あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    エジプト

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    2026ねん 5がつ13にち(すいよーび、晴れ)
    やばい、そろそろ次の論文書かにゃ、書籍も報告書も溜まってる、死ぬ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑死ぬまでにエジプト行ってみたい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは高さ2メートル、5トン超えのラムセス二世巨像上半部が見つかって、しかも王都から運ばれて再利用された痕跡まであるらしい!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに


    ラムセス二世の巨像と聞くと、つい「また大王の像が出たのか」で終わりそうになるよね。
    でも今回の発見のおもしろさは、像そのものの大きさだけじゃない。


    エジプト北東部シャルキーヤ県テル・エル・ファラウン遺跡で見つかったのは、ラムセス二世を表すと考えられる巨像の上半部。残っている部分だけで高さ約2.2メートル、重さは5〜6トンほどあり、脚部と台座は失われている。それだけでも十分すごいんだけど、初期調査では、この像はもともとこの場所で作られたのではなく、ラムセス二世の王都ペル・ラムセスから運ばれ、宗教施設の中で再利用された可能性が高いとみられている。つまり今回の話は、「巨像を発見した」だけじゃなく、「王権の象徴が、あとから別の場所へ持ち込まれて生き延びていたかもしれない」という話でもあるんだよね。


    👑 ラムセス二世って、そもそもどれくらい“巨像向き”の王なのか

    ラムセス二世は新王国第19王朝の王で、おおよそ紀元前1279年から1213年ごろまでという非常に長い在位を持つ。彼の時代は建設事業の規模がとにかく大きく、エジプト本土やヌビアに多数の神殿や記念建造物が築かれた。しかも王名は各地のモニュメントにあふれるほど刻まれ、既存の古いモニュメントにまで書き加えられることもあった。要するにラムセス二世は、戦争だけではなく、「自分の存在を石で全国展開する」ことにものすごく長けた王だったわけだね。


    だから今回、地方の遺跡からラムセス二世の巨像が出ること自体は、ある意味で彼らしい。
    ただし、問題はその巨像が“最初からそこにあったのか”ということなんだ。ここが今回の核心になってくる。




    🌊 その王都、ペル・ラムセスはどんな場所だったのか

    ペル・ラムセスは、ラムセス二世が東デルタに築いた大規模な王都で、軍事・行政・宗教の中心として機能した。大きな神殿、住居、倉庫、船着場、軍事施設までそろえた都市で、シリア・パレスチナ方面へ向いた東方戦略の拠点でもあった。しかも都市の中では、王の信仰だけでなく複数の神々の祭祀が組み込まれていて、かなり政治的でもあり宗教的でもある首都空間だったらしい。


    そしてこの都市は、後の時代になると衰退し、最終的には王都の機能も失っていく。重要なのはその後で、ペル・ラムセスの石材やモニュメントは各地へ持ち出され、再利用された。都市そのものが解体されながら、部材や記念物だけが別の文脈で生き延びていったわけだね。今回の巨像が本当にここから運ばれたものだとすると、その大きな歴史の流れの一部を、かなり分かりやすく示すことになる。


    🐍 では、見つかったテル・エル・ファラウンはどんな場所だったのか

    テル・エル・ファラウンは、古代にはイメトと呼ばれた都市遺跡で、ナイル・デルタ東部の重要な宗教拠点の一つだった。とくにここは、下エジプトを守護するコブラ女神ワジェトと強く結びついた場所として知られる。ワジェトは、王の額に立つウラエウスの原型となる守護神で、王権そのものとも深く関わる存在だね。つまりイメトは、地方都市ではあっても、かなり“王権に近い宗教空間”だったわけだ。


    近年の調査でも、この場所からはワジェト信仰に関わる祭祀道路や神殿域、さらに後代の塔状住居や穀物処理施設などが見つかっていて、長い期間にわたって宗教と都市生活が重なっていたことが見えてきている。しかも神殿域はラムセス二世の時代にも改修され、さらに後のアマシス二世の時代にも手が入っていたとされる。要するにここは、一度きりの sacred place ではなく、何度も作り替えられながら使われ続けた場所なんだよね。


    🪨 古代エジプトでは、像も“動く”ことがあった

    こういう話って、つい「像は建立されたらそこに固定される」と思いがちなんだけど、実際の古代エジプトはそこまで単純じゃない。王都が衰退すれば、石材やモニュメントは別の都市へ移されるし、古い王の像が新しい文脈の中で再び立てられることもあった。王の像はただの飾りではなく、王権や神聖性そのものを帯びた存在だから、あとから別の ”聖なる場所(sacred space)” に置き直しても意味があったわけだね。今回の像も、そうした再配置と再利用の具体例として位置づけられている。


    ここ、かなり好きなんだよなあ。
    巨像って、ただでかい石の塊じゃない。
    それ自体が王権のパワーを持っているから、場所を移してもまだ効く。
    だからこそ、わざわざ運ぶ価値があったのかもしれないんだよね。


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    🗿 そして今回、その“動いた巨像”の上半身が出てきた

    今回出土した像は、下半身を欠いた上半部だけの状態だけれど、残された図像的特徴からラムセス二世像と考えられている。保存状態はあまり良好ではないものの、王の図像として重要な特徴は読み取れるらしい。また、神殿空間によく見られる三体一組の彫像群、つまり王と神々を組み合わせた triad の一部だった可能性も出ている。もしそうなら、この像は単独の記念像というより、宗教儀礼の場でかなり強い役割を持っていたことになる。


    しかも像は発見後、保存のためにサン・エル・ハガルの収蔵施設へ移され、修復準備に入っている。今後、石材の性質や彫刻技法、表面の残存情報が詳しく調べられれば、制作時期や移送時期についてもさらに絞れる可能性がある。つまり今回の発見は、まだ“完成形の結論”ではなく、これから中身が増えていくタイプの発見なんだね。


    🧠 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    あるけまや的に今回おもしろいのは、これが「ラムセス二世の像がありました」で終わらないところなんだよね。

    本当に大きいのは、
    王都で作られた王権のモニュメントが、
    地方の宗教都市へ移され、
    そこで再び意味を与えられていたかもしれない、
    という流れが見えてくることなんだ。


    これは単なる輸送の話じゃない。
    王権の中心が作った象徴が、地方でも使われ続けるということは、政治と宗教のネットワークそのものが stone で見えてきた、ということでもある。しかもイメトはワジェトという下エジプトの守護神と結びつく場所だから、ラムセス二世の像がそこに置き直されたという構図は、かなり意味深だよね。王都の権威を、地方の神域に接続しなおす感じがある。

    だから今回の発見って、でかい石が出た話ではあるんだけど、ほんとうは
    「王の像は、王都を離れても王権の道具であり続けたのか?」
    という話なんだと思うのさ。
    こういうの、かなり好きなんだよなあ( ・Д・)





    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    エジプト東デルタのテル・エル・ファラウン遺跡で、ラムセス二世を表すとみられる巨像の上半部が見つかった。残存部分だけで高さ約2.2メートル、重さ5〜6トン、脚部と台座は失われている。初期調査では、この像はもともとその場で作られたのではなく、ラムセス二世の王都ペル・ラムセスからイメトへ運ばれ、宗教複合施設の中で再利用された可能性が高いとされる。しかもこの場所は、コブラ女神ワジェトを祀る重要な宗教都市でもあった。つまり今回の発見は、王都のモニュメンタルな王権表現が、地方神殿の中で再配置されていたかもしれないことを示しているんだね。


    だから今回の発見は、

    「高さ2メートル、5トン超えの巨像上半部を発見」
    だけじゃなく、

    「ラムセス二世の王権は、王都で作られたモニュメントが地方へ運ばれ、再利用されることで、あとからも生き続けていたかもしれない」

    というところまで見せてくる。

    巨像って、立っているだけでも強い。


    でも、動いた痕跡まであると、急に歴史の厚みが増すんだよね( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・


    石の巨像って、重いのに、歴史の中では意外とちゃんと移動するんだね!


    ……モアイも歩くもんね!!!( ・Д・)







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    2026ねん 5がつ1にち(きんよーび、激しく雨)
    GWはデータ入力と論文作成で消える予定!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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    ↑↑ミイラの腹からイリアスって、情報量が多すぎるんだよね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはミイラの腹から古代文学『イリアス』が見つかったらしい! しかもこれ、ただの珍発見ではなく、ローマ時代エジプトの文化そのものをかなり濃く見せてくるかも?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    「ミイラの中から『イリアス』発見」と聞くと、つい一発ネタっぽく見えるよね。

    でも今回の発見は、たぶんそんなに軽くない。
    というのも、見つかったのはただの紙切れではなく、ホメロス作と伝えられるギリシア叙事詩『イリアス』第2巻の一節で、しかもローマ時代のエジプトのミイラの腹部に組み込まれていたからだ。バルセロナ大学の発表によると、2025年11〜12月の調査で、オクシュリンコスの第22区画・第65号墓から、腹部にパピルスを置いたローマ時代のミイラが見つかり、そこに『イリアス』の本文が書かれていた。さらに大学側は、ギリシア文学テキストが意図的にミイラ化の工程へ取り込まれた例はこれが初めてだとしている。


    つまり今回の話は、
    「有名な本が変な場所から出た」
    だけじゃない。

    むしろ大事なのは、
    ローマ時代のエジプトでは、ミイラとギリシア文学が同じ葬送実践の中で出会っていたかもしれない、
    ということなんだよね。


    🏛️ まず、『イリアス』ってどんな作品なのか

    『イリアス』は、古代ギリシアの詩人ホメロスの作と伝えられる24巻からなる叙事詩で、主題はトロイア戦争、そしてその中でのアキレウスの怒りだ。古代ギリシア世界では、この作品は単なる物語ではなく、自分たちの歴史意識や文化的アイデンティティに深く結びついたテキストでもあった。


    だから今回見つかったのが『イリアス』だったというのは、けっこう意味が大きい。
    埋葬に入っていた文学作品が、たまたま無名の断簡ではなく、ギリシア世界のど真ん中にある古典だったわけだからね。しかも今回読めた箇所は、第2巻の有名な「船の目録」で、トロイアへ向かったギリシア軍の諸部隊や船団がずらっと列挙される場面だと報じられている。


    ここ、かなり好きなんだよなあ。
    死者の腹の中に入っていたのが、英雄の怒りや船団の列挙で知られるあの叙事詩だなんて、文化の混ざり方が濃すぎるんだよね。


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    ↑こんな遺構らしいよ!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities



    🌍 舞台のオクシュリンコスは、そもそも“文字の町”だった

    今回の発見の舞台は、現在のエジプト中部アル・バフナサ、古代名オクシュリンコス。
    この町は、古代上エジプトの重要都市で、19世紀末以降の発掘で膨大なパピルスが見つかったことで有名だ。ブリタニカは、オクシュリンコスは1897〜1907年のグレンフェルとハントによる発掘以降、とくに大量のパピルスで知られる都市だと説明しているし、オックスフォード大学のオクシュリンコス・パピルス計画も、このコレクションを世界最大規模のパピルス群の一つとして紹介している。


    しかもこの町のパピルス群は、役所の文書や私信だけじゃない。
    ギリシア古典文学、宗教文書、聖書断片、日常の契約書や請願書まで、とにかく幅が広い。ブリタニカによれば、オクシュリンコスのパピルスは紀元前250年ごろから紀元700年ごろまでにわたり、主にギリシア語とラテン語だが、デモティック、コプト語、ヘブライ語、シリア語、アラビア語まで含んでいる。つまりここは、ただのエジプトの一都市ではなく、多言語・多文化の紙のアーカイブみたいな場所だったんだね。


    だから今回の『イリアス』断片も、
    オクシュリンコスからギリシア文学が出ること自体は驚きではない。
    でも、それがミイラの腹から出るのは別の話。
    この差が、今回の発見のいちばん面白いところなんだ。


    ⚱️ ローマ時代のエジプトでは、ミイラにパピルスを入れること自体はあった

    ここもかなり重要。

    今回のニュースだけ見ると、
    「ミイラの中に文字が入っていた!? 前代未聞!」
    みたいに見えがちなんだけど、実はそこは少し違う。

    バルセロナ大学の発表では、オクシュリンコス調査隊は過去の調査でも、ミイラの胸部や腹部にギリシア語パピルスが置かれている例をすでに確認していた。ただし、それらは呪術的・儀礼的な内容のテキストだったという。ローマ支配下のエジプトでは、胸や腹にパピルスを入れること自体は珍しくなかったが、今回のようなギリシア文学テキストは初めてだ。


    つまり今回すごいのは、
    パピルスが入っていたことそのものではなく、
    その中身が文学作品だったことなんだよね。

    この違い、かなりでかい。
    宗教文書や呪文なら「死後の保護」に使われたと考えやすい。
    でも『イリアス』となると、そこに教育、教養、再利用、象徴性、あるいは別の魔術的読み替えまで入ってきてしまう。だから急に謎が深くなる。




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    ↑額に金のプレート付けてるね!( ・Д・)(「Live Science」の記事内画像より転載;credit: Courtesy of the Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities



    🧵 今回の発見は、どんな墓から出たのか

    今回のミイラは、ローマ時代の墓地で見つかった複数のミイラの一体だった。
    発見場所はカイロの南にあるアル・バフナサ、すなわち古代オクシュリンコスの葬祭複合体だ。このミイラをローマ支配下エジプト期、約1600年前の成人男性とみられる。


    さらに同じ墓地からは、金箔で覆われた舌を口に入れたミイラや、銅の舌を持つ例も見つかっている。古代エジプトでは、金は神々の肉を象徴し、金の舌は死後に神々と話すためのものと考えられていたとされる。今回の『イリアス』ミイラに金の舌があったかどうかはまだ調査中だけれど、少なくともこの墓地全体が、死後世界への備えをかなり強く意識した葬送空間だったことは見えてくる。


    こういう背景を見ると、
    『イリアス』断片もただの落とし物には見えにくい。
    少なくとも、死者の身体に文字を添えるという実践全体の中に置いて考える必要があるんだよね。


    🧠 じゃあ、なぜ『イリアス』が腹に入っていたのか

    ここが最大の謎です( ・Д・)

    大学側は、この発見の新しさを強調しつつも、なぜ文学テキストがここで使われたのかについては断定していない。Live Science によれば、共同調査責任者たちは、ローマ時代のエジプトでは胸や腹にパピルスを入れる慣習はあったが、なぜそれが死者を守ると考えられたのかはまだ不明だとしている。

    考えられる方向はいくつかある。
    ひとつは、その人物や家族にとって『イリアス』が教養や文化的威信の象徴だった可能性。
    もうひとつは、もともと文学テキストだったパピルスが後に再利用され、葬送の中で別の意味を与えられた可能性。


    でも、あるけまや的には、ここで無理にロマンで埋めないほうが面白い気がする。
    「故人がホメロス好きだったんだろうね」で終わらせると、今回の発見が持つローマ時代エジプトの複雑さが薄れてしまうからだ。

    むしろ今見えているのは、
    ギリシア文学が読まれる世界と、
    エジプトのミイラ化儀礼が続く世界が、
    ローマ時代にはもう同じ現場で重なっていた、
    ということなんだよね。


    🏺 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    あるけまや的に今回おもしろいのは、この発見が「ギリシア」と「エジプト」を雑に分けていられなくするところなんだよね。

    『イリアス』はギリシア文学の古典。
    ミイラ化はエジプトの葬送実践。
    これだけ聞くと別世界に見える。
    でもローマ時代のオクシュリンコスでは、その二つがもう同じ死者の身体の中で出会っている。

    しかもオクシュリンコスは、もともと大量のギリシア語パピルスで有名な町だった。


    だから今回の発見は、「エジプトでギリシア文学が知られていた」というだけの話ではなく、文学テキストが葬送儀礼の文脈にまで入り込んでいた可能性を示してくる。「文学的パピルスが埋葬という文脈から見つかったこと」こそが新しいのだ。


    これ、かなり強い。

    死者の体の中に古典文学が入る。
    そんなの、ただの奇抜な演出に見えるかもしれない。
    でも実際には、それはローマ時代エジプトがどれだけ文化的に重なり合った世界だったかを示す、かなり濃い証拠なんだと思うのさ。




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    ↑イリアスの一部!( ・Д・)(「Barcelona University」の記事内画像より転載



    📝 あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    エジプト中部アル・バフナサ、古代オクシュリンコスのローマ時代墓地で、約1600年前のミイラの腹部からホメロス『イリアス』第2巻の一節を書いたギリシア語パピルスが見つかった。胸や腹にパピルスを入れる葬送慣行自体は前例があるが、これまで知られていたのは呪術的・儀礼的テキストで、ギリシア文学作品がミイラ化の工程に組み込まれていた例は今回が初めてとされている。しかも発見地オクシュリンコスは、もともと世界最大級のパピルス群で知られる文字の町でもあった。


    だから今回の発見は、

    「ミイラの腹からイリアスが出た」
    だけじゃなく、

    「ローマ時代エジプトでは、ギリシア文学とエジプト葬送文化が、同じ死者の身体の中で交差していたかもしれない」

    というところまで見せてくる。

    一見すると珍ニュース。
    でも中身はかなり深い。
    こういう発見、かなり好きなんだよね( ・Д・)



    なにはともあれ・・・・・・

    私が死んだら腹には寿司・肉・ラーメンを入れて欲しい!火葬だけど!( ・Д・)






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    2025ねん 2がつ 16にち(げつよーび、くもり)

    お金大事だなって最近気づいた!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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    ↑これがみつかった頭蓋骨!( ・Д・)(「Sciences Avenir」の記事内画像より転載;credit: Hesham Sallam



    今回の考古学・歴史ニュースは古代エジプトの森の王、ほぼ完全な頭蓋骨が出たことで、絶滅の理由に近づけるのか?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    🐺 主役は「ヒアエノドン」という古代の頂点捕食者

    ヒアエノドン(Hyaenodont)は、ざっくり言うと

    猫っぽい鋭い歯
    犬っぽい体格
    でも猫でも犬でもない

    みたいな、古代の肉食獣グループ。

    そして今回の化石は、その中でも「Hyainailourinae(ヒアエノドン亜科)」と呼ばれる系統の、かなり決定的な標本らしい。

    発見された頭蓋骨は「ほぼ完全」。ここが重要。

    肉食獣の化石って、だいたい歯だけ、とか、頭蓋骨の欠片だけ、とかになりがちだからね。




    🐈 名前が強い。「バステトドン」

    この新しい(もしくは再整理された)種は、研究チームによって

    バステトドン・シルトス(Bastetodon syrtos)

    と呼ばれている。


    バステトは、古代エジプトの猫頭の女神。
    つまり「バステトの歯」みたいな名前。

    牙の威圧感と、エジプトの神話パワーを合体させた、強い命名だ。

    そして研究者が言ったひと言が、今回のキャッチコピーになった。

    「率直に言って、バステトドンは古代エジプトの森の王だった」

    これだよ。優勝。




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    ↑バステト神、ちょっと欲しいな!( ・Д・)(「Can激安店」の記事内画像より転載;注意:商品紹介ページに飛ぶよ!例によって回し者じゃないよ!( -д-)ノ)



    🦷 頭蓋骨がほぼ完全だと、何が分かるのか

    頭蓋骨がそろうと、世界が変わる。

    歯だけだと「肉食っぽいね」で終わる。
    でも頭蓋骨があると、具体的にこういうことが推定できる。

    • どのくらい強く噛めたか(顎の筋肉の付き方)

    • 脳のサイズ感

    • 嗅覚の強さ(鼻腔や骨の構造)

    • 目の位置から、どんな狩りをしていたか

    • どの系統に近いか(分類と進化の再整理)

    今回の標本は、そういう情報を一気に持ってくるタイプ。

    だから「森の王」という言葉も、雰囲気じゃなくて、割と科学的に言える可能性がある。




    🌴 3000万年前のエジプトは、砂漠じゃなかった

    いま頭蓋骨が見つかった場所は砂漠。

    でも当時は、緑の濃い熱帯雨林〜湿地っぽい環境だったと考えられている。
    そこに、

    初期のゾウっぽい動物
    初期のカバっぽい動物
    霊長類(古代のサルや、その周辺)

    がいた。

    その上に、バステトドン。

    要するに、森の中で大型獲物も狙える、頂点捕食者が成立していた。




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    ↑頭蓋骨を下から見た様子!( ・Д・)(「National Geographic」の記事内画像より転載;Al-Ashqar et al. 2025



    💀 で、肝心。「絶滅の原因に迫れるのか?」

    ここが今回の話の核心。

    ヒアエノドンの仲間は、かつて広範囲にいたのに、約2500万年前あたりで姿を消していく。
    その理由は昔から議論されてきた。

    ただ、絶滅理由ってだいたい単体じゃない。

    今回の「ほぼ完全な頭蓋骨」が何をしてくれるかというと、

    絶滅の直接原因を一発で言い当てる

    というより、

    • どんな性能の捕食者だったのか

    • どの系統がいつ分岐していたのか

    • どの地域で繁栄していたのか

    を精密化して、

    絶滅が起きたタイミングの環境変化や、他の肉食獣との入れ替わりと、ちゃんと照合できるようにする

    という方向。

    つまり、パズルのピースが増えるタイプのブレイクスルーだ。




    🧨 何が彼らを追い詰めた可能性がある?

    研究や一般向け解説でよく挙がる候補はだいたいこの辺。

    • 気候変動で森が減った(乾燥化・環境の入れ替わり)

    • 獲物のラインナップが変わった

    • 猫・犬の祖先側(いわゆる食肉目)が台頭してきた

    • 生態系の再編で、頂点の席が入れ替わった

    ポイントは、ヒアエノドン側は「強いのに消えた」というところ。

    強い捕食者が消えるときって、だいたい
    強さの種類が時代に合わなくなる。

    森の王が、森ごと消える。
    そういうパターンはあり得る。




    🔥 小さな結論:この頭蓋骨は「絶滅の謎を解く鍵」になり得る

    この発見の面白さは、

    新種だ!すごい!

    だけじゃない。

    • 頂点捕食者の設計図が一気に分かる

    • どこで、いつ、どう強かったかが具体化する

    • だから、絶滅の議論が雑な推測から一段進む

    ってところ。

    森の王は、王のまま死んだのか。
    それとも王座を奪われたのか。
    そもそも森がなくなったのか。

    このへん、今後の追加発見とセットで、かなり面白くなりそうだ。




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    ↑こんなお顔だったらしい!( ・Д・)(「News Week」の記事内画像より転載;credit: Ahmad Morsi




    おわりに

    今回、考古学じゃないんですよね。だって「3000万年前」だもの・・・

    でも「古代エジプトの森の王」って響きが良くて記事にしてみました。

    ところで私は犬派なのですが、猫も可愛いよね。なんだかんだどっちも好き!



    なにはともあれ・・・・・・

    犬と猫を合わせたような生き物なら王だね!( ・Д・)







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    2024ねん 8がつ 12にち(げつよーび、晴れ)

    疲れ溜まってたのか11時間寝た( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは黄金がっぽり!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はエジプト、ダミエッタにあるテル・エルディール遺跡です。



    テル・エルディール遺跡は「ネクロポリス(死者の都)」として知られています。

    考古学的に簡単に言えば ”墓域” です。

    一般的に簡単に言えば ”規模のでっかい墓地” です(*・ω・)ノ

    マヤ文明やこの前紹介したトルコのチャタル・ヒュユクのような『居住域=墓域』な文化の方が珍しく、この古代エジプトや現代日本のように住むところと居住域を分け隔てる方が一般的です。




    なので今回の発見では63基もの墓が見つかったとありますが、ネクロポリスであればそうだろうなという感想です( -д-)ノ

    墓地に肝試しに行って、墓石見つけた!って喜ばないでしょ?( ・Д・)

    上に挙げた写真のようにボコボコたくさんあるんですから、あって当然なのですから。






    今回見つかった63基の墓からは青銅製硬貨の詰まった壺や上に挙げた写真にあるような黄金製品が副葬されているケースが多かったため、テル・エルディール遺跡というネクロポリスそのものが比較的社会階層の高い人々のための埋葬エリアと推測されています。

    そうした中であっても同遺跡では墓に社会階層性が見て取れます。

    最も下位の墓は墓壙として穴を掘っただけのもので副葬品も僅かです。

    高位の墓ではアドベ(日干しレンガ)製の墓や石灰岩製の墓が見つかっています。




    やはり高位のしっかりした造りの墓にあればなるほど、墓の規模も大きくなります。

    現代日本社会でもお墓に行くと、金持ちの家かな?って思う黒い墓石で出来たデカいお墓ありますよね?

    大体専有面積もデカかったりします。

    あれと同じなのです(*・ω・)ノ




    今回の発見では63基のほとんどがアドベ製の墓で、ウシャブティやバステト、ホルスなどの様々な神を模した像が金箔で覆った製品として副葬されるケースが多数見つかっています。

    以前の調査ではビザンティン時代の金貨も出土していますから、やはり社会的地位として高位の人物は黄金製品を副葬する習慣があったのだということが分かります。



    ネクロポリスですから今後もどんどん新たな発見があるでしょう。

    時間的な変遷と墓の造りと副葬品の種別・多寡との相関が分かると面白いですね(*・ω・)ノ






    おわりに


    こういう記事書く度に「黄金製品いいな~」って思って素直にそう書いてますが、、、

    いやだって皆さんお好きでしょ???

    ハイボールや綺麗なお姉さんより好きじゃないの?ってくらい一般ウケはいいんですよね。




    ニュースでもそうですけど、博物館の特別展とかやると差は歴然としますよ、ほんと。

    人間って昔から変わらない生き物なんですよ( ・Д・)



    でもまぁそうした嫉妬心は抑えて冷静に考えると、、、

    黄金が出るってことは常に盗掘の被害を考えなければならないし、

    古代から現在までの盗掘によって情報が欠落していることも考慮に入れなければならないしで、

    考古学研究としては結構めんどくさい気がしますね。




    私、自分の理論研究の拡張で日本にも手を出していますが、古墳時代のデータ取ってたら実際面倒でしたもの。

    貴重品が入っていたり、墓自体が目立つとどうしても盗掘されちゃうんですよね。

    その点、マヤの場合は場所にもよるけれど、ティカルなどの場合は亜熱帯のジャングルに守られていますし、重層建築のおかげで物凄い労働力を投下しないと墓に当たらない上に、当たるとも限らないんですよね。

    墓を内包しないケースもあるので。。。



    そう考えるとなんだかんだ研究する上で、特に数理を扱うような詳細なデータが必要な研究の上では……

    やぱマヤ文明が一番!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    (自分の取り扱う文明や遺跡が一番だと考えるのは考古学者の性です( ・Д・))





    何はともあれ、

    やぱ黄金いいな!( ・Д・)



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    2023ねん 4がつ 14にち(きんよーび、曇り)

    みんな、私は元気だぜ!v( ̄∇ ̄)v

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは金箔で覆われたミイラより、なんか気になる写真見つけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はエジプト、サッカラです。

    サッカラはよく聞く名前ですよね、インディジョーンズを始めとして冒険ものでエジプトのシーンがある時は大体サッカラが出てくる気がします。

    気のせいかも知れませんが、まぁそんなサッカラは首都カイロの南郊にあります。




    今回の記事はエジプト考古学庁が展示のために出し渋っているのか写真がないんですよね。

    発見したお墓や出土品の写真はあるのに肝心のミイラの写真がない……

    掲載されていた痕跡もあるけれどそれだけ非表示になっているので、止められたのかな~と思ったり。

    記事の最後に「しかし、エジプト政府は観光客を増やすため、学術的な研究よりもメディア受けするような発見を優先しているとの批判もある」なんて書いてるしね。

    まぁこれについては「おわりに」で触れます。




    ということでなるべく写真を多用しようと頑張っている当サイトですが、ないものはないので今回はご了承ください。

    最初に挙げた写真は関係ない写真だけれども、金箔で覆われたマスクなんですよね。




    「金箔で覆われた」なんて書かれたら気になるけれど、よくよく考えたら、あれだけ黄金製品が出るエジプトでは対して目玉にならん気がするのだが気のせいだろうか……( -д-)ノ

    ただ今回の発見があった墓は4300年前のもので、ファラオなど王族以外の墓としては最古かつ完璧な状態のものとしてレアな発見なのです。

    未盗掘だったので保存状態が極めて良好だったようです。

    盗掘されていたらミイラごと持っていかれてそうですもんね( -д-)ノ




    さてさて、とりあえず私が一番気になった写真をどうぞ!





    これって一般の人が見たらたぶん何の違和感も感じない写真だと思います。

    ちなみにキャプションは「サッカラでの新発見発表後、発掘したものを修復する考古学者」です。





    エジプト考古学のことは知らないけれど、、、

    修復作業を現場でやるの!?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

    そんなことある?

    なんで???

    ラボが遠いの?





    写真だと小さくてよく見えないけれど、黄色の箱やチューブみたいなものが瞬間接着剤的なものに見えるけれど、、、

    砂埃とか大丈夫なんでしょうか。

    ってか洗浄具が周りにないけれど、土に埋まっていたわけじゃないから埃を払う程度なのかも知れないけれど、、、本当にそれでいいの?

    土に埋まってないから土圧などで歪んでないから接合も楽ちんなんだろうけれど、ラボに帰ってからやればいいのにと思ってしまいます。




    そんな大々的に発表するほど重要な墓から出た副葬品でしょ?

    きっちり落ち着いて修復した方が展示映えもするだろうに……そう思ってしまうのは専門地域が異なるせいなのでしょうかね( ・Д・)

    誰か理由を知っている方がいたら是非教えてくださいね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




    ↓ガンガンに宣伝していくぜ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↑研究がんばるから支援よろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    おわりに

    メディア受けする調査を優先するのは世界各地でまぁ見られる現象です。

    トレジャーハンターというか「許可書持ちの盗掘者」はどこにでもいます。

    マヤ地域でもそういう考古学者がいますし、そういう日本人考古学者もいます。

    彼らの見分け方は簡単!




    論文書かない、報告書出さない、一般誌・一般書は書く、メディアに露出する。

    こんなもんかな。




    まぁ露出しててもしっかり研究者してる人も中にはいるようですけどね(*^・ェ・)ノ




    確かに傍から見てると、そもそもエジプト考古学自体が、学術系そのものが発見至上主義に浸かってる気がしますけどね。

    エジプトってあれだけ保存状態も質も良い考古遺物が大量に出て、たくさんの碑文資料もあって、周辺地域の文献史料もあってと、たぶん世界で一番データが豊富な地域だと思うんですよ。

    でも世界の考古学を牽引している気がしない。




    新たな考古学理論が誕生しても良さそうだけれど、何もないよね。

    というかこれまでも一度もない。




    私が知らないだけかな。

    周りにエジプト考古学の人いないから、適当にエジプト考古学発の理論系論文を探してみるかな(*・ω・)ノ



    もしかしたらデータがあり過ぎるせいで、文献史学的な世界に突入しているのかも知れませんね。

    そういう可能性もある!





    考古学にとって発掘調査が実験なわけで、かつ発掘調査は有限の一回性の実験なのだから、理論もなく掘りまくると間違いなく将来困りますよ。

    証明も反証もできなくなる。


    博物館のための、観光収入のための考古学。

    どうやらエジプト考古学者は半世紀以上前の時代を生きているようですね( ・Д・)





    まぁいいや、

    何はともあれ、

    私の研究が世界で一番!( ・Д・)



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    2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、晴れ)

    あと三週間、というか今週さえ乗り切れば!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1216



    今回の考古学・歴史ニュースはサッカラで100基以上の棺が見つかったよ~!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    「たくさん見つかるのはいいことですが、けっこう大変な側面もあるよ!」ってのを最後に簡単にお話したいと思います( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・

    さて、今回の舞台はエジプト、サッカラ遺跡です。

    現在のエジプトの首都カイロから、南方に30kmほどの距離にサッカラ遺跡があります。

    サッカラは古代エジプトの首都であったメンフィスのネクロポリスでした。

    ネクロポリスは本来「死者の都」という意味で、ここでは「墓所」いう意味で用いています。

    サッカラ遺跡は首都に付随する特に大規模な埋葬地だったので、これまでにも多数の埋葬遺構が発見されています。

    今回はそのサッカラ遺跡からおよそ2500年前に埋葬されたと考えられる棺が100基以上も発見されたという大発見のお話です(*・ω・)ノ


    arukemaya1215

    arukemaya1213

    arukemaya1218



    見つかった大量の棺はいずれも木製です。


    よくこれだけの保存状態の良さで残ったなと思いますねΣ(・ω・ノ)ノ


    100基もの棺は深さ12mの3つの穴3からシールされた状態で出土したそうです。


    上に挙げた写真もそうですが、下に挙げた写真でも棺が素敵過ぎる装飾を有しています。


    このことは見つかった大量の棺が富裕層の人物を埋葬したものであることを示唆しており、恐らくは古代エジプトの末期王朝やプトレマイオス朝時代の高官のものと推定されています。




    arukemaya1212

    ↑この精巧さはスゴイ!これで2500年前!?( ・Д・)(「AFP BB news」の記事内画像より転載;credit: Ahmed HASAN / AFP )


    arukemaya1217

    ↑青いのカッコイイね!(・∀・)つ(「livedoor news」の記事内画像より転載)


    arukemaya1219

    ↑こんなのも出ました!(「livedoor news」の記事内画像より転載)




    おわりに ー関連記事の紹介と考古学の大変さー

    エジプトの関連記事は多過ぎて困るんですけど、、、

    どれもけっこう面白いなと思うので全部ではありませんが、個人的にいいなって思う記事を片っ端から紹介しておきますね( -д-)ノ








    まぁこの中では、短い記事ですが、最後の「ネコが好き過ぎてエジプト文明が滅んだ!?」ってのがけっこうお気に入りです(。・ω・)ノ゙

    ・・・・・・・・・・・・

    さて、エジプトは保存状態がスゴイ良いし、何でもかんでも残っていいな~っていつも記事に書いているのですが、、、

    何かさすがに出過ぎじゃないですか!?( ・Д・)

    エジプト考古省も観光による外貨獲得を目指して文化遺産活用に力を入れているのは分かりますし、エジプト考古学者も世界の考古学を牽引する気持ちでガンガンやっているように伝わってきますが、、、

    考古学って掘って終わりじゃないじゃない?

    他の記事見てると、コロナで大変だけど新たな博物館にこれらの素敵な棺を展示するから、観光の起爆剤になって欲しいみたいなこと書いてますけども……

    100基以上の棺を写真記録撮って、図面描いて、中身チェックして、保存処理かけて、分類して、これまでに出土した膨大な資料と比べて、、、

    やることたくさんですよ( ・Д・)

    ……エジプト考古学の型式分類とかって、土器じゃなくて棺でやったとしても相当の数があるし、どんどん新しい資料見つかるしで大変だろうな~ってホントに思います。

    これまでは単純に「すげー!( ・Д・)」って思ってましたけど、改めて考えてみると『出して終わりじゃない』ところが考古学の大変なところですね。

    100基の棺の写真を報告書に使うにしてもどれだけ時間かかるのだろう……

    まぁきっと予算も人員も莫大なのでしょうね( -д-)ノ

    私も大量の墓か何か発見して一大ニュースとして取り扱われたい!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    出しただけで終われるなら特に良い!( ・Д・)



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    2020ねん 8がつ 30にち(にちよーび、激しく雨)

    安西先生、二連休が欲しいです(´・ω・`)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「ツタンカーメンの下着は高級品だったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

    考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)

    まぁタイトルに使った「勃起して死んだツタンカーメン」ってのは語弊がありますね。

    そのせいで死んだみたいにもとれますし(*^・ェ・)ノ



    (敢えてその表現を選んでいるのですがね( ・Д・))


    ↓勃起死したファラオの話ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↑さすがに悪ふざけが過ぎるか( -д-)ノ



    上に挙げたリンク先で詳しく書いているように、ツタンカーメンは勃起が原因で死んだわけでもなく、勃起した状態で死んだわけでもなく、ましてやテクノブレイクで死んだわけでもありません。


    勃起状態になるようにしてミイラとして埋葬されたのです(*・ω・)ノ


    さて、今回はそんな「the 勃起ミイラ君」であるツタンカーメン王の下着は高級品だったよ!ってお話なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    ツタンカーメン王と言えばBCE14世紀の古代エジプト王です。

    黄金のマスクで超有名な少年王ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



    彼の墓室には多数の副葬品があったわけですがその中のひとつが上に挙げた写真のものになります。




    二枚の布切れに見えますが、、、


    上の布が頭に巻く頭巾です。

    下の布が古代の下着、所謂「ふんどし」です。




    このふんどし等の布製品に対して化学組成分析を行い、素材を調べたところ、上質の亜麻布であることが判明しました。

    非常に細い糸を用いて製作されており、1cm当たりの織りの密度を計測すると、下着は75~80本と最も緻密に織られていることが分かりました!

    ツタンカーメン王の下着は高級な品だったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



    この下着を含めて全部で約400組もの服飾品が副葬されていて、その内、下着だけで146枚確認されています。

    やはり王様はたくさんお着換えするようですね(*^・ェ・)ノ




    arukemaya968



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    arukemaya971
    ↑貴重な布製の資料(上の三枚は「カイロ ~天使たちの暮らす町~」の記事内画像より転載)




    これらはいずれもツタンカーメン王の応募から出土した貴重な布製資料になります。



    一番上の写真が古代の肩掛けバッグです。


    現代でも使えそうですよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    真ん中のものはチュニック(貫頭衣)です。


    現在の博物館のミュージアムショップで売ってそうな、『古代エジプト感』でいっぱいの図柄ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



    最後のものはシーツです。


    非常に保存状態が良く、また高品質なものですから、現代社会でも十分通じるレベルだと思いますΣ(・ω・ノ)ノ





    ↓エジプト関連は記事多めですね~(*・ω・)ノ










    ↑気になった記事があれば、是非!(・∀・)つ



    おわりに

    映画とか見てると、古代の王族・貴族は綺麗に着飾ってます。

    やはり現代の技術で作られた衣装ですから、美しく映えて見えます。

    でも今回の記事からすると、古代といえど、王族・貴族が着てた衣服は非常に高品質で現代にも十分に通じるものだったということが分かると思います(*・ω・)ノ



    今回の記事の中心であるツタンカーメンのふんどしも非常に精巧なものでした。

    しかし、ふんどしはふんどし……

    パンツのデザインはおしゃれじゃないのね!( ・Д・)

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    2020ねん 5がつ 2にち(どよーび、雨のち晴れ)

    早寝したら早起きし過ぎて、結局昼寝したよ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya845
    ↑コロナウィルスは考古学にも影響を与えてます( -д-)ノ(
    柳田康雄氏提供
    「歩け、マヤ」作成)


    今回の考古学・歴史ニュースは「あの有名なギザのピラミッドを消毒したらしいよ!……でも結局、観光客来ないから、開き直ったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

    久々の更新なのに考古学ぽくない!って思われるかもしれませんが、『観光と考古学』って密接な関係にあるのです。

    特に一部の外国ではってお話ですけどね。

    日本だと外国人観光客による外貨獲得は重要な経済ファクターではあるものの、観光地として一番人気な京都を始めとして、考古学と関係ないのですよね( -д-)ノ

    もちろん京都では学術調査だけではなく、現在でもたくさんの建設工事が行われており、それに伴う緊急発掘調査が実施されています。

    そうした中、京都では寺社や武家屋敷など考古学的な発見も相次いでいるわけですが、だからと言ってそれが直ちに修復・保存され、新たな観光地として整備・活用されるわけではありません。

    だって、今現存・機能している寺社だけで十分観光資源は足りていると考えているわけですからね(*^・ェ・)ノ

    一方で例えば、マヤ文明遺跡の豊富なグアテマラやメキシコでは、遺跡の発掘調査と国立公園化、そうして遺跡や遺物等の文化財を観光資源として活用することが重要なのです(*・ω・)ノ




    コロナ禍で被害を被る考古学的な観光業

    日本は都市封鎖とか法律上できないようですけど、海外はあっという間に空港封鎖しましたし、都市封鎖による対応も早かったですよね。

    グアテマラも早かったですよ。

    一日違いで、危うく帰国できないところでしたから( ・Д・)

    空港封鎖が3月14日くらいで、5月2日現在まで遺跡国立公園や国立研究所、国立博物館、大学組織は全部稼働停止状態だそうです。

    学会やシンポジウムの中止、専門誌発行の中止と、考古学関係者もある種のダメージを受けています。

    (……発掘調査・資料調査できないし、業績が伸びない~( ・Д・))


    arukemaya841
    ↑観光客はゼロ、これは全て政府関係者です(「TBSニュース」の画像を転載;当該記事執筆現在、リンク先存在せず)



    まぁ個人的な問題はさておき、観光業による外貨獲得を主な財源としている国では国家レベルの大打撃を受けています。

    エジプトもギザの三大ピラミッドを中心とする古代エジプト文明関係遺跡や博物館を目的とした観光収入は莫大で同国経済を支えているわけですから、上に挙げた2枚の写真のように、頑張って消毒しているようです。

    でも2020年3月末までに観光客が全く来ないと嘆いていたようです。

    (というか空港封鎖してるし、当然じゃないかと思うのは私だけか( -д-)ノ)

    ピラミッドまで消毒する!って勢いで、実際には登頂禁止なこともあり、下部付近だけのようですが、徹底して消毒したそうです。

    でも空港封鎖は延長されるし、その後もなんやかんやでやはり観光客は来ないと、先が見えないと悲しみにくれていました。

    どこの国も同じですね(*^・ェ・)ノ




    開き直りもどこの国も同じ?

    それでもエジプトでは、さくっと嘆くのを止めて方向転換しました。

    そして上に挙げた写真のように、

    「家にいて!私たちを守ってくれてありがとう!」ってピラミッドにライトアップしたのでした。

    まぁやることやってダメなら、嘆いていても仕方ない!

    日本でも小樽とか開き直りの事例が散見されていますけど、そういう心の持ちようも大事じゃないかなと思います。

    ずっと「お先真っ暗」だと思って、家に籠ってるよりは精神衛生上良い気がします(*・ω・)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・

    コロナ禍の中、結局3週間近くダウンしていた管理人ですが、これから先はぼちぼちと記事を書いていきたいと思っています。

    そうして皆さんの在宅期間中に少しでも暇つぶし時間を与えられたらと思っております(*・ω・)ノ

    辛い時期ですが、頑張りましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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    2020ねん 3がつ 12にち(もくよーび、晴れ)

    渡航開始前の最終日……のんびりできない( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya812


    今回の考古学・歴史ニュースは「エジプト文明はねこを盾にされて戦争に負けたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


    ネコ大好き、古代エジプト人

    前回ティカル遺跡に現れたジャガーの子供のニュースがありましたが、ライオンやらトラやらネコ科動物はたくさんいます。

    その中でも私たちがペットにしているのはイエネコ(Felis silvestris catus)です。

    このイエネコの祖先がヤマネコなわけですが、西アジアのリビアヤマネコを起源とすると考えられています。

    ネコとの共生の歴史はより古いのですが、家畜化されたのは
    約3700年前のエジプトと推定されています。

    古代エジプト人は穀物をネズミの害などから守るためにネコを利用し、やがて家畜化したのです。


    この辺りの流れは他の地域と変わりありません。


    しかし古代エジプトでは家畜化開始期であるおよそ紀元前2000年前頃から、ペットとしてだけではなく、ネコを崇拝し、信仰の対象としても扱っていきます。





    上に挙げたのは「神々の記」で描かれるネコの神様、バステトです。

    以前にも「神々の記」は紹介したことありました↓↓↓


     





    上のリンクが『神々の記』関連で、下のリンクは「バステト神」を祭る神殿からライオンとか猫のミイラが出たよ!ってお話です。

    下のリンクでバステト神について語ってますので今回は割愛させて頂きますが、つまるところ、古代エジプト人はネコを神格化してしまうほど、ネコ好きだったのです(*^・ェ・)ノ


    非道なる所業、許すまじ、カンビュセス2世( ・Д・)

    今回のメインテーマは、「ねこを盾にされたので戦争に負けちゃったよ」ってことなのですが、実際のお話なのです( ・Д・)

    BCE525年のペルシウムの戦いでは、アケメネス朝ペルシア第2代王カンビュセス2世と、古代エジプト第26王朝ファラオ、プサメティコス3世が戦いました。

    しかしカンビュセス2世が、兵士に「ネコの絵を描いた盾」を持たせました。

    あるいは一部、本当に盾にネコを括り付けたそうですが、こちらは史実かどうか不明です。

    エジプトの兵士たちは「絵」なのに、猫の絵の盾をもつ敵兵を攻撃できず退散してしまいます。

    カンビュセス2世はプサメティコス3世を捕虜とし、聖なる動物のために国を犠牲にしたエジプト人を軽蔑し、エジプト人たちの顔に猫を投げつけたそうです。

    少なくとも何らかの効果を期待して卑怯な手段を取ったくせにね!( -д-)ノ

    後にプサメティコス3世は処刑され、エジプト第26王朝は断絶してしまいます。

    本当に戦争とは非情なるものです。

    例え、可愛いネコを盾にしようとも、勝てば官軍負ければ賊軍、世の中間違ってるぜ( ・Д・)




    ちなみにこれがカンビュセス世のご尊顔!

    わっるい顔してるわ~、許すまじ( ・Д・)

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    2020ねん 2がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

    こちらは調査開始後、ようやく最初の土曜日である。

    のんびり寝つつも、しっかりと仕事したよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya716
    ↑声帯が再現されたミイラ、なんか怖いヽ(TдT)ノ(下記の動画の映像より)


    今回の考古学・歴史ニュースは「ミイラの声帯を復元して当時の声を再現した研究があるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

    上に挙げた写真のミイラが今回の研究の対象になったミイラです。

    彼の棺には神聖文字が刻まれており、その名前は「ネシャムン」で、カルナック神殿で書記官や僧侶として働いていたことが分かっています。

    ネムシャンは古代エジプト第20代王朝の第10代ファラオ、ラムセス11世(紀元前1098~1070年頃)の時期の人物で、埋葬されたのは紀元前1100年頃、つまりネムシャンのミイラは今から約3000年前のミイラということになります。

    また彼の棺には「声の真実」を意味する贈り言葉(称号のようなもの)が記されており、彼は生前、神殿における儀式の際に歌を歌っていたと推測されています。

    このことを理由に声帯の復元が行われた……のではなく、研究者側の事情でこのミイラ「ネシャムン」が選ばれたのだろうなと私は思います( -д-)ノ

    というのもこの研究を行ったのは、イギリス、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイのデビッド・ハワード氏らの研究グループだそうです。

    一方でこのネムシャンは同じくイギリス、リーズ私立博物館が所蔵するミイラであり、イギリスでも最も保存状態の良好なミイラなのだそうです。

    やはり研究の上では許可の関係上、自国や影響力の強いところでやるのが普通です。

    変わった研究であればあるほど、どうしてもそうなる傾向が強いですね( ・Д・)




    ネムシャンのミイラは医療で用いられるCTスキャンを使用して内部構造が分析され、3Dプリント技術によって復元されました。

    これによってミイラの唇から咽頭までのモデルが印刷・復元されたのです。

    この復元モデルをコンピューターとスピーカーにつないで人工声道を作り、発声させました。

    ↓それがこれ↓(*何か怖いので注意!ヽ(TдT)ノ、音量にも注意!( -д-)ノ)






    私は怖いの苦手なので、聴いた時はうわぁヽ(TдT)ノってなりましたけども……

    面白い研究だとは思うのですが、どんな意味があるのかなってちょっと思ってしまいました。

    海外ではこのような一般向けにインパクトのある研究がちらほらと散見されるのですが、日本ではほとんどないですよね。

    私がこの研究について知って驚いたのは、「こういう研究にもお金が落ちるんだ!Σ(・ω・ノ)ノ」ってことですね。

    世の中歴史好きが多いにも関わらず、人文科学は一体何の役に立つのかと叩かれっぱなしに思えます。

    もちろん何の役に立つだろうかと研究者自身が自問することは大事だと思います。

    そしてそれは研究の助成金申請時の書類の記述にもやはり現れてきます。

    地道な基礎研究も大事ですが、日本でもこうした世間一般にインパクトのある面白い研究に対しても助成金が落ちるようになるといいですね(*^・ェ・)ノ

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