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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:イタリア

2020ねん 11がつ 29にち(にちよーび、晴れ)

昔の脳細胞から歴史に関して分かることがあったらスゴイねΣ(・ω・ノ)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはガラス化した無傷の脳細胞が発見されたよ、ちなみに脊髄の中の神経細胞も!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヘルクラネウム遺跡です。

以前にも取り上げてきた遺跡ですが、ポンペイがあまりに有名なため、比べるとあまり一般的ではありません。

しかしながら所謂ポンペイ遺跡の世界遺産としての登録名はポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域であることからも分かるように、ヘルクラネウムはポンペイと並んで現代の我々に古代に関する様々な情報を与えてくれる稀有なものとして非常に重要な遺跡なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ヘルクラネウムに関する過去の記事(。・ω・)ノ゙




上に挙げた過去記事では、ヘルクラネウムの人々は高温の火砕流に飲み込まれて脳みそが沸騰して頭蓋骨が爆発したとか、脳みそがガラス化したとかかなり激しい内容のものになっています。

ポンペイの事例では火砕流と降灰によって一瞬で死亡し包み込まれために、検出された灰の空洞部分に石膏を流すことで、当時の人々の生々しい最期の姿を見ることができます。

一方でヘルクラネウムはヴェスヴィオス火山との位置関係により、過去記事や今回の発見のように『ガラス化した系』の事例が多数確認されているのです(*・ω・)ノ



上に挙げた写真がCE79年、今からおよそ2000年前のヴェスヴィオス火山の噴火で死亡したヘルクラネウムの男性の頭蓋骨から見つかった脳細胞です。

頭蓋骨の発見自体は1960年代の調査時です。

この男性は25才程度で、ローマ皇帝を崇拝する目的で使用された施設(下部の写真を参照)にあるベッドにうつ伏せの状態で見つかりました。

この男性の頭蓋骨の内側にガラス状の輝く物質を発見したため、電子顕微鏡で観察したところ、『無傷の脳細胞』であることが分かりました。

この男性の脳は500度程度の高温の火山灰にさらされて一気に液体となった後で急速に火山灰の温度が低下することで即座にガラス化したため、このような良好な保存状態で残ったと推測されています。

またガラス化した脊髄中の神経細胞も無傷の状態で発見されたそうですΣ(・ω・ノ)ノ





おわりに、ー古代人の記憶を読み取るー

上の写真が、件の男性の遺体が見つかった「アウグストゥスのコレギウム」と呼ばれるヘルクラネウムの施設です。

鮮やかな彩文も残っているのものなのですねΣ(・ω・ノ)ノ

以前にも考古学調査で発見された「ウィルスで死亡した人骨」に対して医学者チームによるDNA研究が行われるといった学際的な研究の紹介をしました。

直接的な関わりはなくとも人類はウィルスと闘い続ける運命にあるわけですから、コロナウィルスですったもんだしている現代社会には大きく貢献する研究と言えるでしょう。

以上の事例を代表として考古学が他学問と協力関係にあることは少なくないわけですが、今回の発見も新たな協力関係を構築、あるいは新たな学問領域を拓くことになるかも知れません。

今回の発見をした研究者チームは考古学者だけではなく、生物学者や法医学者、数学者、神経遺伝学者から成るそうです。

特に神経遺伝学者というのが気になりますね( ・Д・)

世界広しと言えども、この長い人類史の中で、『ガラス化した無傷の脳細胞』の発見は前例がありません。

脳については分かっていないことが多いと思いますが、SF映画のようにはっきりとした映像にならなくとも、

古代人の脳から太古の記憶の断片を読む……

ことができる世の中がやってくるかも知れませんね。

そのような時代の前に、現代の容疑者の脳を覗いて犯行を実際に行ったかどうかの判定ができる時代が来るのかな( ・Д・)

被害者の記憶から犯人を特定するとか( ・Д・)

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研究チームか、、、

私も大きな野望を達成するために、

異分野の仲間が欲しいね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 21にち(どよーび、雨)

ふっか~つ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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↑イタリア北部に位置するってことが分かる図(「イタリア政府観光局」のページ内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは人類最古の地図って知ってる!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヴァルカモニカです。

ヴァルというのが「谷」を意味します。

しかし文法上は接頭辞なので、区切らずに一つの単語として扱うそうです(ヴァル・カモニカとはならないという意味)。

日本では「カモニカ渓谷」と表記されることの方が一般的なようですね( -д-)ノ


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カモニカ渓谷はモンテ・フレロネなどの高い山々に囲まれた中、南側に位置するイゼーオ湖に向かって流れるオリオ川によって形成された渓谷です。

このカモニカ渓谷には「ヴァルカモニカの岩絵群」と呼ばれるものがあります。

イタリアで最初の世界遺産として1979年に登録されました。

ヴァルカモニカの岩絵群と呼ばれる特定の場所があるわけではなく、カモニカ渓谷内に点在する国立公園の中で様々な岩絵が見られ、それらをまとめて岩絵群としています。

有名なところではナクアネ岩壁彫刻国立公園、セラディーナ-ペドリーナ公園、チェート岩壁彫刻国立公園、チンベルト岩壁彫刻国立公園、パスパルド岩壁彫刻国立公園を始めとして色々な公園があります。


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↑これが世界最古の地図!(「星埜 ????(発表年不明)」より画像を転載)

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↑全体はこんな感じの刻線文になっている(「??? 2016(発表者不明)」の画像より転載)




さて、今回紹介する世界最古の地図が『ペドリーナ図』です。

カモニカ渓谷の岩絵群のひとつなので、単純に「カモニカ地図」として日本では広まっているようです。

しかし先に紹介したようにカモニカ渓谷内には多数の国立公園があり、この岩絵地図はその内の一つで見られるものです。

それがセラディーナ-ペドリーナ公園です。

恐らく距離が近い二つの公園がまとまって、このセラディーナ-ペドリーナ公園となっているのだと思いますが、正確には二つに分かれるようです。

ペドリーナ公園の方は実は「国立」と付いていないだけあって、正確には私有地だそうです。

このペドリーナ公園にある岩絵地図なので、現地では人類最古の地図「ペドリーナ図」として知られていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

「カモニカ渓谷の岩絵群」は約1万年前から紀元前後のローマ帝国期に至る約8000年の間に人類によって描かれた様々な線刻画が見られます。

モチーフは農耕、航海、戦争と様々なものが計14万点も描かれており、それぞれの文化の様子を知る上での重要な資料となっています。

この人類が描いた最古の地図「ペドリーナ図」はBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前に描かれたもので、当時の集落の様子を描写しています。

良く見ると、人の形や、家畜などの動物のモチーフ、家屋のモチーフが見られますね。

下に挙げる別の岩絵にも家屋が見られるのですが、当時のこの辺りの家屋は高床式倉庫みたいに背の高いものだったのでしょうか、気になります。

家屋に梯子が付いていて、屋根裏に人が入っている様子も描かれています。

それにしても全体としてかなり大きい集落ですし、行き交う道も複雑で、かなり正確に描かれた地図のように伺えます(。・ω・)ノ゙




おわりに

数日、不可思議な腹痛(?)で伏せておりましたが、その間に「社会経済物理学」とか「都市地理学」の勉強を軽くやっていた時に、この世界最古の地図について偶然知りました。

地図というと、私のイメージではバビロニアの粘土板に描かれた地図が思い浮かぶのですが、そちらはBCE600年なのでペドリーナ図の方が古いですね。

まぁ世界地図としてはバビロニアが最古なのか……

続けて、バビロニアを扱ってもいいかも知れませんね(*^・ェ・)ノ

そう言えばマヤで地図って知らないな、焼かれたか!?( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

10日サボった後、10日くらい毎日更新中、えらいっ(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「イタリア南部、古代ローマの遺跡が沈むバイア海底遺跡がかっちょいいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア南部、カンパニア州の町、バイアにある海底遺跡です。

正式名称は「バイア海底考古学公園」となっています。

 


上に挙げた写真は1956年にバイア上空からイタリア軍のパイロットが撮影したもので、それを機に発見されたのだそうです。



海外からかなり近いですし、浅い部分にあることが分かります。




グーグルマップの解像度って場所によってはかなり高いので、もしかしたら見えるかも~

って探してみましたけどダメでした( -д-)ノ


さて、このバイア海底遺跡は、ポンペイのような悲劇の都市とは性格が異なります。

この辺りは、少なくとも古代ローマ期から現在に至るまで、地殻変動の影響により地盤が浮き沈みしている地域なのです。

この地盤の上下運動はとても緩やかなものなので、古代ローマ人は水没の危険を察知して海沿いの邸宅を意図的に放棄したそうです。

さて、では海底遺跡の様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





深度は浅いのでスキューバダイビングとして難易度は高くないそうです。

また船底から海底を覗けるようになっている遊覧船もあるので、ライセンスなくても楽しめるようです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


上の写真には破損した壺が映っていましたが、少なくとも中心部における大体の遺物の引き上げは終わってるようです。

特に彫像は全て引き上げられ、博物館にてオリジナルを見ることができます。

海底に設置してあるのはダイバー用のレプリカなのです(・∀・)つ



↑おわりに、で使用している「ポンペイ前提」について触れてます(難易度:高)


おわりに

地上の発掘調査ですら大変なのに、

海の中だと調査も記録も本当に大変だろうなと思います( ・Д・)

知人が海で調査したことあるのですが、聞いたところ、潮の満ち引きの影響で時間の勝負の側面が大きく、せっかく掘って露出させたそばから砂を被って嫌になると言ってました( -д-)ノ


考古学の基本理論である「ポンペイ前提」も使えなさそうだし、水中考古学は新しい分野ではありますが考古学界内でも課題が山積みな気がしますね。

海外ではもうけっこう盛んですが、日本ではまだまだ認められていない部分も少なくないと思うのです( -д-)ノ



このバイア海底遺跡周辺は現在でも地殻変動で浮き沈みしているようですから、私が死ぬまでにもし浮いてきていい感じに露出したら行きたいなと思います( -д-)ノ

そんなこと言ってないで、スキューバのライセンスを取るべきか……


マヤでも水中考古学やりたいね!( ・Д・)

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2018ねん 6がつ 6にち(すいよーび、曇り)

暑いから麺類ばかり食べておる。

痩せはするが、

筋肉が落ちそうだ。

たんぱく質も摂らにゃ( ・Д・)

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ぼん じょるの!(。・ω・)ノ゙今回紹介するのはイタリアで出土した古代の甕のお話。上の写真の甕がそれです。記載によると大きさは3.5フィート、およそ1mですね。デカい!なのに、使われてるスケールが小さ過ぎるんですけど!これじゃ拡大してもよく見えないよ( -д-)ノ

口縁部付近に把手が三つ付いてます。このサイズだと片手で扱うものじゃないので、把手はビールジョッキみたいな縦方向じゃなくて横方向に付いてますね。

文様は粘土紐の貼り付けのようですが、モチーフはロープでしょうかね。もしかしたら従来は木製容器とかでオリーブオイルが作られていて、運ぶ用にロープで縛ってあったのかも知れません。文様モチーフが左右対称ではないですし、紐状のモチーフが把手近くまで延びてるので、まぁたぶん痕跡器官かな~と思います。

この文様の解釈については私見ですので、間違ってたらごめんなさい。合っててかつ誰も言ってなかったら、この記事引用文献ってことでよろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

この土器は1990年代にシチリア島南東のカステルッチオ遺跡で出土したそうですが、400片程度に破砕された状態だったそうです。それがここまで接合されたようですね。ほぼ完形ですからね、接合のし甲斐がありますね!(・◇・)ゞ

底部破片の内面に残滓があったようで、それをス・クロマトグラフ分析、質量分析と核磁気共鳴分析を使って調べた結果、リノール酸とオレイン酸が検出されたそうです。この成分がオリーブオイルに特徴的なものだそうです。


これまでの研究ではイタリアにおける最古のオリーブオイルの存在は3300年前だったようで、700年遡る結果となったとのことです。約4000年前のイタリアは青銅器時代初期に相当します。


さっきの私の見解が正しければ、腐敗してしまう有機物質製の容器を用いたオリーブオイルの精製が行われていた可能性が高いですし、より古い歴史を持っていることになりそうですね。

ちなみに世界最古のオリーブオイルはイスラエルで見つかっていて8000年前だそうです。「料理の歴史」も面白そうですね!

↓オリーブオイルを摂取したことがある人は左を、ない人は右を押しましょうΣ(・ω・ノ)ノ↓

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2018ねん 5がつ 13にち(にちよーび、めちゃ雨)

考古学って面白いなと久しぶりに思えた。

考えることは面白い。

さて、あと3時間くらい頑張りますか。

ひと缶だけガソリン入れながらさ(*・ω・)ノカンパーイ!

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↑冒涜してはおりませぬ。あまりに悲痛な表情だから笑いに変えた方がいいかなって…(下部に載せたYoutube動画を基に加工)

【目次】
  1. ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!
  2. 「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
  3. おわりに

1.ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!

さて、まずポンペイについてさらりとご紹介しますね。場所はイタリアのナポリです。ヴェスヴィオス火山の大噴火の際に、火砕流によって飲み込まれた古代都市として有名です。

ポンペイは二度の大きな自然災害に襲われています。一度目は西暦62年2月5日、激しい地震によりポンペイや周辺都市は大きな被害を受けました。しかしポンペイの町はすぐに以前より立派に再建されました。

二度目は西暦79年8月24日午後1時頃にヴェスヴィオス火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、太陽を覆ったと記録されています。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。

ヴェスヴィオス火山の噴火は、以前の地震から歳月がさほど流れていなかったため、地震被害からの復興作業は完了していなかったようです。つまり今日、発掘調査で明らかになるポンペイの姿とは、地震前の生き残った建物、地震後に再建された新しい建物、再建中の建物といったまさに古代の地震災害からの復興の過程なのです。←ここ大事です、テストに出ます(。・ω・)ノ゙


↑参考までに、ポンペイの悲劇についての紹介動画(「雑学とりびあん」さんの投稿動画より)

さて、ポンペイはその「悲劇の古代都市」として印象付けられていましたが、調査研究の進展により華やかな文化面に焦点が当てられるようになりました。
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↑上の写真は火砕流に飲まれた人々、下の図像は娼館に残っていた壁画(wikiより転載)

ポンペイはぶどうの産地であり、ワインの醸造を主産業としていたそうです。湾港都市としてワインの物流を中心とした商業都市でもあったようですね。またポンペイのの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスでした。娼館と推測される建造物内では、男女の交わりを描いた壁画(上図)が多く出土したことから、ポンペイは「快楽の都市」とも呼ばれているそうです。「悲劇の都市」よりずっといいですね!

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↑今回発見された馬の全身の化石(JIJI.COMより一部加工)

さて、この写真が今回新たに発見された馬の化石ですね。これまでどうしても先に挙げたようなポンペイの人々に焦点が当たっていましたが、今回は動物です!

このお馬さん、ほぼ全身骨格が残った状態なのです。内部の残った骨が見える写真もあったのですが、行方不明になってしまいました。申し訳ない!まぁそれでもこの写真、いかにも発掘現場という感じでいいでしょう!

このお馬さんは、当時のポンペイ内にあった大邸宅の敷地内で出土・検出されています。どうやらお偉いさんのパレードの際にカッコよく着飾って行進していたようです。きっと毛並みの綺麗なお馬さんだったのでしょう。

なんだ、馬だけか!って思うかも知れませんが、こうした地道な発見の繰り返しによって少しずつ「埋もれた過去」が復元されていくものなのです。


2.「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
さて、考古学基礎理論のひとつとして原位置論というものがあります。別名としてポンペイ理論とかポンペイ前提、ポンペイ的前提とも呼ばれます。

火砕流に襲われてポンペイでは2000人もの人が亡くなりました。最大人口は2万人と推定されているので10%も亡くなったのですね。この人々や今回の発見の馬のような動植物、建造物はあっという間に大量の火山灰でパッキングされて、当時の状況を今に残しているわけです。

つまり発掘調査で出土する遺物、検出される様々な状態=当時の状況と考えるわけです。これが「ポンペイ前提」です(私としてはこの用語を用います)。

このポンペイの状況は世界的にみて、とてもレアなケースです。他には古代マヤ地域のエル・サルバドルのホヤ・デ・セレン(セレンの宝石という意味)くらいでしょうか。「『新大陸』のポンペイ」、「中米のポンペイ」、「マヤのポンペイ(異論アリ)」などと呼ばれています。

このポンペイ前提を、考古学者は通常、その他全ての考古学的な出土状況に応用しているわけです。使い方には個人差があると思いますが、通常は出土する遺物・遺構の出土地点は当時と変わらず、その配置に何からしらの歴史的解釈が可能であることを「前提」とするということですね。

もちろん、出土地点が斜面である等の物理的条件や雨雪の働きによる移動、さらに動植物の働きによる攪乱、後世の人類活動による攪乱といった様々な現象によって、「原位置」から遺物が移動する場合が考えられます。

しかし動物あるいはヒトの農耕等の掘削の痕跡といった明確な痕跡が残らない場合、遺物が「原位置」からズレていることも証明できないのです。そのため「基本的に遺物は原位置であることを前提」に考えるのですね。この問題は「遺跡形成過程論」とも結び付いてかなり複雑な議論が展開されています。

ところで、日本考古学における「原位置論」といえば、麻生優という考古学者が有名でしょうか。ここでの原位置は遺物・遺構の「使用方法」に関係して議論されています(以下、考古学のお話になります)。
  • 麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号 pp.1-5. 国学院考古学学会
  • 麻生1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号 pp.1-14.物質文化研究会

上記2つが著名な論文になりますが、内容を抜粋すると以下のようになります。

 「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
 さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生 1975:1)
また麻生は、本来の位置を保った構造物の一部を「残存物」、本来の位置を失った構造物の一部を「分離物」と定義し、本来の位置があるものが「構造物」であり、その残存形態が遺構と部材であり、本来の位置がないものが「道具」であり、その残存形態が遺物であると述べています。

ここで麻生が述べている「原位置論」とはポンペイ前提とは異なります。広義の原位置について言及しているのがポンペイ前提(出土した時点、廃棄・残存の時点)で、狭義の原位置について言及しているのが原位置論(使用されていた時点)になります。

麻生の「原位置論」は日本における原位置についての理論的研究の端緒であるわけですが、彼によれば全ての道具、つまり遺物は原位置にないことになります。そのため原位置についての議論は構造物やその部材に対して行われるのです。

また過去に非加工の自然物が利用された場合に対する考古学者の認識についてある種の問題提起を行っています。つまり、特定の状況下において「残存物」として見出されるが故に、「部材」として認定される。しかし全く同じものでも異なる状況において「分離物」として見出されれば、単なる遺物として認定される。そして状況次第では多くの場合、遺物として認定されないことを指摘しています。

最終的には、
部材における本来の位置(原位置)とは、ある種の使用の痕跡(「使用痕」)といっていいのではないか(「第2考古学」の記事より転載)
ということのようですが、どうなんでしょう。木製の柱が出土しないマヤ地域では何とも想像しにくいです。柱穴や木製壁の痕跡の周囲に支えとして置かれる人頭大のレキ群がこの場合の部材に当たるのでしょうが、だとすると、ある種の使用の痕跡といってももちろんいいでしょう。

それで、その後この議論はどう発展するのか?……古代マヤでは柱穴遺構自体が珍しいですしね。主に石造建造物(主に切り石が使用されるので加工物です)を扱いますし。でも土製や木製の構造物もあったのは確かです。「原位置」について考察するかは分かりませんが、先の問題提起のように特殊な事例における非加工の遺物の認定方法や出土状況に基づく解釈の仕方については、今後精緻な調査による木造構造物の遺構の検出事例を増やしつつ、慎重に考えていくべきかなと感じております。( ・Д・)


3.おわりに
最後に、こんな内容になる予定ではありませんでしたが、結果、なんだか意味わからん研究ノートみたいになってしまって申し訳ないなと反省しています。まぁでも基本ニュース記事ですからね、ポンペイについても、原位置論についても今後追記・修正したいなと思っています。

あとあまりに考古学の話に踏み込むのもどうかなとも思っています。楽しく分かりやすい考古学がいいですよね!まぁでも「ポンペイ前提」は分かってもらえたでしょうか? あとかつての「ポンペイはワインとエロスの世界」だった!くらいを覚えて頂ければ、明日の話題には困らないはずです(*・ω・)ノ……あ、本来はお馬さんの話だったか( -д-)ノ

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