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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:オカルト

2021ねん 10がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

無理せず適度に働いてよく寝ることはとっても大事ですね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは黒魔術リベンジ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、今回の舞台は愛知県、三河湾です。

前回の記事でも紹介したように、足の骨や腕の骨といった長い骨を使って井桁状(四角形状)に組んだ中に頭蓋骨や肋骨などの他の骨を入れる埋葬形態がこの地域では見られます。

これは「盤状集積葬」と呼ばれるもので、この三河湾地域を特徴付ける縄文時代の一風変わった埋葬方法です。

では早速、おどろおどろしい黒魔術の儀式っぽい埋葬事例を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓前回の記事(*^・ェ・)ノ




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どうですか???( ・Д・)

一般的にお墓の中の人骨のイメージと言えば「伸展葬」と呼ばれる、『気を付け』した状態のものだと思います。

それがこのように意図的に配置を変えられるとちょっと違和感を覚えませんか?

この事例は綺麗に方形に並べられているので分かりやすい事例である一方で、頭蓋骨がよく分からない状態なので「怖さ」があまり感じられないですね(´・ω・`)

まぁしょうがない、他にも事例を見ていきましょう!





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頭蓋骨や顎の骨が方形の四隅に配置されています。

でも四角形の枠組みも見えるでしょう?

右側の縦ラインだけ不明瞭ですけどね( ・Д・)



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↑ちょっと変形した事例(「水嶋ら 2004」の図1より転載)


上に挙げたのは保美貝塚における、今からおよそ3500年前~2500年前の縄文時代晩期の事例です。

こんな風に六角形に組む事例もあります。

まぁでもこれはレアなもので、基本的にはやはり四角形です。




さて、皆さんも目が慣れてきたでしょうから、ここからは写真の中のどこに盤状集積葬が認められるのか探してみてくださいねヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑保美貝塚の事例(「水嶋ら 2004」の図1を転載)










おわりに

調べてみると、思ったより事例がなかったなぁと、、、

古い調査の成果が大多数なのか写真が全然見つからなかったです(TДT)

結局、あんまり黒魔術の儀式っぽくなかったですかね?

リベンジ失敗かな?ヽ(TдT)ノ

でも前回の記事の直後、昨日の今日の話なんですけど、例のグーグルアドセンスの問題が突然解決して広告制限解除されたんですよ。


黒魔術が効いた!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


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↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


どうですか、これ?

私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




どうですか?

あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

・・・

・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







正体は何なのか?

さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


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そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




一方でボクサーなのは何故でしょう?



arukemaya1640
↑再掲


まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




おわりに

小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

他に類例を知りません。



しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

よく取れずに残ったなと感心しますね。

よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



・・・・・・

余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

採用されないかな!?( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 16にち(きんよーび、くもり)

無理して働くより、コツコツ確実にの方がいいね、今更気付いたよ( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは沖縄、与那国島海底遺跡の真偽について考えてみたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は沖縄県、与那国島です。

「与那国島海底遺跡」って聞いたことありません?

私は昔、特命リサーチ200Xで見たのが最初だったような気がします。

というのもこの遺跡の発見はけっこう昔のことなのです。


簡単に概要を示すと、、、

この遺跡は1986年に地元のダイバーによって巨大な階段状構造が発見され、1995年に地元紙に大きく取り上げられて広く注目を集めるようになりました。

1992年以降に琉球大学理学部教授であった(現在は同大学名誉教授)木村政昭を中心として調査が実施されています。


ただ沖縄県文化局は人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、『遺跡として認定していない』そうです。


まぁ記事の関係上(私が面倒なので( -д-)ノ)、本記事では「与那国島海底遺跡」のことを、『この遺跡は・・・』みたいな感じで記述しますが、省略以外の意味はありません( ・Д・)



*当サイト「歩けマヤ」が大好きな人はもうご存知でしょうが、現役考古学者が運営していますので、宇宙人やUFO、UMA等々の専門外のオカルトには寛容がありますが、『超古代文明』系オカルトのような、私たち考古学者に喧嘩を売るエセ科学はボコボコにしますので、オカルト大好きな方はこの先読まないことをお勧めします( -д-)ノ





この与那国島海底遺跡については日本のメディアではもう下火になっています。

というのも「人工説、遺跡説、古代文明説」みたいなことを言ってる研究者って、先に挙げた木村政昭しかいないのです。

彼が現在、名誉教授になっているので年齢的に以前ほどの活発な調査研究を行っていないというのが、日本での話題性が下火になっている理由の一つでしょう。

一方で海外では最近特にとても人気が高いんですよね。

YouTube動画見てても、オカルト系番組はもちろんのこと、まっとうな海外の歴史系番組でもけっこう取り上げられています。

なんでだろう?

まぁ良くも悪くも、日本人はなんだかんだリアリストで、海外の人は夢見がちな傾向ありますからね( ・Д・)

(例:私「実は考古学者なんだ!」
   海外の女性「え~ロマンあるね!」
   日本の女性「え、それ稼げるの?」)


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さて、内容を見ていくと、木村政昭はこの与那国島海底遺跡に関して考古学や地質学の学会での研究発表業績がないそうです。

まぁ確かに考古学雑誌では少なくとも見たことない気がします。

本記事の趣旨とずれるので詳細は省きますが、地質学者からは自然地形説、浸食説が提示されていて、この巨大な「遺跡」は人工物ではないと結論付けられています。

まぁこれは専門外ですしとやかく言いませんけど、解釈も妥当かなと感じます。

他方で考古学者もまともに取り合ってる人はいないと思うのですが、理由は簡単!

考古学的な証拠が一つもないからです。

そもそも検討の余地すらない( -д-)ノ

でも遺跡・古代文明説や超古代文明説についてそれぞれ見ていこうかなと思います、私、優しいので( ・Д・)


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↑デカすぎなのさ( ・Д・)(「蔵瀬抜刀」さんのTwitter画像より転載)


さて、上に挙げた図もそうですが、この遺跡はデカすぎなのですよ。

一般的にはデカいからインパクトあるし、一見良さそうに見えるけど、人工説・遺跡説を唱えるならばこれは良くないです( -д-)ノ


何故か?( ・Д・)




これが遺跡ならば、単に遺跡とは言えず、自動的に文明説になっちゃうからです

この遺跡が、都市遺構だろうが、神殿跡だろうが、サイズの問題で文明ありきを前提にしてしまうのです。

ところで、よくYouTube動画で「縄文時代は世界最古の古代文明」とかそれに近いことうたってる動画ありますけど、間違いです。

研究者の定義にもよりますが、私に言わせれば、『文明=国家段階』です。

(*簡易に記述しています。詳細を書くと長くなるので、気になる方は考古学や人類学辞典をご参照下さい( -д-)ノ)

なので縄文時代は国家段階ではないので文明って呼称はダメってことです。

この遺跡の場合は、あまりに巨大な構造物なので、これが人工物ならばそれが何であれ文明段階つまり国家段階、少なくとも国家形成期段階の遺構と言えるでしょう。


また少し話は逸れて、最近、量子力学等の物理分野で『時間は存在しない』ってのが流行ってますね。

他分野の理論や考え方が他でも活きる事例が近代以降多々確認されている科学界ですが、考古学では「時間はない」って感覚が遥か昔からあると思っています。

だってまさに我々にとって「時間=変化」ですから(*^・ェ・)ノ




さて、話を戻すと、仮に「与那国島海底遺跡」が人工物と仮定してみましょう。


①与那国島海底遺跡が人工物、つまり遺跡である(仮説)

②ならば、対象遺構は莫大な労働力が用いられた巨大な建造物なので、都市あるいは神殿といった機能・用途が不明であったとしても、少なくとも国家形成期あるいは初期国家段階の遺構と想定できる。

③ならば、初期国家段階の人口はおよそ1万人程度との伝統的な先行研究事例を基に考えると、近隣の島(与那国島、あるいは沖縄本島など)にそのレベルの人口を有した社会が存在したことになる。

④保存・依存状態や海流などの様々な事情により遺構周辺の海底から土器や石器などの関連遺物が発見できないにしても、周辺の島々には巨大建造物を建設・利用した人々の生活の痕跡が残るはずである。

⑤そうした生活の痕跡は、最初期のヒトの移住から始まり、巨大建造物を建造可能な技術を有する人口およそ1万人の社会に達するまでの全過程に関して考古学的に痕跡が残るはずである。


とまぁこんな感じに論理展開していくことになります(。・ω・)ノ゙


「時間=変化」の話と繋がってるのですが、分かりましでしょうか?

いきなりポンとモノは出来ないのです。

必ず過程があります。

モノが大きかったり、複雑であったりすればするほど、その分過程は長くなり、各過程における痕跡が残り、考古学的に認められる可能性が増大するのです。





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さて、では先述の論理展開を基に、遺跡・文明説と超古代文明説を見ていきましょう。

A:遺跡・文明説:最も新しい発表では2000~3000年前の遺跡と推定

B:超古代文明説:古代の海面上昇を根拠に1万年前の遺跡と推定


・・・Bの超古代文明説は簡単な説明でサクッと片付けます!( ・Д・)

去年あたりから縄文時代草創期の土器研究とか始めてみたのですが、対象の土器で1万3000~4000年前ですよ。

1万年前は縄文時代早期ですもの・・・そんな大きな社会は当然ないですよ( -д-)ノ

ちょうど今年度は沖縄で資料調査をする予定なので、しかもちょうど沖縄の最古の土器の爪形文土器を扱うのですが、これで縄文時代後期(ca.3500-4500年前)並行の判定(国分ら 1959: 49)ですよ?



【参考文献】

国分直一、川口貞徳、曾野寿彦、野口義麿、原口正山

1959 『奄美大島の先史時代』九学会連合奄美大島共同調査委員会編、日本学術振興会




一方でAの遺跡・文明説だと2000~3000年前という推定だから、おおよそ新しく見積もって弥生時代、古くとも縄文晩期相当になります。

ここで沖縄の土器の例として私が述べているのはあくまで上記参考文献中の奄美大島の爪形文土器についてですが、縄文後期に南九州で代表的な市来式土器の影響を受けて、奄美大島の爪形文土器が成立したとされています(国分ら 1959: 49-50)。

この爪形文土器は奄美大島だけではなく、沖縄本島や宮古島などの南琉球でも出土しており、時期に大きな違いはないようです。



ということはAの遺跡・文明説を取ると、南九州の縄文人の影響を受けて土器を作り始めた人々が資源の限られた小さな島にも関わらず、僅か1000年で一気に九州の縄文人・弥生人を追い抜いて国家段階に達し、与那国島海底遺跡を建造したということになります。

そんなスゴイ人たちはその後一体どうなったのでしょう?




これも「時間=変化」の感覚です。

文化も社会も突然現れないだけではなく、突然消えませんから(´・ω・`)

ちなみに人口だけで言うと、現在の与那国島の人口は1625人( ・Д・)


↓実際の海(?)底遺跡と言えばこんなのがあります(*・ω・)ノ



↑スキューバのライセンス欲しい…って昔から思ってる( -д-)ノ


おわりに

エジプトのスフィンクスが1万年前に造られたっていう地質学研究者もいたけど(今度記事にしますね)、オカルトはさておき、超古代文明系で一応ちゃんと研究やってるのに明らかに間違った解釈を述べる研究者って、考古学との協調性がない点で共通していると思います。

いくら考古学が比較的新しい学問とは言え、これまでに地道に積み上げてきたものが一気にひっくり返ることは滅多にないですからね( -д-)ノ

アメリカ大統領のジェファーソンによる科学的な考古学調査の開始を始点にしたとしても、約250年の歴史があるわけですから!( ・Д・)


↓ジェファーソンについて紹介してます(*^・ェ・)ノ

↑チャンネル登録してね!今後は2週に1回くらいアップしたいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


まぁ予定通りに与那国島海底遺跡の人工物説・遺跡説を批判してきましたが、、、

もし本当に遺跡ならそれはスゴイことなのですが、どうやら違うので、間違った情報を流すのは良くないという想いから本記事を書きました。

現代社会では情報はあっという間に飛んでいきますから、仮に与那国島海底遺跡を「超古代文明の遺構だ!」って言って持ち上げて観光客を呼び込むことも可能ですが、すぐに世界中から日本の研究者は何をやっているのかと厳しいご指摘を頂くことになるでしょう...(#`皿´) ムキーーーー!(´・ω・`)ゴメン

そんな危ないことしなくても既に観光的には、与那国島海底遺跡は「遺跡ポイント」と呼ばれていて、人気のあるダイビング・スポットになっています。

これから先、たくさん訪れるダイバー達によって重要な何かが発見されることで新たな局面を迎えるかも知れないけれど、もう十分に与那国島海底遺跡は与那国島の貴重な観光資源となっていると思います(*・ω・)ノ


・・・大きな発見で目立つのはいいけど、叩かれるのはやだね!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 12にち(げつよーび、晴れ)

ひとつ峠を越えたが、年内まだまだ山あり谷ありだ( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya1025
↑ダチョウの卵たちに囲まれた問題の品(*^・ェ・)ノ(「NOIZMOON」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「コロンブスのアメリカ大陸到達直後に作られた地球儀があるらしいよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


クリストファー・コロンブスと言えば、1492年にアメリカ大陸を「発見」したとして有名な人物です。

これは白人視点ですので、正確にはアメリカ大陸の先住民やその文化との「遭遇」と言えるでしょう。

現在ではコロンブス以前にヴァイキングがアメリカ大陸に到達しており、「ヴィンランド」と呼んでいたことが分かっています。

……このお話はまた別の機会に( -д-)ノ




他にもコロンブス以前に古代ポリネシア人が南米に到達していたとする説も出ています。


彼自身コンキスタドール(征服者)なのですが、コロンブスのアメリカ到達により、先住民人口が3分の1まで縮小しました。

こうして近年は判的評価を受けることが多いコロンブスですが、今回の地球儀の作成の件では彼の新大陸への到達時点である1492年が一つの重要な指標になります。



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これが問題のダチョウの卵です。

見つかったのは2013年なので、比較的最近ですね!( ・Д・)


卵の殻を利用して作られています。

ダチョウの卵を半分に切断して、比較的真球に近い形態を有する下半分を2つ組み合わせて作られているのです。


表面はエッチングという化学薬品などの腐食作用を利用した塑形ないし表面加工の技法を用いて世界地図が描かれています。


分析では卵の殻の老朽過程でカルシウム密度の約50%を失っていたことから1504年に作られたと結論付けられているそうです。



そして問題は3枚目の画像です。

アメリカ大陸が描かれているのですΣ(・ω・ノ)ノ


南米は描かれているのですが、北米はありません。

1504年ってコロンブスの到達直後ですし、どういうことなのでしょうか?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?





ハント・レノックス地球儀

こちらはハント・レノックス地球儀と呼ばれるものです。

1855年に建築家のリチャード・モリス・ハントによってパリで購入され、彼はこの地球儀をジェームズ・レノックスに贈りました。

そしてレノックスのコレクションは現在ニューヨーク公共図書館の所蔵品となっています。

この両名の名前を取って、「ハント・レノックス地球儀」なのです。



この地球儀は直径112mmの銅製で1504~1506年に作られたと推定されています。

1504年と言われているダチョウの卵の地図が見つかるまで最古の世界地図を表現した作品だったのです(*・ω・)ノ

そしてこのハント・レノックス地球儀にもアメリカ大陸が描かれているのです……





ちょっと考えてみた( ・Д・)

以上の2つの遺物はオーパーツ的に紹介されている記事が多いので、そういうものかと思いきや、、、

どちらもまがい物じゃないようです!( ・Д・)



でもなんか引っかかる……

ダチョウの卵のアメリカ大陸と、ハント・レノックス地球儀のアメリカ大陸を比べてみましょう!



ダチョウの卵の南アメリカ大陸しか描かれていない地図

左側の南アメリカ大陸しか描かれていない地図(ハント・レノックス地球儀のもの)


どちらも同じ地図でない?( ・Д・)




こうして見てみると、南アメリカ大陸は角度がおかしいけども良く描けてますよね。

分かりにくいけど、ドミニカ、ハイチ、もしかするとキューバまで描かれているかも知れませんね。

パナマの細さが上手く描けてないので、不明瞭ですが、中米は少なくともホンジュラスまで書かれていそうな気がします。

南アメリカ大陸の上に書かれた2つの島の左側がキューバならば、ユカタン半島までぎりぎり描かれていそうです。



コロンブスはハイチ、ドミニカの東に位置するサン・サルバドル島に最初に到着し、次にキューバ、そして現在のハイチ、ドミニカのあるイスパニョーラ島を発見しています。

その後ベネズエラに上陸していますし、正確には「南米大陸の発見者」と言えます。

まぁアメリゴ・ヴェスプッチの名前に負けていますけども( ・Д・)



コロンブスは殺戮・強姦・拷問など非道の極みを地で行きましたが、あっという間に1506年にはスペインで病死しています。

仮に本当にダチョウの卵やハント・レノックス地球儀が1504年の製作だったとして、彼の作ったであろう地図が基になっている可能性が高いですね。



何せ、コロンブスは「新大陸発見」の前に、航海士・地図製作者として一定の成功を収めていた人物ですから(*・ω・)ノ

だから2つの地図には彼の知らない北アメリカ大陸が描かれていないのでしょう(*・ω・)ノ



まぁそれにしても南米全体を描くには時期的に早過ぎますが、一部不正確な部分もありますし、黄金のありかを求めて拷問を行う中で地図作成を優先させていた可能性が高いと思います(*・ω・)ノ


やっぱり宝の地図って大事なので!( ・Д・)




↑これ、個人的には好きだし、ロマンあると思うよ!人気出ろ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

不思議と言えば、不思議、、、

でも何となく分かりそうな気がしますね(*^・ェ・)ノ


こういった一見、難しそうで、でも解けそうな問題って「在野の歴史研究家」にさくっとクリアされる傾向にあると思います。

いつになるかな?

私自身、続報を楽しみにしています(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


結論:ダチョウの卵はオーパーツじゃ、無さ気!( ・Д・)


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2020ねん 9がつ 22にち(かよーび、晴れ)

研究者は9月多忙過ぎると思うヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya988
↑私が小さいときにこのオーパーツはなかった気がする( ・Д・)(「RT」の記事内画像より転載;英文)



今回の考古学・歴史ニュースは「古代の宇宙人!?25万年にUFOの部品を落っことしていったぽいよ!?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



今回はオーパーツのお話です。

*注意:最初に述べておきますが、当サイトでは息を吸うようにオカルト批判しますから、「夢」を残しておきたい方は読まない方が良いです。当サイトでオカルトを認めることは未来永劫ございません。観測できぬものに興味ございません。

*注意2:「確率上、この宇宙に宇宙人は存在する」とか論理的に「地球人も宇宙人」とか、そういう思考は当然認めます。が、それは「宇宙人が既に地球に来ている」とか、「宇宙人が古代文明をつくるのに一役買った」とかそのような説の論証にはなりえません。



さて、今回のお話をする前に、所謂『文系』学問として先に用語を定義して、使い方を決定しようと思います。

文章中に「宇宙人」が出てきたら、それは「地球外生命体」を指します。

この地球外生命とは地球外において発生・生育した生命であり、少なくとも現在の人類と同等以上の知性を備えた生命体と定義します。

(他の惑星に易々と飛来するレベルですからね( -д-)ノ)

よって、隕石と共に飛来した微生物等はその範疇に含まれませんし、もちろん人類も含まれません。


また文章中に「UFO」が出てきたら、それは上に述べた『「宇宙人」が乗ってきた乗り物』と定義します。

よって、元々の意味が「未確認飛行物体」だから「未確認(正体不明)で飛んでるものは何でもOK」とはなりません。



……とりあえずこれだけ定義しておけば、下手な攻撃は飛んでこないでしょう。

もとより当サイトの読者は所謂そういう人たちとはタイプが異なると思っておりますが(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


言うて、私も幼少期にはオーパーツ好きでしたし、今でもわくわくしますけど

考古学の名が傷つけられる場合に関してはフル攻撃するってだけです( ・Д・)




オーパーツに関する情報と面白さ

さて、今回の紹介するのは「アイウドの楔(くさび)」です。

出土地点の名称から「アイウッド」と付けられています。

後に紹介するヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」(日本語版)では「アイウド」と発音していますので、本記事ではこちらを採用しました。



この遺物が発掘されたのは1973年のルーマニアです。

当時ルーマニアは共産圏であり、ゴタゴタしていたため(そんなこと理由になるのかは不明だが)、発見の詳細な経緯についてはよくわかっていません。


 
ルーマニア中部にあるアイウド(アイウッド)の近くに位置するムレシュ川のほとりで、建築業者が工事を行っていた際に、地表下10mの地点から3点の遺物を発見したそうです。


内、2点は大型哺乳類の化石であり、残り1点が非常に軽いが人工的な金属でした。

この人工的な金属というのが『アイウドの楔』です。

最初は斧の先端ではないかと推測されたようです(*・ω・)ノ



これらの遺物はルーマニア、トランシルヴァニア地方の中心都市であるクルジュに送られ、解析にかけられました。

その結果、2点の化石は1万~8万年前に絶滅したとされる大型哺乳類(マンモス)の骨と判定されました。

3度の分析がなされる中で、最終的にマンモスの骨は25万年前のものということになったようです。


一方で『アイウドの楔』はその主成分からアルミニウム製であることが分かりました。



でも人類によるアルミニウムの使用は1800年代なので、同じ時代のものとすると、大きな時間の隔たりがあるのです。

25万年前だとネアンデルタール人の時期であり、所謂「旧人」の段階です。

そのため、このアイウドの楔は、25万年前に宇宙人が地球に飛来した際に、彼らが乗っていたUFOが落とした部品ではないか?と言われるようになったのですΣ(・ω・ノ)ノ



これが『アイウドの楔』がオーパーツとされる所以です(。・ω・)ノ゙


arukemaya989
↑こんな感じで2点の骨と共に出土したそうだ(下に挙げた「古代の宇宙人」の動画内から転載;Youtube動画への直リンから飛んでくださいな)



考古学的にはどうなのよ?

さて、何故、今回このオーパーツを取り扱ったかというと、

ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」関係のシリーズでこのアルミニウム製オーパーツが使われていたからです。

ちなみに個人的にはこのシリーズを観るの好きですよ、あくまで娯楽として(*・ω・)ノ



↑4分割の内の最初がコレ!!!最初から見たいひとはどーぞ


↑4分割の内の3番目(同タイトルの「3/4」)、「アイウドの楔」についてピンポイントで見たい方はこちらの後半をどーぞ!4/4の最初まで続きます!


上に挙げた動画内では、、、

「『アイウドの楔』として知られるようになったその奇妙な物体は、今でも考古学者たちを悩ませている」

とか言ってますけども、、、


まぁ基本的に考古学者はこのオーパーツについて真面目に取り合おうとはしないでしょう。



明らかにヤバイものには手を出したくないってのもありますけども、、、

そもそもこれは「所謂、考古学遺物ではない」と思います。



何故かというと、これは学術調査や緊急調査で出土したものではないからです。

世界的に盗掘は禁止されていますが、理由は簡単。

テキトーに掘り出されると、遺物に美術的価値は残りますが、考古学的価値はなくなるのです。


正確には「なくなる」と言うのも変です。

考古学的価値とは『付加されるもの』です。


このケースだと工事で出土した段階で、工事を中止し博物館に届けてます。

正しい行為です。


でもその後、直ちに考古学者が派遣されて出土状況の把握、撮影や各種図面の作成といった記録を行ったのでしょうか?

先に述べたように、詳しい出土状況は不明なのです。



詳細な地点(場所)は不明。

地表下10mという深さのみで、出土した地層は不明。

マンモスの化石との共伴関係が不明。


はっきり言って何も分かんないじゃないですか???( ・Д・)



一番の謎は『表面の錆の量』ってことになってますけども、、、

マンモスが絶滅したのは4万年前なので、仮に共伴を認めるならば一番新しく見積もっても4万年前ってことになる。

当然、その頃にアルミニウム製品の加工技術はない。

でもあの錆が発達するのに4万年も必要だと言う根拠はどこに???


どう考えても1800年代以降に作られた製品ですよ!!!( ・Д・)


arukemaya990
↑先の動画のワンシーン



おわりに

上に挙げた画像で分かるように、博物館員は手袋してるのに、

お前ら素手でベタベタ触るなよ!

錆の原因はそれだよ!ヽ(TдT)ノ


ってかこの博物館の人、いくらもらってこういう発言(宇宙人いるかも的な)してるのか気になりますね~。

まぁ言うて私ももし出演できるなら、きっと内心笑いを必死にこらえながら、指示内容を汲み取りつつ当たり障りないように発言するけども(*^・ェ・)ノ



……さて、今回紹介した動画内において

ジョルジョ・ツァカロフ(上の写真の右の人物)のセリフで、

「現代の考古学には改善すべき点があると思います。」

ってのがあるのですが、



まぁ確かにその通りだよ( -д-)ノ


けど、、、


お前には言われたくないですにぇ~!( ・Д・)



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2020ねん 3がつ 2にち(げつよーび、晴れ)

さて、3月か!

初っ端からオカルトちっくなテーマで飛ばしていくぜ!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya796


今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡でドラクエウォークしたよ! & ティカルには謎スポットがあるよ」ってお話です(*・ω・)ノ


まずはドラクエウォークの話、次にティカルの謎スポットの話について書きます。

ドラクエウォークに興味ない人は後半から読んで下さい。

もう1枚のオカルトな画像(「古代の宇宙人」の画像)が目印です( -д-)ノ

でもなんでティカルでドラクエウォークすることが凄いことなのでしょうか?

海外だし、遠いところだから?

違いますよ!

ティカル遺跡は複合世界遺産に登録されており、考古学的な遺跡の部分だけではなく周囲の576㎢にも及ぶ巨大な密林地帯も保護されているため、基本的に現代的な建物、つまり電波塔が建てられずあらゆる電波がないからです(*・ω・)ノ



Screenshot_20200225-111040
↑ドラクエウォークした位置


Screenshot_20200225-111130
↑位置がよく分からないのでひいてみた。下に湖が見える。


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↑「Google Map」におけるティカルと湖の位置関係


ティカル国立公園でドラクエウォークしてみた結果、出てきたモンスターは?

では少しだけドラクエウォークの話を・・・・・・( -д-)ノ

上に挙げた画像のようにティカルで無事にドラクエウォークをすることができました。

海外非対応なので、一切のスポットもなく、「ティカル国立公園」や「神殿」の表示もないので正直どこだか分かりませんが、しっかりティカルの内部でプレイしましたよ!

グーグルマップと見比べると、確かにティカルでプレイしているのが分かると思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


Screenshot_20200225-111224
↑プレイは出来ても、全然敵が出なくて泣きそうになっていると・・・・・・


Screenshot_20200225-111913
↑出た!!!!


Screenshot_20200225-111931
↑出たのはヒートギズモでした。しかも単体( -д-)ノ


Screenshot_20200225-112006
↑『ティカルのこころ』を得た!(・∀・)つ


てなわけで、昼休み中に散々待った挙句、出たのはヒートギズモ1匹のみ!

めちゃ暑い熱帯雨林に囲まれたティカルだけあって、それらしいモンスターが出現しました。

空気読んでますね!(*^・ェ・)ノ

しかも『こころ』くれたし、いい記念になりましたよ!っと、それだけです( -д-)ノ

お付き合い頂き、ありがとうございました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


arukemaya795


『古代の宇宙人の基地』が埋まってる!?( ・Д・)ティカルにおける謎スポットについて

さて、本題に入りましょう。

初めに書いたようにティカル国立公園内には電波がありません。

ただしティカル国立公園と言っても576㎢に及ぶ広大な土地の全体を指します。

そのため近隣の村落に近い「境界部分」には電波が届く範囲もあるでしょう。

ここで述べているティカルとは広大な敷地における中心部の考古学遺跡エリアのことを指しています。

2012年頃でしょうか、確か「古代マヤの終末予言の日(?)」として世界的に有名になった『13バクトゥン』の日(約5000年にも及ぶマヤ暦が一周する日)のイベントに合わせて、現地の携帯会社であるTIGOが一時的に電波塔を設置する許可を得たことがあります。

やっぱ金があると法律を捻じ曲げて何でもできるんだなと感じた記憶があります。

電波塔の設置により、数か月はティカル全域で携帯が使えましたが、ハリケーンの襲来により電波塔が壊れてしまいました。

それ以降これまで通り、『古代マヤの森』の景観を守るためあらゆる電波塔の設置は認められておりません。

でもティカルにおいて電波のあるところがいくつかあるので紹介しますね!(*・ω・)ノ



①研究所と高級ホテル

まぁ当然と言えば当然ですが、近年ティカル内のホテルと研究所にwifiが設置されました。

皆さんが使用可能なのはホテルの方ですね。

ちなみにネットが使えるホテルは「ジャングルロッジ」です。

確か70~80ドルだったと思います。

ティカルでドラクエウォークしたい人は是非どうぞ。

ウォークはできませんけど、ホテル内をうろうろくらいはできます( -д-)ノ




②4号神殿の頂上

4号神殿の周辺は開けていないため、4号神殿自体を写真に収める人はまずいません。

なので上に挙げた写真のような4号神殿に登って撮った写真が一般的です。

背の高い白い神殿たちが緑の海から突き出していますね!(*・ω・)ノ

4号神殿はティカルの神殿の中では最も高く、およそ65mあります。

4号神殿は観光用の階段が設置されている一押しスポットなのでみんな登頂します。

この4号神殿の上では携帯が使えるのです。

これは昔からずっとそうであり、ジャングルの樹々より高いことから遥か遠方の電波塔の電波を受信できるためと考えられます。

なので、さほど不思議でもありません(*^・ェ・)ノ




③ティカル最大のミステリー(電波)スポット

ティカルには『最も古い』重要なエリアがあります。

その名も『ムンド・ペルディード(失われた世界)』です。

これはアメリカの調査隊がこの場所の風景を目にして、小説の「ロスト・ワールド」に出てくる景観と一緒だとして命名したものです。

英語表記ではそのまま「ロスト・ワールド」です。

これまでに行われた調査の結果、このムンド・ペルディードは先古典期から建設が始まったと考えられています。

ティカルにおける最初の居住はBCE1000年頃と考えられ、このムンド・ペルディード地区での建設開始はBCE400-300年頃と推定されています。


arukemaya802


『古代の宇宙人』的に述べるならば・・・・・・

なんとこのティカル最古のエリアの極めて限定された空間では携帯の電波が通じるというのです。

しかも亜熱帯ジャングルに囲まれた地表面レベルでです。

しかし何故そのようなことが起きるのでしょうか?

一部の「古代宇宙飛行士説」を唱える研究者には古代マヤ文明は突然として滅び、その時マヤの人々は宇宙に旅立ったと考えている者もいます。

その説では、古代マヤ文明の中心都市であったティカルはそもそも『古代の宇宙人』の来訪によってかつて「ムンド・ペルディード」が建設され、今も尚彼らの基地が地中に埋まっていると言うのです。

そのためこの最古のエリアでは極めて局所的に電波が通じるのです。

古代マヤの叡智の始まりとも言える『最古の神殿建築』の存在と、今尚科学的に証明できない『不可解な電波受信』、これが偶然と言えるでしょうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな感じですかね?

上記の内容は『主流学派(?)』は認めていませんけども、何故電波が通じるのかは不明で、論理的な説明がつかないのは事実です( -д-)ノ

実際にはムンド・ペルディードの神殿近くで受信できるのではなく、4号神殿のエリアとを繋ぐ散策路の入り口(ムンド・ペルディード側)でのみ受信できます。

本当に局所的です。

昔試した感じだと直径10~15m程度かな。

本当に何か埋まってるかも知れませんねΣ(・ω・ノ)ノ

YouTubeGT(グアテマラのYouTube)では日本語版『古代の宇宙人』が見れないので、曖昧な記憶を頼りに「古代の宇宙人風な言い回し」で書いてみましたがいかがでしたでしょうか?

気に入って頂けたら幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2020ねん 1がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

連投で真面目な(?)考古学・歴史ブログであることを再度示そうと思うよ!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・






今回の考古学・歴史ニュースは大航海時代、スペイン征服期以前に白人がアメリカに到達していた!?」というお話です(*・ω・)ノ

当サイトでは「オカルト」ちっくなものは基本的に扱いませんし、扱っても科学的・論理的に批判してしまうのですが、今回のはちょっと毛色が異なります。

たぶん……他サイトでは見たことないテーマなので、日本語の記事としては初めてかな?

きっと楽しんでもらえると思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



「新大陸」への白人の到達時期

メソアメリカ(ざっくり言うとメキシコとかの所謂「中米」域)へのスペイン人の到達は15世紀半ばから始まる大航海時代によってなされます。

ちなみに大航海時代と言えばスペインとポルトガルが有名ですが、だからこそ現在の中南米においてブラジルだけがポルトガル語、残りは全てスペイン語の文化圏となっています。

高校の世界史Bなどでピサロによるインカの征服についてさら~っと習うと思います。

メソアメリカでは、エルナン・コルテスにより1521年にアステカ王国が滅ぼされてしまいました。

それに先立つ1492年にクリストファー・コロンブスが「新大陸を発見」するわけです。

コンキスタドール(征服者)としてのコルテスの非道さは有名なのですが、コロンブスも略奪を繰り返し、男は殺し、女は強姦するというスペイン軍のやり方(遊び方;面白半分に殺し犯していたという記録があります)を最初にアメリカで実行した十分にヤバイ人物です。

さて、ということでメソアメリカへの白人の到達は歴史上1492年ということになります。


arukemaya673
↑ローマ人を模した彫刻(「ABC HISTORIA」の記事内画像より転載;スペイン語)


アステカの「白い神」の神話

最初に挙げた「This is Spartaaaaa!」は正直言って関係ないんですけども、まぁ顔の濃い白人のイメージとして用いました。

上に挙げたのはローマ人を模した彫刻です。

顔立ちとして明らかに彫りが深いですし、少なくとも、「あ~白人の顔立ち」だなって思えますよね。

先に述べましたようにコルテスにより1521年にアステカが陥落するわけですが、簡単に陥落した理由の一つが「アステカの白い神の神話」の存在なのです。



 アステカには、かつてテスカトリポカ(ウィツィロポチトリ)神に追いやられた、白い肌をもつケツァルコアトル神が「一の葦」の年(西暦1519年にあたる)に戻ってくる、という伝説が存在した。

 帰還したケツァルコアトルが、かつてアステカに譲り渡した支配権を回復すると信じられていた。

 「一の葦」の年の10年前には、テノチティトランの上空に突然大きな彗星が現れた。また女神の神殿の一部が焼け落ちてしまった。その後も次々と不吉な出来事が起こった。アステカ人たちは漠然と将来に不安を感じていた。

 そうした折であった「一の葦」の年の2年前(1517年)から東沿岸に現れるようになったスペイン人は、帰還したケツァルコアトル一行ではないかと受け取られ、アステカのスペイン人への対応を迷わせることになった。

(Wikipedeia より一部改変)


この神話の概要は上の参考文の通りです。

ちなみにケツァルコアトルは、マヤではククルカンと呼ばれる重要な神様で「羽毛の生えた蛇神」として顕現する至高神です。

メソアメリカにはこうした白い肌を持つ「コーカソイド(白人)」を神聖視するような伝説が見られるのです。


arukemaya700


白い神の神話は実話を基にしているのか?

この神話のポイントは白い肌の神が追い出されて支配権を譲渡したという点です。

元々は白い神が支配権を有していたということになるわけです。

そこで……『神話になるほど古い時代に、かつて本当に白人がメソアメリカに到達し、珍しいその肌の色から指導者として君臨し、後に在地の有力者によって排除された』なんてことがあったかも知れません。

『こういった手の解釈』はオカルト、疑似科学でよくあることですが、ただの想像であって根拠はありません。

でも今回のお話は当サイトで扱うくらいですからね、そう、根拠あるんですよ( ・Д・)



arukemaya675
↑報告書にある遺物の掲載写真(Garcia-Payón 1993; Figure 1より転載)


スペイン征服期以前のお墓からローマ人の頭が見つかった!?


さて、上に挙げた写真は「本物の発掘調査報告書からの転載写真」になります。

1933年にホセ・ガルシア=パヨン(José Garcia-Payón)によってメキシコの首都、メキシコシティの南西部に位置するトルーカで発掘調査が実施されました。

ここには現在はカリストラウワカ(Calixtlahuaca)と呼ばれている遺跡があります。

調査当時はマタジンカという名の古代都市遺跡として知られていました。

この遺跡は後古典期(c.a. CE1000-1500)に属しており、当時のメキシコ建築様式として代表的な円形基壇を有した建造物が多数見られます。

この遺跡でガルシア=パヨンは埋葬遺構の調査を行ったわけです。




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発掘された埋葬遺構は上に挙げた写真のような神殿ピラミッドの内部から検出されました。

この埋葬遺構は未盗掘であり、金、ターコイズ、クリスタル、陶器などの副葬品が見られ、それらと共伴して「ローマ人の頭」が見つかったのです。

この人頭像はテラコッタ製、つまり土製小像に分類されるものです。

調査結果として、遺構が未盗掘であることと、共伴する土器等の遺物の分析から、埋葬遺構の帰属時期はCE1476~1510年と推定されました。

記録上、スペイン人らコンキスタドーレスは1519年までメキシコの海岸に到達しなかったため、この遺物はスペインの征服以前の作品でなければならないことになります。





当然と言えば当然のことですが、このガルシア=パヨンによる報告は「あり得ないこと」として無視されました。

そして時は流れて1995年、理化学分析として熱ルミネッセンス法による試験のためにこの『ローマ人頭像』がドイツに送られました。

この分析結果では、なんと紀元前184年から紀元前616年の生産日であり、発見された墓よりもはるかに古く、調査報告における推定よりも古い時代にアメリカに運ばれた可能性があることを証明しました。

古典派の歴史家エルンスト・ベーリンガーは、2世紀および3世紀のローマの芸術作品に照らし合わせてこのローマ人頭像の美術様式を特定したことで、制作の日付をさらに狭めました。

更にローマのドイツ考古学研究所のバーナード・アンドレアによって、2世紀の作品とまでにさらに狭められました。

最終的には『ローマンヘッド』として知られるこの遺物について、「このヘッドは間違いなくローマンであり、研究室の分析によってそれが2世紀頃のローマの作品であり、髪型とひげの形がセビリア皇帝時代(CE193-235)の典型的な特徴を正確に表現している」と評価されたのです。



上に挙げた写真は古代メキシコの美術様式と比較したものです。

考古学調査の結果を信用するのであれば、コロンブスの新大陸発見が1492年ですので、『白い神』と思しき人物の情報がマヤ地域からメキシコまで一気に伝わって非常に写実的に土製小像が作られたとも考えられます。

ただ当時の美術様式と比較すると写実的にも程があるというか、全くの別様式であることが分かりますので、強引過ぎる解釈でしょう。

一方で理化学分析や美術様式との比較研究を信用すると、2世紀の古代ローマの遺物がメキシコに伝わり、その後『伝世品』として1300年もの間大事に保管された上で、16世紀初頭に副葬されたことになります。

まさに『考古学ミステリー』ですね( ・Д・)


arukemaya704


現在の解釈はこう! それでも真偽は謎のまま……


「盗掘者がバレないように細心の注意を払って丁寧に掘って、しかも服装品を盗らずに考古学者を悩ますために遺物を追加した」とはもちろん考えられませんよね( ・Д・)

となると「ローマンヘッド」自体は各種分析・研究結果から本物なのだと思います。

そうすると考えられる可能性は『いたずら』です(/TДT)/

ロミオ・H.・フリストフとサンティアゴ・ジェノベスの1999年の『ローマンヘッド』に関する出版物を出し、続いてメキシコ大学(UNAM)のポール・シュミット(Paul Schmidt)も『真実』について以下のように書いています。

「...この人形はドン・ペペ(ホセ・ガルシア=パヨンの愛称)の調査中に埋められました。ドン・ペペはそれを非常に真剣に受け止めたので、誰も彼にそれが冗談だと​​言う強い心を持っていませんでした。そのようにジョン・パドックから言われたことを覚えています。(歩けマヤ管理人、一部修正)」

しかし問題は調査実施から半世紀以上もの多大な時間が経っていて、発掘中に立ち会った人は誰も生きていませんでした。

また発掘関係者であるパイオンの息子は、父から聞いた話ではパドックやモエダノ(別の証言者)は発掘現場にさえいなかったと述べています。

さらにシュミットはこの暴露話を手紙で知ることとなったとしていますが、その手紙自体は非公開なのです。

したがって、シュミットの結論(あるいは暴露)は最も論理的ですが、それに真実があるという証拠はどこにもないのです。


arukemaya705
↑こんなのあるのね!( ・Д・)(「アマゾン」より転載;回し者ではありませぬ)



この『考古学ミステリー』を再度考えてみよう!( ・Д・)


もしローマンヘッドが現代における攪乱・混入ではないと仮定しましょう。

そうなるとローマンヘッドは埋葬時とヨーロッパ人が本土に到着する前に持ち込まれなければなりません。

先に述べたようにコンキスタドールは1519年までメキシコ本土に到達していませんでしたが、近くのカリブ海の島々は15世紀後半から植民地化されていました。

最初期にコロンブスらがマヤ地域のホンジュラスからパナマまでの沿岸地域に到達していたためです。

そうするとこの遺物はヨーロッパから持ち込まれ、先住民と取引された後、貿易ネットワークを介してカリストラウワカまで移動した可能性があります。

この解釈だと、小さなローマンヘッドがどのようにして埋葬地にたどり着いたのかを説明できます。

しかしスペインの植民地主義者や探検家が、何故2世紀の小さなローマンヘッドを持って取引するのか、何故アステカの貴族が死後の世界に同行させるためにローマンヘッドを選ぶのかが説明できません。

後者については多少の説明ができそうです。

先行するオルメカ文明(BCE1200~CE1)に帰属するサポテカに見られる巨石人頭像ではひげを生やした外国人風の男性像様式が使用されていました。

トルテカ文明(CE700~1200)では彼らの文明はひげを生やした白人であるケツァルコアトルという神によって設立されたという神話があります。

したがって、アステカの貴族が「髭を生やした異国人を神聖視する風習」の下で、ローマンヘッドを副葬する可能性はあるわけです。




おわりに ~考古学研究とは~


最近はあまり見かけませんが、所謂『オーパーツ』が非常にもてはやされた時期がありました。

変わったモノが見つかるとやはり注目はされます。

でも考古学という学問は、何か1つ変わったモノが見つかったからと言って直ちに定説が覆るような学問ではありません。

上に挙げた写真のように、多くの人々の地道な調査・研究によって、多くの証拠が集められてようやく何かが少し言える、そんな学問なのです。

メソアメリカにおける最初期の接触時に、ヨーロッパ勢と現地人の間で「物の交換」が行われた可能性は十分にあります。

基本的に略奪者であるコンキスタドール達の性格からすると恐らく僅かにしかそういった行為は行われていないとは思いますが、タイムマシンがない以上、『新旧大陸の先スペイン期の接触』については今回の事例のような『奇跡的な発見』をもう少し繰り返す必要があるのです( -д-)ノ

今回の記事で取り上げた『カリストラウワカのローマンヘッド(Calixtlahuaca Roman Head)』は現在、メキシコシティの国立人類学博物館で展示されており、ひとまずは植民地時代の作品としてアーカイブされています。

↓たまにはオカルト関連もあって良い(*・ω・)ノ↓

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20XXねん 4がつ 2にち(げつよーび、晴れ)

ここ数日喉が激しく痛くてつらいヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・
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【目次】
  1. 中世ドイツにおける発見
  2. 頭蓋骨変形の文化の分布
  3. 歴史的な差別? -マヤ文明と宇宙人ー


1.中世ドイツにおける発見
写真の頭蓋骨は、ドイツ南部にある1400年前の墓地から見つかったものです。通常の頭蓋骨と比べると明らかに縦長に伸びていることが分かります。

4世紀から7世紀のヨーロッパは、世界史でも有名な「ゲルマン民族の大移動」の真っただ中でした。この頃にゲルマン系のゴート族、バンダル族が、衰退期のローマ帝国領内に侵入し定住していきました。

問題となるドイツ南部では、6世紀頃にバイエルン人が移住してきましたが、彼らに頭蓋骨変形の文化はなかったのです。そのためこの頭蓋骨の女性は一体何者なのかと半世紀以上もの間、研究者の中で一つの謎とされてきました。

近年の化学技術の発展は考古学研究を始めとする歴史研究に新たな分析方法を与えてきました。今回、用いられたのは頭蓋骨のDNAを調べるというものでした。

頭蓋骨は細かく分けると23のパーツから構成されており、頭部形状に流動性を持たせることで出産時の母体への負担を軽減していると考えられます。この頭蓋骨は成長に伴ってすぐに固まっていきますが、成人後の頭蓋骨にも割れ目の痕が残っています。

この頭が柔らかい時期に赤ちゃんの頭部を布などで締め付けることで頭蓋骨を変形させているわけです。つまり後天的に物理的に変形させているため、DNAには変化が現れるわけではありません。

今回の研究では同じ墓地から見つかった通常の頭蓋骨と変形した頭蓋骨のDNAを比較することで、通常の頭蓋骨はバイエルン人男性のもの、変形した頭蓋骨は東アジア由来の遺伝子を最大で2割も有していることが分かりました。

バイエルン人男性は金髪・碧眼だったのに対し、変形頭蓋骨を有する女性は金髪ないしは茶髪で茶色の瞳という似ても似つかない様相だったことが明らかになりました。

頭蓋骨を変形させる風習は、ヨーロッパでは現在のハンガリーなど東方の一部でのみ見られ、さらに東方のアジア圏ではフン族では女性の頭蓋骨変形が多く確認されています。

つまり南部ドイツで発見された変形頭蓋骨を有する女性は異国の花嫁だった可能性が指摘されたのです。


2.頭蓋骨変形の文化の分布
さて、この頭蓋骨を変形させるという風習は世界でどれだけ確認されているのでしょうか。

ヨーロッパでは先ほどのハンガリー周辺の他は、15世紀のドイツ、16世紀にギリシャ、トルコ、17世紀にベルギー、フランス、19世紀にもフランスにて事例が確認されています。

こう見ると非常に一般的にも見えますが、実際には小規模の風習で散発的に発生・消失しています。頭蓋骨を変形させる目的については研究者間でも意見が別れています。

当時の女性の風俗である頭巾を被るため、美的観念から、骨相学からくる優生学的な意味合いなどの解釈が提示されています。

アジアではさきほどのフン族の風習の他、日本の弥生時代にも僅かな事例が存在しています。弥生時代終末期の3世紀頃のもので、鹿児島県に所在する広田遺跡にて出土した人骨に見られます。


3.歴史的な差別? -マヤ文明と宇宙人-
さて、この頭蓋骨変形は中南米でも多く見られる風習です。南米ではインカ文明に関連してチチカカ湖周辺で見られ、また20世紀のアマゾン周辺でも記録が残っています。

中米ではオルメカ文明やマヤ文明に見られます。特にマヤ文明では一般的な風習であり、他の事例で多く見られるように女性だけではなく男性に対しても行われているという特徴があります。

さて、マヤ文明のこの手の話になると出てくるのが、「宇宙人」の存在です。

当時の技術では作り得ないオーパーツとしてのクリスタルスカルとか、パレンケのパカル王の石棺のモチーフが宇宙船を操縦するマヤ人を描いているとか、非常に天文学知識に長けた古代マヤ人は宇宙人によって知識を与えられていたとか、マヤ文明は突如として滅びたのではなく技術が発達し過ぎて宇宙へ他の星へと移住したとか・・・

本当に色々なことが言われています。南米で発見される奇形のミイラも宇宙人か?と騒がれることも多いですよね。

ヨーロッパの話とか自分たちの祖先に関わると途端に現実的な解釈になるような気がします。今回の中世ドイツの花嫁はフン族等の東方の民族由来と言われるわけで、ドイツでは中世から宇宙人と交雑していた!とはならないわけですよね。

オカルトは見ていて楽しいとも思いますし、ある種の期待を持つ気持ちも分かります。しかし自分とは直接関わりがないということは、他者にとっては直接関係する場合があるわけで、あまり好き勝手言っていいわけではないのではと思ったりします。

あなた方、日本人は愚かなので自ら文化を発展させることができず、弥生時代に宇宙人から知識を与えられて今の文化の礎を築いたんだ!って言われたらイラっとしませんか?

そう、古代の知恵とか技術が素晴らしい時に、その根拠を宇宙人とか超古代文明に求めるのは、その地の人々の自発的な発展の可能性を無視していることになるのです。

歴史解釈と無関係な場合、ま、個人的には宇宙人いたら面白いなと思いますけども(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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