あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    ニュース

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    2019ねん 5がつ 17にち(きんよーび、晴れ)


    この前、追加の調査に行ってきた。


    河川で砂のサンプルを採取する簡単な作業。


    やっぱフィールドワークは楽しいな~って思った。


    ……そうして、私は川に落ちたのであった( ・Д・)



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    ↑AIが頑張って考えてくれるイメージ(「Business Insider Japan」の記事内画像より転載)


    今回の考古学・歴史ニュースは『近年急速に発展している機械学習を利用してAIに未解読の古代文字であるインダス文字を解析してみた』と言う内容です(*・ω・)ノ


    インダス文明は紀元前5500年~紀元前1900年にインダス川流域に栄えた文明で、現在のパキスタンに主要遺跡が所在しています。


    このインダス文明の遺跡で発見されているインダス文字は現在も未解読の古代文字として有名です。


    インダス文字は土器や粘土板、印章に見られ、これまでに約1500点の資料が確認されています。


    それなりに出土量が多いようにも思えますが、どれも短文であることが特徴です。


    最長でも27文字しかないため統計的な解析が困難であり、現在も未解読の古代文字となっています。


    実際にインダス文字は「文字なのか?」あるいは「象徴なのか?」という根本的な問いについても論争中であり、今回紹介する研究成果では「インダス文字は文字である」可能性が高いと結論付けられました。



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    ↑インダス文字の例(「知識の空間 ー中学生のための社会科講座ー」さんの記事内画像より転載)



    これまでの研究としては1877年のアレクサンダー・カニングハム(Alexander Cunningham)による、インダス文字が現在の中央アジアから東南アジアにかけて使われているブラーフミー系文字の祖先だとする主張があります。


    また1960年代にはマヤ文字研究で著名なユーリー・クノロゾフ(Ю́рий Валенти́нович Кноро́зов)が早くもコンピューターを用ってインダス文字の解析を行っています。


    この解析結果としてインダス文字には名詞、形容詞などの文法的特徴が見られると指摘しています。


    2004年にはスティーブ・ファーマー(Steve Farmer)が、現存するインダス文字は政治的、宗教的な象徴(シンボル)を表すものであると結論付けています。



    今回紹介するのは2009年にラジェス・ラオ(Rajesh Rao)によって共同研究として発表されたものです。


    彼は考古学や言語学が専門なのではなく、機械学習が専門です。



    彼はAIに4種類の話し言葉(古代シュメール語、サンスクリット語、古代タミル語、英語)と4種類の話し言葉ではない伝達システム(人間のDNA、フォートラン、バクテリアのタンパク質配列、人工言語)を学習させました。


    そしてパターン分析により、各言語に存在する規則性のレベルを計算しました。


    結果として「話し言葉ではない言語」は、高い規則性を持つものか、まったく秩序がないものであり、「話し言葉」はその中間でした。


    その結果を踏まえて、インダス文字をパターン分析にかけたところ、文法的な規則性が検出されました。


    そしてこの検出された規則性は「話し言葉」と同程度の適度な規則性を有していることが分かりました。


    どうやらインダス文字は話し言葉であり、単なる象徴ではなかったようです(*・ω・)ノ



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    ↑こんな時代が来ないことを願うばかりである( -д-)ノ(「悠々自適な会社の-neko-になる」さんの記事内画像より転載)



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    インダス文字が象徴ではなく言語であると分かったことは大きな進展ですね。


    ただしマヤ文字のように、インダス文字が解読され当時の様子がよく分かるようになった、ということではないのです。


    AIに関する技術は近年大きく発展しているので、やはり長文の文字資料を発見すること、そして文字資料数を増加させることが課題と言えるでしょう。


    ……便利な世の中になるのは大事なことですが、上に挙げた画像のように、研究者が要らないなんて時代が来たら怖いですね~( ・Д・)


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    2019ねん 5がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

    今日もいい天気である。

    お散歩したいが、時間がなさそうだ( ・Д・)


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    今回の考古学・歴史ニュースは『イギリス、サウスエンド=オン=シーで発見されたアングロサクソン王家初期の王子の墓と副葬品が博物館・デジタルミュージアムで公開されたよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

    発見の舞台はイギリス、エセックス州にある自治都市サウスエンド=オン=シーです。

    イギリスには「MOLA」という考古学調査・分析会社があり、日本における建設工事に伴う緊急調査を請け負ったりしている会社です。

    MOLAには多数の考古学者が在籍しており、各分野の分析専門家も配置しているそうです。

    所謂、「調査会社」というよりは「独立した研究機関」の方が近いかも知れません。

    名前も「ロンドン考古学博物館(Museum of London Archaeology; MOLA)」ですし、国立研究機関が独立法人化したのかも知れませんね。

    さて、このMOLAが依頼を受け、プリトルウェル修道院公園の端を発掘調査したところ、非常に豪華な埋葬遺構が検出されました。

    この発見は2003年になされ、2005年まで継続的な発掘調査がなされました。

    それから14年もの年月を経て全ての分析を終え、一般公開となったわけです。


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    この埋葬遺構からは様々な副葬品が出土し、当時のアングロサクソン王家の埋葬儀礼の様子が明らかとなりました。

    例えば副葬された大きな釜や杯は王族・貴族を招くパーティーの主催者としての被葬者の立場を示し、目の上に置かれた十字形の黄金製品は被葬者がクリスチャンであることを示しています。

    上に挙げた写真のように木製品などの腐敗しやすい資料も多く出土しています。

    それらの貴重なアングロサクソンの工芸品や古代の楽器について、考古学を始めとして工学、土壌科学といった様々な専門分野から成る40人以上の専門家チームによって分析・研究が行われました。

    彼らにより炭素年代測定や、土壌微細形態学による分析、CTスキャン、ラマン分光法、走査電子顕微鏡法による分析、質量・組成分析に至るまで様々な分析・研究が行われたために公開まで長い年月がかかったわけです。



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    ところで、今回の考古学・歴史ニュースは「アングロサクソン」についてのお話です。

    アングロ・サクソン(Anglo-Saxons)は、5世紀頃に現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部へと侵入してきた「アングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称」である。特にこの中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。
    (参考:wikipedia)

    このようにアングロサクソンはイングランドの基礎を築いた集団であり、彼らの使用した言語が現在の英語の基礎となったという歴史があります。


    イングランドは一時期デーン人(現在のデンマーク周辺に勢力を持つ集団)によって支配されていましたが、アングロ・サクソン人の支配は1066年のノルマン・コンクェストまで続きます。

    アングロサクソン人、デーン人、ノルマン人と色々出てきて複雑な印象を受けますが、どれも結局ゲルマン系民族の集団なのです( -д-)ノ



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    さて、今回は写真が盛り沢山になっていますが、これまでに写真で紹介したように本当に様々な副葬品が多量に出土しています。

    これらの副葬品は地元で造られた製品も多く含まれていますが、その品質は非常に高いものです。

    一方で下部に挙げる写真に見られる美しい青いガラス製の容器のような輸入された贅沢品の存在は初期のアングロサクソン王家の権威の強さを分かり易く示しています。

    この王家の墓に埋葬された人物の候補としては、調査の最初の段階では6~7世紀にキリスト教に改宗したことが知られている2人の東サクソン王が挙げられました。

    それはエセックス王のサベルト王(Sæberht)または彼の孫のシゲベルト2世(Sigeberht II)です。

    前者は西暦616年に亡くなり、後者は西暦653 年に殺害されています。

    いくつかの遺物の証拠が7世紀初頭の日付を示したことから、サベルト王である可能性が高いと考えられていました。

    しかしながら、その後木製遺物等の植物依存体を対象とした炭素年代測定法から、埋葬時期がサベルト王の死去時期の少なくとも11年前である西暦575年から605年であることが示されました。

    この結果、最新の研究成果として、この墓の帰属年代は6世紀後半頃であり、被葬者はサベルト王の兄弟であるサークサ(Saexa)である蓋然性が高いと推定されています。



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    さて、長くなりましたが最後に、今回の発見や研究に関する最新の情報は『MOLAのウェブサイト(英語サイト)』で公開されています。

    また王家の墓から出土した多数の豪華な出土品はイギリスのサウスエンド中央博物館に常設展示されているそうです。

    ……やっぱり黄金とか多くの人々の関心を集める出土品はいいな~って羨ましく思いますね( ・Д・)

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    2019ねん 5がつ 11にち(どよーび、晴れ)

    低反発枕でたっぷり寝たら元気になった!

    睡眠障害もない、神経痛も軽減された。

    祖霊神社で頂いた「清めの塩」を枕の下に入れたおかげか。

    あるいは低反発枕の効果か?

    神社の回し者になるか、低反発枕の販売会社の回し者になるか、悩ましい所である!( ・Д・)

    だが、両者に感謝する、ありがとう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑札幌祖霊神社の本殿、実質2階にある(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『平成最後の日に多賀神社に、令和最初の日に札幌祖霊神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑦」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


    さて、GW中だけれども忘れずに「平成最終日」と「令和初日」の御朱印を頂いてきた管理人です( -д-)ノ

    写真の量の問題もありまして、札幌護国神社の中にある多賀神社については今回の記事へと分割してお伝えすることになりました。

    ということでまず多賀神社について最初にお話したいと思います。

    恒例の基本データから紹介しますね。


    【札幌多賀神社(札幌護国神社内に所在;境内社)】
    住所:札幌市中央区南15条西5丁目
    Tel:011-511-5421
    駐車場:あり

    御利益:
    延命長寿
    縁結び

    祭神:
    伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
    伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
    相殿奉斎(旧山鼻神社)
    天照大御神(あまてらすおおみかみ)
    大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)
    天満宮大神(てんまんぐうのおおかみ)
    耳早立雄大神(みみはやたつおのおおかみ)

    創設:昭和24年(1949年)に多賀大社より札幌護国神社へと鎮座
    昭和46年(1971年)に山鼻神社より多賀神社へと相殿奉斎

    大祭日
    宵宮祭:8月7日
    例大祭:8月8日

    小祭
    節分祭:2月3日

    祭事
    厄祓:2月3日
    七五三祭:10月15日



    さて、ここで一旦、次に紹介する祖霊神社も併せて頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑平成最後の多賀神社で頂いた御朱印と、令和最初の札幌祖霊神社で頂いた御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌護国神社で頂いた神社情報、下部が多賀神社の内容(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑多賀神社の社務所(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、最初に述べましたように多賀神社は札幌護国神社の境内に所在しています。

    上に挙げた写真が、札幌護国神社の社務所の左隣にある赤い鳥居を抜けて歩いていくと右手に見える多賀神社の社務所の入り口になります。

    本殿は多賀殿とされていて屋内にあるそうなので、恐らくこの中でしょうか。

    ちなみに入り口は別々ですが、札幌護国神社の社務所と繋がっています。

    そのため御朱印を頂くのは札幌護国神社の方の社務所になっています。

    御朱印の初穂料は300円でした。

    ちょうど「御創祀70周年だった」のでその記念のスタンプや可愛らしいカエルが緑色ですし、馬は青色で、基本となる黒・赤色と合わせてカラフルな仕上がりになっています。


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    ↑多賀神社の入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑多賀神社の鳥居の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    多賀神社には鳥居が1基、建立されていました。

    札幌護国神社における計3基の鳥居のひとつということになります。

    それでは鳥居のデータを紹介していきます。


    【多賀神社 / 入り口の鳥居】
    ①建立:1973年
    ②素材:金属製(中空構造)
    ③高さ:約5m
    ④直径:36cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角1度)
    ⑥下部構造:台石


    ぱっと見、新しい印象を受ける鳥居ですが、建立年はそこまで新しい部類ではないですね。

    そう言えば今までのところ、北海道における古い鳥居を見つけていないように思います。

    開拓使の開始が明治2年(1869年)ですから、素材にもよりますが1800年代末の鳥居が残っていても良いというか、残っていて欲しいという気持ちでいます( -д-)ノ

    この多賀神社の鳥居は、建立に関するプレートの劣化具合からすると、赤く塗り直していると思われます。

    およそ半世紀前に建てられた時も赤色だったのでしょうか?

    気になるところです(*^・ェ・)ノ

    今後はそういう部分について聞き取り調査をしてもいいのかも知れませんね。



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    ↑札幌祖霊神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)




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    ↑札幌祖霊神社の蔵、素敵な印象(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑令和時代の幕開けを感じます、右下の礎石は何だろう( ・Д・)(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌祖霊神社の社務所内の様子(「歩け、マヤ」管理人撮影)



    【札幌祖霊神社】
    住所:札幌市中央区南5条西8丁目
    Tel:011-531-7306
    駐車場:なし


    祭神:
    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
    天神地祇八百万神(てんじんちぎ やおよろずのかみ)
    氏子祖霊神(うじこそれいしん)
    天祖三神(てんそさんじん)
    大国主神(おおくにぬしのかみ)
    産土大神(うぶすなのおおかみ)
    皇霊神(こうれいしん)

    創設:明治4年(1871年)



    さて、ここで再度、祖霊神社の御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑平成最後の多賀神社で頂いた御朱印と、令和最初の札幌祖霊神社で頂いた御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    令和初日ということで(?)金色の文字で書いて頂きました!

    めでたい感じがしますね(*・ω・)ノ

    開拓史の象徴であり、現在も多くの高校で校章で用いられる北極星のマークがここ札幌祖霊神社のシンボルでもあります。

    現在では「サッポロビール」のマークとして知られているこの「五稜星」は、開拓使が北に向かう際に目印にした「北極星」を意味しています。

    この札幌祖霊神社は明治4年という開拓使の初期に、開拓使次官の黒田清隆の発案により創祀されたという歴史を有しています。

    そのため、札幌祖霊神社のシンボルも五稜星なのです(*・ω・)ノ

    うむ、桜のスタンプも可愛らしくて良いですね(・∀・)つ

    あと駐車場はありませんが、この道路はけっこう空いてる道ですので、短時間であれば停められるかなと思います(゚∇゚ ;)エッ!?

    近くには有料駐車場もありますのでそちらを利用するのが最善かとは思います。



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    ↑札幌祖霊神社の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌祖霊神社の鳥居の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌祖霊神社の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、こちらも鳥居のデータを取得してきました。

    札幌祖霊神社には鳥居が1基、建立されていました。

    それでは鳥居のデータを紹介していきます。


    【札幌祖霊神社 / 入り口の鳥居】
    ①建立:1981年
    ②素材:金属製(中空構造);ドラム缶タイプ
    ③高さ:約4m
    ④直径:36cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角2度)
    ⑥下部構造:台石


    開拓使初期の1872年に創設されているので鳥居も古いかなと思いきや、新しかったです。

    恐らく最初期の鳥居は木造であったと思われます。

    しかし明治44年(1911年)に火災に遭っており、社殿諸共消失してしまったのでしょう。

    大正15年(1926年)には石造の鳥居が建立されています。

    もう火災被害に遭わないようにという願いが込められているように感じますね( -д-)ノ

    昭和56年(1981年)には現在の金属製の鳥居が建立されています。

    こう見ると、鳥居は境内のスペースの問題もあるのか、どんどん新しいものに建て替えていく傾向にあるようです。

    古くは木材によって鳥居が造られていたことから耐久しなかったことも関係しているでしょう。

    つまり現存する古い鳥居の数は極めて限られた数しかないということであり、鳥居の起源を探るのは難しそうですね~ヽ(TдT)ノ

    この辺が考古学の難しさであり、かつ魅力かも知れません。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ちなみにこの札幌祖霊神社の鳥居は「ドラム缶式」でした。

    北海道ではけっこう多いのかなと思っているアレです。

    でも少しこれまでのドラム缶式とは異なる部分がありました。


    ①ドラム缶の一つ分が長く、明らかに縦長である。

    ②上部では継ぎ目部分を見えにくく加工している。

    ③これまでのドラム缶式に比べて細身である。

    ④これまでのドラム缶式とは異なり、柱が傾斜している。


    この札幌祖霊神社の鳥居が、北海道内の神社でよく見られるドラム缶式鳥居の原型だと良かったのですが(話が上手く進む( ・Д・))、まぁ新しく建立していることもあり、どちらかというと新しいバリエーションのようですね( -д-)ノ



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    ↑札幌祖霊神社の石碑、火災前から建っているのだろうか(「歩け、マヤ」管理人撮影)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    これまでの北海道の鳥居の傾向は、印象では、明神系のような装飾されたものはなく、シンプルな神明系ばかりであるなと思っています。

    またドラム缶式が多いな~とも思っています。

    ところで鳥居を新しく立て直す時も、以前の形は気にしていないのでしょうか?

    今度訊いてみようかなと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

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    2019ねん 5がつ 11にち(どよーび、晴れ)

    なんだか最近、体調が悪いなと思っていた。

    ふと枕を変えてみたら、劇的に快復した気がする!

    気のせいだろうか!?( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは、以前の記事における『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容を確認したよって話です(*・ω・)ノ


    ↑ほとんど同内容ですけどね、混乱っぷりが分かる!( ・Д・)


    さて、前回の記事で、混乱がありましたが、原文に当たりまして原因が分かりました!

    やはり予想通り、最初に参考にした記事が間違っていたようです。

    グアテマラ南部の山岳地帯を「南部高地」と呼んでいますが、その中における『コバン市での土製人形製作工房の発見』の記事と、『グアテマラ市における大量の土器破片資料の廃棄』に関する記事を混同して書いていたようです。

    恐らく参考にした海外の記事の執筆者は、土製人形の製作工房と同定された遺構から大量の土器破片資料が確認されたことを強く意識したために、現代の考古学者による大量の土器破片資料の廃棄の写真を発掘調査で出土した資料と間違えたのでしょう。

    まぁ専門からすれば、前の記事の最後に書いたように、出土した資料と新しく廃棄した資料の違いは明確なのですが( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    まとめると、私が参考にした記事は、本来2つの異なる記事を混ぜてしまっていました。


    【元の記事の種類】
    記事A:コバン市における土製人形の製作工房の発見
    記事B:グアテマラ市、カミナルフユ遺跡の紹介と現代の考古学者による土器資料の大量廃棄に関する記事

    【予想される混同の原因】
    ①両者とも大量の土器破片資料について書いている。
    ②両者ともマヤ文明、古典期に関する内容である。
    ③両者ともグアテマラ国内における話である。
    ④両者とも同時期のマヤ高地における話である。


    ということで、今回は記事毎に整理して簡単に紹介します(*^・ェ・)ノ


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    記事A:史上初!マヤ高地にて土製人形の製作工房が検出された!

    グアテマラ、アルタ・ベラパス県のコバン市に所在するアラゴン遺跡で土製人形の製作工房が検出されました。

    この遺跡は私有地にある遺跡であり、新たな建物を建設する工事によってマウンドを削ってる最中に見つかりました。

    マウンドとは昔の建造物が崩れて時間が経過したことで土を被った遺構で、マヤ地域の場合は多くの場合、丸みを帯びた長方形の「土饅頭」のような状態になっています。

    日本には文化財保護法がありますので、新たな建設工事の際は届け出が必要であり緊急調査がなされるわけですが、海外では多くの場合そのように保護されていません。

    大体の場合は近現代の工事によって遺跡や遺構は破壊され、出土した遺物は個人のコレクションになったり、売り飛ばされたり、そのまま破壊・廃棄されたりします。

    今回のケースでは工事の主体者がアメリカ人マヤ考古学者の友人だったようで、工事中に多量の土器破片資料が出土したことから連絡を取ったそうです。

    検出された土製人形の製作工房は工事によってかなりの部分が破壊された後でしたが、それでも数千点に及ぶ土器破片資料と、400点以上の土製人形や人形の「型」の資料が出土しました。



    出土した土器破片資料の分析から、帰属時期は750~900 CE、古典期後期後半と推定されています。

    古代マヤ文明にはマヤ文字を刻んだ石碑がありますが、経済に関する情報は含まれていません。

    そしてこれまでに古典期に属する明確な土器やその他の土製品に関する製作工房は検出されておらず、重要な発見と言えます。

    私も土器経済を明らかにし、そして碑文研究で示される都市国家間の政治的関係との相関性について明らかにしたいと考えていますが、今後マヤ文明における古代経済について少しずつ解明されていく予感がしますね(・∀・)つ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    記事B:現代の考古学者によるカミナルフユ遺跡における多量の土器破片資料の廃棄


    この記事の舞台はグアテマラの首都、グアテマラ市にあるカミナルフユ遺跡です。

    グアテマラ市(以下、グアテマラシティで記述)は、コバン市よりも約89km、南側のより標高の高い地点に位置しています。

    この遺跡は元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

    上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

    遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

    またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

    そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

    両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

    そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ

    グアテマラでもお金のあるところにはあるんですけども、メキシコ等と比較すると文化遺産活用はまだまだですし、所謂「貴重な・美術的価値のある考古資料」以外は一般はもちろん行政面でも興味がないようです。

    つまるところ、素敵な資料の展示ケースを買うお金やそのための広いスペースを確保するお金はあるが、分析に使用する他の多量の出土資料を保管しておくスペースを確保するお金はないということです(/TДT)/

    で、問題の写真がこれ( -д-)ノ


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    実際には日本でも土器資料は廃棄されています。

    しっかりと何をどこにどれだけ捨てたかを記録した上でですが。

    特に日本では現代の建設工事に伴う緊急調査によって日々膨大な量の考古資料が出土していますから、保管する場所に困るわけですね。

    しかし土器の数量化に関する研究や、土器胎土分析等の定量分析に関する研究、そして熊本大学の研究では土器破片資料も重要です。

    特に熊本大学の小畑教授によるレプリカ法は土器資料から新たなデータを引き出す方法として非常に面白いなと思っています。


    ↓このような研究もあります(*・ω・)ノ
    ↑良かったら併せてどーぞー( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    確かに増加し続ける全ての資料を保管するのは物理的に無理かもしれませんが努力はしたいですよね。

    少なくとも廃棄の前に、現在可能な手法によるデータの採取を全て終えてから廃棄してもらいたいな~と思います。

    実際にこのカミナルフユ遺跡で出土した土器破片資料の内、博物館にて保管できないものが、上の写真のように廃棄され始めているようです。

    蛍光X線分析装置(中古で300万円、新品で800万円くらいする( ・Д・))をゲットできれば、廃棄前に全部のデータを集成するのにな~と思う今日この頃(´・ω・`)

    研究費取れなかったら、やっぱりクラウドファンディングかな。

    その時は皆さん、応援よろしくお願いします(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ちなみに元記事にあった1500万点という数字の出所は、50年ほど前の考古学者が推定したカミナルフユ遺跡全体から出土するであろう総土器破片資料数のようです。

    ↓捨てられる運命の土器資料からデータを引き出すための機材購入のために応援して下され!( ・Д・)↓

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    2019ねん 5がつ 10にち(きんよーび、曇り)

    散歩するとストレスが30%も減るらしい(・∀・)つ

    今日はけっこう歩いてみたから、ストレスを減じることができたはず!(・∀・)

    ……なので頭痛がする

    神経痛らしい……何故だ!?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya249
    ↑札幌護国神社の本殿、立派である(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『平成最後の日に札幌護国神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑥」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


    さて、以前に宣言していた通り、「平成最後の日」に御朱印を頂いてきました。

    GW中だし、忘れそうだな~と思っていましたが何とかなりました( -д-)ノ

    では、まずは札幌護国神社の基本データから紹介しますね。


    【札幌護国神社】
    住所:札幌市中央区南15条西5丁目
    Tel:011-511-5421
    駐車場:あり

    祭神:
    北海道開拓祭神
    各戦役戦没祭神
    公共殉職祭神
    其他特殊祭神

    創設:明治12年(1879年)

    大祭日
    合祀祭:7月5日
    例大祭:7月6日
    後日祭:7月7日

    中祭
    元旦祭:1月1日
    平和記念祭:8月15日
    除夜祭:12月31日

    小祭
    節分祭:2月3日
    月次祭:毎月1、10、20日
    日供祭:毎日午前7時
    命日祭:月次祭後、午前11時より繰上げ執行

    特殊神事
    大祓式:6月30日、12月31日
    彰徳苑みたま祭:6月第1土曜日


    さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑札幌護国神社で頂いた御朱印、左は同神社内の彰徳苑の御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya251
    ↑札幌護国神社で頂いた神社情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑境内にある趣ある建物(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya249 (27)
    ↑敷地内はかなりの規模の広場になっている(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑本殿に入る門(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑春を感じますね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑大小様々のたくさんの慰霊碑・記念碑がずらーっと並んでいました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑本殿前も大きな空間が広がっています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya249
    ↑札幌護国神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、札幌護国神社は中島公園の南側に位置しています。

    道路は挟みますが、中島公園を抜けてそのまま散策できるコースになっています。

    境内はすごく広いです!

    境内には多賀神社と彰徳苑があり、そのため3種類の御朱印を頂くことができます。

    (多賀神社については次回紹介しますね( -д-)ノ)

    前回、烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として紹介しました。

    しかし札幌護国神社は各戦役戦没祭神、公共殉職祭神、其他特殊祭神を祀っているため、合計25549柱の神々を祀っているそうです。

    桁違いの多さですねΣ(・ω・ノ)ノ

    札幌護国神社の社務所は本殿に向かって左手に進んだ先にあります。

    社務所だけではなく境内内の全ての建物が木造で、非常に趣を感じました。

    社務所の入り口にかかっている古い裸電球が特によい感じでした(・∀・)つ

    さて、御朱印の初穂料は300円でした。

    先に述べたように3種類の御朱印を頂けるので計900円です。

    また札幌護国神社のオリジナルの御朱印帳がありました!

    靖国神社・護国神社の御朱印帳も販売していたので、2種類の御朱印帳を購入することができます。

    また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがなく、代わりに縦に長い神社情報を記した紙がありました。


    頂いた御朱印は、春だからでしょうか、桜のスタンプがありました。

    緑色のスタンプや、彰徳苑の紫色のスタンプもあるためこれまで頂いた札幌における御朱印の中ではカラフルな部類に入ると思います!(*・ω・)ノ


    arukemaya256
    ↑旧校舎のようにも見える社務所、平成最後のせいか人が多かったです(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya258
    ↑やはり「旧校舎」っぽい!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya257
    ↑社務所の入り口にある古めかしい電球(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑様々な品が販売されています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya260
    ↑オリジナルの御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    ところで、札幌護国神社には駐車場があります。

    車で入れるのは神社の東側、豊平川方面からのルートになります。

    徒歩で来る場合は、車と同様のルートの他、中島公園側から入ることができます。

    全体的な敷地はとても広いのですが駐車場はさほど広くありません。

    それでも車を10台近くは停めれると思います。

    「平成最後の日」だからでしょうか?

    参拝客が非常に多く、駐車場もいっぱいでした。

    ご結婚された方が境内で着物姿で記念写真撮影されていたりもしていました。

    もしかしたら普段も祭事やイベントで駐車場は混み合っているかも知れません( -д-)ノ


    arukemaya262
    ↑入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya249 (24)
    ↑入口の鳥居の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    札幌護国神社には鳥居が3基、建立されていました。

    多賀神社については次回に紹介しますので、今回は2基の鳥居について紹介します!

    それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


    【札幌護国神社 / 正面入り口の鳥居】
    ①建立:1934年
    ②素材:花崗岩製
    ③高さ:約6m
    ④直径:53cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角2度)
    ⑥下部構造:丸み台石(薄い)


    *(上記赤文字部、修正しました!ご指摘ありがとうございました(*_ _)ペコリ)

    正面の鳥居は花崗岩製の大きな鳥居でした。

    高さの割にはやや柱が太いなという印象です。

    また特徴として台石が非常に薄いものでした。

    丸みを帯びていることから、非常に薄い饅頭とも言えそうな中間的形態です( -д-)ノ

    今後の調査でも、こういった台石構造の事例が多く見つかれば、名前を別途付けて分類した方が良いでしょう。


    arukemaya264
    ↑中島公園側の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya265
    ↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【札幌護国神社 / 中島公園側の鳥居】
    ①建立:2001年
    ②素材:金属製(中空構造)
    ③高さ:約4.7m
    ④直径:36cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石(大きい、台座状)


    中島公園側に建立された2基目の鳥居は金属製でした。

    台石は大きいものでした。

    前回のものと同様のグループとして「台座」という下部構造枠を作っても良さそうですね。

    今回のケースでは階段の段差との関係も考慮しなければならないのかなと思っています。

    ということで分類枠を増やすのはもう少し事例が増えるまで待つことにします( -д-)ノ


    arukemaya266
    ↑札幌護国神社で売っていた御朱印帳のひとつ

    *これは印字されている通り、靖国神社と全国の護国神社用の御朱印帳だそうです。

    内面の各ページには全国の御朱印を押せるように、それぞれの神社の名前が書かれています。

    つまるところ、「靖国神社、護国神社に対する全国スタンプラリー台紙のようなもの」です。

    自由に任意のページに任意の神社の御朱印を頂く、通常の御朱印帳とは異なりますのでご注意ください!(*・ω・)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    今回はGW中ということもあり、たくさん散歩して、色々と写真を撮りました。

    なので写真が盛り沢山になってしましましたね( -д-)ノ

    さて、御朱印集めものんびりと進み、今回で参拝した神社は7社目です。

    実はまだ鳥居のデータの整理はしていません。

    10社目を巡り終えた時点で一度、鳥居にに頭の傾向がないか確認してみようと思います!

    これまでのところ、一つの神社に複数の鳥居がある場合、様々な種類の鳥居があるなという印象でした。

    以前にも書いたように、これは鳥居の形態と神社の御祭神が無関係であり、奉納者の好みによるとの先行研究の記述を表すと思っていました。

    ・・・・・・それにしてもバラバラ過ぎない?

    わざと色々な種類の鳥居を設置していない?

    そのような気がしてきた今日この頃です(*^・ェ・)ノ

    さて、次回は同じく「平成最終日」の札幌護国神社内の多賀神社、そして「令和初日」の札幌祖霊神社を紹介しようと思います。

    乞うご期待!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

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    2019ねん 4がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

    ゴールデンウイークの間に太る予感。

    ここ2か月で痩せたのに元に戻りそう( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya245
    ↑カエル、かわいい!カワ(・∀・)イイ!!(「情報速報ドットコム」の記事内画像より転載)


    今日の考古学・歴史ニュースは『纏向遺跡で祭祀・儀礼に用いられたカエルの骨が見つかったよ!』というお話です(*・ω・)ノ

    さて、今回の舞台は奈良県、桜井市に所在する纏向(まきむく)遺跡です。

    ここは邪馬台国論争、畿内説で有名な3~4世紀の大規模集落跡です。

    つまるところ『卑弥呼』が収めた邪馬台国だった蓋然性の高い遺跡なのです。

    この時期には古代中国で霊力のある果物とされていた「桃」の種が多く出土する遺跡が多数見つかっており、纏向遺跡でも以前に多量のモモの種が検出されました。

    このモモの種などが多数出土した土坑内部の掘り上げ土を詳細に調べたところ、カエルの骨が100点以上含まれていることが確認されたのです。


    ↓関係する記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ
    ↑併せてどうぞ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。

    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している
    arukemaya246


    arukemaya247



    arukemaya244
    ↑検出された依存体の一部と該当部位(
    藤原弘
    藤原弘
    藤原弘
    「毎日新聞」の記事内画像より転載; credit: 藤原弘)



    この土坑は3世紀前半の大型建造物の傍に位置していることから、3世紀中頃までに作られたものと考えられています。

    検出されたカエルの骨は全部で117点あり、ツチガエル(94点)、ナゴヤダルマガエル(13点)、ニホンアオガエル(10点)などと計12個体分の骨を確認しました。

    それぞれのカエルの推定体長は4~7cmで同定された3種のカエルは現在の遺跡周辺では生息していません。

    しかし奈良県にある同時期のもう一つの有名遺跡である唐古・鍵遺跡ではこの3種のカエルの骨が出土していることから、当時の奈良盆地には生息していたと推定されています。

    上に挙げた写真に添えてある図面から分かるように、カエルの骨の表面にはたくさんの小さな傷があります。

    この傷は人為的に付けられた可能性があります。

    またカエルの骨の8割以上が土坑内のモモの種やその他の動植物、土器、木製品と同じ土層で見つかったことから、当時の祭祀・儀礼行為の一環として用いられ、埋められたものと考えられるそうです。

    現代の我々にはカエルと神事は結び付かないようにも思えますが、奈良県の無形民俗文化財で、舞や歌などを奉納する「国栖奏(くずそう)」という吉野町の伝統行事では現在でも神前にカエルが供えられるそうです。

    古代中国ではカエルも強い霊力を有した動物とされていたことから、モモと共にカエルが儀礼に用いられて神に捧げられたのでしょうね(・∀・)つ


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    2019ねん 4がつ 27にち(どよーび、曇り)

    GW初日、とてものんびりと過ごした。

    GW中も毎日ちょっとした仕事をすることにした。

    僅かずつでも進むのである( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『奈良県斑鳩町の住宅街にある古墳から5世紀のミニ銅鏡が出土したよ!』ってお話です(・∀・)つ

    上に挙げた写真のように奈良県斑鳩町の住宅街にポツンと古墳があります。

    この古墳は、「甲塚(かぶとづか)古墳」と呼ばれてきましたが、実際に古墳であるのかどうかはこれまで分かっていませんでした。

    地元に残る伝承では「聖徳太子の孫の墓」とされてきたそうです。

    今回の発掘調査によって、古墳の頂上部で埋葬施設が検出され、古墳であることが確定しました。

    しかしながら出土した銅製の鏡が見つかったことから、5世紀中頃以降に造営された有力者の墓と推定されています。

    「聖徳太子の孫の墓」ではなかったのです( ・Д・)




    arukemaya242




    埋葬施設から出土した銅製の鏡は直径約6cmという非常に小さなサイズのものです。

    3枚目の写真で分かるように、中心部にある紐を通すための半球形の膨らみ部分の周辺に3重の圏線が巡っています。

    この特徴から「重圏文鏡」という鏡だということがわかりました。

    この銅鏡の種類を根拠に古墳の建造・埋葬時期は5世紀の中頃であったと推測しています。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    小さなものが好きな私にとってはミニ銅鏡、可愛いなと思ってしまいます。

    小さいながらに精巧な作りであることがより良いですよねカワ(・∀・)イイ!!

    それにしてもこれだけの住宅街の中にひっそりとあって、よく子供たちのいたずら等で掘り起こされなかったなと思ってしまいます。

    「聖徳太子の孫の墓」ではなかったけれども、重要な人物の墓であるという伝承が古墳を守ってきたのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

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    2019ねん 4がつ 25にち(もくよーび、晴れ)

    右足のふくらはぎがツリ続ける病になった(ノ◇≦。) ビェーン!!

    今日、明日はめちゃ働く。

    そしてGWは酒を断って、のんびり養生することにするヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ

    本当に久しぶりのマヤ文明ネタです。

    専門だからこそ、変なこと書けないなと自然と避けてしまっていたかも知れません( -д-)ノ

    ところで実は私は「土器製作址」を探していて、「マヤ史上初の古典期の土器焼成址を発見したよ!」って発表してるんですけどね。

    論文として公表になるのは今年(2019年)の7月です。

    あと数ヶ月でブログでも記事にして紹介しようかと思ってます。

    ……さて、今回の発見は個人的に非常に興味深いな~と、ちょっとテーマの方向性は違えど、やられたな~って感じがしています。

    もし私の対象遺跡と同じ遺跡で、先にこれだけの発見されたら、正直泣いてますね。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


    arukemaya236


    arukemaya234




    今回の発見の舞台は、グアテマラの首都、グアテマラシティにあるカミナルフユ遺跡です。

    元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

    上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

    遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

    またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

    そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

    両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

    そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ


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    さて、今回のニュースで発見されたのは「土製人形」です。

    人物や動物を造形したものを「Figurines」と呼んでおり、日本語に直訳すると「小像」でしょうか。

    実際にめちゃくちゃ大きいサイズの土製像が後古典期(CE900~1521)のメソアメリカ美術様式には見られますが、古代マヤ文明では小サイズのものばかりですので個人的には「小像」で良いかと思います。

    日本では土製の偶像ということで「土偶」という名称が聞き慣れていると思いますが、イメージが大きく異なるので本記事では「土製人形」と表現することにします。

    上に挙げた写真のように古代マヤ文明の土製人形は丸みを帯びた造形のものが多いです。

    この写真の資料は丁寧に磨かれていますが、粗雑に作られた資料も数多く見つかっています。

    一方で2枚目の写真に見られるように、古典期後期にハイナ島で生産された土製人形は非常に精巧な作りであることが特徴的です。


    arukemaya237




    上に挙げた写真の内、2枚目は明らかに「型」ですね。

    1枚目は実見として押してみたものなのでしょうか。

    これだと型取りにならないですよね( ・Д・)

    でも焼成しているように見えるんだよな(`・ω・´)

    ・・・さて、参考にしている元記事がコバン市における土製人形の「型」を含む大量の土器破片資料の出土について書いているのですが、すぐにカミナルフユ遺跡の話になるのです。

    両方ともマヤ高地だし、距離的にまぁまぁ近いとは言え、けっこう離れています。

    遺跡としては別物です。

    これは元記事書いた人が間違えているのか、私の訳がおかしいのか(斜め読みしてます(´・ω・`))・・・

    なんだか、やな予感がします。


    arukemaya238


    原文はサイエンス誌に掲載されたようで、膨大な量の土器資料は1つのマウンドから1立方フィートの土壌あたり7000点の破片が発見されたそうです。

    さらにマウンド全体では500000点の未使用の土器の残骸を含む合計1500万点の破片が含まれているそうです。

    サイエンス誌に載ったとは言え、「未使用の土器」ってどういうこと?

    てかこの写真何!?

    完全に新しく捨ててるよね!?( ・Д・)

    ちょっとサイエンス誌の原文読んで、事実確認し、次回報告します( -д-)ノ

    ↓こんな終わり方ですみまてん( ・Д・)↓

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    2019ねん 4がつ 19にち(きんよーび、晴れ)

    春はいいね~(・∀・)つ

    モチベーションも高いし、暖かいし……何より眠い!(・∀・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya214
    ↑烈々布神社の本殿、写真が斜めってる( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『烈々布(れつれっぷ)神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑤」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



    さて、「歩け、マヤ」管理人の川砂サンプル取得の旅も今週末でひとまず終わりです!

    論文あるいは研究ノートとして考古学系の雑誌に投稿しようかなと思っているので核心には触れませんがどんなことしようとしてるのかについて近い内に記事にしますね!(*・ω・)ノ

    ということで来週から……といってもゴールデンウイークか!

    週末の定期的な御朱印集めはどうやら再開できそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    では、本題に戻りまして、まずは烈々布神社の基本データから紹介しますね。


    【烈々布神社】
    住所:札幌市東区北42条東10丁目1-11
    Tel:011-711-9773
    駐車場:あり

    祭神:
    天照大神(あまてらすおおかみ);森羅万象を守護
    大巳貴神(おおなむちのかみ);産業隆昌
    埴安姫神(はにやすひめのかみ);火難除け
    少彦名神(すくなひこなのかみ);病気平穏
    菅原道真公(すがわらのみちざねこう);学業成就
    誉田別尊(ほんたわけのみこと);繊維業振興
    倉稲魂神(うかのみたまのかみ);商業繁盛
    三吉大神(みよしのおおかみ);勝利を守護
    崇徳天皇(すとくてんのう)

    創設:明治22年(1889年)

    宵宮祭:9月14日
    例祭:9月15日


    さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑烈々布神社で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑烈々布神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya214 (9)
    ↑力強い印象の社務所!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya217
    ↑社務所の脇に授与所が付随しています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、タイトルにもあるように烈々布神社の名称の読み方は『れつれっぷ』です。

    北海道は難読漢字の地名が多いですが、アイヌ語由来の名称に漢字を当てているからですね。

    この烈々布神社の名称の由来もアイヌ語であると考えられています。

    この烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として知られています。

    烈々布神社の社務所は本殿の右手にあります。

    近代的な立派な造りですが、木製の装飾が良い感じのアクセントになっています。

    社務所の入り口の隣には授与所があり、ここで御朱印を頂くことが出来ました。

    思えば、これまでの神社は全て社務所の内部で御朱印を頂くスタイルでした。

    冬にはかなりの雪が降る北海道ならではなのでしょうが、そういう意味でもこの烈々布神社は珍しいのかも知れません。

    ちなみに烈々布神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

    また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがありませんでした。

    上に挙げた写真で分かるように、「水樹奈々さんがトークエッセイを書いている神社本庁のパンフレット」と、「神社探訪」という石狩管内神社ガイドマップを置いていました。

    特に神社ガイドマップは嬉しかったです。

    今後の神社巡りに役立つアイテムですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    御朱印の初穂料は300円でした。

    頂いた御朱印はシンプルで、ドン!と力強さを感じるような印象です。

    個人的には「the御朱印」だなと思いました( -д-)ノ


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    ↑入口にある烈々布神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya221
    ↑御祭神の一覧(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya218
    ↑正面入口からの様子、広い!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya219
    ↑境内にもかなり広いスペースがある(「歩け、マヤ」管理人撮影)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ところで、烈々布神社には駐車場があります。

    烈々布神社には三つの入り口があります。

    正面入り口、裏手の入り口、中央口です。

    この内、中央口は車用口で上に挙げた最後の写真の広いスペースに入るためのものです。

    さて、私達一般車を停めるべきは、本殿に向かって左手にある裏手の入り口の傍にある駐車場です。

    かなり広く、車が14~19台は停めれます。

    ただ駐車場の一部にプレハブを設置しており、現在も簡易式トイレを設置している最中でしたから、駐車場のスペースが減ってしまう気もします。

    それでも10台以上は停めれますので問題ありません(。・ω・)ノ゙


    arukemaya222
    ↑例によって神社内から撮影した入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya223
    ↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    烈々布神社には鳥居が3基、建立されていました。

    それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


    【烈々布神社 / 正面入り口の鳥居】
    ①建立:1989年
    ②素材:金属製(内部はコンクリート)
    ③高さ:約7m
    ④直径:45cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石(大きい)


    正面の鳥居は金属+コンクリ製の大きな鳥居でした。

    この『ドラム缶式鳥居』(勝手に名付けてみた)は今のところ札幌、北海道の神社ではよく見る構造です。

    ドラム缶を継いだような外見になっていて竹のような節が見えること、表面が薄い金属板で内部がコンクリートで充填されていることを特徴として一時的に命名しました。

    川砂の採取で道南を走っていた時もけっこう見かけています。

    また特徴として、台石が非常に大きく、これまでに見てきたものを台石とするならば、これは台座と言っても良いくらいのサイズです。

    今後の調査でもしこういった大型の台石構造の事例が多いのであれば、名前を別途付けて分類した方が良いかも知れませんね。


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    ↑本殿の正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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    ↑本殿正面の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【烈々布神社 / 本殿正面の鳥居】
    ①建立:1951年
    ②素材:花崗岩製
    ③高さ:約3.5m
    ④直径:28cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角2度)
    ⑥下部構造:台石+饅頭


    本殿のすぐ近くに建立された2基目の鳥居は花崗岩製でした。

    今のところ、材質の問題もあってか花崗岩製の鳥居は数が少なく、またサイズが小さい傾向にありますね。

    もっともっとデータが集まってきたら、そういった傾向が明確になると思います(。・ω・)ノ゙


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    ↑裏手の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑裏手の鳥居の建立・奉納年月日に関する情報と下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【烈々布神社 / 裏手の鳥居】
    ①建立:1989年
    ②素材:金属製(中空構造)
    ③高さ:約3.5m
    ④直径:28cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石


    さて、3基目の鳥居は金属製でした。

    中空になっている鳥居としてはこれまでで初めての事例です。

    烈々布神社は、以前に取り上げた三吉神社の分祀として1889年に建立されています。

    平成元年(1989)はちょうど鎮座100周年記念ということで、入り口の鳥居とこの裏手の鳥居が新しく建立されたようです。

    三吉神社にある2基の鳥居と見比べてみましたが、目立った共通点がない!

    やはり鳥居は御祭神等とは無関係で、奉納者の趣向によるのでしょうかヽ(TдT)ノ

    まぁそう言われているのだから、そうなのでしょうが、反する傾向が見られたら楽しいなとつい思っちゃいますね(・∀・)つ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    あ、前回、メモ帳を紛失したせいで不備のあった北海道神宮頓宮のデータも加筆修正しておきました!

    平日の昼間なのに、スーツ姿の女性がたくさん来ていましたね。

    中には議員さん風の方も……

    ちなみに御朱印を頂いてる方もちらほらと見かけます。

    「歩け、マヤ」の御朱印情報は鳥居のデータが中心ですが、実は『駐車場のデータ』にも力を入れています(気付いていましたかね( ・Д・))。

    やはり北海道は広いですから、神社巡りには車が必要になるケースも多いと思います。

    その一方で神社に関しては駐車場の有無って意外に情報がないな~と思うので駐車場を気にするようにしています。

    私のように車で神社巡りをする方のお役に立てれば幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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    2019ねん 4がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    研究機材が欲しい……

    やはりクラウドファンディングか!?( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    元記事: hitkno.com; *インドネシア語サイト)


    さて、今回の考古学・歴史ニュースは『Twitterで話題のインドネシアで見つかった古代のガンダムみたいな石像が本物かどうかについて考えてみたよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    上に挙げた画像の通り、見た目は完全にガンダムですね。

    昔、「ガンダムSEED」とか好きだったんですけどね。

    このガンダムは知りませんでした。

    このガンダムは2007年に放送された「機動戦士ガンダム00」に出てくる「GN-001ガンダムエクシア」という機体だそうです。


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    ↑比べてみると確かに似ている(「はちま起稿」の記事内画像より転載)



    問題の石像はインドネシア中部、ジャワ州のスマランにあるニャマトで見つかったそうです。

    地元の人たちはこの石像がマジャパヒト王国時代に作られたと言っていたそうです。

    しかしながら、ガンダムそっくりであることから、GN-001ガンダムエクシアがアニメで登場した2007年に作られたガンダムエクシアの石像が2019年に苔むしている可能性は否定できないとも地元メディアは冷静に書いています。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ちなみにマジャパヒト王国は1293年~1478年にジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうです。

    本当にその時代に造られたものなら500~700年も経過していることになりますΣ(・ω・ノ)ノ

    さて、このガンダムの像が本当にそれほど過去のものなのか、あるいはある種のフェイクのような現代の作品なのかについて検討してみます。


    ポイントは3つあります。

    ①石像である(素材が石材である)
    ②コケが生えるのにかかる時間
    ③インドネシアにおける伝統的モチーフと造形の特徴との違い

    さて、それぞれを見ていきましょう!(*・ω・)ノ



    ①対象が石像である点

    学生時代にひたすら年号を覚えてきたせいか、「歴史」と聞くと何でもかんでも時期が分かっている気がしますよね。

    まぁ歴史時代であれば、様々な事柄が暦年や日付レベルで分かると思います。

    でも考古学が扱う「モノ」に関しては時期を判定するということ自体がなかなかに難しいことなのです。

    とは言っても、普段の記事で「○○○○年前の墓!」とか書いてるじゃないか!と思われるかも知れません。

    基本的にはこれまでの研究の積み重ね、多くの場合は土器編年研究によって時期が判定されます。

    この場合は当然ですが土器が出土しなければなりません

    また炭素年代測定法も近年は活躍していますが、これも炭化物が検出されなければなりません。

    今回のケースではどちらもありませんね( -д-)ノ

    さて、ここまでの話で「石」に関する話が出てきませんでしたが、というのも石材を対象とした時期判定は非常に困難なのです。

    地質学では母岩の年代が判定されていますが、石材として切り出してしまっては話が異なります。

    例えば、古い地層から石を取り出してきて自分の名前を刻んだとしても、あくまでそれは現時点で彫ったのであって、その作品が古い地層の年代に作られたものになるわけではありません。

    つまり特殊な事例を除き、基本的に石材の加工時期の判定は難しいのです。

    逆に言えば、フェイクでオーパーツを作るには石材は最適ですね。

    これが土器や絵画だと形態や炭化物、モチーフ、塗料の原料等の諸分析からすぐにフェイクとバレてしまいますから(/TДT)/




    ②コケは長く経過した時間の判定基準になるか?

    結論から言ってなりません。

    一時期流行った(今も?)苔テラリウムを考えれば分かりますが、苔を人為的に載せれば苔は育ちます。

    僅かな土壌ごと石材に載せてしまえば、インドネシアの熱帯性気候における大気中の水分でも十分に育ちます。

    降雨も多いですから、石材からもぐいぐいと水分を吸収できます。


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    arukemaya213
    ↑プランバナン寺院の石像(「LINEトラベル」の記事内画像より転載)

    ③在地の美術伝統とガンダムの造形特徴の比較

    著作権フリーな画像が全然見つからなかったため、適切な画像を集めることができませんでした( ・Д・)

    ま、しかしながら、マジャパヒト王国はヒンズー教国ですから美術様式もヒンズー教のそれなのだと思います。

    正直言って、そんなにガンダムみたいな石像がゴロゴロしてたら、もっと早い時点で既に話題になっているはずですよね。

    インドネシアは人類学研究の対象地域として昔から頻繁に取り上げられる地域ですから(。・ω・)ノ゙

    さて、美術様式以外にも不可解な点があります。

    arukemaya209
    ↑再掲(同上)


    一般的な石像は、腕が身体とか頭部に接続しているものです。

    丸彫りにせよ、その方が造り易いし、強度も保証されるからです。

    時に、このガンダムのように脇が開くようなモチーフのものもありますが、その場合は何かしらの特殊なポーズ(宗教的な、あるいは芸術的な)を取るために敢えてそのようにしています。

    では、このガンダムの場合はどうでしょう?

    無駄に脇が開いています( ・Д・)

    このポーズの意味は「より一層、ガンダムのように見える」しかないように思えます。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    さて、個人的にはガンダムは好きだし、こういうのもいいですよね。

    今ある現代作品としてのガンダムもいずれこのようになるのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。

    「時を感じるアート」としていいな~と思います。

    (もし今後、ガンダム的遺物が多数発見されて、新しく認定される古代文化であることが分かった場合はごめんなさいヽ(TдT)ノ……でも、今のところ、限りなく黒に近いと思います(TДT))

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