2020ねん 12がつ 14にち(かよーび、晴れ)
12月初旬までだけが忙しいと思ってたのに、さすがは師走( -д-)ノ
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今回の考古学・歴史ニュースは「アステカの『骸骨の塔』は人骨いっぱいで異様な雰囲気だねっ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台はメキシコ合衆国、メキシコシティです。
上に挙げた絵がアステカ帝国の首都テノチティトランを描いたものです。
テスココ湖に浮かぶ島の上に造られた都市であり、アステカ期においても沼沢地の干拓が進んでいました。
1521年にコルテス率いるスペイン軍の侵略によってテノチティトランは陥落し、1520年代に都市全体が破壊されます。
このテノチティトランの廃墟の上に建設されたのがスペイン植民地ヌエバ・エスパニョーラであり、現在までに湖は完全に干拓され、メキシコ合衆国の首都メキシコシティとして存在しています。
上に挙げた写真はユカタン半島北部に位置するチチェン・イツァ遺跡の壁面に見られる「ツォンパントリ」です。
「頭蓋骨の城」や「頭蓋骨の壁」を意味するもので、英語では「スカルラック(頭蓋骨の柵)」と表現されています。
チチェン・イツァ遺跡は古典期(CE3~10世紀)にはおいてマヤ遺跡、後古典期(CE10-16)においてトルテカ-マヤ遺跡として知られています。
時期的に専門外なのですが、、、
トルテカという表現は慣用的にアリだと思いますが、『中央メキシコの影響を強く受けた古代メキシコ-マヤ文化複合遺跡』の方が個人的にはしっくりきます( -д-)ノ
さて、先ほど述べたようにアステカ帝国の首都テノチティトランは徹底的に破壊されていますから基壇部ばかり残っていてツォンパントリの残存事例もとても少ないです。
しかしかつては上に挙げた写真のようなツォンパントリは建築様式としてよく見られたのだと思います。
今回のお話はこのツォンパントリが本当にテノチティトランにあったよ!
しかも彫刻じゃなくて本物の人骨使ってたよ!ってお話ですΣ(・ω・ノ)ノ
↑骸骨の塔の様子(「Mail Online」の記事内画像より転載;credit: REUTERS)
さて、この発見はテノチティトランにおける中央神殿であるテンプロ・マヨールがあった場所から見つかりました。
アステカの遺跡は現在の都市の地下にあるわけですが、テンプロ・マヨールについては博物館として展示・一般公開されているので現地表面で一部観察できる状態にあります。
さて、発見された遺構を見てみると、上の2枚の写真が人間の頭蓋骨を円筒状に積み上げたものです。
どういう構造になっているのかを示したのが3枚目の図になります。
基壇の上にスカルラックとスカルタワー(「頭蓋骨の塔」)が配置されていて、スカルタワーは両サイドに対として置かれています。
スカルタワーの間とその背後にスカルラックがずらっと並べられている状態です。
このスカルタワーは2015年に発見され、直径が6mに及び、650体以上の人骨が使用されていたと推定されています。
で、こちらが今回新たに発見されたヒトの頭蓋骨です。
先ほど示したように、この遺構(建造物)全体が大量の生贄によって構成されているため、まだまだ多量の人骨が発見されることは予測されていました。
それにしても新たに合計119体もの頭蓋骨の発見とは凄まじい数ですねΣ(・ω・ノ)ノ
当時の生贄、特に人身御供を伴う儀礼の規模の大きさを物語るものです。
またこうした「スカルタワー・スカルラック複合」(仮にそう呼ぶことにします( -д-)ノ)は”見せしめ”の意味があったと考えられています。
王権の強さを誇示するものとしても機能したでしょうし、アステカは帝国ですので戦争の捕虜を生贄とする事で他国からの使者や往来者に対する威嚇の意味もあったでしょう。
従来の説ではこの後者の他国に対する威圧が主目的である解釈を考古学者は取っていました。
そのため「これらの骸骨は戦争の捕虜(若い男性)である」と考えられてきたのです。
しかしながら今回の119体の頭蓋骨の中には女性や子どものものが混じっていることが分かりました。
スペイン植民地期における記録によると、アステカ期の周辺国家を含む古代メキシコ文化領域の風習では女性や子どもは戦争にいかないとされていました。
まだまだ調査部分が残っているため、被葬者の総数に対する女性・子供の比率は不明です。
もしかすると例外的な扱いを受けて解釈される可能性も十分にあります。
一方で、現段階において、スカルラックとスカルタワー、そして基壇部では作られた時期が異なる可能性も指摘されています。
であるならば、比較的短期間に風習が変わった可能性もありますが、恐らくは基本的に戦争捕虜を生贄にしていた中でその時々によっては周辺国家から集めたその他の生贄(女性・子供)を捧げていた可能性が高いのではないかと思いますね(*^・ェ・)ノ
おわりに
アステカを征服したスペイン軍の兵士の一人であるアンドレス・デ・タピアが遺した記述によると、『テノチティトランには何万もの頭蓋骨が存在した』とあります。
またアステカの文献(絵文書;コデックス)によれば、『1487年に完成したテノチティトランの大ピラミッド神殿における献納式の際に4日間で8万人を超える生贄を捧げた』と記されています。
歴史記述における誇張の性格も考えると、今後発掘調査等を通して史料批判をあるいは検討を行っていく必要がありますが、
現時点で誇張だと仮定したにしても、テノチティトランを掘ればこの先相当な数の骨が出てくることは間違いなさそうですね( -д-)ノ
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そうだ、記事の中で少し触れた『テンプロ・マヨール博物館』ですが、、、
すごく綺麗で大きな博物館で、見ごたえは十分にあります。
建造物は破壊されているので「好きな人」じゃなきゃつまらないかも知れませんが、出土品の展示がスゴイですし、暗い館内でイイ感じなムードを作ってるな~と私は感じました。
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さて、どこかで生贄儀礼に関する記事も書いた気もしますが、
検索に引っかからない!( ・Д・)
何だか生贄と聞くと残虐な感じがしますが、それだけではないのです(*・ω・)ノ
せっかくアステカの事例が出てきましたので、マヤ文明も含めて、、、
人身御供の話をしなきゃね!( ・Д・)
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