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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:ティカル遺跡

2022ねん 10がつ 9にち(すいよーび、くもり/雨)

予定組んだ12月末まで埋まった( -д-)ノ

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↑現場はこんな感じ( ・Д・)(筆者撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは2022年調査の内容紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はグアテマラ、ペテン県のティカル遺跡です。

あくまで「調査内容の紹介」であって成果紹介ではないのは論文発表の関係があるからです。

なので、簡単になら紹介してもいいかな~っていうものについては今回紹介していきますね。

とりあえず私が実施している研究の概要と、これまでの調査報告としてあげていた記事を載せておきます。











小さなマウンドの調査の結果について

今回紹介するのは小さなマウンド群を掘った時のお話です。

2022年の調査では大きいマウンド群も掘っていますが、それはまた次回にお話します。

ちなみにマヤ地域で言うのところの「マウンド」とは昔の建造物が崩れて風化・浸食を受けた結果、土饅頭のようになっている状態のものを言います。

「小さな古墳」だと思えばイメージは大体合ってます。

他の地域だと指す内容が異なるのであくまでこれはマヤ地域でのお話です。




ちなみに最初に挙げた写真のところが現場なのですが、真っ平でマウンドが分からない状態になっています。

これはこの地点にかつて存在した建造物がとても小さく、また遺構として残りにくい木材などの有機物製の建物であったからです。

なのでマウンドってどんなものかを視覚的に理解してもらうには、大きなマウンド群について話す次回の記事の方が良いと思います。



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↑Str.4F-26、27の傍にある大きな穴(筆者撮影)


ティカル遺跡の中心部(9㎢)には約2400基のマウンドが確認されています。

これらのマウンドにはそれぞれ名前が付いていて、建造物(Structure)の略称としてStr.が付いています。

今回紹介する小さなマウンド群はStr.4F-26と27です。

4Fというのは測量図の図面番号のようなもので、26、27というのはその4Fというエリアの中での26番目、27番目の建造物マウンドであるという意味です。




このマウンド群の地点はあまりに平らでマウンドとしての土の高まりを確認することが困難でしたが。すぐ近くに現代遺構である大きな掘削痕があるために位置を特定することができました。

ちなみにこの大きな穴は、1950~60年代のアメリカ、ペンシルベニア大学の調査が実施される際に滑走路を造るために掘ったものです。

この大穴から取り出した土や石灰をばら撒いて滑走路予定地を平らにならしたのです。

最後に紹介するYouTube動画でも説明で出てきますが、この滑走路の一部は現在、駐車場として利用されています。




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↑堀り始めの状況(筆者撮影)

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↑手帚がなかったので自作(筆者撮影)

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↑地表面のすぐ下から当時の石列が出てくる(筆者撮影)


ラテンあるあるですが、面会の約束とかしててもすっぽかされるんですよね。

そんなこんなで時間を無駄に取られて調査用の備品を一部購入できないままスタートしました。

まぁお手製の杭とか箒を自作して使ってますが、こんな風景もラテン考古あるあるかなと思います。

水糸だけは日本から運んでいて、それできっちり計測して実施しているので問題はほとんどありません。

まぁ見栄えが悪いってことくらいでしょうかねヽ(TдT)ノ




上の三枚目の写真で掘った範囲の内側の壁に小さな切り石が見えます(とても分かりにくいと思うけれど)。

壁のほとんどが切り石だと思っていいです。

問題は切り石が現地表面から僅か数センチの位置にあるってことです。




亜熱帯ジャングルの中にあるティカルでは、微生物の活動がとても活発なので所謂腐植土が発達しません。

全部あっと言う間に分解されてしまいます。

なのでほぼ「現地表面=旧地表面」です。

つまりティカルを散策するとほぼほぼ古代マヤ人が歩いていた台地上を歩いているということになるってことです。



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↑母岩の石灰岩(筆者撮影)

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↑石灰岩層直上に土器片を発見(筆者撮影)



Str.4F-26と27は小さなマウンドなので、かつては木製の小さな家だったと思われます。

きっと農民のような一般層の人が暮らしていたのでしょう。




調査区を掘り進めるとあっという間に母岩である石灰岩層に到達してしまいます。

古代マヤの建築法として有名な「重層建築」はここでは見られません。

重層建築は”お金持ちの家”にしか見られないものだということが分かります。




家の中の床面も漆喰で覆われていません。

土の表面を平らにして硬く押し固めたような床面しか見られませんでした。

使用している石灰岩の切り石も小さく、加工が甘いものです。




現代で言うならばお金持ちが鉄筋コンクリート製のマンションに住んでいる一方で、低所得層は木造アパートに住んでいるようなものです。

そう考えると技術的な違いを除けば、古代マヤも現代日本社会も根本的には類似してるなぁと思います(*^・ェ・)ノ




……ちなみに、石灰岩層上面から土器が1点出土しました。

近い内、YouTube動画の「考古学講座」で取り扱おうかと思っていますが、、、

これは古代マヤ人が建物を建造する際に最初に石灰岩を露出するレベルまで掘って広場の広がりを確定させたことによるものです。



↓今年の調査の記録をアップしていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑今後も毎週5本くらいずつ投稿していきます(*・ω・)ノ


おわりに

かつての調査動画も今回の動画もそれぞれ1本の動画あるいはまとめて1本の動画としてちゃんと作りたいのですが、時間がねぇ……

論文とか大学の仕事だけで11月末まで予定埋まってるので、kindke出版用に本書いたり、報告書書いたりしたら12月末まで使っちゃうんですよね( -д-)ノ

燃料費高騰とか記録的円安の影響を受けて、今年の調査は小規模になる予定なので、1月~3月の中でもしかしたら時間を作ることができるかも知れません。



まぁしゃーなし、、、



いつも通りのんびりやるさ!( ・Д・)



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2022ねん 1がつ 30にち(にちよーび、晴れ)

お肉食べたい( ・Д・)


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↑これはサンプリング調査地点の配置図( ・Д・)(「あるけまや」作成)


今回の考古学・歴史ニュースは調査始まったけど、お金がない!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はグアテマラ、ティカル遺跡です。

コロナの影響で2年ぶりの調査となりまして、なんだか本当に久々にこっちに来たな~って感じがしております。

上に挙げた図は、粘土試料のサンプリング調査地点を示したものなのですが、今年はラ・ニーニャ現象の影響で乾季に差し掛かる1月末現在でも土砂降りのスコールが散見されるため、上手くいかないかも知れません。

なんとかなれば、2月末を目途に結果報告をしたいな~と思っております。


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↑材料現地調達の手作り箒(「あるけまや」撮影)


何故、お金がないのか?

元々1月20日に出国予定だったのですが、コロナ禍の影響で便が欠航になったり、空港が使えなくなったりで2度変更になった結果、1月19日の23時発になってたのです。

出発時間があまりに遅いので、のんびりしてて、準備も中途半端だったし、お土産も少し買い足そうかな~なんて思いつつお昼ご飯を食べながらYouTubeでコロナ関連情報を集めるべくニュースを見てたら・・・・・・

「アメリカで5Gが実装され、電波がボーイング777などの機体制御装置に影響を与えるため、ニューヨーク便など全て欠航となりました」

って見つけて、、、いや、見つけたおかげで助かったわけですが、、、



見事に私の便はボーイング777のニューヨーク経由だったので、慌てて大学の旅行代理店に連絡して、便を変えてもらったら・・・

今すぐ家出れば間に合うかもって・・・・・・

で、僅か15~20分くらいで準備終わらせて、重いスーツケースを即時筋肉痛になりながらダッシュで運んで、飛行機に間に合ったのです。


結果、いくつか忘れ物してしまって、一番効いたのが『生活費用のドルや現地通貨(ケツァール)』を置いてきたのです( -д-)ノ

幸い財布に100ドル紙幣が1枚入っていたので、それで7週間生きることになったのですヽ(TдT)ノ

……まぁポジティブに考えると、こっち来て2週間で内臓脂肪全部使い切ったらしく、出発時にきつかったズボンがすっと入るようになりました( ・Д・)


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↑ピンポールもないので手作り( ・Д・)(「あるけまや」撮影)


人員は十分だけど貧乏な調査

おかげさまで、「アカデミスト」(学術クラファン)の支援金があったので、前回よりも2名の調査員を増員して調査を行っています。

でも現金が12000円(100ドル相当)しかないので、先に挙げた写真の箒や上に挙げた写真の杭のように手作り用品を多用しております( -д-)ノ

まぁ水糸とか水平器とかは前回日本から運んであるので、調査精度は落ちてません。

足りない備品とかティカル国立公園側や友人の考古学者などに借りつつ調査を実施しているのですが、いやー「持つべきものは金」だなって思います、、、もちろん「友」も重要です( ・Д・)


調査に関して

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↑調査区域(「あるけまや」作成)


上に挙げたのが調査区域の図で、オレンジ色が2020年に掘った場所、青色が今年の調査区域です。

調査開始してから1週間なのですが、思ったよりガンガン作業が進んで、1週間で終える予定の調査(上部の青丸ふたつ)が2日で終わったのです。

デモで国道封鎖されて約2日潰れたことを考えても、1日の余裕ができました(土日は休みなので週5日計算)。


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↑平らにしか見えない調査区(「あるけまや」撮影)

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↑ティカル遺跡のマウンドサイズ分布と、調査対象(「あるけまや」作成)


この上の青丸2つの場所は上に挙げた写真に見られるように、ほとんど平らなのです。

全然マウンドに見えないのです( ・Д・)



3枚目の図にあるように、ティカル遺跡のマウンドサイズ分布は「べき分布」することが分かっており、これを足掛かりに各マウンドサイズと出土遺物の質・量との関係について明らかにしようと考えているわけですが、、、

この図で分かるように「26番(Str.4F-26)」よりも小さいマウンドはたくさん存在しているけれども、もうこれ以上小さいマウンドは掘らずには確認できないという結論に至りました。

なので今回掘った26番、27番がミニマムマウンドの事例として扱うことにしました。

よって今後は大きい、分かりやすいマウンドの事例を増やしていくことで自己の新しい理論の証明と、数理モデルの構築を目指していくことになります。


*上図ではオレンジ色が前回の調査マウンド、青色がこの1週間で掘ったマウンド、緑色がこの後3週間で掘るマウンドです(*・ω・)ノ



↑ 300円のご支援をお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ



↑気付けばもう第11回まであります、少しずつクオリティも上げてく予定なのでこちらもよろしくお願い致します( ・Д・)


おわりに 面白い成果は出ているが、、、

さて、比較的小さいマウンド群~中程度までのデータは集まったので面白い結果になっているのですが・・・・・・

調査許可取得の際の法的な契約の関係で、詳細をお伝えすることができません。

とは言え、完全に埋戻してますし、報告書も片っ端から書き始めていますので、2月末から前半部の報告をちょこちょことここで出来るかと思います。

いち早く知りたいよ!って人はお手数ですが、上記のアカデミストにてご支援頂ければ、2月末のライブ配信で詳細を含め一気に全部をお伝えしたいと思っております(*・ω・)ノ



さて、昨年末くらいから少しずつ私が設定する新学術領域「考古物理学」についてアピールを始めましたが、考古学データに基づく「ヒトとモノの関係の数式化」は見事に成功しそうだなとかなりの手ごたえを感じています。

(1960年代の「プロセス考古学」の課題をスマートに乗り越えたと自負しておりますヾ(´ω`=´ω`)ノ)

これを機に、一般に「役に立たない人文科学」と称される現状を少しでも打開し、考古学が歴史関係の諸学問に対して共に議論できる共通の土俵を提示できるようになるのではと、

考古学をはじめとする歴史学一般と、現代社会とそれが抱える諸問題とを繋ぐ架け橋になればという想いで今後も尽力していきたいと思います。


何はともあれ、、、

お金ないとほんと不安だけが残る!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 26にち(げつよーび、晴れ)

今日は頑張ったな~(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「先古典期ティカルの貯水池にはクリスタルを用いた浄水機能があったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の記事は学術雑誌「Scierntific Reports」の最新号(2020年第10号)に掲載された論文を基に書いています。


【参考文献】
Kenneth Barnett Tankersley, Nicholas P. Dunning, Christopher Carr, David L. Lentz & Vernon L. Scarborough
 2020 ”Zeolite water purification at Tikal, an ancient Maya city in Guatemala”, Scientific Reports volume 10, Article number: 18021


ちなみに上に挙げたクリスタルスカルはインディジョーンズの映画やディズニーシーでお馴染みのものですが、本記事とは関係ありませんのであしからず( -д-)ノ

関係あるとすれば、クリスタルってことくらいですね( ・Д・)


では発表された論文の内容を紹介しますね!


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↑ティカルの位置と、コリエンタル貯水池の位置(Tankersley et al. 2020のFigure 1より転載)



この研究で取り上げたのはティカルの中心部であるアクロポリス群の南方に位置するコリエンタル貯水地です。

この貯水池は先古典期後期から古典期後期(BCE250-CE1000)にかけて、ティカルの人々にとっての重要な水源でした。

この時期判定は土層中の炭化物を対象としたAMS放射性炭素年代によって2185〜965 cal yr B.P.(1950年が起点)という結果から推定されたものです(*・ω・)ノ



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↑時期の判定(Tankersley et al. 2020のFigure 2より転載)



さて、これまでアメリカ大陸の先住民には正式な浄水システムがなかったと考えられてきました。

例えば、北米の事例では、自然にろ過された泉からきれいな水を得て、それを沸騰させて飲用に用いていました。

中米の事例では、アステカ人は水道橋を通じて都市に浄水技術を必要としない豊富な湧水を得ていました。

こうした水道橋は南アメリカのアンデス地域、インカの人々によっても建設・利用されていました。


一方で中米のマヤ社会は、所謂「新世界文明」の中で唯一水のろ過を必要としたと考えられています。

マヤ地域はその気候的特徴として極端な季節的干ばつの影響を受ける地域です。

また人口が過密状態の中で長期的に居住が続いていたことから、ティカルの飲料水は多数の微生物源(シアノバクテリアなど)や硫化水銀などの有毒鉱物からの浸出物による汚染を受けやすい傾向にあったと考えられています。

しかしこれらの汚染物質がどのようにして飲料水から除去されたかについては良く分かっていませんでした。


YouTube動画に上がっているサバイバル動画にあるような、砂、砂利、植物、布による、ろ過システムは、早くも紀元前15世紀にエジプト、ギリシャ、南アジアで記録されています。

一方でマヤ地域ではそういった証拠が見つかっていませんでした。

今回の論文では、先に述べたコリエンタル貯水池から、ゼオライト(沸石)と石英(水晶、クオーツ)が発見されたと述べられています。


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↑貯水池から発見されたクオーツ(水晶)とゼオライト(「D」の部分)(Tankersley et al. 2020のFigure 3より転載)



この論文ではティカルのコリエンタル貯水池にはかつてゼオライトを用いたろ過システムが使用されており、これは『新大陸』における浄水の最古の事例となるということです。

また同時に、世界で最も古い、飲料水の除染のためのゼオライトの使用の事例となります。


上に挙げた図・写真に見られるように、コリエンタル貯水池とその周辺の調査結果として堆積物中からゼオライト(沸石)と粗い砂粒サイズの結晶性石英の混合物が発見され、これらを通して水をろ過していた可能性が指摘されています。

ゼオライト(沸石)は、無毒で、三次元的に多孔質で、結晶性の水和アルミノケイ酸塩であり、天然の吸着剤およびイオン交換特性を有し、飲料水から有害な微生物だけでなく、分散した不溶性および可溶性の毒素をも除去するものです。


このゼオライトは、『旧大陸』では古くから優れた吸収性を持つ鉱物として認識されていました。

例えば、約2700年前にギリシャ・ローマの技術者は、水道橋、橋梁、ダム、港湾などの大規模な水理構造物の建設にセメントのポゾラン(シリカ質混合材)としてゼオライトを使用していました。


砂等を用いた最も古い浄水形態はヨーロッパや南アジアで発生したと推定されているものの、ゼオライトが水質浄化のために利用されるようになったのは20世紀に入ってからと考えられてきました。

そのため今回の発見は歴史的にとても重要な、非常に大きな発見なのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

古代マヤ文明の凄さが増しますね!(笑)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑これが古代マヤの叡智!浄水システム( ・Д・)(Tankersley et al. 2020のFigure 4より転載)



今回の研究で、ティカルの人々は都市の北東30kmにある粗い結晶の凝灰岩からゼオライトと石英結晶を採取したと推定されています。

彼らは大量の人口を支えるための大量の飲料水を浄化するために、これらの自然の火山性鉱物資源を効果的に採取・利用していたようです。

ティカルでは貯水池へと続くようにプラットフォームを僅かに傾斜させていることが知られていました。

今回の研究によると、上の図のように貯水池に水が流れ込む直前にゼオライトと石英片、石灰岩のフィルターが準備され、水がそこを通って浄水された後に貯水池に流れ込むシステムになっていたようです。


こうした浄水システムは数あるティカルの貯水池の中でも、現在、コリエンタル貯水池においてのみ証拠が発見されています。

今後の調査で他の貯水池からも見つかる可能性がありますね(*・ω・)ノ





おわりに

いかがでしたでしょうか?

補足として、

このティカルにおける浄水システムの建設は紀元前250年頃です。

旧大陸における最古級の事例である南アジアの砂と砂利による水のろ過が1700~1600年前ですので、600年も古いものとなります。

またこのコリエンタル貯水池のゼオライト浄水システムは、ヨーロッパの事例としてロバート・ベーコンにより1627年に開発されたゼオライト砂粒を用いた最初のろ過システムより遥かに早いのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


マヤすげー!
水、うめー!( ・Д・)

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2020ねん 9がつ 25にち(きんよーび、曇り)

最近充実しているが、寝不足だヽ(TдT)ノ


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↑いつかアクロポリスも掘りたいね( -д-)ノ(「トラベルザウルスドットコム」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「ナショナルジオグラフィックでティカルが取り上げられてるけど、そこで頑張ってる日本人考古学者も取り上げてよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


ナショナルジオグラフィックでは、

「いつか訪れたい世界の旅先25」

というシリーズで色々な場所を紹介しているようですが、

その第21回にグアテマラの世界複合遺産、ティカル国立公園が選ばれました!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

そこでは以下のように書かれていました(赤字は私の強調箇所)。

行くべき理由:マヤの過去と現在に出会いにいこう。


知っておきたいこと:画期的なレーザー技術により、研究者たちにとっての宝の地図ができた。グアテマラ北部のマヤ生物圏保護区に広がるジャングルの林冠の下で発見が相次いでいる。


 約2100平方キロを上空から調査する事業「PACUNAMライダー・イニシアチブ」で集まった情報から、長年隠れていたピラミッドや監視塔などの遺構を考古学者たちが発見。


 ここに先コロンブス期の大規模な文明があったことや、その文明が多くのマヤ専門家の認識よりもかなり複雑だったことが分かってきた。一般にはまだ公開されていないが、これら最新の発見は、グアテマラが昔も今もマヤ文化屈指の拠点だとあらためて思わせる。


 古いルーツが特に濃く残るのが、密林に覆われたマヤ世界の中心、北端のペテン地方だ。ワシャクトゥン、ヤシュハ、エル・ミラドール、ティカル国立公園では、中央アメリカの先史時代をしのばせる宝物が見られる。


 多文化に彩られた現代のグアテマラは、マヤの子孫が人口の半分以上を占め、中米で唯一、先住民が文化の点で多数派の国となっている。アティトラン湖周辺のツトゥヒル族の村を訪ねると、マヤの文化を体験できる。


おすすめの時期:11月~12月


こちらもおすすめ:ツトゥヒル族の職人がツアーやワークショップを手掛けており、アティトラン湖に拠点を置く団体「エシカル・ファッション・グアテマラ」が提供する織物、革製品、毛糸が売られている。


(ナショジオの記事を転載)



まぁLiDAR(ライダー;リモートセンシング技術の一つ)で、ティカルの範囲が従来言われていたよりもずっと大きいことが分かったり、

ティカルの外縁部には境界線として長大な盛り土があったことが分かったりしてます。

前にも少し書いたように、古典期マヤ文明と同時期のメキシコのテオティワカン文明の戦士たちが居住したと考えられる住居群が見つかったりもしています。

ティカルはそんな新たな発見が相次いでいるマヤ文明の中心遺跡なのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ









まぁこんな感じで私も頑張って掘ってますし、

今年の春なんて、お墓も見つけたしさ!(*^・ェ・)ノ

地球の裏側で日本人考古学者が頑張って掘ってるんだから、取り上げてくれてもよくないかい?ヽ(TдT)ノ



やっぱり自分で売り込むしかないのかな?

「世界ふしぎ発見!」とか来てくれないかな?( ・Д・)







まぁ現在はコロナ禍もあるわけですが、

そもそもあまりに遠いのでお金も日数もかかるのですが、

是非、機会があれば一度は来て欲しいなと思っております(*・ω・)ノ


もし来るのであれば、ナショジオではオススメ時期が11~12月になっています。

向こうのスコールは激しいので、

乾季を狙った時期になっています。

しかもそこまで暑くない時期です!


でも私のお勧めする時期は異なります!( ・Д・)



オススメは2月!!!

まだ乾季だし、2月末でも少し暑くなり始めたかなくらいだし、

なんと言っても私が調査している!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


コメント欄とか、TwitterのDMくれれば、

調査中であれば現場見せれますよ?

というか見せます!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


現地考古学者である共同責任者はガイドの資格も有しているので、

現役のティカルを調査している考古学者2名による豪華なティカルツアーも開催できます!


料金はお気持ち程度で(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
↑ここ大事(*^・ェ・)ノ

頂いた料金は、もちろんプロジェクトの運営資金として使用させていただきます。



額にもよるけど、きっとガソリン代で消えますヽ(TдT)ノ

最寄りのフローレス市からティカルまでおよそ60kmくらいあるので、

1週間当たり1万円使うんですよ、ガソリン代(TДT)











おわりに

前にも話したことあると思いますが、小規模のプロジェクトで120万円あればとりあえずなんとかなるのです。

これまで100万円の助成金に、20万円持ち出しで何とか回してます。


当面の目標として、古典期(CE250-1000)ティカルにおける土器生産体制を解明すべく、

またティカル全体の土器の総量の算出、当時の階層制に関する検討、在地土器・搬入土器の判定による土器経済の理解を目標に頑張ってますが、

まぁやっぱり小規模な調査だと、私の人生的に時間が足りないのです。


もう1チーム追加するために、現地の調査員雇うのに月10万円くらい必要なのです。

現在は1か月程度の発掘調査期間なので、実質的に年10万円で済むのです。


助成金だけではなく、

なんとか当サイトの記事やYouTube動画で10万円稼げればなと思っております( -д-)ノ



まぁ今回の記事で言いたかったのは、、、



私ティカルで頑張ってるから、

「ナショジオ」さん、「世界ふしぎ発見!」さん、、、

同情するなら金をくれ!古いか!???( ・Д・)


【追記】
……あ、忘れてた!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

2021年1~3月も元気に調査する予定です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

調査許可申請を始めたとこなので、また確定したら記事にしますねヾ(´ω`=´ω`)ノ


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2020ねん 7がつ 4にち(どよーび、曇り)

二週間ぶりの休日を堪能した結果、仕事も何もしなかった( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「マヤ文明、水に含まれる毒で滅んだ説が浮上!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


珍しくガチで専門領域の話題ですね。

この発掘調査はすっごい昔に行われたものなのです。

なのでようやく理化学分析にかけたか……って感じです。


とりあえず紹介していきますね!(*・ω・)ノ


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↑私も何度もお世話になってるティカルレポートの地図(「Gigazine」の記事内画像より転載;明らかに論文等が引用元でしょう)



マヤ文明が崩壊した理由や、大都市ティカルが放棄された理由には諸説あります。

干ばつによる飢饉とか、戦争の激化とか、異民族の侵入とか、森林を切りすぎて農業できなくなったとか、、、

現在のマヤ考古学では『複合的な理由で滅んだ』ってことになってます。



まぁ私は『一種の逃げ』だと思ってますけどね。

他の研究者と喧嘩したくないし、どれか一つに絞るのも難しい。

だからみんな認めちゃえ!みたいな感じです( ・Д・)



私の印象ではナラティブな研究者は自分の世界に引きこもって戦わないですからね( -д-)ノ

まぁさすがにそろそろ各要因の有機的関係について整理・分析をした論文がアメリカから出てくるかなと予想しています。


さて、今回の舞台であるグアテマラの世界複合遺産、ティカルの中心部には全部で13基の貯水池があります。

今回の論文で扱ったのは、中でも本当に中心部にある大きな貯水池4基で、それらを選んで発掘、サンプリング、分析を行っています。



yarereta
↑以前コロナウィルとして使ったけど、毒だと思って!



分析結果として、有毒なシアノバクテリアのDNAや水銀が検出されました。

なので貯水池の水は飲用には適さなかったと結論付けています。




まぁこの結果自体は、「あーそーですか( ・Д・)」って感じです。

原文にしっかり当たってから批判したいのですが、昔の貯水池の調査報告読んだ記憶の下、今ぱっと思いつくのは……

それらの毒が堆積したのはいつ?( -д-)ノ

ってことですね。



ティカルの貯水池はいずれも現在干上がっていて機能していません。

また発掘調査では貯水池の底に3~5mの堆積物があって、先古典期から古典期後期まで(BCE1000-CE1000)の土器資料が層になって出てきているようです。


あれ、層位発掘できるじゃん!とか思うのですが、彼らはやってませんね。

土器編年に関する報告はありません( ・Д・)


話はそれましたが、層になってるなら毒が検出された時期がどこのタイミングなのかが分かるはずです。

一方で、中米の強いスコールによって神殿を覆っていた水銀朱から水銀が流れて貯水池に溜まったことになってますけども、それって古くから溜まり続けてないですか?って思います。

まぁ許容量を超えたのが古典期後期と言うつもりなのかも知れませんが……


シアノバクテリアが繁茂する、つまり藻類が繁茂する水を普段は飲まないけど、干ばつ時に喉が渇いて飲んで滅びたってこと?

海で遭難して、喉乾いて、ダメだと知ってて海水飲んで死んだみたいな?



とりあえず原文に当たりますけど、続報に期待ですね。

……ほんと、アメリカ人って一般受けする論文書くの得意だなって思います( ・Д・)





おわりに

さて、この手のニュースでありがちなのが、『マヤ文明滅亡の原因は……』ってやつですね。

当記事では『ティカルが放棄された理由』にしてあります。

まぁ主要都市とは言え、一都市におけるケーススタディが文明全体に適用できるわけないので、誇張が過ぎます。( ・Д・)



・・・・・・いやー、でもなんだか面白い気がしてきましたよ!

神殿造って、外壁を漆喰や朱で覆うのなんて昔からやってるわけで、貯水池には昔から流れ込んでて、それを飲んでた可能性もあるわけで……

なんでいきなり古典期後期末にダメになっちゃったの???Σ(・ω・ノ)ノ



少しだけの前進、ひとつ分かると、次の疑問がわいてくる・・・・・・


研究ってそんなもん!( ・Д・)

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2020ねん 3がつ 2にち(げつよーび、晴れ)

さて、3月か!

初っ端からオカルトちっくなテーマで飛ばしていくぜ!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡でドラクエウォークしたよ! & ティカルには謎スポットがあるよ」ってお話です(*・ω・)ノ


まずはドラクエウォークの話、次にティカルの謎スポットの話について書きます。

ドラクエウォークに興味ない人は後半から読んで下さい。

もう1枚のオカルトな画像(「古代の宇宙人」の画像)が目印です( -д-)ノ

でもなんでティカルでドラクエウォークすることが凄いことなのでしょうか?

海外だし、遠いところだから?

違いますよ!

ティカル遺跡は複合世界遺産に登録されており、考古学的な遺跡の部分だけではなく周囲の576㎢にも及ぶ巨大な密林地帯も保護されているため、基本的に現代的な建物、つまり電波塔が建てられずあらゆる電波がないからです(*・ω・)ノ



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↑ドラクエウォークした位置


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↑位置がよく分からないのでひいてみた。下に湖が見える。


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↑「Google Map」におけるティカルと湖の位置関係


ティカル国立公園でドラクエウォークしてみた結果、出てきたモンスターは?

では少しだけドラクエウォークの話を・・・・・・( -д-)ノ

上に挙げた画像のようにティカルで無事にドラクエウォークをすることができました。

海外非対応なので、一切のスポットもなく、「ティカル国立公園」や「神殿」の表示もないので正直どこだか分かりませんが、しっかりティカルの内部でプレイしましたよ!

グーグルマップと見比べると、確かにティカルでプレイしているのが分かると思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑プレイは出来ても、全然敵が出なくて泣きそうになっていると・・・・・・


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↑出た!!!!


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↑出たのはヒートギズモでした。しかも単体( -д-)ノ


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↑『ティカルのこころ』を得た!(・∀・)つ


てなわけで、昼休み中に散々待った挙句、出たのはヒートギズモ1匹のみ!

めちゃ暑い熱帯雨林に囲まれたティカルだけあって、それらしいモンスターが出現しました。

空気読んでますね!(*^・ェ・)ノ

しかも『こころ』くれたし、いい記念になりましたよ!っと、それだけです( -д-)ノ

お付き合い頂き、ありがとうございました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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『古代の宇宙人の基地』が埋まってる!?( ・Д・)ティカルにおける謎スポットについて

さて、本題に入りましょう。

初めに書いたようにティカル国立公園内には電波がありません。

ただしティカル国立公園と言っても576㎢に及ぶ広大な土地の全体を指します。

そのため近隣の村落に近い「境界部分」には電波が届く範囲もあるでしょう。

ここで述べているティカルとは広大な敷地における中心部の考古学遺跡エリアのことを指しています。

2012年頃でしょうか、確か「古代マヤの終末予言の日(?)」として世界的に有名になった『13バクトゥン』の日(約5000年にも及ぶマヤ暦が一周する日)のイベントに合わせて、現地の携帯会社であるTIGOが一時的に電波塔を設置する許可を得たことがあります。

やっぱ金があると法律を捻じ曲げて何でもできるんだなと感じた記憶があります。

電波塔の設置により、数か月はティカル全域で携帯が使えましたが、ハリケーンの襲来により電波塔が壊れてしまいました。

それ以降これまで通り、『古代マヤの森』の景観を守るためあらゆる電波塔の設置は認められておりません。

でもティカルにおいて電波のあるところがいくつかあるので紹介しますね!(*・ω・)ノ



①研究所と高級ホテル

まぁ当然と言えば当然ですが、近年ティカル内のホテルと研究所にwifiが設置されました。

皆さんが使用可能なのはホテルの方ですね。

ちなみにネットが使えるホテルは「ジャングルロッジ」です。

確か70~80ドルだったと思います。

ティカルでドラクエウォークしたい人は是非どうぞ。

ウォークはできませんけど、ホテル内をうろうろくらいはできます( -д-)ノ




②4号神殿の頂上

4号神殿の周辺は開けていないため、4号神殿自体を写真に収める人はまずいません。

なので上に挙げた写真のような4号神殿に登って撮った写真が一般的です。

背の高い白い神殿たちが緑の海から突き出していますね!(*・ω・)ノ

4号神殿はティカルの神殿の中では最も高く、およそ65mあります。

4号神殿は観光用の階段が設置されている一押しスポットなのでみんな登頂します。

この4号神殿の上では携帯が使えるのです。

これは昔からずっとそうであり、ジャングルの樹々より高いことから遥か遠方の電波塔の電波を受信できるためと考えられます。

なので、さほど不思議でもありません(*^・ェ・)ノ




③ティカル最大のミステリー(電波)スポット

ティカルには『最も古い』重要なエリアがあります。

その名も『ムンド・ペルディード(失われた世界)』です。

これはアメリカの調査隊がこの場所の風景を目にして、小説の「ロスト・ワールド」に出てくる景観と一緒だとして命名したものです。

英語表記ではそのまま「ロスト・ワールド」です。

これまでに行われた調査の結果、このムンド・ペルディードは先古典期から建設が始まったと考えられています。

ティカルにおける最初の居住はBCE1000年頃と考えられ、このムンド・ペルディード地区での建設開始はBCE400-300年頃と推定されています。


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『古代の宇宙人』的に述べるならば・・・・・・

なんとこのティカル最古のエリアの極めて限定された空間では携帯の電波が通じるというのです。

しかも亜熱帯ジャングルに囲まれた地表面レベルでです。

しかし何故そのようなことが起きるのでしょうか?

一部の「古代宇宙飛行士説」を唱える研究者には古代マヤ文明は突然として滅び、その時マヤの人々は宇宙に旅立ったと考えている者もいます。

その説では、古代マヤ文明の中心都市であったティカルはそもそも『古代の宇宙人』の来訪によってかつて「ムンド・ペルディード」が建設され、今も尚彼らの基地が地中に埋まっていると言うのです。

そのためこの最古のエリアでは極めて局所的に電波が通じるのです。

古代マヤの叡智の始まりとも言える『最古の神殿建築』の存在と、今尚科学的に証明できない『不可解な電波受信』、これが偶然と言えるでしょうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな感じですかね?

上記の内容は『主流学派(?)』は認めていませんけども、何故電波が通じるのかは不明で、論理的な説明がつかないのは事実です( -д-)ノ

実際にはムンド・ペルディードの神殿近くで受信できるのではなく、4号神殿のエリアとを繋ぐ散策路の入り口(ムンド・ペルディード側)でのみ受信できます。

本当に局所的です。

昔試した感じだと直径10~15m程度かな。

本当に何か埋まってるかも知れませんねΣ(・ω・ノ)ノ

YouTubeGT(グアテマラのYouTube)では日本語版『古代の宇宙人』が見れないので、曖昧な記憶を頼りに「古代の宇宙人風な言い回し」で書いてみましたがいかがでしたでしょうか?

気に入って頂けたら幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2020ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

3月~5月もガチ乾季に向けて、もうすでに暑くなり始めたよ。

体力奪われる~( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だんご大発見
↑ようやく見つかった!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡の一般住居址でお墓を見つけたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

王墓や貴族の墓じゃないので大したことないかも知れませんが、個人的に人生初の墓の検出なのでテンション上がりました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

さて、色々とあった第2週目ですが、成果の報告をしますね!

これまでの経過とかよく分からんよって人は是非前回の記事をまず初めにご覧ください( -д-)ノ


↓これです(*^・ェ・)ノ

↑ティカルの位置とか、ティカルにおける発掘区の位置についても説明しています(*^・ェ・)ノ


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↑発掘前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


前回掘っていたのは『L字状の建造物グループ』の西側の住居です。

今回掘ったのはより大きな北側の住居、『建造物4F-20』です。

上に挙げたように掘る前はこんな感じで何の変哲もありません( -д-)ノ


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↑表土層を剥いだ時の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


でもちょっと掘り始めただけで、長い切り石が出てきました。

しかし写真の手前側に続かず、なんでかなと思ってました。



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↑倒壊した壁が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


少し深く掘ってみると、倒壊した壁らしきものがどんどん出てきました。

最初に見えてた奥の長い切り石はやはり壁の一番下の基礎部分であることが分かりました。

でもはやり写真手前側に続かない。

倒壊した壁の一部達も写真の手前側(東側)には見当たらないので、植物といっても主に大樹の根の影響で破壊されてしまったのかなとひとまず考えていました。

最終居住面である床面もはっきりしませんからね( -д-)ノ


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↑床面の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


どんどん掘っていくと前回の住居同様に複数の床面が見えてきました。

上層の方の床面は保存状態が悪く、不明瞭でした。

特に東側は。

上の写真は2番目の床面です。

1番目の床面よりはマシですが、非常にボロボロとした薄い漆喰層です。



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↑表土層近くから出てきた動物骨たち(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


そんな折に、骨が出てきました。

古代マヤ人が食べた動物骨ですね。

しかし上の写真で1点だけ新しい綺麗な骨ありますよね?

これは牛の肋骨です。

ネズミ等の小動物が齧った痕跡があるので、けっこう深い部分まで攪乱(土が遺物ごと混ぜられてしまっている状態)が見られるのだなと思ってました。

だから、「あ~、この住居はヤラレ(攪乱のこと)がひどいから、層位資料は期待できないな~」とか思ってたら……



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↑指の骨!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


もう何も出ることもなく、最下層面である母岩面に辿り着いちゃうなヽ(TдT)ノ

って時に、骨がぽろぽろと出てきました。

しかし上の写真のように焼けているんですよ。

大体の骨がしっかりと焼けていて、すっかり炭化しているものも少なくなかったのです。

古典期(CE250-1000)のマヤ地域では土葬が一般的であり、火葬は後古典期(CE1000-1500)に一般的になるのです。

古代都市ティカルは古典期の終わりに放棄されていて、ティカルを中心とするマヤ地域中部低地の人々も次々と都市国家を放棄して南北に大移動します。

つまり後古典期のマヤ文化は時代も地域も大きく異なるです。

当然、火葬の文化の時間的位置や分布域も異なるわけです(TДT)

だから、『焼けている骨=食べるために焼いた=動物骨』って図式が頭の中にあって、動物骨の集中かなって思ってたら、、、

上の写真の通り、人の指の骨があったのです!!!(TДT)

(指の上に載せてるやつです。ちなみに一番手前の骨は歯)


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↑お墓の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
 

お墓かも知れない!!?ということになり、テンションアゲアゲで掘り進んでいったら、上の写真のような状態になりました。

上の方の茶色いのが『頭蓋骨』です(*^・ェ・)ノ

で、下の方にあるのが『捧げもの』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

いや~嬉しいものですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

最大の疑問は、なぜ古典期後期(CE500-900)に帰属する一般層マヤ人の住居に埋葬された人骨が焼けていたのか?

続く調査でおおよそ、その状況が解明されていきます。

第2週目のお墓に関する発掘の詳しい様子については下記のYouTubeに上げた動画を見て下さい。

調査5日目からが、お墓(?)の出た「建造物4F-20」に関する動画です。

↓面白そうなのはこの辺り(7日目)かな?(。・ω・)ノ゙
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↑他にも色々あるので見てみてくださいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まぁYouTubeに挙げてる動画はただの『動画による記録』なので、帰国したら編集して少しはマシな動画を作りたいな~と思っています。

カメラの能力で画質も良くないですし、回線速度の問題でアップも大変ですが、ひとまず今回はこんな感じで頑張って行きます。

調査はまだ続きますので、是非、応援よろしくお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

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2020ねん 2がつ 13にち(もくよーび、晴れ)

日本時間で日記書いてると混乱してくるので、現地時間に変更したよ( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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↑建造物4F-19、3層上面の様子(
柳田康雄氏提供
「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「2020年度ティカル遺跡発掘調査、第1週目の成果をまとめるよ」ってお話です(*・ω・)ノ

「歩け、マヤ」では既に何度か紹介したことがあると思いますが、マヤ文明で最も重要な遺跡の一つであるティカル遺跡で発掘調査を実施しています。

ティカル遺跡はグアテマラ共和国の北部、ペテン県フローレス市にあります。

ティカル遺跡は、ティカル国立公園として世界複合遺産に登録されており、世界中から大勢の観光客が訪れる著名な大遺跡の一つです(*・ω・)ノ




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↑ティカル遺跡中心部の図(Carr and Hazard 1961のTikal Mapを加工)


上の3番目の図に示したように、紫色の四角部分が2016年に調査したエリアになります。

今回の調査エリアは赤色の四角部分です。

これまでにい古代マヤの土器焼成址(窯)は発見されていないのですが、それと思しき遺構を2017年の資料調査の際に検出しました。

それが赤色四角部分のすぐ東になります。

この古代の窯と思しき遺構に最寄りの一般層住居を発掘し、窯と思しき遺構との関係性について明らかにし、当該エリアが土器工人集団の工房エリアと言えるかどうかをチェックすることが今回の調査の主要な目的となります(・∀・)つ

国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。



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↑今回の調査エリアの拡大図(Carr and Hazard 1961の図を加工)


調査エリアの名称は『4F』です。

上に挙げた図がエリア4Fの拡大図になります。

「Op.~(オペレーション・ナンバー)」は窯と思しき遺構群の位置で、特にOp.14が重要な遺構になります。

このOp.14に近い住居として、青色の網掛け部分を調査対象にしています。

今回の調査対象である建造物グループは2つの建造物から成り、西側が建造物4F-19、北側が建造物4F-20になります。

調査第1週目はこの内の、『建造物4F-19』を対象に発掘を実施しました(*^・ェ・)ノ



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↑調査開始前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


調査開始前はこんな感じです。

ティカル国立公園で最も高級なホテルの裏手の従業員宿舎の更に裏に位置しています。

ホテルの拡大は禁止なのですが、実際には拡張しちゃってるので、いずれこの住居も無くなりそうですね( -д-)ノ



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↑石の列が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


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↑横から撮ってみました(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


地表面の土をどかしていくとすぐに石の列が出てきました。

2枚目の横から撮った写真が分かり易いのですが、一番左の一列は綺麗に直線的に並んでますよね。

それが住居の壁の一番下の切り石に当たります。

それより右にあるのは全て元々壁として上に積んであったもので、右側に倒壊した状態になっています(*^・ェ・)ノ



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↑倒れた壁をどかした状態(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


一番下の礎石だけを残して、倒壊した壁を取り除きました。

そうすると上の写真のように一面真っ白になりました。

これが『床面』です。

漆喰でコーティングされているので白いのです。

これが最終居住面になり、出土した遺物から古典期後期(ac.CE500-800)から終末期(ac.CE800-1000)頃に使用されたものと考えられます


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↑(「歩け、マヤ」管理人、撮影)

どんどん掘っていくと2番目の床、3番目の床が出てきました。

上の写真の左側、壁の礎石の下側に階段状に、帯状に残してあるのがそれぞれの床面です。

第1週目ではこの先も掘り進めて、母岩である石灰岩層まで到達しています。


【簡単なまとめ】

第1週目の成果は、

① 3回の床面の張替えを行っていることが分かった。

② 建造物4F-19における居住時期は全体的に古典期後期(CE500-800)だと分かった。

以上の2点です。

遺物の分析が進めば、土器焼成址(窯)との関係も分かるかも知れませんが、残念ながらこれまでのところ分かり易い明瞭な土器生産の証拠は見つかっていませんヽ(TдT)ノ


↓動画もアップして解説してますので、ぽちっとチャンネル登録と共に是非視聴してみて下さい。











・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一番下の動画、「くるくるシリーズ」は現地の人には大好評だったのですが、、、

実は『リコーシータV』がエラー起こして使えなくなりました。

よくあること(!?)らしく、問い合わせたところ、交換しないとダメらしいんですよねヽ(TдT)ノ

悲しいけど仕方ないので、また次の調査で「くるくるシリーズ」やりたいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ

ネット環境があまり良くないのでアップも難しいのですが、何とか頑張ります。

どうか下のボタン(赤色のYouTube)をぽちっとしてチャンネル登録お願い致します(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、曇り)

足の裏の痛みが抜けません( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

集合写真①
↑調査メンバーですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


今回の考古学・歴史ニュースは「2020年、ティカル調査を始めたよ!&チャンネル登録してね!」ってお話です(*・ω・)ノ


昨日調査開始しまして、本日二日目も終了しているのですが、やや遅れながら調査速報をお届けしたいなと思います。

ところで、、、

以前にもお話していた通りYouTuberになりますわ!( ・Д・)

元々家族・友人に調査している遺跡や国のことをビデオで教えようかなと思ってたのがきっかけなのです。

しかしながら調査の記録の一環として動画撮影を行っているのでそれをYouTubeにアップすることにしました。



↑調査区の周辺環境の説明①です(*・ω・)ノ



↑調査区の周辺環境の説明②です(*・ω・)ノ



↑調査区を設定しました!(*・ω・)ノ



↑発掘始めたよ!(*・ω・)ノ


本来は編集とか必要なのでしょうが、回線速度の問題もあって今回上げるような1分程度の動画でもめちゃくちゃ時間かかるんですよヽ(TдT)ノ

なのでちゃんと編集したダイジェスト版は日本に帰ってからになると思います。

どれも短い動画ですので、気軽に見て頂ければなと思ってます。

あと……私滑舌悪いですし、緊張と恥ずかしさで声出てませんがご了承ください。

滑舌以外は、その内慣れるのではないかと思います( -д-)ノ


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↑ティカルの敷地内にある雨季に現れる川と橋、今は枯れてます。


収益は調査・研究資金になりますヾ(´ω`=´ω`)ノ

まぁ収益化なんてできるのかも分かりませんが、一応チャンネル登録をお願いしたく思います。

大きく稼げれば調査・研究資金として使用できます(*・ω・)ノ

小さくとも、例えば100円~200円でも現地スタッフにコーラ買ってあげることくらいはできます。

現地の人にとってはジュースも高級品ですのでね(*^・ェ・)ノ

ちなみにグアテマラの平均月収は3万円程度です。

実際には仕事を探している人で溢れていますし、年中働ける人はそんなに多くありません。

まぁ基本的な調査資金は科研費等で賄うとして、プラス8万円程度あれば調査員を2人雇って調査範囲が2倍になります。

遺物の出土量も2倍になりますので調査期間が伸びて、私の仕事量も2倍になりますけど、

研究活動の広報を兼ねつつ、収益を研究助成金のように使えれば一石二鳥!( ・Д・)

だなと甘く考えております。

どうぞご支援宜しくお願い致します(*・ω・)ノ

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2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、晴れ)

YouTuberになれるよう、色々動画撮りますね。

編集できるか不明だけどね( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明の中心地、ティカル遺跡で新たな大きな発見があったよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

私も昨日聞いたばかりの話なので、きっとまだ日本には伝わってないかなと思います。

ということで、本邦初公開!

ティカル遺跡で、テオティワカン様式建造物群が見つかりました!

説明なしでは全然、凄さが伝わらないので簡単に説明していきます(*^・ェ・)ノ


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↑ティカルの位置(「グーグルマップ」より一部加工)


古代マヤ文明とティカル遺跡

ティカル遺跡と言えば、古典期マヤ(CE250~1000)を代表する一大遺跡です。

古代マヤ文明を語る上で欠かせない中心的な存在です。

上の図は「ティカルの位置」と検索した時に出たグーグルマップです。

何故かティカルがたくさんあるのですが、、、

丸で囲んだ箇所が正確なティカル遺跡の位置になります。

一方で四角で囲んだ部分がマヤ文明のエリアになります。

ざっくり言えば、マヤ文明とは『マヤ諸語』を扱う人々がかつて築いた文明です。





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テオティワカン文明と「テオティワカンの影響」

一方でテオティワカン文明とは、メキシコ中央源のテオティワカンを中心とした文明です。

帰属遺跡としてはテオティワカンだけが突出して有名ですね。

上に挙げた地図で分かるように、先ほどのマヤ文明がユカタン半島に広がっていたのに対して、テオティワカンは遥か北西方向にあります。

このテオティワカン文明は正確には何語を話していたかは不明なのですが、古代メキシコ文化に属する文明です。

つまりマヤ人とは使用する言語が異なる、異言語集団の文明なのです。

地図で見て分かるようにテオティワカンとマヤ地域は非常に離れています。

例えばティカルの距離は直線距離でおよそ1000km程度離れていて非常に遠いのです。

それにも関わらず古典期前期後半(CE350~500)頃にはマヤ地域にて広くテオティワカン文明に由来する遺物・遺構がたくさん見られます。

これを『テオティワカンの影響』と呼んでいます。


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↑ティカルの5号神殿


今回の発見について

この「テオティワカンの影響」の原因はテオティワカン人によるマヤ地域の征服ではないかと碑文学研究等で言われてきました。

しかしテオティワカン人がマヤ地域に居住した明確な証拠は現在までに発見されていなかったのです。

最近の小型航空機等を使ったレーザー測量技術の発達により、森林で覆われているマヤ地域の高精度マッピングが可能になっています。

そのデータを活かして新たに発見されティカルの5号神殿の裏手の居住区を発掘したところ、テオティワカン様式の建造物、及び4つの墓を発見したそうです!

ティカルとテオティワカンの関係が今後より詳細に分かるかも知れませんね!



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↑最新の技術によるティカルのマッピング


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今でも私は地道にトータルステーションで測量調査してますけどね。

時代はどんどん移り行き、考古学もどんどん変わっていくなと感じる今日この頃です。

私の主要研究テーマに直結するのでまた進展がありましたら報告しますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓私の調査の成功も願いたい!(*^・ェ・)ノ↓

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