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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:グアテマラ

2020ねん 3がつ 15にち(どよーび、晴れ)

やぁみんな!飛行機に乗り遅れた管理人だよ!ハハッ!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文字の原型みたいなのが見つかったよ!


でも最近の研究者って古いって言いたいだけで定義とかいい加減なやつばっかだね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


不幸が3重に重なり、飛行機を逃した私は昼からお酒を飲みつつ仕事して心なしか荒ぶっております( -д-)ノ

……中庭のプール脇で仕事してるのですが、黒ビキニの綺麗なお姉さんが焼いてる姿に気付き、すさんだ心が少し癒された気がした今日この頃です( ・Д・)

しかしがら今回は愚痴たっぷり、口悪く書きますのでご容赦ください(゚д゚)、ペッ




タカリク・アバフ遺跡ってどこ? 何なの?

昔、こういう感じの地図をゼミで出したら、「これじゃどこか分からん!(゚皿゚メ)」ってよく指導教員に言われたものです……

メキシコ入ってるし分かるだろ!メキシコはUSAの南だ!!!

私の専門マヤだし、当然中米だよ!

他地域やったことねーだろ!

覚えろよ!ハゲ!(指導教員はハゲていない。むしろハゲろ(#`皿´) ムキーーーー!)


ってよく思ってましたね( -д-)ノ




……ブログタイトルとは異なり、実際にはけっこう専門分野を敢えて避けつつ(マヤ文明ばっかになっちゃうから)記事を書いてますけど、

「歩け、マヤ」の熱心な読者はもうこの『ユカタン半島』の地図は見慣れたと思うので、北アメリカを含んだ地図はいちいち提示しませんよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


というわけで、タカリク・アバフ遺跡は、グアテマラ南西部、エル・アシンタルにある先コロンブス期の遺跡です(*・ω・)ノ


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最初に挙げた写真や上の2枚の写真のようにタカリク・アバフ遺跡は石碑や石彫がごろごろしている遺跡です。

かつて一度だけ行ったことがあります。

誰もいなくて、のんびりできます。

つまり観光整備がテキトーなので、どうしてもマイクロバスでの移動になるので行ったり帰ったりするのが怖いですけどね( ・Д・)




石彫は動物を象形したものが多く、どれも可愛げがあるので写真撮影にはもってこいですよ!(・∀・)つ

この遺跡はもともとアバフ・タカリクと呼ばれていて、日本の古い文献にもそのように記載されている事例があります。

最近と言っても15年くらいでしょうか、かなり前にタカリク・アバフになったんですよ。

植民地期以降のマヤ語に由来した名称なのですが、名詞と修飾語の語順が正しく直された(元々はスペイン語からキチェ語への変換だった;西語では名詞+形容詞)結果です。

この遺跡は『人頭像』で有名なメキシコ湾岸のオルメカ文明の系譜にあり、かつ後にマヤ文化へと変遷した興味深い遺跡なのです。




発見された石碑・マヤ文字(?)に関して



今回のこの遺跡で見つかった石碑は約2000年前の石碑です

古代マヤ文明で用いられた所謂「マヤ文字」の初期の文字が見つかったのです。

見つかった「石碑87」は2018年に発見されてはいたのですが、初期の文字であるため、古典期(CE250-900)における一般的に知られているマヤ文字とは異なります。

そのため発見後、解読が進められ、今回の発表へと至ったわけです( -д-)ノ

……なんかこの手の『最古』系のマヤ文字のやつ、タカリク・アバフ遺跡で聞いたことあるなと、デジャブ的に感じてたのですが、これが理由ですね!

ちなみに石碑の推定時期はCE100年頃のものと考えられているようです。




どうしても「古い!」と言いたい研究者できない研究者の叫び

この石碑の解読は全部終了したわけではありません。

しかしこの文字列の中には『支配者』の存在とその『称号』の証しが示されているそうです。

研究者にとってお金(助成金)獲ってくることが大事なのは身に染みて分かっていますが、「古い!」って言いたいだけの人多いと感じますね。

というか、『掘ったら何か出るのは当たり前』なのに、ひたすらただの強行なアピールを行う研究者が多いなって気がします。

『国家』、『文明』、『支配者』、どれも危険・地雷ワードですよ!

こんなニュースひとつで(それが事実ならば)現在の我々が有する古代マヤ文明観、ひっくり返りますよ。

でも彼らは深くは考えない。

それぞれの用語の定義を考えず、「ただの言葉」として使ってます。




考古学や人類学の難しさは、専門用語と一般的な用語が概ね同じ単語であることなんですよね。

つい先日Twitterで見かけましたが、「所謂、理系の専門用語は難しく、その内容が文字から推定できない」って。

でも「文系の用語は超簡単」って。

これ超有名な事例ですけど、じゃあ考古学で言う「文化」って、その文字・言葉から想像できるでしょうけど、その想像と実際の中身全然違うと思いますよ( ・Д・)

「文化」ならまだ可愛いけど、「国家」や「文明」はめちゃくちゃ難しい(と、少なくとも私はそう思う)。

ちゃんと定義を確認して、あるいは再定義して、私はこのように使うと明言して研究している人は世界でもあまりいないですね、少なくとも今生きている人では( -д-)ノ




結論とおわりに

朝起きてから16時間待ちで、ビールもしこたま入れてるのでこんな内容になりましたが、まぁたまにはいいでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

このニュースに関してはまだ国内ではあまり周知されておらず、確認できた記事も少なかったです。

でもどれも『マヤ文明初期の文字』って書いてますね。

マヤ文明って比較的有名ですからね。

タカリク・アバフ遺跡の古代文字って書いても誰も分からないですからね( -д-)ノ

その辺りは理解できるとは言え、、、




どこからが「マヤ文字」ですか?

どこからが「マヤ文明」ですか?

「文明」って何ですか?

「支配者」って具体的には何を意味しますか?

国家形成を考える上で最重要な問題なのに、誰も何も言わない。

皆、口を閉ざしたまま、陰で(懇親会や個々の集まりで)悪く言うだけ。

だって言ったら、誰しも容易く「古い事例だ!」って言えなくなるし、ガチ喧嘩だからね!( -д-)ノ

……確信犯やん( ・Д・)

↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!現在17人!↓
↓最近、全然増えないよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、晴れ)

YouTuberになれるよう、色々動画撮りますね。

編集できるか不明だけどね( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明の中心地、ティカル遺跡で新たな大きな発見があったよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

私も昨日聞いたばかりの話なので、きっとまだ日本には伝わってないかなと思います。

ということで、本邦初公開!

ティカル遺跡で、テオティワカン様式建造物群が見つかりました!

説明なしでは全然、凄さが伝わらないので簡単に説明していきます(*^・ェ・)ノ


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↑ティカルの位置(「グーグルマップ」より一部加工)


古代マヤ文明とティカル遺跡

ティカル遺跡と言えば、古典期マヤ(CE250~1000)を代表する一大遺跡です。

古代マヤ文明を語る上で欠かせない中心的な存在です。

上の図は「ティカルの位置」と検索した時に出たグーグルマップです。

何故かティカルがたくさんあるのですが、、、

丸で囲んだ箇所が正確なティカル遺跡の位置になります。

一方で四角で囲んだ部分がマヤ文明のエリアになります。

ざっくり言えば、マヤ文明とは『マヤ諸語』を扱う人々がかつて築いた文明です。





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テオティワカン文明と「テオティワカンの影響」

一方でテオティワカン文明とは、メキシコ中央源のテオティワカンを中心とした文明です。

帰属遺跡としてはテオティワカンだけが突出して有名ですね。

上に挙げた地図で分かるように、先ほどのマヤ文明がユカタン半島に広がっていたのに対して、テオティワカンは遥か北西方向にあります。

このテオティワカン文明は正確には何語を話していたかは不明なのですが、古代メキシコ文化に属する文明です。

つまりマヤ人とは使用する言語が異なる、異言語集団の文明なのです。

地図で見て分かるようにテオティワカンとマヤ地域は非常に離れています。

例えばティカルの距離は直線距離でおよそ1000km程度離れていて非常に遠いのです。

それにも関わらず古典期前期後半(CE350~500)頃にはマヤ地域にて広くテオティワカン文明に由来する遺物・遺構がたくさん見られます。

これを『テオティワカンの影響』と呼んでいます。


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↑ティカルの5号神殿


今回の発見について

この「テオティワカンの影響」の原因はテオティワカン人によるマヤ地域の征服ではないかと碑文学研究等で言われてきました。

しかしテオティワカン人がマヤ地域に居住した明確な証拠は現在までに発見されていなかったのです。

最近の小型航空機等を使ったレーザー測量技術の発達により、森林で覆われているマヤ地域の高精度マッピングが可能になっています。

そのデータを活かして新たに発見されティカルの5号神殿の裏手の居住区を発掘したところ、テオティワカン様式の建造物、及び4つの墓を発見したそうです!

ティカルとテオティワカンの関係が今後より詳細に分かるかも知れませんね!



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↑最新の技術によるティカルのマッピング


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今でも私は地道にトータルステーションで測量調査してますけどね。

時代はどんどん移り行き、考古学もどんどん変わっていくなと感じる今日この頃です。

私の主要研究テーマに直結するのでまた進展がありましたら報告しますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓私の調査の成功も願いたい!(*^・ェ・)ノ↓

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2020ねん 2がつ 2にち(にちよーび、曇り)

アルコール&トマト効果が切れてきた。

暑い……ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ文明の中心地を研究するための拠点、フローレスを紹介するよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

『中心地』とか言うと、専門が被るレベルの同業者には文句言われるでしょうけどね。

日本におけるマヤ文明の知名度はたかが知れてますから、古典期マヤ(CE250-1000)を語る上で絶対に外せないペテン地域を中心と言っても過言ではないのです!

……なんて強い心で、今回の記事をお届けします(*^・ェ・)ノ



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フローレス市はどこ?

所在地としてはグアテマラ共和国、ペテン県、フローレス市ですね。

そもそもグアテマラってどこよ?

ってよく訊かれますけど、私はこう応えるようにしています。

「アメリカの南がメキシコでしょ? そのさらに南!」

まぁ経験上、これで大体伝わります。

伝わらなければ、メキシコってことにします。

それでもだめならアメリカ、さらにダメなら地球の裏側!って言いますね( ・Д・)


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↑(「Pinterest」の画像より転載)


フローレスの歴史


フローレス自体はとっても大きいのです。

北に約60kmに位置するティカル国立公園まで含みます。

普段「フローレス」と言うならば基本的に「イスラ(島)」の意味で使いますね。

まぁ間違えないように現地人は「イスラ」の方を良く使います。

混乱を避けるため、この記事では以下、「フローレス島=島の範囲」という意味で表記していきますね。

じゃないと観光客とかには訳分からんことになるので( ・Д・)



写真にあるように、フローレスは島です!



島と言っても大きな湖にある島です。

この湖を「ペテン・イツァ湖」と呼びます。

気付いたでしょうか?

ペテンは、フローレス市を含む『県』の名前です。

ペテンは元々マヤ語で『島』を意味する言葉なのです。

「イツァ」も聞いたことありませんか?

メキシコ、ユカタン半島北部にある有名な世界遺産、「チチェン・イツァ」です。


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↑「歩け、マヤ」のトップ画にも使用しているチチェン・イツァのエル・カスティーヨ


チチェン・イツァは観光地として非常に有名で、特に春分・秋分の日にエル・カスティーヨで見られる「ククルカンの降臨」イベントが大人気ですね(*・ω・)ノ

1221年にこのチチェン・イッツァのトルテカ・マヤ系の支配者に対して反乱が起き、ユカタンに中心となる統治機構をつくろうと集まり、「マヤの旗」を意味する「マヤパン」を建設します。

15世紀にはこのマヤパンが衰亡し始め、それに伴ってチチェン・イツァの王族が現在のペテン県に向かって南下、設立した王国が「タヤサル」です。

このタヤサルは「イツァの場所」を意味するタフイツァ(TajItza)に由来した現在の呼称で、かつては王国として首都だけでなくイツァ族の支配する土地全体を意味していました。

現在はタヤサルはフローレス島の北に位置する1遺跡を指します。

先ほどのペテン・イツァ湖は「イツァ族の島」を意味しており、この島がフローレス島のことなのです。

つまりタヤサル王国の王都がかつてノフペテン(Nojpetén;大きな島)と呼ばれたフローレス島にあったのです(*^・ェ・)ノ


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↑これが王都だ!( ・Д・)(「ドラクエウォーク」の画面のスクショ)


さて、16世紀前半までにスペイン人は北のユカタン半島と南の高地マヤを征服しました。

しかし亜熱帯ジャングルであるマヤ中部低地の内陸部であるペテン地方は侵略が困難でした。

そのためペテン県のマヤ王国、つまりタヤサルは独立を維持できていました。

タヤサルに関する西洋人の最初の記録は1525年で、エルナン・コルテスはホンジュラス遠征の途上でタヤサルを通過し、タヤサルのカネク王に歓迎されたとあります。


17世紀にはいると宣教師による布教が何度か試みられたが、成功しませんでした。


その結果、ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアはユカタン半島北部のメリダからタヤサルまでの道を建設して侵攻、1697年にタヤサルは軍事的に征服されました。


ちなみにこの時のスペイン軍はたったの108人だったのですΣ(・ω・ノ)ノ





フローレスにまつわる伝説

かつての王都であるフローレス島やその周辺には写真の通り、スペイン植民地期に西洋風の建物が建てられました。

征服者であるスペイン人はどこでもやったことですが、ここフローレス島でも例外なく、マヤ人の神殿や建物を破壊し、その石材を使ってキリスト教会や他の建造物を建設しました。

結果として現在タヤサルの正確な領土の範囲等は分かっておらず、そのまま観光地になり得るような地上に残る遺跡もありません。

かつてのマヤ王国の王都ならば博物館などもありそうなものですが、当時はそういった文化財を守るような感覚はなく、何もかも徹底的に破壊されたため、博物館も何もありません。

一方でタヤサル王国やその王都であったフローレス島にまつわる伝説・逸話は数多く残っているのですが、どれも後世の創作であるようです。

有名なのはタヤサル王国のお姫様「サク・ニクテ(白い花)」のお話などです。

今回はタヤサル王国の滅亡に関わる伝説を紹介しますね!(*・ω・)ノ



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↑島の外はサンタ・エレナと呼ばれていますがここもかつてはタヤサル王国の領域だったでしょうね(「ドラクエウォーク」の画面のスクショ)


先に述べたように17世紀にはタヤサル王国をキリスト教化しようと布教活動が開始されます。

1695年にはフランシスコ会のアンドレス・デ・アベンダーニョ・イ・ロヨラが直接タヤサル王国を訪れました。

この時、スペイン側からタヤサル王国へ、『1頭の馬』が贈られたそうです。

馬は新大陸にはいませんし、侵略戦争時にはマヤ人にとって大きな脅威となっていました。

そんな珍しい馬をタヤサルの人々はもらい受けたはいいものの、馬が何を食べるのかも知りません。

飼い方をそもそも知らないため、ほどなく馬は死んでしまいます。

この馬を大切に思っていたカネク王は『馬の石像』を造らせました。

さっそく完成した『馬の石像』を石工のいる領域から、王都フローレスへとペテン・イツァ湖を通して舟で運ぼうとします。

しかし舟が転覆して『馬の石像』が湖に沈んでしまったそうです。

結局、スペイン人宣教師はカネク王への布教が失敗に終わり、ま『たせっかく送った馬を殺した』という口実の下、軍を派遣してタヤサル王国を滅ぼしてしまいます。

タヤサルは滅び、かつての栄華を象徴する遺物はほとんど残っていませんが、最後の傑作である『石の馬』は今でも巨大な湖のどこかに眠っているそうです。


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馬の写真追加スペース( ・Д・)


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おわりに

この伝説に出てくる「石の馬」は現地では有名な話で、現在はフローレス島の対岸にこの伝説を象徴した馬の石像が造られて設置されています。

カネク王の下に辿り着けなかった『石の馬』が遥か遠くの対岸からフローレス島の方を見つめるように設置されていたかと思います。

近々、別の調査でこの対岸に行く予定なので、上に追記として馬の写真アップしておきますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、地名等、聴き慣れない名前がたくさん出てきましたが、これまでの文章を暗記すればもう現地のツアーガイドより詳しくなれますよ( ・Д・)

↓出張中は物凄く高いモチベーションで仕事とダイエットが捗ります!(*・ω・)ノ↓

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2019ねん 1がつ 14にち(げつよーび、晴れ)

今日は「成人の日」だ。

忘れていた。

成人の儀は遠い過去の話だが、祝日なのは良いことである( -д-)ノ


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↑グアテマラで発見された石彫(「AFP BBNews」の記事内画像を加工;credit: AFP/ Henry MORALES ARANA)


さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「グアテマラ、ラ・コロナ遺跡にて1500年前の覇権争いについての記録が刻まれた祭壇が発見される!」です(*・ω・)ノ


発見された場所は、中米、グアテマラ共和国の北部に位置する、ラ・コロナ遺跡です。

古代マヤ都市として有名なティカル遺跡の北西部に位置します。

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この遺跡はさほど大きな遺跡ではありません。それにも関わらず、多くの碑文が刻まれた石彫が出土することで有名です。

よく知られている古典期マヤ文明(西暦250-1000)の中心的な遺跡の多くが現在のグアテマラの領域内に集中しています。このグアテマラは1960~1996年に内戦中であり、この期間に多くの遺跡が盗掘被害に遭い、膨大な数の美術的価値の高い遺物、特にマヤ土器や石彫が世界各国へと売り飛ばされました。


まぁ現在も古典期マヤ文明の中心的な存在であるペテン地域(グアテマラ北部のティカル遺跡や、この記事のラ・コロナ遺跡がある地域)は『盗掘天国』としてしばしば地元新聞に掲載され、問題視されています。


特に美しいマヤ文字を有する土器や石彫の「価値」は高く、個人コレクターやアメリカなどの海外の博物館が多数の資料を有しており、皮肉なことにそのような環境の中でマヤ文字研究は大きく進展していくことになりました。



この碑文研究の中で度々言及されてきた「遺跡Q」が実際にどこであるのかが謎としてあり、1997年にイアン・グレアムとデイヴィッド・ステュアートらによってラ・コロナ遺跡にてQ遺跡と同じ支配者の名前が石碑に刻まれていることを発見したのです。


ちなみにコロナと言えば、メキシコのビールを思い浮かべる方もいるでしょう。瓶に描かれているように、スペイン語で「コロナ=王冠」を意味します。

スチュアートによってラ・コロナ遺跡にある5つの小ピラミッドの並び方が冠を思わせたため、遺跡はラ・コロナ(冠)と名付けられたのです。



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発見された祭壇は石灰岩を彫刻したものであり、大きさは高さ1.46メートル、幅1.2メートル、その重量は約1トンあります。上に挙げた写真の通り、その精巧で繊細な彫刻が見事に保存されていますね。

石灰岩なのに、何故これほどまでに保存状態が良いかと言うと、この祭壇は神殿の内部から発見されたことに由来しています。



(というかこれ、単に石彫ではないですかね。祭壇として機能しそうな感じがしない……まぁ大きい範疇で「祭壇」とされている石彫はそれなりに……あるか( ・Д・) 祭壇の定義って何なんだろう(´・ω・`))


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この石彫の図像はラ・コロナを支配していたチャック・トック・イチャーク(Chak Took Ich'aak)王が杖を持って座り、その杖からラ・コロナの守護神2体が出てきている様子を表現しているとのこと。



また碑文には「544年5月12日」に相当するマヤ象形文字が刻まれており、チャック・トック・イチャーク王がその約20年後に近郊の都市エル・ペルー・ワカ(El Peru-Waka)も支配したことが読み取れるそうです。



さらに碑文は古典期マヤ低地の覇権をかけた争いについて言及しており、蛇の王国として知られるカーヌル王国(カン王国;カラクムル遺跡)がラ・コロナ遺跡で大々的な政治活動を行いったこと、


562年に最大の敵対国であったティカルを倒し、その後マヤ低地を2世紀にわたり支配下に置いたことを示しているとのことです。



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↑ラ・コロナ遺跡の一部、石板の列が見える(↓下のYouTube動画①より加工)


 

↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画①



↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画②




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おまけとして、「ラ・コロナ遺跡ってどのような遺跡だろう?」って分かりそうな画像・動画を載せておきますね。


どうやらまだあまり調査が進んでいないようで、全体像が知れるような写真は見当たりませんでした。


それでもラ・コロナ遺跡が精巧な石彫を多く有する稀有な遺跡であることが分かると思います。




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↑石板の長~い列(「Quantum Day」の記事内画像より転載)



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↑さきほどの石板の列を拡大したもの、図像とマヤ文字がうっすらと見える(↑上のYouTube動画①より加工)



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↑上の写真の左二つの石板を拡大し、分かり易く水をかけた状態(「Tulane News」の記事内画像より転載)



浅浮彫なのに、ほんとに保存状態が良いですよね。中小遺跡からもこういった新たな石碑が見つかることで、古代マヤ文明の様相は碑文学の立場からより詳細に具体的に明らかにされていきそうですね!(。・ω・)ノ゙


↓久々のマヤ文明関係のニュースだったね!(*・ω・)ノ↓


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2018ねん 6がつ 4にち(げつよーび、晴れ)

強烈に暑い一日だった。

疲れが溜まった身体に追加ダメージが……

けど痩せた!とても痩せた!

健康的なダイエットではなさそうだが( ・Д・)

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中米のグアテマラにて3日、フエゴ火山が噴火し、少なくとも106名が死亡したそうです。負傷者数は約300名に上り、行方不明者も出ているようです。一日で報告された死亡者数が3倍近くに跳ね上がりましたから、今後もう少し増えるかも知れません。(追記:3日で4倍に跳ね上がりました(TДT))

山頂付近からは噴煙が上がっており、火山灰の影響などから首都グアテマラシティのラ・アウロラ国際空港を閉鎖したとのこと。

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↑実際の悲惨な状況の写真
↑迫りくる火山噴出物から逃げる動画

火山灰の降下は首都にも及んでいるようですね。このフエゴ火山、スペイン語で「El Fuego」、「火」って意味なのです。活火山なので噴火する恐れはあったのです。

このフエゴ火山は首都から南西約40kmに位置します。古都アンティグアから見える非常に綺麗な形の神聖な山です。このアンティグア(正式にはアンティグア・グアテマラ)はグアテマラが誇る一大観光地で、多くの観光客を集めています。外国人の数が非常に多い地域でもあります。

非常に可愛らしいカラフルな街並みなので、日本人女性には大人気の観光地としても知られています。このフエゴ火山は標高3763mで、このアンティグアから登頂ツアーが行われているのです。

私もかつて一度登りましたけど、山頂部は異様に暑いですし、油断すると靴の裏が溶けちゃうんですよね( ・Д・)
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↑普段からこれくらい煙がすごくて前がよく見えないのです。下はあっちっちゾーン、靴溶けるやつ(管理人TheDANGOsan撮影)

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さて、グアテマラには早期復興を願うばかりですが、グアテマラにとって観光収入は国家経済を支える重要なものであります。ということで今回被害を受けたアンティグアの魅力について簡単に紹介したいと思います。

アンティグア・グアテマラはユネスコの世界遺産に登録されている古都です。時間的な違いはありますがイメージ的には我々にとっての京都が近いのかも知れません。この都市はスペイン植民地期においてスペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築の建造物が有名です。またこの植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で知られています。

アンティグアは3番目の首都です。1717年9月29日、推定マグニチュード7.4の地震が発生し3,000以上の建物が崩壊し、町のほとんどの建造物は廃墟となってしまいました。ようやく復興の兆しが見えたころ、1773年のサンタ・マルタ地震によって町の大部分が再度破壊されたため、グアテマラは3度目の遷都をすることになります。この4番目の首都が、現在のグアテマラシティになります。


アンティグアの魅力はたくさんあるのですが、私の一押しはやはり教会や修道院!それも地震で破壊されて廃墟となったものです。リアルRPG感を楽しめますよ!

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↑アンティグアの中央広場にある噴水、乳からも水が出ておる(管理人TheDANGOsan撮影)


↓ライトアップされた修道院跡(管理人TheDANGOsan撮影)

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↑様々な修道院の跡(管理人TheDANGOsan撮影)


観光地なので治安も良いですし、外国人が多いので英語も比較的通じる方です(現地公用語はスペイン語です)。また外国人が経営するお洒落なレストランもありますので、現地の食事に飽きても多国籍の料理を楽しめます。

なので長期滞在に向いているのです。そのためかスペイン語学校が多数あることでも有名です。アンティグアを拠点として周辺域へのツアーがたくさんありますので、一週間くらい居ても飽きませんよ?語学習得が目的であれば1か月~3か月を少なくとも見ておく必要がありますね。ホームステイを行っている家もありますし、日本人宿や日本のツアー会社もありますので頼ることもできます。

最後に、グアテマラがいち早く復興するよう祈っております(。・ω・)ノ゙。私としてはまず、アンティグアに住む友人の安否が気になるところです( -д-)ノ

↓……まぁ良かったらどうぞ( -д-)ノ↓

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