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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:ゲームの考古学

2020ねん 9がつ 29にち(かよーび、晴れ)

これが今月9本目の記事......

明日久々の休みとは言え、あと6本はキツイな( -д-)ノ

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↑けっこうきっちりと残ってるものだね!(*^・ェ・)ノ(「日本将棋連盟」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「最古の将棋の駒と板!王将取られても負けないルールがかつてあったらしいよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



最古の駒の紹介

上に挙げた写真が、奈良県の興福寺旧境内から出土した将棋の駒です。

「天喜六年」(1058年)と書かれた木簡と共伴して出土した木製の駒で、これが最古の将棋の駒なのです。

サイズは長軸が2.5~3.3cm、幅は1.5~2.4cm、厚さは2~5mmで、まぁ現在のものとさほど変わらないかなと思います。

発見は比較的新しく、1993年に実施された調査で、旧境内内の井戸の跡から出土しました。





見慣れない駒の紹介

こちらは2013年の調査で出土した駒で、『酔象(すいぞう)』という見慣れない駒があるのが分かると思います。

これまでに出土している最古の「酔象」は室町時代のものでしたが、この発見により平安時代までさかのぼりました。

これも木簡と共伴して出土したそうで「承徳二年(1098年)」の年号が記されていたとのことです。

酔象の駒ももちろん木製で、長軸2.5cm、幅1.5cm、厚さ0.2cmでした。

ちなみにこの酔象の駒の裏面には墨跡がなかった。

酔象は、現代の将棋より駒数の多い、鎌倉時代以降の「大将棋」や「中将棋」で指されたことが文献などでわかっています。

しかし平安時代については知られておらず、重要な発見となりました!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


arukemaya1004



最古の将棋盤

上に挙げたのが、島根県、出雲市高岡町の高浜 I 遺跡から出土した将棋盤と駒です。

いずれも2010年の調査で出土したものです。


これらの遺物は木製で、室町時代のものと推測されています。

将棋盤としてはこれが最古の事例になるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


かなり部分的な残存状態ですが、本来は下の写真のような感じだったと考えられます。

↓↓↓こんな感じ(。・ω・)ノ゙↓↓↓





王将取られても負けないルール!?

さて、今回の記事の見どころでもあるのが、この「王将取られても負けないルール」ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

私は囲碁とチェスしかやらないもので、将棋を指す人にとってはもしかすると一般常識の範疇なのかもしれません。

もしそうだったらご愛嬌で(*^・ェ・)ノ



問題の駒は先ほど説明した見慣れない駒の『酔象』です。

「歩け、マヤ」では既に何度か紹介していますが、将棋を始めとしてチェスや中国将棋といった類似のボードゲームの起源はインドの「チャトランガ」とされています。

現在は動物園で見られますけど、元々「象」って日本にいないわけです。

明らかに起源であるインドの影響の強い駒なわけです。



でも「酔象」って「酔った象」って書くじゃないですか?

意味は「発情して凶暴になった雄の象」もしくは「酒に酔って暴れる象」という意味だそうです。

インドでは現在ヒンズー教が盛んですが、かつては仏教が栄えていました。

その仏教では「凶悪な心の例え」に用いられる語であるため、何故それが将棋の駒になったかは不明だそうです。



まぁ貴族らの軍事のお勉強としての意味合いもあり、「戦象(せんぞう)」として軍事用に闘う象もいたわけですから恐らくそれがルーツなのでしょう。

ならば「酔象」じゃなくて「戦象」でいいのにと思ったり( -д-)ノ


さて、先に述べたように発見された最古の「酔象」の裏面には墨の痕がなかったわけですが、より新しい事例では、「酔象」の裏は『太子』であるそうです。

将棋の種類によっては『王子』の場合もあるそうです。



「酔象」は後ろ以外のどこでも1マス進めます。

「太子」・「王子」は「王将」と同じ動きでどこでも1マス進めます。

「太子」・「王子」は次の王なので、「酔象」が「太子」や「王子」に成って盤上にある状態では、例え王将が取られても負けないという不思議なルールがあったそうですΣ(・ω・ノ)ノ

このルールからすると、「戦象」ではなく「酔象」である理由はなんとなく分かる気がします。

世の中、金持ちや権力者は世襲が大好きですし、第二世代以降なんてロクなのいませんもんねヽ(TдT)ノ

まぁつまり「太子・王子」に成る前は、『王様の子供であるという権威を笠に着て、酔って暴れて、発情して女に手を出しまくる凶悪な心の持ち主』という皮肉が込められている気がしますね( -д-)ノ


arukemaya1008
↑親は大学時代にレイプ事件をもみ消し、子は不倫騒動をうやむやにし……元気があれば何でもできる!金と権力があれば何でもアリ!昔も今も人間って何も変わらんね(/TДT)/ スローガンは『忖度JAPANヽ(TдT)ノ』【七光り、ヤバイ、政治家での画像検索結果1位より】



おわりに

ほんとに人間って変わらんし、愚かだなとふと思ってしまいました……

だからこそ人文科学はこの先、これまでとはガラッと異なる方法で突き詰めていくといずれ人類の未来を予想できる気がします。


だってみんな成長しないんだもの。

歴史から学ばないんだもの。

やることおんなじなんだもの。


……それでも法則性がないなんて言える!?( ・Д・)

だって人間だもの。

by アイーン田 まやお


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2020ねん 6がつ 8にち(げつよーび、曇り)

調査地のコロナ問題より、人種差別問題の方がやっかいだ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「ノルウェーで古代のゲームが発見されたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


今回発見されたのは古代ローマ時代(CE100-400)に帰属するゲームの一部です。

上に挙げた4本の棒は、サイコロだそうです。

記述を確かめていないので不確かですが、恐らくこの写真は『展開図』として加工された画像です。

なので、実際に出土したのはサイコロ1個(1本?)で、4面あるということだと思います。

(写真をよく見ると形態や損傷部から同一資料の別の面のように思えます……違ったら申し訳ないっ( -д-)ノ)

素材に関する記述もありませんが、遺物として残ったという事実と色調や表面の状態から恐らく動物骨や鹿角等を用いて作られたものでしょう。

私たちが一般的に使うサイコロって六面体のダイスですからね。

4面の棒状ダイスってだけで「レア感や古さ」を感じます(*・ω・)ノ



ちなみに各面には「0、3、4、6」って刻まれています。

刻線による円形(〇)とその中心に刺突/穿孔(・)があって、1つの単位を示しているのが写真から読み取れると思います(*・ω・)ノ

4面なので当然ですが、数字が現代の一般的なサイコロとは異なるというのが面白いですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ





上に挙げたような駒も共に出土したそうです。

これもサイコロと同様に動物骨等で出来ているようですね。

この写真も「展開図」になっていますので、左側が表面、右側が裏面になります。

裏面には刺突(やや穿孔)が見られます。

全部で18個の駒が出土したそうですが、いずれも2点の刺突があるのでしょうか?

であれば、単に表裏を示すためのマークでしょうね(*・ω・)ノ




この発見はベルゲン大学博物館の考古学者モーテン・ラムスタッド博士らによってルウェー西部のイトレフォッセ村近くの墓地遺跡で行われた調査でなされました。


彼らによるとこのゲームのプレイ方法は古代ローマの戦略ボードゲーム「Ludus latrunculorum」に基づいている可能性があるそうです。

「Ludus latrunculorum」は上に挙げたようなチェスやチェッカー(ドラフツ)と似た盤と駒を使ったボードゲームだと考えられています。


チェスは、インドのチャトランガを発祥としているのは有名ですね。


前にも触れたでしょうか……


世界史でも有名な東インド会社の植民地期にチャトランガがイギリスに持ち込まれ、「女王陛下」が強くあらねばならぬイギリス社会の影響で、本来最弱の駒であった「宰相」が最強の「クイーン」になったという歴史があります。


私もチェスやりますけど、クイーンの動きは将棋の飛車+角行です。


どこまでも全方向に飛んでけます(ば、化け物かっ!( ・Д・))。




まぁチャトランガ、チェス、将棋のような戦略ゲームは世界中に類似ゲームがあります。


歴史書に残らないレベルの古代ではその発生については不明ですが、交易等を通じて伝播したのかも知れません。


あるいは古代社会において「ゲームは貴族の遊び」です。


こうした世界各地に見られるボードゲームの基本が「戦略ゲーム」だというのも、いざとなれば戦わねばならぬ貴族の軍事教育目的に由来して、後世に影響し合ったとは言え、本来的には各地でその必要性から自然発生したのやも知れません。




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今回発見されたゲームのルールについては不明です。

というのも古代のゲームの一端を発見するのは考古学者ですが、ルールについて議論するのは文献史学者(所謂、歴史学者)であることが多いのです。



今回の発見は貴族層の墓の副葬品として出土していますから、保存状態は良好のはずです。

だとすれば18個の駒は全て揃っているはず。

ならば二人でプレイするならば、1プレイヤーは9駒を扱うことになります。



盤面は残っていませんから、木製でしょう。

正方形ならば、横方向に9マス×縦方向にも9マスでしょうか。

……このようにして考古学ではプレイ方法を推測していきます。

あくまでモノから推測していきますから(*・ω・)ノ



さて、今回の発見のポイントは鉄器時代であったノルウェーにも古代ローマ文化が届いていたということですね。

ということは出土品の真のプレイ方法の秘密は、本家ローマの出土品や歴史書、今後の発掘調査成果の中に隠れているのかも知れませんねヾ(´ω`=´ω`)ノ




arukemaya863
↑以前にも載せたティカルのボードゲーム、欲しい!( ・Д・)(確か、「Amazon」の商品ページからの転載だった気がする……毎度のことながら回し者ではありません( -д-)ノ)



おわりに


なかなかこういった遺物の出土は「レア」なので、久々の『ゲームの考古学/趣味の歴史』となります。

以下に、これまでに取り上げた『ゲーム』に関する記事を載せておきますね。


↓『ゲームの考古学』シリーズです(*・ω・)ノ







↓その他の、ゲームに関連した記事です(*^・ェ・)ノ









無料なのでライブドアブログ利用させて頂いてますけど、

けっこう検索が使いにくいなって思ってます。

変に広告が反応するし(ノ`Д´)ノ


なので、関連記事がある場合はこうしてリンクを貼るようにしますので、良ければ是非読んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


『発見至上主義』な考古学者は好きではありませんが、レアな発見にはワクワクしてしまうというのもヒトの性でしょうね。


……古代マヤ文明、あるいはメソアメリカ文化領域には「パトリ」というゲームがあります。

これまでに建造物の床面・壁面に刻まれた盤面だけが見つかっています。


王族・貴族が遊んだ石製 / 土製駒付きのパトリを見つけたいよっ!( ・Д・)


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2019ねん 5がつ 19にち(にちよーび、晴れ)

運動不足解消のためにランニングしてみた。

軽い筋トレ、ストレッチもした。

習慣になると良いが……

ついでに腹筋も割れてくれると尚良いのだが( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『アングロサクソンの王族の墓から鯨の骨を加工した精巧なボードゲームが見つかったけど、遊び方が分からんよ!』と言う内容です(*・ω・)ノ

「ゲームの考古学」のテーマは以前も少々扱ったので紹介しておきますね。


↓バックナンバーです(*・ω・)ノ
↑2本しかこれまでにこのテーマで書いてないのねヽ(TдT)ノ



6世紀のアングロサクソン王家の墓から出土したゲームに関する遺物は、木製のゲームボード、鯨の骨で作った2点のサイコロと57点のカウンターです。

賭博も含めたゲームに関する副葬品はこれまでにも発見されているようですが、セットとして出土することは非常に珍しいのです。

木製のゲームボードについては情報はありませんが、あまり状態が良くないのかも知れません。

イギリスに旅行に行く人や、在住の方は是非、サウスエンド中央博物館に行って、写真撮影して情報を頂けると幸いです( -д-)ノ



鯨の骨を使って製作されたもののため、サイコロとカウンターについては保存状態が良好です。

上に挙げた写真がゲームに使用したカウンターと思われる資料です。

全57点ありますが、装飾などは見られず外見に違いがありません。

そのため「トークン」のような何らかの数を数えるために用いたのかも知れません。

ゲームボードがどのようなものか不明なため詳細は分かりませんが、オセロのように用いた可能性もあります。

このカウンターの特徴は片側だけが山なりになっている点なので、バランスは悪いですが、表裏のある駒として使用することもできるでしょう。



サイコロは非常に精巧に作られています。

特に数字記号の掘り込みは特殊な道具を使用して彫り込んだものと思われます。

サイズも微細な特徴も深さも一定ですからね。

ただしそれぞれの掘り込み点の配置は均等配置ではないため、「穴を一つ開ける専用の道具」があって、それを手作業で彫りこんでいったと推測されます。

今回発見されたボードゲームセットがどのようなルールのものだったのかは最終的に不明なのが残念ですヽ(TдT)ノ

しかしゲームカウンターの存在からチェスのような頭脳戦の戦争ゲームとも考えられますし、サイコロの存在から同時に以前に紹介したレースゲームのような偶然に左右されるゲームであったとも考えられます。

あるいは一つのボードゲームセットでその両方がプレイできたかも知れませんね。




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前回の記事で初めて「この遺物は何でしょう?」クイズを出してみました。

今回は「ウォーリーを探せ」的な感じで出題してみました。

こういうことが出来る記事内容は限られているでしょう。

それでも考古学・歴史に興味をもってもらうためにもちょっとした娯楽性があってもいいのかな~と思うので新たな試みとして「考古学クイズ」をやっていこうかなと考えています。

……まぁそもそも「歩け、マヤ」の読者の皆様は、既に考古学・歴史が好きだと思いますけども!(・∀・)つ

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2018ねん 5がつ 9にち(すいよーび、曇り)

一体、人とは何か?

ふと考えてみた。

人類にとって哲学的な重要命題である。

映画の中でジョーンズ博士の言葉を思い出した。

「真理を知りたいなら哲学教室に行け」と。

私は考古学者である。

すっと考えるのをやめた。

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古代エジプトのゲーム、セネト(ナショナルジオグラフィックのギャラリー写真から転載;(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC


【目次】

  1. 拡散希望!「人とは何か?」の命題に答えを出した!&「ゲームの考古学」
  2. 古代エジプトのゲーム、セネトについて
  3. おわりに
 

1.拡散希望!「人とは何か?」の命題に答えを出した!&「ゲームの考古学」
大学生の頃、「人とは何か?」について講義を受けたことをよく覚えています。

  • 人間は考える葦である(パスカル)
  • ホモ・サピエンス、人とは考える生き物である(リンネ)
  • ホモ・ファーベル、人とは道具を作る生き物である(ベルクソン)
  • ホモ・ルーデンス、人とは遊ぶ生き物である(ホイジンガ)
  • ホモ・シンボリクス、人とは象徴を扱う生き物である(カッシーラー)


まぁ有名なところではこれくらいでしょうか。私たち人類の学名がホモ・サピエンス・サピエンスであるように、ここでの「ホモ」はラテン語で「人」という意味です。

私は上記の中でホモ・ルーデンス(遊戯人)が一番気に入ってます。

しかしながら私は学生の頃より、ホイジンガの考えたそれでは足りない!と思っていたのです。

単に「遊ぶ」だけなら、我が家の犬もボールとかおもちゃで遊んでます!

「人とは何か!?」

私にとって、「人とは遊びに本気になる生き物である」と思います。

スポーツとか、生物としての生業とは無関係なことに本気になれるのです。ガチで取り組むのです!

なので、人をこう呼称したく思います。「ホモ・ガチ・ルーデンス」と! 順番を間違えると大変なことになりますのでご注意を! ガチホモたちが戯れてしまいます。


それはそれで面白いし、需要ありそうだし、インパクト強いからそれでもいいですけども!()



とまぁ、人は古来より遊んでいたということで、新企画「ゲームの考古学」でもやってみようかなと思います。所謂「なんちゃって考古学」になると思います。


考古学の部分を「歴史」に取り換えれるアレですね。



そもそも考古学は「遊び」の研究には弱いのです。


最も古い遊びは恐らく、会話を楽しむとか踊るとかではないでしょうか。そうです、遊びの痕跡が遺らないのです。


ボードゲームといった有形のものであれば残ることもあります。でもルールが分からないのです。確かに考古学者による発掘調査でゲームが出土するわけですが、今回紹介する古代エジプトのゲームのように、ルールについては歴史学者が推定しています。


ゲームは考古学的な研究対象になりずらい傾向にあるわけです。


出土数が少ないことも関係しているでしょう。また研究がなされても、結論が「儀礼的な性格を有していた、強かった」といった、正直あまり面白くない結論に終わることもしばしばです(偏見があると思います。ゲーム研究者の方ごめんなさい)。


まぁということで、主に出土品の紹介になりそうですが、「ゲームの考古学」を始めます(。・ω・)ノ゙




2.
古代エジプトのゲーム、セネトについて
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↑新王国時代(紀元前1294~1279年頃)のセネト(ARTNEの記事内写真より転載)

この記事の最初に挙げた写真のセネトがツタンカーメン王墓に副葬されたセネトです。


上記写真のセネトの出土地点等は分かりませんでしたが、新王国時代(紀元前1567年 - 紀元前1085年)には護符の役割を有していて、副葬される習慣があったようです。



このセネトはエジプトの古代王朝の成立以前に誕生しており、その古さはなんと紀元前3500年になります。ボードゲームとして最古のものになります。



詳細は分かりませんが、このゲームは少なくとも新王国時代まで続いていますので、その寿命はおよそ2500年!日本はゲーム大国ですが、これほどのゲームは今のところ出てこなさそうですね。



まぁ人類が、日本が滅びなければ、いつの日か「人生ゲーム」とか「ドンジャラ」とか生き残りそうですけども!( ・Д・)


さて、このセネトのルールはと言いますと、こんな感じです。



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↑セネトの遊び方(ARTNEの記事内の図を転載)

簡単に言うと、レースゲームです。サイコロの代わりに「投げ棒」や「指関節の骨」を投げて駒を進めるそうです。


このセネト、現在のバックギャモンを始めとしてボードゲームの起源と言われています。


バックギャモンは明らかにサイコロを用いたレースゲームですし、日本の双六(すごろく)もマス目によって指示があるレースゲームですね。




3.おわりに

ゲームの起源は恐らく祭祀・儀礼目的だったと考えられています。


「サイコロ」の誕生はかなり早く、12000年前にはすでに存在したようです。その頃のサイコロは、現在のような正六面体ではなく、小石や木の実、動物骨等を用いた歪つな形状でした。


偶然による出目によって吉兆を占っていたのです。その後遊戯化したようです。古代エジプト新王国時代の事例のように、後に儀礼的要素が付加されるパターンもあるようですね。



さて、古代のゲームはそれなりの種類が確認されています。


どうしても時代的には新しいものが多いですけどね。


そうそう、古代マヤにもゲームがあるんですよ!それでは次回の「ゲームの考古学」をお楽しみに!(。・ω・)ノ゙


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