あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    イギリス

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    2026ねん 7がつ2にち(もくよーび、あめ)

    毎日乾燥機かけにゃならんくて時間取られるぜ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y760

    ↑おいくら万円だったんだろうね!?( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースはイングランド南西部サマセット州の畑で、トラック運転手の金属探知機愛好家が、約1700年前の古代ローマの金の指輪を発見したぞ! しかもその発見によって住宅ローンを完済できたらしいぞ( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ





    📰 はじめに


    いや、夢がある。

    畑に行く。
    金属探知機を使う。
    何か反応がある。
    掘ってみる。
    出てきたのは、古代ローマの金の指輪。

    そして最終的に、博物館が購入。

    発見者は住宅ローン完済。

    考古学ニュースなのか、一攫千金ニュースなのか、少しわからなくなる( ・Д・)

    でも、この指輪はただの高価な金製品ではない。

    重さ48グラム。

    青灰色の石に、勝利の女神ヴィクトリアが二頭立ての戦車を操る姿が彫られている。

    しかも、297枚のローマ時代コインとともに見つかった。

    その年代は西暦297年ごろ。

    これは、ローマ帝国支配下のブリテン島が、政治的にかなり揺れていた時代である。

    つまりこの指輪は、

    「すごいお宝が出ました!」

    だけでなく、

    ローマン・ブリテンの富裕層、動乱、信仰、権力、そして現代の文化財制度まで見せてくる資料なのだ。


    🎣 発見者はトラック運転手で金属探知機愛好家

    発見者は、ケビン・ミントさん。

    元軍人で、トラック運転手として働きながら、趣味で金属探知をしていた人物である。

    彼は、サマセット州イルミンスター近郊の畑で金属探知をしていた。

    最初は、コインかブローチのようなものだと思ったらしい。

    ところが掘り出してみると、それは金の指輪だった。

    しかも、ただの指輪ではない。

    大きい。
    重い。
    金がたっぷり使われている。
    石には精巧な彫刻がある。

    周囲にいた仲間が「俺たちは金持ちだ!」と叫んだという話もある。

    まあ、気持ちはわかる。

    畑から金のローマ指輪が出てきたら、そりゃ叫ぶよね( ・Д・)





    💍 イルミンスター・リングとは何か

    この指輪は、発見地にちなんで「イルミンスター・リング」と呼ばれている。

    年代は西暦297年ごろ。

    重さは48グラム。

    現代の指輪として考えても、かなり重い。

    しかも、指輪にはニコロと呼ばれる青灰色系の石がはめ込まれ、そこに勝利の女神ヴィクトリアが彫られている。

    ヴィクトリアは翼を持つ女神で、二頭立ての戦車を操っている。

    左手には鞭、右手には手綱。

    戦車の車輪も表現され、馬は後脚で跳ねるように描かれている。

    小さな指輪の上に、かなり豊かな場面が刻まれているわけだ。

    このように、石の表面を彫り込んで図像を表す技法をインタリオという。

    指輪はただ身につける装飾品ではない。

    時には印章として使われ、所有者の身分や権威を示す。

    つまり、この指輪は「きれいなアクセサリー」ではなく、社会的な力を持つ道具だった可能性がある。


    🏛️ 勝利の女神ヴィクトリアが意味するもの

    ヴィクトリアは、ローマの勝利の女神である。

    ギリシア神話のニケに対応する存在としても知られる。

    ローマ世界では、勝利はとても重要な概念だった。

    軍事的勝利。
    皇帝の勝利。
    帝国の秩序。
    平和の回復。
    敵への勝利。

    そうしたものが、ヴィクトリアの姿に重ねられた。

    だから、指輪にヴィクトリアが彫られていることには意味がある。

    単なる「縁起のよい女神」かもしれない。

    所有者の成功や勝利を願うものかもしれない。

    軍事的な地位を持つ人物の指輪だったかもしれない。

    あるいは、混乱の時代に勝利と安定を求める象徴だったのかもしれない。

    もちろん、所有者を断定することはできない。

    でも、この図像は、この指輪が単なる日用品ではなかったことを強く示している。


    🌫️ 西暦297年ごろのブリテン島は、かなり不安定だった

    この指輪が埋められたと考えられる西暦297年ごろは、ローマン・ブリテンにとって重要な時期である。

    3世紀のローマ帝国は、政治的にも軍事的にもかなり不安定だった。

    皇帝が次々に交代し、内乱が起こり、外敵の侵入も増え、地方では独自政権のようなものが現れる。

    ブリテン島でも、286年から296年にかけて、カラウシウスとアレクトゥスによる独立的な支配が起きた。

    いわゆるブリテンの分離政権である。

    ローマ帝国の中央から見ると、反乱政権である。

    しかし現地の人びとから見ると、海賊対策、軍事、税、流通、貨幣、地域支配が絡む、かなり複雑な政治状況だったはずだ。

    296年、コンスタンティウス・クロルスによってブリテンはローマ帝国へ再統合される。

    そして、その直後にこの指輪とコインのまとまりが埋められた可能性がある。

    つまり、イルミンスター・リングは、ローマ帝国がブリテン支配を立て直す、その境目の時代に置かれている。

    これはかなり面白い。


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    🪙 指輪だけでなく、297枚のコインも見つかった

    この指輪は、単独で見つかったわけではない。

    同じ場所から、297枚のローマ時代コインも見つかっている。

    つまり、これは単なる落とし物ではなく、まとまって埋められた可能性が高い。

    こうしたまとまりを、ホード、つまり埋納された財のまとまりとして考えることがある。

    ホードにはいろいろな理由がある。

    安全のために隠した。
    非常時に財産を埋めた。
    後で取り戻すつもりだった。
    でも戻れなかった。
    あるいは、宗教的・儀礼的に捧げた。

    今回の場合、研究者は、動乱の時代に隠された可能性を考えている。

    つまり、所有者は指輪とコインを埋め、あとで取りに来るつもりだったのかもしれない。

    でも、取りに来られなかった。

    それから約1700年後、トラック運転手の金属探知機が反応した。

    歴史、たまにすごい回収のされ方をする( ・Д・)


    🏡 所有者は誰だったのか

    では、この指輪の持ち主は誰だったのか。

    これも、まだわからない。

    ただし、かなり高い地位の人物だった可能性はある。

    金を48グラムも使った大型の指輪。

    精巧なインタリオ。

    ヴィクトリアの図像。

    コインのまとまり。

    これらを考えると、普通の農民や庶民の持ち物とは考えにくい。

    研究者は、総督、商人、大地主、あるいは地域の有力者のような人物だった可能性に触れている。

    「ローマの将軍の指輪」と紹介されることもあるけれど、現時点ではそこまで断定しない方がよいと思う。

    軍人だったかもしれない。

    高官だったかもしれない。

    大土地所有者だったかもしれない。

    交易に関わる富裕層だったかもしれない。

    大事なのは、この指輪が、南サマセットにローマ世界の富裕層が存在したことを強く示している点である。


    🛣️ サマセットは、ローマ世界の辺境ではなかった

    サマセットというと、現代の感覚ではイングランド南西部ののどかな地域という印象があるかもしれない。

    でも、ローマ時代には、ここにも道路、町、農場、ヴィラ、流通、富裕層のネットワークがあった。

    ローマン・ブリテンは、単にロンドンや軍事要塞だけで成り立っていたわけではない。

    地方にも、ローマ風の生活を取り入れた有力者がいた。

    ヴィラを持つ。
    モザイクを使う。
    輸入品を得る。
    貨幣経済に参加する。
    金や銀の装身具を持つ。

    こうした人びとが、帝国の地方社会を支えていた。

    イルミンスター・リングは、まさにそうした地方富裕層の世界を見せてくれる。

    ローマ帝国は、中心だけでなく地方にも浸透していた。

    そして、その地方の畑の下に、金の指輪とコインが眠っていたのである。





    💰 住宅ローン完済という現代の物語

    ここで、現代の話に戻ろう。

    サウス・ウェスト・ヘリテージ・トラストは、このイルミンスター・リングとコインのまとまりを、7万8010ポンドで取得した。

    日本円にすると、為替によるけれど、かなりの金額である。

    このお金は、土地所有者、発見者、協力した金属探知機仲間の間で分配された。

    その結果、ケビン・ミントさんは住宅ローンを完済できたという。

    いや、すごい。

    古代ローマの勝利の女神、現代イギリスの住宅ローンに勝利する。

    ヴィクトリア、仕事しすぎである( ・Д・)

    もちろん、ここだけ見ると夢のある話だ。

    でも同時に、これは文化財制度がうまく働いた例でもある。

    発見物が適切に報告される。
    専門家が調査する。
    重要文化財として扱われる。
    博物館が取得する。
    発見者や土地所有者にも報酬が支払われる。
    そして地域の人びとが見られるようになる。

    この流れがあったからこそ、指輪は個人コレクションや市場に消えず、地域の博物館へ行くことになった。


    🔎 金属探知機発見の難しさ

    イギリスでは、金属探知機による発見が非常に多い。

    有名な財宝や埋納物も、しばしば金属探知機愛好家によって見つかっている。

    これは考古学にとって、良い面も悪い面もある。

    良い面は、地中の遺物が見つかること。

    適切に報告されれば、考古学資料として研究できる。

    地域の歴史が豊かになる。

    博物館展示にもつながる。

    一方で、悪い面もある。

    出土状況が失われやすい。

    勝手に掘られると、遺跡そのものが破壊される。

    金銭的価値ばかりが注目される。

    違法な持ち去りや売買が起こることもある。

    だから、重要なのは制度と倫理である。

    土地所有者の許可を得る。

    発見物を報告する。

    専門家につなぐ。

    出土位置や状況を記録する。

    今回の発見は、結果として地域博物館に収蔵された点で、かなり良い着地点になったと思う。


    🏛️ 博物館へ行く意味

    イルミンスター・リングは、最終的にサマセット博物館で展示される予定である。

    しかも、その前に地域の小学校を巡回し、子どもたちがローマ時代の歴史を学ぶ機会にも使われるという。

    これは、とても良い。

    金の指輪は、ただ高価だから価値があるのではない。

    それを見た人が、過去の社会を考える入口になるから価値がある。

    なぜローマ人がサマセットにいたのか。
    なぜ勝利の女神が彫られているのか。
    なぜコインと一緒に埋められたのか。
    なぜ持ち主は取りに戻れなかったのか。
    なぜ現代の博物館がそれを守るのか。

    そういう問いが生まれる。

    博物館に入ることで、指輪は単なる財宝から、地域の歴史を語る資料へ変わる。

    これが大事である。


    🧠 MME的に見ると、これは強烈な上位財である

    少しだけMME的に見ると、この指輪は明らかに上位財である。

    金。
    大型。
    精巧な彫刻。
    勝利の女神。
    印章的機能。
    コインのまとまりとの関係。
    政治的動乱期の埋納。

    これは、社会の上層に強く結びつく財だと考えられる。

    ただし、面白いのは、指輪が単独ではなくコインと一緒に見つかっていることだ。

    コインは、より広く流通する財である。

    一方、金の大型指輪は、かなり限られた所有者に偏る財である。

    つまり、このホードの中には、流通財と威信財が一緒に入っている。

    現金的な価値と、身分表示的な価値が同じ場所に埋められている。

    これは、その所有者が単にお金を持っていただけではなく、社会的地位や象徴的権威を持っていた可能性を示している。

    一つの埋納資料の中にも、財の性格の違いが見えるのである。


    📦 なぜ取りに戻らなかったのか

    この手の発見で、いつも気になるのがこれである。

    なぜ、持ち主は取りに戻らなかったのか。

    もちろん、答えはわからない。

    急に亡くなったのかもしれない。
    戦乱に巻き込まれたのかもしれない。
    土地を離れたのかもしれない。
    埋めた場所を失念したのかもしれない。
    そもそも取り戻すつもりのない奉納だったのかもしれない。

    ただ、西暦297年ごろという年代を考えると、政治的な不安定さと結びつけたくなる。

    ブリテンが分離政権からローマ帝国へ戻された直後。

    軍事的・政治的な緊張。

    富裕層の不安。

    そうした状況の中で、財産を隠すことは十分ありえる。

    しかし、隠した財産が戻されなかったということは、そこに何らかの断絶があったのかもしれない。

    この指輪は、輝いている。

    でも、その背景には、誰かが戻れなかった物語がある。

    そこが少し切ない。


    ✨ おわりに

    今回のイルミンスター・リングは、いかにもニュース向きである。

    畑。
    金属探知機。
    トラック運転手。
    古代ローマの金の指輪。
    住宅ローン完済。

    これだけでも、かなり強い。

    でも、考古学的に見ると、それ以上に面白い。

    勝利の女神ヴィクトリアが刻まれた指輪。

    297枚のローマコイン。

    西暦297年ごろという動乱直後の年代。

    ローマン・ブリテンの富裕層。

    地方社会の交易と富。

    そして、現代の博物館と文化財制度。

    一つの金の指輪が、古代と現代をつないでいる。

    古代の所有者は、危機の中でこの指輪を埋めたのかもしれない。

    現代の発見者は、それを掘り出して住宅ローンを完済した。

    そして指輪は、最終的に地域の博物館へ行き、子どもたちにローマ時代の歴史を語ることになった。

    古代ローマの勝利の女神は、1700年後に、まさか住宅ローンと地域教育に関わるとは思っていなかっただろう。

    でも、それが考古学の面白いところである。

    モノは、時代を越えて意味を変える。

    持ち主の権威を示した指輪が、隠された財産になり、畑の下の沈黙になり、発見者の人生を少し変え、博物館の展示品になる。

    イルミンスター・リング。

    小さな指輪なのに、話が大きすぎるぞ( ・Д・)



    何はともあれ……

    日本円で約1700万円だってさ!( ・Д・)






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    2026ねん 7がつ1にち(すいよーび、くもり)

    昨晩は仕事するつもりがたくさん寝た、えらい!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y752

    ↑うちの学校の下も掘ってみたい!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースはイギリスの名門校ニュー・ホール・スクールの敷地内で、チューダー朝時代、つまり約500年前のものとみられる地下トンネルが見つかったぞ( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ





    ↑前も学校の下だったね!( ・Д・)

    📰 はじめに

    いや、また学校である。

    この前は、ローマの高校の体育館の下から1800年前の豪邸が見つかった。

    そして今度は、イギリスの学校の敷地から500年前のトンネルである。

    学校の地下、強すぎない?( ・Д・)

    しかも今回の場所は、ただの学校ではない。

    エセックス州チェルムズフォードにあるニュー・ホール・スクール。

    ここは、かつてヘンリー8世が所有したチューダー朝の宮殿、ボーリュー宮殿の跡地にある学校なのだ。

    つまり、今回見つかったトンネルは、

    「学校の地下に謎の通路があった!」

    というだけではない。

    王の宮殿。
    アン・ブーリンの実家。
    ヘンリー8世の地方宮殿。
    チューダー朝の生活。
    そして、近現代の学校。

    こうした歴史の層が、ひとつの地下トンネルから見えてくるかもしれないのである。


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    ↑地下っていうか・・・( ・Д・)(「New Hall School」の記事内画像より転載;credit: New Hall School)


    🏫 ニュー・ホール・スクールとはどんな学校なのか

    ニュー・ホール・スクールは、イギリスのエセックス州チェルムズフォードにあるカトリック系の学校である。

    学校そのものの起源は17世紀にさかのぼる。

    もともとは現在のベルギーにあたるリエージュで、1642年に創設されたカトリック教育の学校だった。

    その後、フランス革命期の混乱で大陸から移動し、1799年に現在の場所に落ち着いた。

    つまり、学校としても長い歴史を持っている。

    でも、この場所がさらに面白いのは、学校が入っている敷地そのものが、もっと古い王室の歴史を持っていることだ。

    ニュー・ホール・スクールは、かつてのボーリュー宮殿の跡地にある。

    ボーリュー。

    フランス語風に言えば「美しい場所」。

    なんか名前からしてヘンリー8世が好きそうである( ・Д・)


    👑 そこはヘンリー8世の宮殿だった

    この地は、もともとニュー・ホールと呼ばれる邸宅だった。

    16世紀初頭には、トマス・ブーリンが所有していた。

    トマス・ブーリンは、後にヘンリー8世の2番目の王妃となるアン・ブーリンの父である。

    そして1517年、ヘンリー8世はこのニュー・ホールを取得した。

    その後、大規模な改築を行い、豪華な宮殿へと作り替えた。

    それがボーリュー宮殿である。

    ヘンリー8世といえば、6人の妻、宗教改革、強烈な王権、豪華な宮廷文化で知られる人物だ。

    でも彼は、宮殿をたくさん持っていた王でもある。

    王が移動する。

    宮廷が移動する。

    家臣や使用人や物資も移動する。

    だから、王の宮殿は一つだけでは足りない。

    各地に宮殿や狩猟用の邸宅を持ち、そこを巡りながら支配と社交を行っていた。

    ボーリュー宮殿も、そうしたチューダー朝の王権ネットワークの一部だった。





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    🏰 宮殿はただの住まいではない

    宮殿というと、王様が暮らす豪華な家を思い浮かべる。

    でも、チューダー朝の宮殿は、ただの住まいではない。

    政治の舞台。
    外交の舞台。
    宴会の舞台。
    狩猟の拠点。
    権力を見せる空間。
    大量の使用人や物資を動かす巨大施設。

    そういう複合的な場所だった。

    王が滞在すれば、そこには宮廷がやってくる。

    食料が必要になる。

    酒が必要になる。

    暖房が必要になる。

    馬や家畜の管理も必要になる。

    衣服、寝具、家具、皿、瓶、照明、台所、倉庫、通路。

    とにかく裏方が巨大になる。

    だから宮殿の考古学では、華やかな広間だけでなく、台所、倉庫、排水、庭園、サービス用通路のような“裏側の構造”がかなり重要になる。

    今回のトンネルも、そこに関わる可能性がある。


    🧱 発見のきっかけは「ハハ」の修繕だった

    今回、トンネルが見つかったのは、学校敷地内の歴史的な「ハハ」と呼ばれる造園構造物を修繕している最中だった。

    ハハ。

    名前がかわいい。

    でも、ちゃんとした庭園用語である。

    ハハとは、景観を遮らずに家畜などの侵入を防ぐための、溝状の境界施設である。

    普通の柵を立てると、庭園や邸宅からの眺めが邪魔になる。

    そこで、片側を掘り下げて壁にする。

    遠くから見ると景色はつながって見えるのに、実際には家畜が越えられない。

    そういう、いかにもイギリス庭園っぽい工夫である。

    そのハハの修繕中に、レンガ造りの地下通路の入口が見つかった。

    つまり、今回の発見は、華やかな宮殿本体の部屋ではなく、庭園や外構、そして地下の構造に関わる発見だった。

    ここが面白い。

    宮殿の歴史は、建物の正面だけではなく、庭と地下にも残っているのである。


    🕳️ 見つかったのはどんなトンネルなのか

    今回見つかったのは、レンガ造りの地下通路の入口である。

    まだ全体が発掘されたわけではない。

    だから、どこまで続いているのか、何のために作られたのか、確定しているわけではない。

    ただし、学校側や報道では、ヘンリー8世の時代、つまりチューダー朝期にさかのぼる可能性があるとされている。

    地下からは、陶器、骨、ガラス瓶、ガラス片、鉛の破片などが見つかっている。

    これらは現在、詳しく調査されている。

    中でも陶器については、状態がかなり良いものもあるらしい。

    そのため、単にゴミとして投げ込まれたのか、それとも保管のために置かれたのか、まだ議論がある。

    このあたりが考古学的に大事である。

    地下にモノがある。

    だからゴミ捨て場だ。

    ……とはすぐには言えない。

    モノの残り方、壊れ方、まとまり方、置かれた場所を見ないといけない。




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    🍶 陶器や瓶は、宮殿生活の裏側を語る

    今回出てきた陶器やガラス瓶は、一見すると地味に見えるかもしれない。

    でも、こうしたものこそ、生活の実態を語る。

    王の宮殿と聞くと、金銀の食器、豪華なタペストリー、紋章、儀式用の衣装を想像しがちだ。

    もちろん、それも重要である。

    でも、宮殿で毎日使われるものは、それだけではない。

    保存容器。
    調理器具。
    飲食器。
    瓶。
    骨。
    鉛材。
    修理されたもの。
    割れたもの。
    捨てられたもの。

    こうした日常的な遺物は、宮殿を動かしていた裏方の世界を見せてくれる。

    王の生活は、王だけでは成立しない。

    大量の使用人、料理人、職人、管理者、庭師、馬丁、警備、事務官がいた。

    つまり、宮殿とは、きらびやかな王室空間であると同時に、巨大な労働と物流のシステムでもあった。

    トンネルや地下空間は、その“見えにくい宮殿”を考える手がかりになる。


    🔐 秘密の逃げ道だったのか

    地下トンネルと聞くと、すぐに想像したくなるのが、

    「王族の秘密の逃げ道か?」
    「宗教改革期のカトリック逃亡路か?」
    「アン・ブーリン関係の何かか?」
    「陰謀の通路か?」

    みたいな話である。

    気持ちはわかる。

    地下トンネルは、どうしてもロマンが強い。

    でも、現時点では慎重に見た方がよい。

    今回のトンネルについては、保管場所、サービス用通路、庭園施設、宮殿の裏方に関わる構造など、いろいろな可能性が考えられている。

    秘密の逃げ道だったと決めつける証拠は、今のところない。

    むしろ宮殿のような大規模施設では、実用的な地下構造があっても不思議ではない。

    物資を置く。

    排水や導水に関わる。

    庭園や家畜管理と関係する。

    人目につきにくい動線として使う。

    こうした用途の方が、考古学的にはまず考えやすい。

    ロマンは大事。

    でも、ロマンに引っ張られすぎると危ないのである( ・Д・)




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    ⚔️ チューダー朝は、変化の時代だった

    今回のトンネルが本当にヘンリー8世の時代のものなら、背景には16世紀イングランドの大きな変化がある。

    チューダー朝は、王権が強まり、宗教が揺れ、宮廷文化が発展した時代である。

    ヘンリー8世は、最初はカトリック王として振る舞っていた。

    しかし、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題をきっかけに、ローマ教皇庁との関係を断ち、イングランド国教会の成立へ向かう。

    そして修道院解散が進み、宗教施設の土地や財産が再編されていく。

    この変化は、政治だけでなく、建築や土地所有にも大きな影響を与えた。

    誰が土地を持つのか。
    どの建物が壊されるのか。
    どの屋敷が王のものになるのか。
    どの宗教空間が世俗の空間へ変わるのか。

    チューダー朝の地下には、そういう大きな社会変化も眠っている。

    今回のトンネルがただの倉庫や通路だったとしても、それはこの時代の宮殿経営と社会変化の中に位置づけられる。


    👸 アン・ブーリンの影も見える

    ニュー・ホールの歴史でどうしても気になるのが、アン・ブーリンである。

    この邸宅は、もともとアン・ブーリンの父トマス・ブーリンが所有していた。

    その後、ヘンリー8世が購入した。

    そして数年後、ヘンリー8世は最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を求め、アン・ブーリンと結婚する。

    もちろん、今回のトンネルがアン・ブーリンと直接関係するわけではない。

    そこは慎重である。

    でも、この場所がチューダー朝政治の中心人物たちと関係していたことは確かである。

    邸宅というのは、ただの建物ではない。

    所有者が変わる。

    王が買う。

    名前が変わる。

    改築される。

    宮廷が訪れる。

    そして、その場所が政治の記憶を帯びていく。

    ニュー・ホールからボーリューへ。

    この名前の変化自体が、ヘンリー8世の権力の見せ方を物語っている。




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    🏚️ 消えた宮殿の一部が、学校に残った

    ボーリュー宮殿は、かつて非常に重要な王室宮殿だった。

    しかし、その後、王室の所有を離れ、時代が下るにつれて大部分が失われていく。

    18世紀には宮殿の多くが解体・改変され、現在のニュー・ホール・スクールの建物には、その一部だけが残っている。

    つまり、現在見えている学校の建物は、かつての宮殿全体ではない。

    失われた部分が多い。

    だからこそ、地下や庭園、外構から出てくる遺構が重要になる。

    地上に残らなかった宮殿の形が、地下にはまだ残っているかもしれない。

    建物が消えても、基礎が残る。

    通路が残る。

    廃棄物が残る。

    庭園構造が残る。

    そうやって、失われた宮殿が少しずつ復元されていく。

    これが考古学の良いところである。


    🏫 学校で発見される意味

    今回の発見が特に面白いのは、やはり学校で見つかったことだ。

    生徒たちは、普段から歴史を授業で学んでいる。

    でも、その歴史が校舎の下から出てくる。

    これは強い。

    教科書にあるチューダー朝が、急に自分の学校の敷地に現れる。

    ヘンリー8世が、ただの歴史上の人物ではなく、自分たちの学校の過去とつながる。

    これは、歴史教育としてものすごく良い。

    歴史は遠い昔の話ではない。

    自分が歩いている地面の下にもある。

    しかも、それは王や貴族の歴史だけではない。

    陶器や骨や瓶のような、生活の痕跡としても残っている。

    学校の地下トンネルは、生徒たちにとって最高の教材になりそうである。




    arukemaya_y756


    🔎 ただし、まだ調査はこれから

    今回の発見は、まだ始まりにすぎない。

    トンネルの全体像は、まだわかっていない。

    年代も、遺物や構造の詳しい分析が必要である。

    用途も未確定である。

    トンネルが本当にヘンリー8世時代に作られたのか。

    後世の改修や再利用がどれくらいあるのか。

    中の遺物は使用時のものなのか、後から入ったものなのか。

    保管なのか、廃棄なのか、別の用途なのか。

    こうした点は、これからの発掘と分析にかかっている。

    だから、現時点では、

    「ヘンリー8世の秘密地下道発見!」

    とまでは言わない方がよい。

    むしろ、

    「ヘンリー8世ゆかりのボーリュー宮殿跡で、チューダー朝期に関わる可能性のある地下構造と遺物が見つかった」

    というのが正確だと思う。

    地味に聞こえるかもしれない。

    でも、研究としてはこちらの方がずっと面白い。


    🧠 今回の発見の何が重要なのか

    今回の発見の重要性は、三つあると思う。

    一つ目は、ボーリュー宮殿の失われた構造を考える手がかりになること。

    二つ目は、チューダー朝の宮殿生活の裏側、つまり保管・サービス・庭園・物資管理のような実務的な部分を見られる可能性があること。

    三つ目は、歴史教育の場である学校と、考古学的発見が直接つながったことだ。

    特に二つ目は大事である。

    歴史では、どうしても王の結婚や戦争や宗教改革のような大事件に目が行く。

    でも、王の宮殿を動かしていたのは、日々の物資管理や労働である。

    陶器や骨や瓶や鉛片は、その日常の痕跡かもしれない。

    地下トンネルは、チューダー朝の派手な王権の下にあった、地味だけど重要なインフラを見せてくれる可能性がある。


    ✨ おわりに

    また学校である。

    ローマの高校の体育館の下からは、1800年前の豪邸。

    そしてイギリスの名門校ニュー・ホール・スクールの地下からは、500年前のチューダー朝トンネル。

    学校の下には、いったい何が眠っているのか( ・Д・)

    今回の発見は、見出しだけなら「秘密の地下トンネル発見!」で終わらせられる。

    でも、よく見るともっと面白い。

    そこは、ヘンリー8世が所有した宮殿だった。

    アン・ブーリンの父が所有した邸宅だった。

    王が改築し、美しい場所、ボーリューと名づけた場所だった。

    そして今は、生徒たちが学ぶ学校になっている。

    その地面の下から、レンガ造りの通路、陶器、骨、ガラス瓶、鉛片が出てきた。

    王の宮殿は、きらびやかな広間だけでできているわけではない。

    地下の通路、倉庫、庭園の境界、使用人たちの動き、日々の器や瓶も含めて、宮殿なのである。

    今回のトンネルは、その見えにくい宮殿の裏側を少しだけ見せてくれる。

    そして、生徒たちにとっては、歴史が教室の外どころか、校庭の下から出てきたことになる。

    歴史は本当に、地面の下にある。

    たまに学校の下にもある。

    いや、最近は学校の下から出すぎである。

    次はどこの学校から何が出てくるのか、ちょっと楽しみになってきたぞ( ・Д・)



    何はともあれ……

    日本だと学校は元墓地だった説多くない?( ・Д・)







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    この人生、ほんと研究だけ爆進で死ぬ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y523
    ↑1982年、引き上げの時!( ・Д・)(「CNN co.jp」の記事内画像より転載;credit: Fox Photos/Hulton Archive/Getty Images )



    今回の考古学・歴史ニュースはチューダー朝の軍艦がかっこいいぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに



    「沈没船」って聞くと、だいたいみんな脳内でこう変換しがちなんだよね。

    沈没 = 失敗
    沈没 = 終わり
    沈没 = 悲劇のラストシーン

    でもさ、考古学(と古人骨研究)って、そういう単純な物語を平気でひっくり返してくる。

    今回の主役は、チューダー朝(ヘンリー8世の時代)の軍艦メアリー・ローズ号。1545年に沈没して、1982年に大規模に引き揚げられた、あの有名な“タイムカプセル船”だ。



    で、ここからが面白い。



    回収された乗組員の骨(とくに鎖骨)を「ラマン分光」という方法で調べたら、
    加齢で骨の中身がどう変わるか、さらに利き手が骨の化学に影響するかもしれない、という“現代にも刺さる”話が出てきた。

    要するに、

    500年前の水兵たちが、いま医学の話をしてる。

    このズレが最高なんだよね( ・Д・)




    🧱 そもそもメアリー・ローズ号って何がヤバいの?

    メアリー・ローズ号はチューダー海軍の大型軍艦のひとつで、1545年7月19日、ソレント海戦の最中に沈没したとされる。

    で、沈没船は普通ボロボロになるんだけど、メアリー・ローズは条件がよかった。

    海底の堆積物で覆われて酸素が少ない環境になり、遺物も人骨も保存状態がかなり良かった。引き揚げと発掘で、船体・遺物(1万9000点以上)・乗組員の人骨(少なくとも179人分)が研究できる状態で残った。

    これ、歴史好きなら分かると思うけど、反則級の資料だよ。




    arukemaya_y520

    ↑分析した骨など!( ・Д・)(Shankland et al. 2024 のFig.1より転載)



    🦴 今回の主役は「鎖骨」だった

    今回の研究が見たのは、乗組員(男性・13〜40歳)の鎖骨(clavicle)。

    鎖骨って、地味に見えて面白いパーツで、

    肩と腕を体につなぐ要

    成長過程の情報が出やすい

    よく折れる骨として現代医学でも重要

    みたいに、「生活の癖」や「負荷」が出やすい場所なんだよね。

    そして使われた方法が、ラマン分光(Raman spectroscopy)。骨を大きく壊さずに、ミネラル(無機)とタンパク(有機)のバランスみたいな“骨の中身の化学”を見ていくやつ。




    🧪 骨の化学は、年齢でこう変わるっぽい

    結果をざっくり言うとこう。

    年齢が上がるほど、骨のミネラル成分が増える

    逆に、骨のタンパク成分は減る(減り方はミネラルほど大きくない)

    つまり、骨は年齢とともに“硬い方向”に寄っていく感じが示された。

    ここまでは、まあ「そういうこともあるかもね」で終わる。

    でも次が今回の逆転ポイント。





    arukemaya_y521

    ↑こういう分析には縁があんまりないぜ!( ・Д・)(Shankland et al. 2024 のFig.2より転載)



    ✋ 利き手が、骨の中身を左右で変えるかもしれない

    左右の鎖骨を比べると、変化が右側でより強く出ていた。

    研究側のロジックはこうだ。

    当時、左利きは忌避されやすく(魔女扱いとかの話も含めて)右利きが多かったはず。
    だから右側の鎖骨の方が、繰り返しの作業負荷を受けやすい。
    その結果、右の骨化学が“生活のクセ”をより強く反映したのかもしれない。

    ここ、めちゃくちゃ良い。

    利き手って「動作の癖」じゃん?
    その癖が、骨の内部の化学にまで刻まれてるかもしれない。

    これ、考古学者が好きなやつだよ。
    生活が、身体に書き込まれるやつ。




    🩺 そして現代にも刺さってしまう

    この研究、過去の水兵の生活復元だけで終わらない。

    論文側では、利き手の影響が本当にあるなら、骨折リスクや骨の老化関連疾患(たとえば変形性関節症など)を考える時の“現代の注意点”にもなりうる、という方向にも触れている。

    もちろん、サンプルは12人規模で、これで断定はできない。
    でも、沈没船の骨が「現代の骨の議論」に入り込んでくるのが、ロマン過ぎる。






    おわりに(沈没 = 終わり、じゃない)

    沈没船って、「歴史の失敗の象徴」みたいに見えがちなんだけど、

    沈没したからこそ、保存され、
    保存されたからこそ、研究でき、
    研究できたからこそ、500年後に新しい話が出る。

    沈没は終わりじゃなくて、
    研究の入口だった。

    そういう逆転ネタが、いちばん気持ちいい( ・Д・)





    なにはともあれ・・・・・・

    沈没船は浪漫!( ・Д・)







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    就活に時間削られるぜ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y509
    ↑これがサイズウェルB!現在稼働してるやつ!( ・Д・)


    今回の考古学・歴史ニュースはイギリスの『サイズウェルC計画』、実はとんでもない発掘プロジェクトだった( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    ↓前の「サイズウェルC計画」に関する記事だよ(*・ω・)ノ




    📰はじめに


    ――墳丘墓だけじゃない、サイズウェルC計画の正体

    前回の記事では、
    イギリス・サフォーク州で見つかった
    「王侯級エリートの墳丘墓」について紹介した。


    でも、あのニュースを追っていくと、
    どうも違和感がある。

    ……これ、
    「たまたま良い墓が見つかった」
    って規模じゃないぞ?

    調べてみると、
    どうやらサイズウェルC計画そのものが、
    考古学的にかなり異常なスケールらしい。

    今回はその話。




    🏗️ サイズウェルC計画は、どれくらいデカいのか


    サイズウェルC計画は、
    イギリス政府が進める国家級の原子力発電所建設プロジェクトだ。


    場所は、すでに既存の原発(サイズウェルA・B)があるエリアの近く。
    つまり「エネルギー拠点」としては昔から重要視されてきた土地だ。

    そして、カッコいい名前の「サイズウェルC」とはそもそも三番目の原子力発電所ってことなのだ。


    さて、発電所そのものだけでなく、

    • 建設用地

    • アクセス道路

    • 資材置き場

    • 周辺インフラ

    まで含めると、
    とにかく範囲が広い。

    この「範囲が広い」という一点だけで、
    考古学的には嫌な予感しかしない。

    なぜなら、

    広く削る
    =広く調べる
    =今まで誰も触ってこなかった場所に手を入れる

    ということだから。




    ⛏️ 事前調査が「普通の調査」で終わらなかった理由


    サイズウェルC計画では、
    当然のように事前考古学調査が行われた。

    でも結果は、
    「ちょっと記録して終わり」
    では済まなかった。

    次から次へと出てくる。

    • 先史時代の活動痕跡

    • 青銅器時代の遺構

    • 鉄器時代から初期中世の墓域

    • 中世の生活痕跡

    しかも、それぞれが
    点ではなく、面で出てくる。

    これはつまり、

    この土地が
    「一時的に使われた場所」ではなく、
    何千年も繰り返し使われてきた場所
    だったということ。



    arukemaya_y510
    ↑サイズウェルBの遠景、周辺環境はこんな感じ!( ・Д・)




    🧭 なぜ、この場所は使われ続けたのか


    サイズウェルC周辺の地形を見ていると、
    だんだん理由が分かってくる。

    • 海に近い

    • 平坦で使いやすい

    • 視界が開けている

    • 内陸と海岸をつなぐ位置

    要するに、
    人間が好む条件が揃いすぎている。

    だから、

    • 先史時代の人も

    • 中世の人も

    • 近代の人も

    みんな、同じ場所を選んだ。

    時代ごとに用途は違うけど、
    「ここは使える」という判断だけは、
    ずっと一致している。




    👑 墳丘墓は「異常」ではなく「結果」

    前回の記事で紹介した
    11基の墳丘墓と王侯級エリートの墓。

    あれも、
    この流れの中で見ると理解しやすい。

    いきなり偉い人が現れたわけじゃない。

    この土地が、

    • 長く使われ

    • 記憶され

    • 特別視され

    てきた結果として、
    「ここに葬る」という選択がなされた。

    墳丘墓は原因じゃなくて、
    積み重なった重要性の結果だった。




    🏛️ 現代の巨大計画が、過去を全部あぶり出す

    皮肉な話だけど、
    これほどの発掘成果が出たのは、

    サイズウェルC計画が
    あまりにも巨大だったからだ。

    • 小規模開発なら調べなかった場所

    • 農地のまま放置されていた場所

    • 誰も掘らなかった地面

    そこを、
    国家規模の計画が一気に開いた。

    その結果、
    時間がまとめて露出した。

    サイズウェルC計画は、
    発電所建設であると同時に、
    巨大な時間断面の露頭でもある。




    🔮 「当たり続ける」のではなく「見えているだけ」


    サイズウェルC計画が特別なのは、
    歴史が多いからじゃない。

    • 調査範囲が広い

    • 記録が丁寧

    • 情報公開が比較的多い

    つまり、

    本来なら埋もれたままだった過去が、
    たまたま見えているだけ

    とも言える。

    別の場所でも、
    同じ規模で、同じ精度で掘れば、
    似たことは起きるはずだ。

    ただ、そこまでやる計画が
    なかなか存在しないだけ。




    ↓前の「サイズウェルC計画」に関する記事だよ(*・ω・)ノ



    おわりに

    ――「サイズウェルC計画」は発電所以上のもの

    前回は、
    「王侯級エリートの墓」という
    分かりやすい成果を紹介した。

    でも本当に面白いのは、
    その背景にある、

    なぜ、ここで
    これほど多くの歴史が出るのか

    という問いだ。

    サイズウェルC計画は、
    エネルギーを生み出す施設を建てる計画であり、
    同時に、
    イングランド東部の時間を一気に可視化する装置
    にもなっている。



    掘れば必ず何か出る。
    でも、

    それを
    「ただの遺構」で終わらせず、
    「土地の履歴」として読めるかどうか。

    そこが、プロの仕事なんだと思う。




    なにはともあれ・・・・・・

    「サイズウェルC計画」……やぱ名前がカッコいい!( ・Д・)







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    2025ねん 2がつ 3にち(かよーび、晴れ)

    気付いたらもう2月だ!忙しくて目が回る~!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑インパクトあるね!ぱっと見ホラーだけど!( ・Д・)(「Medievalists.ner」の記事内画像より転載;credit: Oxford Cotswold Archaeology)


    今回の考古学・歴史ニュースはイギリス・サフォーク州で「王侯級エリート」の墓が見つかった話( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ――イギリス・サフォーク州で「王侯級エリート」の墓が見つかった話

    イギリスのサフォーク州で進められている「サイズウェルC計画」という発掘プロジェクトから、これはちょっと見逃せないニュースが飛び込んできた。


    発電所建設に先立つ考古学調査で、
    墳丘墓(ふんきゅうぼ)が、合計11基も検出されたというのだ。


    しかもそのうちの1基は、
    明らかに“王侯級エリート”のものと考えられている。


    これは当たりだ。



    🏗️ きっかけは、いつもの「工事前調査」

    今回の発見は、いわゆるレスキュー考古学によるものだ。

    大規模インフラを建設する前に、
    「念のため地面を調べておこう」という、あの調査。


    正直に言うと、
    特別なものは何も出ないことの方が圧倒的に多い。

    でも、たまにこういうことが起きる。

    何もないはずの場所から、
    地域の歴史そのものがごっそり出てくる。

    サイズウェルC計画は、
    まさにその“当たり回”だった。



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    ↑中世のオーブンとコプトボウル!( ・Д・)(「Medievalists.ner」の記事内画像より転載;credit: Oxford Cotswold Archaeology)


    ⛰️ 墳丘墓が11基並ぶ、という異常さ

    墳丘墓は、ただの墓じゃない。

    • 土を盛る

    • 目立つ形にする

    • 景観の中で存在感を出す

    つまり、「見せる墓」だ。


    時間も労力もかかる。
    誰でも、どこでも作れるものじゃない。

    それが11基も同じ場所に集中している


    これはもう偶然じゃない。

    ここは、特別な人たちが、特別に葬られるための墓域だった可能性が高い。


    墓が語っているのは、
    個人の死ではなく、社会の構造だ。



    👑 1基だけ、明らかに“格”が違う

    11基の墳丘墓の中で、
    研究者たちの目を引いたものがある。

    • サイズが大きい

    • 構造が複雑

    • 位置が中心的

    考古学では、
    墓にかけられた手間は、
    ほぼそのまま社会的地位を反映する。


    つまりこれは、

    「この人は、
    ほかとは別格だった」

    と、土そのものが主張しているような墓だ。


    研究者たちは、この人物を王侯級エリートとみている。

    王かもしれない。
    あるいは地域を支配した首長、
    軍事と政治を握った人物かもしれない。


    いずれにせよ、
    その土地で一番偉かった人間の一人だった可能性は高い。




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    ↑馬のお墓!( ・Д・)(「Medievalists.ner」の記事内画像より転載;credit: Oxford Cotswold Archaeology)



    ⚔️ 墓が語るのは「支配の記憶」

    この時代のイングランドでは、

    • 武力

    • 血統

    • 支配

    は、きれいに分かれていない。

    強い者が偉く、
    偉い者が土地を支配する。


    だから墓もまた、
    単なる埋葬施設ではなく、

    「この土地は、誰のものだったか」を示す記念碑になる。


    遠くから見えるように造られた墳丘墓は、
    生きている人々に向けたメッセージだった。



    🧠 なぜ、同じ場所に偉い人が集まるのか

    こうした発見を見るたびに思う。

    重要な場所は、
    何度も重要になる。

    王侯級の人物が葬られ、
    時代が下って、
    現代では国家規模の発電所が建てられようとしている。


    用途は違っても、
    「ここは重要だ」という感覚だけは、
    不思議と引き継がれている。



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    ↑マチルダと刻まれた鉛製のアクセサリーと中世のヴェネツィアガラスでできたカメオ!( ・Д・)(「Medievalists.ner」の記事内画像より転載;credit: Oxford Cotswold Archaeology)


    🏛️ 現代の工事が、古代の権力を掘り起こす

    もしサイズウェルC計画がなければ、
    これらの墳丘墓は、

    • 調べられず

    • 記録されず

    • 静かに削られていた

    かもしれない。


    皮肉だけど、
    現代の巨大インフラが、古代の権力構造を可視化した形だ。

    考古学では、よくある話。



    🔮 地面の下には、まだ語られていない歴史がある

    今回見つかった11基の墳丘墓は、
    氷山の一角かもしれない。

    サフォークの地面の下には、
    まだ名前も知られていない
    “偉かった人たち”の記憶が眠っている。

    掘られるのを、
    何百年も待ちながら。






    おわりに


    これ何だか凄い大きなプロジェクトみたいですね。てかプロジェクト名が「サイズウェルC計画」って全然意味分らんネーミングセンスに感じる一方で、なんだかかっこいいよね!

    最近、面白い記事もないし、次回はこのプロジェクトについて掘り下げてみようかな!(*^・ェ・)ノ




    なにはともあれ・・・・・・

    掘れば必ず何か出るもんだよ、

    それを大きな成果に見せるのがプロだ!( ・Д・)







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    精神的な疲労ってどうとればいいんでしょう!?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースはイギリスの魔法の鏡はアステカの儀礼の鏡だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    エリザベス1世は1588年にスペインの無敵艦隊に勝利したことにより、イングランドの黄金期の女王として知られています。

    そんな彼女の治世は1558~1603年です。

    1521年にスペインのコンキスタドールであるエルナン・コルテスによりアステカ帝国の首都のテノチティトランが陥落したこと、上記のように1588年にイングランドがスペインに勝利したことを考えると、、、

    今回の16世紀におけるイギリスとアステカの関係が見えてくる気がします。







    このエリザベス1世の政治顧問が上の写真のジョン・ディーです。

    16世紀では魔術は科学の仲間でした。

    この時期は錬金術も盛んでした。

    魔術や錬金術といった実験的な行為が17世紀の自然科学の誕生の基礎となったとも評価されています。



    ジョン・ディーも水晶玉や霊視鏡を使って魔術を使い、天使や霊の召喚や対話を試みたとされています。

    その証拠のひとつが彼の所有していた霊視鏡です。











    上に挙げた写真がジョン・ディーの霊視鏡です。

    黒曜石製なのですが、、、

    よくこんな風に加工できるなと驚いておりますΣ(・ω・ノ)ノ




    メキシコの博物館では見なかった気がしますが・・・

    メキシコにはもう残ってないのでしょうか、、、

    今回の分析に使用された3枚の黒曜石製鏡は全て大英博物館所蔵のものです。




    arukemaya_y009


    arukemaya_y010




    前回の記事に引き続き、今回の分析もハンディータイプの蛍光X線分析機器(800万円!)が使われています。

    分析結果としてはジョン・ディーの所有物とされている鏡はメキシコのパチューカ産黒曜石であることが分かりました。


    アステカ期の絵文書や壁画には鏡が登場します。

    古くはテオティワカンの頃から鏡が儀礼に使用されています。

    アステカ期では黒曜石の鏡は数多の神々の中でも主神的位置にあるテスカトリポカの象徴です。

    そもそもテスカトリポカは「煙を吐く鏡」を意味し、この鏡が儀礼用の黒曜石製鏡を指しています。

    万能の神であるテスカトリポカを象徴する黒曜石製鏡ですし、世界の裏側の未知の文明が儀式に使用したものですから、霊視などの魔術を行使する上では最高の儀礼具だったのかも知れませんね。









    おわりに

    古代メキシコ文化領域では黒曜石製鏡が結構あるような気がします。

    テオティワカンの鏡は見たことあるんですけれど、鏡面ではない背面がモザイク装飾であったのは記憶しているんですけれど、鏡面の記憶がない……

    黒かった気がするけど

    黒曜石製だったのだろうか……




    2023年に東博で「古代メキシコ」展があったのですが、その時の図録をどこかで探して買うしかないですね( -д-)ノ

    土器が全然なかったので要らんと思ってしまいました、、、

    そして高かった!( ・Д・)



    何はともあれ、

    黒曜石の加工技術パネェ!( ・Д・)



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    2024ねん 10がつ 9にち(すいよーび、雨)

    たくさん寝たから元気だけど片付け進まない!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは街の外れを開発工事したらたくさん遺物出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は、イギリス南部のバンベリーです。

    上に挙げた画像の通り、古い町並みが残る地域のようです。

    観光名所を見ていても中世を思わせるような建物がいっぱい残っていて、素敵な感じがします。








    さてそんなバンベリーですが、街の外れを宅地のための工事に伴い、緊急調査を実施しました。

    その結果、大量の遺物が出土したのです。

    その数、約2万点!( ・Д・)



    数だけ聞くと多いっちゃ多い・・・

    時期と地域によるんですよね。

    例えばマヤ文明でエリートクラスの建造物掘ってたら、ほとんど土器だけど簡単に万単位の遺物出るし、、、

    日本の縄文とか掘ってるとほぼ出ない、、、100点いかないってこともザラ。



    まぁ調査規模や期間にもよるので何とも言えないのですが、今回は工事に伴うものだからそれなりの範囲を調査しているはずなので、考古学者的にはそこまで驚く数ではない!( ・Д・)






    そんな中で今回の目玉のひとつは上に挙げた黄金のペンダント!

    中世の墓が見つかって、52体分の遺骨も検出されました。

    副葬品にはこうしたペンダントやネックレス、武器も含まれています。



    そして他の特徴として、約1万年前の中石器時代の遺物も出土しています。

    ちなみに中石器とは旧石器と新石器の間の時期のことです。



    もちろん中石器時代と中世の遺構だけではなく、その間の期間の遺物として、青銅器時代や鉄器時代の遺物も出ています。

    トータルで2万点ってことです。



    今回の発見で面白いのは、この内陸にあるバンベリーがよほど住みやすい地域だったのか、人類活動がずーっと続いて居住され続けた本当に長い歴史のある地域だってことですねヾ(´ω`=´ω`)ノ






    おわりに


    いや~、ヨーロッパいいなぁ。

    大英博物館とかルーブル博物館とか行きたいしね。

    マヤ文明のことを思うとスペインの博物館も行きたいしね・・・

    今頑張ってる理論の応用のことを考えると古代ローマ関係の資料調査も行きたいしね。



    金も時間もありませんので行く予定もありませんがね!( ・Д・)

    あ、アーサー王伝説も好きだから純粋にイギリスの観光もしてみたい・・・

    暫くはバンベリーの美しい町並みの写真見て癒されることにします( -д-)ノ




    何はともあれ、

    やぱ黄金製品いいな!( ・Д・)



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    さて、頑張りますかーいヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはハドリアヌスの長城の一部が工事中にすごく浅いところから出てきたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はイングランドの北東部に所在するニューカッスルです。

    ニューカッスル市街地中心部から僅かに離れた地点において水道管の工事中にハドリアヌスの長城の一部が見つかりました。



    ハドリアヌスの長城はCE122年に第14第ローマ帝国皇帝ハドリアヌスによって建設が開始された城壁でCE132年頃に最初の完成が見られました。

    当時ローマ帝国が領土拡大を続ける中、ケルト人の侵入を防ぐために建設された城壁です。

    そのためローマ帝国最北端の国境線でもあります。

    高さは4~5m、厚みは3m、長さは118kmに及びます。

    また6kmごとに見張り場としての要塞が建設されており、古代ローマ帝国が当時、ケルト人対策のために膨大な労力・費用を費やしたことが分かります。

    このハドリアヌスの長城は、中央からみて遠隔地での長期化するケルト人との争いためローマ帝国が領土拡張政策を断念した象徴として重要視されており、1987年に世界遺産に登録されています。

    サムネイル画像や最初に挙げた写真のように、ハドリアヌスの長城はかなり良好な状態で残っている遺構で、現在は観光名所になっています。




    今回の発見は、そんなハドリアヌスの長城の一部が市街地から見つかったという点で興味深い事例です。

    上に挙げた写真で分かるように非常に浅い地点から検出されています。

    これだけ浅いのに現在までの人類活動による破壊から逃れています。

    この地点は市街地中心部からやや離れているとは言え、十分に交通量が多く、また過去の水道管工事でも壊れていない点で奇跡的な残存と言えるでしょう。

    上の写真ではスケールとして、恐らくトータルステーション(光波測量機器)のプリズム用と思われるピンポールの先端が置かれています。

    この紅白ラインは通常10cm間隔です。

    縦に置かれていないため正確には分かりませんが、現地表面であるアスファルト上面から20cmもないような深さからハドリアヌスの長城の一部である石列が見つかっていることが分かりますΣ(・ω・ノ)ノ





    おわりに

    ハドリアヌスの長城はローマ帝国の支配が及ばなくなった以降も使用され続けます。

    上に挙げた写真のようにハドリアヌスの長城は残りが良いのですが、それもそのはず、ハドリアヌスの長城は17世紀まで使用され続けたのです。

    もちろん長い期間の中で幾度も増築や修繕は行われています。

    かつてはケルト人対策として建設された長城でしたが、後世ではハドリアヌスの長城はスコットランド対策として使用され、現在のイングランドとスコットランドの国境線にも強い影響を与えている巨大建造物として重要なものです。

    それが現在のイングランドに帰属する市街地のど真ん中から出てきたというのは面白いなと思います。


    ・・・最初に造られたのがおよそ1900年前、なのに地表下20cm程度で検出されるものなのですねΣ(・ω・ノ)ノ

    やはり人類活動の活発な地点は、、、

    土壌の堆積が全然ないね!( ・Д・)



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    今週さえ乗り切れば少し楽になる……と思い続けて幾星霜ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはトレジャーハンターが本当にお宝見つけたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はイギリス、スコットランドです。

    今回は大好きなナショナルジオグラフィックの記事を参考にしたもので、写真も全てそこから転載しております(いつもながらその都度、リンクとクレジット表記をしておきます)。

    発見されたお宝を紹介するのはサクッと終わらせて、『盗掘と文化財保護』について少し書こうかなと思います。

    まぁそう書くとお堅い感じがするので、『お宝見つけたらお金になるの?』ってテーマでお話したいなと思います(*・ω・)ノ


    arukemaya1388
    arukemaya1382
    arukemaya1387



    さて、イギリスと言えば「トレジャーハンターの国」なイメージを持っているのですが、、、

    何故かというとそれくらいたくさん金銀財宝が地下に眠っていて、金属探知機でお宝を探すトレジャーハンター(歴史愛好家?)がたくさんいるからです。

    実際にイギリスではほとんど全ての金銀財宝はトレジャーハンターによって見つけられています。

    一方で考古学者がお宝を発見することはほぼありません( -д-)ノ



    何ででしょう?( ・Д・)



    ・・・・・・



    ・・・



    「考古学者はお宝を発見するために発掘しているわけではないから」です(*・ω・)ノ

    どこの国の考古学者も基本的には税金や企業の助成金で研究しているわけで、何らかの研究テーマに沿って何らかの学術的課題をクリアするために調査を行っています。

    皆さんも、もし「私たちが税金使ってお宝発見してヤッホイ!.。゚+.(・∀・)゚+.゚」してたら怒るでしょ?

    そうなのです、目的が全然違うので考古学者がお宝を発見することはほぼありません。

    例えば建設工事などに伴う緊急調査、特に高速道路とかの大きな範囲を掘る際には確率的に出てくることもあるでしょう。

    でも基本的にはないのです( ・Д・)



    arukemaya1383
    arukemaya1385


    今回紹介しているお宝たちも2014年にトレジャーハンター(お宝探し愛好家)が金属探知機を使って発見したものです。

    もちろん全部ではありません。

    発見者が博物館などに報告して、考古学者が派遣され、周辺の調査がなされたのです。

    ・・・・・・この時、土地の所有者と第一発見者であるトレジャーハンターにはお金が支払われるのですが、考古学者には支払われません。

    誠に哀しいですねヽ(TдT)ノ

    発見されたこれらのお宝はおよそ1000年前のバイキングの宝であることが分かりました。

    丁寧に布などにくるまれて、2つのお宝の山に分けて埋められていたようです。

    出土状況はお墓ではないので、まさに埋蔵金というか、童話や伝説に出てくるような『海賊の隠し財宝』ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ





    さて、盗掘と文化財保護法について少し述べようかなと思います( -д-)ノ

    今回の件のように一般の人がもしお宝を見つけた場合、日本では「落とし物」扱いになります。

    その辺で拾った「拾得物」と同じです。

    古ければ古いほど、持ち主が現れることはないので、その価値が判定され20~50%くらいのお金がもらえます。

    このお金は大体の場合、土地の所有者と折半になります。

    これが比較的新しい時期の「拾得物」、例えば明治期とかになると、直接の子孫がいる場合があるので、その家族に通達が行くことがあります(*・ω・)ノ

    この埋蔵文化財保護法の内容は各国によってまちまちで、例えばイギリスの大部分では「300年以上前の金銀製の遺物」に関しては価値が査定され、市場価格がそのまま支払われます。

    価値の査定は主に有名博物館同士が争うオークションで決定されることが多く、対象は金銀財宝ですから結果として5000万円とか億単位の金額が支払われることさえあるのですΣ(・ω・ノ)ノ

    ……考古学者やめて、イギリスでトレジャーハンターやろうかな( ・Д・)

    って思えるくらいの額ですね( -д-)ノ


    ちなみにスコットランドでは金銀以外の製品も査定され、且つ時期の新しいものも対象になります。

    アメリカでは州法によってまちまちで、あまり保護されていません。

    その代わり、アメリカでは海の中で見つけたお宝は州法によりますが20%程度税金として払うだけなので、たくさんもらえます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    一方でイギリスやスペインでは世界中の海の中に「かつての王家の船」がたくさん沈んでいることが歴史史料で分かっていることもあり、見つけても王家のものになってしまいます。

    アメリカにとっては「他国のもの」だからどうでもいいんでしょうね( -д-)ノ

    しかし公海で見つけてしまうと法的に所有者と思われる各国と争うことになるので、『盗掘』というか『ネコババ』が起きます。

    この「盗掘」や「ネコババ」は世界的に見て、土中の考古学資料に対しても多々見られます。

    グアテマラなんか「盗掘天国」と揶揄されるくらいです(´・ω・`)

    その点、イギリスでは盗掘行為は少なく、発見者は皆報告する傾向にあります。

    だって、「正しく査定されて、その額がそのままもらえる」んだもの(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ただでさえ発見至上主義な古風な考古学者が多いのが事実だから、「イイモノ」出した考古学者に対する保護が必要だなんて言わないから、

    「盗掘による考古学データの消失」を防ぐためにも、埋蔵文化財保護法の見直しと整備をお願いしたい!

    もちろん日本の埋蔵文化財保護法はしっかりしている方だとは思うけど、部分的な見直し・改善は常に必要、重要だなと考えさせられますね(*^・ェ・)ノ



    ↓財宝やっほい.。゚+.(・∀・)゚+.゚



    ↑お宝関連記事(*・ω・)ノ

    ↓こんな事件もあったね( ・Д・)

    ↑日本では盗掘なんて対岸の火事だと思ってたやヽ(TдT)ノ



    おわりに

    海外の博物館は立派なところが多いし、運営もしっかりしていて、何と言ってもお金持ちですよね(*・ω・)ノ

    それに比べて、日本の博物館ってたくさんあるんですけども、運営が厳しいせいで民営化が進んでもう長いこと経ちますね。

    そうした中、資料調査の際の写真撮影や資料化作業に対して、1点当たり3000~4000円の料金を徴収すると言っている博物館もあるくらいです。

    お金に困ってるのは分かるけど、博物館が所蔵している資料は、今現在は民営化の結果、運営会社の管理下にあるかも知れないけど、そもそも「税金」による調査で出土して、収蔵されるに至ったものではないの?

    個人のギャラリーならいざ知らず、県・町立の博物館がやることではないと思います。

    というかそんな博物館の資料使わんよ!

    資料調査でいったい総額いくらかかるのか分からんじゃないヽ(TдT)ノ

    まぁそう思うと、現在無償にも関わらず色々と忙しい中、個人的な資料調査に協力してくださる博物館や地方自治体等の学芸員諸氏には頭が上がりませんね。

    改めて感謝ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ……博物館収蔵資料閲覧の有料化か、どこも大変なんだろうけども

    こんな世界に誰がした!?( ・Д・)



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    最近毎日眠いな!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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    1.はじめに

    今回の考古学・歴史ニュースは「エクスカリバーの発見!?( ・Д・)」についてです!

    この記事、2018年12月に書きかけたままになっていたことにたまたま気付いたため(実際に書きかけ記事はたくさんあります(/TДT)/)、今回仕上げることにしました。

    ……さて、冒頭で、巷で大人気の『Fate』の画像を、怒られるだろうなと思いつつも使ってみたのには訳がありまして……(怒られたら変更しますのでご指摘下さい( -д-)ノ)

    この記事を書くに当たって、アーサー王伝説について色々と調べてみたわけですよ。

    ネット情報を基本として、書籍や論文も少々。

    するとですね、YouTubeのアーサー王伝説に関する動画のコメント欄にですね、

    「え、アーサー王って男なんですね。ショックです。女の子だと思ってました……」

    というような書き込みを見つけまして、こっちの方がショックだわ!Σ(・ω・ノ)ノと、

    そしてアニメ等々の影響って凄まじいなと、驚きつつも関心してしまったわけです( ・Д・)

    そんな皆さんがよく知ってるようで知らないアーサー王伝説が今回の記事のテーマですが、『おわりに』の部分でアーサー王伝説のオリジナルとされるお話についても軽く触れようと思います(*・ω・)ノ


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    ↑湖で見つかった剣と発見者の少女(「うたまるニュース」の記事内画像より転載)


    2.スウェーデン少女による湖での剣の発見

    2018年夏、スウェーデンのヨンショーピング県に位置するウィーデステン湖において、8歳の少女が古代の剣を発見しました!

    2018年はヨーロッパ各地で干ばつが起きており、それによって様々な考古学的発見が起きてることを以前に紹介しましたが、今回の発見も干ばつが起因となっています。

    発見当時、湖はかなり干上がって水位が低くなっていたようです。発見者の少女、サーガ・バネチェクちゃん(名前が既にカッコいいΣ(・ω・ノ)ノ)は湖で泳ぐために普段は到達できない深い部分まで歩き回っていたようで、その結果、剣を踏んで発見に至ったそうです。

    アーサー王伝説における湖の乙女からのエクスカリバーの取得と統治権の譲渡のエピソードにちなんで、『新たなスウェーデン王女の誕生』と冗談交じりに報道されたようです。

    この発見された剣は地元の博物館員による鑑定によっておよそ1500年前のバイキング時代のものと推定されました。剣は非常に残りが良く、握り部に使われた木材や革も残存しているとのことです。

    また少女の発見を受けて、地元博物館主導の調査をこのウィーデステン湖で実施し、剣と同時代のものと思われる3世紀相当のブローチを発見したそうです。




    2.イングランド少女による湖での剣の発見

    さて、実は2017年にも湖から剣が発見されているので、紹介しますね。

    舞台はイングランドです!

    しかも発見された湖は、コーンウォール地方のドズマリープール、つまりアーサー王伝説の最後のシーンでアーサーがエクスカリバーを湖の乙女に返却した時の湖です!

    7歳の少女、マチルダ・ジョーンズちゃんが発見した剣が伝説のエクスカリバーであれば、マチルダ女王の誕生!となるわけですね。

    しかしな分析結果では、残念ながらこの剣はここ20~30年の間に作られた新しい剣ということで、アーサー王伝説ファンの方が投げ込んだものかも知れません。

    湖は海や河川に比べると水の流れが激しくないので、湖底に堆積した泥土等には遺物や古代の花粉といった様々な情報が含まれています。

    今後の調査で本物のエクスカリバーが出土する日が来るかも知れませんね!?




    4.おわりに ~聖剣はどこにある?~

    有名なアーサー王伝説ですが、私たちがよく知っている最後のシーンでは騎士ベディヴィアがエクスカリバーを湖に投げ入れます。

    これは『アーサー王の死』という書籍に書かれた内容が発端になっており、15世紀後半のものです。

    13世紀初頭に書かれた『ランスロ=聖杯サイクル』では騎士グリフレットが湖に剣を投げ込みます。

    この他、より古い時期、例えば12世紀相当の『マビノギオン』や『ブリタニア列王史』などアーサー王伝説に関係する中世の書物がいくつかあるわけですが、こうした全てのアーサー王伝説の元になっている神話があると考えられています。

    いくつかある説のひとつが『ナルト叙事詩』という黒海東岸地域に由来する神話です。

    この神話では神剣を『海』に投げ入れます。

    黒海周辺域の神話なので、やはり剣を投げ入れたのは黒海?

    仮にこの神話に何らかの史実が混じっているのならば、イングランドの湖だけではなく、是非黒海も探してみて欲しいものですね!(。・ω・)ノ゙

    いつか黒海を潜って、巨大な神の剣を探したいね!( ・Д・)


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