あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    みんな大好きお墓系

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    2025ねん 11がつ 10にち(げつーび、はれ)

    たまに鼻炎調子いい!なんで?( ・Д・)

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    ↑壊れてるし瓦礫もあるけど、そもそも建物が古い感じ?( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは内戦で町が壊れてもみんな頑張ってるね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風にじっくりお届けします。今回は、内戦で荒廃したシリア北部の町 Ma‘arrat al‑Numan(マアラト・アン=ヌウマーン)で、まさに廃墟となった住居のがれき撤去中に発見された、約 1,500年前(6世紀) の地下墳墓――“戦火を潜り抜けた石棺室”が私たちの物語の舞台です。
    瓦礫を掘る作業員の手がすべって開いた穴。そこには象徴的な十字架を刻まれた石柱と、古代のガラス器・陶器片とともに、二つの地下チャンバーに収まる石棺が並んでいました。戦争が街を破壊した“上の世界”の下に、歴史がひそかに眠っていたのです。


    この発見は、考古学的な価値にとどまらず、「戦争と考古学」「復興と遺産」「住民帰還と記憶の回復」という3つの視点でも重く響きます。廃墟の下に眠る墳墓が、私たちに何を語るのか。少し長めに、その現場と意味を一緒に深掘りしていきましょう。






    🔍 発見現場:瓦礫のなかで開いた古代の扉

    発見の舞台は、シリア北部、イドリブ県にあるマアラト・アン=ヌウマーン。内戦下で建物が激しく破壊されたこの町で、住居のがれき撤去作業中、地面にぽっかりと空いた穴が発見されました。作業員が誤って掘り進めたその穴は、地下の石室に通じていたのです。


    調査の結果、二つの石室にはそれぞれ六基の石棺が並び、石棺の上部には十字架を刻んだ柱が立っていました。これはキリスト教化されたビザンツ時代の埋葬だと考えられています。 住居跡の真下、瓦礫とコンクリートの破片の中で見つかったこの“地下墳墓”。そのコントラストが、まさに“破壊と記憶の交差点”を映し出しています。



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    ↑確かに崩れてるね!( ・Д・)




    🏛️ 墳墓の構造と年代:6世紀ビザンツ期の埋葬事情

    この地下墳墓は、6世紀と推定され、ビザンツ帝国期のキリスト教墓制を示す貴重な遺構です。石棺が整然と並び、陶器・ガラス片・十字架刻印といった副葬・儀礼要素が確認されています。前述の通り、廃墟となった住居の下にあるため、細部の破損状況や倉庫代用とされた可能性も含めて、かなり“戦争後の発掘”ならではの状況が重なっています。 


    また、町自体がダマスカス–アレッポ間の交通拠点にあったことから、この墳墓は地域のキリスト教コミュニティや交流の痕跡を示す可能性もあります。さらには、内戦によって遺跡がむき出しになった「偶然性」も含まれているのです。






    💔 戦争と遺産:壊れた街がひらいた過去の裂け目

    この発見は、単なる遺跡ニュースではなく、戦争と文化遺産の関係を問う契機でもあります。マアラト・アン=ヌウマーンは、14年に及ぶ内戦で建物が破壊・略奪され、多くの遺跡が被害を受けてきました。
    その瓦礫の中から「1500年前の地下墓」が顔を出すという出来事は、戦争が“過去を掘り起こす”偶然を生んだとも言えます。そしてここで問い直されるのは「誰が遺産を守るのか」「壊された街でどう復興と記憶をつなぐのか」ということです。


    住民の一人は「昔は観光客が来た」「また歴史が戻れば町も戻る」と語っており、遺跡が復興の希望として機能し得ることも示唆されています。




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    ↑瓦礫だらけの状況で記録取るのね!( ・Д・)



    🌍 時代・地域を貫く意味:地下墳墓が教えるもの

    この地下墳墓の意味を広く捉えると、いくつかの視点が浮かびます。

    • 地下墳墓という形式は、上部構造が失われても残る埋葬の痕跡であり、戦争や破壊を超えて「埋葬・記憶」の強さを示しています。

    • ビザンツ時代のキリスト教的埋葬という属性は、地域の宗教・文化の遍歴を浮かび上がらせ、この地が単なる戦争舞台ではなく、千年以上の歴史を持つ場所であったことを思い起こさせます。

    • さらには、再建と発掘・観光・遺産保存という“未来”の側面―壊れた街から歴史を掘り起こし、それを復興の軸にできるか―という問いも含まれています。

    つまり、この発見は「過去の発掘」ではなく「現在と未来の問い」であり、瓦礫と石棺のギャップがそのまま私たちに問いを突き付けているのです。





    おわりに

    シリア内戦は2011年に始まったので、今年で14年目? アサド政権が倒された後もまだ続いているので長いね。いつ終わるんでしょう。この町も内戦中&復興中の調査だから瓦礫が撤去出来ないままデータ取ってるんだろうね。緊急の意味が違うけれど、緊急調査だね( -д-)ノ

    日本もいつか内戦・・・まぁ外国人関係で大規模デモや暴動は起きそうな予感( ・Д・)




    何はともあれ、、、

    戦争に興味出てきた、今日この頃!( ・Д・)







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    2025ねん 10がつ 30にち(もくよーび、晴れ)

    やばい10月終わる、書類提出しなきゃ!( ・Д・)

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    ↑今回の支石墓!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはやぱ立派なお墓はいつでもどこでもこーゆー感じ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、みなさん。今回は「あるけまや」風に長めの、ちょっとワクワク感も入れた導入でお届けします。舞台は南スペイン・アンダルシア地方、そこに眠っていたのは 約5,000年の時を経た巨大支石墓(ドルメン)――しかも「宝物で埋め尽くされていた」ものです。古代人がどれほどの力や技術、そして交流を持っていたかを物語る驚異の発見。読み進めば、遺跡・技術・交易・人々の信仰といったさまざまな要素が絡み合い、まるでタイムトラベルしたかのような気分にさせてくれます。では、この発見がどう「歴史観」に揺さぶりをかけるのか、一緒に掘っていきましょう。




    🗿 発見現場:アンダルシア、テバ近郊の巨大ドールメン

    スペイン南部、マラガ県テバ(Teba)近郊の埋葬地「ラ・レンテフエラ(La Lentejuela)ネクロポリス」にて、 University of Cádiz(カディス大学)などの考古学チームが、長さ約13 メートル(43フィート)におよぶ石造墓を発見しました。


    壁面には高さ約2メートルの巨石(立石・オルソスタット)が使用され、上部には水平の石板がかぶせられ、その上に人為的な墳丘(砂と小石)も確認されています。この構造から、単なる墓というだけでなく「集団的埋葬」「儀礼空間」「長距離交流拠点」といった複数の意味を持つ施設であった可能性が高いと研究者らは述べています。




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    ↑これもスペインの事例、ドルメンの傍の!( ・Д・)



    💎 “財宝”とは何か?遺物が語る往時の交流と象徴

    このドルメンの真骨頂は、その「中身」です。出土されたのは単なる遺骨だけではありません:

    • 象牙・琥珀・貝殻といった、内陸部としては“遠方産”の素材。

    • 矢じりや大型ナイフ、さらには「ハルバード(長柄斧槍状武器)」とみられる石器。

      このような遺物群は、「この地域が孤立していたわけではない」=遠方との交易・交流が存在したことを明確に示しています。さらに、「貝殻が内陸地で見つかった」という一文からは、「海産物もステータスとして交換されていた」ことが読み取れます。つまり、たかだか墓ではなく、当時の社会の“姿”と“動き”が刻まれた物質世界そのものと言ってよいのです。



    🔧 技術・構築・保存:巨石構造が示すスケール感

    この施設が示すもうひとつの魅力は、建築技術と保存状態にあります。巨大な石を立て、屋根石を据え、さらにその上を墳丘で覆うという構成は、5,000年前の段階においても高度な社会的統制と技術計画を想起させます。


    また、保存状態が極めて良好であることも注目されており、「アンダルシア地方でも屈指の保存性を誇るメガリス墓」という評価が出ています。このことは「この墓を壊す・盗掘するよりも、維持し運用したいと考えられていた」あるいは「長期にわたる共同体の尊重」などを示唆しており、祭祀・墓制・記憶保存の観点からも非常に価値ある発見です。





    🌍 広い視野で捉える:ヨーロッパ先史・交易・共同体の輪

    この発見を「スペインだけの話」として終わらせてしまうのは惜しい。むしろ、ヨーロッパ先史時代における「巨大墓+交易+共同体」のダイナミクスを捉える窓として、非常に鮮やかなものです。


    たとえば:

    • ドルメン構造はイギリス、フランス、ポルトガルなど西ヨーロッパ各地で確認されており、死亡・埋葬・儀礼という共通項を持ちます。

    • 出土素材の非地元産性(象牙・琥珀・貝殻)から、「遠方との交易路」が存在したことは先史時代の共同体が思った以上に開かれていたことを示します。

      このように、この墓は「地域の話」ではなく、「欧州先史社会の一角」であり、「地域から広域へ、局所から国際へ」という流れを体現しているのです。


    🤔 問いかけ:何を、どのように学ぶか?

    さて、このような発見を前にして、私たちはどんな問いを立てるべきでしょうか?

    • このような巨大墓を建設・維持できた共同体とは、どれほどの組織力・資源・交易網を有していたのか?

    • 宝物・財物を伴う埋葬とは、「個人の富」「共同体の象徴」「交易ネットワークのステータス」どれを主としていたのか?

    • また、このような集団埋葬施設が、後の時代・国家・宗教にどのような影響を与えていったのか?

      今回の発見は、考古学の資料を通じて過去を“なぞる”だけではありません。むしろ、われわれ自身の「社会・記憶・物質文明」を問い直す契機にもなるのです。



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    ↑ドルメンも土で覆われたらもう古墳でない?( ・Д・)



    おわりに

    ほんとこうして毎日記事書いてると、世界中で新しい発見があるわけです。つまるところ毎日発掘が行われているわけです。つまり毎日データが溜まっていく一方で、毎日新たにデータを得ることのできる良好な現場が失われているわけです。

    そろそろ考古学者は「何かすごいものを発見すればいい」っていう調査をやめて、既に膨大に蓄積されているデータを用いて研究を行った方がいいと思う。でも他人のデータはとても使いにくいもの、新たに掘りたい気持ちも分かる。だからこそ世界的に、全人類史的に、『統一的な発掘調査方法、統一的な報告書のフォーマット、統一的な分析研究方法の確立』が重要なのだと思います( -д-)ノ



    何はともあれ、、、

    墓のデータ最高!( ・Д・)







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