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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:インドネシア

2019ねん 5がつ 21にち(かよーび、曇り)

ようやく書類系の仕事が終わる。

急いで資料調査の準備をしなければ~( ・Д・)

……なんだかんだ5日も記事を書いてないヽ(TдT)ノ


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↑美しくも恐ろしい強烈な噴火、恐らく南米、チリにおける噴火である(「Naverまとめ」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「破局噴火の一つであるタンボラ火山噴火の被害を受けた遺跡が発見され、まさに「アジアのポンペイ」と呼ばれるほどの残存状態だよ!」という内容です(*・ω・)ノ

さて、考古学が関わる人類史上で巨大な噴火は幾度となく起きています。

もっとも有名なのはトバ・カタストロフ理論で知られるトバ火山の噴火でしょうか。

インドネシア、スマトラ島にあるトバ火山は今から7万年前から7万5千年前に大噴火を起こしたことが分かっています。

地球の気温が平均5度も下がるという気候の寒冷化を引き起こし、この寒冷化はその後6000年も続いたと推定されています。

このトバ火山噴火が人類の進化に大きな影響を与えたという学説がトバ・カタストロフ理論です。

トバ火山の噴火は火山爆発指数(VEI;Volcanic Explosivity Index)で最高の8であり、ウルトラ・プリニー式噴火、つまり所謂「破局噴火」に分類されます。

この破局噴火は地球史上で8度起きており、人類史上でも5度起きています。

現生人類の分岐(20万年前~180万年前)をいつにするかによりますが、2~3度は経験しています。

つまるところ、「破局噴火で人類滅亡」と騒いでいる記事も散見しますが、あり得ないと思います。

(現在の都市文明が衰退する可能性は十分ありますが( -д-)ノ)


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↑過去200年間で巨大な噴火をしたタンボラ火山(「フレッシュビーンズ コーヒー日記」さんの記事内画像より転載)


1883年に発生した有名なクラカタウ山の噴火は、その衝撃波が地球を7周もしたと推定されています。

このクラカタウ山の噴火は火山爆発指数6です。

最近の新たな研究成果が上がるまで、今回紹介するタンボラ火山の噴火は過去3700年間で最大の噴火であると考えられていました。

タンボラ火山の火山爆発指数は7であり、その噴火の規模はクラカタウ山の4倍と推定されています。

さて、インドネシア・スンバワ島に所在するタンボラ火山は1815年に噴火し、その際に10万人強が遭難しました。

タンボラ火山は噴火した当時、マルク群島、ジャワ島、バリ島およびロンム島等を含み幅広い範囲が一瞬の内に壊滅しました。

この際に三つの王国が灰に埋もれてしまったと考えられています。

約1万人が高温を帯びた空気、火山灰および降りかかった砂利、火砕流に埋もれて死亡したと推定されています。

更には噴火後の伝染病および大飢饉によって、死者が約11万7000人の大災難となりました。

この1815年4月のタンボラ火山噴火の影響で、大量の火山灰が舞いあがり長期間にわたって、空気中に漂っていたため、太陽の光熱を遮り、世界的規模の気温下降を誘発しました。

そのため翌年の1816年は夏季がなかったとされる規模の影響です。

この超大規模の噴火によって「ポンペイのように」あっという間に被害に遭い、当時の状況をそのままに火山灰によって覆われてしまった遺跡が発見されました。

タンボラ遺跡と命名された同遺跡はアメリカのロードアイランド大学、カロライナ大学、インドネシア火山研究学会の考古学者らが共同で調査を行い発見したものです。

タンボラ遺跡からは遺体2体が往時の状態のまま保存された家屋が発見されました。

他にも木造の宮殿が残存していることが確認されています。

同遺跡はポンペイ遺跡の事例のように高い文化価値があり、当時の人々の生活、家屋および文化が1815年のままに保たれているため、今後は慎重に調査を行い、遺跡を完全な状態のまま保存する計画が進行しています。

保存状態の良好な木製農機具、紡錘車、磁器、炭化した稲モミ、建物部材、ビンロウ使用具、クリス(短剣)など多種多様な品々がこれまでに出土しており、インドネシア国立考古学研究所デンパサール地方事務所(Balai Arkeologi, Denpasar)にて一般公開されています。

これらの出土遺物等の分析からこれまでに分かっていることとして、当時の人々は非常に裕福で、ベトナム人およびカンボジア人との繋がりがあり、言語も現在の東南アジア地区に分散して使われているモン・クメール語と関連していると推測しています。




ところで、2番目に挙げた画像が現在のタンボラ火山の様子であり、巨大なカルデラになっているのが分かります。

現在ではタンボラ火山は2755mの標高を有します。

大噴火により山の上部の三分の一が吹き飛んだと考えられ、噴火前には4000m級のインドネシアで最高峰の山だったと推定されているのです。


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↓ポンペイについて触れた記事(*・ω・)ノ
↑良かったらあわせてどうぞ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


タンボラ火山の噴火は本当に大きな噴火であったことが分かりますね。

それでもこれで火山爆発指数は7です。

トバ・カタストロフ理論のトバ火山の場合は8ですから、クラカタウ山の事例を基に単純に計算するとその衝撃波は地球を56周くらいしてる!?( ・Д・)

カタストロフ(破滅)の名は伊達じゃないようです。

それでも負けない人類はなんだかんだ強いですね!(・∀・)つ

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2019ねん 4がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

研究機材が欲しい……

やはりクラウドファンディングか!?( ・Д・)


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元記事: hitkno.com; *インドネシア語サイト)


さて、今回の考古学・歴史ニュースは『Twitterで話題のインドネシアで見つかった古代のガンダムみたいな石像が本物かどうかについて考えてみたよ!』ってことです(*・ω・)ノ

上に挙げた画像の通り、見た目は完全にガンダムですね。

昔、「ガンダムSEED」とか好きだったんですけどね。

このガンダムは知りませんでした。

このガンダムは2007年に放送された「機動戦士ガンダム00」に出てくる「GN-001ガンダムエクシア」という機体だそうです。


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↑比べてみると確かに似ている(「はちま起稿」の記事内画像より転載)



問題の石像はインドネシア中部、ジャワ州のスマランにあるニャマトで見つかったそうです。

地元の人たちはこの石像がマジャパヒト王国時代に作られたと言っていたそうです。

しかしながら、ガンダムそっくりであることから、GN-001ガンダムエクシアがアニメで登場した2007年に作られたガンダムエクシアの石像が2019年に苔むしている可能性は否定できないとも地元メディアは冷静に書いています。


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ちなみにマジャパヒト王国は1293年~1478年にジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうです。

本当にその時代に造られたものなら500~700年も経過していることになりますΣ(・ω・ノ)ノ

さて、このガンダムの像が本当にそれほど過去のものなのか、あるいはある種のフェイクのような現代の作品なのかについて検討してみます。


ポイントは3つあります。

①石像である(素材が石材である)
②コケが生えるのにかかる時間
③インドネシアにおける伝統的モチーフと造形の特徴との違い

さて、それぞれを見ていきましょう!(*・ω・)ノ



①対象が石像である点

学生時代にひたすら年号を覚えてきたせいか、「歴史」と聞くと何でもかんでも時期が分かっている気がしますよね。

まぁ歴史時代であれば、様々な事柄が暦年や日付レベルで分かると思います。

でも考古学が扱う「モノ」に関しては時期を判定するということ自体がなかなかに難しいことなのです。

とは言っても、普段の記事で「○○○○年前の墓!」とか書いてるじゃないか!と思われるかも知れません。

基本的にはこれまでの研究の積み重ね、多くの場合は土器編年研究によって時期が判定されます。

この場合は当然ですが土器が出土しなければなりません

また炭素年代測定法も近年は活躍していますが、これも炭化物が検出されなければなりません。

今回のケースではどちらもありませんね( -д-)ノ

さて、ここまでの話で「石」に関する話が出てきませんでしたが、というのも石材を対象とした時期判定は非常に困難なのです。

地質学では母岩の年代が判定されていますが、石材として切り出してしまっては話が異なります。

例えば、古い地層から石を取り出してきて自分の名前を刻んだとしても、あくまでそれは現時点で彫ったのであって、その作品が古い地層の年代に作られたものになるわけではありません。

つまり特殊な事例を除き、基本的に石材の加工時期の判定は難しいのです。

逆に言えば、フェイクでオーパーツを作るには石材は最適ですね。

これが土器や絵画だと形態や炭化物、モチーフ、塗料の原料等の諸分析からすぐにフェイクとバレてしまいますから(/TДT)/




②コケは長く経過した時間の判定基準になるか?

結論から言ってなりません。

一時期流行った(今も?)苔テラリウムを考えれば分かりますが、苔を人為的に載せれば苔は育ちます。

僅かな土壌ごと石材に載せてしまえば、インドネシアの熱帯性気候における大気中の水分でも十分に育ちます。

降雨も多いですから、石材からもぐいぐいと水分を吸収できます。


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↑プランバナン寺院の石像(「LINEトラベル」の記事内画像より転載)

③在地の美術伝統とガンダムの造形特徴の比較

著作権フリーな画像が全然見つからなかったため、適切な画像を集めることができませんでした( ・Д・)

ま、しかしながら、マジャパヒト王国はヒンズー教国ですから美術様式もヒンズー教のそれなのだと思います。

正直言って、そんなにガンダムみたいな石像がゴロゴロしてたら、もっと早い時点で既に話題になっているはずですよね。

インドネシアは人類学研究の対象地域として昔から頻繁に取り上げられる地域ですから(。・ω・)ノ゙

さて、美術様式以外にも不可解な点があります。

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↑再掲(同上)


一般的な石像は、腕が身体とか頭部に接続しているものです。

丸彫りにせよ、その方が造り易いし、強度も保証されるからです。

時に、このガンダムのように脇が開くようなモチーフのものもありますが、その場合は何かしらの特殊なポーズ(宗教的な、あるいは芸術的な)を取るために敢えてそのようにしています。

では、このガンダムの場合はどうでしょう?

無駄に脇が開いています( ・Д・)

このポーズの意味は「より一層、ガンダムのように見える」しかないように思えます。


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さて、個人的にはガンダムは好きだし、こういうのもいいですよね。

今ある現代作品としてのガンダムもいずれこのようになるのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。

「時を感じるアート」としていいな~と思います。

(もし今後、ガンダム的遺物が多数発見されて、新しく認定される古代文化であることが分かった場合はごめんなさいヽ(TдT)ノ……でも、今のところ、限りなく黒に近いと思います(TДT))

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2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

久々の週末の第一日目は、オリジナルテイストのイカ飯を作ることで終了した……

まぁなんだかんだ充実した一日であったろう( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは……

①『デニソワ人ってインドネシアとかオーストラリアにまで拡散していたよ!』

②『石器製作だけではなく、個人に帰属する装飾品を作っていたよ!』

というものです(*・ω・)ノ




↓先日、ネアンデルタール人とデニソワ人のハーフについて記事を書きましたが、↓


今回の記事はこの続きに当たるような内容です。



①デニソワ人のアジア大陸、更に南部への拡散について

ホモ・ハイデルベルゲンシス(所謂「ハイデルベルク人」)から、ネアンデルタール人とデニソワ人の系統と、そして私たち現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の系統とに分岐した時期はおよそ60万年前です。

近年、推測される分岐時期がより新しい時期へと改定される傾向にあります。


そしてその分岐後、更にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐する時期が約30~35万年前とされています。




前の記事の「デニー」が9万年前のハーフでしたが、デニソワ人自体は約4万年前まで生存していたと考えられています。

そのため約30万年の期間に、ロシアのデニソワ洞窟で同定されたデニソワ人が実際にアジア大陸やインドネシア、オーストラリアまで拡散していたことが分かりました。


これまでデニソワ人に関して腕や脚、指の骨片や歯の化石人骨が見つかっていましたが、彼らが製作・使用していた道具や装飾品が見つかり始めたのです。


上に挙げたのはインドネシア、スラウェシ島で発見された少なくとも11万8000年前に相当する打製石器です。











②デニソワ人に道具箱&ジュエリーボックス!

デニソワ人が作ったと考えられる道具類や装飾品の画像を挙げました。

石器だけではなく、針も作っていますね(②の左下より二番目の遺物)。

裁縫も行っていたのでしょうね(*・ω・)ノ



装飾品も首飾りや腕飾り(貝釧;かいくしろ)を製作していたようです。

最も気になるのが「装飾品②」の画像の左下の緑色の遺物です。




これは石製の腕輪です。使用した石材に関する記述がなかったため、詳細は不明ですが翡翠なのかも知れません。


この石製腕輪が出土したのはデニソワ洞窟の第11層です。

第11-2層が約5~6万年前の時期に相当するようですから、この腕輪も類似のやや新しい時期に帰属することになると思います。

当時、これだけの技術があったこと、そして個人所有の財があったということに驚きです( ・Д・)




最後にここで、トップ画像を再提示しました。

これはマンモスの骨から作られた頭部に付ける装飾品だそうです。

マンモスの骨製というのが一番インパクトが強いですよね!( ・Д・)


この時期に既に個人所有物という概念が発生していたことを強調するのは良いとしても、

「ティアラ」という表現は個人的には引っかかります( -д-)ノ


ティアラは頭頂部につける装飾品ですが、主にヨーロッパ史において王族の女性が身に付ける特別な装飾品としてのイメージが強いですからね。

人によってはこの時期に既に身分階級が生じていたと捉える人もいるかも知れません。



頭飾りじゃダメなのでしょうかね?(他の遺物は普通に腕飾りや首飾りなのにΣ(・ω・ノ)ノ)

しかも……もしこれが男性用ならクラウン(王冠)? 

この遺物が女性用であったとする根拠はどこにあるのでしょう……( -д-)ノ



・・・・・・それはともかくこれからもデニソワ人について色々と分かってきそうだなと、今後の新たな発見に期待できます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓デニソワ人の遺伝子を持つ人は正直に押しましょう!( -д-)ノ↓

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