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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

カテゴリ: ニュース(一般)

2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

ビール祭りだぁヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだやっぱり凄いよね、日本!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


日本列島への人類の移動

上に挙げた画像は東京都、上野にある国立科学博物館が実施した「3万年前の航海再現プロジェクト」で使用された丸木舟です。

学術クラウドファンディングで約6000万円集めてるんですよね。



実験考古学としての成果というよりは単純に集めた額がすごいなと思ってしまうのは私だけか( -д-)ノ

まぁでもほんとすごい。

この丸木舟は長さ7.5mなので、これまでに出土した平均的な長さの中で大きめのサイズとして作られてて、最大サイズとかではないんですよね。

それでいて、台湾から沖縄県、与那国島までの約225kmを移動したんですよね。

それはすごい(*・ω・)ノ





この記事では「縄文時代の丸木舟は約5~7mで二人乗り」って書いてます。

この話は復元の件も兼ねてるのですが「移動」のことではないんですよね。

例えば、前に一人、後ろに一人、間のスペースにモノを載せて「運搬」するとか、

二人乗りで「漁労」をして、間のスペースに網などの道具や釣果を載せるとか、

そういう生業関連の話なのです。




この科博の事例だと5人で乗ったそうです。

まぁ225kmの距離を移動することが目的なので、「漕ぎ手」がたくさんいないと困るんですよね。

舟なので体重分の重量が増えることよりもパワー・スタミナの方が大事なのです。




人類の移動か・・・

でもたかだか5人来た程度じゃ生き残れなさそうですね。

意図的に船団で移動したのか、あるいは継続的に遭難など潮の流れの関係で多数流れ着いていたのか、、、




とある生物学者が文明崩壊後に人類が再生するとしたら何人必要かという疑問に対して100人と答えていました。

近親交配を繰り返すとまずいのでDNAの問題からという回答ではあったけれど参考にはなりますね。

3万年前の大陸側から列島への移動に対して、100人もの集団が船団で移動したってのは当時の社会スケールからして考えにくいので、やはり後者かなって気はします(*^・ェ・)ノ





縄文時代最古の舟

さて、では日本最古の舟の話に移りましょう。

出土遺跡は千葉県、市川市雷下遺跡です。



上に挙げた丸木舟は全長約7.2m、幅約50cm、厚み約8cmで、本来は全長7.6mを超える当時としては大型の舟と考えらます。

当時というのは今から約7500年前、縄文時代早期の終わり頃のことです。



次に古い事例は、島根県、松江市の島根大構内遺跡で出土した丸木舟で、約6000-7000年前の縄文時代前期のものです。

サイズは6m程度です。

縄文時代の丸木舟のサイズ分布が5~7m程度ですから、雷下遺跡の丸木舟は最古級にして最大級の事例ということになります。

両者ともカイ(オール)も出土していますし、後者はヤス(漁労具)も出ているので本当にレアな事例と言えます。

また丸木舟はムクノキやスギを素材として、火で焦がしながら、巨大な樹を石器で削って作ったと考えられており、上の写真でも内面が焦げている様子が見て取れると思います。



さて、縄文時代は約16000年前から2400年前の期間として定められています。

ざっと1万4000年のもの期間になります。

その期間の細分として、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6期区分があります。



縄文時代の丸木舟と言ってもその多くの出土事例は後期・晩期に帰属するものが多いのです。

まぁ古くなると出土遺物量が減少するのは致し方ないのです( -д-)ノ



されども既に上で述べた貴重な2例があるように、縄文時代の早期の終わりから前期には既に丸木舟があったことが分かっています。




活発な遠距離海上交易はいつから?

現状、最古の化石人類は約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスですね。

最古の石器はまだやや古くなりそうですが、一般的には約260万年前のオルドワン石器ですね。

作ったのはホモ・ハビリスで、猿人-原人段階です。



他方で新人、ホモ・サピエンスは約20~30万年前に誕生しました。

その後、他の化石人類たちは絶滅して私たち現生人類だけが生き残りました。

つまり私たち現生人類はその誕生直後から道具を作り、使用できた、あるいは少なくとも化石人類の活動の観察から即座に学習できた環境にあったことになります。



恐らくこの最初期から人類は製作した道具の交換(交易)を行っていたかも知れません。

しかし事例が少な過ぎる他にも、活動領域での身近な石材を利用していたことから交換(交易)の実態は不明です。

産地が限定される黒曜石の利用が始まって交易が確認できるようになりますが、ニューギニアでの約1万9000年前の事例が最古です。



地中海域での海上交易の歴史も古く、約1万4000年前には1000km程度の交易網がありました。

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるです。




丸木舟の最古の事例は約7000年前でした。

東北地方の三内丸山遺跡などの事例では約5000年前には黒曜石、翡翠、琥珀が日本各地から集められており、海を渡って北海道由来のものも伝わっています。

ではいつからこうした活発な海上交易がおこなわれていたのでしょうか?



九州南部と沖縄の事例では縄文時代前期(約7000~5500年前)に土器の海上交易があったようです。

奄美大島では金雲母を含む鉱物組成の粘土・砂がありませんが、金雲母を含む土器が多数見つかっています。

これは九州本島南部や奄美大島より南の小島、あるいは沖縄本島で生産されたものが運ばれてきた可能性を示しています。



また北海道~九州の範囲では縄文時代草創期(約16000~11500年前)の『爪形文土器』が広く分布します。

北海道~九州という広い範囲における土器の類似性は活発な海上交易に伴うモノや情報の伝播を意味していると考えられます。

最北端である北海道の爪形文土器の事例が1万4000年前ですから、そこから考えると、繰り返しになりますが、

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるということになります。

すごいね、日本 (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

経済って複雑だけれど、面白い!って最近思えるようになりました。

考古学ってデータが限られているからこそ、経済などの様々な現象をシンプルに捉えることができるかな~って思ってますが、

ほんとに交易のレベルでも十分複雑で大変です。

大変ですが、面白い!



今年度は僅かでも古代社会研究を現代社会研究と繋げられるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

論文で書くことのない一般的な説明部分の箇所も多いので、分かり次第記事しますね~(・∀・)つ

「居酒屋の考古学」とかやりたいもの・・・

考古学研究から、現代社会の経済研究につなげて、ビジネスに役立つレベルの分析ができるようになりたい!( ・Д・)



何はともあれ、

焼き鳥食べたい!( ・Д・)



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2024ねん3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

やば、また三カ月さぼった、すまぬ!( ・Д・)

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↑烏帽子って売ってるのね( ・Д・)(「SHIGEMORI ONLINE STORE」の商品画像より転載;商品詳細ページに飛ぶので注意、いつも通り回し者じゃないよ)



今回の考古学・歴史ニュースは鎌倉時代の烏帽子が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



今回の舞台は滋賀県大津市にある里西遺跡です。

近くの道路工事に伴う緊急調査の際に見つかったそうです。



まぁよく残ったよね。

ひとまずモノを見てみると、、、


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↑こんな感じ、画像ちっちゃいけど(「NHK NEWS WEB」の記事内画像より転載


サイズは幅 27cmで高さ 22cm。

絹製で漆の上塗りがしてあります。



最初に挙げた画像と形が違うように思えますが、

これは「折烏帽子(おりえぼし)」です。

元の形状から二回折りたたんでいるため三角形の形になっているのです。



見つかった遺構は、長軸 1.3m、短軸 1.0mの墓穴で、その中に長軸 1.1m、短軸 0.7mの木棺がありました。

木棺内には副葬品としてこの折烏帽子1点の他に、短刀1点、土師器皿11点、青磁碗1点、鋏(ハサミ)1点が含まれていました。



「レアな発見」ばかり追うような考古学者は嫌いだけれど、やっぱり墓は情報豊かでいいよね~って再確認するような良き発見事例ですね(・∀・)つ

滋賀県埋蔵文化財センターにて2024年4月5日までの平日の間は公開されているそうなので行ける方は是非この機会に見に行ってみてくださいな。




おわりに

上に挙げたものは茶道具の水差しなんですけれど、その形状から「烏帽子箱」と名付けられています。

あの烏帽子、普段はこうした形状の箱に入れて、形が崩れないように保管していたようですね。



折烏帽子は武士の被り物として行動し易いように折り畳んでいたことから「侍烏帽子」とも言います。

ということは今回の発見の被葬者は鎌倉時代のお侍さん?

あるいは副葬の過程で折り畳む風習でもあったのでしょうかね?

そして結構コンパクトに折り畳んでいたようですが、そのサイズ感の場合、烏帽子箱は使っていなかったんでしょうかね?



ニュースひとつ取っても興味関心が広がるのはいいことですし、考えたり、調べたり、思いをはせるのも楽しいものです。

伝われ~!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



何はともあれ、

私の古代以降の知識の無さよ!( ・Д・)



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2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

道路・水・ガス・電気・インターネット、インフラって大事よね(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「たくさん木製品出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は千葉県、横芝光町にある高谷川低地遺跡です。


個人的にはここ数年、”使える理論”系やってるせいで、世界各地の考古資料って補完し合えるなって思ってるんですよね。

で、日本と言えば、「低湿地遺跡」だと思います。

というのも世界的に残りにくい木製品などの有機物製品が残る傾向が強いんですよね。



そんなレアな発見のひとつが今回の発見です。


arukemaya059


これまでにも当サイトで紹介してきましたが、ずっと水分を補給されていると酸素不足になるので有機物の分解がなかなか進まないんですよね。

それが低湿地遺跡で有機物製品が残る理由です。




今回縄文時代の舟が15艘も見つかりました。

上に挙げた写真のように見つかった舟を水につけているのは上記の保存上の理由です。




上に挙げたように櫛も出ています。

赤く見える塗料は漆と思われます。

他に縄文時代後期の土器が完形で3点出土してます。



舟がまとめて出土した事例としてもレアですが、櫛などの木製品の出土自体がレアなので貴重な調査事例だと思います。

気になるのは舟など全てが縄文時代後期に帰属するものなのかな?ってとこです。

たぶん記者さんが考古学関係ではないのか全然情報がありません……

報告書の刊行を待つ他なさそうです( -д-)ノ



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↑こんな感じに使ってた?(「埋もれた文化財のはなし 34」より転載;滋賀県埋蔵文化財センター発行)



おわりに

さてさて、縄文時代の舟と言えば上に挙げたような丸木舟です。

サイズは5m~7mくらいのものが多いです。

でっかい樹木を見つけて、頑張ってくりぬいて人が乗れるようにするわけですね。



サムネ画像も上の写真もそうですが、そのサイズから二人乗りくらいだったようです。

私たちの想像する小舟でもけっこう人が乗れそうなイメージですが、準構造船が弥生時代~古墳時代に登場します。

弥生時代の土器に刻まれた文様や、古墳時代の形象埴輪でその姿を確認できます。

私たちが一般的にイメージする舟/船は小型のものでもそのレベルの場合が多いかもしれません。



さて、そんな小型の丸木舟ですが、これまで全国で120艘ほどの発見事例があります。

そのような中、今回は一気に15例も増加したのですから凄いですよね。

ここ数年は水中考古学なるものが流行りのようで、何故かこうした海や船関係の考古学関係研究って莫大な予算が付くんですよね( ・Д・)

やっぱ日本と海の関係は切っても切れないから???



まぁ今回の発見も上手く活用されて研究が進むといいなと思ってます。



何はともあれ、

どうやったら使い切れないような予算もらえるの!?( ・Д・)



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2023ねん12がつ 16にち(きんよーび、秋?晴れ)

さっき早速図書館で「米の価格の変遷」を調べてきたよヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはやっぱポンペイはすごいぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



↓ポンペイ関連の記事はたくさんあるね

↑「日本のポンペイ」とかもあるから『ポンペイ』で記事を検索してみてね



さて、まずは基本情報を記しておきますね。



場所はイタリア、南部のポンペイ遺跡です。

有名だけれど、場所はいまいちわかりませんよね。

これまでも有名だからってことで紹介してなかった気がするので今回は場所を下に示します。



長靴形状で知られているイタリアですが、ポンペイは首都ローマの南東部に位置し、”部位”的には足首らへんにあります。





さて、ポンペイは西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって滅んでしまった都市です。

ローマ帝国の植民地で、商業が盛んな都市でした。



火山噴火により大量の灰で覆われてしまった地域って長い人類史の中ではけっこうたくさんあるものなのですが、、、

ポンペイのすごいところはこの年が滅亡してしまった点にあります。



つまるところ、放棄されてしまったのです。

多くの場合、人間って強いもので、あっという間に元の土地に戻ってきて、灰をどかしたりしてまた住み始めるものなのです。

そうした後の人類活動による再居住過程で遺跡として保存されることがあまりないのです。

でもポンペイは再居住されなかったのでとても残りの良い広大な遺跡が誕生することに繋がったということです。








さて、今回のニュースは当時のパン工房を検出するに至ったってことです。

最初に挙げた写真が調査範囲を上空から撮影したものですね。

本当に美しい!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

最近は安価なドローンも出てきているので、こうして真上から撮影できるのは非常に心強いものです。



上に挙げた写真はまさにパンを焼くところのものです。

パンを焼くためには小麦を挽く必要があるわけですが、今回見つかったのはその場所です。


密室になっていて窓はあるけれど高所にあるため外は見えないようになっていて、ドアもないそうです。

そんなところに3人の奴隷とロバを閉じ込めて強制的に小麦を挽く作業に従事させていたようです。

そういう状況を考えると上部の窓は最低限の食料を投入する場所なんでしょうね(*^・ェ・)ノ






おわりに

なんかとんでもないもの見つけましたね~って感じです(*・ω・)ノ


他サイトさんの記事だと「監獄」って書いてますけど、そんな生易しいレベルではない気がします。

私が付けるなら「地獄のパン工房」ですかね( ・Д・)



いやーほんとポンペイは古い割に残りが良過ぎてびっくりしますね。

その残りの良さ故に、私の今の理論研究の応用先候補No.1なので、もしかしたら今後めちゃくちゃ詳しく説明できる日がくるやも知れません!(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱ建造物が残ってるって大事だな!( ・Д・)



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2023ねん12がつ 15にち(きんよーび、小雨)

いや~忙しいけどそれもあと一週間だから頑張る!

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今回の考古学・歴史ニュースは『食べ物の人類史』やろうかな~ってきもちになったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


ってことで、今回は私の話!( -д-)ノ


(うわ、今ココ最後に書いているのだけれど、ヤバい、内容難しいかも!すまぬ( -д-)ノ 実際にどんな感じかな~ってのは「おわりに」に書いてるのでそこまでジャンプもありよりのアリ!)



あ、プロジェクトの公式サイトを簡単に作ったから、調査史を知りたい方はこちら!↓↓↓






思い返せば2020年の調査で、思い通りの場所が掘れなくて、

(掘りたい場所は現代のホテルによって壊されていた(゚Д゚)ゴルァ!!)

それで結局、土器生産址の検出には至らなかったんですよね。




でもそれを契機として、つまり次どこ掘ればいいか分からなくなって、

ティカルの社会階層を明らかにしようと試み始めたんですよ。

(実はそんな理由が発端だったのですヽ(TдT)ノ)




で、測量図を参考に「建造物(マウンド)の大きさの分布を調べてそれが冪(べき)分布する」ことを明らかにして、

2022年の調査で、「あれ、出土遺物量も建造物の大きさに相関するんじゃ?」って気付いたんですよ。

掘ってる最中に色々と考えて、「出土遺物の種別と多寡も冪分布するかも、そうすれば全部とは言わないものの、多くの遺物の社会分布はひとつのグラフで表現できるかも!」って気付いたんですよ。


そんなこんなで調査中に「多層的冪分布構造論」(この「論」は方法論の論;理論的側面と方法論的側面の二者がある)っていう今の仮説に到達したんですよね~(。・ω・)ノ゙


……なつかしみ(*^・ェ・)ノ









古代と現代を結ぶ数理的研究

その後、所謂「冪乗則」に関連する研究を調べ、社会学・経済学・数学・統計学・物理学・生物学と色々手を出して、仮説の基礎固めに奔走していました。

現在は主に数理経済学と数理生物学(生態学)を参考に、分析手法としての未来・可能性について日々試行錯誤しています(*・ω・)ノ




さて、私の仮説の根幹は「人類史は常に不平等!」です( ・Д・)

だからその不平等さ、つまり「財の不均衡社会分布」という視点に立てば、時間も空間も対象サイズも超越して人類史上のありとあらゆる対象を、比較分析可能なのでは?というものです。

言葉にすると本当に単純で実に良い!(・∀・)つ



まぁ実際に数理社会学や数理経済学ではかなり過去まで遡って研究しているのですが、日本だと平安時代が遡ることのできる最も古い時期のようです。

それより遡るとデータとして扱える文献史料が激減してどうも無理らしいです。




でも、私の理論(仮説)は考古学を基礎としていますので、いくらでも(?)遡れてしまいます。

その点では有利かな~とも思います(`・ω・´)



これまでに考古学データばかり扱って、特にマヤばっかり、ティカルばっかり扱って、基礎固めをしてきました。

基礎固めの過程で、古墳時代の他、江戸時代と現代もやったのですが、ちょいとって感じでした。



もともと、「がんばれ、人文科学!」って周りの諸分野を巻き込むスローガンも掲げてた割に、新しい時期を対象にした文献史学者や現代を対象とした研究者との連関はほぼなかったのです。

……友達いねぇからだな(/TДT)/


それはさておき、結局のところ、「この仮説(方法論)使ったらこうなるよ!面白いよ!」ってある程度形にしないと仲間作り・ファン作りもできないわけでして・・・・・・ヽ(TдT)ノ


それでやろうと思ったのが、「食べ物(食事)の人類史」です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



ここまでの記事で、写真を2枚あげましたけど、食べ物って私たちの生活に密接にかかわっていますし、皆さん大変興味あるようです。

なので、例えば「日本食の歴史」とか調べてみるとたくさんあるんですよね。



なので、私はそれを活用して、古代から現代までの「食べ物の歴史 ~格差ver.~」を作ろうかなって思い立ったのです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



他分野勉強して考古学への応用を考えるのは楽しくてしょーがなかったのですが、文献史学とから現代研究を直接私がやろうとは、やっぱり思ってなかったんだと思います。

誰かやってくれるだろう、手伝ってくれるだろうって……

うん、やってくれない、自分でやるしかない!



なのでやります!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


やること多いけど、しゃーなし。

私のやってる研究って大きく3つに分かれていて、地域的にはマヤと日本で分かれてるから大分類でも6つ同時並行なんですよね。

加えてやってないのが2つある状況( ・Д・)




でもどれも実はひとつのゴールに向かって収束しているものなので、統合の感覚つかむためにはある程度の実践はやむを得なかったのです。

でも時間足りなくてガチつらくて、、、そろそろ配分考えます!( -д-)ノ




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おわりに

なんだ、小難しいことダラダラ書いて、結局「食べ物の人類史」の全貌に関して何もわからんじゃねーかとお怒りの読者もおられるでしょうから、締めにちょいと書きましょう。




私のやること①:食材の不均衡社会分布を明らかにする!


最初に挙げた写真って、お肉が輝いていて美味しそうでしたよね。

まぁ縄文時代における食材の社会分布や量に関しては、人類学の情報あるいは調査(私がやらねば)が必要となるでしょう。




それはさておき、話を戻すと、あれだけ美味しそうな食材がいつでも十分にあったわけではありません。

一口に縄文時代といっても期間がとても長いので、階層差が見え始める後半段階とそうではない前半段階ではかなり違いがあるはずが、、、




考古学的には貝塚などに見られる自然依存体や動物骨から得られる情報や土器内残滓の理化学分析によって食べ物の種類は推定できます。

他方で量や社会分布は不明です。

これについては弥生時代・古墳時代、そしてそれ以降の時代で得たグラフ(数式)から計算して求める他ないでしょう。

あるいは先に述べたように人類学データを適用する方法はあります。

最終的には両者の突き合わせにになるでしょう(*・ω・)ノ



まぁ言いたいことは、これまでの「食べ物・食事の歴史」は時代ごとに食べられていたものを表示したに過ぎません。

あるいはもっと極端な事例では、時代ごとに追加された食材を示したに過ぎません。

社会階層における食事の差を示したにしても上層と下層という二区分です。



グラフだと中間層(?)も含めて連続的に示せるんですよね。

それをやりたい!(やっぱよく分からんか!まぁしゃーなし!( ・Д・))





私がやること②:食材の不均衡社会分布のグラフを時間変化するアニメーションとして表示する


まぁやはり時代は動画ですよ。

グラフだと固定した時間における分布は示せるけれど、時系列変化となると煩雑になって個別の変化が明瞭に示せないんですよね。

このケース(?)では一般の方々に興味をもってもらうってことの方に比重を置いているので、今回あげた写真のような実際の食べ物の写真を利用しつつ、


ひとまずは日本史における食材の出現と分布変化、それに伴う階層間における食事変化をアニメーション表示したいと思います!(_´Д`) アイーン




……まぁ食事ってパターンがたくさんあるから表示できるものは限定的にならざるを得ないので、その意味では先行研究・書籍とさほど変わらんと思います。

できれば海外Ver.も作って人類史における「食べ物・食事・食材の物質文化史」を統一的に表現できるといいね!

国家形成がテーマの私としては超遠回りなんだけれど、一般の方々に興味をもってもらったり、研究者仲間を集める分には良い方法だと思います。

「急がば回れ」の精神ですわ( -д-)ノ



結局、小難しく、長々しくなった、申し訳ぬ!ヽ(TдT)ノ



何はともあれ、

これで私も有名&大金持ち(の予定)!( ・Д・)



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2023ねん11がつ 10にち(きんよーび、台風!)

仕事はバリバリ進んでいる気がする……たぶん

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arukemaya046
↑現在のアマゾンの人々(「COURRIER Japan」の記事内画像より転載; Credit: Scott Wallace/Getty Images)



今回の考古学・歴史ニュースはもしかしてアマゾン文明!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、ここ数年のところ特に『異常気象』なんて言葉をニュースでよく目にするようになったかと思います。

やけに暑かったり、寒かったり、洪水起きたり、ハリケーンとか台風の被害甚大とか山火事凄いとか氷山溶けまくりとか・・・

『観測史上最大/最強』とかよく見るな~って気がしています。



観測史上って日本だと1876年かららしいですが、まぁ過去150年の中でってことですよね。

それでも世界各地で異常気象と言えるほどの甚大な被害をもたらしています。

やはり人類活動のせいなのか、ほんと地球はどうかしている状況なのかも知れませんね( -д-)ノ




今回の話は「干ばつ」ですが、どんな状況かというと・・・






激しいね!Σ(・ω・ノ)ノ

これは激しい!



アマゾン川ってめちゃ大河なイメージですが、記録的干ばつによってこんな状況になっているそうです。

船での航行が不可能になってなかなか物資も届けられないようですね。

こんなになってしまうと魚とか水棲生物がたくさん死滅してしまい、現地の方々にとっては食料不足に陥りますし、大量に死んだ魚によって河川が汚染されてしまうので、飲料水や生活水も不足してしまうんですよね( -д-)ノ



チグリス・ユーフラテス川とかメソポタミア関係や、古代ローマ関係でも河川が干上がって遺跡が見つかったりしていましたが、今回はこんな状況のアマゾン川の川底から石彫が見つかったということです。






arukemaya045




場所はブラジル北西部のマナウスの近くです。

マナウスはアマゾナス州の州都で、その名の通り、巨大なアマゾン川のほとりに位置する大きな都市です。

このマナウスの南東部端でネグロ川とソリモエンス川/アマゾナス川が合流するのですが、ここにポント・ダス・ラジェスという遺跡があります。



この遺跡では2010年の干ばつ時に周辺の河川の水位が13m下がった結果、複数の石彫が見つかっていました。

2023年の干ばつでは14mも下がったため、新たに複数の石彫が見つかったということです。




考古学では石材にもよるけれど、石の年代を推定することはけっこう難しいものです。

この遺跡では道具の製作場所として関連遺物が見つかっていることから、先コロンブス期の遺構だと推定されています。



周辺の遺跡での調査成果から、この辺りでは1000 BCE-1000CEにかなり大きな規模のコミュニティがあったことが分かっています。

なので石彫の年代推定はおおよそその中間である、今から約2000年前としておくのが安牌かなって気がしますね( -д-)ノ


(考古学者のスケール感だとこれくらいアバウトでもよいのす。地質屋さんとかもっとすごいよ( ・Д・))







話は変わりますが、見つかるはいいけれど記録・保存を考えないとですよね。

ずっと沈んだままならまだ良いけれど、水位の変化が激しいのならば上に挙げた写真のように水による浸食を受けてしまいますからね。

なんとかして欲しいなと思います( -д-)ノ



arukemaya042
↑この大きな平らな石だけ選ばれたようだね(「MSN」の動画内より転載)


おわりに アマゾン文明!?な話



ところでところで、更に話を変えると、、、

『古代アマゾン文明』って知ってます?



中米と南米ってまぁ「新大陸」研究者から見たら一緒に見えるかもしれないけれど、確かに共通点は多いんだけれど、やぱかなり違うんですよ。

なので専門外なので全然知らないんですけれど、、、

アメリカ大陸のフィールドなので学会は同じなんです。



学部3年かな?

初めて東京に出てきて学会参加した時に、どこかの学部生の人に出会って、「実は古代アマゾン文明に興味あるんです!」って言われたのを覚えてます。



20年前くらいの話ですからね。

今みたいにスマホでネット検索なんて時代でもないし、何も知らなかった私は、あくまで心の中で、

「マジか?やばいやつじゃん。ここ、オカルト学会じゃないんだぜ?」って思ったことを記憶しております( -д-)ノ


(顔も名前も記憶していないけれど、もし南米研究で残っているならばごめんなさいって謝っておきますヽ(TдT)ノ)




言い訳をすると、当時はアマゾン文明なんてあるかどうかよく分かってないレベルだった気がするんですけどねぇ。

まぁ現在の国家形成をひとつのテーマに設定する研究者としては、、、



どうだろうね?

まず植民地期初期の記録として大きなコミュニティがアマゾン川周辺にたくさんあったことが歴史記録として残っているそうです。


それぞれのコミュニティは河川を交通網として利用していた他、陸路も繋いでいたようでかなり発展していた様相が伺えます。



では先コロンブス期は?というと、

先に書いたように、1000BCE-1000CEにやはり大きなコミュニティがアマゾン川周辺に複数あったことが確認されています。



ただ、それは文明だろうか?ってことですよね。




中米の亜熱帯ジャングルは大木に覆われているけれど、地面近くは比較的スカスカなんですよ。

でもアマゾンの熱帯雨林は地面下部までもっさりで真っ暗なガチジャングルですよね。




中米と類似して暑くて湿度も高いので微生物の活動が活発で土壌が堆積しづらい環境なのかなって思います、

それだと遺構が残りづらいのです。

こうした状況では浅い地点にある小さな遺構は植物の根で壊されてしまうのです。



よって都市レベルのコミュニティがかつてあったとしても、都市の規模を推定するための遺構が確認しづらいですね。

となると、やはり残存しやすい石造の巨大な公共記念物があればいいわけですが、たぶん見つかってないんでないかなと思います。

見つかってたら有名になってそうですからね( -д-)ノ





考古学的な初期国家の定義を数理的に示すことが一つの私の研究の目標であり、物質文化における変化は常に連続的なので、

現状では、『スパッ!!!と、ここから国家!』って言いづらいのですが、

まぁアマゾン文明(?)はネーミングとして一般受け良さそうですけれど、文明ではない気がしますし、そうだったとしても多くの考古学者が認める国家の称号を得るには時間がかかりそうです(*^・ェ・)ノ



まぁあれだけのジャングルだと、踏査も大変だから遺跡発見がそもそも大変だし、あれだけ鬱蒼としてると流行りのLiDARも使えなさそうですからね(ρ゚∩゚) グスン



まぁでも、

何はともあれ、

ロマンはあるね!( ・Д・)



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2023ねん11がつ 10にち(きんよーび、雨)

最近お酒断ったら上手に寝れなくて常時眠い!(´・ω・`)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

HORIZON_0001_BURST20220201093944708_COVER
↑5号神殿!( ・Д・)(あるけまや管理人撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「調査の概要&発掘調査が延期になったぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


まずは延期なった話からしますね。



①延期になった理由

グアテマラでは現在4年の任期で大統領が交代するのですが、今年がその大統領選挙の年なんですよ。

で、汚職とか激しいので、大統領選挙ごとに国家公務員系の人たちは総入れ替えになるのです。




そのせいで大統領選挙の年は何かしらの問題が生じるのですが、今年はひどいね。

汚職をなくすって言ってる大統領が当選したのだけれど、



11月12月と年内はまだ二か月残っているのに、公的機関が全部停止となったそうです。



発掘調査実施に際して、私が現地に赴いた際に、国立人類学歴史学研究所にて最終書類にサインしなければならず法的な書類にもサインしなきゃいけないのです。

だけど、研究所も法務部も活動停止で、お手上げになったというわけ(_´Д`) アイーン



出発2週間前だぜ?

週明け、明々後日にはフライト予定だったんだぜ?



急いで出張報告書書き直して、航空券変えて、無駄に高い手数料払って、国内の日程調整も全部やって・・・・・・( ・Д・)



まぁ前向きに捉えるならば、飛んだ後でなくてよかった。


現地着いてから言われたら、どうしようもなかった。




まぁ海外、所謂途上国での調査のめんどうなところが浮き彫りになった感じですわ( -д-)ノ


・・・ってことで、今年度のティカル調査は年明けに行います!(*^・ェ・)ノ


HORIZON_0001_BURST20220204133202077_COVER
↑七つの神殿複合の模型(あるけまや管理人撮影)



②今年度調査の概要(予定)

↓「300円」から!v( ̄∇ ̄)v

↑報告書に謝辞としてお名前載せますよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


上にあげた学術クラファンで毎月末、研究の進捗のライブ配信とかやってるから差つけるために全部じゃないけれど・・・

サクっと今年度調査の予定を紹介しますね。

まぁライブ配信は直接質問できるから十分差別化図れてると思うけれどね(*・ω・)ノ




ティカルの9階層ミニ - コピー

↑建造物のレベル分けと色分け(あるけまや管理人作成)



さて、前にもどこかでみせただろうか。

マヤ文明の社会における階層分類は基本的に2か3で分類されている。

「王族・貴族層(支配者層/エリート層)」と「一般層」、

あるいはそれに「中間層」を加えたものだ。




主に図像学や民族史学の成果としては7分類などにされている。




発掘調査による物証を伴う考古学の成果として上図に示した9分類にできたのは重要な成果だと思っているだが、簡単に説明しよう。


黄緑で囲んだものが、これまでに私が実際に掘って独自のデータを用いて記述できているもの。

黄色の三角で囲んだものは実際の私の発掘経験からして、現地表面でマウンドの広がりを確認できないものがあると推定しているものだ。

だからかなり当てずっぽうに広域で面的に調査しなければ検出には至らないと予想されるため、発掘予定はない。

そんなに大規模に且つ運任せに掘れるだけのお金もないものヽ(TдT)ノ


だから論理的に存在するはずの最下層の人々の住居として設定しているものなので、これもとりあえずOKな分類である。





赤で囲んだものはアクロポリスを中心とした主要神殿や宮殿といった巨大建造物だ。

大きな神殿1基掘るのに1億円かかると言われていて、もちろんそんなお金はない。



そしてそうした大規模な建造物のほとんどは1960~70年代のアメリカ人考古学者によって掘られているし、残ったものはお金だけ獲れて研究のできない現代のトレジャーハンターのような合法的盗掘者のような一部の外国人考古学者、日本人考古学者によって掘り散らかされている状況だ。



研究できない自称考古学者らは報告書も出さないので迷惑極まりないが、かつてのアメリカ隊による大規模調査では報告書が出ているためそれを利用することで、掘らずともデータがあるので分析できる。

だからここもOK。



残ったのは青で囲んだ部分。

これが今年度の調査対象だ。

だからトータルとして古典期(250-1000 CE)ティカルにおける考古学的な時系列データが今年度で一通り揃う予定なのだ。



社会分布の模式図_日本語
↑ティカルにおける財の不均衡社会分布(Imaizumi and Chocón 2024; Fig.4;元はスペイン語)



これは古典期後期(550-850 CE)で時間を止めた状態のティカルにおける財(遺物)の不均衡な社会分布を示した模式図だ。


今年度の調査が終わるとひとまず実際の値でこのグラフを作ることができるようになるし、時系列データが得られる予定なので、先古典期や古典期といった他の時期のグラフも作れる。



これ以外にもたくさんの財があって、グラフの時間変化はどうしても複雑になってしまう。

なので、グラフをシミュレーションとして動かすことでそれぞれの財の多寡や分布の変化を表現しようと思っている。




・・・・・・とまぁ現在はこんな感じの数理的研究を行っているのだ。

そして今年も大躍進の年になりそうだ。


海外考古学は発掘調査で人件費がかさむので、もし余裕があったら応援して欲しい。

報告書に名前載せるから、歴史に名前残せますぜ(。・ω・)ノ゙




↓300円から!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↑ぜひ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

人類社会における普遍的な構造を数理的に示す理論でありながら、時間/空間/対象サイズを超えて比較分析可能とする方法論でもある「多層的冪分布構造論」がコレなのだが、、、

あ~あ、早いとこ海外で認められきゃなーって、



国内はなんだかんだ数理嫌いな考古学者多い気がするからな~( -д-)ノ

まぁぼちぼちがんばりますわ



何はともあれ、

年明けの調査、なんとかなれ~!( ・Д・)ちいかわ風



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2023ねん 6がつ 24にち(どよーび、晴れ)

たくさん寝たい気持ち(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは現生人類って何でも皆殺しにするよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はフランス南部、マンドリン洞窟遺跡です。


今回の記事の元になっている論文の結論としては「ネアンデルタール人の絶滅は現生人類に皆殺しにされたからではない」というものです。


でもこのマンドリン洞窟遺跡での発見とは「現生人類とネアンデルタール人の共存時間がかつて言われていたより長かったこと」なので、解釈としてありなんだけどちょっと飛躍してるかなって感じがします。




arukemaya036




上に挙げたような図は小中高の歴史の教科書や資料集で見たことがあるかと思います。

霊長類の中でも類人猿から、猿人、原人、旧人、新人へと進化していく系統図を直線的に示したものになります。



私たち人類とチンパンジーやゴリラ、オランウータン、テナガザルはとても近い属であり、チンパンジーと私たちのDNAの違いは2%なんて話も聞くものです。

そうしたチンパンジーなどの類人猿から進化して枝分かれした私たち現生人類の兄弟や仲間ってけっこうたくさんいるものです。

でもみんな絶滅してしまいました。





とは言っても現生人類(新人)は猿人や原人とは時期が異なるので多くの私たちの仲間は環境要因など様々な理由で絶滅していったと考えられています。

一方で、旧人、つまりネアンデルタール人だけは現生人類と共存していた期間があるのです。




この図にはないけれど、脳の容積だけで言えば、ネアンデルタール人は我々現生人類よりも大きかったと言われています。

でも滅んでしまった。

何故?



私たち、現生人類が皆殺しにしたから……( ・Д・)




ってよく言われます( -д-)ノ






私たち現生人類は脳の大きさはやや小さかったものの、言語能力に長けていたとよく言われます。

なので計画的に行動できるし、相談して作戦を立てて獲物などを襲えるし、嘘をつくこともできるので騙し討ちもできます。

こういった狡猾で残忍な私たちが先行していたネアンデルタール人を皆殺しにして取って代わったと言われるのです。




私たちのDNAにネアンデルタール人に起因するものが残っていることも分かっていて、私たちと彼らが交雑したことも明らかとなっています。

人類史というか現在世界のどこかで行われている「特別軍事作戦」を見てもすぐ分かるように、襲撃側は女性をレイプしたり、女性や子供を奪うことが『普通に』あります。

むしろないことの方がレア。

ない場合はだいたい皆殺しです。

アイルランドの事例をはじめとして異民族の汚れた血が混ざるのを忌避してレイプや連行を禁止して皆殺しにするなんてことも人類史ではいくらでもあるです。



arukemaya033




ところで、よく聞く、もし宇宙人が攻めてきたら私たちは滅ぼされちゃう!だって知的生命体は残虐だから!って理屈も基本的に自虐です。

一方で知的な宇宙人が平和を愛して私たち人類の発展をコントロールしてるなんてのは宗教と変わらないです。

宇宙人に残虐な地球人を投影するのか、理想の神を投影するのかの違いでしかないと思います( -д-)ノ



さてさて、そんなこんなで狡猾で残忍でやりたい放題の私たち現生人類が、アフリカから世界中に拡散した際に、その先にはネアンデルタール人が先住していました。

彼らは絶滅してしまい、現生人類が現存するので、取って代わった、つまり皆殺しにしたっていう論理展開になっています(*^・ェ・)ノ




これはこれで飛躍し過ぎじゃない?って思われるかもしれないですが、化石人骨ってやたらめったに出るものじゃありません。

専門じゃないから詳細は分からないけれど、恐竜より出ないでしょう。

期間と種類、数が違い過ぎるから( ・Д・)




古い時期の研究ってやはり難しい。

物的証拠がどうしても少ない傾向にあるのです。




この時期だと主に化石人骨と石器くらいしかないだろうし…




今回の発見ではマンドリン洞窟で現生人類の居住期間が初めにあって、次にネアンデルタール人が長期間居住して、また現生人類が居住して、、、という変遷が分かったということが重要です。

まぁつまるところ、元々ネアンデルタール人が住んでたところに、賢い現生人類が突然やってきて皆殺しにしてサクッと入れ替わったわけではないってことが言えるってことです。




今後も地道に発掘調査を続けて証拠を少しずつ増やして、ノーベル賞で話題になったようなDNA分析データも増加させて、ようやくその先に私たち現生人類とネアンデルタール人の関係がもう少しよく分かる・・・・・・

そんな気の遠くなるような研究です。

でも大事な研究ですよね。


今後に期待です(*・ω・)ノ




arukemaya034

おわりに

まぁ個人的には、、、時間を要しただけであって、結局は従来説のように皆殺しにしたのではないかなって思ってます。

現代人見ててもそうだもんね。



Twitter界隈だけでも分かるけれど、自分の意見に同意しない人、自分と考え方が違って理解できない人をやたらに攻撃・排除しようとする人多いですよね。

まさにホモ・サピエンスだなって思って生暖かい目で見守ってます。



何はともあれ

優しい新人類でありたい!( ・Д・)



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2023ねん 6がつ 14にち(すいよーび、やや雨)

寝ようと思ったのに微積やったら興奮して覚醒した、謎( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは残念だったが、そんなもん!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は佐賀県、吉野ヶ里遺跡です。

なんだか記事でもニュースとしてもむちゃくちゃに連日報道していましたよね。




まぁ私は冷たい感じで、きっと出ないだろうなぁと思っていたのですが、、、

一般の人はやはり「邪馬台国」とか「謎のエリア」とか「有力者の墓」とかのキーワードでドキドキするのだなぁと思ったし、

『何かの発見』が考古学と一般の人々を結ぶ上でいかに重要かを思い知らされた気がします。

普段だったら発見至上主義的な考古学は嫌いなんですけどね( -д-)ノ





さてさて私があまり期待していなかった理由はいくつかあるのですが、、、


とりあえず神社があった「謎のエリア」で長軸3.2m、短軸1.7mの墓坑が見つかったとの報道がありました。

神社があったからこれまで掘れなかっただけなのに、「謎のエリア」とはさすがテレビは上手いなぁと思いましたね(*^・ェ・)ノ


で、墓坑は大きくて、最初に挙げた写真で分かるように蓋石も立派なので少し期待できるかなとはこの段階では思ってました。




蓋石を外したあとの写真が上のものですが、箱式石棺墓であることが分かり、赤色塗料が側壁に付着していたことから有力者の墓の可能性が高いと言われるようになりました。

だけど石棺内部のサイズが長軸180cm、短軸36cmということが分かり、あぁこれはなんだか怪しいなぁと感じ始めましたね( ・Д・)




まぁ結局、人骨は消失していて、しかも副葬品がまさかのゼロ!

ちょっとはあると思ってたのに、それだけは予想外でしたね(*^・ェ・)ノ






邪馬台国論争と言えば、地元愛が強すぎるのか様々な候補地がありますよね。

まぁ考古学的には畿内説と九州説が有力で、特に畿内説が最有力だと思います。





テレビは何かとオーバーなので「邪馬台国発見か?」みたいな見出しも平気で付けますが、まぁそんなことはないだろうなと思っていました。

というのも考古学は珍しいものを発見する仕事ではありません。

膨大に出てくる土器などをデータとして扱う、そうした地道に集めた各種のデータの積み重ねで解釈がなされる世界です。




だから今回の発見の一発で歴史が変わるとか日本の考古学界に激震が走るなんてことはまず起こりません。

あるとしたら、「ここ邪馬台国!」とか「私、卑弥呼様!」とか直接的な文字情報が刻まれた遺物が出土したら一撃ですけど、、、

そんなのロゼッタストーンが驚き過ぎて自ら爆散するくらいの奇跡ですよ( ・Д・)



確かに残念ではあったけれども、これを機に、邪馬台国に関する議論が考古学者やアマチュア考古学者の中で再燃したり、一般の方々が古代世界にロマンを感じて考古学というものの存在を再認識してくれるとありがたいなぁなんて思いますね。




↓邪馬台国関連だよヾ(´ω`=´ω`)ノ



↑邪馬台国関連だよ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

ん~、マヤ文明、ティカルの調査データを用いて史上初の数的考古学理論を構築中な私ですが、古墳時代への応用を少しやり始めたのですよ。

でも複雑でなかなかうまくいかず、縄文とか弥生から始めるかな~って思ってた矢先のこのニュースだったんですよね。



邪馬台国と関連付けているからには弥生時代後期でしょう。

それなら有力者の墓なら当然立派な副葬品が出てくれないと私の理論上「困る」んですけど!ヽ(TдT)ノ



骨も残ってないからどうしようもないけれど、子供の墓ってことで例外的に処理する他ないかな・・・

日本は遺跡の状況がマヤと全然違うけど、やっぱどこも面白いね、難しいけど。

うん、マヤ文明の方が考古学的にイージーな気がする・・・がんばろーっと(*^・ェ・)ノ



何はともあれ、

卑弥呼様~!( ・Д・)



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2023ねん6がつ 3にち(きんよーび、台風!)

良く寝ると仕事がよく進む、今年も躍進の年かなヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「DNA研究で匈奴研究が進んだよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はロシア南部です。

下の地図で挙げたようにバイカル湖の南東部でモンゴルに近いですね。

赤のドットで囲んだところがバイカル湖で、オレンジ色の丸枠が今回の調査地点です。




今回の研究はDNAを中心として人骨に関するものなのですが、近年ノーベル賞を獲ったように、この方面の進展が目覚ましく、考古学に対する貢献も著しいものがあるように思えます。


扱った墓域は下に挙げた図の「TAK」と「SBB」の2か所で、合計18基の墓の人骨と副葬品を対象にしています。




今回の研究で面白いのは墓の副葬品として弓矢が入る年齢が分かったことかなと個人的には思っています。



騎馬民族ですから世界史で有名なパルティアン・ショットのような騎馬戦術のひとつとして弓術が大事だったのは当然ですので、弓矢の副葬は妥当だなと思います。

そんな大事なものなのに11歳以下の男子には弓矢が副葬されていないことが分かりました。




ということは風習として12歳で”成人”、ないし「一人前の男」だったのかも知れませんね。

個人的にはこういうことが分かるのは面白いなって思います(*^・ェ・)ノ




あとは金製品を含んで一番豪華な副葬品が出たのが女性の墓だったってことですかね。

サイヤ人のように戦闘民族っぽいのに女性の地位が高かったんだな~って驚きました。




馬上では長弓は扱わないから比較的筋力は要らないので、馬のコントロールと弓術に長ければ良いという点では男女差が少ない社会とも言えそうですね。

アマゾネスの事例でも女性の副葬品は豪華ですし、単純に女性が強い社会だったのかも知れませんけども( -д-)ノ







さて、以下に「匈奴帝国の遺伝的多様性:貴族と地域エリートの役割」に関して簡単に、まじめにまとめますね。


要約
最近の考古学的研究により、匈奴帝国が多民族国家であったことが明らかになりました。

しかし、匈奴帝国内の遺伝的多様性が地域コミュニティや社会政治的地位によってどのように構成されていたのかは不明でした。

この研究では、匈奴帝国の西側辺境にある貴族墓地と地域エリート墓地の調査結果を元に、遺伝的多様性のパターンについて報告しています。





導入
匈奴帝国は紀元前200年頃から紀元後100年頃まで、東ユーラシアの草原を支配し、最初の遊牧民の帝国を築きました。

最近の研究により、匈奴帝国は多民族国家であったことが明らかになり、その遺伝的多様性が注目されています。

しかし、遺伝的多様性が地域コミュニティや社会的地位によってどのように分布していたのかは不明でした。




方法
研究チームは、匈奴帝国の西側辺境に位置する貴族墓地と地域エリート墓地を調査しました。


そこで見つかった18人の遺体からゲノムワイドデータを収集し、遺伝的解析を行いました。


この分析により、コミュニティ内の遺伝的多様性のパターンを明らかにしました。




結果
研究結果は、匈奴帝国全体と同程度の遺伝的多様性が、貴族墓地と地域エリート墓地においても観察されたことを示しました。

さらに、拡大家族内でも高い遺伝的多様性が見られました。このことから、匈奴社会においては多様な出自を持つ人々が交配していたことが示唆されました。




また、遺伝的異質性は、社会的地位の低い人々の間で最も高くなり、多様な出自を反映していることがわかりました。

一方、高い社会的地位を持つ人々は、遺伝的多様性が低く、特定の部分集合にエリート地位と権力が集中していたことが示唆されました。




これは、匈奴帝国が多民族国家であり、社会的地位によって異なる遺伝的多様性が分布していたことを示唆しています。

今後の試料数の増加によって、さらなる匈奴帝国の社会構造や文化の解明につながるでしょう。




おわりに

途中でも書きましたけど、DNA研究の進展は著しいですね。

それだけではないのですが科学技術の発展が全体的に著しいので、理化学研究を通じた考古学の発展も凄まじいものがあります。




たぶん考古学革命がそろそろ起こりそう。

日本の手法はもちろん丁寧だけれども、世界的に従来通りの掘り方ではなくなっていきそうな気がします。



というかマヤ地域をはじめとして、未だに盗掘まがいの調査やってる考古学者を今こそ弾劾すべきだと思うな。


だって今回のような分析も何もできなくなるようなことやってるんだよ?

ばちくそ許すまじ!( ・Д・)( ・Д・)( ・Д・)




何はともあれ、

やぱ金いいな!( ・Д・)



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