それもありよりのあり!( ・Д・)
カテゴリ: マヤ文明
【歴史】グアテマラ、フローレスの紹介!古代マヤ最期の王国、タヤサルの伝説( ・Д・)【文化】
「アメリカの南がメキシコでしょ? そのさらに南!」
↑(「Pinterest」の画像より転載)
タヤサルに関する西洋人の最初の記録は1525年で、エルナン・コルテスはホンジュラス遠征の途上でタヤサルを通過し、タヤサルのカネク王に歓迎されたとあります。
17世紀にはいると宣教師による布教が何度か試みられたが、成功しませんでした。
その結果、ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアはユカタン半島北部のメリダからタヤサルまでの道を建設して侵攻、1697年にタヤサルは軍事的に征服されました。
ちなみにこの時のスペイン軍はたったの108人だったのですΣ(・ω・ノ)ノ
【今更ながらの報告】年明けにティカル遺跡で発掘調査します!……ってことでこれまでの研究成果報告するよ!( ・Д・)【リアルなマヤ考古学】
楽しい報告ができればいいなと思いつつ、地味な分析を頑張りたいと思います( -д-)ノ
↑ティカル調査の拠点、フローレス島(「wikipedia」より転載)
これまでの調査報告?
先ほど、「世界初の発見だよ!」って書いてしまったので、特に他に言うことはないんですけどね( -д-)ノ
【マヤ文明】古代神殿の前で手を叩くと奇跡の反響音がする件について【考古学】
今日は文章をたくさん書いた。
こうしてブログまで書いている。えらい!( -д-)ノ
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↑チチェン・イツァ遺跡ののエル・カスティーヨ(筆者撮影)
【目次】
- 神殿の前で手を叩くと奇跡の音がする?
- 反響音について調べてみた
- 私の経験と現地で聞いた「真の歴史」(オチ)
1.神殿の前で手を叩くと奇跡の音がする?
上の写真は、メキシコ、ユカタン州に位置するチチェン・イツァ遺跡のピラミッドです。1988年に世界遺産に登録されたこの古代都市は、マヤ都市の中でも非常に大きな規模を有しています。
居住時期は古典期後期から後古典期前期にかけて、つまり西暦600年~1200年頃です。遺跡南部には居住時期前半期のマヤ的様式であるプウク様式をもつ景観が見られ、一方で遺跡北部では後半期のメキシコ的様式であるトルテカ様式をもつ景観が見られるという特徴を有しています。
このピラミッドは通称「エル・カスティーヨ」と呼ばれ、スペイン語で「城塞」を意味します。一方で、四角錘の4面全ての階段数と最上段の神殿を1段として合計することで365段になることから、「暦のピラミッド」とも呼ばれます。
さらに、階段の縁石部の最下部にはククルカン(羽毛の生えた蛇)の頭部が造形されており、春分・秋分の日の太陽が沈む時に階段の西側面に影によってククルカンの胴体が現れることで有名です。そのため「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれています。
さて、この神殿ピラミッド、実は正面で手を叩くと奇跡の反響音がするとのこと…
手を叩くとすぐに「ケトゥン、ケトゥン」と音が返ってくるのである。これがケツァールの鳴き声だと言うのです。
↑それがこれだ!
↓ケツァールという鳥 カワ(・∀・)イイ!!
ケツァールはマヤ文明の領域の内大部分を占めるグアテマラ共和国の国鳥です。お金の単位にもなっています。オスの尾羽は非常に長く美しいんです。そのため古代マヤではコンゴウインコの羽と並んでお王族やエリートの頭飾りの一部として非常に重宝されていました。
ちなみにケツァールの胸が赤いのは、グアテマラにおけるマヤ人の英雄テクン・ウマンが1524年にスペイン人のコンキスタドールであるペドロ・デ・アルバラードとの戦争にて戦死した際、ケツァールがその死を悲しむようにテクン・ウマンの死体の上を撫でるように飛んで行った時に血が付いたためと現地にて伝承が残っています。
2.反響音について調べてみた
反響(はんきょう)とは、音波が壁などに衝突しはねかえって来る現象である。いわゆるやまびこ、こだま。 音波は壁などの物体に衝突すると、その壁自体が音波と同じように振動する。その物体の振動により再び音波が発生する。これによって生じたものが反響である。物体の性質によって、反響してくる音波は変化する。(wikiより)
ということで、反響という現象はどこでも起こるんですね。音楽関係施設のように特別な対策をしていない限り、反響や残響は起こると考えて良いでしょう。
さきほどのクラップ音がケツァールの鳴き声に聞こえる現象ですが、実はあれ、チチェン・イツァ遺跡のエル・カスティーヨ以外でも起こる現象なのです。
実際にやってみたことあるので間違いないです。現地ではピラミッドの正面で手を叩くと…と言われてまして、最上段の神殿の内部に入った音が鳥の声のような反響を起こすと言われてますが、ほんとかは分かりません。
今度ピラミッドの側面や背面でも試してみますね。反響現象の説明によれば、反射する物質の性質や形状によって音が変化するそうですので、ピラミッド自体平らな壁ではないのでそれが原因のように思えます。
あんなに高いところの神殿の内部に入った音だけが鳥の声のように変化するとは思えませんしね。また多くのマヤのピラミッドは石灰岩から造られていますし、漆喰の上塗りがある場合もあります。メキシコの修復例ではセメントで固めてる場合もありますね。
そういったピラミッドの石材や表面を覆っている素材によって、あのような音に変化している可能性が高いです。
3.私の経験と現地で聞いた「真の歴史」(オチ)
さて、果たして古代マヤ人は、あのようなクラップ音が神聖なケツァール鳥の鳴き声に変化するように計画して神殿を建設したのでしょうか?
これについては分かりません。証明も難しいと思います。しかしながらきっと偶然の産物なのではないでしょうか。
私はグアテマラのティカル遺跡にて、初めてこの現象についての話を聞きました。聞いた相手はガイドさんでした。
最初は驚きました。現地のガイドさん達は最寄りの学会に参加して勉強する等、かなり熱心な人たちもいるのです。なので聞いてみました。そのような研究や発表があったのかと。
答えはこうでした。
「いや、ガイドのパフォーマンスとして数年前に~(ガイドさんの名前)が始めたんだよ。」って。
どうやら現地に残る伝承というわけでもないようです。
それでももしかしたら古代マヤ人も、神殿の前で手を叩いてこの反響音を楽しんでいたかもしれませんね。例えそれが計画的でも偶然であっても。
【マヤ文明】古代マヤで犬の飼育? 最古の痕跡の発見!【考古学】
今日は一日中働いてみた。趣味の時間も作った。
三日坊主でもいい。三日間連続でリア充でいたい。
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↑トウモロコシを咥える犬
【目次】
- 古代マヤにおける最古の犬の飼育痕跡の発見
- 古代マヤの家畜
- 古代マヤ人と動物の霊的関係
- 犬の飼育は儀礼目的?
↑セイバル遺跡の位置(Nacional Geographicより一部加工)
今回の発見は、グアテマラ共和国にあるマヤ遺跡、セイバルにおいてなされました。グアテマラ北部のペテン県に所在するセイバル遺跡は、パシオン川西岸の丘陵上に位置しています。
セイバルの語源は「セイバ(ceiba)」という「聖なる木のある場所」です。この聖なる木であるセイバの若木の幹には多数のトゲトゲがついており、古代マヤ人の儀礼目的の土器、つまり香炉などにトゲトゲの装飾が見られます。
ちなみにこのセイバの木は、成長するとトゲトゲがなくなり、高さ60m、直径6mという巨大な樹になります。古代マヤにおける世界樹なのです。
セイバル遺跡はかつてハーバード大学によって大規模な調査が実施されました。現在ではアリゾナ大学の猪俣健と茨城大学の青山和夫によって調査が実施されており、これまでに先古典期から古典期(B.C.900-A.D.900頃)に関して多くの新しい発見がなされています。日本人研究者が調査責任者であるプロジェクトの一例です。
当該遺跡では、動物の骨や歯といった動物依存体が検出されており、その分析結果から古代マヤ人による動物の交易や飼育が行われていたことが分かりました。また飼育した動物を生贄として捧げる儀礼行為が重要な役割を果たしていた可能性が指摘されました。
2.古代マヤの家畜
私たち日本人が学校で習う「世界史」では、馬や牛といった運搬や農耕に利用される大型動物の家畜化が歴史における早い段階で行われます。牛はB.C.8000頃にインド、北アフリカ等にて、馬はB.C.4000頃にユーラシアにてです。ちなみに犬はB.C.15000に東アジアやアフリカにて、羊や山羊はB.C.10000頃に南西アジアにてです。
家畜の定義は「食用」か「労働用」です。現在の愛玩用のペットは家畜ではありません。今回の発見は儀礼目的と解釈されていますので、「飼育」であり、古代マヤ人が犬を家畜化したわけではありません。
いわゆる新大陸の諸文明では家畜化はほとんど行われず、南米におけるリャマが最も有名だと思います(リャマはラクダ科で、シュッとしたアルパカみたいな動物です)。
古代マヤ文明においては、家畜化された動物として挙げられるのは七面鳥です。感謝祭で食べるターキーです(ボーリングのターキーの語源ですね、3連続ストライク出すとターキー奢ってやるぜ!的なノリだった模様)。
七面鳥の家畜化についてもいくつかの研究がありますが、証拠となる動物依存体の検出例に乏しいため、今後の調査・研究の進展に期待が高まります。
3.古代マヤ人と動物の霊的関係
古代マヤ人の思想の一つとして、「ナワル」というものがあります。天文学や暦に長けた彼らは、誕生年や誕生日によって、それぞれの人はナワルという守護霊的動物を有していると考えていました。
この守護霊的な動物によって各人の個性に影響が出ると考えるので、まぁ「マヤ版 動物占い」だと思って頂ければ、イメージとして間違ってはいないはずです。
家畜化が発達しなかったマヤ文明では、狩猟による動物性タンパク質の確保が重要でした。一般層の人々は主に豆類等の植物性タンパク質源が重要でした。
現在はスペイン植民地期を経て、馬、鶏、豚、牛が家畜化されています。しかし現地の一般の人々が普段タンパク質源として口にするのはフリーホーレス(甘くない小豆みたいなもの)と鶏肉です。
一方でジャングル近くの農村部では、現在でも狩猟によって雉や鹿、コトゥーサ(ネズミの一種でデカいモルモットみたい)、蛇、鰐、亀、アルマジロ等を食べたりもします。この辺の文化は変わっていないようにも感じます。
狩猟でジャングルを探索する際に、脅威となるのがジャガーや鰐です。特にジャガーは中米最大の肉食獣であり、王権の象徴としてジャガーの毛皮を纏った王が多くの図像として残されています。
また王墓への副葬品として、ジャガーや鰐が捧げられる事例も発見されています。他方で多彩色土器の図像として、あるいは土器の形状として、各種動物が表現・造形される例も多数あり、古代マヤ人と動物の関係は単なる「食用」ではなく、精神的な繋がりや特別な象徴性を有する重要な存在であったと解釈されています。
4.犬の飼育は儀礼目的?
↑今回の発見に関わる分析を実施したアシュリー・シャープ氏。カワ(・∀・)イイ!!
今回の動物依存体の分析では、イヌの他、ネコ科の動物(マーゲイ)や鹿が同定された。この中で犬の骨が有する炭素同位体の分析結果として、犬がトウモロコシを食べていたことが分かりました。
トウモロコシはメソアメリカにおいて古くから品種改良されてきた主食であり、犬が主にトウモロコシを食べていたことがイヌが飼育されていた根拠として提示されたのです。
同定されたイヌのいくつかは、遠隔地の山岳地帯出身であることも分かり、動物の交易が行われていた可能性が指摘されました。
また実際に犬の骨の出土量は限られており、小型のイヌを運搬や農耕といった労働に使用したとは考えにくいため、特別な儀礼の際に生贄として利用されたのではないかと解釈されています。
以前から、古代マヤでは七面鳥とイヌが家畜化ないし飼育されていた可能性がそれらの動物依存体の検出により指摘されてきました。今回の、動物の交易に関する発見は、複雑な交易・社会ネットワークを有していたと考えられる古代マヤ社会を理解する上で非常に重要な新たな視座を与えたと言えるでしょう。
【マヤ文明】マヤ文明はゾンビによって滅ぼされた!?件について【考古学】
出張が決まった。ちゃんとブログ更新できるか心配だ。
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↑月刊ムーPlusの記事の扉絵より
【目次】
- はじめに
- マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた説
- ゾンビ説の検討
- おわりに
「マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた!?」は、2018年2月18日に月刊ムーPlusにて紹介された記事である(原文は上記リンクを参照)。
本記事では、このゾンビ説の紹介を行った上で、提示された根拠等について個別に検討していく。内容が批判的検討になることをご了承願いたい。
2.マヤ文明がゾンビによって滅ぼされた説
以下は、原文を引用、ないし参考にしつつ、論理構成を明らかにして記述したものである。
①ゾンビは実在する
「ゾンビ・アポカリプス」は映画等で見られるように、ゾンビによって現代文明が滅ぼされてしまうというシナリオである。映画だけの話だと思われていたが、現在は各分野の専門家を巻き込みながらひとつの認識を端的に示すキーワードになっている。つまりゾンビは存在するというのである。
②古代におけるゾンビの事例は既に発見されている
有史以前から人間は、死せる者の復活と復ふく讐しゅうを恐れていた。ギリシア文明等の遺跡からも「ゾンビ・アポカリプス」を示す遺物が見つかっている。中でも特筆すべきはマヤ文明である。
↑人肉を食する「アステカ」の壁画(原文頁より)
③マヤ文明がゾンビによって滅んだ根拠
西暦250年から900年頃に最盛期を迎えたマヤ文明は、世界史上稀まれに見る人口密集型文明で、社会的動力に満ちていた。しかしマヤ文明は突如として人口が急激に減少し姿を消すことになってしまった。このマヤ文明崩壊の謎は、考古学最大のミステリーのひとつとされている。
一般的には急激な人口減少の理由は大干ばつと言われているが、実はマヤの都市から発掘される遺骸や遺骨に、共通する奇妙な特徴が見られる。それは数多く残された咬かみ傷と思われる痕跡である。
また関節部分に、無理やり引きちぎられたような痕跡も目立つ。こうした特徴のある遺骸が、あちこちの遺跡から掘りだされるのだ。しかも、墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。
マヤほどの文明が、死者をその場でまとめて埋葬したとは考えにくい。おそらく、そうせざるを得ない「理由」があったはずである。また、大規模な村がまるごとひとつ、数日で全滅してしまった証拠も見つかっている。干ばつで食糧の備蓄が徐々に減っていったのではない。しかもそこには、「共喰い」を連想させる凄せい惨さんな場面の証拠や、子供が親を食べたことを思わせる痕跡さえ見つけられるのだ。
④「代替考古学論」の紹介と専門的裏付け
オルターナティブ・アーケオロジーという研究分野がある。主流派科学の枠組みから離れたところで大胆な仮説を展開していく「代替考古学論」だ。この論でよくいわれるのが、マヤ文明崩壊の理由は「ゾンビ病」の蔓延だったという仮説である。
この仮説に特化してマヤ文明崩壊の謎に迫ろうとする「ゾンビ・リサーチ・ソサイエティ(ZRS)」というグループがある。その中核メンバーであるユージーン・フレデリックによれば、古代マヤ人が死体をその場に埋めざるを得なかった理由は、ウイルスに感染した人たちがそれ以上の悪影響を与えないようにするためだというのだ。
⑤その他の考古学分野からの裏付け
スペイン国立調査委員会所属の考古学者、ファン・ホセ・イバニェス博士は、シリアの石器時代の遺跡で発掘調査を行い、頭蓋骨が完全に粉砕され、胴体と切り離された遺骸を発見した。しかも埋葬後一定の時間が経過してから頭蓋骨を砕き、首と胴体を切り離した痕跡が認められる。
この発見に対する解釈として、「生ける者の世界に対する脅威は、生ける者たち自身が排除しなければならない。そのための手段として選ばれたのが、だれの目にも明らかな、一番わかりやすいアイデンティティーである顔を奪うことだったのだろう。頭を切り落とすことで、生者の世界と死者の世界の境界線を明確に示したのだ。頭を頭蓋骨ごと潰つぶし、境界線を越えられないようにした例もある」と述べている。
また「ヒストリック・ミステリーズ・ドット・コム」というウェブサイトを運営管理するキンバリー・リンによれば、「墓から甦る死者という概念は、何千年も前から存在しつづけている。世界中の文明にアンデッドに関する迷信や伝説が残っており、そういう概念が今日でも受け容れられていることには何の疑いもない」のだそうだ。
3.ゾンビ説の検討
では、順を追ってこのゾンビ説を検討していこう。
①ゾンビは存在する?
ムーの記事では、ゾンビは「映画で見られる」⇒「専門家が扱っている」⇒「だから存在する」という論理展開である。三段論法のような疑似論理であり、結論に飛躍がある。
特に根拠としているのは「専門家が扱っている」ことであり、実際に各分野で有識者がどのようにゾンビを扱っているかは記載されていない。
各専門家がゾンビという言葉を用いたとしても、「ゾンビ会社」や「ゾンビプログラム」といった用語に見られるように比喩として用いており、ゾンビそのものが存在すると結論付けている科学者はいないであろう。
医療関係でも災害対策の一環として、ウィルスの蔓延に関するシミュレーションを行う際にもゾンビという言葉は見られるが、あくまで「もしゾンビウィルス存在したら」という仮定の下であるし、それほど強力なウィルスに備える目的が半分、注目を集める目的が半分であり、やはりゾンビの存在を肯定してはいないのが通常である。
②古代におけるゾンビの事例は既に発見されている?
先に述べたように、現在の研究によってゾンビの存在を肯定し、次には突如として有史以前からゾンビの存在はあったことになっているような記述である。特別根拠は示されていない。実際、有史以前から人間は、死せる者の復活と復ふく讐しゅうを恐れていた。石器時代のシリア、ルネッサンス期のイタリア、ギリシア文明の遺跡からも、ゾンビ・アポカリプスを示し唆さするさまざまな遺物が見つかっている。中でも特筆すべきは、マヤ文明だろう(原文ママ)。
③マヤ文明がゾンビによって滅んだ根拠は?
まずは図版の引用であるが、アステカと明記されている。アステカ文明とマヤ文明は異なる言語集団に基づく文化であり、時代も異なる。この図版を引用するのは不適切である。またこの図像は人身供犠の一端を示していると解釈されている。人肉を食する各人物も生者として表現されており、死体として描かれてはおらず、ゾンビを示してはいないだろう。
マヤの都市から発掘される遺骸や遺骨に、共通する奇妙な特徴が見られるのだ。まず1点目に、私は形質人類学は専門ではないが、それでもマヤ考古学の専門として、噛痕や千切られた痕のある人骨が多数出土したという事例を知らない。また共食いや子供が親を食べたと思わせる痕跡が発見されたという事例も知らない。少なくともこのような事例があちこちの遺跡から検出されるなどということはあり得ない。それは、数多く残された咬かみ傷と思われる痕跡である。あるいは関節部分に、無理やり引きちぎられたような痕跡も目立つ。こうした特徴のある遺骸が、あちこちの遺跡から掘りだされるのだ。しかも、墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。(中略)
また、大規模な村がまるごとひとつ、数日で全滅してしまった証拠も見つかっている。干ばつで食糧の備蓄が徐々に減っていったのではない。しかもそこには、「共喰い」を連想させる凄せい惨さんな場面の証拠や、子供が親を食べたことを思わせる痕跡さえ見つけられるのだ(原文ママ)。
2点目に、古代マヤの葬制に関して、墓域は存在しない。住居基壇に埋葬し、住居を一回り大きく更新することで、床下の祖先と共に暮らすという葬制を取る。そのため「墓所でないところに」という表現が不適切である。もちろん住居床下が古代マヤにおける「墓所」と呼ぶなら間違いではないが、通常そのような表現は用いない。
仮にこの文章、つまり「墓所ではないところに多くの人骨が集められ、埋められていることが多い。」を認めるとするならば、これは古代マヤの話ではなく、近現代史の内容であろう。1930年代から90年代後半までグアテマラでは内戦状態であり、現代マヤ人を中心として推定で20万人に及ぶ人々が虐殺された。
この虐殺された遺体は墓所(教会墓地)ではなく、廃棄されるかの如くまとめて埋められたということが近年分かってきた。この近現代における虐殺の事実を明らかにし、遺体を遺族に返還することを目的とした考古学調査も行われている。原文の文章は恐らくはこのことを指しており、時間的も歴史的にも無関係の内容を根拠に用いていると考えられる。
④「代替考古学論」の紹介と専門的裏付け?
「主流派科学の枠組みから離れたところで・・・」という表現は、このゾンビ仮説を展開する「代替考古学論」が、「主流派ではないが科学」というように述べているように感じる。オルターナティブ・アーケオロジーという研究分野がある。主流派科学の枠組みから離れたところで大胆な仮説を展開していく「代替考古学論」だ。この論でよくいわれるのが、マヤ文明崩壊の理由は「ゾンビ病」の蔓まん延だったという仮説である。
ゾンビ病――正確にいえば、ゾンビ・ウイルスということになるだろうか――の蔓延。主流派科学の中ではなかなか出にくい発想であることは間違いない(原文ママ)。
マヤ学会において、未だ定説とはなっていないテーマで、議論が分かれる場合があり、その内一方が現在は主流である、有力であるといった状態はあり得る。しかしもし彼らの業績が真に科学なのであれば、学会で発表して我々「主流派科学の連中」を納得させればいい話だと思う。
ちなみに国内外のマヤ学に関する学会誌等において、考古学やその他の分野を含めてゾンビに関する論文はこれまで一度も見たことがない。もし私が不勉強なだけで存在するなら紹介して欲しい(但し一般紙や査読なし論文は認めないが、読む分には面白そうなのでそれでもやはり紹介して欲しい。比喩表現として用いている場合は不可である)。
このグループが実際にどうのような組織なのか不明である。「組織名称と人物名を具体的に出す」とあたかも有識者が言及しているような「如何にも感」が出るだけではないだろうか。こうした可能性に特化して、マヤ文明崩壊の謎に迫ろうとする「ゾンビ・リサーチ・ソサイエティ(ZRS)」というグループがある。その中核メンバーであるユージーン・フレデリックは、次のように語っている(原文ママ)。
⑤その他の考古学分野からの裏付け
ここではスタッツ博士とイバニェス博士の解釈が引用されている。引用元が示されていないため、各原文に当たることができなかったが、恐らく引用の仕方が間違っているのではなかろうか。博士はシリアの石器時代の遺跡で発掘調査を行い、奇妙な状態の遺骸を大量に発見した。頭蓋骨が完全に粉砕され、胴体と切り離された遺骸である。しかも、埋葬後一定の時間が経過してから頭蓋骨を砕き、首と胴体を切り離した痕跡が認められる。
そこでスタッツ博士は、次のような解釈を提示した。
「生ける者の世界に対する脅威は、生ける者たち自身が排除しなければならない。そのための手段として選ばれたのが、だれの目にも明らかな、一番わかりやすいアイデンティティーである顔を奪うことだったのだろう。
頭を切り落とすことで、生者の世界と死者の世界の境界線を明確に示したのだ。頭を頭蓋骨ごと潰つぶし、境界線を越えられないようにした例もある」(原文ママ)
上記引用文はイバニェス博士の解釈であるが、これはシリアの石器時代における葬制と再葬の事例について述べている。
アニミズム等の初期の信仰にも、説明原理としての性格が認められ、生と死の区別は古代から現在に至るまで重要な関心ごとである。死そのものや死者に対する恐怖を取り除く他に様々な目的で、一度埋葬した遺体を「再び埋葬する(再葬)」という行為がしばしば行われることが確認されている。
現代日本では火葬のため、あまり馴染みが薄い。イメージとしては、火葬後に遺骨を自宅で(一時的に)保管し、四十九日の法要後に納骨の儀を行うという行為であり、保管場所を変えるという意味では現代日本における再葬の一形態と言えるかも知れない。
ちなみに古代マヤでは再葬の習慣があり、再葬の際に、場所を変更する、副葬品を追加する、遺骨の一部を取り出す、朱をかける等といった様々な儀礼的な行為が加えられた例が分かっている。
このような葬送儀礼の過程において、遺骨の一部を故意に取り出したり、破壊する行為は、儀礼的行為と解釈されており、ゾンビ対策とは考えられていない。そもそもゾンビ対策なら、最初に埋める前に頭部の切断や破壊が必要であろう。
つまりイバニェス氏の解釈の引用文は特定の人類の葬制や死生観、宗教観について言及しているのであって、人類がかつてゾンビと戦ったことには触れていないだろう。
この引用に関しては、1点目に、そもそもゾンビが実在した証拠を求める考古学者がいるのか?ということである。私はいないと思う。いたとしても自称考古学者であろう。『ザ・ゾンビ・サバイバル・ガイド』(2003年)、および『ザ・ゾンビ・サバイバル・ガイド:レコーデッド・アタックス』(2009年)の著者マックス・ブルックスは、考古学関連の専門誌のインタビューに対し、次のように語っている。
「ゾンビが実在した証拠を求める考古学者が捜すべきものは、頭をはねられた死体、あるいは脳みそが取り除かれた形跡がある頭蓋骨である。リビング・デッドを止めるには、このふたつしかないからだ」(原文ママ)
もちろん古代においてゾンビが比喩的に使われた可能性はある。人類学者がハイチ島で観察したように、フラフラと歩く知的障害者をゾンビと見間違える事例のように、古代にも何かしらの勘違いは起こり得る。感染症のような死を振り撒く死にかけた人間がゾンビに見えたかも知れない(そもそもゾンビという概念が古代にはないであろうが)。しかしそのような個人的な現象は考古記録として残らないのが通常である。
仮に、上記引用のように、頭をはねられた死体あるいは脳みそが取り除かれた痕跡のある頭蓋骨が出土したとして(実際多数の例がある)、どのようにゾンビと結びつけることが可能だろうか。何故ゾンビにこだわるのか、何故他のより普遍的な可能性を無視するのか不明である。
つまりあくまでゾンビ説ありきで、ゾンビ説を支持するための都合の良い根拠を、世界中のありとあらゆる時間軸から集めてきたに他ならない。例えば、中世においてギロチンで首を刎ねられた遺体もゾンビだったからとでも言うのであろうか。
4.おわりに
さて、これまでの記事とは異なり、上記文章はですます調ではなく、である調で書きました。批判的文章となるのでしっかりと書きたいなと思ったからです。
実際書いてみて感じたのは、世の中、ツッコミどころ満載の記事は多々あれど、批判的な文章を書くというのはあまり気持ちの良いものではないですね。
そして、オカルト的な内容は、考古学が重要視する時間的・空間的枠組みを無視して、様々な話に飛ぶので全部を専門的に批判することは困難だなと感じました。
今後はいつも通り、考古学・歴史・マヤ文明に関係する記事の紹介に留めて、批判的な文章は書かない方向でいきたいなと思います。書くとしても専門的に扱える範囲の場合に限定しようと思います。
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