にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ

あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:テオティワカン

2025ねん 5がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

眠りが浅い!今度こそ酒やめる!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


テオとティカル、サムネ

↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!②( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回からめちゃくちゃ時間あきましたね、ごめんなさい。

そうこうしている内に、今回話題にしているニュースに続報がありました!

そのことも踏まえて今回は色々と”突っついて”いこうと思います( -д-)ノ



↓前回の記事



↑続報の参考元記事


②とりあえず発見されたものについて説明してみる





新しい記事の方には上に挙げた復元図が載っていました。

中南米のモチーフって似通って見えると思うのでちょっと分からないかも知れませんが、専門家らするとこれは明らかにテオティワカン様式のモチーフです。

そしてタルータブレロ建築の建造物(祭壇と言っている)もテオティワカン様式ですね。

この祭壇(?)の下から2体の人骨が見つかり、更に祭壇(?)周辺からは3体の幼児の人骨が見つかったそうです。



計5体の人骨ですが、これがテオティワカン人のものなのかどうかはDNA分析などが必要になってきますので結果が出るまでには時間がかかりそうです。

マヤ地域は石灰岩台地ですし、更に漆喰を使って床面を形成するし、重層建築だから幾層も床面作るので、人骨は浸食から守られて残存しやすいのです。

なのでマヤ地域における人骨資料は多いです。




ただ昔の探検時代や植民地考古学時代に見つかった資料が多いため、DNA分析できる状態で保管されているかは謎ですね。

他方でテオティワカンの方は後世の盗掘被害が激しく、人骨はほとんど残っていません。

こうした状況下で今回発見された人骨からDNAデータを抽出できたとして、マヤ人かテオティワカン人かを高レベルで判別可能かどうかはちょっと分かりません。



ちなみに378年1月31日にシャフ・カック(テオティワカンの将軍?)がティカルに「到着」し、同日にティカル王朝第14第王チャク・トク・イチャーク1世が「水に入る」(死亡)します。

その後テオティワカン様式の装束で即位するヤシュ・ヌーン・アイーン1世と続くシャフ・チャン・カウィール2世の埋葬遺構だけが殉葬を伴います。

殉葬とは高貴な人が死んだ際に、家来や付き人といった関係者、あるいは生贄として他人?を葬る行為です。

この殉葬はテオティワカンの文化であって、マヤには見られません。

明らかにテオティワカンによって征服されて(どのような社会変化であったのかは詳細不明)テオティワカン文化を受け入れた限られた期間のみティカルに出現するものです。



なので今回の祭壇(?)の周りで3体の幼児の骨が見つかったそうですが、これが殉葬なのかどうかは分からないものの、そのような見方はされているようです。

まぁ一気に三人もの幼児が一斉に死ぬとは考えにくいですからね( -д-)ノ




③で、祭壇なの!?


記事ではずっと祭壇って書いてるんですよね。

私はずっと祭壇(?)って書いてるんですけども、気付きました?



テオティワカンにおいてこうしたタルータブレロ建築様式が見られる建造物のほとんどが建造物基壇です。

なので上部に有機物製の建物があったのだと思われます。

なので大きいです!




他方で確かに小さいものも僅かにですが事例があるんですよね。

ちなみにティカルにもムンド・ペルディード地区に1基あります。

サイズは確かにこんな感じに小さいものですが、、、

儀礼を行う場なので『背が低くて』、『階段が付いてて』上に登れるようになってるんですよね。


それに比べて、今回発見されたこれは背が高過ぎでしょう。

乗れんもん・・・ロイター板欲しいレベルです( -д-)ノ



マヤはステラ-アルター信仰という石碑と祭壇をセットにした建立物が北のアクロポリスを代表として様々な神殿の前で見られます。

でもその場合のアルター、つまり円形祭壇は背が低いですよ。

捧げ物を載せたりするのでしょうから、背が高いと困りますよね。




・・・だから、これほんとに祭壇って言っていいのか私には分かりません。

祭壇の定義を教えてくれ!( ・Д・)

まぁ階段もないし、基壇にするには小さ過ぎるので、考古学者がお得意の『儀礼的な行為に使ったもの』から派生して祭壇って言ってるんだろうな~て気持ちです( -д-)ノ




④てか、壊し過ぎじゃね?

先ほど挙げた写真と比べてみてください。

ぼろぼろですね!( ・Д・)



宝探し大好きだから、祭壇(?)の下も掘って、埋葬遺構見つけたんだから、まぁ多少は仕方ない。

が、、、

こんなに複数の面壊す必要ある???




1面でいいでしょうよ。



あとでも話しますけれど、漆喰の上塗りが薄いんですよね。

その辺、テオティワカンっぽい。

だからこそ保存には気を付けなきゃなのに、、、



たぶん長期調査の中でバリバリに剥げたんだと思います。

祭壇(?)下部のタルー部(斜壁部)は石の積み方がテオティワカン的かどうかとか、古代コンクリの痕跡があるかどうかを見るために一部は漆喰を取らざるを得ないけれど、、、

やっぱ剥げ過ぎやろ!( ・Д・)



……でもまぁもし自分で発見して、且つ、調査期間が長い場合はどうしようか悩みますね。

まぁとりあえず保存科学の人に方法訊いて、発掘に関係ない3面を決めて埋めると思う(*^・ェ・)ノ





④結局、テオティワカンとの関係ってどんな感じなのか?

とりあえず記事に書いてあることを抜き出してコメント付けておきますね。

赤字は私の着目点!


【第1報】

これは、(マヤの)人々がテオティワカン文明に精通していた可能性があることを示す、これまでで最も強力な証拠だ。


⇒「精通していた」って、、、マヤ人がタルー・タブレロ様式の祭壇造って、テオティワカン様式のモチーフ描いたって意味???( ・Д・)


⇒「最も強力な証拠」、まぁ意見は尊重しよう……『統計学が最強の学問』みたいな感じ?( ・Д・)

そういうよく分らん本が出ているのです、読んでないけどw

みなさん、『最強』がお好きなようで( ・Д・)

ほんと、『強い』の定義を教えてくれ!




鮮やかな装飾と不気味な内容物が、当時の複雑な政治情勢を解き明かす手がかりとなる可能性がある。


⇒『複雑』って言えば何とかなるって思うなよ!( ・Д・)




しかし考古学者は、祭壇に装飾を施したのはマヤ人ではないとみている。装飾は、現在のメキシコ市近郊に位置し、当時強大な影響力を及ぼしていたテオティワカンの町で訓練を受けた芸術家によるものと考えられるという。テオティワカンはティカルから約1000キロ離れている。


⇒これは難しい!( -д-)ノ


考古学的に難しい!




一番簡単なのは『ティカル人?(マヤ人でもいいけど)がテキトーに模倣して作った場合』!


これは見た目だけ似てて技術が異なるから!


情報量の少なさなどの条件から、見た目すらもテキトーになることもあるのでイージー!





次は『テオティワカン人が直接やってきて作った場合』!


だって技術同じになるもの!


それでも材料が同じものを揃えられるとは限らないのでやや難しいが、それでも他よりイージー!




で、最悪なのが『マヤ人が現地で学習してきて作った場合』!(ほんとはもっと細かくパターン分けできます)。


遺物だと動かせてしまうからより複雑になるんだけれど、今回は遺構だから動かないのでまだマシです。


だけど、、、はっきり言ってこれらの区別をするのは難しい!





今回はテオティワカン人(少なくとも現地学習した人、人を断定してない辺りがずるっこいがマヤ人ではないと言っている)が造ったらしいですね。


イージーパターン!


私の研究だと、テオティワカンの影響下でティカルには土器工人を含む大規模人口の移動はなかったことになってるんだけど、


まぁテオティワカン人エリートが移住する際にお抱え芸術家が一人付いてきてもおかしくないか( ・Д・)



まぁ写真見た感じだけでも、薄い漆喰に淡い色彩とテオティワカンモチーフだから、テオティワカン人?が施した装飾と考えるのは当然かなと思います。






あとは、、、

テオティワカンの裕福な指導者たちがティカルにやって来て、彼らの本拠地である町にあったであろう祭儀の複製を製造した



⇒まぁ前者はいいとして、『指導者』は気になるけども!


祭壇を造ったのはマヤ人ぽい気がするんですけどね。


建造物自体が小さいから判断が難しいけれども、漆喰が剥がれたところを見た限り、石材の組み方がタルー・タブレロと異なる気がします。


タブレロ部の内部構造がほとんど確認できないけれど、角しか見えないけど、違う気がする!


あと古代セメントの痕跡がない気がする・・・・・


だからティカル人が形だけ聞いて建築したんじゃないかなって気がします。


こればかりは報告書読まないとしっかりと判断できません( -д-)ノ






最後に、


今回の発見は、ただの軽い接触や交易だけではなく、好戦的な勢力が地元の王宮の近くに飛び地を築いていたことと関係していたことを裏付けるものだという。




⇒『飛び地』っ「テオティワカンの影響」に関する研究でよく使うんだけれども、ティカルとか都市自体が橋頭堡的に使われて『飛び地』って解釈するのは理解できるんだけれども、


個別の建造物、住居に対して飛び地っていうのはどうなのかなって思いますね~。


「好戦的」って表現もよくわからない。

何を根拠にそんな解釈してるのかほんとに謎です( ・Д・)









おわりに

長くなったな~、時間もかかったな~ヽ(TдT)ノ


さて、今回はなんだかんだ避けがちなマヤ文明ネタでした。

悪口祭りになるからね( ・Д・)

まぁでもこれだけ専門ど真ん中では避けては通れないでしょう!

今後も続報があればコメント入れていきますね、激辛なのを( -д-)ノ




最近たくさん新たな大きな考古学的発見が相次いでいて、記事にしたら面白そうなんだけど、時間ないんですよね~。

Xには書いてるんですけど、強制最低時給200日連勤チャレンジ中なんですよね。

まぁどのみち、更新速度はばか遅いんですけど、ぼちぼち頑張っていきます!



何はともあれ、

人生、金も時間も大事!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓祝!登録者数1000人突破!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2025ねん 4がつ 14にち(げつよーび、雨)

アルコールとコーヒーの飲み過ぎで脱水症状出て、起き抜けに上半身つって死ぬほど痛かった!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


テオとティカル、サムネ

↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


いつもは同じ考古学分野とは言え、時期・地域的に専門外だから書きにくいな~て思っていますが、

今日は専門ど真ん中ですね。

ど真ん中だと、悪口ばっかになる気がするので、結局書きにくいんですけど・・・

心を鬼にして(?)何も気にせず、自由に書きなぐりたいと思います( -д-)ノ



arukemaya_z047


1.「証拠」がおかしい!


今回の記事はAFP BB Newsのものを使用しています。

英語版はこちら



日本語への翻訳がダメダメなのかと思いきや、元の英文がもうダメなので、取材した人物がスペイン語に不慣れなのか、グアテマラ人考古学者が英語が不慣れなのかかな。

あるいは、、、というか、取材した人物がマヤ考古学を全く知らないってのが実際のところでしょう( ・Д・)

ほんと、ツッコミどころが多過ぎてどうしてくれようか悩むレベルなんですけども、、、



まず記事のタイトルが、

マヤ遺跡でテオティワカンの祭壇 両文明のつながり示す「証拠」

なんですよね。



これくらいでキレ散らかしてる自分もどうかとは思うんですけれど、

”「証拠」”って強調するのは良くないです。

まぁインパクト取るために「最古!」「最大!」って言っちゃうノリだとは思うんですけどね。



問題① そもそもマヤとテオティワカンのつながりは遅くとも1960年代くらいから自明

これ、昨日今日分かった話じゃないんですよね。

所謂「テオティワカンの影響」っていう古典期前期マヤ遺跡の物質文化面にみられる現象です。

これだけでもいくらでも書ける気がする、書かんけど( ・Д・)




問題②? てかこの発見、3年前くらいでない?

たぶん、私のティカルでの調査研究報告の記事のとこで、本件については問題にならない程度に軽く触れてるんですよね。

まぁ内部情報だったので私は漏らしてないですけども。 

公開までけっこう時間かかるもんですね、よく知らんけど( ・Д・)



問題③ 証拠という言葉は日常語?

これね、言語の問題だと思うのだけれど、スぺイン語で証拠=Evidenciaは良く使うのよ。

めちゃくちゃ普通に使う!

だって、考古学データって全部物的証拠だもの!( ・Д・)

(状況証拠もあるか( -д-)ノ)




日本人は慎ましいので、証拠は使わないですよね、あまり。

まぁ一部の宣伝大好きな研究者もどきは置いておくとして……


日本人ならば、「これこれの遺物が出土したことを踏まえると~と解釈できると思います」とか「~と考えられます」なんて遠慮がちに話すのよね、普通。


日本語の特徴なのか、日本人の気質なのか、証拠って強い言葉な気がするから多用することはない、、、と思う、私は。



でもグアテマラでは日常的に使うのよ。

私も現場出てれば一日10~20回くらい使うと思う。

「a la mierda !」「a la gran p… !」の次くらいに使う!(汚い言葉なのでいい子は真似しないでね( ・Д・))



でもニュアンス的には全然強くなくて、たくさんある証拠の内のひとつだよね~くらいの特に意識してないレベルで使ってます。

少なくとも私の周りの研究者や調査員はね。

みんな、ティカル関係者だけれども。




だから「証拠」みたいに鍵括弧まで付けて強調するのはダメ。

ドラッグといじめの次くらいにダメ、絶対!( ・Д・)



だって、なんか物凄い発見したみたいに感じる。



ちなみに元の英語記事では、タイトルにevidenceって使ってないし、文中でも強調していない。

この点に関しては明らかに翻訳者が戦犯ですね( ・Д・)



↓こんなのも書いたね~( ・Д・)



おわりに

あれ、1. しか書いてないのに文量増えたし、悪口しか書いてないし、、、

普段なら『今後の発見/成果に期待ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!』とか、書いてるのに、、、

専門ど真ん中となった途端これだぜ( ・Д・)



元の英語記事読み返してみたけれど、プロジェクト指揮してる現地考古学者も、取材した記者もまともそうな気がしてきた。

言葉使い的にはね。

けど、調査としては問題ありかな~って気がする。

次回は僅かな写真を頼りに叩いていくことになるのか、、、性格悪くなりそう( ・Д・)



あ、良かったら上の記事読んでみてくださいね、

テオティワカンとマヤの関係について書いてるから!



何はともあれ、

元気に生きたい!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓祝!登録者数1000人突破!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2023ねん 2がつ 19にち(にちよーび、晴れ)

今日はもう春!(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1768
↑マヤとテオティワカンって遠い、1000km離れてる!( ・Д・)(「Google Map」の画像を一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースは「マヤとテオティワカンってどんな関係?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はグアテマラ、北部ペテン県にあるティカルと、前回説明したメキシコ、メキシコシティからやや北に位置するテオティワカンです。

両方ともメソアメリカ文化領域の遺跡ですが、ティカルはマヤ文明、テオティワカンはテオティワカン文明に帰属します。

上に挙げた地図で分かるように両者は直線距離でも約1000kmも離れています。




このシリーズの第1回「マヤの話」の中でも書いたように、旧大陸文明は独自に発展したというイメージが付いて回りますが、実際には様々な文明が興亡し相互に関係し合っていました。

マヤとテオティワカンもそうした相互関係にあった事例のひとつなのです。



↓以前の記事はこちらヾ(´ω`=´ω`)ノ


↑以前の記事はこちら(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



arukemaya1764
↑テオティワカンのタルー・タブレロ様式建造物(あるけまや管理人撮影)


arukemaya1769
↑テオティワカンの三足円筒土器(Griffith 2018の発表画像より転載)


arukemaya1770





マヤ文明に与えた「テオティワカンの影響」

前回の「テオティワカンの話」のところでも少し書きましたが、、、

テオティワカンは古代メキシコ文化のひとつですから土器や建築などの物質文化要素に独自の特徴があるわけです。

そうしたテオティワカン的特徴をもつ遺物・遺構、つまりテオティワカン様式遺物・遺構が異文化であるマヤ地域において広く見られるようになる(出土する)現象を「テオティワカンの影響」と呼んでいます。




この「テオティワカンの影響」の指標となる遺物・遺構の代表例は上に挙げた写真のものになります。

つまりタルー・タブレロ様式建造物、三足円筒土器、蓋付き高台付き碗、シアタータイプ土器です。

(『蓋付き高台付き碗』って碗に色々付いてるなっていう長い名前なんですけど「おわりに」で少し触れますね)

少々細かいですが他にも、メキシコ的なモチーフ、三足形態と浅スタンプ文、土器器面への単位文配置、焼成後漆喰画技法、エメラルドグリーン色塗料などけっこうたくさんのテオティワカン要素がマヤ地域で見られるようになります。



arukemaya1774





テオティワカン-マヤ VS 純粋なマヤ?

では何故1000kmも離れた異文化であるテオティワカンの要素がマヤ地域に現れるのでしょうか?

実は、マヤ地域は当時最大の都市であったテオティワカンに侵略を受けて支配されてしまった、という説があります。

マヤ地域がテオティワカンによって支配された/されていないという両説は常にあって、振り子のようにどちらかの説が有力な時期が行き来するような状況にあります。

現在はどちらかというと支配されていた説が強いと思っています。

かく言う私も支配されていた説を指示しています(一部のアッパークラスの入れ替えのみであった説を唱えています)。




この「テオティワカンの影響」について語る際に絶対に外せないのがティカルです。

マヤ地域の一大中心地であったティカルがテオティワカンの支配を受けることで、その後『影響』がマヤ地域に広がっていくことになるのです。




ここで碑文学成果としてサイモン・マーティンらによる著名な研究を紹介することにします。

伝統的な学説として、マヤ地域は個別の都市国家が林立したとする説と、有力国家を中心とする広域国家であったとする説があります。

一方で彼らの説ではマヤ地域は王の神聖性に基づく緩い統合状態であった、つまり従来の2説の中間をいく説明をしています。




マヤ地域は元々都市国家が林立する状態でした。

378年にテオティワカンの軍隊が遠征してきてティカルを征服し当時の王を殺害、メキシコ系の王を擁立して新王朝を打ち立てます。

その後、ティカルを始点として周辺の首長レベル集団あるいは初期国家レベル集団に遠征し、各地に新王を擁立していきます。

結果として新たなメキシコ系ティカル王を頂点とした王朝間の連携、ティカルを宗主国とする都市国家同盟のような連携が誕生します。

他方で別の一大都市国家であったカラクムルも都市国家同盟のような周辺集団との連携を図り、ティカル同盟との長きにわたる対立・武力抗争を行っていくことになります。



マヤ文明史とテオティワカンの関係は簡単に述べるとこんな感じです。

私見ではありますが、ティカル同盟の方はテオティワカンの力を背景にしたテオティワカン-マヤのような血統集団で、カラクムル同盟の方は純粋なマヤ系集団だったのかなと考えています。

この辺は今やってる研究のずっと後に向かい合うものなので、証明はライフワークになりそうです( -д-)ノ




ちなみに上に挙げた土器と下に挙げた土器は、マヤ地域で出土する三足円筒土器の典型例です。

先に挙げたテオティワカンの三足円筒土器とはなんだか違いますよね?

マヤ地域で見られるものの方が縦長で直線的で、蓋が付いてて、蓋の取っ手部に人物などを模した造形があります。




これはテオティワカン産とマヤ産の土器の簡単な見分け方なので、是非博物館展示の際に着目してみてください。

ちなみにこうした『マヤ的なテオティワカン様式』の遺物・遺構がティカル周辺域には多いこと、もっと南の南部高地域などでは様相が異なり『Theテオティワカン!』の遺物・遺構が多いことを根拠に、私はマヤ地域の中でもティカル及び周辺域では土器工人を伴うようなテオティワカン系人口の大量流入はなく、王を含む支配層の一部が入れ替わったのみであると考えています。






おわりに 『蓋付き高台付き碗』って?

さて、最後に『蓋付き高台付き碗』という長ったらしい名前の土器について簡単に説明しますね。

実はこれ私が付けた名前です。

あくまで仮なんですけどね・・・




まずは高台についてなんですけど、これは現代のお茶碗の底に付いている環状の少し高さを出すような部位の名称です。

この高台は元々マヤ地域には見られないものだったのです。

テオティワカンの方にはあって、それがマヤ地域にもたらされたと考えられています。




ちなみにオリジナルであるテオティワカンの方の高台は高く、マヤ地域のものは低い傾向にあります。

それでおおよその見分けが付くので『古代メキシコ展』で両者の土器を見た際には着目してみてください。



あと、「碗」って表現してますが、これも実は微妙なのです。

マヤ地域の研究での一般的な形式分類で「浅皿(plate)」「深皿(dish)」「碗(bowl)」というのがあります。

口径と器高の比率で機械的に分けているものです。

テオティワカンの高台付き”土器”は深皿形のものですが、マヤ地域の高台付き”土器”は深皿形が多数派としつつ碗形もあるのです。




それなら「深皿」と呼べよ!って思うかもしれませんが、、、

この時期のマヤの”高台が付きそうな形状の土器”は鍔付き(flange;また『付き』が出てきた)である事例が含まれ、時期の変遷を見る上でこの鍔の位置が重要なのです。

ちなみに位置はどんどん下がっていきます。

鍔の位置に着目すると「テオティワカンの影響」の時期は碗が主流で、次時期に深皿形に変わっていきます。

なのでこの時期は『碗の方が都合がいい』のです( -д-)ノ




さあ最後に「蓋付き」ですが、、、

実は蓋付き&高台付き碗はマヤ地域でしか出土しません。

テオティワカンの高台付き碗(本当は深皿形で正式な名称は薄手オレンジ色土器)は蓋を伴わないのです。




つまりマヤの人々としては土器に『土製の蓋があること』が『異文化っぽい / 異国情緒感じる』ということだったのか、オリジナルを知らないのか、分かりませんが、、、

古典期前期後半(CE350-550)の時期はマヤ人は蓋付けたがりだったのです( -д-)ノ




こういった状況があって、長ったらしい例のあの名前、「蓋付き高台付き碗」という名前を当てていました。

この土器群には先ほど出てきた「鍔付き」のものとそうでないものがあるということになります。




部位に着目すると地域性や時期の指標になるので面白いですし、展示資料を見てて見方も変わると思うので是非試してみてくださいね!



そう言えば展示会も楽しみだけど、、、

インディジョーンズ新作6月末公開!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、晴れ)

YouTuberになれるよう、色々動画撮りますね。

編集できるか不明だけどね( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya711


今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明の中心地、ティカル遺跡で新たな大きな発見があったよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

私も昨日聞いたばかりの話なので、きっとまだ日本には伝わってないかなと思います。

ということで、本邦初公開!

ティカル遺跡で、テオティワカン様式建造物群が見つかりました!

説明なしでは全然、凄さが伝わらないので簡単に説明していきます(*^・ェ・)ノ


arukemaya710
↑ティカルの位置(「グーグルマップ」より一部加工)


古代マヤ文明とティカル遺跡

ティカル遺跡と言えば、古典期マヤ(CE250~1000)を代表する一大遺跡です。

古代マヤ文明を語る上で欠かせない中心的な存在です。

上の図は「ティカルの位置」と検索した時に出たグーグルマップです。

何故かティカルがたくさんあるのですが、、、

丸で囲んだ箇所が正確なティカル遺跡の位置になります。

一方で四角で囲んだ部分がマヤ文明のエリアになります。

ざっくり言えば、マヤ文明とは『マヤ諸語』を扱う人々がかつて築いた文明です。





arukemaya713


テオティワカン文明と「テオティワカンの影響」

一方でテオティワカン文明とは、メキシコ中央源のテオティワカンを中心とした文明です。

帰属遺跡としてはテオティワカンだけが突出して有名ですね。

上に挙げた地図で分かるように、先ほどのマヤ文明がユカタン半島に広がっていたのに対して、テオティワカンは遥か北西方向にあります。

このテオティワカン文明は正確には何語を話していたかは不明なのですが、古代メキシコ文化に属する文明です。

つまりマヤ人とは使用する言語が異なる、異言語集団の文明なのです。

地図で見て分かるようにテオティワカンとマヤ地域は非常に離れています。

例えばティカルの距離は直線距離でおよそ1000km程度離れていて非常に遠いのです。

それにも関わらず古典期前期後半(CE350~500)頃にはマヤ地域にて広くテオティワカン文明に由来する遺物・遺構がたくさん見られます。

これを『テオティワカンの影響』と呼んでいます。


arukemaya714
↑ティカルの5号神殿


今回の発見について

この「テオティワカンの影響」の原因はテオティワカン人によるマヤ地域の征服ではないかと碑文学研究等で言われてきました。

しかしテオティワカン人がマヤ地域に居住した明確な証拠は現在までに発見されていなかったのです。

最近の小型航空機等を使ったレーザー測量技術の発達により、森林で覆われているマヤ地域の高精度マッピングが可能になっています。

そのデータを活かして新たに発見されティカルの5号神殿の裏手の居住区を発掘したところ、テオティワカン様式の建造物、及び4つの墓を発見したそうです!

ティカルとテオティワカンの関係が今後より詳細に分かるかも知れませんね!



arukemaya715
↑最新の技術によるティカルのマッピング


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今でも私は地道にトータルステーションで測量調査してますけどね。

時代はどんどん移り行き、考古学もどんどん変わっていくなと感じる今日この頃です。

私の主要研究テーマに直結するのでまた進展がありましたら報告しますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓私の調査の成功も願いたい!(*^・ェ・)ノ↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ