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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

カテゴリ: マヤ文明

2022ねん 5がつ 16にち(げつよーび、めちゃ雨)

実は最近私は、考古学研究によって、人類史における格差社会の変遷を数式化&グラフ表示による可視化することをテーマにしてるんだよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明社会も格差社会だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は全世界です( ・Д・)

紹介する論文は「Greater post-Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica」(Kohler et al. 2017)です。



比較的最近の研究で、経済学における社会の不均衡、貧富の差を示すローレンツ・カーブとジニ係数を考古学に応用したものとして高く評価されたものです。

あのNatureに載ったやつなのです!(*・ω・)ノ




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↑論文中のFig. 3a



経済学の方法を応用した点は面白いんですけど、結論はさして評価されていないんですよ。

なんでかって言うと、、、

上に挙げた図の中で、青い色のドットやラインが旧大陸の遺跡におけるジニ係数を示していて、赤色のそれらが所謂「新大陸」の遺跡を示しています。

上に行けばいくほど(Y軸の値が大きくなればなるほど)貧富の差が大きかったことを示しています。




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↑論文中のFig. 3b




なのでぱっと見、旧大陸(青色)の方が貧富の差が大きい気がしますよね。

特に上の図3bを見てみると、時間が経つと旧大陸の方はぐっと社会格差が拡大するのが分かると思います。

論文の結論部ではこのようになる解釈として、旧大陸では新大陸にはない大型家畜が存在したため、その所有が貧富の差の拡大を助長したと述べています。



……ふーん、なんだ、結局普通じゃん、みたいなけっこう辛辣なコメントがなされているのです。

経済学の手法の応用は興味深いけれど、解釈が従来の考古学の成果に寄り添った形であるのがもったいないってことなんでしょうか。

近年のDNA分析の結果のように、従来の考古学の成果をひっくり返すことが求められているようにも感じて、私としてはちょっと震えてしまいますΣ(・ω・ノ)ノ






載せた画像サイズがちょっと小さいですが、よく見ると「Tikal」って入ってるんですけど、旧大陸遺跡の中で唯一ぶっ飛んでるんですよね。

図3aだと右側、図3bだと真ん中くらいの赤色ドットの一番上にあるやつがそうです。



ティカルだけめちゃくちゃ不平等なんですよね(笑)

旧大陸の遺跡中では突出して格差社会なので、外れ値扱いされています( ・Д・)



ちなみにこの論文では住居サイズを経済指標と仮定して分析を行っています。

考古学者の視点からすると、そういった前提条件は大切なのですが、発掘調査を通して実際に住居サイズの大小と出土遺物の量の多寡や質の良し悪しとが相関するのかどうかをチェックする必要があります。



まぁそれをちゃんとやったのが私ということなのですが、それはまた今度のお話ということで!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




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↑論文の冒頭部分


おわりに

このローレンツ・カーブとジニ係数を用いた古代の貧富の差を示す研究、、、

負け惜しみを言うと私も同じアイディアでやろうと思ってたのです!

(世界は広く、山は高かった(ρ゚∩゚) グスン)

でもこの論文が2017年で、私は2019年に思い立ったのでそもそも負けてましたヽ(TдT)ノ



まぁやっててもこの論文の方が遺跡数も多いし、圧倒的にスゴイんですけど、、、

私はティカルやるだけで死にかけてたのに、彼らすごいな~って思ってたら……

上に挙げた画像ですよ!



共著18人!( ・Д・)


人海戦術でも負けるわ~。

というかこういう大人数で共同研究ができる環境がスゴイ。

日本じゃコミュニティ小っちゃいし、研究費少な過ぎて人雇えないしね(´・ω・`)




私も国内でスタッフ雇いたいけど大きな予算取れなきゃ無理だよね~。

あるいはたくさん稼いで、そのお金で個人的に人を雇って、ブログとかYoutubeの編集とか手伝ってもらおうかな~(*^・ェ・)ノ



それもありよりのあり!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
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↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2020ねん 2がつ 2にち(にちよーび、曇り)

アルコール&トマト効果が切れてきた。

暑い……ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ文明の中心地を研究するための拠点、フローレスを紹介するよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

『中心地』とか言うと、専門が被るレベルの同業者には文句言われるでしょうけどね。

日本におけるマヤ文明の知名度はたかが知れてますから、古典期マヤ(CE250-1000)を語る上で絶対に外せないペテン地域を中心と言っても過言ではないのです!

……なんて強い心で、今回の記事をお届けします(*^・ェ・)ノ



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フローレス市はどこ?

所在地としてはグアテマラ共和国、ペテン県、フローレス市ですね。

そもそもグアテマラってどこよ?

ってよく訊かれますけど、私はこう応えるようにしています。

「アメリカの南がメキシコでしょ? そのさらに南!」

まぁ経験上、これで大体伝わります。

伝わらなければ、メキシコってことにします。

それでもだめならアメリカ、さらにダメなら地球の裏側!って言いますね( ・Д・)


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↑(「Pinterest」の画像より転載)


フローレスの歴史


フローレス自体はとっても大きいのです。

北に約60kmに位置するティカル国立公園まで含みます。

普段「フローレス」と言うならば基本的に「イスラ(島)」の意味で使いますね。

まぁ間違えないように現地人は「イスラ」の方を良く使います。

混乱を避けるため、この記事では以下、「フローレス島=島の範囲」という意味で表記していきますね。

じゃないと観光客とかには訳分からんことになるので( ・Д・)



写真にあるように、フローレスは島です!



島と言っても大きな湖にある島です。

この湖を「ペテン・イツァ湖」と呼びます。

気付いたでしょうか?

ペテンは、フローレス市を含む『県』の名前です。

ペテンは元々マヤ語で『島』を意味する言葉なのです。

「イツァ」も聞いたことありませんか?

メキシコ、ユカタン半島北部にある有名な世界遺産、「チチェン・イツァ」です。


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↑「歩け、マヤ」のトップ画にも使用しているチチェン・イツァのエル・カスティーヨ


チチェン・イツァは観光地として非常に有名で、特に春分・秋分の日にエル・カスティーヨで見られる「ククルカンの降臨」イベントが大人気ですね(*・ω・)ノ

1221年にこのチチェン・イッツァのトルテカ・マヤ系の支配者に対して反乱が起き、ユカタンに中心となる統治機構をつくろうと集まり、「マヤの旗」を意味する「マヤパン」を建設します。

15世紀にはこのマヤパンが衰亡し始め、それに伴ってチチェン・イツァの王族が現在のペテン県に向かって南下、設立した王国が「タヤサル」です。

このタヤサルは「イツァの場所」を意味するタフイツァ(TajItza)に由来した現在の呼称で、かつては王国として首都だけでなくイツァ族の支配する土地全体を意味していました。

現在はタヤサルはフローレス島の北に位置する1遺跡を指します。

先ほどのペテン・イツァ湖は「イツァ族の島」を意味しており、この島がフローレス島のことなのです。

つまりタヤサル王国の王都がかつてノフペテン(Nojpetén;大きな島)と呼ばれたフローレス島にあったのです(*^・ェ・)ノ


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↑これが王都だ!( ・Д・)(「ドラクエウォーク」の画面のスクショ)


さて、16世紀前半までにスペイン人は北のユカタン半島と南の高地マヤを征服しました。

しかし亜熱帯ジャングルであるマヤ中部低地の内陸部であるペテン地方は侵略が困難でした。

そのためペテン県のマヤ王国、つまりタヤサルは独立を維持できていました。

タヤサルに関する西洋人の最初の記録は1525年で、エルナン・コルテスはホンジュラス遠征の途上でタヤサルを通過し、タヤサルのカネク王に歓迎されたとあります。


17世紀にはいると宣教師による布教が何度か試みられたが、成功しませんでした。


その結果、ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアはユカタン半島北部のメリダからタヤサルまでの道を建設して侵攻、1697年にタヤサルは軍事的に征服されました。


ちなみにこの時のスペイン軍はたったの108人だったのですΣ(・ω・ノ)ノ





フローレスにまつわる伝説

かつての王都であるフローレス島やその周辺には写真の通り、スペイン植民地期に西洋風の建物が建てられました。

征服者であるスペイン人はどこでもやったことですが、ここフローレス島でも例外なく、マヤ人の神殿や建物を破壊し、その石材を使ってキリスト教会や他の建造物を建設しました。

結果として現在タヤサルの正確な領土の範囲等は分かっておらず、そのまま観光地になり得るような地上に残る遺跡もありません。

かつてのマヤ王国の王都ならば博物館などもありそうなものですが、当時はそういった文化財を守るような感覚はなく、何もかも徹底的に破壊されたため、博物館も何もありません。

一方でタヤサル王国やその王都であったフローレス島にまつわる伝説・逸話は数多く残っているのですが、どれも後世の創作であるようです。

有名なのはタヤサル王国のお姫様「サク・ニクテ(白い花)」のお話などです。

今回はタヤサル王国の滅亡に関わる伝説を紹介しますね!(*・ω・)ノ



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↑島の外はサンタ・エレナと呼ばれていますがここもかつてはタヤサル王国の領域だったでしょうね(「ドラクエウォーク」の画面のスクショ)


先に述べたように17世紀にはタヤサル王国をキリスト教化しようと布教活動が開始されます。

1695年にはフランシスコ会のアンドレス・デ・アベンダーニョ・イ・ロヨラが直接タヤサル王国を訪れました。

この時、スペイン側からタヤサル王国へ、『1頭の馬』が贈られたそうです。

馬は新大陸にはいませんし、侵略戦争時にはマヤ人にとって大きな脅威となっていました。

そんな珍しい馬をタヤサルの人々はもらい受けたはいいものの、馬が何を食べるのかも知りません。

飼い方をそもそも知らないため、ほどなく馬は死んでしまいます。

この馬を大切に思っていたカネク王は『馬の石像』を造らせました。

さっそく完成した『馬の石像』を石工のいる領域から、王都フローレスへとペテン・イツァ湖を通して舟で運ぼうとします。

しかし舟が転覆して『馬の石像』が湖に沈んでしまったそうです。

結局、スペイン人宣教師はカネク王への布教が失敗に終わり、ま『たせっかく送った馬を殺した』という口実の下、軍を派遣してタヤサル王国を滅ぼしてしまいます。

タヤサルは滅び、かつての栄華を象徴する遺物はほとんど残っていませんが、最後の傑作である『石の馬』は今でも巨大な湖のどこかに眠っているそうです。


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馬の写真追加スペース( ・Д・)


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おわりに

この伝説に出てくる「石の馬」は現地では有名な話で、現在はフローレス島の対岸にこの伝説を象徴した馬の石像が造られて設置されています。

カネク王の下に辿り着けなかった『石の馬』が遥か遠くの対岸からフローレス島の方を見つめるように設置されていたかと思います。

近々、別の調査でこの対岸に行く予定なので、上に追記として馬の写真アップしておきますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、地名等、聴き慣れない名前がたくさん出てきましたが、これまでの文章を暗記すればもう現地のツアーガイドより詳しくなれますよ( ・Д・)

↓出張中は物凄く高いモチベーションで仕事とダイエットが捗ります!(*・ω・)ノ↓

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2019ねん 12がつ 25にち(すいよーび、晴れ)

クリスマスか。

とりあえず、鳥モモとケーキを食べておくか!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、「科研費獲れたよ!&来年2回調査するよ!&これまでの研究報告するよ!」です!(*・ω・)ノ

真面目に報告するとめちゃ長くなるのでさくっとお伝えする予定です。

これまでなぜ報告しなかったかと言うと、論文・調査報告に掲載している関係上、あまり早くかつ正確に情報流すとマズイかなと思ったからです。

日本の学会はその辺、緩い気がするけど、アメリカ考古学会とか海外は厳しいですからね。

……怒られたくありません!( -д-)ノ

ということで、まずは科研費報告から!



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科研費獲ったど~!

応募したのは「研究スタート支援」で、諸先輩方からすると少額でしょうが何とか頂くことができました。

いや~、海外調査やるとお金かかるんですよ。

マヤ文明で最も有名なティカル遺跡(上に挙げた写真のところ)が所在するグアテマラでは、法律上、現地考古学者をサブディレクターとして雇用する義務があります。

私は月1000米ドル(12万円くらい?)払ってます。

今年はお金ないのでトータル30万円くらいの契約です

トータルってのは事前の調査許可取得、実際の調査指揮補助、ラボ作業、報告書作成含めてってことです。

発掘作業員と発掘補助員も雇うのでこっちは合わせて600米ドルくらいかな。

地球の裏側なので、私の航空券だけで25~30万円するし、なかなか大変なのです。

今回は確か120万円×2年頂きまして、内20万円を間接経費として所属大学にきっちり納めております。

なので私が使えるのは100万円/年度なわけです。

でもほんと獲れて良かったです。

これで今やりたい基礎研究は半分完了の予定です(。・ω・)ノ゙


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今年の調査は2回!

上に挙げた写真のように、実際にティカル遺跡の建造物群は亜熱帯ジャングルの中にあるんですよね。

最初に挙げた写真はティカル国立公園の考古学ゾーンの中心部である「北のアクロポリス」&「1号神殿」ですけど、まぁもちろん私はそんなとこ掘りません( -д-)ノ

ところどころで書いてますけど、私の専門は土器です。

なので今研究しているのは、

①ティカルにおける土器生産体制の解明

②ティカルを中心とした土器の生産と流通の解明

といった内容です。

マヤの碑文には経済に関する情報が欠如していますので、ゆくゆくは古典期マヤにおける土器経済の解明」を目標にしたいなと思っております(。・ω・)ノ゙

来年の一回目の調査は2020年1月末より3月半ばを予定しています。

調査対象は、

①ティカル国立公園、管理エリアのホテル・ジャングルロッジの裏手にある住居マウンド

②同エリア、ペンシルヴァニア大学調査時代の旧滑走路北東端における旧ピット

です。


①に関しては、また別の機会に詳しく書こうかと思いますが、、、

たぶんですよ???

古典期マヤに帰属するものとしてはこれまでに検出されていない、「土器焼成址」の検出ができちゃったかな~みたいな地点です。

今回の調査を通して、もう少し証拠が見つかり、かついくつかの証明するための論文を書けば、、、

簡単に言えば、

世界初、古代マヤの窯址を発見したよ!ってことになる……ハズですヾ(´ω`=´ω`)ノ

乞う、ご期待!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

②に関してはティカルに堆積している2種類の粘土の堆積状況の確認と、粘土サンプルの取得が目的です。

また2020年、2回目の調査は10月~11月頃を予定しており、ティカル周辺の湖沼、雨季に生じる河川や湿地帯、またその周辺にある主要遺跡における粘土及び砂のサンプル取得と主要土器の鉱物組成分析を実施予定でおります。

楽しい報告ができればいいなと思いつつ、地味な分析を頑張りたいと思います( -д-)ノ


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↑ティカル調査の拠点、フローレス島(「wikipedia」より転載)


これまでの調査報告?


先ほど、「世界初の発見だよ!」って書いてしまったので、特に他に言うことはないんですけどね( -д-)ノ

まぁこれまでは先行研究において、土器製作工房エリアと考えられていた地点のすぐ南を調査していました。

目的はもちろん、「ティカルにおける土器生産体制の解明」です。

すごいジャングルの中だったので、体力的に本当に辛い調査でした。

初めての調査(ホンジュラス、コパン遺跡を入れると二回目)だったのであんまりよく分かってないんですよ。

予備調査みたいなものだったので……

もう一回助成金を獲って、追加調査しないと面白くならないな~と感じています。

まぁただ、これまで多くの研究者が、貴族層を相手に、デカい神殿や豪華な宮殿を対象として調査してきたのに対し、

一般層の住居グループを対象として、しかも何もない広場の中心部やゴミ捨て場を掘って、堆積状況の確認をまず行ったよってのが、日本人らしい地道な掘り方だったかなと思ってます。

個人的には十分な知見を得られましたが、成果としてはインパクトが少なくて……継続的にお金獲りにくい状況になったのは反省しておりますヽ(TдT)ノ

一般層工人集団のことも明らかにしていかねばと思ってますので、今後何とかしますね!



おわりに

ところで先日、リコーの360度カメラ買ったんですよ。

家族とか友人にもティカルの様子を伝えたいなと思いましてね。

でもせっかくなので、youtubeにも乗っけてみようかなと思います。

御朱印集めの際にも撮ってみようかなとは思いますが、ティカル等のマヤ遺跡に関しては2020年2月以降となりますのでご了承ください。

でも今から事前にチャンネル登録して頂けると幸いです。

せっかくなので、研究者が許可ありでなければ入れないようなところも、撮影してみんなに見てもらおうかなとも思っています。

時間あったら、簡単な解説も付けちゃいますよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ということで、チャンネル登録&今後もよろしくお願いします!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



↑今度、Youtubeにティカル遺跡とかの動画upするからチャンネル登録してね!↑
↑今は、ほんと何もないけどね!!!( ・Д・)↑

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20XXねん 3がつ 29にち(もくよーび、晴れ)

今日は文章をたくさん書いた。

こうしてブログまで書いている。えらい!( -д-)ノ

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コラム チチェン・イツァの写真
↑チチェン・イツァ遺跡ののエル・カスティーヨ(筆者撮影)

【目次】
  1. 神殿の前で手を叩くと奇跡の音がする?
  2. 反響音について調べてみた
  3. 私の経験と現地で聞いた「真の歴史」(オチ)


1.神殿の前で手を叩くと奇跡の音がする?

上の写真は、メキシコ、ユカタン州に位置するチチェン・イツァ遺跡のピラミッドです。1988年に世界遺産に登録されたこの古代都市は、マヤ都市の中でも非常に大きな規模を有しています。


居住時期は古典期後期から後古典期前期にかけて、つまり西暦600年~1200年頃です。遺跡南部には居住時期前半期のマヤ的様式であるプウク様式をもつ景観が見られ、一方で遺跡北部では後半期のメキシコ的様式であるトルテカ様式をもつ景観が見られるという特徴を有しています。


 このピラミッドは通称「エル・カスティーヨ」と呼ばれ、スペイン語で「城塞」を意味します。一方で、四角錘の4面全ての階段数と最上段の神殿を1段として合計することで365段になることから、「暦のピラミッド」とも呼ばれます。


 さらに、階段の縁石部の最下部にはククルカン(羽毛の生えた蛇)の頭部が造形されており、春分・秋分の日の太陽が沈む時に階段の西側面に影によってククルカンの胴体が現れることで有名です。そのため「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれています。


 さて、この神殿ピラミッド、実は正面で手を叩くと奇跡の反響音がするとのこと…


 手を叩くとすぐに「ケトゥン、ケトゥン」と音が返ってくるのである。これがケツァールの鳴き声だと言うのです。



↑それがこれだ!


↓ケツァールという鳥 カワ(・∀・)イイ!!

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 ケツァールはマヤ文明の領域の内大部分を占めるグアテマラ共和国の国鳥です。お金の単位にもなっています。オスの尾羽は非常に長く美しいんです。そのため古代マヤではコンゴウインコの羽と並んでお王族やエリートの頭飾りの一部として非常に重宝されていました。


 ちなみにケツァールの胸が赤いのは、グアテマラにおけるマヤ人の英雄テクン・ウマンが1524年にスペイン人のコンキスタドールであるペドロ・デ・アルバラードとの戦争にて戦死した際、ケツァールがその死を悲しむようにテクン・ウマンの死体の上を撫でるように飛んで行った時に血が付いたためと現地にて伝承が残っています。



2.反響音について調べてみた

反響(はんきょう)とは、音波が壁などに衝突しはねかえって来る現象である。いわゆるやまびこ、こだま。 音波は壁などの物体に衝突すると、その壁自体が音波と同じように振動する。その物体の振動により再び音波が発生する。これによって生じたものが反響である。物体の性質によって、反響してくる音波は変化する。(wikiより)

 ということで、反響という現象はどこでも起こるんですね。音楽関係施設のように特別な対策をしていない限り、反響や残響は起こると考えて良いでしょう。


 さきほどのクラップ音がケツァールの鳴き声に聞こえる現象ですが、実はあれ、チチェン・イツァ遺跡のエル・カスティーヨ以外でも起こる現象なのです。


 実際にやってみたことあるので間違いないです。現地ではピラミッドの正面で手を叩くと…と言われてまして、最上段の神殿の内部に入った音が鳥の声のような反響を起こすと言われてますが、ほんとかは分かりません。


 今度ピラミッドの側面や背面でも試してみますね。反響現象の説明によれば、反射する物質の性質や形状によって音が変化するそうですので、ピラミッド自体平らな壁ではないのでそれが原因のように思えます。


 あんなに高いところの神殿の内部に入った音だけが鳥の声のように変化するとは思えませんしね。また多くのマヤのピラミッドは石灰岩から造られていますし、漆喰の上塗りがある場合もあります。メキシコの修復例ではセメントで固めてる場合もありますね。


 そういったピラミッドの石材や表面を覆っている素材によって、あのような音に変化している可能性が高いです。



3.私の経験と現地で聞いた「真の歴史」(オチ)

 さて、果たして古代マヤ人は、あのようなクラップ音が神聖なケツァール鳥の鳴き声に変化するように計画して神殿を建設したのでしょうか?


 これについては分かりません。証明も難しいと思います。しかしながらきっと偶然の産物なのではないでしょうか。


 私はグアテマラのティカル遺跡にて、初めてこの現象についての話を聞きました。聞いた相手はガイドさんでした。


 最初は驚きました。現地のガイドさん達は最寄りの学会に参加して勉強する等、かなり熱心な人たちもいるのです。なので聞いてみました。そのような研究や発表があったのかと。


 答えはこうでした。


 「いや、ガイドのパフォーマンスとして数年前に~(ガイドさんの名前)が始めたんだよ。」って。


 どうやら現地に残る伝承というわけでもないようです。


 それでももしかしたら古代マヤ人も、神殿の前で手を叩いてこの反響音を楽しんでいたかもしれませんね。例えそれが計画的でも偶然であっても。



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20XXねん 3がつ 27にち(かよーび、晴れ)

今日は一日中働いてみた。趣味の時間も作った。

三日坊主でもいい。三日間連続でリア充でいたい。

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↑トウモロコシを咥える犬

【目次】
  1. 古代マヤにおける最古の犬の飼育痕跡の発見
  2. 古代マヤの家畜
  3. 古代マヤ人と動物の霊的関係
  4. 犬の飼育は儀礼目的?


1.古代マヤにおける最古の犬の飼育痕跡の発見
セイバルの位置
↑セイバル遺跡の位置(Nacional Geographicより一部加工)

今回の発見は、グアテマラ共和国にあるマヤ遺跡、セイバルにおいてなされました。グアテマラ北部のペテン県に所在するセイバル遺跡は、パシオン川西岸の丘陵上に位置しています。

セイバルの語源は「セイバ(ceiba)」という「聖なる木のある場所」です。この聖なる木であるセイバの若木の幹には多数のトゲトゲがついており、古代マヤ人の儀礼目的の土器、つまり香炉などにトゲトゲの装飾が見られます。

ちなみにこのセイバの木は、成長するとトゲトゲがなくなり、高さ60m、直径6mという巨大な樹になります。古代マヤにおける世界樹なのです。

セイバル遺跡はかつてハーバード大学によって大規模な調査が実施されました。現在ではアリゾナ大学の猪俣健と茨城大学の青山和夫によって調査が実施されており、これまでに先古典期から古典期(B.C.900-A.D.900頃)に関して多くの新しい発見がなされています。日本人研究者が調査責任者であるプロジェクトの一例です。

当該遺跡では、動物の骨や歯といった動物依存体が検出されており、その分析結果から古代マヤ人による動物の交易や飼育が行われていたことが分かりました。また飼育した動物を生贄として捧げる儀礼行為が重要な役割を果たしていた可能性が指摘されました。


2.古代マヤの家畜
私たち日本人が学校で習う「世界史」では、馬や牛といった運搬や農耕に利用される大型動物の家畜化が歴史における早い段階で行われます。牛はB.C.8000頃にインド、北アフリカ等にて、馬はB.C.4000頃にユーラシアにてです。ちなみに犬はB.C.15000に東アジアやアフリカにて、羊や山羊はB.C.10000頃に南西アジアにてです。

家畜の定義は「食用」か「労働用」です。現在の愛玩用のペットは家畜ではありません。今回の発見は儀礼目的と解釈されていますので、「飼育」であり、古代マヤ人が犬を家畜化したわけではありません。

いわゆる新大陸の諸文明では家畜化はほとんど行われず、南米におけるリャマが最も有名だと思います(リャマはラクダ科で、シュッとしたアルパカみたいな動物です)。

古代マヤ文明においては、家畜化された動物として挙げられるのは七面鳥です。感謝祭で食べるターキーです(ボーリングのターキーの語源ですね、3連続ストライク出すとターキー奢ってやるぜ!的なノリだった模様)。

七面鳥の家畜化についてもいくつかの研究がありますが、証拠となる動物依存体の検出例に乏しいため、今後の調査・研究の進展に期待が高まります。


3.古代マヤ人と動物の霊的関係
古代マヤ人の思想の一つとして、「ナワル」というものがあります。天文学や暦に長けた彼らは、誕生年や誕生日によって、それぞれの人はナワルという守護霊的動物を有していると考えていました。

この守護霊的な動物によって各人の個性に影響が出ると考えるので、まぁ「マヤ版 動物占い」だと思って頂ければ、イメージとして間違ってはいないはずです。

家畜化が発達しなかったマヤ文明では、狩猟による動物性タンパク質の確保が重要でした。一般層の人々は主に豆類等の植物性タンパク質源が重要でした。

現在はスペイン植民地期を経て、馬、鶏、豚、牛が家畜化されています。しかし現地の一般の人々が普段タンパク質源として口にするのはフリーホーレス(甘くない小豆みたいなもの)と鶏肉です。

一方でジャングル近くの農村部では、現在でも狩猟によって雉や鹿、コトゥーサ(ネズミの一種でデカいモルモットみたい)、蛇、鰐、亀、アルマジロ等を食べたりもします。この辺の文化は変わっていないようにも感じます。

狩猟でジャングルを探索する際に、脅威となるのがジャガーや鰐です。特にジャガーは中米最大の肉食獣であり、王権の象徴としてジャガーの毛皮を纏った王が多くの図像として残されています。

また王墓への副葬品として、ジャガーや鰐が捧げられる事例も発見されています。他方で多彩色土器の図像として、あるいは土器の形状として、各種動物が表現・造形される例も多数あり、古代マヤ人と動物の関係は単なる「食用」ではなく、精神的な繋がりや特別な象徴性を有する重要な存在であったと解釈されています。


4.犬の飼育は儀礼目的?
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↑今回の発見に関わる分析を実施したアシュリー・シャープ氏。カワ(・∀・)イイ!!

今回の動物依存体の分析では、イヌの他、ネコ科の動物(マーゲイ)や鹿が同定された。この中で犬の骨が有する炭素同位体の分析結果として、犬がトウモロコシを食べていたことが分かりました。

トウモロコシはメソアメリカにおいて古くから品種改良されてきた主食であり、犬が主にトウモロコシを食べていたことがイヌが飼育されていた根拠として提示されたのです。

同定されたイヌのいくつかは、遠隔地の山岳地帯出身であることも分かり、動物の交易が行われていた可能性が指摘されました。

また実際に犬の骨の出土量は限られており、小型のイヌを運搬や農耕といった労働に使用したとは考えにくいため、特別な儀礼の際に生贄として利用されたのではないかと解釈されています。

以前から、古代マヤでは七面鳥とイヌが家畜化ないし飼育されていた可能性がそれらの動物依存体の検出により指摘されてきました。今回の、動物の交易に関する発見は、複雑な交易・社会ネットワークを有していたと考えられる古代マヤ社会を理解する上で非常に重要な新たな視座を与えたと言えるでしょう。


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20XXねん 3がつ 20にち(かよーび、曇り)

出張が決まった。ちゃんとブログ更新できるか心配だ。

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↑月刊ムーPlusの記事の扉絵より

【目次】
  1. はじめに
  2. マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた説
  3. ゾンビ説の検討
  4. おわりに
1.はじめに
「マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた!?」は、2018年2月18日に月刊ムーPlusにて紹介された記事である(原文は上記リンクを参照)。

本記事では、このゾンビ説の紹介を行った上で、提示された根拠等について個別に検討していく。内容が批判的検討になることをご了承願いたい。


2.マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた説
以下は、原文を引用、ないし参考にしつつ、論理構成を明らかにして記述したものである。

①ゾンビは実在する
「ゾンビ・アポカリプス」は映画等で見られるように、ゾンビによって現代文明が滅ぼされてしまうというシナリオである。映画だけの話だと思われていたが、現在は各分野の専門家を巻き込みながらひとつの認識を端的に示すキーワードになっている。つまりゾンビは存在するというのである。

②古代におけるゾンビの事例は既に発見されている
有史以前から人間は、死せる者の復活と復ふく讐しゅうを恐れていた。ギリシア文明等の遺跡からも「ゾンビ・アポカリプス」を示す遺物が見つかっている。中でも特筆すべきはマヤ文明である。

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↑人肉を食する「アステカ」の壁画(原文頁より)

③マヤ文明がゾンビによって滅んだ根拠

西暦250年から900年頃に最盛期を迎えたマヤ文明は、世界史上稀まれに見る人口密集型文明で、社会的動力に満ちていた。しかしマヤ文明は突如として人口が急激に減少し姿を消すことになってしまった。このマヤ文明崩壊の謎は、考古学最大のミステリーのひとつとされている。


一般的には急激な人口減少の理由は大干ばつと言われているが、実はマヤの都市から発掘される遺骸や遺骨に、共通する奇妙な特徴が見られる。それは数多く残された咬かみ傷と思われる痕跡である。


また関節部分に、無理やり引きちぎられたような痕跡も目立つ。こうした特徴のある遺骸が、あちこちの遺跡から掘りだされるのだ。しかも、墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。


マヤほどの文明が、死者をその場でまとめて埋葬したとは考えにくい。おそらく、そうせざるを得ない「理由」があったはずである。また、大規模な村がまるごとひとつ、数日で全滅してしまった証拠も見つかっている。干ばつで食糧の備蓄が徐々に減っていったのではない。しかもそこには、「共喰い」を連想させる凄せい惨さんな場面の証拠や、子供が親を食べたことを思わせる痕跡さえ見つけられるのだ。


④「代替考古学論」の紹介と専門的裏付け
オルターナティブ・アーケオロジーという研究分野がある。主流派科学の枠組みから離れたところで大胆な仮説を展開していく「代替考古学論」だ。この論でよくいわれるのが、マヤ文明崩壊の理由は「ゾンビ病」の蔓延だったという仮説である。

この仮説に特化してマヤ文明崩壊の謎に迫ろうとする「ゾンビ・リサーチ・ソサイエティ(ZRS)」というグループがある。その中核メンバーであるユージーン・フレデリックによれば、古代マヤ人が死体をその場に埋めざるを得なかった理由は、ウイルスに感染した人たちがそれ以上の悪影響を与えないようにするためだというのだ。

⑤その他の考古学分野からの裏付け
スペイン国立調査委員会所属の考古学者、ファン・ホセ・イバニェス博士は、シリアの石器時代の遺跡で発掘調査を行い、頭蓋骨が完全に粉砕され、胴体と切り離された遺骸を発見した。しかも埋葬後一定の時間が経過してから頭蓋骨を砕き、首と胴体を切り離した痕跡が認められる。


この発見に対する解釈として、「生ける者の世界に対する脅威は、生ける者たち自身が排除しなければならない。そのための手段として選ばれたのが、だれの目にも明らかな、一番わかりやすいアイデンティティーである顔を奪うことだったのだろう。頭を切り落とすことで、生者の世界と死者の世界の境界線を明確に示したのだ。頭を頭蓋骨ごと潰つぶし、境界線を越えられないようにした例もある」と述べている。


また「ヒストリック・ミステリーズ・ドット・コム」というウェブサイトを運営管理するキンバリー・リンによれば、「墓から甦る死者という概念は、何千年も前から存在しつづけている。世界中の文明にアンデッドに関する迷信や伝説が残っており、そういう概念が今日でも受け容れられていることには何の疑いもない」のだそうだ。


3.ゾンビ説の検討
では、順を追ってこのゾンビ説を検討していこう。

①ゾンビは存在する?
ムーの記事では、ゾンビは「映画で見られる」⇒「専門家が扱っている」⇒「だから存在する」という論理展開である。三段論法のような疑似論理であり、結論に飛躍がある。

特に根拠としているのは「専門家が扱っている」ことであり、実際に各分野で有識者がどのようにゾンビを扱っているかは記載されていない。

各専門家がゾンビという言葉を用いたとしても、「ゾンビ会社」や「ゾンビプログラム」といった用語に見られるように比喩として用いており、ゾンビそのものが存在すると結論付けている科学者はいないであろう。

医療関係でも災害対策の一環として、ウィルスの蔓延に関するシミュレーションを行う際にもゾンビという言葉は見られるが、あくまで「もしゾンビウィルス存在したら」という仮定の下であるし、それほど強力なウィルスに備える目的が半分、注目を集める目的が半分であり、やはりゾンビの存在を肯定してはいないのが通常である。

②古代におけるゾンビの事例は既に発見されている?

実際、有史以前から人間は、死せる者の復活と復ふく讐しゅうを恐れていた。石器時代のシリア、ルネッサンス期のイタリア、ギリシア文明の遺跡からも、ゾンビ・アポカリプスを示し唆さするさまざまな遺物が見つかっている。中でも特筆すべきは、マヤ文明だろう(原文ママ)。

 先に述べたように、現在の研究によってゾンビの存在を肯定し、次には突如として有史以前からゾンビの存在はあったことになっているような記述である。特別根拠は示されていない。

③マヤ文明がゾンビによって滅んだ根拠は?
まずは図版の引用であるが、アステカと明記されている。アステカ文明とマヤ文明は異なる言語集団に基づく文化であり、時代も異なる。この図版を引用するのは不適切である。またこの図像は人身供犠の一端を示していると解釈されている。人肉を食する各人物も生者として表現されており、死体として描かれてはおらず、ゾンビを示してはいないだろう。

 マヤの都市から発掘される遺骸や遺骨に、共通する奇妙な特徴が見られるのだ。

それは、数多く残された咬かみ傷と思われる痕跡である。あるいは関節部分に、無理やり引きちぎられたような痕跡も目立つ。こうした特徴のある遺骸が、あちこちの遺跡から掘りだされるのだ。しかも、墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。(中略)

 また、大規模な村がまるごとひとつ、数日で全滅してしまった証拠も見つかっている。干ばつで食糧の備蓄が徐々に減っていったのではない。しかもそこには、「共喰い」を連想させる凄せい惨さんな場面の証拠や、子供が親を食べたことを思わせる痕跡さえ見つけられるのだ(原文ママ)。

まず1点目に、私は形質人類学は専門ではないが、それでもマヤ考古学の専門として、噛痕や千切られた痕のある人骨が多数出土したという事例を知らない。また共食いや子供が親を食べたと思わせる痕跡が発見されたという事例も知らない。少なくともこのような事例があちこちの遺跡から検出されるなどということはあり得ない。

2点目に、古代マヤの葬制に関して、墓域は存在しない。住居基壇に埋葬し、住居を一回り大きく更新することで、床下の祖先と共に暮らすという葬制を取る。そのため「墓所でないところに」という表現が不適切である。もちろん住居床下が古代マヤにおける「墓所」と呼ぶなら間違いではないが、通常そのような表現は用いない。

仮にこの文章、つまり「墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。」を認めるとするならば、これは古代マヤの話ではなく、近現代史の内容であろう。1930年代から90年代後半までグアテマラでは内戦状態であり、現代マヤ人を中心として推定で20万人に及ぶ人々が虐殺された。

この虐殺された遺体は墓所(教会墓地)ではなく、廃棄されるかの如くまとめて埋められたということが近年分かってきた。この近現代における虐殺の事実を明らかにし、遺体を遺族に返還することを目的とした考古学調査も行われている。原文の文章は恐らくはこのことを指しており、時間的も歴史的にも無関係の内容を根拠に用いていると考えられる。

④「代替考古学論」の紹介と専門的裏付け?

 オルターナティブ・アーケオロジーという研究分野がある。主流派科学の枠組みから離れたところで大胆な仮説を展開していく「代替考古学論」だ。この論でよくいわれるのが、マヤ文明崩壊の理由は「ゾンビ病」の蔓まん延だったという仮説である。

 ゾンビ病――正確にいえば、ゾンビ・ウイルスということになるだろうか――の蔓延。主流派科学の中ではなかなか出にくい発想であることは間違いない(原文ママ)。

「主流派科学の枠組みから離れたところで・・・」という表現は、このゾンビ仮説を展開する「代替考古学論」が、「主流派ではないが科学」というように述べているように感じる。

マヤ学会において、未だ定説とはなっていないテーマで、議論が分かれる場合があり、その内一方が現在は主流である、有力であるといった状態はあり得る。しかしもし彼らの業績が真に科学なのであれば、学会で発表して我々「主流派科学の連中」を納得させればいい話だと思う。

ちなみに国内外のマヤ学に関する学会誌等において、考古学やその他の分野を含めてゾンビに関する論文はこれまで一度も見たことがない。もし私が不勉強なだけで存在するなら紹介して欲しい(但し一般紙や査読なし論文は認めないが、読む分には面白そうなのでそれでもやはり紹介して欲しい。比喩表現として用いている場合は不可である)。

 こうした可能性に特化して、マヤ文明崩壊の謎に迫ろうとする「ゾンビ・リサーチ・ソサイエティ(ZRS)」というグループがある。その中核メンバーであるユージーン・フレデリックは、次のように語っている(原文ママ)。

このグループが実際にどうのような組織なのか不明である。「組織名称と人物名を具体的に出す」とあたかも有識者が言及しているような「如何にも感」が出るだけではないだろうか。

⑤その他の考古学分野からの裏付け

 博士はシリアの石器時代の遺跡で発掘調査を行い、奇妙な状態の遺骸を大量に発見した。頭蓋骨が完全に粉砕され、胴体と切り離された遺骸である。しかも、埋葬後一定の時間が経過してから頭蓋骨を砕き、首と胴体を切り離した痕跡が認められる。

そこでスタッツ博士は、次のような解釈を提示した。

 「生ける者の世界に対する脅威は、生ける者たち自身が排除しなければならない。そのための手段として選ばれたのが、だれの目にも明らかな、一番わかりやすいアイデンティティーである顔を奪うことだったのだろう。

 頭を切り落とすことで、生者の世界と死者の世界の境界線を明確に示したのだ。頭を頭蓋骨ごと潰つぶし、境界線を越えられないようにした例もある」(原文ママ)

ここではスタッツ博士とイバニェス博士の解釈が引用されている。引用元が示されていないため、各原文に当たることができなかったが、恐らく引用の仕方が間違っているのではなかろうか。

上記引用文はイバニェス博士の解釈であるが、これはシリアの石器時代における葬制と再葬の事例について述べている。

アニミズム等の初期の信仰にも、説明原理としての性格が認められ、生と死の区別は古代から現在に至るまで重要な関心ごとである。死そのものや死者に対する恐怖を取り除く他に様々な目的で、一度埋葬した遺体を「再び埋葬する(再葬)」という行為がしばしば行われることが確認されている。

現代日本では火葬のため、あまり馴染みが薄い。イメージとしては、火葬後に遺骨を自宅で(一時的に)保管し、四十九日の法要後に納骨の儀を行うという行為であり、保管場所を変えるという意味では現代日本における再葬の一形態と言えるかも知れない。

ちなみに古代マヤでは再葬の習慣があり、再葬の際に、場所を変更する、副葬品を追加する、遺骨の一部を取り出す、朱をかける等といった様々な儀礼的な行為が加えられた例が分かっている。

このような葬送儀礼の過程において、遺骨の一部を故意に取り出したり、破壊する行為は、儀礼的行為と解釈されており、ゾンビ対策とは考えられていない。そもそもゾンビ対策なら、最初に埋める前に頭部の切断や破壊が必要であろう。

つまりイバニェス氏の解釈の引用文は特定の人類の葬制や死生観、宗教観について言及しているのであって、人類がかつてゾンビと戦ったことには触れていないだろう。

 『ザ・ゾンビ・サバイバル・ガイド』(2003年)、および『ザ・ゾンビ・サバイバル・ガイド:レコーデッド・アタックス』(2009年)の著者マックス・ブルックスは、考古学関連の専門誌のインタビューに対し、次のように語っている。

 「ゾンビが実在した証拠を求める考古学者が捜すべきものは、頭をはねられた死体、あるいは脳みそが取り除かれた形跡がある頭蓋骨である。リビング・デッドを止めるには、このふたつしかないからだ」(原文ママ)

この引用に関しては、1点目に、そもそもゾンビが実在した証拠を求める考古学者がいるのか?ということである。私はいないと思う。いたとしても自称考古学者であろう。

もちろん古代においてゾンビが比喩的に使われた可能性はある。人類学者がハイチ島で観察したように、フラフラと歩く知的障害者をゾンビと見間違える事例のように、古代にも何かしらの勘違いは起こり得る。感染症のような死を振り撒く死にかけた人間がゾンビに見えたかも知れない(そもそもゾンビという概念が古代にはないであろうが)。しかしそのような個人的な現象は考古記録として残らないのが通常である。

仮に、上記引用のように、頭をはねられた死体あるいは脳みそが取り除かれた痕跡のある頭蓋骨が出土したとして(実際多数の例がある)、どのようにゾンビと結びつけることが可能だろうか。何故ゾンビにこだわるのか、何故他のより普遍的な可能性を無視するのか不明である。

つまりあくまでゾンビ説ありきで、ゾンビ説を支持するための都合の良い根拠を、世界中のありとあらゆる時間軸から集めてきたに他ならない。例えば、中世においてギロチンで首を刎ねられた遺体もゾンビだったからとでも言うのであろうか。


4.おわりに
さて、これまでの記事とは異なり、上記文章はですます調ではなく、である調で書きました。批判的文章となるのでしっかりと書きたいなと思ったからです。

実際書いてみて感じたのは、世の中、ツッコミどころ満載の記事は多々あれど、批判的な文章を書くというのはあまり気持ちの良いものではないですね。

そして、オカルト的な内容は、考古学が重要視する時間的・空間的枠組みを無視して、様々な話に飛ぶので全部を専門的に批判することは困難だなと感じました。

今後はいつも通り、考古学・歴史・マヤ文明に関係する記事の紹介に留めて、批判的な文章は書かない方向でいきたいなと思います。書くとしても専門的に扱える範囲の場合に限定しようと思います。

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