カテゴリ: 未来予測
【私の頭の中①】考古学で人類滅亡を予測&回避!?やりたいこと伝えておくと100人に1人は支えてくれるらしいよ!( ・Д・)【考古学】
いつものニュースや企画ものと違って、ただただ私の考えを書き連ねる予定でおります( -д-)ノ
内容はちょっとぶっ飛んでます( ・Д・)
あと記事も複数にまたがる可能性が多分にあります。
が、しばしお付き合い下さい(*_ _)ペコリ
役に立つ学問として人文科学をけん引するよ!( ・Д・)
所謂、人文科学って役に立たないとかよく言われるじゃないですか?ヽ(TдT)ノ
昔話をすると、
私が博士課程の頃、「科学って何だろう?」、「考古学は科学か?」、「どうしたら考古学は科学と認められるだろう?」、「考古学はどうしたら社会の役に立つのだろう?」なんて思い悩んで、眠れぬ日々を過ごしておりました。
そんな折、たまたま入った飲み屋さんで、カウンターに座ったわけですが、
隣の50代くらいの会社員のおじさんに、
「あんたらみたいな賢い博士がしっかりしないから、日本はこんなんなんだ。俺は何もできないが、あんたたちはしっかりしないといけない」
と言われました。
まぁ頑張りますわと思っていたら、
反対隣りに今度はお医者さんがやってきて、お酒が進んだ先ほどのおじさんは私を挟んでお医者さんと喧嘩を始めました。
「医者がしっかりしないから、大切な人が死んでいって、この世の中は悪くなる一方だ」
そんなことを述べていました。
私は挟まれて喧嘩されてるもの辛いので、「まぁまぁ落ち着いて楽しく飲みましょう」と言ったら、
そのおじさんに、
「お前のような人の命も救えないようなやつに喋る資格はない!」
と言われ、
どうやったら考古学が社会の役に立つ学問となるかと本気で悩んでいた私には、あまりに辛辣な言葉で、ガチで泣きました(笑)(ρ゚∩゚) グスン
そこからですね、考古学を、歴史学を、ひいては人文科学を社会に役立つ学問として認めさせることが私の目標になりました。
人類を守る考古学( ・Д・)
役に立つかどうかって何だろうって考えた挙句、
現代社会と学問との乖離が、一般の方々に「学問は役に立たない」というイメージを与えているのかなと思うに至りました。
難しい言葉を並べて、論理的に、学問がいかに重要かを説くこともできるでしょうが、それだと大衆には響かないのです。
なので、誰にでも分かりやすく、考古学が役に立つと高らかに宣言する方法として、「未来を予測する」ことにしたのです。
だから、「考古学って何の役に立つの?」って聞かれたら、今ならこう応えます。
「人類を滅亡から守ってます( ・Д・)」
考古学で未来を予測することは可能か?( ・Д・)
古代中国では「歴史」はとても大事な物でした。
過去の王朝や王様がどういう時にどのような決定を下した結果、良くない事態に至った。
なんていうように、二の舞にならないように過去の事例を参考にしていたのです。
歴史研究だって昔は、「人類の規則性」を求めていた時期があります。
でも今ではどうでしょう?
怪しい研究(?)はありますが、基本的には個別的な事例研究になっている気がします。
何故そうなったのでしょう?
長い研究の中で、「人類には法則性などない」と思えるほど上手くいかず、何度も打ちのめされて、諦めたのでしょう。
昔は「歴史は繰り返す」なんて言ってたのに、
今では「歴史は一回性の事象」なんて言われています。
一回性という言葉、そういった時間に対する感覚こそ、歴史学に痛烈なダメージを与えたように思うのです。
なので私は、過去の失敗にビビッて歴史法則を求める行為すら憚れてしまう現在の在り方の原因を『一回性の悪魔』の仕業と呼称することにしました。
個別に見れば、ミクロな視点ではもちろん一回性は存在します。
時間が何度も巻き戻り、織田信長が何度も殺されて、100回に1回くらいは返り討ちにしてその後の歴史が大きく変わって……そうした全ての歴史的な反復事象を観測できる、なんてことはヒトをやめない限り不可能でしょう。
でもマクロな視点では、人間(集団)って、大体同じような問題を抱えていて、似たような選択をするのではないでしょうか?
例えば、量子レベルでは個別の量子がどこで何してるのか良く分からず、確率の問題に帰着します。
でも古典物理学みたいな実生活レベルのマクロな運動であれば計算してその運動を十分予測できるでしょう。
人も同じじゃないでしょうか?
個別の人間は何考えているか分からないし、日常における様々な選択肢の中、何を選ぶかもよく分かりません。
我々の複雑怪奇な行動の背後にも難解な法則性があるのではないでしょうか?