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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

カテゴリ: 考古学

2025ねん 6がつ 29にち(にちよーび、晴れ)

今日はのんびりさ!( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはSBI証券の投資で研究生活&発掘調査資金調達しようかな!の続き!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


なんだかんだもう5ヶ月経つんですが、目標は、「研究生活と発掘調査資金を支えること!」ってことで、なんだかんだ流行りの投資の状況報告も記事にしようかなって感じです。


↓前回の記事!ヾ(´ω`=´ω`)ノ






実は超以前、1000万円くらい投資してて、リスク資産にぶん投げてて、月16万円くらい稼いでたんですよ。

今はたった30万円なんですけど、のんびり増やしていきたいな~って気持ちです。


で、(比較的)安牌な株式とリスク資産な投資信託の比率は現状、1:3になってます。

今は手持ちの資産がゴミのようなので、リスク資産の配分上げてとりあえず1:9になるまでリスク資産でぶん回してから少しずつ落ち着きをもっていこうかなと思ってます。

金がないと何事も始まらんのよ!( ・Д・)




ででで、1月末の前回の投稿以降、名古屋から東京への引越しもあり~、トランプのせいで株価ガンガンに下がって分配金もらえず~、東京戻ってからの仕事は高給のはずが騙されて最低時給で働いてて余裕なく~、以前の給与高くて今の税金重くて死んでる~が今の状況DEATH!( ・Д・)

まぁ株価ガンガンに下がるのは買い時だからそこまで気にしてはいなかったんだけども、買う金がそもそもないので悲しみではありました……


そんなこんな今月(2025年6月)は日本株式の配当金が出る月なので、通常よりは多くもらって、税払って手取り月3500円くらいでした!




来月は減っちゃうけど、今回もらえなかった分配金がたぶん復帰するから現状は月3000円くらいで安定するのかな~ってきもちです。

まぁリスクはもちろんあるんだけど、投資のいいところは、、、



①黙ってて増える!
⇒昭和の金利じゃないし、今は貯金は何も増えない。


②てか貯金は難しい!
⇒酒や女にお金を使ってしまったり(常時反省中)、人によってはギャンブルやたばこにもお金使うでしょ?そもそも貯金って余裕の無い人には難しい!だからオートマチック貯金だと思えばいい!




まぁ証券資産に手を出さないが前提ですけどね。

かつて私も資産に手を出して1日300万円とかで豪遊して(くそなヤローな武勇伝はいつかどこかで書く!( -д-)ノ)無事死亡しましたけれど( ・Д・)




極端な例はさておき、なんだかんだ人間(庶民感覚)お金あると、普段節制してる分、今日は好きなもの食べようかな~とか、外食しようかな~ってなるじゃないですか!ヽ(TдT)ノ

シール貼ってないけど、食べたいな~ってなるじゃないですか!!!( ・Д・)



ってなると貯金は難しいわけですが、私の現状だと稼ぎの全てを生活費にぶち込んでも、月3000円は自動で投資されているんですよね。

もちろん設定次第ですけど、まぁ私はお金使い切った月も、「大丈夫、オートマチックに投資出来てる!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!」って自分に言い聞かせてます( -д-)ノ




当サイトをいつもご利用の皆様には定型文ですが、私、どこの回し者でもないので、SBI証券やバカな政府の関係者じゃないですからね!( ・Д・)

どうか投資は計画的に!(*^・ェ・)ノ





↓めちゃくちゃ応援して!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

↑たったの300円!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに タイミ―との闘い?

4月末から今までというか、ひとまず7月の前半まで、タイミー無双してて、、、

発掘調査で1000万は稼げるよ詐欺にあったので(笑)(*誇張しておりますが色々嘘ではない( -д-)ノ)
、仕事の接続に失敗して頑張って飲食で働いて家賃や税金払ったり、食費・交通費稼いだりしてたわけですよ!

今この記事を書いている時点では超元気なので、少し無理して稼いで投資信託にぶち込もうかな~って思ってます。

あ、ちなみに今月は2500円と僅かながらに投資出来ました!



稼ぎが少ない&税金重いで、この程度が限界ですわ~。

ま、今後も地道に投資して『ゲーム感覚的に』増えていく分配金を報告していきますわ~!(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱめちゃお金大事!( ・Д・)



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2025ねん 6がつ 1にち(にちよーび、晴れ)

最近漫画読むのが趣味!?( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは掘ってみたら最大級の邸宅だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


🌿 川沿いに眠る4,000m²超の「ローマ貴族の館」、ついにベールを脱ぐ

ブルゴーニュ地方、現在のオセールから南へ約3km。19世紀からその存在は知られていたものの本格調査されなかった、ローマ時代の大邸宅「サント=ニタス(Sainte‑Nitasse)」が、ついに完整に姿を現しました。INRAPによる最新発掘で判明した敷地面積はなんと4,000m²以上、パルス・ウルバナ(居住区)と農業区(パルス・ルスティカ)を備えた大規模存在です。




🏛 庭園に噴水、床暖房、モザイク…ローマの贅沢が詰まってる!

この「館」の中心には450m²規模の中庭があり、その北端には水盤、南側には装飾用噴水が配されていたとか。周囲には回廊が巡り、迎賓室やワークスペース、厨房、そして東側には温浴施設が。床下暖房システム(ハイポコースト)やモザイク片、アプス(ドーム窪み)も確認され、まるで南イタリアの邸宅のような豪奢さだったんです 。





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🕰 築かれた時代と進化のプロセス

発掘で浮かび上がったのは、1~4世紀にかけての連続使用の軌跡。古くは外壁に営まれた小規模施設から、都市オセール(古名 Autessiodorum)が地方行政の中心へと進展するのに伴い、徐々に拡張されていったと見られています。おそらく2期、3期に分かれた建築フェーズが確認されています。





🌍 古代ガリア最大級?「貴族の農園」だった可能性も

INRAPはこれを“ガリア最大級のローマ大邸宅”の一つと評価。農業区を併設しながらプライベート浴場や庭園、暖房設備が整っていたことから、政治的・社会的に地位の高い富裕層の所有で、実務も行われる“都市エリートの農園”だったと考えられています。




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おわりに


これぞ“古代ローマのペントハウス”とも言えそうな邸宅…川沿いの静かな砂利畑に、こんな豪奢な居住空間が隠れていたなんて、ロマンが止まりません!450平方メートル級の中庭に噴水、回廊、床暖房にモザイク…住むだけじゃなくて、権威と快適さを兼ね備えたステータスの象徴だったんでしょうね。

しかも政治的な野心と結びついたエリートの“農園”だった。つまり、ここで食べて、会って、政治を語って、眠って…と、生活のすべてが一体化されていたんじゃないかなって思わず想像してしまいます。なんだか発掘自体が1500年以上前の人々の「生活デザイン」をたどるみたいですね。



何はともあれ、

やぱ世の中、金だな!( ・Д・)



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2025ねん 6がつ 27にち(きんよーび、晴れ)

今晩天ぷら食べれるらしい!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは埋蔵銭が展示されてるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

今回のお話は発見系ではないのでさらっと紹介しちゃいますね!



🌟 500年前の“朝倉埋蔵金”、2300万円相当を今に!中世・越前の豊かな息遣い

福井市・一乗谷朝倉氏遺跡博物館で、500年前に朝倉氏かその重臣が秘めたとされる“埋蔵金”が、現代なら約2,300万円相当として公開されています。学芸員さんも「中世の越前を感じてほしい」と語るほど、その輝きには当時の権威と生活の濃密な表情が浮かび上がるそうです。





🎭 “埋蔵”の経緯──なぜ金を埋めたのか?

この“埋蔵金”、実は一乗谷では2006年、約11万6,000枚もの銅銭が発見されたことでも知られていて、甕と共に埋められていた貨幣には「景伝」という銘の入った木札が付属していたとのこと。この「景」の字は、朝倉氏一族か有力な重臣しか使わない特別な文字だったそうで、単なる防犯のためだけじゃなく、「一家の誇り」すらそこに刻まれていたんですね…。






🔍 歴史とのリンク──“景”が導く越前支配の実像

木札に残された文字は、まるで“誰に向けて”金を託したのかを示すサイン。朝倉氏の重臣が裏山の土地を見渡せる地に金を埋め、混乱の時代に備え、それを守ろうとした証拠とされています 。単なる埋蔵ではなく、信頼と地政学的戦略が絡み合った行動だったのかも…。





🏛 展示の魅力──いま、どんな輝きを放っている?

展示では銅銭や甕と一緒に、当時の背景を知る手がかりとして「景傳」という文字入りの木札も公開中。学芸員さんが「この地で繋がっていた中世・越前の生活と心、息遣いをぜひ感じてほしい」とその意図を語る通り、単なる“お金”ではなく、命や絆、決意がそこにあると思えてくるから不思議なんですよね。





🔄 時代をこえて響く、埋蔵金に込められたメッセージ

埋めるものでなく、預ける・守る・そして「あとに託す」。その行為ひとつで、中世の危機感と共に、“誰のものか”がはっきり伝わってくる。まるで、500年前の土地に刻まれた家族のサインみたい。展示を通じて、その時代の人々と、より深く“対話”できる体験として受け取ってほしいなと感じます。





おわりに

500年の時を超えて甦る“朝倉埋蔵金”。そこには金額以上の価値——信頼、備え、そして越前を治めた人々の心意気が込められています。木札に刻まれた「景傳」の文字を見るたびに、当時の息遣いと共に「ああ、この人は自分の名を歴史に刻もうとしていたんだな」と思わず背筋が伸びる感じ。こういう小さな遺物から伝わるドラマこそ、歴史の醍醐味ですよね。



さて、発見された埋蔵銭を現代の価値に換算すると2300万円か・・・

今回は全部で約11万6000枚中の約2万5000枚を展示したんだって、、、

総量は5倍近いよねΣ(・ω・ノ)ノ



何はともあれ、

やぱ全部展示してよ!( ・Д・)



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2025ねん 6がつ 27にち(きんよーび、晴れ)

将来が不安な今日この頃!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは墓めちゃ出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は中国東部の安徽省、梅城鎮の遺跡です!



今回は残念ながら肝心の遺物の写真が全然なくて悲しい気持ちでおります( -д-)ノ

てか、中国では莫大な資金で調査されているせいか発見が相次いでいるし、埋葬遺構がどれも綺麗だし、今回のように盗掘されていても何故か遺物がけっこう残ってる!

ほんと謎だけど!

古い時代の埋葬遺構がきっちり残ってるあたりは古代中国いいな~って気がします(*・ω・)ノ



まぁ、とりあえず記事の全容から!



🧭 “あるけまや”的まとめ

  • 発見地:中国・安徽省潜山市

  • 時代:西漢時代(紀元前2〜1世紀)

  • 墓数:75基

  • 副葬品:ヒスイ、漆器、金属装飾、陶器など300点以上

  • 意義:古代埋葬習俗・階級格差・文化交流の手がかり




🌏 中国安徽省で2000年前の墓75基、300点以上の副葬品が一挙出土!

最近、安徽省潜山市で大規模な考古調査が実施され、約2,000年前に遡る墓が75基見つかったとの情報が国内外で話題になっています。中にはヒスイ、漆器、金属製装飾など、副葬品が300点以上も出土したそう。贅を尽くした遺物群を見ると、当時の人々の心の奥や社会階層が垣間見えるような気がして、わくわくしちゃいますね。





🧭 時代と地域──どんな人たちの墓だったの?

発掘された墓は西漢時代(紀元前2世紀)と見られ、地元の権力者やエリート層のものと推測されています墓室の構造や出土品の種類から、明らかに身分が高かった方々という可能性が高いとのこと。

実際には帰属する時代の幅はかなり広いようですけども、戦国時代や漢王朝期、北宋時代もあるみたいですね。あと副葬品のすばらしさから身分の高い人の立派な墓に目が行きがちですが、下級役人や一般層の人々と思われる墓も見つかっているようです。



🎁 出土した副葬品の世界

調査で出てきた副葬品は実に多様!

  • ヒスイの装飾品:翡翠の光が、当時の富と美意識を物語る

  • 漆塗り容器:高級品として珍重された技術工芸

  • 金属装飾や鏡、ブロンズ製品:豊かさと権威の象徴に

  • 陶器や石製品など、日常と儀礼の狭間をつなぐ品々も

これほど多岐に渡る出土品は、地域や時代の多様な文化交流を映しています。





🕯 墓から語る人々の暮らしと死生観

この一大発見から読み取れる当時の姿とは:

  1. 階級による差:墓の規模や豪華さから推測される身分格差

  2. 葬送・儀礼文化:副葬品の選定に込められた信仰や死生観

  3. 文化交流:墳墓に反映された技術・素材の多様性

まさに、「死を美しく包む文化」の深層が見えてくるよう…。




おわりに

まるで古の宝箱みたいですね!翡翠の緑に漆の光…それぞれが語る当時の物語がこちらに届いてくるかのよう。75もの墓と300点以上の副葬品って、当時の社会構造がぜんぶ詰まってる気がします。リサーチすればするほど、埋葬に込めた想い、家族の祈り、そして社会の息遣いが感じられて、もうたまらなく歴史ロマン!古代の人々と対話するような気持ちで、また次も一緒に旅しましょうね〜✨


何はともあれ、

やぱ格差の人類史いいな!( ・Д・)



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2025ねん 6がつ 27にち(きんよーび、晴れ)

今月はやる気でない月!!!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは川掃除してたらお宝出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はオランダのユトレヒト西方を流れるコルテ・リンスホーテン川です。



とりあえず基本情報を・・・

- 発見地:オランダ・ユトレヒト州リンスホーテン川  
- 帰属時期:1050~1150年(中世初期)  
- 特徴:鍔・ポンメル形状、刃の両面に異文化シンボル  
- 意義:儀礼的性格の強い“神聖な奉納剣”と推測  
- 保存処理:脱塩(10週間)+洗浄・乾燥・防錆  
- 展示地:ライデン考古学博物館・8月まで、無料エリア



🌿 川の泥から出現!1000年前の神秘的な剣、オランダで見つかる

オランダ中部、ユトレヒト州近くのリンスホーテン私有地に流れる「コルテ・リンスホーテン川」の浚渫(しゅんせつ)現場で、なんと1000年以上前の中世剣が出土!重機で泥から取り出されたその姿は、まるで時間が止まったかのよう。剣は高さ約90cm、全長3フィート(約90cm)、重さは約0.84kg(1.85ポンド)の小型ダガータイプで、鍔(つか)は約15cm、ポンメルはブラジルナッツ状。1050~1150年にフランク風に鍛造されたもので、装飾にも目を見張る──聖なるシンボルが繊細に銅で象嵌されていたのです。




🕯 シンボルの意味:キリスト教とヴァイキングの融合

驚くべきは左右の異なる柄。片面には「Sonnenrad(太陽車輪)」と呼ばれるキリスト教の聖紋、もう片面には「エンドレスノット(無限の結び目)」という北欧ゲルマン系の印と見られる幾何学文──。まさに文化と信仰の狭間に立つ、“二重性”を秘めた象徴の剣。その震えるような美しさと複雑さには、「精神性やステータスの象徴だ」と評価されています。




💧 神聖な捧げ物?川への奉納儀礼かも

剣の鞘は見当たらず、刃には傷がないことから、戦闘用ではなく意図的に奉納された可能性が高いと研究者は分析。剣は水辺に捧げる古代ゲルマンやヴァイキングの風習に沿ったもの。戦いの道具ではなく、儀礼の品だったと思われます。粘土質の泥土に閉ざされ守られていたからこそ、鉄は腐食せず、鞘を欠いたまま奇跡的にその形を今に伝えてくれたのです。





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↑どの角度でもかっちょいい!( ・Д・)(「VIETNAM.VN」の記事内画像より転載)




🧪 保存作業も超本格!10週間の職人技術

発見後はすぐに地域当局と連携し、約10週間におよぶ脱塩処理、洗浄・乾燥・防錆処理を実施。鉄が酸化して崩壊する可能性が高かったため、専門家らが細心の注意で作業を続行したとのこと。「放置していたら、すぐに崩れてしまっていたでしょう」と保守を担当した職人。現在は安定保護コーティングで覆われ、一般公開に耐える状態へと復元されています。




🏛 今しか見られない!ライデン国立考古学博物館にて公開中

現在、この剣は「ライデン国立考古・民族学博物館(Rijksmuseum van Oudheden)」で展示中。展示期間は8月までで、なんと入場無料ゾーンにて公開されているとのこと。ユトレヒト観光の合間に、ぜひ神秘の工芸品をじっくり味わいたいですね。


まぁ遠いしお金も時間もかかるからキツイけどね!( ・Д・)




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↑綺麗に残るもんだ!( ・Д・)(「VIETNAM.VN」の記事内画像より転載)



おわりに

うわ〜、本当に泥の中から時の扉が開いたみたいですね!

太陽紋に無限結び目…これってまるで昔の人々の精神世界が刃先を通じて語りかけてくるような感じ。

剣と言いながらも、それは宗教的・儀式的アートの結晶というか。10週間かけて命を吹き込むように復活させて、今また私たちの目の前で光を放っている。

──剣ってやっぱりすごい!

武器だけじゃなく、“文化”と“スピリット”をつなぐ魔法のアイテムだったんですよね。

みんなもこの1000年の時空旅、ぜひ体感しに行きましょ!



何はともあれ、

やぱ剣いいな!( ・Д・)



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2025ねん 6がつ 7にち(どよーび、晴れ)

精神的な疲労ってどうとればいいんでしょう!?( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはイギリスの魔法の鏡はアステカの儀礼の鏡だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


エリザベス1世は1588年にスペインの無敵艦隊に勝利したことにより、イングランドの黄金期の女王として知られています。

そんな彼女の治世は1558~1603年です。

1521年にスペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスによりアステカ帝国の首都のテノチティトランが陥落したこと、上記のように1588年にイングランドがスペインに勝利したことを考えると、、、

今回の16世紀におけるイギリスとアステカの関係が見えてくる気がします。







このエリザベス1世の政治顧問が上の写真のジョン・ディーです。

16世紀では魔術は科学の仲間でした。

この時期は錬金術も盛んでした。

魔術や錬金術といった実験的な行為が17世紀の自然科学の誕生の基礎となったとも評価されています。



ジョン・ディーも水晶玉や霊視鏡を使って魔術を使い、天使や霊の召喚や対話を試みたとされています。

その証拠のひとつが彼の所有していた霊視鏡です。











上に挙げた写真がジョン・ディーの霊視鏡です。

黒曜石製なのですが、、、

よくこんな風に加工できるなと驚いておりますΣ(・ω・ノ)ノ




メキシコの博物館では見なかった気がしますが・・・

メキシコにはもう残ってないのでしょうか、、、

今回の分析に使用された3枚の黒曜石製鏡は全て大英博物館所蔵のものです。




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前回の記事に引き続き、今回の分析もハンディータイプの蛍光X線分析機器(800万円!)が使われています。

分析結果としてはジョン・ディーの所有物とされている鏡はメキシコのパチューカ産黒曜石であることが分かりました。


アステカ期の絵文書や壁画には鏡が登場します。

古くはテオティワカンの頃から鏡が儀礼に使用されています。

アステカ期では黒曜石の鏡は数多の神々の中でも主神的位置にあるテスカトリポカの象徴です。

そもそもテスカトリポカは「煙を吐く鏡」を意味し、この鏡が儀礼用の黒曜石製鏡を指しています。

万能の神であるテスカトリポカを象徴する黒曜石製鏡ですし、世界の裏側の未知の文明が儀式に使用したものですから、霊視などの魔術を行使する上では最高の儀礼具だったのかも知れませんね。









おわりに

古代メキシコ文化領域では黒曜石製鏡が結構あるような気がします。

テオティワカンの鏡は見たことあるんですけれど、鏡面ではない背面がモザイク装飾であったのは記憶しているんですけれど、鏡面の記憶がない……

黒かった気がするけど

黒曜石製だったのだろうか……




2023年に東博で「古代メキシコ」展があったのですが、その時の図録をどこかで探して買うしかないですね( -д-)ノ

土器が全然なかったので要らんと思ってしまいました、、、

そして高かった!( ・Д・)



何はともあれ、

黒曜石の加工技術パネェ!( ・Д・)



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もうめちゃ汗かく季節!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはアステカの黒曜石が成分分析されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


携帯型の、ピストル型の、蛍光X線分析装置があるんですけれど、それを使ってアステカ帝国の首都テノチティトラン出土の黒曜石788点を分析したそうです。


テノチティトランは現在のメキシコシティですが、テオティワカンの時代から北東のパチューカ産の黒曜石が重宝されていました。

上に挙げた写真のように、パチューカでは緑色黒曜石が採れるので、緑色を世界の中心色として重視したメソアメリカ諸文明にとっては大事な産地なのです。



距離も90kmくらいなので比較的近い!

マヤの場合だと黒曜石産地まで300km離れてるからね( ・Д・)

ちなみにティカルとパチューカだと1000kmだよ。




なのでアステカの黒曜石もパチューカ産の黒曜石が使われてるだろうなと思ってましたが、、、

分析結果として90%がパチューカ産だったそうです。


やっぱりかって感じですね( -д-)ノ








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上に挙げた写真が黒曜石製のペンダントらしい、、、

まぁそれはさておき、記事の本筋とは無関係なのだけれど、今回の記事で面白いなと思ったのは『金色の黒曜石』が重宝されて儀礼用石器が作られたことです。

上の写真のペンダント(?)、付け爪みたいに見えるけれど、これは装飾品のはず・・・

だけどネイルで言うと根本部分は金色ですよね?



その儀礼用のペンダントってこと?

その辺はよくわからないのですが、、、



重要なことは緑色黒曜石と金色黒曜石が社会的に重視された結果、儀礼用品に限定的に使用されていたってことですね。

これは財の社会不均衡分布から財の機能を推定することも考えている私の方法論的には面白い事例だな~って思ってます。

マヤのケースとは時期が異なるけれどもより社会的に発展・成熟した国家段階において、マヤとアステカでは緑色黒曜石の扱いが異なることになるので、社会分布も当然異なってきます。

この違いを数式化・グラフ化できると面白いな~って思います(*・ω・)ノ





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おわりに

上に挙げた写真が金色黒曜石ですが、琥珀色みたいな感じで美しいですね。

私個人としては緑色よりも好きかも。

マヤではこの金色黒曜石出ないんじゃないかな。

見たことない・・・

まぁマヤ地域も広いのでメキシコに近いエリアでは出るのかも知れないけれど、少なくとも緑色黒曜石のように重宝されていたって話は聞いたことがないですね。



残念ながらこの金色黒曜石の産地については記事には書いてないんですよね~。

論文に当たるしかない・・・

上の写真を見る限り、質の高い黒曜石だから、、、まぁ儀礼用石器だから選び抜かれてるんだろうけれど、、、

この質の高さはパチューカ産かなって気がしてます(*^・ェ・)ノ




ところで今回の分析には携帯型の蛍光X線分析装置が使用されたそうですが、あれ、800万円するんですよね。

なんとまぁお金さえあれば誰でも簡単に成果が挙げられるんですね~。

研究能力は無関係なんです。

こういう類(獲得研究費=成果)の研究は正直それなりに数があるわけで、、、

まぁみんなあっという間に飛びついて、あっという間に去っていきますけどね( -д-)ノ




何はともあれ、

考古学の世界も資本主義!( ・Д・)



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2025ねん 5がつ 31にち(どよーび、ばちばち雨!)

昨日何もしない日にして完全に休んだのに、やる気でないのなーぜなーぜ?( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはまた専門かよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


*注意:専門なんで口悪くなりまーす( -д-)ノ



いやはや、なんだか新しい遺跡が見つかったそうですよ。

場所はグアテマラ、ペテン県のワシャクトゥン遺跡の北方21kmだってさ。



これ、ぎりぎりティカル国立公園の範囲内に入るのかな?

世界複合遺産なので、、、自然遺産でもあるので広大な領域が鬱蒼としたジャングルのまま残されてるんですよね。




まぁ入っても入らんでも、どうせ行かんからいいかw

国立公園管理事務所の考古学者らが招待してくれるなら行くけど、ワシャクトゥンまではバスで行くとして、

その後どうせ徒歩でしょ?

21kmでしょ?

行きたくない!ヽ(TдT)ノ



考古学者なんてそんなもんよ。

探検家でも冒険家でもないんでね!( ・Д・)







さてさて、とりあえず記事の見出しは3000年前なので、先古典期中期の遺跡ってことになるんですけども、、、

先古典期と言えば、まぁ特に南部では「カエルの石彫」が良く出るけども、、、

上に挙げた角度だとまぁカエル感もあるけれど、破損や風化が激しくて良く分からない。

でも記事だと、『カップル』の彫刻らしく、だから『ロス・アブエロス(おじいちゃんおばあちゃんの意)』って遺跡名を与えたんだとか。



意味分らん( ・Д・)



カップルに見えんし、そもそも何のカップルよ?

そして遺跡名、ありきたりな気がするんだけれども、被ってないよな?

よく被らせるんだよな、わけわからんくなるから遺跡名だぶらせないで欲しい、ガチ目にガチで!(゚皿゚メ)




……冷静になってみると、セット関係として一対の彫刻かは分らんけども、とりままとまって二つ出たからカップルって表現してるのかもねぇ( -д-)ノ



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AFPにしてもヤフーとか他の記事にしても、、、

まぁ他の記事は元記事のコピーだから当然かもだけど、

「撮影日不明」って書いてるんだよね。



先にも書いたように、ここはワシャクトゥンから更に21kmもいったところにあって、けっこうどこでも突き進む私ですら行きたくないとこなのね。

ってことは当然記者さんは行ってないわけで、

考古学チームから写真もらってるわけさ。

で、考古学者もわざわざ記事用にスナップ撮ったわけじゃなくて、記録用の写真を提供してるの。

だから写真内にはタブレットが映りこんでるよね。

ここに場所とか日付の情報が入ってるから撮影日不明じゃないのよ!



例えば上に挙げた写真には『11.8.23』って書いてあるので、

2023年8月11日に撮影したものってことになるのさ。


提供を受けたのは2025年の5月末なんだろうけども、二年前の発見ってことになる。

なんでこんなに遅れるかというと、、、



私の発掘調査は必ず単年度ごとに報告書出すし、むしろ発掘終えてから1~2カ月で提出するのさ。

でも一般的には、特に海外勢は(私以外の日本人研究者含め)、全部まとめて一冊の報告書出すのね。

だから何年もかかる。

そしてグアテマラの決まりとして、(ちゃんと埋戻して、時には修復して)『報告書を出さないと公表してはならない』ので、発表がめちゃくちゃ遅れることになるっていう裏事情なんですね~( -д-)ノ








おわりに


さて、今回の記事は「3000年前!」って書いてるので、『古いぞ古いぞ!』アピールを考古学者チーム、あるいは記者が行ったってことになります。

上に挙げた写真も出土遺物のひとつだそうですが、円筒形土器で口縁部にマヤ文字帯があって胴部は絵文書様式(コデックススタイル)になってるので明らかに古典期後期(550-850 CE)の遺物です。

ってことはこのロス・アブエロス遺跡は記事にあるように「先古典期中期の遺跡!」って書くのは正しくなく、

先古典期中期から古典期後期(たぶん古典期終末期まで含めていいと思うので古典期でもいい)の遺跡、時期的には1000 BCE-900/1000 CEに帰属すると表現する方が正しい!(*^・ェ・)ノ




・・・まぁ所詮、他人のテリトリーだしどうでもいいけども、

ってか、私の理論の成長のためには通時的なデータが欲しいから、まぁちゃんと正確に記述して欲しい気もする。

「先古典期の壁画と「独自の運河システム」を持つ高さ33メートルのピラミッドも発見された」って記述も気になるので続報に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





何はともあれ、

やぱティカルが一番だな!!!( ・Д・)



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2025ねん 5がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

眠りが浅い!今度こそ酒やめる!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


テオとティカル、サムネ

↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!②( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回からめちゃくちゃ時間あきましたね、ごめんなさい。

そうこうしている内に、今回話題にしているニュースに続報がありました!

そのことも踏まえて今回は色々と”突っついて”いこうと思います( -д-)ノ



↓前回の記事



↑続報の参考元記事


②とりあえず発見されたものについて説明してみる





新しい記事の方には上に挙げた復元図が載っていました。

中南米のモチーフって似通って見えると思うのでちょっと分からないかも知れませんが、専門家らするとこれは明らかにテオティワカン様式のモチーフです。

そしてタルータブレロ建築の建造物(祭壇と言っている)もテオティワカン様式ですね。

この祭壇(?)の下から2体の人骨が見つかり、更に祭壇(?)周辺からは3体の幼児の人骨が見つかったそうです。



計5体の人骨ですが、これがテオティワカン人のものなのかどうかはDNA分析などが必要になってきますので結果が出るまでには時間がかかりそうです。

マヤ地域は石灰岩台地ですし、更に漆喰を使って床面を形成するし、重層建築だから幾層も床面作るので、人骨は浸食から守られて残存しやすいのです。

なのでマヤ地域における人骨資料は多いです。




ただ昔の探検時代や植民地考古学時代に見つかった資料が多いため、DNA分析できる状態で保管されているかは謎ですね。

他方でテオティワカンの方は後世の盗掘被害が激しく、人骨はほとんど残っていません。

こうした状況下で今回発見された人骨からDNAデータを抽出できたとして、マヤ人かテオティワカン人かを高レベルで判別可能かどうかはちょっと分かりません。



ちなみに378年1月31日にシャフ・カック(テオティワカンの将軍?)がティカルに「到着」し、同日にティカル王朝第14第王チャク・トク・イチャーク1世が「水に入る」(死亡)します。

その後テオティワカン様式の装束で即位するヤシュ・ヌーン・アイーン1世と続くシャフ・チャン・カウィール2世の埋葬遺構だけが殉葬を伴います。

殉葬とは高貴な人が死んだ際に、家来や付き人といった関係者、あるいは生贄として他人?を葬る行為です。

この殉葬はテオティワカンの文化であって、マヤには見られません。

明らかにテオティワカンによって征服されて(どのような社会変化であったのかは詳細不明)テオティワカン文化を受け入れた限られた期間のみティカルに出現するものです。



なので今回の祭壇(?)の周りで3体の幼児の骨が見つかったそうですが、これが殉葬なのかどうかは分からないものの、そのような見方はされているようです。

まぁ一気に三人もの幼児が一斉に死ぬとは考えにくいですからね( -д-)ノ




③で、祭壇なの!?


記事ではずっと祭壇って書いてるんですよね。

私はずっと祭壇(?)って書いてるんですけども、気付きました?



テオティワカンにおいてこうしたタルータブレロ建築様式が見られる建造物のほとんどが建造物基壇です。

なので上部に有機物製の建物があったのだと思われます。

なので大きいです!




他方で確かに小さいものも僅かにですが事例があるんですよね。

ちなみにティカルにもムンド・ペルディード地区に1基あります。

サイズは確かにこんな感じに小さいものですが、、、

儀礼を行う場なので『背が低くて』、『階段が付いてて』上に登れるようになってるんですよね。


それに比べて、今回発見されたこれは背が高過ぎでしょう。

乗れんもん・・・ロイター板欲しいレベルです( -д-)ノ



マヤはステラ-アルター信仰という石碑と祭壇をセットにした建立物が北のアクロポリスを代表として様々な神殿の前で見られます。

でもその場合のアルター、つまり円形祭壇は背が低いですよ。

捧げ物を載せたりするのでしょうから、背が高いと困りますよね。




・・・だから、これほんとに祭壇って言っていいのか私には分かりません。

祭壇の定義を教えてくれ!( ・Д・)

まぁ階段もないし、基壇にするには小さ過ぎるので、考古学者がお得意の『儀礼的な行為に使ったもの』から派生して祭壇って言ってるんだろうな~て気持ちです( -д-)ノ




④てか、壊し過ぎじゃね?

先ほど挙げた写真と比べてみてください。

ぼろぼろですね!( ・Д・)



宝探し大好きだから、祭壇(?)の下も掘って、埋葬遺構見つけたんだから、まぁ多少は仕方ない。

が、、、

こんなに複数の面壊す必要ある???




1面でいいでしょうよ。



あとでも話しますけれど、漆喰の上塗りが薄いんですよね。

その辺、テオティワカンっぽい。

だからこそ保存には気を付けなきゃなのに、、、



たぶん長期調査の中でバリバリに剥げたんだと思います。

祭壇(?)下部のタルー部(斜壁部)は石の積み方がテオティワカン的かどうかとか、古代コンクリの痕跡があるかどうかを見るために一部は漆喰を取らざるを得ないけれど、、、

やっぱ剥げ過ぎやろ!( ・Д・)



……でもまぁもし自分で発見して、且つ、調査期間が長い場合はどうしようか悩みますね。

まぁとりあえず保存科学の人に方法訊いて、発掘に関係ない3面を決めて埋めると思う(*^・ェ・)ノ





④結局、テオティワカンとの関係ってどんな感じなのか?

とりあえず記事に書いてあることを抜き出してコメント付けておきますね。

赤字は私の着目点!


【第1報】

これは、(マヤの)人々がテオティワカン文明に精通していた可能性があることを示す、これまでで最も強力な証拠だ。


⇒「精通していた」って、、、マヤ人がタルー・タブレロ様式の祭壇造って、テオティワカン様式のモチーフ描いたって意味???( ・Д・)


⇒「最も強力な証拠」、まぁ意見は尊重しよう……『統計学が最強の学問』みたいな感じ?( ・Д・)

そういうよく分らん本が出ているのです、読んでないけどw

みなさん、『最強』がお好きなようで( ・Д・)

ほんと、『強い』の定義を教えてくれ!




鮮やかな装飾と不気味な内容物が、当時の複雑な政治情勢を解き明かす手がかりとなる可能性がある。


⇒『複雑』って言えば何とかなるって思うなよ!( ・Д・)




しかし考古学者は、祭壇に装飾を施したのはマヤ人ではないとみている。装飾は、現在のメキシコ市近郊に位置し、当時強大な影響力を及ぼしていたテオティワカンの町で訓練を受けた芸術家によるものと考えられるという。テオティワカンはティカルから約1000キロ離れている。


⇒これは難しい!( -д-)ノ


考古学的に難しい!




一番簡単なのは『ティカル人?(マヤ人でもいいけど)がテキトーに模倣して作った場合』!


これは見た目だけ似てて技術が異なるから!


情報量の少なさなどの条件から、見た目すらもテキトーになることもあるのでイージー!





次は『テオティワカン人が直接やってきて作った場合』!


だって技術同じになるもの!


それでも材料が同じものを揃えられるとは限らないのでやや難しいが、それでも他よりイージー!




で、最悪なのが『マヤ人が現地で学習してきて作った場合』!(ほんとはもっと細かくパターン分けできます)。


遺物だと動かせてしまうからより複雑になるんだけれど、今回は遺構だから動かないのでまだマシです。


だけど、、、はっきり言ってこれらの区別をするのは難しい!





今回はテオティワカン人(少なくとも現地学習した人、人を断定してない辺りがずるっこいがマヤ人ではないと言っている)が造ったらしいですね。


イージーパターン!


私の研究だと、テオティワカンの影響下でティカルには土器工人を含む大規模人口の移動はなかったことになってるんだけど、


まぁテオティワカン人エリートが移住する際にお抱え芸術家が一人付いてきてもおかしくないか( ・Д・)



まぁ写真見た感じだけでも、薄い漆喰に淡い色彩とテオティワカンモチーフだから、テオティワカン人?が施した装飾と考えるのは当然かなと思います。






あとは、、、

テオティワカンの裕福な指導者たちがティカルにやって来て、彼らの本拠地である町にあったであろう祭儀の複製を製造した



⇒まぁ前者はいいとして、『指導者』は気になるけども!


祭壇を造ったのはマヤ人ぽい気がするんですけどね。


建造物自体が小さいから判断が難しいけれども、漆喰が剥がれたところを見た限り、石材の組み方がタルー・タブレロと異なる気がします。


タブレロ部の内部構造がほとんど確認できないけれど、角しか見えないけど、違う気がする!


あと古代セメントの痕跡がない気がする・・・・・


だからティカル人が形だけ聞いて建築したんじゃないかなって気がします。


こればかりは報告書読まないとしっかりと判断できません( -д-)ノ






最後に、


今回の発見は、ただの軽い接触や交易だけではなく、好戦的な勢力が地元の王宮の近くに飛び地を築いていたことと関係していたことを裏付けるものだという。




⇒『飛び地』っ「テオティワカンの影響」に関する研究でよく使うんだけれども、ティカルとか都市自体が橋頭堡的に使われて『飛び地』って解釈するのは理解できるんだけれども、


個別の建造物、住居に対して飛び地っていうのはどうなのかなって思いますね~。


「好戦的」って表現もよくわからない。

何を根拠にそんな解釈してるのかほんとに謎です( ・Д・)









おわりに

長くなったな~、時間もかかったな~ヽ(TдT)ノ


さて、今回はなんだかんだ避けがちなマヤ文明ネタでした。

悪口祭りになるからね( ・Д・)

まぁでもこれだけ専門ど真ん中では避けては通れないでしょう!

今後も続報があればコメント入れていきますね、激辛なのを( -д-)ノ




最近たくさん新たな大きな考古学的発見が相次いでいて、記事にしたら面白そうなんだけど、時間ないんですよね~。

Xには書いてるんですけど、強制最低時給200日連勤チャレンジ中なんですよね。

まぁどのみち、更新速度はばか遅いんですけど、ぼちぼち頑張っていきます!



何はともあれ、

人生、金も時間も大事!( ・Д・)



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2025ねん 4がつ 14にち(げつよーび、雨)

アルコールとコーヒーの飲み過ぎで脱水症状出て、起き抜けに上半身つって死ぬほど痛かった!( ・Д・)

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テオとティカル、サムネ

↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


いつもは同じ考古学分野とは言え、時期・地域的に専門外だから書きにくいな~て思っていますが、

今日は専門ど真ん中ですね。

ど真ん中だと、悪口ばっかになる気がするので、結局書きにくいんですけど・・・

心を鬼にして(?)何も気にせず、自由に書きなぐりたいと思います( -д-)ノ



arukemaya_z047


1.「証拠」がおかしい!


今回の記事はAFP BB Newsのものを使用しています。

英語版はこちら



日本語への翻訳がダメダメなのかと思いきや、元の英文がもうダメなので、取材した人物がスペイン語に不慣れなのか、グアテマラ人考古学者が英語が不慣れなのかかな。

あるいは、、、というか、取材した人物がマヤ考古学を全く知らないってのが実際のところでしょう( ・Д・)

ほんと、ツッコミどころが多過ぎてどうしてくれようか悩むレベルなんですけども、、、



まず記事のタイトルが、

マヤ遺跡でテオティワカンの祭壇 両文明のつながり示す「証拠」

なんですよね。



これくらいでキレ散らかしてる自分もどうかとは思うんですけれど、

”「証拠」”って強調するのは良くないです。

まぁインパクト取るために「最古!」「最大!」って言っちゃうノリだとは思うんですけどね。



問題① そもそもマヤとテオティワカンのつながりは遅くとも1960年代くらいから自明

これ、昨日今日分かった話じゃないんですよね。

所謂「テオティワカンの影響」っていう古典期前期マヤ遺跡の物質文化面にみられる現象です。

これだけでもいくらでも書ける気がする、書かんけど( ・Д・)




問題②? てかこの発見、3年前くらいでない?

たぶん、私のティカルでの調査研究報告の記事のとこで、本件については問題にならない程度に軽く触れてるんですよね。

まぁ内部情報だったので私は漏らしてないですけども。 

公開までけっこう時間かかるもんですね、よく知らんけど( ・Д・)



問題③ 証拠という言葉は日常語?

これね、言語の問題だと思うのだけれど、スぺイン語で証拠=Evidenciaは良く使うのよ。

めちゃくちゃ普通に使う!

だって、考古学データって全部物的証拠だもの!( ・Д・)

(状況証拠もあるか( -д-)ノ)




日本人は慎ましいので、証拠は使わないですよね、あまり。

まぁ一部の宣伝大好きな研究者もどきは置いておくとして……


日本人ならば、「これこれの遺物が出土したことを踏まえると~と解釈できると思います」とか「~と考えられます」なんて遠慮がちに話すのよね、普通。


日本語の特徴なのか、日本人の気質なのか、証拠って強い言葉な気がするから多用することはない、、、と思う、私は。



でもグアテマラでは日常的に使うのよ。

私も現場出てれば一日10~20回くらい使うと思う。

「a la mierda !」「a la gran p… !」の次くらいに使う!(汚い言葉なのでいい子は真似しないでね( ・Д・))



でもニュアンス的には全然強くなくて、たくさんある証拠の内のひとつだよね~くらいの特に意識してないレベルで使ってます。

少なくとも私の周りの研究者や調査員はね。

みんな、ティカル関係者だけれども。




だから「証拠」みたいに鍵括弧まで付けて強調するのはダメ。

ドラッグといじめの次くらいにダメ、絶対!( ・Д・)



だって、なんか物凄い発見したみたいに感じる。



ちなみに元の英語記事では、タイトルにevidenceって使ってないし、文中でも強調していない。

この点に関しては明らかに翻訳者が戦犯ですね( ・Д・)



↓こんなのも書いたね~( ・Д・)



おわりに

あれ、1. しか書いてないのに文量増えたし、悪口しか書いてないし、、、

普段なら『今後の発見/成果に期待ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!』とか、書いてるのに、、、

専門ど真ん中となった途端これだぜ( ・Д・)



元の英語記事読み返してみたけれど、プロジェクト指揮してる現地考古学者も、取材した記者もまともそうな気がしてきた。

言葉使い的にはね。

けど、調査としては問題ありかな~って気がする。

次回は僅かな写真を頼りに叩いていくことになるのか、、、性格悪くなりそう( ・Д・)



あ、良かったら上の記事読んでみてくださいね、

テオティワカンとマヤの関係について書いてるから!



何はともあれ、

元気に生きたい!( ・Д・)



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