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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:イギリス

2020ねん 11がつ 14にち(どよーび、晴れ)

急な仕事が入り過ぎて論文終わらん( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースはブリテン島の人々は盛大な焼肉祭りをやっていたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイギリスの世界遺産、ストーンヘンジです。

古代のストーンサークルとして有名なストーンヘンジですが、この辺りは中石器時代に相当する紀元前8000年、つまり今から1万年前の柱穴が確認されており、とても古くから重要な場所であったと推測されています。

ストーンヘンジを囲む円形の土塁と堀は紀元前3100年頃、巨石が並べられたのは紀元前2000~2500年頃に造られたと考えられています。

今回の調査成果はストーンヘンジの近くに立地する古代の祭祀場と推定されている遺跡でのものです。

この遺跡では大量の動物骨が検出され、C14等の分析結果から新石器時代後期(紀元前2800年~前2400年頃)に相当すると推定されています。

ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたと考えられているブリテン島南部のダーリントン・ウォールズや、ブリテン島最大の環状列石であるマーデンの近くでは祭祀場と思われる遺構が発見されており、それぞれ大量の動物骨が発見されているのです。

ダーリントン・ウォールズの祭祀場遺跡の発掘調査に際して、検出された8500点の骨を分析した結果、動物骨はブタとウシのものであると同定され、その割合はブタ:ウシ=10:1であることがわかりました。


これらの骨は日常の生活の中で食された後の廃棄物として堆積したわけではなく、季節性が認められており、冬の間にまとめて大量に廃棄されていることが分かっています。


このことからストーンヘンジなどのイギリスにおける環状列石群周辺では冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたと考えられているのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑私も調査の懇親会としていつもバーベキュー大会してますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ(「ブライダル総合情報マガジン クラウディア」の記事内画像より転載)



こうしたブタの骨が大量に出る祭祀場遺跡が多数確認されていることから、新石器時代後期のブリテン島南部で『ブタ肉焼き放題パーティー』の習慣が広まっていたことが伺えるわけです。


ストーンヘンジに関する近年の研究では、人間や動物が住んでいた土地の情報が分かるストロンチウム同位体分析によって、パーティーに参加した人々の広がりを特定しようとしています。

これまでの研究ではストーンヘンジで検出された人骨と、ダーリントン・ウォールズから検出されたウシの骨を対象に分析が行われ、ストーンヘンジ周辺域以外のかなり遠いところからやって来たことを示唆していました。


経験的にウシは遠くから連れて来ることが比較的容易なのに対し、「長距離の移動が苦手なブタは祭祀場の近くで飼われていたはず」という先入観が研究者にはあったため、祭祀の参加者がどこから来たかを知る手がかりにはならないと考えられており、これまでにブタの骨を対象としたストロンチウム同位体分析を行おうとする研究者はいませんでした。


今回のニュースの元になっている研究では、イギリスにおける4カ所の新石器時代後期の遺跡(ダーリントン・ウォールズ、マーデン、マウント・プレザント、ウエスト・ケネット・パリセード・エンクロージャー)から出土したブタの骨131点について同位体分析を行いました。


結果、それぞれの場所で食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになったのです。


その距離は少なくとも50kmで、最大で550kmに及ぶこともあり、ウェールズやスコットランドから連れてこられたブタもいたようです。


この研究結果から、新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきた、つまりストーンヘンジなどの環状列石と周辺の祭祀場は歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったということになるのです(*・ω・)ノ



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↑綺麗だねぇ(・∀・)(「ニコニコニュース」の記事内画像を一部加工)



またこの研究結果は、ブタにより人間の移動を推定する手法について、研究者たちに再考を促すことになりました。


他の同位体分析結果から、近現代の牧畜産業で見られるように地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたことが示唆されたのです。


つまり、ブタの群れを移動させることなどできないというのは現代に生きる私たちの間違った思い込みであり、新石器時代のブタはイノシシのように痩せていて脚が長く、徒歩で長旅をできるだけの敏捷性があったのです(*^・ェ・)ノ





おわりに

日本の貝塚研究だと、貝の成長線を観察することで季節性について考察するような研究がありますけども、このストーンヘンジ周辺の事例ではどうやってるのでしょうね。

同位体分析で生まれ育った環境を推定する研究は広く行われているので分かるのですが、、、

横着して元論文読んでないので、すみませんヽ(TдT)ノ

日本でも環状列石はありますし、比較してみると面白いかも知れませんね!

あ、今思い出した!w(゚o゚)w オオー!



こんなふざけた環状列石関連の記事書いたことありましたね。

後輩に一部事実と異なると指摘されましたが、どこが違うのか覚えてなくて修正してません(再度教えてください( -д-)ノ)。

ま、イカ飯もいいけど、


焼肉パーティーいいね!( ・Д・)



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2019ねん 5がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

今日もいい天気である。

お散歩したいが、時間がなさそうだ( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『イギリス、サウスエンド=オン=シーで発見されたアングロサクソン王家初期の王子の墓と副葬品が博物館・デジタルミュージアムで公開されたよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

発見の舞台はイギリス、エセックス州にある自治都市サウスエンド=オン=シーです。

イギリスには「MOLA」という考古学調査・分析会社があり、日本における建設工事に伴う緊急調査を請け負ったりしている会社です。

MOLAには多数の考古学者が在籍しており、各分野の分析専門家も配置しているそうです。

所謂、「調査会社」というよりは「独立した研究機関」の方が近いかも知れません。

名前も「ロンドン考古学博物館(Museum of London Archaeology; MOLA)」ですし、国立研究機関が独立法人化したのかも知れませんね。

さて、このMOLAが依頼を受け、プリトルウェル修道院公園の端を発掘調査したところ、非常に豪華な埋葬遺構が検出されました。

この発見は2003年になされ、2005年まで継続的な発掘調査がなされました。

それから14年もの年月を経て全ての分析を終え、一般公開となったわけです。


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この埋葬遺構からは様々な副葬品が出土し、当時のアングロサクソン王家の埋葬儀礼の様子が明らかとなりました。

例えば副葬された大きな釜や杯は王族・貴族を招くパーティーの主催者としての被葬者の立場を示し、目の上に置かれた十字形の黄金製品は被葬者がクリスチャンであることを示しています。

上に挙げた写真のように木製品などの腐敗しやすい資料も多く出土しています。

それらの貴重なアングロサクソンの工芸品や古代の楽器について、考古学を始めとして工学、土壌科学といった様々な専門分野から成る40人以上の専門家チームによって分析・研究が行われました。

彼らにより炭素年代測定や、土壌微細形態学による分析、CTスキャン、ラマン分光法、走査電子顕微鏡法による分析、質量・組成分析に至るまで様々な分析・研究が行われたために公開まで長い年月がかかったわけです。



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ところで、今回の考古学・歴史ニュースは「アングロサクソン」についてのお話です。

アングロ・サクソン(Anglo-Saxons)は、5世紀頃に現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部へと侵入してきた「アングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称」である。特にこの中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。
(参考:wikipedia)

このようにアングロサクソンはイングランドの基礎を築いた集団であり、彼らの使用した言語が現在の英語の基礎となったという歴史があります。


イングランドは一時期デーン人(現在のデンマーク周辺に勢力を持つ集団)によって支配されていましたが、アングロ・サクソン人の支配は1066年のノルマン・コンクェストまで続きます。

アングロサクソン人、デーン人、ノルマン人と色々出てきて複雑な印象を受けますが、どれも結局ゲルマン系民族の集団なのです( -д-)ノ



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さて、今回は写真が盛り沢山になっていますが、これまでに写真で紹介したように本当に様々な副葬品が多量に出土しています。

これらの副葬品は地元で造られた製品も多く含まれていますが、その品質は非常に高いものです。

一方で下部に挙げる写真に見られる美しい青いガラス製の容器のような輸入された贅沢品の存在は初期のアングロサクソン王家の権威の強さを分かり易く示しています。

この王家の墓に埋葬された人物の候補としては、調査の最初の段階では6~7世紀にキリスト教に改宗したことが知られている2人の東サクソン王が挙げられました。

それはエセックス王のサベルト王(Sæberht)または彼の孫のシゲベルト2世(Sigeberht II)です。

前者は西暦616年に亡くなり、後者は西暦653 年に殺害されています。

いくつかの遺物の証拠が7世紀初頭の日付を示したことから、サベルト王である可能性が高いと考えられていました。

しかしながら、その後木製遺物等の植物依存体を対象とした炭素年代測定法から、埋葬時期がサベルト王の死去時期の少なくとも11年前である西暦575年から605年であることが示されました。

この結果、最新の研究成果として、この墓の帰属年代は6世紀後半頃であり、被葬者はサベルト王の兄弟であるサークサ(Saexa)である蓋然性が高いと推定されています。



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さて、長くなりましたが最後に、今回の発見や研究に関する最新の情報は『MOLAのウェブサイト(英語サイト)』で公開されています。

また王家の墓から出土した多数の豪華な出土品はイギリスのサウスエンド中央博物館に常設展示されているそうです。

……やっぱり黄金とか多くの人々の関心を集める出土品はいいな~って羨ましく思いますね( ・Д・)

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2019ねん 2がつ 25にち(げつよーび、晴れ)

薬のせいか、びみょ~な眠気というか倦怠感に襲われる一日だった。

薬を飲み切るまで数日はこんな感じなのだろうか( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『イギリスの洞窟で17世紀の魔除けがたくさん見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ


発見地点はイギリスのイースト・ミッドランズにあるクレスウェル・クラッグスという洞窟です。

ここではかつて約1万3000年前のものと見られる壁画も発見されていました。



なので、この魔除けの彫刻も以前に確認されていたのです。

しかし単なる「いたずら書き」として認識されていたようで、今回「魔除け」の意味のある彫刻であることが判明したのです。



「アーサー王伝説」で有名なイギリス、サマーセットの洞窟で57の魔除けの記号が発見されており、これが過去最多だったわけです。

今回のクレスウェル・クラッグスの事例に見られる魔除けの記号は数百に及び、サマーセットの記録を大きく塗替えました。


大量の魔除けの彫刻文の多くは幾何学文様ですが、中には聖母マリア(Virgin of Virgins)を表わす2つのVや、邪悪な存在を罠で捕えるためのものと考えられる四角い箱、迷路のような記号が見られます。




↑魔除けが刻まれた洞窟内の様子(「Creswell Crags」が投稿するYouTube動画です)


このクレスウェル・クラッグス洞窟にいつ魔除けが刻まれたかは不明なようです。


しかし類似する魔よけが教会や家屋、他の洞窟にも刻まれていることが分かっており、一部の極めて近似する魔よけについては1550~1750年ごろに建設された周辺の家屋で発見されています。


これらの魔除けのシンボルの意味は「病気や死、不作を退けるため」に使われたそうで、当時の人々は暗い洞窟の奥からやってくるであろう悪魔や悪霊といった恐ろしい存在に対抗するために洞窟壁面に魔除けを刻んだと解釈されています。


17世紀はイギリスだけではなくヨーロッパ全土で地球規模の寒冷化による飢饉に苦しんでいました。

この大飢饉に由来する内乱や戦争も頻発していた不安定な時期であることから、少なくとも一部は17世紀に刻まれた魔除けなのかも知れませんね( -д-)ノ


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2018ねん 8がつ 6にち(げつよーび、晴れ)

最近グーグル先生等々のネット上の翻訳サービスが改善されている気がする。

論文のPDFデータの文字認識も役に立つし、

紙媒体の割り付けに比べてデジタルデータは劣化しないし

場所も取らないし、

ほんとにいい時代になったものだ( -д-)ノ


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今回紹介するのはイングランド南部にあるストーンヘンジの新たな研究成果についてです。ストーンヘンジは日本でもかなり有名な遺跡かと思います。

5000年前の新石器時代に帰属する遺跡で環状列石状の遺構です。太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられており、巨石群に囲まれて埋葬された人々に関する謎は、およそ100年の研究史の中でほとんど解明されていません。

今回の研究成果はストーンヘンジに埋葬されている人の出身地が分かったということです。先行研究では建設の方法や目的が中心で、埋葬者や建設に携わった人々には焦点が当たっておらず、直接的な証拠を提示した研究はこれが初めての事例だそうです。

ストーンヘンジは初期の時代には主に墓地としての役割を果たしたと考えられていますが、その建設は紀元前3000年に遡る上に、埋葬された遺体も火葬されていることから、埋葬者についての研究は困難なテーマでした。


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↑天文観測所としてのストーンヘンジ(「怪奇動画ファイル」さんより画像を転載)

今回の考古学の分析には化学工学の技術が利用されました。火葬用のまきの山の高温(1000度超)にも耐えられる、骨に含まれる重元素ストロンチウムの同位体分析の結果、埋葬者の40%(25人中10人)はウェールズ西部が出身地である可能性があることが分かりました。

ウェールズ西部は、ストーンヘンジを構成する石の中で小規模な「ブルーストーン」の産地と考えられ、こうした石の輸送やストーンヘンジの建設にウェールズ出身者が携わっていた可能性が高いとのことです。

ストロンチウムは植物が土壌より吸収するため、死の直前10年間で人が口にしていた平均的な食べ物を反映します。そのため遺体の骨にストロンチウム同位体分析を施すことで、こうした人々が生涯最後の10年間に住んでいた場所を割り出すことができるのです。

分析対象となった人骨は紀元前3180~2380年のもので、25の人骨中の15人は現地の人で、残り10人はウェールズ西部を含む英国西部で暮らしていた可能性がわかりました。

また火葬の方法は一様ではなく、異なる燃料を利用したか、異なる条件下で実施されたと推測されています。現地の人々がストーンヘンジ周辺のような開けた土地で育つ木のまきを積んで火葬されたのに対し、他の人々はウェールズ西部のような森林地帯で育つ木を燃料に火葬された可能性があるとのこと。

分析対象となったいくつかの火葬遺体は皮の袋に入っていたことが発見時に分かっており、遺体が埋葬のために遠隔地から運ばれた可能性を考えています。

この研究がどう重要かというと、ストーンヘンジの石や人骨がウェールズと結び付けられるということは、ストーンヘンジの建設は220キロ以上離れた地域間における人々の繋がりが必要となるのです。

5000年前の新石器時代に、皆でストーンヘンジを造り、利用するために、人と物資がウェールズとストーンヘンジのあるウェセックス地域を行き来していたことになります。

どうやら人類の地域間交流は古くから密接であっただけではなく、古くから地域間で共有する公共建造物の建設が開始されていたようですね(*・ω・)ノ

↓科学の進歩は歴史を一層深く、面白くするね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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