題に関わる大きな成果と言えるでしょう。
3.何が発見されたのか?
副葬品として、22個体の土器、スポンディルス貝の殻、翡翠製の装飾品、鰐が彫刻された貝製品等が発見されました。また重要都市ティカルの王墓で事例のある「トウモロコシの神のシンボルを有する被葬者のマスク」も発見されました。
王墓には精巧な多彩色土器が副葬されるケースが非常に多く見られます。貝の殻については、なぜ?と思われるかもしれませんが、内陸のジャングルに立地する都市国家のため、遠隔地である海産の大型貝の殻は、遠距離交易品としての高い価値を有していました。
また古代マヤ人にとって宇宙の中心の色は「緑」であり、緑色黒曜石を始めとして緑色の鳥の羽や鉱物類は重要視され、特に翡翠が王権を象徴する最重要の威信材の一つであったと考えられています。またジャガーや鰐は中米域で最強の生物であり、王権の象徴として度々利用されていました。
今回の出土品は、西暦300~350年に帰属するということで、「テオティワカンの影響」という古代メキシコ文化の影響を受ける以前の奢侈性の高い土器資料群データを提供するという意味で、私個人としても非常に興味深い発見であると考えています。
4.おわりに
近年の碑文研究の進展により、特に古典期後期(西暦550-900/1000)の都市国家間の政治的関係が鮮やかに描かれるようになってきました。また発掘調査の進展により、先古典期終末期(西暦1-250)における各社会の複雑化の様相についても明らかになってきました。
一方で比較的石碑資料や考古学資料の少ない古典期前期に関して、各都市の国家形成過程や都市間関係について明らかにしていくことが現行のマヤ考古学における課題と言えるでしょう。
翡翠製品しか出ない古代マヤ文明における王墓の発見は、もしかすると金銀財宝の出るエジプト文明やインカ文明等における発見と比べて、心惹く要素が少ないかもしれません。
しかしながら今回の発見は古代マヤの歴史を明らかにしていくための今後の研究に大きく貢献し得る重要なものと思います。
卒業祝いにこれまでで最大の花束を買ったよ
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↑Proyecto Arqueológico Waka’のフアン・カルロス・ペレス撮影
【目次】
- どこにある遺跡?
- いつ頃の、どのような社会だったのか?
- 何が発見されたのか?
- おわりに
1.どこにある遺跡?
最初の写真は見つかった王墓の写真です。これを撮ったのがプロジェクトディレクターのフアン・カルロス・ペレスさんです。グアテマラ人考古学者で、すごく優しいいい人です。
と言うのも、2015年くらいに国際学会において、私が人間違いをして出会ったのが最初なんですよね(私が探してたのは別のフアン・カルロスさんでした。よくある名前なもので(;'∀'))。ともかくも知り合いが素敵な発見をしたことは嬉しく思います。
↑Nacional Geographicのマヤ地図を一部加工
さて、今回の発見があった遺跡は、ワカ遺跡です。エル・ペルーやペルー・ワカとも呼ばれます。遺跡の所在は上図に示したようにグアテマラ北部のペテン県にあります。
古典期(西暦250-550)マヤ文明における最重要都市ティカルの西方約65kmの地点にあります。立地としてはサン・ペドロ川とエル・ペルー湖の傍にある都市遺跡で、現在は鬱蒼とした密林の中にあります。
2.いつ、どのような社会だったのか?
ペルー・ワカは、西暦250~1000年頃のマヤ低地における古典期遺跡の一つです。当遺跡の調査チームによって、古典期には交易の要所であったと推定されています。
古代マヤの歴史では、最も早い国家の成立は先古典期後期~古典期初頭(西暦250年前後)と考えられており、ペルー・ワカは最も古い時期(2世紀)に王朝が成立した都市の一つと考えられています。またこれまでの調査で、5~7世紀に属する6つの女王の墓と人身供犠に関係する遺構が検出されています。
今回発見された王墓の写真(上写真)を見ると、多量の土器が副葬されていることが分かります。これらの土器の分析から西暦300~350年の王墓と考えられています。
つまりこれまでの成果と比較して、王朝の系譜において早い段階の王様の墓が見つかったという意味で重要な発見なのです。王朝成立後の支配者の墓は、それ以前の墓と比べて副葬品の種類や数に大きな違いが確認できる例が多いため、今回の発見は国家形成の問題に関わる大きな成果と言えるでしょう。
3.何が発見されたのか?
副葬品として、22個体の土器、スポンディルス貝の殻、翡翠製の装飾品、鰐が彫刻された貝製品等が発見されました。また重要都市ティカルの王墓で事例のある「トウモロコシの神のシンボルを有する被葬者のマスク」も発見されました。
王墓には精巧な多彩色土器が副葬されるケースが非常に多く見られます。貝の殻については、なぜ?と思われるかもしれませんが、内陸のジャングルに立地する都市国家のため、遠隔地である海産の大型貝の殻は、遠距離交易品としての高い価値を有していました。
また古代マヤ人にとって宇宙の中心の色は「緑」であり、緑色黒曜石を始めとして緑色の鳥の羽や鉱物類は重要視され、特に翡翠が王権を象徴する最重要の威信材の一つであったと考えられています。またジャガーや鰐は中米域で最強の生物であり、王権の象徴として度々利用されていました。
今回の出土品は、西暦300~350年に帰属するということで、「テオティワカンの影響」という古代メキシコ文化の影響を受ける以前の奢侈性の高い土器資料群データを提供するという意味で、私個人としても非常に興味深い発見であると考えています。
4.おわりに
近年の碑文研究の進展により、特に古典期後期(西暦550-900/1000)の都市国家間の政治的関係が鮮やかに描かれるようになってきました。また発掘調査の進展により、先古典期終末期(西暦1-250)における各社会の複雑化の様相についても明らかになってきました。
一方で比較的石碑資料や考古学資料の少ない古典期前期に関して、各都市の国家形成過程や都市間関係について明らかにしていくことが現行のマヤ考古学における課題と言えるでしょう。
翡翠製品しか出ない古代マヤ文明における王墓の発見は、もしかすると金銀財宝の出るエジプト文明やインカ文明等における発見と比べて、心惹く要素が少ないかもしれません。
しかしながら今回の発見は古代マヤの歴史を明らかにしていくための今後の研究に大きく貢献し得る重要なものと思います。


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