2019ねん 6がつ 13にち(もくよーび、ちょい雨)

明日は3週間ぶりの資料調査。

資料調査に1ヶ月なら短いなと感じていた頃が懐かしい。

今では最大でも月に2日、計12時間程度しか資料を見れないのだから( ・Д・)


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arukemaya391


今回の考古学・歴史ニュースは、「京都の遺跡で14世紀の居館と巨大な堀が発見されたよ!」というお話です(*・ω・)ノ


発見の舞台は犬飼遺跡で、京都府の亀岡市曽我部町犬飼に所在しています。


上に挙げた写真で分かるように、かなり大きな範囲が調査されています。


それもそのはず、国営農地の整備を目的として約1400㎡もの範囲を調査したのですΣ(・ω・ノ)ノ


発見されたものは大きく3つです。


  1. 居館
  2. 各種遺物


それでは、ひとつずつ見ていきましょう(。・ω・)ノ゙




1.堀で区画された方形居館


まず検出された居館は「方形居館」と呼ばれるもので、中世の時代に武士や有力者が居住したと考えられる建造物です。


出土遺物から帰属時期は13世紀後半~14世紀前半と推定されています。


つまり鎌倉時代の終わり頃から室町時代の前半期、南北朝時代の頃のものと考えられます。


方形居館が立地する敷地の周囲は堀で囲まれており、その堀によって敷地は明瞭に2つに区画されています。


大きな区画は約500㎡、小さな区画は約350㎡のサイズだそうです。


この2つの区画内からそれぞれ1棟ずつの建造物が検出されました。


検出された柱の跡(柱穴遺構)から、大きい区画に存在した大きな建造物は居住用の板張りの建物(母屋)であったと考えられます。


一方で小さい区画に存在したより小さな建物は太い柱が使用されており、用途の異なる建物であったと推定されています。


下に挙げる写真のように、柱穴の保存状態は極めて良好であり、希少な発見と言えます。



2.近畿最大級の巨大な堀


さて、堀は全部で3本確認されました。


最大幅が約8m、深さ約2mのV字形で、当該時期としては最大級の規模です。


当時、この堀には1m程度の深さで水が張られていた跡も確認されました。


検出された3本の堀の内、2本はL字型のもので、前述の大小2棟の建造物を囲んでいたものです。

区画している堀の内、大きい堀は南北27m、東西約30mで、小さい堀は南北27m、東西約20mの規模でした。

当該時期は鎌倉幕府の力が弱まる一方、楠木正成ら地方の武士が力をつけ始めた時代でもあります。

また犬飼遺跡の東約7kmには、室町幕府・初代将軍の足利尊氏(1305~1358年)が、鎌倉幕府を倒すため挙兵した篠村八幡宮があるそうです。

よってこの方形居館の帰属時期は南北朝時代への移行期に当たること、最大級の巨大な堀は戦乱に備えた防御用だったと考えられます。




3.様々な遺物、当時の高級品が出土した!


堀の中からは多数の遺物が出土しました。


詳しいことは分かりませんが、堀が埋まらない程度に簡易のゴミ捨て場としても機能していたのかも知れませんね。


堀埋まっちゃうからダメ!って言われても楽して近場に捨てたくなるのが昔も今も人の心でしょうかΣ(・ω・ノ)ノ


この堀の中からは口径12~13cm程度の瓦器椀(がきわん)やわらじといった日常品が多く出土しました。


更には漆器や中国製の白磁や緑釉(りょくゆう)陶器といった高級品も出土しました。


このように中国産の天目茶碗を始めとする高級品が出土したことから、犬飼遺跡で検出されたこの方形居館は中世の武士などの有力者の住まいであったと推定されています。



arukemaya397


4.犬飼遺跡と方形居館の歴史的位置付け

今回の事例のように、堀と建物の遺構が両者共に良好な状態で検出されることは珍しいことです。

特に方形居館内部の全体構造が分かる点で重要な意義を有しています。

また丹波と摂津を結ぶ交通の要所に地元の有力者が居館を構えていたが、堀の規模と建造物の造りから、当該時期が動乱期であったことを具体的に示す事例となるでしょう。

当時の時代背景から、有力な武将が一時的に設けた陣の可能性もあるようです。

方形居館遺構の居住者が、足利方か南朝方、鎌倉幕府なのかも含めて、課題は多いですが成果が楽しみな調査研究ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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