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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:ポンペイ

2023ねん12がつ 16にち(きんよーび、秋?晴れ)

さっき早速図書館で「米の価格の変遷」を調べてきたよヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはやっぱポンペイはすごいぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



↓ポンペイ関連の記事はたくさんあるね

↑「日本のポンペイ」とかもあるから『ポンペイ』で記事を検索してみてね



さて、まずは基本情報を記しておきますね。



場所はイタリア、南部のポンペイ遺跡です。

有名だけれど、場所はいまいちわかりませんよね。

これまでも有名だからってことで紹介してなかった気がするので今回は場所を下に示します。



長靴形状で知られているイタリアですが、ポンペイは首都ローマの南東部に位置し、”部位”的には足首らへんにあります。





さて、ポンペイは西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって滅んでしまった都市です。

ローマ帝国の植民地で、商業が盛んな都市でした。



火山噴火により大量の灰で覆われてしまった地域って長い人類史の中ではけっこうたくさんあるものなのですが、、、

ポンペイのすごいところはこの年が滅亡してしまった点にあります。



つまるところ、放棄されてしまったのです。

多くの場合、人間って強いもので、あっという間に元の土地に戻ってきて、灰をどかしたりしてまた住み始めるものなのです。

そうした後の人類活動による再居住過程で遺跡として保存されることがあまりないのです。

でもポンペイは再居住されなかったのでとても残りの良い広大な遺跡が誕生することに繋がったということです。








さて、今回のニュースは当時のパン工房を検出するに至ったってことです。

最初に挙げた写真が調査範囲を上空から撮影したものですね。

本当に美しい!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

最近は安価なドローンも出てきているので、こうして真上から撮影できるのは非常に心強いものです。



上に挙げた写真はまさにパンを焼くところのものです。

パンを焼くためには小麦を挽く必要があるわけですが、今回見つかったのはその場所です。


密室になっていて窓はあるけれど高所にあるため外は見えないようになっていて、ドアもないそうです。

そんなところに3人の奴隷とロバを閉じ込めて強制的に小麦を挽く作業に従事させていたようです。

そういう状況を考えると上部の窓は最低限の食料を投入する場所なんでしょうね(*^・ェ・)ノ






おわりに

なんかとんでもないもの見つけましたね~って感じです(*・ω・)ノ


他サイトさんの記事だと「監獄」って書いてますけど、そんな生易しいレベルではない気がします。

私が付けるなら「地獄のパン工房」ですかね( ・Д・)



いやーほんとポンペイは古い割に残りが良過ぎてびっくりしますね。

その残りの良さ故に、私の今の理論研究の応用先候補No.1なので、もしかしたら今後めちゃくちゃ詳しく説明できる日がくるやも知れません!(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱ建造物が残ってるって大事だな!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 28にち(にちよーび、晴れ)

記事も動画も作れてないが、論文も終わらぬのだ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはまたポンペイか!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ポンペイ遺跡です。

世界の考古学の記事を集めてると、色々なところでみんな頑張ってるな~と感じるものですが、、、

有名な大手誌に取り上げられるのは、ポンペイ、エジプト、インカが圧倒的多数な気がしますね( -д-)ノ

その三つの中でもニュース量だけではなく、常にインパクトがスゴイのがポンペイ遺跡ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ポンペイネタはたくさんあり過ぎて困る( -д-)ノ




 


↑ポンペイはレアな発見の宝庫だね(*・ω・)ノ


今回の発見はポンペイ考古学公園による調査成果の発表となっていますが、正確にはポンペイの都市の外での発見です。

ポンペイの都市から僅か数百メートルの距離にある郊外の住宅群遺構でチビタ・ジュリアーナ(Civita Giuliana)という名称が付いています。

上にたくさん挙げた過去記事の一番下にある『禁断の恋?』って記事もこのチビタ・ジュリアーナを取り扱ったものです。

図面が見つからなかったのですが、写真から察するにこの住宅遺構は元々どうやらかなり立派な邸宅だったようですね。

今回はこのチビタ・ジュリアーナにてほぼ完形の立派な馬車が見つかりました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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このチビタ・ジュリアーナでは馬の骨が3頭分見つかったことから厩舎であったと思われる遺構が確認されています。

今回発見された馬車はこの厩舎に面したポルチコ(柱で支えられた屋根つきの玄関)から出土しました。

まだ全体像がはっきりと分かりませんが、馬車は四輪タイプと推定されています。

鉄や青銅、錫を用いた非常に精巧な装飾が施された馬車であるため儀礼用の馬車と考えられています。

今回の発見のスゴイところは、通常は残らない有機物までが残存しており、石化した木材や馬とつなぐ縄、花飾りを確認できたのですΣ(・ω・ノ)ノ

間違いなく、国宝級の考古学的発見ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓馬車と言えばこれもスゴイ!Σ(・ω・ノ)ノ



おわりに

精巧な装飾に見られるモチーフ内にドレスを着た女性と男性の姿が見られることや、花飾りが見られることから、「花嫁を新居に運ぶための特別な馬車」との見解もあるそうです。

だとしたらロマンティックでもあり、やはり『ポンペイの悲劇』の名に相応しい発見となってしまいますねヽ(TдT)ノ

これだけ保存状態の良い馬車は他にはないわけですし、当時の馬車の出土事例や文献記録にも限りがあるでしょうから、なかなか細かな用途の推定は難しいかと思います。

それでもこの馬車が『特別な馬車』であることは疑いないでしょう。

……哀しい気持ちになったので今回はふざけないでおきます!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 25にち(すいよーび、くもり)

この2連休を休まず働けば勝ち確!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースはポンペイで富豪と奴隷が一緒に死んだ状態が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ポンペイ遺跡です。

ポンペイはこれまでにもけっこう扱ってきましたねヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ





ポンペイと言えば、CE79年に大噴火を起こしたヴェスヴィオス火山の火砕流によって壊滅した都市です。

これまでも「ポンペイの悲劇」をテーマに書いていたので、上記のようなポンペイを中心とした内容を紹介してきました。

今回は『はじめに』かえて、ヴェスヴィオス火山の方に着目して紹介したいと思います。

ポンペイ遺跡の所在するイタリア語では「monte Vesuvio」なので「ヴェスヴィオ山(ないし火山)」が適当なのですが、ラテン語や英語の発音を頼りにすると「ヴェスヴィオス山」となり、日本語ではこちらの方が一般的なようです。

日本の歴史教科書では近年、「現地の言語の発音で表記する」ことになっていますから、ヴェスヴィオス火山も表記が変わることが予想されますね( -д-)ノ

本記事ではとりあえず慣習に倣い、ヴェスヴィオス火山の表記で書くことにします。

さて、記録に残る中で、ヴェスヴィオス火山はBCE217年に大規模に噴火しています。

次が「ポンペイの悲劇」で有名なCE79年のものです。

その後はCE432年、CE1631年、CE1944年に大噴火しています。

このようにヴェスヴィオス火山は歴史上幾度も激しく噴火してきた火山なのです(*・ω・)ノ


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↑大きな穴の痕が、噴火の激しさを物語っています(/TДT)/(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の画像より転載;credit: Robert Clark)



さて、今回の発見は上に挙げた写真に見られるように、CE79年のヴェスヴィオス火山の噴火で亡くなった男性2人の遺体が新たに発見されたことです。

固まった火山灰の中に残された空洞から遺体の型をとり、2人の姿の石膏像が作られた結果、このようなリアルな状況が露わになりました。

死因は高温の火砕流によるショック死で、人型に固まった火山灰の中には2人の歯や骨の一部が残っていたそうです。

この2人の男性は、1人はおそらく裕福な男性で、もう1人はその奴隷ではないかと考えられているそうです。

裕福そうな男性の方は推定30~40歳で、暖かそうな毛織の衣服の痕跡が首の下に残っていました。


一方で奴隷と思われる男性は推定18~23歳で、脊柱が圧迫されていたことから、肉体労働をしていた奴隷ではないかと考えられています。


この2人はポンペイ遺跡の北西約700mにあるチビタ・ジュリアーナと呼ばれる郊外の住宅地で見つかりました。

遺体はナポリ湾を見下ろす邸宅の地下にあった「抜け道」の横の部屋で見つかったことから、2人がここに避難していた可能性が指摘されています。




その部屋が上に挙げた写真なのですが、、、

抜け道を走ってたわけではなく……その横の地下の部屋……

雇い主と肉体労働で鍛えられた若い奴隷、、、

ポンぺイは『快楽の都市』でもあるので想像が逞しくなりますね!( -д-)ノ

写真ではどっちの人物が雇い主か奴隷か分かりませんが、右側の人物は『丸出し』だしね( ・Д・)


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ




↑私のお気に入りは「まだ食べれるよ?シリーズ」です( ・Д・)


おわりに

記事たくさん書いてると毎日世界のどこかで新しい発見が起こってるなと感じます。

まぁ私の調査成果がニュースになってないのを事例に、本当はもっともっと色んな調査・研究があって、記事にはなっていないだけなんですよね。

この前の「縄文の囲炉裏」の新聞記事で痛感しましたが、ニュースにしようとする意気込みが地方紙だと場所によって大きな差があるように思えます。

一方で地元の話でなくてもニュースとしてガンガンに取り上げるものもあって、、、

エジプト、ポンペイ、南米は記事の本数がやけに多いなと思います。

ポンペイは今回のものと同様に新たな当時のリアルな状況が分かったよってことで毎度記事になります。

エジプトや南米(敢えて一括りにしてます)は乾燥地帯としてミイラとかたくさん出たよ!みたいな記事が毎度取り上げられています。

そういった状況を考えると、考古学の中でも特定のテーマに一般の人々の関心が集まり、博物館の特別展の実施や講演会といったお金が絡む話も特定のテーマが中心になる理由はマスコミと関連した商業的な意味合いによるところが大きいんだなと感じています。

ブログタイトルが「歩け、マヤ」なのに、敢えて自分の専門はあまり書いてきませんでしたが、、、

マヤ文明も頑張って打ち出していくしかないね!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 15にち(もくよーび、晴れ)

10月初めに1週間ちょいサボったら、ブログランク☆1に下がってた!( ・Д・)

けどここ最近毎日定時更新してたらPV数復活してきたヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑うずくまり、祈るようにヽ(TдT)ノ(「Vivian's information」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「考古学で呪い関係は色々あると思うけど、今度はポンペイの呪いだってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回のお話は考古学関係者ではなく、一般のカナダ人女性のお話です。

彼女は15年前にイタリアのポンペイ遺跡を訪れ、その際に遺物を持ち帰ったそうです。

その結果、呪いによって相次ぐ不幸に見舞われたそうです。


下に写真を挙げましたが、彼女が持ち帰った遺物は白いモザイクタイル片2枚とアンフォラ壺の破片2点、セラミック壁の破片1点です。



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↑僅かこれだけだよ?(´・ω・`)(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載)



呪いの内容は、本人が乳がんを2度患い、乳腺切除手術を2度受けた他、家族も金銭トラブル遭ったそうです。


彼女は「呪い」が子供たちに引き継がれないよう、ポンペイ博物館に持ち帰った遺物と謝罪の手紙を送付したことで今回のニュースになりましたが、



これまでにもこうしてポンペイ遺跡を訪れた観光客から、モザイクタイルや漆喰片、陶器片などの盗まれた遺物が返還されているそうです。


その数は既に数百件にも及んでいるそうで、そうして返還された遺物に添えられた手紙には、持ち去った出土品は不運しかもたらさなかったことが記されているそうです。



こうした手紙や返還された出土品は、ポンペイ考古学博物館に展示されており、見ることが可能ということで、今後文化財保護のために役立つといいなと思いますね(*・ω・)ノ




……ポンペイは悲劇の都市として有名で、確かに『呪い』があってもおかしくないなとか思ってしまうレベルです。

どのような事件があった都市なのか、是非、過去の記事をご覧くださいヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓ポンペイ、火山関係の記事はたくさんあります(*^・ェ・)ノ











↑まだ読んでない人は是非!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

さて、一度は盗まれ返還された遺物の画像のキャプションに「僅かこれだけ」と書きましたが、


『文化遺産の盗難=考古学データの永久的な消失』なので、あってはならないことだと思います。


専門家としてはそう思います。



けど、一人の人間としては、


「これくらい許してやってよ」って思ってしまいます( -д-)ノ




というのも、世の中、私利私欲のために遺跡を破壊する事例なんて世界中いくらでもあるのです。


今現在、進行形で破壊され続けていると言っても過言ではないでしょう。




もし仮に誰かを呪うなら、他にもっといるぜ!とか思ってしまいます(*^・ェ・)ノ

まぁ個人的には呪いなんてないと、個人の罪悪感の肥大によるものかと思っています。

だからこそ、意図的に破壊している人たちは、『図太いので呪われない』んでしょうね( ・Д・)



正直、プロの考古学者と言われている人たちの中でもいますよ、ヤバイ人たち。

どこかからお金獲ってきて、許可もあるけど、

自分自身は発掘調査に参加しない、報告書も出さないというようなほぼほぼ盗掘を行っている人。


彼らこそ文化遺産の最も大事な部分を破壊し、貴重なデータを損失させる役割を果たしています。

どうせ呪われるならお前らだよっ!( ・Д・)


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2020ねん 2がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

仕事が溜まっていく。

体力も気力も削れていくヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「2000年前の古代の噴火で頭が爆発した事例があるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

つい最近もヴェスビオ火山の噴火の恐ろしさに関する記事を書きました。

今回はそれに類似した内容です。

前回は脳みそがガラス化した話でしたが、今回は脳みそが沸騰して爆発し。内側から頭蓋骨を吹き飛ばしたお話です

↓前回のはこれ。




今回のお話の舞台もヘルクラネウムです。

ヴェスヴィオ火山の近くに位置する古代ローマの一都市ですね。

前回お話したように、有名なポンペイでは飛んできた火山弾に当たって亡くなったり、高温に晒されることで死亡する事例が多いのです。

一方でポンペイよりもヘルクラネウムの位置は噴火した火口の近くにあるため、より高温の火砕流が速やかに到達したと考えられています。

温度に関しては研究者によってばらつきがありますが、概ね500~600度と考えられています。

現代日本では火葬が一般的なのでイメージし易いかも知れませんが、技術の発達に伴い、人の遺体は1000度に達する火葬室で焼かれます。

なので10円玉等の銅を主体とした金属類ならば溶けてしまう温度です。

また現在はもちろん古代より陶器類の焼成や鉄器の精錬には1200度以上に達する窯を用いてきました。

これらと比べると500~600度の火砕流は大した温度じゃないと感じるかも知れません。

あるいはその程度の温度で脳が沸騰したり、頭蓋骨が爆発したりするものかと不思議に思うかも知れません(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

上記の人口的な高温焼成と、ヴェスヴィオ火山の火砕流との違いは「時間」です。

ヘルクラネウムを襲った火砕流は人体を一瞬の内に包み込み、500~600度の高温状態にしたのです( ・Д・)

さて、では実際にヘルクラネウムで発見された頭蓋骨の写真を見てみましょう(*・ω・)ノ


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1枚目の画像だと頭蓋骨の上部が砕けています。

2枚目では側頭部、3枚目では頭蓋骨の前方が砕けています。

このように上部だけが吹き飛ぶわけではないようですね。

ところでヘルクラネウムの当時の人口は5000人と推定されています。

ポンペイの事例では人口2万人に対して約2000人が犠牲となりました。

10%程度ですね( -д-)ノ

ヘルクラネウムの事例に適応すると5000人の10%で500人が死亡したことになります。

火口に近い分、被害者数はより多かったかも知れません。

あるいはポンペイの被害者の多くは逃げ遅れた人、あるいは何らかの理由で留まった人なので、しっかり避難していればもっと少ないかも知れません。

そのため正確な犠牲者数は分かりませんし、発掘調査が全て終了しているわけでももちろんありませんが、少なく見積もってもこれまでに発見された100体以上の遺体に対して、頭蓋骨が爆発した事例は僅かです。

みんながみんな、脳みそが急速に沸騰して、頭が爆発して死んだわけではありません。

しかしながら噴火とは恐ろしい物ですね。

日本にも活火山はたくさんあります。

幸いにも過去の被災から学び、現在は様々な対策がなされています。

皆さんも他人事とは思わず、噴火や地震、それらの避難方法について学習し、有事の際にはちゃんと避難してくださいね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2019ねん 7がつ 13にち(どよーび、曇り)

本を買いたい欲が凄い。

自分が本当にやりたい研究のために、様々な勉強が必要だと実感した今日この頃。

今年は有意義な一年になりそうだ( -д-)ノ


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは『古代ローマ、ポンペイで出土した「最後の晩餐」はまだ食べれますよ?』ってお話です(*・ω・)ノ

【目次】
  1. 世界最古の博物館と、イベントの紹介
  2. 驚きの保存状態の食べ物を見よ!
  3. おわりに

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↑ハリー・ポッターでお馴染みのグレートホール(「Google」の画像検索結果より;*元ページが存在しないようです)


1.世界最古の博物館と、イベントの紹介

ということで、まず上に挙げた画像たちはイギリスにある超名門大学、「オックスフォード大学」の様子です。

オックスフォード大学は英語圏で最古の大学であり、記録では11世紀の終わりには講義を行っていたそうです。

当時の学生は弓矢等の武器類を携えて受講したのだとかΣ(・ω・ノ)ノ

そんな世界一の大学が有する博物館はぱっと数えたところ、5つもあるようです。

特に考古学博物館を二つも有しており、その所蔵数も莫大な量を誇ります。

今回紹介するアシュモレアン博物館(Ashmolean Museum of Art and Archeology)はその内のひとつなのです。

今回新たに開催される特別展、「Last Supper in Ponpeii(ポンペイにおける最後の晩餐)」は、2019年7月25日より2020年1月12日までの日程で行われます。

イギリスなので気軽に行けるわけではありませんが、よろしければどうぞ!

今回の記事では日本在住の方はなかなか気軽には行けないので、特別展と展示物の一部を紹介したいと思います。





2.驚きの保存状態の食べ物を見よ!





先にも述べたように、この特別展のタイトルは「Last Supper in Ponpeii」です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画で有名な「最後の晩餐」にかけて訳してみましたが、実際に「Supper」は「晩餐」という意味の他に、「軽食」の意味があるそうです。

昼に正餐(しっかりとした夕食)を取った場合に軽く夕食を取ることをサパーというようです。

昼に夕食というのは何だか妙な感じがしますが、中世ヨーロッパではそれが普通だったようです。

当時は一日2食が一般的で昼と夜に食べていました。

(朝ごはん抜きの文化は古いんですね( -д-)ノ)

そして一番エネルギーの必要な昼に正餐を取り、夕食はサパーで軽く済ましていたようです。

なんだか健康的な食習慣ですよね?Σ(・ω・ノ)ノ

ということで、ポンペイから出土した今でも食べれそうな遺物はこちらです!


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一気に紹介しましたがいかがでしたでしょうか?

パンはたくさん出土しています。

丁度、サパーを取る時間帯に噴火したのでしょうね(/TДT)/

一番最初に挙げたパンが本当に、その辺で売ってそうなパンですよね。

実際に古代ローマのフレスコ画に残るパンも形状が一致していますし、驚きの保存状態です。

色調だけは変わってしまっていると思いますが、チョコレートパンにしか見えませんね。

触れることのできる展示なら、私は間違えて食べます( ・Д・)

たくさんパンが出土する中で、やはりヒビが入っていたり、押しつぶされているものも実際には多数ありました。

そのような中で、半分に切ってある状態のパンは上に挙げた写真しかありませんでした。

まさに夕食を取っていた際に起こった悲劇なんだなと痛感させられますヽ(TдT)ノ





3.おわりに

まぁ今回、勝手に「まだ食べれるよ?( ・Д・)シリーズ」と題しましたけど、以前にもまだ食べれそうな遺物の話があったと思います。


↓【「ラーメンの考古学」番外編】人類史上最古の麺が今でも食べれそうな件について。4000年前の麺はお湯かけて3~5分でイケそうである( ・Д・)【むしろこっちが正当な考古学】



上のこれがライブドアブログの新機能である「リッチリンク」なんですけど、当サイトのタイトルは基本的にバカ長いので内容分かりませんね( ・Д・)

しかも書き出しが「幼稚園児の日記風」にしてあるので猶更中身が分からんという事態になってますヽ(TдT)ノ

しょーがないので、上の例みたいにタイトルを併記したいと思います( -д-)ノ


他にも食べれそうな保存状態いいやつと言えば、こんなのもありましたね。


↓【中国の奇跡】2500年前の古代中国にも『超卵好き』がいた!?墓から大量の卵が無傷で見つかったよ!( ・Д・)【考古学】


↓お酒の考古学~フィンランド編~】最古のビールシリーズ④!古代人も現代人も世界中みんなビールが大好き過ぎる!【お酒の歴史】
 


他にも「弥生人の脳みそ」とかポンペイネタでも色々ありましたけど、今後このシリーズではあくまで食べれる系を紹介することにします。

まぁ滅多にないでしょうけどね!( ・Д・)

↓食べれそうだと思ったらぽちっとな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 31にち(もくよーび、雨)

仕事が進まない!

週末がんばらねば~

あ~、「らーめんの考古学」もやらねば~( ・Д・)

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今回の発見はイタリア、ポンペイでのものです。以前、噴火によって消滅した古代都市ポンペイについて詳しく触れましたので、気になる方はどうぞ!



今回は簡単にポンペイについて紹介しますね。場所はこの通り、イタリアにあります。ポンペイの北西にあるのがヴェスヴィオス火山ですね。

このヴェスヴィオス火山西暦79年8月24日午後1時頃にが大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けました。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。


前回紹介したように、この火砕流によって逃げ遅れた人々や馬が亡くなってしまい、火山灰にパッキングされたのです。結果として保存状態が非常に良く、現在とてもリアルな状態で様々な発見がなされています。

この犬もとてもリアルですよね。首輪が付いてるようですね。リアル過ぎてかわいそうです(ρ゚∩゚) グスン


今回紹介するのはこちらの古人骨です。見事に岩が頭に直撃していますね。噴火の間に大気から発射されたと推定される300キロ(660ポンド)の石が彼の上に降りかかり、頭と上半身を粉砕してしまったのです。約3万人が死亡したと考えられている噴火被害者の内の一人です。

人骨の分析から35歳の男性であることが分かりました。また彼の右足を分析したところ、どうやら男性は身体障害者であり、そのために火山が爆発した際に逃げ遅れてしまったようです。

CNNニュースでこの発見についてのムービーが見れますので紹介しておきます。

英語ですけど見やすく作られいますので、良かったらどうぞ!

ポンペイの遺跡は発見されてから長い年数が経っていますが、まだまだ興味深い発見が相次いでいますね。今後の発掘調査の進展に期待したいです(・∀・)つ

↓こちらも期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 13にち(にちよーび、めちゃ雨)

考古学って面白いなと久しぶりに思えた。

考えることは面白い。

さて、あと3時間くらい頑張りますか。

ひと缶だけガソリン入れながらさ(*・ω・)ノカンパーイ!

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↑冒涜してはおりませぬ。あまりに悲痛な表情だから笑いに変えた方がいいかなって…(下部に載せたYoutube動画を基に加工)

【目次】
  1. ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!
  2. 「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
  3. おわりに

1.ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!

さて、まずポンペイについてさらりとご紹介しますね。場所はイタリアのナポリです。ヴェスヴィオス火山の大噴火の際に、火砕流によって飲み込まれた古代都市として有名です。

ポンペイは二度の大きな自然災害に襲われています。一度目は西暦62年2月5日、激しい地震によりポンペイや周辺都市は大きな被害を受けました。しかしポンペイの町はすぐに以前より立派に再建されました。

二度目は西暦79年8月24日午後1時頃にヴェスヴィオス火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、太陽を覆ったと記録されています。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。

ヴェスヴィオス火山の噴火は、以前の地震から歳月がさほど流れていなかったため、地震被害からの復興作業は完了していなかったようです。つまり今日、発掘調査で明らかになるポンペイの姿とは、地震前の生き残った建物、地震後に再建された新しい建物、再建中の建物といったまさに古代の地震災害からの復興の過程なのです。←ここ大事です、テストに出ます(。・ω・)ノ゙


↑参考までに、ポンペイの悲劇についての紹介動画(「雑学とりびあん」さんの投稿動画より)

さて、ポンペイはその「悲劇の古代都市」として印象付けられていましたが、調査研究の進展により華やかな文化面に焦点が当てられるようになりました。
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↑上の写真は火砕流に飲まれた人々、下の図像は娼館に残っていた壁画(wikiより転載)

ポンペイはぶどうの産地であり、ワインの醸造を主産業としていたそうです。湾港都市としてワインの物流を中心とした商業都市でもあったようですね。またポンペイのの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスでした。娼館と推測される建造物内では、男女の交わりを描いた壁画(上図)が多く出土したことから、ポンペイは「快楽の都市」とも呼ばれているそうです。「悲劇の都市」よりずっといいですね!

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↑今回発見された馬の全身の化石(JIJI.COMより一部加工)

さて、この写真が今回新たに発見された馬の化石ですね。これまでどうしても先に挙げたようなポンペイの人々に焦点が当たっていましたが、今回は動物です!

このお馬さん、ほぼ全身骨格が残った状態なのです。内部の残った骨が見える写真もあったのですが、行方不明になってしまいました。申し訳ない!まぁそれでもこの写真、いかにも発掘現場という感じでいいでしょう!

このお馬さんは、当時のポンペイ内にあった大邸宅の敷地内で出土・検出されています。どうやらお偉いさんのパレードの際にカッコよく着飾って行進していたようです。きっと毛並みの綺麗なお馬さんだったのでしょう。

なんだ、馬だけか!って思うかも知れませんが、こうした地道な発見の繰り返しによって少しずつ「埋もれた過去」が復元されていくものなのです。


2.「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
さて、考古学基礎理論のひとつとして原位置論というものがあります。別名としてポンペイ理論とかポンペイ前提、ポンペイ的前提とも呼ばれます。

火砕流に襲われてポンペイでは2000人もの人が亡くなりました。最大人口は2万人と推定されているので10%も亡くなったのですね。この人々や今回の発見の馬のような動植物、建造物はあっという間に大量の火山灰でパッキングされて、当時の状況を今に残しているわけです。

つまり発掘調査で出土する遺物、検出される様々な状態=当時の状況と考えるわけです。これが「ポンペイ前提」です(私としてはこの用語を用います)。

このポンペイの状況は世界的にみて、とてもレアなケースです。他には古代マヤ地域のエル・サルバドルのホヤ・デ・セレン(セレンの宝石という意味)くらいでしょうか。「『新大陸』のポンペイ」、「中米のポンペイ」、「マヤのポンペイ(異論アリ)」などと呼ばれています。

このポンペイ前提を、考古学者は通常、その他全ての考古学的な出土状況に応用しているわけです。使い方には個人差があると思いますが、通常は出土する遺物・遺構の出土地点は当時と変わらず、その配置に何からしらの歴史的解釈が可能であることを「前提」とするということですね。

もちろん、出土地点が斜面である等の物理的条件や雨雪の働きによる移動、さらに動植物の働きによる攪乱、後世の人類活動による攪乱といった様々な現象によって、「原位置」から遺物が移動する場合が考えられます。

しかし動物あるいはヒトの農耕等の掘削の痕跡といった明確な痕跡が残らない場合、遺物が「原位置」からズレていることも証明できないのです。そのため「基本的に遺物は原位置であることを前提」に考えるのですね。この問題は「遺跡形成過程論」とも結び付いてかなり複雑な議論が展開されています。

ところで、日本考古学における「原位置論」といえば、麻生優という考古学者が有名でしょうか。ここでの原位置は遺物・遺構の「使用方法」に関係して議論されています(以下、考古学のお話になります)。
  • 麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号 pp.1-5. 国学院考古学学会
  • 麻生1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号 pp.1-14.物質文化研究会

上記2つが著名な論文になりますが、内容を抜粋すると以下のようになります。

 「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
 さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生 1975:1)
また麻生は、本来の位置を保った構造物の一部を「残存物」、本来の位置を失った構造物の一部を「分離物」と定義し、本来の位置があるものが「構造物」であり、その残存形態が遺構と部材であり、本来の位置がないものが「道具」であり、その残存形態が遺物であると述べています。

ここで麻生が述べている「原位置論」とはポンペイ前提とは異なります。広義の原位置について言及しているのがポンペイ前提(出土した時点、廃棄・残存の時点)で、狭義の原位置について言及しているのが原位置論(使用されていた時点)になります。

麻生の「原位置論」は日本における原位置についての理論的研究の端緒であるわけですが、彼によれば全ての道具、つまり遺物は原位置にないことになります。そのため原位置についての議論は構造物やその部材に対して行われるのです。

また過去に非加工の自然物が利用された場合に対する考古学者の認識についてある種の問題提起を行っています。つまり、特定の状況下において「残存物」として見出されるが故に、「部材」として認定される。しかし全く同じものでも異なる状況において「分離物」として見出されれば、単なる遺物として認定される。そして状況次第では多くの場合、遺物として認定されないことを指摘しています。

最終的には、
部材における本来の位置(原位置)とは、ある種の使用の痕跡(「使用痕」)といっていいのではないか(「第2考古学」の記事より転載)
ということのようですが、どうなんでしょう。木製の柱が出土しないマヤ地域では何とも想像しにくいです。柱穴や木製壁の痕跡の周囲に支えとして置かれる人頭大のレキ群がこの場合の部材に当たるのでしょうが、だとすると、ある種の使用の痕跡といってももちろんいいでしょう。

それで、その後この議論はどう発展するのか?……古代マヤでは柱穴遺構自体が珍しいですしね。主に石造建造物(主に切り石が使用されるので加工物です)を扱いますし。でも土製や木製の構造物もあったのは確かです。「原位置」について考察するかは分かりませんが、先の問題提起のように特殊な事例における非加工の遺物の認定方法や出土状況に基づく解釈の仕方については、今後精緻な調査による木造構造物の遺構の検出事例を増やしつつ、慎重に考えていくべきかなと感じております。( ・Д・)


3.おわりに
最後に、こんな内容になる予定ではありませんでしたが、結果、なんだか意味わからん研究ノートみたいになってしまって申し訳ないなと反省しています。まぁでも基本ニュース記事ですからね、ポンペイについても、原位置論についても今後追記・修正したいなと思っています。

あとあまりに考古学の話に踏み込むのもどうかなとも思っています。楽しく分かりやすい考古学がいいですよね!まぁでも「ポンペイ前提」は分かってもらえたでしょうか? あとかつての「ポンペイはワインとエロスの世界」だった!くらいを覚えて頂ければ、明日の話題には困らないはずです(*・ω・)ノ……あ、本来はお馬さんの話だったか( -д-)ノ

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