眠りが浅い!今度こそ酒やめる!( ・Д・)

↑なんか頑張ってるね( ・Д・)(「AFP BB News」の記事内画像より転載;credit: AFP PHOTO / GUATEMALAN MINISTRY OF CULTURE AND SPORT / HANDOUT)
③で、祭壇なの!?
鮮やかな装飾と不気味な内容物が、当時の複雑な政治情勢を解き明かす手がかりとなる可能性がある。
⇒『複雑』って言えば何とかなるって思うなよ!( ・Д・)
しかし考古学者は、祭壇に装飾を施したのはマヤ人ではないとみている。装飾は、現在のメキシコ市近郊に位置し、当時強大な影響力を及ぼしていたテオティワカンの町で訓練を受けた芸術家によるものと考えられるという。テオティワカンはティカルから約1000キロ離れている。
⇒これは難しい!( -д-)ノ
考古学的に難しい!
一番簡単なのは『ティカル人?(マヤ人でもいいけど)がテキトーに模倣して作った場合』!
これは見た目だけ似てて技術が異なるから!
情報量の少なさなどの条件から、見た目すらもテキトーになることもあるのでイージー!
次は『テオティワカン人が直接やってきて作った場合』!
だって技術同じになるもの!
それでも材料が同じものを揃えられるとは限らないのでやや難しいが、それでも他よりイージー!
遺物だと動かせてしまうからより複雑になるんだけれど、今回は遺構だから動かないのでまだマシです。
だけど、、、はっきり言ってこれらの区別をするのは難しい!
今回はテオティワカン人(少なくとも現地学習した人、人を断定してない辺りがずるっこいがマヤ人ではないと言っている)が造ったらしいですね。
イージーパターン!
私の研究だと、テオティワカンの影響下でティカルには土器工人を含む大規模人口の移動はなかったことになってるんだけど、
まぁテオティワカン人エリートが移住する際にお抱え芸術家が一人付いてきてもおかしくないか( ・Д・)
まぁ写真見た感じだけでも、薄い漆喰に淡い色彩とテオティワカンモチーフだから、テオティワカン人?が施した装飾と考えるのは当然かなと思います。
テオティワカンの裕福な指導者たちがティカルにやって来て、彼らの本拠地である町にあったであろう祭儀の複製を製造した
⇒まぁ前者はいいとして、『指導者』は気になるけども!
祭壇を造ったのはマヤ人ぽい気がするんですけどね。
建造物自体が小さいから判断が難しいけれども、漆喰が剥がれたところを見た限り、石材の組み方がタルー・タブレロと異なる気がします。
タブレロ部の内部構造がほとんど確認できないけれど、角しか見えないけど、違う気がする!
あと古代セメントの痕跡がない気がする・・・・・
だからティカル人が形だけ聞いて建築したんじゃないかなって気がします。
こればかりは報告書読まないとしっかりと判断できません( -д-)ノ
最後に、
今回の発見は、ただの軽い接触や交易だけではなく、好戦的な勢力が地元の王宮の近くに飛び地を築いていたことと関係していたことを裏付けるものだという。

↑ほら最初は綺麗!( ・Д・)(「AFP BB News」の記事内画像より転載;credit: AFP PHOTO / GUATEMALAN MINISTRY OF CULTURE AND SPORT / HANDOUT)
人生、金も時間も大事!( ・Д・)