あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    フランス

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 1がつ 28にち(すいよーび、晴れ)

    たくさん寝てるのに朝からなんかずっと眠いんですけど!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y498
    ↑なんかこういう現場写真好き!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP


    今回の考古学・歴史ニュースは考古学者が遺体を特定、300年来の謎がほどけた話( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    2019年の火災で世界を震わせた、フランス・パリのノートルダム大聖堂。
    再建工事に向けた調査のなかで、2022年、床下から複数の人骨と鉛製の棺が発見された。


    この発見自体は当時もニュースになったが、その後の分析によって、長らく正体不明だった人物の身元が、かなり具体的に判明してきた


    しかも、その人物は――
    300年以上前から「ここに眠っているはずなのに、見つからなかった人物」だった可能性が高い。




    🪦 ノートルダムの床下で何が見つかったのか

    見つかったのは、大聖堂の中心部にあたる場所に埋められていた鉛の棺。
    鉛は高価で加工も難しく、主に高位の人物の埋葬に用いられていた。

    同時に発見された別の棺は、銘文などから17世紀の高位聖職者アントワーヌ・ド・ラ・ポルトだと比較的早く特定された。

    だが、もう一体の遺体には名前を示すものがなかった。


    それにもかかわらず、

    • 埋葬位置は特等席

    • 棺は鉛製

    • 丁重な扱い

    この条件がそろっている。

    そこで研究者たちは、この人物を仮に
    「騎士(ホースマン)」と呼び、詳細な分析を進めることになった。



    arukemaya_y496
    ↑からっぽですね!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP


    🐎 なぜ「騎士」だと分かったのか?

    剣も鎧も出てきていない。それなのに、なぜ「騎士」なのか。

    決め手になったのは、骨の特徴だった。

    • 骨盤

    • 大腿骨

    • 股関節まわり

    これらに、長年にわたって馬に乗り続けた人に特有の変形が見られた。

    つまりこの人物は、

    日常的に馬に乗る
    → それもかなりの頻度で
    → 若い頃から続けていた

    可能性が高い。

    さらに、骨には重い病気の痕跡も残っていた。結核に由来する病変、そして慢性的な炎症。

    歴史資料と照らし合わせると、ここで一人の人物が浮かび上がってくる。




    🕵️ 300年来の行方不明者がいた

    16世紀フランス・ルネサンス期の詩人
    ジョアシャン・デュ・ベレー

    彼は、亡くなった後にノートルダム大聖堂へ埋葬されたと記録されている。
    ところが18世紀以降、墓の所在が分からなくなり、「どこに眠っているのか分からない人物」になっていた。

    研究チームは、

    • 死亡時の年齢

    • 病気の記録

    • 生活様式(騎乗)

    • 埋葬の格式

    これらがデュ・ベレーの史料とよく一致すると指摘している。

    現時点では100%の断定ではないが、「最有力候補」であることはほぼ間違いない、という評価だ。




    arukemaya_y497
    ↑彼がデュ・ベレーらしい!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載)

    🧪 考古学は「確率」を積み上げる学問

    ここが重要なところ。

    考古学の身元特定は、ドラマのように「DNA一致!解決!」とはいかない。

    • 年代

    • 病理

    • 生活痕

    • 文献記録

    これらを一つずつ重ねて、最も矛盾の少ない人物像に近づいていく

    だからこそ今回の発見は、「完全解決」ではなく、
    300年越しの歴史ミステリーが、ようやく輪郭を持ち始めた瞬間とも言える。




    🏛️ ノートルダム大聖堂は「墓でもあった」

    ノートルダム大聖堂は、祈りの場であると同時に、長いあいだ埋葬の特等席でもあった。

    高位聖職者、貴族、重要人物――彼らは大聖堂の床下に眠り、時代の変化のなかで忘れられていった。


    2019年の火災は悲劇だった。

    だが、その後の修復工事がなければ、この人物は今も「名もなき遺体」のままだったかもしれない。



    🔮 火災が呼び起こした、もう一つの歴史

    建物は壊れた。
    だが同時に、眠っていた記憶が掘り起こされた

    文明の遺跡は、壊れたときにだけ語り始めることがある。

    ノートルダムの床下で起きたのは、
    まさにそんな出来事だった。



    arukemaya_y498
    arukemaya_y497
    arukemaya_y499
    ↑現代の考古学って感じですね~!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Denis Gliksman / INRAP




    おわりに

    この前、共同研究会に行ったら、古王朝やってるヒエログリフ読めないエジプト考古学者に対してヒエログリフ読める新しい時期やってるエジプトロジストがバカにしてるって聞いた。マヤニストって表現もあるんだけど、うちらは別にマヤ文字読めるか読めないかで差別はないんだけどな。やっぱり文献史データ量が豊富だから傲慢になるのかな?

    やってる時期が違うわけだし、そもそも専門も違う気がするんだけれど、歴史時代だって歴史考古学のような文献使う人がメジャーにしてもその中でガチガチの考古学者がいてもいい気がするけれど違うのだろうか・・・変なとこで差別してないで仲良く研究すりゃあいいのに、よっぽど暇なんだなと思ってしまうぜ!( ・Д・)←一番バカにしてるw



    なにはともあれ・・・・・・

    歴史と接続する考古学っていいよね!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 7にち(かよーび、くもり)

    ダイエット効果を実感できて嬉しい気持ちになた!(・∀・)つ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは霊廟なの?商店街なの?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    ✨ 序章 — 歴史の陰に眠る権力と商業の結び目

    ローヌ川のほとり、かつてガリアの中心地だった土地に、意外な形でその“過去”が姿を現した。円形の霊廟(マウソレウム)が、皇帝アウグストゥスになぞらえて造られた可能性を帯び、しかもその近くに古代ローマ時代の店舗群──商いと日常の軌跡──が発掘されていたのだ。


    この発見は、ただ古代建築の壮大さを見せつけるだけではない。死者を弔う場所と、日々の活気が混ざり合った公共空間、そして権力の象徴としての建築。それらが交錯する場所が存在したという仮定――もし証明されれば、ローマ・ガリア地方の社会構造や政治的象徴、経済生活の織りなすネットワークに新たな光をあてるだろう。


    以降は、サン=ロマン=アン=ガルの発掘成果から「霊廟モデル+商業施設併設」という仮説を追いながら、わかっていること・謎・展望を「あるけまや」風に丁寧に紡ぐ。




    🏛 サン=ロマン=アン=ガルで発見された霊廟と商店区

    サン=ロマン=アン=ガルはリヨン近郊、ローヌ川沿いにある古代ローマの遺跡地。2025年夏の調査で、以下のような発見が報じられている:

    • 円形の霊廟(mausoleum)が発見され、アウグストゥス帝の霊廟をモデルにして造られた可能性があると考えられている。構造は内径約 15 メートル、当時の高さは 6 メートルほどあった可能性。

    • 建設年代はおよそ紀元50年頃、皇帝クラウディウスの治世下と見られている。

    • また霊廟の「西側地域(northern baths の近く)」には、1~2世紀A.D. の商店群(タベルナ;飲食店/ショップ)や工房が確認されており、かつポルティコ(列柱付き通路)を伴っていた可能性が報じられている。

    • その商業施設には、羊毛布地の洗浄・加工(fullones)、ガラスまたは焼き物の窯作業といったアトリエ機能を持つものも含まれていたとされ、日常・経済活動の痕跡が鮮明。

    これらは、「霊廟」という葬送・記念の構造と、「商業施設(店舗群・工房)」という生活・経済の場が地理的・機能的に近接して存在していたことを示しており、「霊廟を模した巨大建築+商業施設併設」の仮説に十分近い状況といえる。




    arukemaya_y209
    ↑やぱドローンいいわ!( ・Д・)(「Ancintist」の記事内画像より転載; credit: Julien Bourreau / Musée Gallo-Romain of Saint-Romain-en-Gal)



    🧐 既存の報道と仮説のギャップ:何が“模した”と言えるか

    ただし、現時点では次のような未確定要素も多く、完全に「皇帝霊廟モデルに基づいた商業施設併設遺構」だと断定するには慎重を要する。

    • 模型としての参照:アウグストゥスの霊廟と「似ている」という報告はあるが、装飾・内部構造・象徴性(彫刻・碑文など)が完全に一致するわけではない。

    • 商業施設との連続性と機能:店舗・工房が“霊廟の附属施設”であったのか、それとも独立したコミュニティ生活圏の一部であったのか。ポルティコや通路の配置など、どこまで建物同士が意図的に結び付けられていたかが未だ完全には明らかでない。

    • 被葬者の身分・動機:この巨大霊廟が誰のために建てられたのか。皇帝のような“超越的地位”を持つ者か、あるいはローマ属州ガリアにおける地方のエリートか。政治的・社会的文脈の解明が鍵。

    • 保存状態・発掘時の被災(火災など):一部商店群が火災で焼けた痕跡があり、それが構造保存の一因ともされている。火災により木材など有機物が炭化または堆積物に封じられたケースがあると報告されている。これが発掘資料の偏りを生む可能性。



    🌍 仮説が正しいとしたら、見えてくる社会の輪郭

    もしこの遺構が「皇帝霊廟をモデルとし、商業施設を併設していた」ことが立証されれば、古代ローマの属州における以下のような社会構造・文化的意義が浮かび上がる。

    1. エリートの象徴性と公共性の融合
       霊廟というのは本来、死者を弔うと同時に、記憶を後世に伝えるための建築。もしそれが商店街や工房に隣接し、見える場所に置かれていたとすれば、「死者を祀る者」の社会的地位を日常空間で喧伝する意図があったと考えられる。

    2. 商業インフラと儀礼空間の近接
       商店・工房と霊廟との近さは、通過する人々(旅行者・巡礼者など)への見せ場、あるいは旅路の中での経済活動との接点を意図していた可能性がある。ローヌ川を行き交う人や都市 Vienne へ入る人々がこの霊廟商業複合体を視認できたという報告もある。

    3. 地方ローマ時代の政治的競争と展示
       属州ガリアのエリートたちは、ローマ本国との繋がりや彼らの地位を繰り返し示そうとしていた。建築様式や目立つ構造を模倣することは、自己主張の一形態だったとみなすことができる。

    4. 経済の多様性・職人技術の可視化
       羊毛の加工 (fullones)、窯作業、店舗群など、さまざまな職能が共存していたことにより、ローマ都市生活の複合性がよく見える。これらが商品流通・日常生活・儀礼とどのように絡んでいたかを考えることで、ローマ帝国の属州における経済のグラニュール(粒子)に迫れる。



    🔍 現状の認識とこれから調査すべき点

    • 現在の発見は、「霊廟+商業施設併設」の仮説を支持するものが非常に強くなってきているが、まだ「皇帝霊廟を完全に模倣したもの」であることの証明は不十分。

    • 工房・店舗群の発掘は進んでおり、用途や所有者階層を推定するための器物・建材・装飾の分析がこれから重要になる。

    • 被葬者の特定はまだで、碑文・墓誌・装飾彫刻などの発見が待たれている。

    • 公共への展示、保存状態の維持、発掘現場の保護も重要な課題。火災による保存という意外な条件も遺構の質を左右している。






    おわりに

    そういえば、最近書いた記事の中でも「タベルナ」出てきたんだよね。

    ポンペイの事例だった気がするからイタリアか。

    今回フランスでの発見だけれど、、、

    どれもラテン語系だからスペイン語に似てるんだと思う!



    実はフランス語もイタリア語もやってるんだけれど普段使わんので覚えていない( -д-)ノ

    ま、でもスペイン語なら分かる!

    中米ではタベルナって使うことないんだけど、スペインでは居酒屋とかを指すみたい。

    考古学では広く飲食店をタベルナと表現してるみたい。



    何が言いたいかって、「飲食店なのに食べるなとはこれいかに!( ・Д・)」

    皆さんもこれで単語ひとつを絶対に覚えることができたでしょう!




    格差研究始めて、アッパークラスのデータは考古学的には分かり易いけれど、一般層の暮らしって分かりにくい。

    今回みたいに火災が起きてそのまま放棄されたような事例だと貴重なデータが取れていいなと思う。

    考古学者は墓が好きだというけれど、まぁ間違いないけど、




    私は、

    やぱ事故現場いいな!?( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 9がつ 24にち(すいよーび、晴れ)

    日々の生活の中にブログ・Youtube・数学の時間は確保したが……( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「海底約2500mで16世紀の船の積荷がいい感じで残ってたってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    海の底で時間が止まった。


    ソナーが捉えた黒い線を追った先には、約30メートルの船体と整然と残る積み荷――彩色された陶器のピッチャー、皿、錨、そして大砲や大鍋のような船具が、まるで出航の準備をしたまま眠っているかのように横たわっていた。


    発見者はフランス海軍の調査ドローン。浮かび上がったのは、16世紀ごろにイタリア北部から出航したと推定される商船(調査名:カマラ4号/Camarat 4)。


    その位置はフランス領海のなかでも記録的な深さ、約2,567メートル――法的にも学術的にも“重要文化財”に相当する海底遺産だ。



    🔎 発見の経緯:偶然の一枚のソナー画像が呼んだ百年の物語

    今年3月、地中海南岸・ラマトゥエル(Ramatuelle)沖で行われた仏海軍の海底調査中、深海用の自律無人探査機が異常なソナー反射を検出。


    カメラ搭載のROV(遠隔操作無人潜水機)が下されると、そこには長さ約30m・幅約7mの木造商船と、その上に積まれた陶磁器の山が写っていました。


    現場映像はDRASSM(フランス潜水・海底考古局)に送られ、専門家が解析した結果、器物の形態から16世紀(1500年代)の商船と同定され、仮称「Camarat 4」と命名されました。




    arukemaya_y170
    ↑・・・・・やぱ空き缶ない?( ・Д・)(「artnet」の記事内画像より転載)



    🧭 何が特別なのか:深さが守った“ほぼ凍結状態”の積み荷

    ここが一番のおもしろいところ。


    約2.5kmの深海という極限条件は、酸素の少ない冷たい環境と人間の手が届きにくいことから、海底に横たわる遺物を外的損傷や盗掘から守る“天然の保存庫”になります。


    ROV映像は、積まれた陶器が多数そのままの形で露出している様子を鮮明に示しており、研究者は「時が凍ったかのようだ」と表現しました。


    映像で確認されたのは、目に見えるだけで200点超のポット(球形ピッチャー)とおよそ100枚の皿、錨、数門の大砲(小型)、さらに大型の煮炊き用鍋のような遺物です。






    🧾 積み荷から読み取れる貿易の道筋と人々の暮らし

    形や装飾(たとえば多くに見られるイエスの頭文字「IHS」を含むキリスト教的モチーフ)から、専門家はこれらの陶器の産地をイタリア北西部=リグーリア(Liguria)周辺と特定する可能性を指摘しています。


    16世紀の地中海は地域間の活発な交易圏であり、こうした日用品や食器は港から港へと渡り、日常を支える“商いの血流”を支えていました。


    つまりこの船は武装商船なのでも軍船でもなく、生活必需品を運ぶ「働く船」だった可能性が高いのです。




    arukemaya_y169
    ↑ふじつぼ並にたくさんあるね( ・Д・)(「artnet」の記事内画像より転載)


    🔬 保存処理と今後の研究プラン:ROV画像は“入り口”に過ぎない

    見つかった遺構はすでにフランス文化省の監督下に置かれ、DRASSMが現場の初期調査を行いました。


    深度が深すぎるため“引き上げ”は容易ではなく、まずは綿密な記録(高解像度映像・三次元マッピング・堆積物分析)と法的保護措置が優先されます。


    科学チームは以下を計画中:堆積物の採取による環境復元(沈没当時の海況推定)、陶器の型式学的詳細比較、金属(大砲・錨)の腐食分析、そして可能ならば近辺での追加遺構探索。深海ならではの“現場保存(in situ conservation)”方針が検討されています。






    ⚖️ 法律と倫理:国家の遺産として守るべきこと

    仏領海内での発見ということで、この遺跡はフランスの海洋法・文化財法の保護下に入り、DRASSMは「文化的財産(bien culturel maritime)」として扱う旨を発表しました。


    深海遺産は容易に回収できないがゆえに“放置”ではなく、国際法やUNESCOの海底文化財ガイドラインに従って、学術的に価値のあるサンプルのみ慎重に採取され、現地は恒久的に保護される見込みです。







    おわりに

    新しい時期は文献史データが多い代わりにモノが少ない傾向にあるからね。

    これだけモノが出ると文献史データと考古学データの突き合わせができるからいいね。

    そしてこういう完形品があると、破片資料の同定も楽ちんになるしいいよね~。



    正直、1個体欲しい!専門じゃないけど!(*^・ェ・)ノ



    今回は引き揚げしないことになったようだけど、正直全部サルベージしたら、博物館の倉庫埋まるよね( ・Д・)

    てかどこぞの金持ちが不法にサルベージさせそうで怖い。

    次のニュースがそれになったらやだな( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱ土器とか陶器はいいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

    このページのトップヘ