あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

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    アステカ

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    2025ねん 6がつ 7にち(どよーび、晴れ)

    精神的な疲労ってどうとればいいんでしょう!?( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは「イギリスの魔法の鏡はアステカの儀礼の鏡だったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


    エリザベス1世は1588年にスペインの無敵艦隊に勝利したことにより、イングランドの黄金期の女王として知られています。

    そんな彼女の治世は1558~1603年です。

    1521年にスペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスによりアステカ帝国の首都のテノチティトランが陥落したこと、上記のように1588年にイングランドがスペインに勝利したことを考えると、、、

    今回の16世紀におけるイギリスとアステカの関係が見えてくる気がします。







    このエリザベス1世の政治顧問が上の写真のジョン・ディーです。

    16世紀では魔術は科学の仲間でした。

    この時期は錬金術も盛んでした。

    魔術や錬金術といった実験的な行為が17世紀の自然科学の誕生の基礎となったとも評価されています。



    ジョン・ディーも水晶玉や霊視鏡を使って魔術を使い、天使や霊の召喚や対話を試みたとされています。

    その証拠のひとつが彼の所有していた霊視鏡です。











    上に挙げた写真がジョン・ディーの霊視鏡です。

    黒曜石製なのですが、、、

    よくこんな風に加工できるなと驚いておりますΣ(・ω・ノ)ノ




    メキシコの博物館では見なかった気がしますが・・・

    メキシコにはもう残ってないのでしょうか、、、

    今回の分析に使用された3枚の黒曜石製鏡は全て大英博物館所蔵のものです。




    arukemaya_y009


    arukemaya_y010




    前回の記事に引き続き、今回の分析もハンディータイプの蛍光X線分析機器(800万円!)が使われています。

    分析結果としてはジョン・ディーの所有物とされている鏡はメキシコのパチューカ産黒曜石であることが分かりました。


    アステカ期の絵文書や壁画には鏡が登場します。

    古くはテオティワカンの頃から鏡が儀礼に使用されています。

    アステカ期では黒曜石の鏡は数多の神々の中でも主神的位置にあるテスカトリポカの象徴です。

    そもそもテスカトリポカは「煙を吐く鏡」を意味し、この鏡が儀礼用の黒曜石製鏡を指しています。

    万能の神であるテスカトリポカを象徴する黒曜石製鏡ですし、世界の裏側の未知の文明が儀式に使用したものですから、霊視などの魔術を行使する上では最高の儀礼具だったのかも知れませんね。









    おわりに

    古代メキシコ文化領域では黒曜石製鏡が結構あるような気がします。

    テオティワカンの鏡は見たことあるんですけれど、鏡面ではない背面がモザイク装飾であったのは記憶しているんですけれど、鏡面の記憶がない……

    黒かった気がするけど

    黒曜石製だったのだろうか……




    2023年に東博で「古代メキシコ」展があったのですが、その時の図録をどこかで探して買うしかないですね( -д-)ノ

    土器が全然なかったので要らんと思ってしまいました、、、

    そして高かった!( ・Д・)



    何はともあれ、

    黒曜石の加工技術パネェ!( ・Д・)



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    2020ねん 1がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

    連投で真面目な(?)考古学・歴史ブログであることを再度示そうと思うよ!( ・Д・)


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    今回の考古学・歴史ニュースは「大航海時代、スペイン征服期以前に白人がアメリカに到達していた!?」というお話です(*・ω・)ノ

    当サイトでは「オカルト」ちっくなものは基本的に扱いませんし、扱っても科学的・論理的に批判してしまうのですが、今回のはちょっと毛色が異なります。

    たぶん……他サイトでは見たことないテーマなので、日本語の記事としては初めてかな?

    きっと楽しんでもらえると思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    「新大陸」への白人の到達時期

    メソアメリカ(ざっくり言うとメキシコとかの所謂「中米」域)へのスペイン人の到達は15世紀半ばから始まる大航海時代によってなされます。

    ちなみに大航海時代と言えばスペインとポルトガルが有名ですが、だからこそ現在の中南米においてブラジルだけがポルトガル語、残りは全てスペイン語の文化圏となっています。

    高校の世界史Bなどでピサロによるインカの征服についてさら~っと習うと思います。

    メソアメリカでは、エルナン・コルテスにより1521年にアステカ王国が滅ぼされてしまいました。

    それに先立つ1492年にクリストファー・コロンブスが「新大陸を発見」するわけです。

    コンキスタドール(征服者)としてのコルテスの非道さは有名なのですが、コロンブスも略奪を繰り返し、男は殺し、女は強姦するというスペイン軍のやり方(遊び方;面白半分に殺し犯していたという記録があります)を最初にアメリカで実行した十分にヤバイ人物です。

    さて、ということでメソアメリカへの白人の到達は歴史上1492年ということになります。


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    ↑ローマ人を模した彫刻(「ABC HISTORIA」の記事内画像より転載;スペイン語)


    アステカの「白い神」の神話

    最初に挙げた「This is Spartaaaaa!」は正直言って関係ないんですけども、まぁ顔の濃い白人のイメージとして用いました。

    上に挙げたのはローマ人を模した彫刻です。

    顔立ちとして明らかに彫りが深いですし、少なくとも、「あ~白人の顔立ち」だなって思えますよね。

    先に述べましたようにコルテスにより1521年にアステカが陥落するわけですが、簡単に陥落した理由の一つが「アステカの白い神の神話」の存在なのです。



     アステカには、かつてテスカトリポカ(ウィツィロポチトリ)神に追いやられた、白い肌をもつケツァルコアトル神が「一の葦」の年(西暦1519年にあたる)に戻ってくる、という伝説が存在した。

     帰還したケツァルコアトルが、かつてアステカに譲り渡した支配権を回復すると信じられていた。

     「一の葦」の年の10年前には、テノチティトランの上空に突然大きな彗星が現れた。また女神の神殿の一部が焼け落ちてしまった。その後も次々と不吉な出来事が起こった。アステカ人たちは漠然と将来に不安を感じていた。

     そうした折であった「一の葦」の年の2年前(1517年)から東沿岸に現れるようになったスペイン人は、帰還したケツァルコアトル一行ではないかと受け取られ、アステカのスペイン人への対応を迷わせることになった。

    (Wikipedeia より一部改変)


    この神話の概要は上の参考文の通りです。

    ちなみにケツァルコアトルは、マヤではククルカンと呼ばれる重要な神様で「羽毛の生えた蛇神」として顕現する至高神です。

    メソアメリカにはこうした白い肌を持つ「コーカソイド(白人)」を神聖視するような伝説が見られるのです。


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    白い神の神話は実話を基にしているのか?

    この神話のポイントは白い肌の神が追い出されて支配権を譲渡したという点です。

    元々は白い神が支配権を有していたということになるわけです。

    そこで……『神話になるほど古い時代に、かつて本当に白人がメソアメリカに到達し、珍しいその肌の色から指導者として君臨し、後に在地の有力者によって排除された』なんてことがあったかも知れません。

    『こういった手の解釈』はオカルト、疑似科学でよくあることですが、ただの想像であって根拠はありません。

    でも今回のお話は当サイトで扱うくらいですからね、そう、根拠あるんですよ( ・Д・)



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    ↑報告書にある遺物の掲載写真(Garcia-Payón 1993; Figure 1より転載)


    スペイン征服期以前のお墓からローマ人の頭が見つかった!?


    さて、上に挙げた写真は「本物の発掘調査報告書からの転載写真」になります。

    1933年にホセ・ガルシア=パヨン(José Garcia-Payón)によってメキシコの首都、メキシコシティの南西部に位置するトルーカで発掘調査が実施されました。

    ここには現在はカリストラウワカ(Calixtlahuaca)と呼ばれている遺跡があります。

    調査当時はマタジンカという名の古代都市遺跡として知られていました。

    この遺跡は後古典期(c.a. CE1000-1500)に属しており、当時のメキシコ建築様式として代表的な円形基壇を有した建造物が多数見られます。

    この遺跡でガルシア=パヨンは埋葬遺構の調査を行ったわけです。




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    発掘された埋葬遺構は上に挙げた写真のような神殿ピラミッドの内部から検出されました。

    この埋葬遺構は未盗掘であり、金、ターコイズ、クリスタル、陶器などの副葬品が見られ、それらと共伴して「ローマ人の頭」が見つかったのです。

    この人頭像はテラコッタ製、つまり土製小像に分類されるものです。

    調査結果として、遺構が未盗掘であることと、共伴する土器等の遺物の分析から、埋葬遺構の帰属時期はCE1476~1510年と推定されました。

    記録上、スペイン人らコンキスタドーレスは1519年までメキシコの海岸に到達しなかったため、この遺物はスペインの征服以前の作品でなければならないことになります。





    当然と言えば当然のことですが、このガルシア=パヨンによる報告は「あり得ないこと」として無視されました。

    そして時は流れて1995年、理化学分析として熱ルミネッセンス法による試験のためにこの『ローマ人頭像』がドイツに送られました。

    この分析結果では、なんと紀元前184年から紀元前616年の生産日であり、発見された墓よりもはるかに古く、調査報告における推定よりも古い時代にアメリカに運ばれた可能性があることを証明しました。

    古典派の歴史家エルンスト・ベーリンガーは、2世紀および3世紀のローマの芸術作品に照らし合わせてこのローマ人頭像の美術様式を特定したことで、制作の日付をさらに狭めました。

    更にローマのドイツ考古学研究所のバーナード・アンドレアによって、2世紀の作品とまでにさらに狭められました。

    最終的には『ローマンヘッド』として知られるこの遺物について、「このヘッドは間違いなくローマンであり、研究室の分析によってそれが2世紀頃のローマの作品であり、髪型とひげの形がセビリア皇帝時代(CE193-235)の典型的な特徴を正確に表現している」と評価されたのです。



    上に挙げた写真は古代メキシコの美術様式と比較したものです。

    考古学調査の結果を信用するのであれば、コロンブスの新大陸発見が1492年ですので、『白い神』と思しき人物の情報がマヤ地域からメキシコまで一気に伝わって非常に写実的に土製小像が作られたとも考えられます。

    ただ当時の美術様式と比較すると写実的にも程があるというか、全くの別様式であることが分かりますので、強引過ぎる解釈でしょう。

    一方で理化学分析や美術様式との比較研究を信用すると、2世紀の古代ローマの遺物がメキシコに伝わり、その後『伝世品』として1300年もの間大事に保管された上で、16世紀初頭に副葬されたことになります。

    まさに『考古学ミステリー』ですね( ・Д・)


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    現在の解釈はこう! それでも真偽は謎のまま……


    「盗掘者がバレないように細心の注意を払って丁寧に掘って、しかも服装品を盗らずに考古学者を悩ますために遺物を追加した」とはもちろん考えられませんよね( ・Д・)

    となると「ローマンヘッド」自体は各種分析・研究結果から本物なのだと思います。

    そうすると考えられる可能性は『いたずら』です(/TДT)/

    ロミオ・H.・フリストフとサンティアゴ・ジェノベスの1999年の『ローマンヘッド』に関する出版物を出し、続いてメキシコ大学(UNAM)のポール・シュミット(Paul Schmidt)も『真実』について以下のように書いています。

    「...この人形はドン・ペペ(ホセ・ガルシア=パヨンの愛称)の調査中に埋められました。ドン・ペペはそれを非常に真剣に受け止めたので、誰も彼にそれが冗談だと​​言う強い心を持っていませんでした。そのようにジョン・パドックから言われたことを覚えています。(歩けマヤ管理人、一部修正)」

    しかし問題は調査実施から半世紀以上もの多大な時間が経っていて、発掘中に立ち会った人は誰も生きていませんでした。

    また発掘関係者であるパイオンの息子は、父から聞いた話ではパドックやモエダノ(別の証言者)は発掘現場にさえいなかったと述べています。

    さらにシュミットはこの暴露話を手紙で知ることとなったとしていますが、その手紙自体は非公開なのです。

    したがって、シュミットの結論(あるいは暴露)は最も論理的ですが、それに真実があるという証拠はどこにもないのです。


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    ↑こんなのあるのね!( ・Д・)(「アマゾン」より転載;回し者ではありませぬ)



    この『考古学ミステリー』を再度考えてみよう!( ・Д・)


    もしローマンヘッドが現代における攪乱・混入ではないと仮定しましょう。

    そうなるとローマンヘッドは埋葬時とヨーロッパ人が本土に到着する前に持ち込まれなければなりません。

    先に述べたようにコンキスタドールは1519年までメキシコ本土に到達していませんでしたが、近くのカリブ海の島々は15世紀後半から植民地化されていました。

    最初期にコロンブスらがマヤ地域のホンジュラスからパナマまでの沿岸地域に到達していたためです。

    そうするとこの遺物はヨーロッパから持ち込まれ、先住民と取引された後、貿易ネットワークを介してカリストラウワカまで移動した可能性があります。

    この解釈だと、小さなローマンヘッドがどのようにして埋葬地にたどり着いたのかを説明できます。

    しかしスペインの植民地主義者や探検家が、何故2世紀の小さなローマンヘッドを持って取引するのか、何故アステカの貴族が死後の世界に同行させるためにローマンヘッドを選ぶのかが説明できません。

    後者については多少の説明ができそうです。

    先行するオルメカ文明(BCE1200~CE1)に帰属するサポテカに見られる巨石人頭像ではひげを生やした外国人風の男性像様式が使用されていました。

    トルテカ文明(CE700~1200)では彼らの文明はひげを生やした白人であるケツァルコアトルという神によって設立されたという神話があります。

    したがって、アステカの貴族が「髭を生やした異国人を神聖視する風習」の下で、ローマンヘッドを副葬する可能性はあるわけです。




    おわりに ~考古学研究とは~


    最近はあまり見かけませんが、所謂『オーパーツ』が非常にもてはやされた時期がありました。

    変わったモノが見つかるとやはり注目はされます。

    でも考古学という学問は、何か1つ変わったモノが見つかったからと言って直ちに定説が覆るような学問ではありません。

    上に挙げた写真のように、多くの人々の地道な調査・研究によって、多くの証拠が集められてようやく何かが少し言える、そんな学問なのです。

    メソアメリカにおける最初期の接触時に、ヨーロッパ勢と現地人の間で「物の交換」が行われた可能性は十分にあります。

    基本的に略奪者であるコンキスタドール達の性格からすると恐らく僅かにしかそういった行為は行われていないとは思いますが、タイムマシンがない以上、『新旧大陸の先スペイン期の接触』については今回の事例のような『奇跡的な発見』をもう少し繰り返す必要があるのです( -д-)ノ

    今回の記事で取り上げた『カリストラウワカのローマンヘッド(Calixtlahuaca Roman Head)』は現在、メキシコシティの国立人類学博物館で展示されており、ひとまずは植民地時代の作品としてアーカイブされています。

    ↓たまにはオカルト関連もあって良い(*・ω・)ノ↓

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