あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    ニュース

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    2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

    最近、一週間が早い。

    片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

    遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

    しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

    そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


    ↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
    ↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


    発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

    発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

    この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

    墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

    その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




    発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


    このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


    これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

    どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

     

    「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





    ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

    上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

    センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

    貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

    だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

    安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

    でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

    考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

    船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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    2019ねん 4がつ 16にち(かよーび、晴れ)

    色々なものに手を出し過ぎているせいか、終わらん!

    平成最後の気合いで頑張り抜きたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya207


    今回の考古学・歴史ニュースは『ノルウェーで、バイキング王の棺として船を地中に埋めちゃった墓が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    発見の舞台はノルウェーです。

    首都であるオスロの近郊に走る「道路のすぐ近く」で見つかりました。

    上に挙げた写真のように、調査グループは農作業に使うような小型トラクターの前方に地中探査レーダーを取り付けて走らせました。

    トラクターの奥に見える小高い丘が墳丘であり、その周辺を探査したのです。




    上の写真の黒っぽく見えている部分がレーダーで探査したエリアになります。

    こう見ると本当に主要幹線道路のすぐ傍に位置しているのが分かります。

    レーダー画像と航空写真(たぶんドローンの写真)を組み合わせた画像です。

    右下の大きな赤丸部が、最初に挙げた写真にあった墳丘です。

    中央部には他にも赤丸部がいくつかあってそれぞれがお墓です。

    元々は塚状だったようですが、現在は現地表面が平らにされています。

    一方で黄色の長方形部は建造物址です。

    そしてちょうど中央付近にある赤丸部の中に緑色の木の葉形が見られる箇所が今回の重要な発見箇所です。
    この赤丸部&木の葉状部分を拡大した地中レーダー画像がこちらです。

    もうお気付きのように、木の葉状部分が埋められたバイキング船で全長は約20mです。

    けっこう長い細長い船ですが、「ロングシップ」というそのままな感じの名称のバイキングの船だそうです。

    船は現地表面から僅か61cm程度の位置に埋まっていることが分かりました。

    農作業といった近現代の人間活動による攪乱で壊されずによく残ったなという印象ですね!(*・ω・)ノ

    また地中探査レーダーのデータから、かなり保存状態が良さそうなことが分かっています。


    発掘調査は破壊の側面もあります。


    一度土から出してしまうと木製の遺物は一気に腐敗することもあります。


    そのため船を取り出すような発掘調査はひとまず行わずに、レーダー等を用いた周辺の状況の記録を優先していくそうです。








    さて、ノルウェーではこれまでに発見されている保存状態の良いバイキング船(ロングシップ)は3隻のみだそうです。

    ですので、今回のはとてもレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    見つかった船の帰属時期は不明ですが、その形態から恐らく1000年以上前のものと推定されています。

    今後の調査で船を発掘調査し、船体に使われた材木を分析することでより正確な年代が判明するでしょうね。

    今回発見された船はバイキングの王または女王の墓として使われたと考えられており、バイキング船を使った墓としては最大級だそうです。

    20mもある船を海から引き揚げて、内陸部まで運んだわけですから、単純に豪華な棺を作るよりも大変だったかも知れません。

    「海に生きる者として船と共に眠る」というのは、何だか現代の私達にとってもカッコイイな~と、往時のバイキング王の力強さを感じてしまいますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓やっぱ一度は王墓を発掘してみたい!(*^・ェ・)ノ↓

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    2019ねん 4がつ 14にち(にちよーび、晴れ)

    今日は暖かだった。

    自然乾燥させてるので砂が乾いて良い。

    何故、砂を集めるのかと聞かれる。

    土器製作に際して、粘土に砂などの混和材を混ぜることはあまり知られていないんだなと気付いた今日この頃( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『岡山県で最古級の横穴式石室が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

    実はこれまでにあまり古墳の話は取り上げていないんですよね。

    関係ある記事ないのかな~と思い、ふと思い出したのがコレ↓( -д-)ノ


    ↓考古学の怪談話ってあまりないな~

    ↑「呪い」の話は多少あるか……まだ墓を当ててないから大丈夫( -д-)ノ


    怪談話をするには季節早めですけど、良かったらどうぞ!(。・ω・)ノ゙

    あ、こんなのもあったか!


    ↑あわせてどうぞ!


    ということで、今回の発見は岡山県です!

    津山市高尾にある桑山2号墳で、県北最古級の横穴式石室が見つかったとのことです。

    そもそも横穴式石室を造る風習は4~5世紀に朝鮮半島から九州に伝わったものです。

    その後日本全国に広がるのが6世紀以降と考えられています。

    今回発見された横穴式石室の帰属時期は6世紀半ばと推定されていますから、一早く外来様式を取り入れた古墳だったと考えられます。

    桑山2号墳は津山市南西部に所在する佐良山古墳群の一つで、直径約13mの円墳です。

    検出された横穴式石室のサイズは奥行き約2.3m、幅は最大で約1.9mだそうです。

    上に挙げた写真からも分かるように天井部と側壁の大半は損壊していたものの、盗掘を受けた痕跡はないそうです。

    正方形状を呈する床面には河原石が敷き詰められており、側壁には小型の礫が使用されていました。

    こういった構造的特徴は、岡山県の北部において確認されている横穴式石室が造られる最初期のものと同様であることが分かりました。




    横穴式石室内からは副葬品として柄頭に装飾が施された環頭大刀(かんとうたち)や馬具一式が出土しました。

    上に挙げた写真は副葬品の環頭大刀であり、全長は約80cmだそうです。

    全体が錆に覆われているため、今後レントゲン撮影等のスキャン分析によって装飾の有無などを確認するそうです。

    今回の発掘は岡山県における国道53号、津山南道路の整備に伴う緊急発掘調査です。

    桑山2号墳周辺には他に同1~4号墳があり、残る3基も発掘する予定だそうです。

    距離的に恐らく他の古墳も盗掘にあってないでしょうから、豪華な副葬品が出土することを期待できそうです!(・∀・)つ

    今回出土した馬具にも金細工が施されていたようですから、資料の公開が待ち遠しいですねヾ(´ω`=´ω`)

    ↓たくさん押すときっといいことあるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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    2019ねん 4がつ 8にち(げつよーび、晴れ)

    手帳に予定を書くようになった。

    タスクも全て書き出してみた。

    意外にやることが多い。

    時間を上手く使わねばと再認識したヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya190
    ↑初めて行った北海道神宮頓宮(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『北海道神宮頓宮に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~④」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



    さて、最近は、平日は各種申請書の作成に追われ、休日は河砂サンプル採取のために遠出している管理人です。

    御朱印収集も継続したいのですが、なかなかね~( ・Д・)

    平成最後ってことで4月30日、令和最初ってことで5月1日は是非参拝したいと思っています。

    混みそうなのですけどね。

    ……てか、当日そもそも忘れていそうヽ(TдT)ノ


    さて、本題に戻りまして、まずは北海道神宮頓宮の基本データから紹介しますね。


    【北海道神宮頓宮】
    住所:札幌市中央区南2条東3丁目
    Tel:011-221-1084
    駐車場:あり

    祭神:大国魂神(おおくにたまのかみ);北海道の国土の神
      :大那牟遅神(おおなむちのかみ);大国主神と同神、国土経営・開拓の神
      :少彦名神(すくなひこなのかみ);国土経営・医薬・酒造の神
      :明治天皇;近代日本の礎を築かれた第122代天皇
      
    創設:明治11年(1878年)

    歳旦祭:1月1日
    古神札焼納祭:1月14日
    節分祭:2月(立春の前日)
    一日講社物故者慰霊祭:5月1日
    頓宮収祓祭(札幌まつり):6月14日
    頓宮駐輦祭(札幌まつり):6月16日
    夏越の大祓並びに家内安全祈願祭:6月30日
    頓宮宵宮祭:9月(第3日曜日前日)
    頓宮例祭:9月(第3日曜日)
    頓宮社殿奉納記念祭:11月17日
    神札注連縄頒布式:12月
    師走の大祓:12月31日
    除夜祭:12月31日
    月次祭並びに一日講社誕生祭:毎月1日


    さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑北海道神宮頓宮で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑北海道神宮頓宮の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑恐らく御神輿が入っている社殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)



    北海道神宮頓宮の社務所は本殿の右手にあります。

    ものすごい立派でした。

    とても近代的な造りで、受付のお姉さんも事務員の方って感じ。

    でも、御朱印を書いてくれるのは奥にいる宮司さん(ないし神職の方)ですのでご心配なく!


    社務所に入ると色々な品がたくさん並んでいることに目が行きますが、北海道神宮頓宮のオリジナルの御朱印帳はないようです。

    まぁ頓宮ですから、北海道神宮と販売している物は変わりません。

    なのでここ頓宮でも、「北海道神宮の冬バージョンの御朱印帳」を買うことができます。

    もちろん北海道神宮の通常版も買えますよ!


    御朱印の初穂料は300円でした。

    日本各地の御朱印を見ていると、やけにカラフルだし、御朱印とは何かを考えさせられるような絵画作品のようなものもたくさんあるようですね( -д-)ノ

    それらに比べると色合いは地味ですが、私が想像するところの御朱印らしい御朱印です!

    それでいて、可愛らしい狛犬様のスタンプがそっと添えられているところが嬉しいですね(・∀・)つ

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    ↑この子です!カワ(・∀・)イイ!!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ところで、北海道神宮頓宮には駐車場があります。

    社務所側にあるのです。

    車3~4台は停めれそうです。


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    ↑例によって神社内から撮影した鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑頑張って正面から撮影したが、やはり入らない( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑奉納された正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    arukemaya197
    ↑台石とか下部構造は見られない(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    これまでとは異なり、北海道神宮頓宮には鳥居が1基のみ建立されていました。

    その鳥居のデータを紹介します。


    【北海道神宮頓宮 / 入り口の鳥居】
    ①建立:1956年
    ②素材:花崗岩製
    ③高さ:約6m
    ④直径:47cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角4度)
    ⑥下部構造:なし



    北海道神宮頓宮の鳥居は花崗岩製の鳥居でした。

    ……なんかいくら探しても、データを記録したメモ帳が見つかりませんヽ(TдT)ノ

    直径については再度計測して追記しますね!


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    ↑つるつるした狛犬様がいました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑おまけ:昔の駅名看板(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    おまけの駅名看板は、社務所の中に飾ってありました。

    昔はこの側にも市電が走っていたのですね~。

    こんなところでもプチ歴史を感じて、いいな~と思う今日この頃です(・∀・)つ

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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    2019ねん 4がつ 7にち(にちよーび、ちょい雨)

    一日あった休みを利用して、長距離ドライブした。

    目的は河砂の採取。

    この努力の成果も記事にできるといいな( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    今回の考古学・歴史ニュースは『2500年前の古代中国の墓から大量の無傷の卵が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

    この大発見があったのは中国の江蘇(こうそ)省です。

    日本海に面する省で上海の北に位置しています。

    この江蘇省の溧陽(リーヤン)市に所在する遺跡にて古代の墓を発掘していたところ見つかったわけですね(*・ω・)ノ

    世界各地で珍しい出土品が出る度に、いいな~うらやましいな~と思っておりますが、中国もけっこう色々残る地域なんだなって今回改めて思いました!

    というのも以前、『麺』が出土するというケースがあったからです(。・ω・)ノ゙


    ↓中国における奇跡のラーメンΣ(・ω・ノ)ノ
    ↑「ラーメンの考古学」の第1回記事、最近外食でラーメン食べてないんで更新してないですねヽ(TдT)ノ

    ↓そう言えば、日本でも変わった「モノ」が出土してましたね

    ↑「最古のビールシリーズ①~④」も奇跡的だし、人気記事!良かったら、併せてどうぞ~( -д-)ノ




    さて、遺物は基本的に残り易い物しか残らないわけですが、埋蔵環境によっては通常残らないものが奇跡的に残存するケースがあるわけです。

    今回の事例では「卵」は2500年以上前の大型の土墩墓(どとんぼ)から出土しました。

    土墩墓は中国江南地方特有の埋葬形態で、遺体を地面や石の床に置き、その上に盛り土をして土饅頭状にするものです。

    近親者が亡くなると、墓を同心円状に拡張し、一つの大家族を埋葬するそうです。

    (まぁ私は江南と聞いた時点で、PSYの「江南スタイル」しか思い浮かびませんけどね( ・Д・))

    この地域での発掘調査でこれまでに38基の埋葬遺構を検出しており、いずれも時期は西周時代から春秋時代(BCE771-221)に帰属するものです。




    問題の卵が出土したのは「子午墩」(しごとん)と呼ばれる直径約40m、高さ7.4mの大型の円形土墩墓です。

    内部には上に挙げた写真のようにたくさんの副葬品を有する墓が見つかり、この内の一つの土器からたくさんのほぼ無傷の卵が発見されました。

    卵が入っていたのは陶罐(とうかん;土器の一形態で所謂、「甕」)です。

    この陶罐は出土した際には蓋がされており、中には鳥類のものと思われる卵が詰められていました。




    無傷とは言うものの、中身の白味と黄身はほぼ分解されているそうです。

    なので殻だけで空洞なのですね。

    慎重に扱わないと割れますので、卵の具体的な数量はまだ確認を終えていないそうです。

    X線CTスキャンを用いての土器の中の卵の数量を確認する予定だということです。

    この多量の卵は少なくとも2500年を経ているという推定ですが、卵は一つが割れていただけで、残りは完全な状態を保っています。

    本当に奇跡的な発見ですね!(・∀・)つ




    卵の殻の内部には白味・黄身等の成分が僅かに残っていると考えられ、DNA鑑定などの方法を用いればこの卵が生卵の状態で副葬されたのか、何か醤油のような液体に漬けられたものなのか(味玉なのか?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)が分かる可能性があるそうです。


    また卵の年齢も分かる可能性があるそうです。



    さて、墓に卵が入れられた理由についてですが、雛鳥は卵から生まれることから、万物の生まれ変わり、子孫の繁栄を象徴しています。

    世界的に卵は「再生や復活、生命力」の象徴として用いられています。

    (そのせいで一部の方々には「宇宙卵」と呼ばれているようです。詳しくはYoutube等でヒストリーチャンネル、「古代の宇宙人」シリーズをどうぞ( ・Д・))。

    何を副葬するか、つまりお墓に何をお供えするかは、人々の信仰や生活習俗と関係している可能性があります。

    例えば墓の主人が生前、卵が大好きだったので、死後も卵を食べられるようにしたとも考えられるわけですね。

    このような食器に食事を盛り付けて副葬したのであろうと考えられる事例も世界的に見られるのです(*・ω・)ノ

    現在でもお盆等の際にお墓へのお供え物として、故人の好きだったものを選んだりしていませんか?

    故人を想い、偲ぶ行動は、人類共通であり、かつ今も昔もさほど変わらないものなのかも知れませんね。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ……ところで、江南の土墩墓で卵が出土したのは『今回が5度目』だそうです。

    もちろん今回のような保存状態の良いものは初めてですけどね。

    きっとこの地域の人々はめちゃくちゃ卵大好きで死後でも卵食べたいのでしょう……

    うむ、個人的意見として「江南の朝食スタイル」は卵料理な気がしますね!( ・Д・)

    ↓卵、大好きなひと~?ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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    2019ねん 4がつ 6にち(どよーび、晴れ)

    AIと統計のために「Python(パイソン)」を勉強し始めた。

    春だし、新年号だし(来月からだけど)、新しいことに取り組みたいなと。

    プログラムは久々だけれども、まぁなんとかなりそうだ( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    さて、今回の考古学・歴史ニュースは『日文研が絵巻物を電子マンガにして無料配信したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    京都に所在する国際日本文化研究センター(通称「日文研」)が所蔵する絵巻資料を電子漫画にして無料で配信する取り組みを始めました。


    古典の絵巻物を漫画形式への翻訳しており、その辺に全く疎い私でも古典に触れて楽しむことができました!v( ̄∇ ̄)v


    マンガ形式ということでコマ分けされていますが、図像は原本からの抜き出しに徹しているそうです。


    この日文研のマンガ絵巻を配信しているのはKADOKAWAの無料漫画総合サイト「Comic Walker」です。


    「まんが訳 酒天童子繪巻」の原本は全3巻からなり、電子マンガ版では1話あたり十数ページ立ての全6話構成に組み直されています。


    画面上に現れる1ページずつを右へスクロールして読み進めていく形です。


    酒天童子繪巻の原本は絵画のみだそうですが、日文研が所蔵する異本の酒呑童子絵巻には詞書(ことばがき)があるそうです。


    この詞書を基に現代語のセリフの吹き出しやナレーションを作成したそうです。



    arukemaya_0183
    ↑マンガ訳の絵巻物の検索結果(「Comic Walker」の検索結果ページ)




    arukemaya_0182
    ↑まんが訳 道成寺縁起中の1頁(「Comic Walker」の「道成寺縁起」より一部加工)



    「Comic Walker」のページで『まんが訳』で検索してみると、上の画像のように二つのマンガがヒットしました。

    同じように検索してもいいですし、今回挙げた画像の下にあるリンクからでもそれぞれのページに飛ぶようにしてあります(・∀・)つ

    さて、検索によると「まんが訳 道成寺縁起」もありまして、日文研による作品第2弾だそうです!

    是非、両方とも読んでみてくださいね、『無料ですし(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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    それにしても素敵なアイディアですよね~。

    マヤ文明にも「絵文書」とか「絵文書様式土器」があるけど、マンガにはなりそうにないなヽ(TдT)ノ

    これからも日文研とKADOKAWAによって新たな作品が配信されるのでしょうか?

    楽しみですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓目指せ、フォロワーさん1000人!とか言ってみる( ・Д・)↓

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    2019ねん 4がつ 4にち(もくよーび、晴れ)

    先日、書類を終わらせるために徹夜した。

    直後から昼夜逆転し始めた。

    眠りたいのに寝れないのは辛い。

    もう諦めて、朝まで読書してみた!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは、『ラッコがいつから石で貝を割るようになったかを考古学的手法で明らかにしようとする研究があるよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    ちなみに今回扱う画像は全て、ラッコの可愛さによって読者を呼び込もうとする安易な戦略の下、集められたものです

    まぁ可愛いから許してください!( -д-)ノ


    さて、今回のニュースに入る前にまず考古学とは何かについてさらっと確認しておきますね。

    考古学の特徴は簡単に言えば大きく2点でしょうか。


    人類史を対象とすること
    遺構・遺物等の人類活動の痕跡を対象資料にすること


    考古学はよく古生物学と間違えられます、「あ、恐竜のでしょ~?」みたいに。

    これは①の特徴から間違っていることが分かりますね!

    一方でよく話題にされるのが考古学と歴史学との違いです。

    日本では考古学は歴史学の範疇に含まれますので紛らわしいのは分かります。

    しかし考古学系の人々が安易に「史学」と言う時は多くの場合「文献史学」を意味しています。

    つまり②の特徴により考古学と歴史学は扱う資料が異なるのです。




    では本題です。

    考古学の「モノ」を扱う学問として、その特徴を生かした新たな研究が行われています。

    それが「ラッコの生態に関する研究」です。

    ラッコは水族館で見られますが、野生でも普段から、貝を「石」に叩きつけて開けています。

    つまり「石」という道具を使用する数少ない動物の一種なのです。

    「石」と言えば、考古学では「石器」研究があります。

    そこでラッコ研究者は、考古学者と共同研究を行い、考古学的手法を用いることで、現在乱獲により絶滅の危機にあるラッコの生態について大きく2点について明らかにしようとしています。



    arukemaya_0176
    ↑お母さんにしっかりと抱かれたまま同じ顔で寝てますね(「「BIGLOBEニュース」の記事内画像より転載)



    1点目はラッコの「石」の使い方についてです。


    余談ですが、ラッコってお気に入りの石を失くすとご飯を食べられなくなるらしいですよ。


    上に挙げた写真のように子供を抱いている時は石をどこかに保管しているのでしょうか?


    どうやら脇の下がポケット状になっていてそこに保管しているそうです。


    ともかくラッコはお気に入りの石を使い続けるのです(*・ω・)ノ



    さて、カリフォルニア沿岸に生息するカリフォルニアラッコを観察し、石の摩耗度合いと捨てられた貝の割れ具合を調べたそうです。


    捨てられた貝殻は同じ側に割れが集中していたことから、カリフォルニアラッコの多くが右利きであることが示唆されました。


    かつては類人猿とヒトだけが「利き手」を持つと考えられてきたそうです。


    近年の研究によってカンガルー、シロナガスクジラ、そしてラッコが利き手を持つことが確認され、利き手のある動物の範囲は広がってるんだそうです。


    石の摩耗度合いの話はどうなったのか、正直私も気になりますが、たぶん結果出てないですね。


    だって、ただでさえ絶滅危惧種なのに、使ってる石取り上げたら、みんな悲しみでご飯食べれなくて絶滅しちゃうもんねヽ(TдT)ノ



    arukemaya_0178
    ↑ラッコ、水に濡れてないとやっぱもふもふしてるのね(・∀・)つ(「秒間SUNDAY」の記事内画像より転載)



    2点目はラッコはいつから道具を使い始めたのかを明らかにすることです。


    これについては捨てられた貝殻の堆積量からラッコたちがいつからこの地で採食を行ってきたのかを推測しようとするものです。


    これについてはまだ結論は出ていませんが、これまでに太平洋岸北西部からアラスカにかけて生息するアラスカラッコよりも、このカリフォルニアラッコという亜種の方が道具を使用することが多いことがわかっています。

    考古学的手法を用いて、2種間の道具を使い始めた時期差を特定できれば、このような地域差が見られる原因として提示できるのかも知れませんね。

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    ↑ぬいぐるみが浮いている(*゚∀゚)っ(「gori.me」の記事内画像より転載)


    道具を扱う動物は意外にいるようで、チンパンジーなどの霊長類は有名ですね。


    近年、考古学者が共同研究を行い、ヒゲオマキザルが700年も前から石の台を使ってナッツ割りをしてきたことを発見しているそうです。


    考古学、役に立ってますね、喜ばしいことです(・∀・)つ


    海洋生物では、イルカはカイメンを用いることが知られていますが、まぁ考古学では扱えそうにないですね……

    他方で魚類でも、ベラの仲間に、ウニなど固い獲物を石に叩きつけて割るものがいるそうです。


    これもベラの貝塚を掘り返すような考古学的手法によってその場所がどれくらい長く使われてきたのかがわかるかもってことです。


    まぁ考古学調査は「破壊」ですから、その辺を分かってるのか疑問な展望ですけども( ・Д・)


    まだまだこうした考古学的手法の応用は始まったばかりですから、これから様々な問題をクリアして、独自の研究法が確立されていくように思えます。


    ヒゲオマキザルや今回のラッコ研究のように、考古学的手法の有用性を証明できれば、今後は様々な他の研究にも使えるようになるかも知れません。



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    ↑ラッコ考古学が佳境を迎える瞬間……こんなラッコも可愛い!カワ(・∀・)イイ!!(「bokete」より画像を転載;credit: ジャコウネズミ28号さん)


    さて、参考にした「ナショナルジオグラフィック」の記事では「動物考古学」の言葉が用いられていましたが、現在は今回のような事例の研究に対して使いません。


    あくまで人類活動に関わるものとして動物考古学が存在します。


    例えば、人間が獲って食べていた貝塚等から見つかる陸生・水生動物に関する研究です。


    しかしながら今回のような考古学研究法の応用が他分野に用いられていくならば、「動物考古学」はその定義を変えていくことになることは間違いないでしょう(*・ω・)ノ


    「考古学なんてロマン以外に役に立たない」なんて言われることもありますが、考古学は意外に様々な面で密かに役に立ってるんだよ!ってことをアピールしていくことも、このブログの意味かも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    いや~、それにしてもラッコの赤ちゃん可愛い!


    考古学っぽい写真は一枚もないけども……


    可愛いは正義!v( ̄∇ ̄)v


    ↓ラッコが好きになったよ~ってひと!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓


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    2019ねん 4がつ 3にち(すいよーび、晴れ)

    「考古学者は女性にとって最良の夫である。

    妻が年を取れば取るほど妻に関心を持つようになるからだ。」

    by アガサ・クリスティ

    ……なんというプレッシャーだ!( ・Д・)


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    ↑発見された遺跡周辺のチチカカ湖の様子と地元の方々(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


    今回の考古学・歴史ニュースは『南米のチチカカ湖の湖底から、1000年前の遠隔地産の黄金製品や宝石を伴う祭祀遺跡が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    今回の発見の地は南米のボリビアとペルーにまたがって存在するチチカカ湖です。

    今から1000年前、このチチカカ湖の一帯はティワナク文化の領域でした。

    ちなみにティワナク文化はヒストリー・チャンネルの「古代の宇宙人」シリーズでよく出てきます。

    中心地であるティワナク遺跡は、この動画でよく取り上げられる「太陽の門」や「半地下式方形広場」、精巧な石彫で有名な「プマ・プンク」で有名です。

    ティワナク文化はチチカカ湖流域においてBCE100~200年に始まり、その最盛期はCE800~1100年と推定されています。

    今回発見されたのは1000年前の遺物ですから、ティワナク文化の最盛期の頃のものですね


     
    (↑私が眠る時によくお世話になっている動画です。回し者ではございません( -д-)ノ)




    さて、今回はチチカカ湖の真ん中辺り、イスラ・デ・ソル(「太陽の島」)の北西方向にある岩礁から、儀式の供物として屠殺された動物の遺体や黄金製品を回収したことから、同地点が祭祀遺跡であると推測されています。

    古代アンデス文明においてこのような儀礼的遺物の水中からの発見は前例がないそうで、特別な遺跡であることが分かります。

    発見地点はチチカカ湖の「太陽の島」の北西端から約10kmの平面的位置における水面下5m以上の深さの場所です。

    発見の経緯として最初はアマチュアダイバーが岩礁の広がるこの地点でいくつかの古代の遺物を見つけました。

    その後、報告を受けた海洋考古学者はこの岩礁の一帯を探索し、ラピスラズリ製のピューマの置物やその他の動物を模した石製のミニチュア、土製品であるピューマの香炉、プーマとコンドルのシルエットのマークを有するL字型の造形物が見つかりました。

    これらの遺物は全て奢侈性の非常に高い品々であり、儀礼を執行したティワナク文化の人々は、古代アンデス帝国で入手できた中でも最も貴重なこれらの品々を儀礼行為として湖底に沈めたことになります。

    出土した黄金製品や磨かれた宝石の他に、およそ2,000km離れたエクアドルの海岸沖の暖かい海で獲れるとげのある貝殻が見つかりました。

    こういった長距離交易でのみ得られる希少品も彼らは儀礼に用いたわけです。


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    ↑海底から見つかった遺物群(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


    これらの貴重な品々と共に見つかったのは、焼けた魚とラマの骨の残骸です。

    焼けた魚の残骸は儀礼の際に食べられたものであると考えられています。

    遺跡に残る炭化物と骨片を基にした炭素年代測定の結果からは、CE8世紀~10世紀を通してこのような儀礼が行われていた可能性を示しています。

    一方でラマの骨は、儀礼に際して生贄に捧げられたものであると推定されています。


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    ↑出土した黄金製品(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: C.Delaere/ULB )


    この発見地点の傍に位置する「太陽の島」では10基以上のティワナク文化に関する遺構が発見されています。

    その内の1つは、今回の発見地点である北西海岸近くに位置するもので、当該地域で最強の肉食動物であるピューマを象徴した儀式用複合施設です。

    ティワナク文化の人々にとって儀式と宗教は古代国家おけるで非常に重要な関心ごとであったと考えられます。

    恐らくはティワナク文化の貴族層の人物が、遠隔地の希少品や黄金製品、宝石で美しく飾られた若いラマをこの岩礁で儀礼的に屠殺するといった、国家の繁栄を願い続けた古代の儀礼行為の痕跡が今回発見された遺跡なのでしょう。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    条件にもよるようだけれども、水中でもこれほど動物骨や炭化物が保存されるとは……

    やはり保存状態のいい遺物がたくさん出るのは嬉しいことです。

    それにしても今回の発見は大発見です!

    今回の儀礼に関する多量の遺物だけでも、博物館の特別展を開けそうですね!(。・ω・)ノ゙

    ↓やぱスキューバのライセンスが欲しい!( ・Д・)↓

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    2019ねん 3がつ 28にち(もくよーび、曇り)

    ネタが尽きてきて、よーやく特集系に戻れるかと思いきや、

    取り上げたいニュースが上がってくる( ・Д・)

    まぁいいことなんですけどね( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑ビュクリュカレ遺跡(中央下部)と美しき風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


    今回の考古学・歴史ニュースは『トルコで4000年前の綺麗な水晶製のヒョウとか印章とか出たよ!』ってことです(・∀・)つ

    前回もちょうどトルコで4000年前の出土品の話をしましたね。


    ↓以前の関連記事です(*・ω・)ノ
    ↑トルコ4000年前シリーズ?Σ(・ω・ノ)ノ


    というのも、前回の記事も今回の記事も、「アナトリア考古学研究所」の調査・研究成果なのです。

    そのため遺跡は別々なのですが、時期的には同時期の資料である可能性がそもそも高いわけです。

    このアナトリア考古学研究所は、東京の三鷹市にある(財)中近東文化センターの附属機関として設立されたものです。

    ですので、多くの日本人研究者が活躍している場なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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    最初に紹介するのはビュクリュカレ遺跡です。


    トルコの首都アンカラの南東約65kmに位置します。


    現在と同様に昔から交通の要衝だったと考えられ、 ヒッタイト帝国時代(BCE2000~)以降の都市とのことです。


    写真から分かるでしょうか、方形の枠が階段状に重なっているのが調査区で、そこが周辺より高い岩山になっています。

    この上に重要な大型建築物が築かれ、周辺部のより低い土地に都市が形成されていました。


    arukemaya_0159


    この遺跡で見つかったのが、上の写真のヒョウです!カワ(・∀・)イイ!!

    大きさは長軸3cm、短軸2.2cm、高さ1.3cmと小さいです。

    直径3mmのラピスラズリや、青いガラス、金が象嵌されており、首には青銅製の金具が付いているそうです。

    BCE2000~1800年前のアッシリア商業植民地時代の遺物と考えられます。

    貴重なアフガニスタン産の青い宝石であるラピスラズリを使っていることから、笏などの先端に取り付けて儀礼に用いたのではないかと推測されています。


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    次に紹介するのがカマン・カレホユック遺跡です。


    トルコの首都アンカラから南東約100 kmに位置します。


    サイズが直径280 m、高さ16 mあるそうですが、アナトリアでは中規模の丘状遺跡なのだそうです。


    これまでの調査で4つの文化層、オスマン/ビザンチン、鉄器時代、後期・中期青銅器時代、前期青銅器時代が確認されています。


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    ↑カマン・カレホユック遺跡の調査風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


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    上の写真に見られるようなピット(簡単に言うと穴)が非常にたくさん検出されています。

    これらは基本的に建築物遺構とのことですが、柱穴もあれば、お墓もあり、炉跡もあるそうです。

    ピットは大小様々であり、かなり切り合っているので、複雑だな~という印象です( -д-)ノ

    さて、この遺跡で見つかったのは紫色の水晶製の印章です。

    このような光り輝く美しい円筒印章は珍しいそうです。

    印章は古代メソポタミア(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が居住していた時代(BCE2000~1800)のもので、先ほどのヒョウと同じくらいの時期の遺物です。


    この印章の中央部にはラマと呼ばれる守護神の像(右向きの人型の姿)が刻まれており、縁に角状の突起がある三角帽を被っているなどの特徴から、印章が使用された年代を特定できたそうです。


    遺物の大きさは長軸2.4cm、短軸1.4cmで、地表から約3m下の地層から見つかりました。


    非常に珍しい品であることから、近くから宮殿等の重要な建造物遺構が見つかることが期待されます(・∀・)つ



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    いや~、こういう素敵な遺物の発見、いいですね!

    こんなものが土から顔を出したら感動ものですわ!v( ̄∇ ̄)v

    ↓押してくれぃ!それ、押してくれぃ!( ・Д・)↓

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    2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

    ダイエットを本格的に開始した。

    ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

    お酒もやめた。

    オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


    写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


    南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

    中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

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    遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

    グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

    一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

    出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


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    ↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


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    ↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


    出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

    帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

    いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

    ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

    世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

    本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

    4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

    ……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

    美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

    ↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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