発見された石碑・マヤ文字(?)に関して
【文字の歴史】グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文明初期のマヤ文字が見つかりましたとさ。「マヤ文字」・「支配者」とかいい加減だよね、愚痴を聞き給え!( ・Д・)【考古学】
発見された石碑・マヤ文字(?)に関して
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
タヤサルに関する西洋人の最初の記録は1525年で、エルナン・コルテスはホンジュラス遠征の途上でタヤサルを通過し、タヤサルのカネク王に歓迎されたとあります。
17世紀にはいると宣教師による布教が何度か試みられたが、成功しませんでした。
その結果、ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアはユカタン半島北部のメリダからタヤサルまでの道を建設して侵攻、1697年にタヤサルは軍事的に征服されました。
ちなみにこの時のスペイン軍はたったの108人だったのですΣ(・ω・ノ)ノ
この石彫の図像はラ・コロナを支配していたチャック・トック・イチャーク(Chak Took Ich'aak)王が杖を持って座り、その杖からラ・コロナの守護神2体が出てきている様子を表現しているとのこと。
また碑文には「544年5月12日」に相当するマヤ象形文字が刻まれており、チャック・トック・イチャーク王がその約20年後に近郊の都市エル・ペルー・ワカ(El Peru-Waka)も支配したことが読み取れるそうです。
さらに碑文は古典期マヤ低地の覇権をかけた争いについて言及しており、蛇の王国として知られるカーヌル王国(カン王国;カラクムル遺跡)がラ・コロナ遺跡で大々的な政治活動を行いったこと、
562年に最大の敵対国であったティカルを倒し、その後マヤ低地を2世紀にわたり支配下に置いたことを示しているとのことです。
↑ラ・コロナ遺跡の一部、石板の列が見える(↓下のYouTube動画①より加工)
↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画①
↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画②
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おまけとして、「ラ・コロナ遺跡ってどのような遺跡だろう?」って分かりそうな画像・動画を載せておきますね。
どうやらまだあまり調査が進んでいないようで、全体像が知れるような写真は見当たりませんでした。
それでもラ・コロナ遺跡が精巧な石彫を多く有する稀有な遺跡であることが分かると思います。
↑石板の長~い列(「Quantum Day」の記事内画像より転載)
↑さきほどの石板の列を拡大したもの、図像とマヤ文字がうっすらと見える(↑上のYouTube動画①より加工)
↑上の写真の左二つの石板を拡大し、分かり易く水をかけた状態(「Tulane News」の記事内画像より転載)
浅浮彫なのに、ほんとに保存状態が良いですよね。中小遺跡からもこういった新たな石碑が見つかることで、古代マヤ文明の様相は碑文学の立場からより詳細に具体的に明らかにされていきそうですね!(。・ω・)ノ゙
↓久々のマヤ文明関係のニュースだったね!(*・ω・)ノ↓
歩け、マヤ@arukemaya↑実際の悲惨な状況の写真中米、グアテマラで噴火。25人死亡、300人負傷。当該国が誇る一大観光地なだけに邦人にも被害があるかも知れない。友人の無事を祈る。
2018/06/04 21:18:52
#拡散希望 https://t.co/4d5dTWHbx4
歩け、マヤ@arukemaya↑迫りくる火山噴出物から逃げる動画日本のニュース記事内容とその数字だけ見たら、そこまで大きな被害ではないのかと思ってしまうが、写真や動画からすると現実は大きく異なる。
2018/06/04 21:19:33
#拡散希望 https://t.co/Xnj212tU0U
アンティグアは3番目の首都です。1717年9月29日、推定マグニチュード7.4の地震が発生し3,000以上の建物が崩壊し、町のほとんどの建造物は廃墟となってしまいました。ようやく復興の兆しが見えたころ、1773年のサンタ・マルタ地震によって町の大部分が再度破壊されたため、グアテマラは3度目の遷都をすることになります。この4番目の首都が、現在のグアテマラシティになります。
アンティグアの魅力はたくさんあるのですが、私の一押しはやはり教会や修道院!それも地震で破壊されて廃墟となったものです。リアルRPG感を楽しめますよ!
↑アンティグアの中央広場にある噴水、乳からも水が出ておる(管理人TheDANGOsan撮影)
↓ライトアップされた修道院跡(管理人TheDANGOsan撮影)