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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

カテゴリ: ホラー

2019ねん 6がつ 20にち(もくよーび、激しく雨)

太ももが激しい筋肉痛である

筋トレし過ぎた( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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↑本殿周辺はまだ明るく、普通の神社に見える(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『道南、豊浦町にある住吉神社に行ったら、御朱印の代わりに朝から肝試し体験を頂いたよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑨」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


さて、またまた久しぶりに神社に参拝してきた管理人です( -д-)ノ

今回も資料調査の際に参拝してきました。

見込みが甘過ぎた結果、資料調査はあと2か月以上続きそうなので、今後は調査地に着くまでに見かけた神社に参拝していこうかなと考えています。

では恒例の基本データから紹介しますね。


【住吉神社】
住所:北海道虻田郡豊浦町礼文華
Tel:???
駐車場:なし

祭神:
???

創設:???

宵宮祭:6月29日(推測)
例祭:6月30日(推測)


ということでほとんど情報が得られませんでした。

2013年~2015年まではお祭りの情報も散見されましたが、最新情報はありません。

町おこしイベントで2015年の正月までは活用されていたようですね( -д-)ノ

御朱印を頂けなかったこともあり、今回はいつもとは異なる形式で記述していきます。

つまり私が実際に参拝し、撮影した順に従って紹介していきたいと思います。


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住吉神社の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の入り口の鳥居の柱(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の入り口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【住吉神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年
②素材:金属+コンクリ製(ドラム缶タイプ)
③高さ:約4.7m
④直径:30cm
⑤角度:斜め(斜度4°~8°)
⑥下部構造:円形台座(22cm)


まず住吉神社の入り口にはドラム缶タイプの鳥居が1基ありました。

これまでに見た鳥居よりも柱の斜度が強いなという印象でした。

計測してみると左右でかなりバランスが異なるので大丈夫なのかなと心配になってしまいました( -д-)ノ

この鳥居は札幌市の神社でよく見かけた「ドラム缶タイプ」の鳥居ですが、表面を覆うために使われている金属板が非常に薄かったです。

建立年の手がかりになる情報は一切ありませんでしたが、金属の劣化具合から察するにそう古い物ではないようです。


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↑けっこうな高さの石段(「歩け、マヤ」管理人撮影)



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↑植物が繁茂している(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑石段中腹部でもかなりの高さです(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑下からはファインダーに収まらないため上から撮りました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の2番目鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


最初の入り口の鳥居を抜けて少し進むと石段が見えてきました。

中腹部に次の鳥居が見えているのですが、かなりの高さにありました。

住吉神社は漁の盛んな沿岸部に所在するため、入り口の鳥居周辺では独特の「潮の香」が強かったです。

しかし石段は植物が繁茂して鬱蒼としているので、上り始めるとすぐに「山の匂い」に変わりました。

ほんとに虫と草でいっぱいな石段でした(/TДT)/


【住吉神社 / 石段中腹部の鳥居】
①建立:???年
②素材:金属+コンクリ製(ドラム缶タイプ)
③高さ:約3.37m
④直径:24cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:方形台座(13cm)


石段の中腹部にある鳥居もドラム缶タイプでした。

ただこちらはやや小型であり、支柱の角度が垂直のものでした。

こちらの金属板も薄いものでしたが、入り口の鳥居よりは厚かったです。

厚みまでは計測していませんが札幌市の神社でこれまでに見てきたドラム缶タイプに近いかなという印象です。

そしてやはり建立年に関する情報はなかったです。

緑青(?)のような着色は見られましたが、これだけ多量の植物に近接していて、常時水分にさらされている割には大きな劣化は見られないため、この鳥居も比較的新しいものかと思います。

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↑ようやく頂上が見えてきました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿まであと少し(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑破損した御手洗の石彫(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の狛犬様(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿に到着(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


数えていませんが石段はかなりの段数がありました。

石段は下部・中腹部に・上部で様子が異なり、中腹部の石段だけが角が丸く削れていて危険でした。

上るにはさして問題はありませんでしたが、やはり植物の関係で濡れていて滑るため、降りる際が非常に危険でしたヽ(TдT)ノ

ですので、もし住吉神社に行く際は足元にご注意ください。

社殿は非常に真新しく綺麗でした。

社務所はなく、御朱印はいただけませんでした。

本殿の手前部分以外は多量の植物に覆われていました。

本殿の前方部だけは日が差し込んでいるので明るく、雰囲気が良かったです。

御手洗の石彫は破損していました。

写真を撮ろうとすると何故か「バーコードを読み取りました」って表示されて「!???」ってなりましたね(TДT)

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↑狛犬様と奉納の日付……奉納者の名前が削り取られている?(´?д?;`)(「歩け、マヤ」管理人撮影


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↑分かりますかね、本殿の右手はいきなり真っ暗になるのですヽ(TдT)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑立派な樹木がた~くさんありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑スーツパンツじゃなきゃ問題ないのに( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿の真後ろに隠れるようにあったお社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、社務所がないので御朱印を頂けず、建立年情報もないので帰ろうかなと思っていたら、奥に建物が見えるんですよね。

資料調査の関係でそれなりにびしっとした服装&革靴だったので辛かったですが、周辺を散策してみました。

すると本殿裏手にひっそりと赤いお社があるのを発見しました。

小さなお社ですが、まさに「畏怖」と言いますか、神々しさと共にちょっと何だか怖いなと感じました。


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↑奥に建物が続く……(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑3基目の鳥居①(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑3基目の鳥居②(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑2つ目の社殿の裏手に石碑がありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑石碑の横には廃棄された石材がありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


奥に鳥居が見えたので、行かないわけにはいかず、頑張って突き進んでみました( -д-)ノ


【住吉神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年
②素材:木製
③高さ:約4.5m
④直径:19cm程度
⑤角度:垂直(?)
⑥下部構造:なし


2つ目の社殿には「金比羅大権現」とありました。

木製の鳥居は珍しいですね。

「貫(ぬき)*」の部分は方形に整形された木材ですが、その他の部分は丸太の状態で使用しています。

よく腐敗しないな、と感心してしまいました。

新しい感じもしないんですけどね( -д-)ノ


↓*鳥居の構造、部位名称については以下を参照

何故か、ここの神社ではお社や石碑が社殿の真裏に位置していて、正面からは見えないようになっています。

これまで他の神社を参拝した際には気付きませんでしたが、そういう配置もあるということで今後は気にしてみようと思います(。・ω・)ノ゙


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奥にまだ建造物が続く……(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑3つ目の社殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑3つ目の社殿の右手奥に青いお社と別の建造物(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑植物に埋もれた青いお社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑トイレがありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


更に奥には青いお社がありました。

鳥居とか赤色が使われているのはよく目にしますが、青色はちょっと珍しいなと思います。

私、怖いのダメなんで、この時にはもう帰りたいなと思っていましたヽ(TдT)ノ

青いお社の奥にはまた別の建物が見えましたが、ぱっと見で使われていなさそうな雰囲気だったので、近づくのをやめました(/TДT)/

青いお社から斜面を少し降りると別の小型の建造物があったので、確認してみたらトイレでした。

新しく見えますが、電気は通っていませんでした。

ちなみにこの記事の最後に、トイレのドアを開けてみた動画を載せておきました。

見渡す限り山だし、木と草と普段使われていない建物しかなく、鳥の声が響くだけなので何か怖くなり、全ての社殿とお社の前で手を合わせて帰ってきました。

資料調査の無事もお祈りしてみました。

結果、この後すぐの暇つぶしの河川調査で川に落ちました(ρ゚∩゚) グスン


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↑綺麗に撮れた!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑帰り道、清々しい頂上からの眺め(「歩け、マヤ」管理人撮影)



↑これで私もユーチューバー……ば~っ!!!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真にあるように、本殿の傍にある樹にはおみくじが縛り付けられていました。

一人っきりで植物をかき分けて歩いていたのでなんだか怖かったですけども、おみくじはけっこう新しいものに見えますので、きっとお正月やお祭りといった行事の際には整備されるのかなと思います。

最後に挙げたのは境内の様子を撮影した動画です。

面白味はないかも知れませんが、短い動画ですので良かったら雰囲気を感じてみてくださいヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

(チャンネル登録も是非してね!(*^・ェ・)ノ)

ということで今回はイレギュラーでしたが、次回辺りそろそろ鳥居のデータを一度整理してみて、紹介したいと思います(*・ω・)ノ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

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2018ねん 5がつ 18にち(きんよーび、曇り)

私、実はホラーだめです( -д-)ノ

特に日本のホラーだめです。

だって幽霊強いんだものヽ(TдT)ノ

不条理に殺されるもの。

……シリキウトゥンドゥは好きです。

なんだか可愛いしカワ(・∀・)イイ!!

そもそもTDR好きだしね!

・・・・・・・・・・・・
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↑羨道から見た玄室。この先は黄泉の世界なのです(Wikimedia Commonsより一部加工)。

【目次】
  1. 考古学に関するホラーを見つけたよ!
  2. 考古学の常識?「コトドワタシ考」と古事記と石室と
  3. おわりに


1.考古学に関するホラーを見つけたよ!

考古学って漫画、アニメ、映画、ゲームと色々な場面でちょこちょこっと登場してくるものですが、「都市伝説」とか「怖い話」だとほとんどないんですよ。


まぁ以前に、【いにしえの呪い】国宝展示ケースから有害ガス!&ツタンカーメンの呪いとマヤの呪い【文化遺産保護】っていう記事を扱いましたけども、呪い系くらいですよね。しかもここで挙げてるような実例のあるやつです。


今回紹介するのは、日本の古墳のお話です。まぁとりあえず見てみましょうよ!


↑こっちは朗読です!+怖い音+背景は何故かエジプトのヒエログリフのまま!


↓こっちは文章です!+怖い音+背景画像がそれっぽいのに変わります!



私のように怖いのはダメな方ように、文章だけ提示しておきますね。音とかないだけ幾分マシです( ・Д・)

自分は某都内の大学で古代史を専攻している者です。
専攻は古代史ですが、考古学も学んでいるので発掘調査にも参加しています。
発掘調査なんてものは場合によっては墓荒らしと大差ないんです。
故に色々と出てきます。

誰だって自分の墓を荒らされたい人なんていないと思います。
古代人も同じなんですかね・・・。
今から書き込ませてもらうのはそんな自分が体験した古墳発掘調査の時のお話です。
まあ、ほんの一例ですが。


それは長野県の某古墳群の一つF11号墳の発掘をしていた時の事です。
ギラギラと照らす太陽の下、ずっと移植ゴテ(簡単にいえばスコップ)を使って穴を掘る。
相当気が滅入ってくる作業ではあるが古墳を掘れるのは滅多にない。
皆気合いが入っていた。
しかし手違いというものは必ず起るものだ。

普通、古墳を掘る時はお祓いをしてから古墳を掘るのが大学の風習であった。
去年は同じ古墳の測量調査をしたのだが、その時も近所の神社の神主さんにお祓いを依頼したのを覚えている。
だが、今回はお祓いをしていなかったのだ。

そこら辺は大学の校風もありしっかりしていたのだが、今回はなぜか皆頭からすっきりと欠落していた。
この時点からいろいろおかしかったのかもしれない。
皆、もう発掘の始まってしまっているし今更お祓いをするのも締まりが悪いという事で、この件には触れないようにしている。
自分はその時どうも気持ちが悪かったのを覚えている。
だけど教授の手前、下っ端の自分は黙って指示に従っていた。

発掘現場は順調に進み、少し余裕が出てきたので周辺遺跡を少し見てみようという事になった。
長野県には弘法山古墳や森将軍塚古墳等、考古学的に重要な遺跡が多い。
皆、発掘の一息には丁度良いという事で何班かに分かれて二代わりで行く事になった。

数日経ち、自分の班が行く日になる。
その日も猛烈な暑い日だった。

うだるような日の中、遺跡に向かい車は走っていく。
今から行く○○古墳群という場所は、積み石でつくられた古墳が二百以上も群集しているという特徴的な遺跡だ。
これは自分たちの大学とは違う大学が発掘しており、某大御所研究者が死ぬ直前まで発掘をしていたらしい。
自分もまだ行った事がなく結構楽しみにしていたので少々興奮気味だったのを覚えている。

山間の谷沿いに数えきれないほどの古墳がある。
まるで自分たちが眠る場所を守るかのように谷間を埋め尽くしている。

自分たち以外には見学者は一人もいなかった。
暑い中、鬱蒼とした木々の中を五人ほどで歩いていく。
静かな森の中、自分たちの足音しかしない。
ザクザク、ザクザク、そんな音が谷間に反響している。
今から思えば異様な光景だと思う。

この○○古墳群は保存状態がとても良く石室も羨道も完璧に残っている古墳も多い。
その石室の一つに入り、ライターで回りを照らす。
石室の中は涼しく、真っ暗だ。
光を照らさなければ何も見えない。
今回はライトを持っていなかったのでライターで代用した。
火に照らされた石室は妖艶に揺らめき、この世のものとは思えない。
ゾッとした感覚に押され、石室内から出た。

そして石室内でとった写真を確認したら目を疑った。
その写真には石室内の全景が撮れていた。
ただ、その中央、床当たりから無数の腕が天井に向かって伸びている。
しかもまるで石室内から出ようとしているかのように。

それだけにとどまらず、その無数の手のスキマから女性らしき顔がこちらを俯き加減に見ている。
その表情は石室の外の光ある世界をじっと見つめるかのような表情だった。

無論、皆にもその写真を見せた。
皆怖がるのだが、○○古墳群の奥に行く足を止める人はいない。
これが学者、学者の卵の性なのかもしれない・・・。

でも、恐いものは恐い。
不安を消すかのようにしゃべりながら歩いていった。

ふっと右側かを見ると発掘仲間の女の子が真っ青な顔をしている。

「どうしたの」

そう呼びかけてみると彼女は俯き加減でぽつぽつとしゃべりだした。

「さっきから女の人が木々の間から見えるんだけど、あと右足がとても重い。さっきの写真のせいかな」と、泣きそうな声でこちらにいってくるのだ。

冗談じゃない。
女性なんていないし谷間には自分たちしかいない。
人っ子一人いないのだ。

でも最後まで古墳の見学を終えてきた道を引き返す事となった。
皆、ある種の強迫観念にかられて途中で引き返す事が出来なかったのだ。
その途中、先輩が「さっき写真とった古墳、もう一度確認してみよう」と言い出した。

自分も興味があったので探すの手伝ったのだが一向に見つからない。
まるで元々そこに存在しなかったかのように姿を消していたのだ。
もう、訳がわからなくなってきた。

さて、後日談なのだが、発掘後の打ち上げの時、その写真を肴に皆で酒を飲飲んでいた。
無論、他の班の人も一緒だ。

さんざん盛り上がって、さて片付けに入ったのだがその瞬間、テレビの電源が勝手に入った。
皆、タイマー機能のせいだろうと部屋を出て寝始めたが自分だけは知っている。
そのテレビにはタイマー機能はついていないという事を・・・。

この事をお世話になった古代史の修士の先輩に話した事がある。
眼鏡のよく似合う先輩だ。
いつも修士さんと自分は呼んでいる。

その人はさも当然そうにこういった。

「君、そんな事当たり前じゃないか。」

あまりにもあっさりとした答えだ。

自分はたまらず「だって、こんなにもハッキリ写っているんですよ。驚かないんですか?」

少々受けると思って話したのにこの反応ではつまらなかった。

「君はまだ考古学の知識がしっかりと入っていないみたいだね。そんなんじゃ学者にゃなれんよ」

そんな風に言い始めた。
これには少しカチンときて「意味分からないですよ」とムキになって返す。

「『ことどわたし考』」

そう、修士さんはぽつりと漏らした。

ハッとした。
自分が少し恥ずかしくなってきたのを覚えている。
こんな事を忘れるなんて。
いや考えるのが恐かったから自分も皆も口に出したり、考えたりするのを無意識に止めていたのかもしれない。

「気づいたようだね。考古学関係者なら『ことどわたし考』を知らなきゃモグリってくらい有名な論文だ。その中で古代人が古墳の石室内を黄泉の国と捉えていたという可能性が述べられている。この論文の骨子はこの事ではないけど、僕的にはこの論は賛成だよ。君も石室の中に入ったのならば感じた筈だよ。石室内は人の世界ではないとさ」そういってコーヒーをすする。

僕の背には冷や汗がタラタラと流れ始めていた。

「加えてイザナギ、イザナミの黄泉の世界の神話だ。記紀に記されているこの神話もこの話に説得力を持たせる。イザナギはイザナミを閉じ込めるために岩で黄泉の世界に続く道を閉じるが、石室に入るための羨道も閉塞石という岩で塞がれている場合が多い。また古墳内で食べ物を死者に捧げるなどの祭祀も行われていたようだ。これは黄泉戸契に通じるところがある」

ここで修士さんはまたコーヒーを一口のみこう続けた。

「話をまとめるとさ。古代人は石室に続く羨道は黄泉に続く道、石室内は黄泉の世界。本来、人が立ち入るべき世界じゃないんだよ。神話にもあるように死者は生者が羨ましくて仕方ないんだよ。だからイザナギを執拗に追いかけ回したんだ。だからこの写真でも、こんなにも手を伸ばして、こんなにも羨ましそうにしている。千五百年以上もご苦労な事だね。でもまあ、僕らは学者志望だ。こんなもん無視すればいい」

そして最後に自分の顔をじっと見つめてしゃべりだす。

「この世の世界じゃない風景が撮れるなんて面白いじゃないか。黄泉の世界はどうだった。帰って来れて良かったね。あの手は確実に引っ張り込もうとしているよ」と、笑って修士さんは研究室の方に歩いていった。(「何これ……怖い」さんの「古墳の発掘現場にて…」より転載)

さて、どうでしたか? ……私はもうお墓を掘らないことにしました!あとお守りとかお祓い大事!でも古代マヤの霊魂にキリスト教の祈りなんて、歴史的に火に油な気がしますけどね!( ・Д・)



2.考古学の常識?「コトドワタシ考」と古事記と石室と

さて、ここで終わってしまっては「歩け、マヤ」らしくないので続けますよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


この怪談で気になる部分、それは……「考古学関係者なら『ことどわたし考』を知らなきゃモグリってくらい有名な論文だ。」


だそうです。ちなみに何のことかと言いますと、


  • 白石太一郎 1975「ことどわたし考-横穴式石室の埋葬儀礼をめぐって-」『橿原考古学
    研究所論集』創立35周年記念、吉川弘文館。

これです。確かに有名な論文ですね、、、古墳研究に関してはね。でも考古学関係者って、旧石器、縄文やってる人もいれば、戦国時代とか新しい時期扱ってる人もいるし、私のような海外考古もいるしと考えれば、知らなくても仕方ないような気もします。


大学の所在や教授の専門、同期・先輩の研究テーマといった学びの環境にも左右されるでしょう。


さて、「ことどわたし」とは何かと言いますと、古事記における「イザナギとイザナミの絶縁」のことです。ネット情報だと「離婚」とも書かれていますが適切ではないでしょう。


(古事記によれば)イザナミノミコトは最後に火神を生み,そのため女神は陰部を焼かれ黄泉国に下る。女神を追いイザナギノミコトはその国におもむくが,あさましい腐乱した死体をのぞき見たため恐れ逃げ帰る。これに恥じた女神はヨモツシコメに跡を追わせるが,男神は黄泉比良坂 (よもつひらさか) を「千引の岩」でふさぎ,女神に絶縁を言い渡す。(ブリタニカ国際大百科事典より引用)

ちなみに漢字で書くと 伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)になります。イザナミが最後に産んだのは火の神カグツチですね、なので焼け死んでしまいます。


そしてイザナミは黄泉戸喫(よもつへぐい;黄泉の国(あの世)の食べ物を食べること)をしてしまうために、イザナギと共に現世に帰ることができなくなってしまいます。


怪談の中でも出てくるように、白石が考えたのは、玄室が黄泉の国で、羨道(えんどう;慣習的にせんどうとも読む)が現世と黄泉の国をつなぐ黄泉比良坂であり、現世と繋がる箇所、つまり入り口を巨石(千引の岩に相当)で塞ぐ構造であるという、古墳の横穴式石室の構造と古事記の記述との関係性なのです。

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↑横穴式石室の構造(「いそべ会計」さんより転載)


イメージ的にはこの図がぴったりかと思います。何故、税理士法人のホームページに前方後円墳の紹介がなされているのかは謎ですけども!Σ(・ω・ノ)ノ


  • 寺前直人 2012 「横穴式石室導入前後の古墳における土器組成」『駒沢史学』77号 pp.1-24. 駿台史学会

以下、この寺前を論文の記述から「孫引いて」まとめます(寺前2012:5)。


亀田博という別の研究者は、「棺内に土器を入れることこそ、「黄泉国」における生前と同様の生活を期待する思想の反映であった」(亀田1977:79)と解釈しています。まぁ古代マヤもそうですし、エジプトとか多くの古代文明で見られる解釈方法ですね。


これに対して最初の「ことどわたし考」の白石は、、石室内や墓壙内の土器は坏類のほかに器台、壺、𤭯がみられバラエティーに富むことから、「死者の石室内あるいは土壙内への搬入に際して行われた儀礼」の反映であり、この儀礼の内容には死者に黄泉国の食物を給する「黄泉戸喫」的な儀礼も含まれていたと考えています(白石1975:362-363)。


つまり白石にとって横穴式石室の構造と古事記の類似性の指摘は、「黄泉戸喫(よもつへぐい)」を通して、副葬された土器の使用方法、儀礼内容について推定・言及するための論理的布石だったのですね!



3.おわりに

まず、考古学に関する怪談が非常に少ないのはどれも似たようなものになってしまうからかな~と思います。もう少しバリエーションあってもいいのにな~と期待してしまいます。怖いのダメだけど(((( ;゚д゚)))


あと「ことどわたし考」は知りませんでした。私モグリです、はいヽ(TдT)ノ(言い訳すると内容は知ってました( -д-)ノ)しかも最後、孫引きして楽したので、研究者にあるまじき行為ですね。ブログなので許してください。今度原典に当たったら、追記・修正しますので( -д-)ノ


それはそうと最後に「古事記project」を紹介します(ツイッター;@kojiki_project)!

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↑かわいいイザナミ(ツイッターより転載、クリックで公式ページに飛びますよ!)


やっぱ可愛いは正義ですね!カワ(・∀・)イイ!! こういう考古学・歴史に関する作品と作者様を私は応援します!……イザナミ様、黄泉の国には是非行かないでください!行っても何も食べちゃダメ!(・ε・)ムー


↓あぁ、そうですね、ハイ、押してください( ´_ゝ`)↓


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