あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    マヤ文明

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    2025ねん 5がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

    眠りが浅い!今度こそ酒やめる!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    テオとティカル、サムネ

    ↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!②( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    前回からめちゃくちゃ時間あきましたね、ごめんなさい。

    そうこうしている内に、今回話題にしているニュースに続報がありました!

    そのことも踏まえて今回は色々と”突っついて”いこうと思います( -д-)ノ



    ↓前回の記事



    ↑続報の参考元記事


    ②とりあえず発見されたものについて説明してみる





    新しい記事の方には上に挙げた復元図が載っていました。

    中南米のモチーフって似通って見えると思うのでちょっと分からないかも知れませんが、専門家らするとこれは明らかにテオティワカン様式のモチーフです。

    そしてタルータブレロ建築の建造物(祭壇と言っている)もテオティワカン様式ですね。

    この祭壇(?)の下から2体の人骨が見つかり、更に祭壇(?)周辺からは3体の幼児の人骨が見つかったそうです。



    計5体の人骨ですが、これがテオティワカン人のものなのかどうかはDNA分析などが必要になってきますので結果が出るまでには時間がかかりそうです。

    マヤ地域は石灰岩台地ですし、更に漆喰を使って床面を形成するし、重層建築だから幾層も床面作るので、人骨は浸食から守られて残存しやすいのです。

    なのでマヤ地域における人骨資料は多いです。




    ただ昔の探検時代や植民地考古学時代に見つかった資料が多いため、DNA分析できる状態で保管されているかは謎ですね。

    他方でテオティワカンの方は後世の盗掘被害が激しく、人骨はほとんど残っていません。

    こうした状況下で今回発見された人骨からDNAデータを抽出できたとして、マヤ人かテオティワカン人かを高レベルで判別可能かどうかはちょっと分かりません。



    ちなみに378年1月31日にシャフ・カック(テオティワカンの将軍?)がティカルに「到着」し、同日にティカル王朝第14第王チャク・トク・イチャーク1世が「水に入る」(死亡)します。

    その後テオティワカン様式の装束で即位するヤシュ・ヌーン・アイーン1世と続くシャフ・チャン・カウィール2世の埋葬遺構だけが殉葬を伴います。

    殉葬とは高貴な人が死んだ際に、家来や付き人といった関係者、あるいは生贄として他人?を葬る行為です。

    この殉葬はテオティワカンの文化であって、マヤには見られません。

    明らかにテオティワカンによって征服されて(どのような社会変化であったのかは詳細不明)テオティワカン文化を受け入れた限られた期間のみティカルに出現するものです。



    なので今回の祭壇(?)の周りで3体の幼児の骨が見つかったそうですが、これが殉葬なのかどうかは分からないものの、そのような見方はされているようです。

    まぁ一気に三人もの幼児が一斉に死ぬとは考えにくいですからね( -д-)ノ




    ③で、祭壇なの!?


    記事ではずっと祭壇って書いてるんですよね。

    私はずっと祭壇(?)って書いてるんですけども、気付きました?



    テオティワカンにおいてこうしたタルータブレロ建築様式が見られる建造物のほとんどが建造物基壇です。

    なので上部に有機物製の建物があったのだと思われます。

    なので大きいです!




    他方で確かに小さいものも僅かにですが事例があるんですよね。

    ちなみにティカルにもムンド・ペルディード地区に1基あります。

    サイズは確かにこんな感じに小さいものですが、、、

    儀礼を行う場なので『背が低くて』、『階段が付いてて』上に登れるようになってるんですよね。


    それに比べて、今回発見されたこれは背が高過ぎでしょう。

    乗れんもん・・・ロイター板欲しいレベルです( -д-)ノ



    マヤはステラ-アルター信仰という石碑と祭壇をセットにした建立物が北のアクロポリスを代表として様々な神殿の前で見られます。

    でもその場合のアルター、つまり円形祭壇は背が低いですよ。

    捧げ物を載せたりするのでしょうから、背が高いと困りますよね。




    ・・・だから、これほんとに祭壇って言っていいのか私には分かりません。

    祭壇の定義を教えてくれ!( ・Д・)

    まぁ階段もないし、基壇にするには小さ過ぎるので、考古学者がお得意の『儀礼的な行為に使ったもの』から派生して祭壇って言ってるんだろうな~て気持ちです( -д-)ノ




    ④てか、壊し過ぎじゃね?

    先ほど挙げた写真と比べてみてください。

    ぼろぼろですね!( ・Д・)



    宝探し大好きだから、祭壇(?)の下も掘って、埋葬遺構見つけたんだから、まぁ多少は仕方ない。

    が、、、

    こんなに複数の面壊す必要ある???




    1面でいいでしょうよ。



    あとでも話しますけれど、漆喰の上塗りが薄いんですよね。

    その辺、テオティワカンっぽい。

    だからこそ保存には気を付けなきゃなのに、、、



    たぶん長期調査の中でバリバリに剥げたんだと思います。

    祭壇(?)下部のタルー部(斜壁部)は石の積み方がテオティワカン的かどうかとか、古代コンクリの痕跡があるかどうかを見るために一部は漆喰を取らざるを得ないけれど、、、

    やっぱ剥げ過ぎやろ!( ・Д・)



    ……でもまぁもし自分で発見して、且つ、調査期間が長い場合はどうしようか悩みますね。

    まぁとりあえず保存科学の人に方法訊いて、発掘に関係ない3面を決めて埋めると思う(*^・ェ・)ノ





    ④結局、テオティワカンとの関係ってどんな感じなのか?

    とりあえず記事に書いてあることを抜き出してコメント付けておきますね。

    赤字は私の着目点!


    【第1報】

    これは、(マヤの)人々がテオティワカン文明に精通していた可能性があることを示す、これまでで最も強力な証拠だ。


    ⇒「精通していた」って、、、マヤ人がタルー・タブレロ様式の祭壇造って、テオティワカン様式のモチーフ描いたって意味???( ・Д・)


    ⇒「最も強力な証拠」、まぁ意見は尊重しよう……『統計学が最強の学問』みたいな感じ?( ・Д・)

    そういうよく分らん本が出ているのです、読んでないけどw

    みなさん、『最強』がお好きなようで( ・Д・)

    ほんと、『強い』の定義を教えてくれ!




    鮮やかな装飾と不気味な内容物が、当時の複雑な政治情勢を解き明かす手がかりとなる可能性がある。


    ⇒『複雑』って言えば何とかなるって思うなよ!( ・Д・)




    しかし考古学者は、祭壇に装飾を施したのはマヤ人ではないとみている。装飾は、現在のメキシコ市近郊に位置し、当時強大な影響力を及ぼしていたテオティワカンの町で訓練を受けた芸術家によるものと考えられるという。テオティワカンはティカルから約1000キロ離れている。


    ⇒これは難しい!( -д-)ノ


    考古学的に難しい!




    一番簡単なのは『ティカル人?(マヤ人でもいいけど)がテキトーに模倣して作った場合』!


    これは見た目だけ似てて技術が異なるから!


    情報量の少なさなどの条件から、見た目すらもテキトーになることもあるのでイージー!





    次は『テオティワカン人が直接やってきて作った場合』!


    だって技術同じになるもの!


    それでも材料が同じものを揃えられるとは限らないのでやや難しいが、それでも他よりイージー!




    で、最悪なのが『マヤ人が現地で学習してきて作った場合』!(ほんとはもっと細かくパターン分けできます)。


    遺物だと動かせてしまうからより複雑になるんだけれど、今回は遺構だから動かないのでまだマシです。


    だけど、、、はっきり言ってこれらの区別をするのは難しい!





    今回はテオティワカン人(少なくとも現地学習した人、人を断定してない辺りがずるっこいがマヤ人ではないと言っている)が造ったらしいですね。


    イージーパターン!


    私の研究だと、テオティワカンの影響下でティカルには土器工人を含む大規模人口の移動はなかったことになってるんだけど、


    まぁテオティワカン人エリートが移住する際にお抱え芸術家が一人付いてきてもおかしくないか( ・Д・)



    まぁ写真見た感じだけでも、薄い漆喰に淡い色彩とテオティワカンモチーフだから、テオティワカン人?が施した装飾と考えるのは当然かなと思います。






    あとは、、、

    テオティワカンの裕福な指導者たちがティカルにやって来て、彼らの本拠地である町にあったであろう祭儀の複製を製造した



    ⇒まぁ前者はいいとして、『指導者』は気になるけども!


    祭壇を造ったのはマヤ人ぽい気がするんですけどね。


    建造物自体が小さいから判断が難しいけれども、漆喰が剥がれたところを見た限り、石材の組み方がタルー・タブレロと異なる気がします。


    タブレロ部の内部構造がほとんど確認できないけれど、角しか見えないけど、違う気がする!


    あと古代セメントの痕跡がない気がする・・・・・


    だからティカル人が形だけ聞いて建築したんじゃないかなって気がします。


    こればかりは報告書読まないとしっかりと判断できません( -д-)ノ






    最後に、


    今回の発見は、ただの軽い接触や交易だけではなく、好戦的な勢力が地元の王宮の近くに飛び地を築いていたことと関係していたことを裏付けるものだという。




    ⇒『飛び地』っ「テオティワカンの影響」に関する研究でよく使うんだけれども、ティカルとか都市自体が橋頭堡的に使われて『飛び地』って解釈するのは理解できるんだけれども、


    個別の建造物、住居に対して飛び地っていうのはどうなのかなって思いますね~。


    「好戦的」って表現もよくわからない。

    何を根拠にそんな解釈してるのかほんとに謎です( ・Д・)









    おわりに

    長くなったな~、時間もかかったな~ヽ(TдT)ノ


    さて、今回はなんだかんだ避けがちなマヤ文明ネタでした。

    悪口祭りになるからね( ・Д・)

    まぁでもこれだけ専門ど真ん中では避けては通れないでしょう!

    今後も続報があればコメント入れていきますね、激辛なのを( -д-)ノ




    最近たくさん新たな大きな考古学的発見が相次いでいて、記事にしたら面白そうなんだけど、時間ないんですよね~。

    Xには書いてるんですけど、強制最低時給200日連勤チャレンジ中なんですよね。

    まぁどのみち、更新速度はばか遅いんですけど、ぼちぼち頑張っていきます!



    何はともあれ、

    人生、金も時間も大事!( ・Д・)



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    2025ねん 4がつ 14にち(げつよーび、雨)

    アルコールとコーヒーの飲み過ぎで脱水症状出て、起き抜けに上半身つって死ぬほど痛かった!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    テオとティカル、サムネ

    ↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    いつもは同じ考古学分野とは言え、時期・地域的に専門外だから書きにくいな~て思っていますが、

    今日は専門ど真ん中ですね。

    ど真ん中だと、悪口ばっかになる気がするので、結局書きにくいんですけど・・・

    心を鬼にして(?)何も気にせず、自由に書きなぐりたいと思います( -д-)ノ



    arukemaya_z047


    1.「証拠」がおかしい!


    今回の記事はAFP BB Newsのものを使用しています。

    英語版はこちら



    日本語への翻訳がダメダメなのかと思いきや、元の英文がもうダメなので、取材した人物がスペイン語に不慣れなのか、グアテマラ人考古学者が英語が不慣れなのかかな。

    あるいは、、、というか、取材した人物がマヤ考古学を全く知らないってのが実際のところでしょう( ・Д・)

    ほんと、ツッコミどころが多過ぎてどうしてくれようか悩むレベルなんですけども、、、



    まず記事のタイトルが、

    マヤ遺跡でテオティワカンの祭壇 両文明のつながり示す「証拠」

    なんですよね。



    これくらいでキレ散らかしてる自分もどうかとは思うんですけれど、

    ”「証拠」”って強調するのは良くないです。

    まぁインパクト取るために「最古!」「最大!」って言っちゃうノリだとは思うんですけどね。



    問題① そもそもマヤとテオティワカンのつながりは遅くとも1960年代くらいから自明

    これ、昨日今日分かった話じゃないんですよね。

    所謂「テオティワカンの影響」っていう古典期前期マヤ遺跡の物質文化面にみられる現象です。

    これだけでもいくらでも書ける気がする、書かんけど( ・Д・)




    問題②? てかこの発見、3年前くらいでない?

    たぶん、私のティカルでの調査研究報告の記事のとこで、本件については問題にならない程度に軽く触れてるんですよね。

    まぁ内部情報だったので私は漏らしてないですけども。 

    公開までけっこう時間かかるもんですね、よく知らんけど( ・Д・)



    問題③ 証拠という言葉は日常語?

    これね、言語の問題だと思うのだけれど、スぺイン語で証拠=Evidenciaは良く使うのよ。

    めちゃくちゃ普通に使う!

    だって、考古学データって全部物的証拠だもの!( ・Д・)

    (状況証拠もあるか( -д-)ノ)




    日本人は慎ましいので、証拠は使わないですよね、あまり。

    まぁ一部の宣伝大好きな研究者もどきは置いておくとして……


    日本人ならば、「これこれの遺物が出土したことを踏まえると~と解釈できると思います」とか「~と考えられます」なんて遠慮がちに話すのよね、普通。


    日本語の特徴なのか、日本人の気質なのか、証拠って強い言葉な気がするから多用することはない、、、と思う、私は。



    でもグアテマラでは日常的に使うのよ。

    私も現場出てれば一日10~20回くらい使うと思う。

    「a la mierda !」「a la gran p… !」の次くらいに使う!(汚い言葉なのでいい子は真似しないでね( ・Д・))



    でもニュアンス的には全然強くなくて、たくさんある証拠の内のひとつだよね~くらいの特に意識してないレベルで使ってます。

    少なくとも私の周りの研究者や調査員はね。

    みんな、ティカル関係者だけれども。




    だから「証拠」みたいに鍵括弧まで付けて強調するのはダメ。

    ドラッグといじめの次くらいにダメ、絶対!( ・Д・)



    だって、なんか物凄い発見したみたいに感じる。



    ちなみに元の英語記事では、タイトルにevidenceって使ってないし、文中でも強調していない。

    この点に関しては明らかに翻訳者が戦犯ですね( ・Д・)



    ↓こんなのも書いたね~( ・Д・)



    おわりに

    あれ、1. しか書いてないのに文量増えたし、悪口しか書いてないし、、、

    普段なら『今後の発見/成果に期待ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!』とか、書いてるのに、、、

    専門ど真ん中となった途端これだぜ( ・Д・)



    元の英語記事読み返してみたけれど、プロジェクト指揮してる現地考古学者も、取材した記者もまともそうな気がしてきた。

    言葉使い的にはね。

    けど、調査としては問題ありかな~って気がする。

    次回は僅かな写真を頼りに叩いていくことになるのか、、、性格悪くなりそう( ・Д・)



    あ、良かったら上の記事読んでみてくださいね、

    テオティワカンとマヤの関係について書いてるから!



    何はともあれ、

    元気に生きたい!( ・Д・)



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    今日はもう春!(・∀・)つ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑マヤとテオティワカンって遠い、1000km離れてる!( ・Д・)(「Google Map」の画像を一部加工)


    今回の考古学・歴史ニュースは「マヤとテオティワカンってどんな関係?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はグアテマラ、北部ペテン県にあるティカルと、前回説明したメキシコ、メキシコシティからやや北に位置するテオティワカンです。

    両方ともメソアメリカ文化領域の遺跡ですが、ティカルはマヤ文明、テオティワカンはテオティワカン文明に帰属します。

    上に挙げた地図で分かるように両者は直線距離でも約1000kmも離れています。




    このシリーズの第1回「マヤの話」の中でも書いたように、旧大陸文明は独自に発展したというイメージが付いて回りますが、実際には様々な文明が興亡し相互に関係し合っていました。

    マヤとテオティワカンもそうした相互関係にあった事例のひとつなのです。



    ↓以前の記事はこちらヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ↑以前の記事はこちら(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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    ↑テオティワカンのタルー・タブレロ様式建造物(あるけまや管理人撮影)


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    ↑テオティワカンの三足円筒土器(Griffith 2018の発表画像より転載)


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    マヤ文明に与えた「テオティワカンの影響」

    前回の「テオティワカンの話」のところでも少し書きましたが、、、

    テオティワカンは古代メキシコ文化のひとつですから土器や建築などの物質文化要素に独自の特徴があるわけです。

    そうしたテオティワカン的特徴をもつ遺物・遺構、つまりテオティワカン様式遺物・遺構が異文化であるマヤ地域において広く見られるようになる(出土する)現象を「テオティワカンの影響」と呼んでいます。




    この「テオティワカンの影響」の指標となる遺物・遺構の代表例は上に挙げた写真のものになります。

    つまりタルー・タブレロ様式建造物、三足円筒土器、蓋付き高台付き碗、シアタータイプ土器です。

    (『蓋付き高台付き碗』って碗に色々付いてるなっていう長い名前なんですけど「おわりに」で少し触れますね)

    少々細かいですが他にも、メキシコ的なモチーフ、三足形態と浅スタンプ文、土器器面への単位文配置、焼成後漆喰画技法、エメラルドグリーン色塗料などけっこうたくさんのテオティワカン要素がマヤ地域で見られるようになります。



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    テオティワカン-マヤ VS 純粋なマヤ?

    では何故1000kmも離れた異文化であるテオティワカンの要素がマヤ地域に現れるのでしょうか?

    実は、マヤ地域は当時最大の都市であったテオティワカンに侵略を受けて支配されてしまった、という説があります。

    マヤ地域がテオティワカンによって支配された/されていないという両説は常にあって、振り子のようにどちらかの説が有力な時期が行き来するような状況にあります。

    現在はどちらかというと支配されていた説が強いと思っています。

    かく言う私も支配されていた説を指示しています(一部のアッパークラスの入れ替えのみであった説を唱えています)。




    この「テオティワカンの影響」について語る際に絶対に外せないのがティカルです。

    マヤ地域の一大中心地であったティカルがテオティワカンの支配を受けることで、その後『影響』がマヤ地域に広がっていくことになるのです。




    ここで碑文学成果としてサイモン・マーティンらによる著名な研究を紹介することにします。

    伝統的な学説として、マヤ地域は個別の都市国家が林立したとする説と、有力国家を中心とする広域国家であったとする説があります。

    一方で彼らの説ではマヤ地域は王の神聖性に基づく緩い統合状態であった、つまり従来の2説の中間をいく説明をしています。




    マヤ地域は元々都市国家が林立する状態でした。

    378年にテオティワカンの軍隊が遠征してきてティカルを征服し当時の王を殺害、メキシコ系の王を擁立して新王朝を打ち立てます。

    その後、ティカルを始点として周辺の首長レベル集団あるいは初期国家レベル集団に遠征し、各地に新王を擁立していきます。

    結果として新たなメキシコ系ティカル王を頂点とした王朝間の連携、ティカルを宗主国とする都市国家同盟のような連携が誕生します。

    他方で別の一大都市国家であったカラクムルも都市国家同盟のような周辺集団との連携を図り、ティカル同盟との長きにわたる対立・武力抗争を行っていくことになります。



    マヤ文明史とテオティワカンの関係は簡単に述べるとこんな感じです。

    私見ではありますが、ティカル同盟の方はテオティワカンの力を背景にしたテオティワカン-マヤのような血統集団で、カラクムル同盟の方は純粋なマヤ系集団だったのかなと考えています。

    この辺は今やってる研究のずっと後に向かい合うものなので、証明はライフワークになりそうです( -д-)ノ




    ちなみに上に挙げた土器と下に挙げた土器は、マヤ地域で出土する三足円筒土器の典型例です。

    先に挙げたテオティワカンの三足円筒土器とはなんだか違いますよね?

    マヤ地域で見られるものの方が縦長で直線的で、蓋が付いてて、蓋の取っ手部に人物などを模した造形があります。




    これはテオティワカン産とマヤ産の土器の簡単な見分け方なので、是非博物館展示の際に着目してみてください。

    ちなみにこうした『マヤ的なテオティワカン様式』の遺物・遺構がティカル周辺域には多いこと、もっと南の南部高地域などでは様相が異なり『Theテオティワカン!』の遺物・遺構が多いことを根拠に、私はマヤ地域の中でもティカル及び周辺域では土器工人を伴うようなテオティワカン系人口の大量流入はなく、王を含む支配層の一部が入れ替わったのみであると考えています。






    おわりに 『蓋付き高台付き碗』って?

    さて、最後に『蓋付き高台付き碗』という長ったらしい名前の土器について簡単に説明しますね。

    実はこれ私が付けた名前です。

    あくまで仮なんですけどね・・・




    まずは高台についてなんですけど、これは現代のお茶碗の底に付いている環状の少し高さを出すような部位の名称です。

    この高台は元々マヤ地域には見られないものだったのです。

    テオティワカンの方にはあって、それがマヤ地域にもたらされたと考えられています。




    ちなみにオリジナルであるテオティワカンの方の高台は高く、マヤ地域のものは低い傾向にあります。

    それでおおよその見分けが付くので『古代メキシコ展』で両者の土器を見た際には着目してみてください。



    あと、「碗」って表現してますが、これも実は微妙なのです。

    マヤ地域の研究での一般的な形式分類で「浅皿(plate)」「深皿(dish)」「碗(bowl)」というのがあります。

    口径と器高の比率で機械的に分けているものです。

    テオティワカンの高台付き”土器”は深皿形のものですが、マヤ地域の高台付き”土器”は深皿形が多数派としつつ碗形もあるのです。




    それなら「深皿」と呼べよ!って思うかもしれませんが、、、

    この時期のマヤの”高台が付きそうな形状の土器”は鍔付き(flange;また『付き』が出てきた)である事例が含まれ、時期の変遷を見る上でこの鍔の位置が重要なのです。

    ちなみに位置はどんどん下がっていきます。

    鍔の位置に着目すると「テオティワカンの影響」の時期は碗が主流で、次時期に深皿形に変わっていきます。

    なのでこの時期は『碗の方が都合がいい』のです( -д-)ノ




    さあ最後に「蓋付き」ですが、、、

    実は蓋付き&高台付き碗はマヤ地域でしか出土しません。

    テオティワカンの高台付き碗(本当は深皿形で正式な名称は薄手オレンジ色土器)は蓋を伴わないのです。




    つまりマヤの人々としては土器に『土製の蓋があること』が『異文化っぽい / 異国情緒感じる』ということだったのか、オリジナルを知らないのか、分かりませんが、、、

    古典期前期後半(CE350-550)の時期はマヤ人は蓋付けたがりだったのです( -д-)ノ




    こういった状況があって、長ったらしい例のあの名前、「蓋付き高台付き碗」という名前を当てていました。

    この土器群には先ほど出てきた「鍔付き」のものとそうでないものがあるということになります。




    部位に着目すると地域性や時期の指標になるので面白いですし、展示資料を見てて見方も変わると思うので是非試してみてくださいね!



    そう言えば展示会も楽しみだけど、、、

    インディジョーンズ新作6月末公開!( ・Д・)



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    お酒絶ってもたくさん食べたら太る!( ・Д・)

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    ↑月のピラミッド、右端にタルー・タブレロ建築が見える、、、ように撮った!( ・Д・)(あるけまや管理人撮影)


    今回の考古学・歴史ニュースはテオティワカンって何?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    前回はマヤ文明史概観と言っておきながら、ほんとにさらっと流して、ガチ勢向けの部分的な細かい説明をしてしまいました( -д-)ノ

    まぁというのも、次回の「マヤとテオティワカンの関係」について書く際に、どうしてもマヤ文明史を見直す必要があるからなのです。



    と言い訳をしつつ、今回はテオティワカンの話!

    でもまずは「クイクルコ」から始めましょうヾ(´ω`=´ω`)ノ








    クイクルコって何?

    さて、まずは「クイクルコ」です。

    これは遺跡名です。

    当サイトに初めて来訪される方もいるかと思い、分かりやすい図を上に用意しました。




    一般の方と話してるとメキシコの位置が分からない人が多いので、まぁこれならわかるでしょう!

    北米と南米の間の細いとこら辺で、アメリカ合衆国の南にあるやつです!

    上の2枚の図にあるポイントの位置は両方ともクイクルコの位置です。




    2枚目の地図を見て分かるように、クイクルコ遺跡はメキシコシティの中にあります。

    南の外れですし、さして見栄えも良くないので(アステカの首都テノチティトランやテオティワカン遺跡に比べたらそりゃあそう(/TДT)/)、観光客はほとんどいません。

    古代遺跡を観光名所として、外貨獲得源としてメキシコ政府は多額のお金を投資しているのですが、そんな中にありながらクイクルコ遺跡は全然力が入っておらず、博物館内の説明文も印刷された「紙」の状況でした(2014年時;下の写真参照)。




    まぁそれはさておき、遺跡の位置関係を整理すると、メキシコシティの南部にクイクルコ遺跡があって、メキシコシティの北東部にテオティワカン遺跡があって、更に北にいくとパチューカ山地があります。

    パチューカについては後からテオティワカンの話の際に出てくるので気に留めておいてくださいな(*・ω・)ノ




    arukemaya1759
    ↑手作り感いっぱいの普通紙に印刷された説明文(あるけまや管理人撮影)




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    arukemaya1754
    ↑クイクルコ遺跡にある円形ピラミッド(あるけまや管理人撮影)



    なんでこんな撮り方したのか大いに謎ですが、ピラミッドの基壇が円形であることが分かるかと思います( ・Д・)

    (たぶん他の観光客が来る前に慌てて撮ったからパノラマじゃないのかと思われ……)


    こうした円形基壇のピラミッドは古代メキシコ文化にはよく見られます。

    後古典期(CE1000-1500)に特によくあるのです。




    さて、なんでクイクルコ遺跡の話をしているかというとテオティワカンの前身という説があるからなのです。

    クイクルコ遺跡は先古典期遺跡で、BCE800年頃に居住が開始されます。

    BCE150-CE1頃に最盛期を迎え、人口は2万人と推定されており、当時のテオティワカンよりも大きな重要都市だったのです。




    しかしながらCE70年頃にポポカテペトル山、CE150年頃にチチナウツィン山、CE275年頃にシトレ火山が噴火し、クイクルコは連続で被害を受けました。

    特に最後のシトレ火山の噴火の際には5~8mの溶岩がクイクルコに大量に流れ込んだために放棄されてしまったのです。



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    ↑クイクルコに流れ込んだ溶岩の痕跡(あるけまや管理人撮影)



    上に挙げた写真のようにクイクルコに流れ込んだ大量の溶岩は都市中心部(遺跡中心部)を完全に覆い尽くしています。

    壁に見えるものが溶岩が固まったもので、手前の歩道になっている面が発掘によって姿を現した当時の文化面(生活面)です。




    この先古典期に一大都市であったクイクルコが度重なる噴火によって衰退したために、噴火の影響がより少ない立地にあったテオティワカンなどの別の遺跡が急成長しました。

    そのためクイクルコの放棄に伴って大人口がテオティワカンに移動したのではないかという説があるのです。



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    ↑テオティワカン中心部の測量図(Morton et al. 2012: Figure 1より転載)



    テオティワカンって何?


    テオティワカンはBCE200年頃から居住が始まっており、CE1年頃に都市として成立しました。

    その後、上図の赤い部分の真ん中にある上下に走る直線部、「死者の大通り」が建設され、周辺部も整備されていきます。

    最も人口が増えたのはクイクルコがシトレ火山の噴火で衰退した後のCE300年以降と考えられています。




    一気に人口が増加したので、上図のような非常に計画的な都市建設が一気に行われたのかなとも思えます。

    一方で気になるのは、クイクルコは円形基壇の神殿を造っていたわけですが、テオティワカンの建造物は上図のプランを見ての通り、方形基壇です。

    大量の人口移動はあったものの、主導権はあくまで元からテオティワカンにいた集団だったということなのでしょうか?


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    ↑タルー・タブレロ建築の構造(今泉 2019: 図3-4-1より転載)



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    ↑実際のタルー・タブレロ構造(あるけまや管理人撮影)


    テオティワカンの最盛期はCE200-550年頃であり、人口は10~20万人と推定されています。

    この最盛期にはメソアメリカ最大の都市として広く周辺地域へ強い影響を与えており、それにはマヤ地域も含まれるのです。

    他文化地域にテオティワカンに由来する遺物や図像モチーフ等が現れる現象を「テオティワカンの影響」と呼んでいます。




    「テオティワカンの影響」によりマヤ地域で見られる特殊なテオティワカン様式の遺物・遺構には、三足円筒土器、蓋付き高台付き碗、シアタータイプ土器(香炉)を代表として、他に石碑や祭壇、土器、壁画などの様々な図像モチーフにテオティワカン様式の図像が出現します。

    建造物装飾としてはタルー・タブレロ様式が有名です。

    これは上の図・写真に挙げたようにタルー(斜壁)とタブレロ(方形壁)を交互に組み合わせた基壇装飾です。

    「テオティワカンの影響」に関しては長くなるので次回の「マヤとテオティワカンの関係」の際に触れたいと思います。



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    ↑ケツァルコアトルの神殿から見た太陽・月のピラミッド(あるけまや管理人撮影)


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    ↑ケツァルコアトルの神殿の基壇装飾に見られるケツァルコアトルとトラロック(あるけまや管理人撮影)


    メソアメリカにおいて広域に影響を及ぼした大国テオティワカンは7世紀頃に急激に衰退し、放棄されてしまいます。

    滅亡理由はマヤ地域と同様で複数の候補があり、恐らく複合的と考えられています。

    つまり、よーわからんってことです( -д-)ノ




    大干ばつ、森林伐採による環境破壊、宗教対立、異民族の侵入・・・と内容は古典期マヤと大差ありません。

    メシカ人(アステカの人々)が12世紀にこの地を訪れた時にはテオティワカンは無人の廃墟でした。

    しかし多数の美しい建造物が立ち並ぶ姿を見て、ナワトル語で「神々の都市」、つまりテオティワカンと名付けたのです。



    メソアメリカには多数の文化・文明が勃興していますが、体系的な文字を使用し現在にまで残ったのはマヤ文字だけです。

    なのでテオティワカン人に関する文字記録(文字状記録を除く)は存在せず、彼らが使用していた言語も推定はされていますがはっきりとは分かっていません。




    所謂旧大陸の諸文明、ヨーロッパに代表されるそれらの事例では、大体どれもが戦争で滅びて、同じ土地が次の文明・国家の支配領域になります。

    でもメソアメリカでは放棄されがちですね。

    亜熱帯や乾燥気候だと、森林破壊+干ばつによる地力の弱体化があまりに著しくそう簡単には回復せず、放棄せざるを得ないのかも知れませんね( ・Д・)

    この辺も新大陸文明の発達の遅れと接触時の新大陸文明の勝利・支配の要因のひとつなのだと思います。



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    ↑テオティワカン遺跡の中(?)にある地下&洞窟内レストラン(あるけまや管理人撮影)




    おわりに

    上に挙げたのはレストランの写真です。

    メキシコ的な原色カラフルな椅子が可愛いですよね。




    テオティワカンは乾燥しつつ暑いなって感じです。

    遺跡公園自体が広大ですし、ティカルのようなジャングルと違って巨大だけど背の低いサボテンくらいしかないので日陰がないのです。

    だからとても暑い!




    このレストランは地下洞窟内部に造られているので涼しくて快適です。

    雰囲気も素敵!

    ただお高いです。




    ちなみに私はここで「アリの卵」と「イモムシの素揚げ」を食べました。

    それぞれ100米ドル近くした気がする。

    たぶん一人で食べるようじゃないので無駄に量が多くて辛かったです。

    後半はビールで流し込みました(笑)




    ちょっとアクセスしづらいけれど、メソアメリカの古代文明を感じる上ではとてもいいところですので、是非機会があれば行ってみてください。

    その際は少し足を延ばしてティカルへもどうぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    何はともあれ、

    気付けば長くなった!( ・Д・)



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    2023ねん 2がつ 12にち(にちよーび、晴れ)

    もう暖かだ、春!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは70年ぶり?マヤ展やるらしいから概説するね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、東京国立博物館で古代メキシコ展が開催されるそうで、今回から連続で「マヤ文明の話」、「テオティワカンの話」、「マヤとテオティワカンの関係」について概観していこうと思います。

    私は例によって回し者ではございませんので悪しからず( -д-)ノ



    さて、今回の特別展は大阪の国立国際美術館でも開催されるそうで、国内をいくつか周るようです。

    大阪は2024年開催と書いていたので、今年(2023年)から2年くらいかけてグルグルめぐるのかな~と思ってます。

    私は詳しく調べておりませんので、是非公式サイト等の情報をご覧になってください。


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    ↑メソアメリカにおける主要諸文明・遺跡の空間・時間的分布の(今泉 2019より転載)


    マヤ文明史概観(?)


    古代マヤ文明と言えば、最近日本語のでの概説書や一般書が増えてきているのでその歴史展開について知る機会も増えてきたかと思います。

    メソアメリカ史の変遷は石期(上表にはない)・古期・先古典期・古典期・後古典期・植民地期・独立期/現代(上表にはない)の大まかな7区分が広く用いられています。




    考古学は物質文化を扱うのでモノさえあれば古代から現代まで全ての時期が射程となりますが、有名どこはやはり先古典期中期から古典期を経て後古典期の終わりまでの2500年間です。

    古代マヤ文明には例の有名なマヤ文字があるのですが、そこから得られる情報はあまりに限定的です。

    なので皆さんが古代エジプトや古代ローマ、日本の古代に関する歴史関係の書籍などを学んで得たイメージとは大きく異なります。

    ピラミッド建造に携わった人が二日酔いを理由に欠勤した、なんて具体的に分かるような世界と比べてしまうと、マヤ文明なんてほとんどよく分かっていないじゃんと感じてしまうのは仕方ないことなのです。

    だからこそ、先古典期から後古典期はマヤ文字があるものの、考古学が”強い”時期であり、対象として主流となる時期なのです。




    さて、マヤ文明史概観の話に戻すと、概説書等では先古典期から後古典期までの文化的変遷について記述されることが一般的です。

    その中では特に「マヤ文明は独特な素晴らしい文化を有する」ことが自然と記述されていると思います。

    こうしたマヤ文明を特別視する見方は1990年代以降にマヤ考古学史の中で刷新されているはずなのですが、自分の扱う対象を持ち上げる”質(たち)”は今も昔も変わっていないようです。

    だって人間だもの・・・




    上表を見ると分かるようにメソアメリカ地域にはマヤやテオティワカンの他にオルメカやサポテカなど様々な文化・文明があって、同時期に存在している事例も多々あるのです。

    何かと所謂新大陸文明は旧大陸文明と接触を持たずに独自に発展したというイメージがあると思いますし(そうしている学者がいるから)、新大陸文明の代表としてマヤ文明を用いるから(そうしている研究者の主対象だから)、、、

    結局、一般のイメージとして「マヤ文明=独自に発展した文明」を持つようになってしまっているという構造があると個人的には感じています。




    でも違います。

    メソアメリカには多数の文化・文明があって、その多くが同時併存していて相互に影響し合う関係にあったのです。

    つまりマヤ文明はそうした数多ある文化・文明のひとつに過ぎず、様々な相互関係の中、たまたま特に古典期に大きく華開いた文明なのです。


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    もう一つよくある誤解が、マヤ文明が滅んだって話に関してです。



    先古典期にマヤ文化は国家形成期として人口が増え、階層化が起き、頑張ってピラミッドなどのモニュメントを造り始めます。

    古典期には複雑なマヤ文字を使用して長期暦を含む石碑を建立し、ピラミッドや宮殿などの石造りの見事な特殊建造物をたくさん建てました。

    古典期の終わりには大干ばつや戦争が原因でマヤ文明は崩壊しました、、、




    ここまでが ”よくあるマヤ文明の概説” です。

    実際に古典期マヤの中心地であったティカル遺跡などがあるペテン地域は後古典期には空白地帯になってしまいます。

    文明としては崩壊しましたが、人が完全にゼロになったわけではなく、細々と暮らし続けていました。

    なので古代マヤ人が全滅したわけではありません。




    むしろペテン地域(ユカタン半島の真ん中ぐらいの位置)にいた人々は南北に移動したと考えられています。

    そのため後古典期にユカタンの中間部は空白っぽくなりますが、中心地が南北に移動するだけで存続はしているのです。

    現代マヤ人がいるのもそのためで、やはり全滅したり、文明が完全に失われたわけではないという点が重要です。

    様々な形で南北端の地域の後古典期文化に崩壊してしまった古典期文化が引き継がれているのです。




    ↑参考程度に…もうちょっと時間をかけたいとは思ってはいるが( -д-)ノ




    おわりに

    結局マヤ文明史の流れについてはすごいはしょりながら、皆さんが誤ってイメージしがちな部分を修正してみた形になってしまいました・・・

    次回は「テオティワカンの話」となりますが、最後の「マヤとテオティワカンの関係」について説明する際に、今回話したような、マヤ文明が決して単独で『鎖国的』に成立・発展した文明ではないことが分かってもらえるのではないかなと思っています。



    何はともあれ、

    特別展いいね!( ・Д・)



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    2022ねん 10がつ 9にち(すいよーび、くもり/雨)

    予定組んだ12月末まで埋まった( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1711
    ↑現場はこんな感じ( ・Д・)(筆者撮影)


    今回の考古学・歴史ニュースは2022年調査の内容紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はグアテマラ、ペテン県のティカル遺跡です。

    あくまで「調査内容の紹介」であって成果紹介ではないのは論文発表の関係があるからです。

    なので、簡単になら紹介してもいいかな~っていうものについては今回紹介していきますね。

    とりあえず私が実施している研究の概要と、これまでの調査報告としてあげていた記事を載せておきます。











    小さなマウンドの調査の結果について

    今回紹介するのは小さなマウンド群を掘った時のお話です。

    2022年の調査では大きいマウンド群も掘っていますが、それはまた次回にお話します。

    ちなみにマヤ地域で言うのところの「マウンド」とは昔の建造物が崩れて風化・浸食を受けた結果、土饅頭のようになっている状態のものを言います。

    「小さな古墳」だと思えばイメージは大体合ってます。

    他の地域だと指す内容が異なるのであくまでこれはマヤ地域でのお話です。




    ちなみに最初に挙げた写真のところが現場なのですが、真っ平でマウンドが分からない状態になっています。

    これはこの地点にかつて存在した建造物がとても小さく、また遺構として残りにくい木材などの有機物製の建物であったからです。

    なのでマウンドってどんなものかを視覚的に理解してもらうには、大きなマウンド群について話す次回の記事の方が良いと思います。



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    ↑Str.4F-26、27の傍にある大きな穴(筆者撮影)


    ティカル遺跡の中心部(9㎢)には約2400基のマウンドが確認されています。

    これらのマウンドにはそれぞれ名前が付いていて、建造物(Structure)の略称としてStr.が付いています。

    今回紹介する小さなマウンド群はStr.4F-26と27です。

    4Fというのは測量図の図面番号のようなもので、26、27というのはその4Fというエリアの中での26番目、27番目の建造物マウンドであるという意味です。




    このマウンド群の地点はあまりに平らでマウンドとしての土の高まりを確認することが困難でしたが。すぐ近くに現代遺構である大きな掘削痕があるために位置を特定することができました。

    ちなみにこの大きな穴は、1950~60年代のアメリカ、ペンシルベニア大学の調査が実施される際に滑走路を造るために掘ったものです。

    この大穴から取り出した土や石灰をばら撒いて滑走路予定地を平らにならしたのです。

    最後に紹介するYouTube動画でも説明で出てきますが、この滑走路の一部は現在、駐車場として利用されています。




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    ↑堀り始めの状況(筆者撮影)

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    ↑手帚がなかったので自作(筆者撮影)

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    ↑地表面のすぐ下から当時の石列が出てくる(筆者撮影)


    ラテンあるあるですが、面会の約束とかしててもすっぽかされるんですよね。

    そんなこんなで時間を無駄に取られて調査用の備品を一部購入できないままスタートしました。

    まぁお手製の杭とか箒を自作して使ってますが、こんな風景もラテン考古あるあるかなと思います。

    水糸だけは日本から運んでいて、それできっちり計測して実施しているので問題はほとんどありません。

    まぁ見栄えが悪いってことくらいでしょうかねヽ(TдT)ノ




    上の三枚目の写真で掘った範囲の内側の壁に小さな切り石が見えます(とても分かりにくいと思うけれど)。

    壁のほとんどが切り石だと思っていいです。

    問題は切り石が現地表面から僅か数センチの位置にあるってことです。




    亜熱帯ジャングルの中にあるティカルでは、微生物の活動がとても活発なので所謂腐植土が発達しません。

    全部あっと言う間に分解されてしまいます。

    なのでほぼ「現地表面=旧地表面」です。

    つまりティカルを散策するとほぼほぼ古代マヤ人が歩いていた台地上を歩いているということになるってことです。



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    ↑母岩の石灰岩(筆者撮影)

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    ↑石灰岩層直上に土器片を発見(筆者撮影)



    Str.4F-26と27は小さなマウンドなので、かつては木製の小さな家だったと思われます。

    きっと農民のような一般層の人が暮らしていたのでしょう。




    調査区を掘り進めるとあっという間に母岩である石灰岩層に到達してしまいます。

    古代マヤの建築法として有名な「重層建築」はここでは見られません。

    重層建築は”お金持ちの家”にしか見られないものだということが分かります。




    家の中の床面も漆喰で覆われていません。

    土の表面を平らにして硬く押し固めたような床面しか見られませんでした。

    使用している石灰岩の切り石も小さく、加工が甘いものです。




    現代で言うならばお金持ちが鉄筋コンクリート製のマンションに住んでいる一方で、低所得層は木造アパートに住んでいるようなものです。

    そう考えると技術的な違いを除けば、古代マヤも現代日本社会も根本的には類似してるなぁと思います(*^・ェ・)ノ




    ……ちなみに、石灰岩層上面から土器が1点出土しました。

    近い内、YouTube動画の「考古学講座」で取り扱おうかと思っていますが、、、

    これは古代マヤ人が建物を建造する際に最初に石灰岩を露出するレベルまで掘って広場の広がりを確定させたことによるものです。



    ↓今年の調査の記録をアップしていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↑今後も毎週5本くらいずつ投稿していきます(*・ω・)ノ


    おわりに

    かつての調査動画も今回の動画もそれぞれ1本の動画あるいはまとめて1本の動画としてちゃんと作りたいのですが、時間がねぇ……

    論文とか大学の仕事だけで11月末まで予定埋まってるので、kindke出版用に本書いたり、報告書書いたりしたら12月末まで使っちゃうんですよね( -д-)ノ

    燃料費高騰とか記録的円安の影響を受けて、今年の調査は小規模になる予定なので、1月~3月の中でもしかしたら時間を作ることができるかも知れません。



    まぁしゃーなし、、、



    いつも通りのんびりやるさ!( ・Д・)



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    2022ねん 9がつ 13にち(かよーび、晴れ)

    今週1週間何もしないで精神疲労を何とかしようと思ってたが、結局めちゃ仕事してるのは何故?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ人、遺灰を混ぜたボールでサッカーしてたぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はメキシコ南部、チアパス州にあるトニナ遺跡です。




    当サイトの読者には釈迦に説法だとは思いますが、、、

    所謂、古代マヤ文明って統一国家がないのです。

    数多の都市国家が林立してバチバチやってるさながら戦国時代のような状況だったのです。




    私、前にGIS(地理情報システム)をかじってた時に座標が分かっているマヤ遺跡全部プロットしてカーネル密度分布推定で地図作ってみたことあるんですけども、

    その時に使ったデータ数がおよそ1300でした。

    「時間と空間が考古学の基礎」といつも謳っている当サイトですが、「時期」って案外難しいのです。

    何故なら掘らないと決定できないから( -д-)ノ




    マヤ地域は日本とは異なり、踏査と試掘で遺跡分布を決めているのではなくて、生い茂ったジャングルのせいで、衛星写真や流行のライダー(簡単に述べるなら航空レーザー測量技術)使ったものも多いので時期のデータがないこともままあるのです( ・Д・)

    だからおおよその予測だけども、まぁ古代マヤ文明の”メイン”である古典期には小規模遺跡含めてざっと800遺跡程度あったのかな(古典期にカスってるもの含むと)と思っています。








    少なく見積もっても500遺跡はあると思うのだけれど、それだけ多くの遺跡がある中で皆さんが知っているのは僅か10遺跡くらいでしょうか(言うて、私もさほど変わらない(´・ω・`))。

    今回紹介する『トニナ遺跡』はたぶん日本ではほとんど知られていないはずです。

    日本語の書籍にはほとんど出てこないからです(*^・ェ・)ノ




    ですが古典期マヤ文明(CE250-1000)の遺跡の中ではトニナ遺跡は非常に大きな遺跡なのです。

    マヤ文字を含む重要な遺物も本当にたくさん出てます。

    トニナ遺跡は、世界遺産としても古代マヤ文明史でも超有名&重要なパレンケ遺跡の70kmほど南に位置していて、パレンケとずっと戦争して最後に勝ってるくらい重要な遺跡なのです(・∀・)つ






    さて、本題に入りますと、、、

    このトニナ遺跡での最新の発掘調査速報として、殿ピラミッドの基壇部分に出入り口のような石組み遺構が確認され、そこを掘り下げてみたところ、宝物庫のような空間を発見したということです。

    問題はその空間に納められていた遺物なのですが、およそ400個ものゴムボールが発見されました。




    古代マヤ文明を中心としてメソアメリカ地域全般において球戯場(ボールコート)の存在が知られています。

    現代でいうとことの『サッカー』ですね(*・ω・)ノ




    ただこれだけまとまってサッカーボール(?)が見つかる事例は類を見ません。

    そして調査責任者のメキシコ人考古学者、フアン・ヤデウンによると、これらのゴムボールは王族・貴族層(エリート層)の遺灰を植物と共に練り込んで作られたものだと言うのです。

    星への見立てなのでしょうか、一種の生まれ変わりの儀礼として偉大な人物の魂(?)が丸いボールとして260日後(ツォルキン歴/儀礼歴の1年後)に「復活」するのだそうです。




    彼によると、古典期のサッカーボールは巨大だったそうで、、、

    彼の述べる証拠というのは主に図像のようですが・・・・・・




    古代マヤ人って王族・貴族の遺灰を蹴り飛ばしてサッカーしてたのでしょうかね?

    であれば、コロッセウムより遥かに、一般層の心をスカッとさせる催しだったのかも知れません(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    そう言えば、国葬で盛り上がる現代日本。

    彼の英霊も遺灰をサッカーボールに入れて蹴り飛ばせば、我々一般的な国民の心も少しは晴れるかも知れませんね( ・Д・)








    おわりに ~真面目なお話~

    容量とかの問題なんですかね?

    大手のメディア系会社のネット上の記事とかYouTube動画とかって何故か削除されてるような気がするのですが、、、

    埋もれて見つからないだけ?( ・Д・)



    そんな気もしますけど、とりあえずマヤ文明関連の記事は当サイトで取り上げて記録するとして、動画はひとまず収集します。

    余裕ある時に複数の動画を編集してニュース動画として記録できればと思うのですが、、、まぁ暫くはただ集めておくだけってことになりそうです( -д-)ノ




    さて、マヤ考古学を牽引しているのはアメリカ考古学だと思うのですが、、、

    まぁ距離的にも近いですし、調査に来やすいですよね。



    アメリカ考古学は1960~70年代の法則定立的研究を志向した時代から潮流が変わり、文化相対主義に基づく個別記述主義が現在も主流です。

    所謂発展途上国などへの進歩史観に基づく差別が根底にあって、「それ良くない!(゚Д゚)ゴルァ!!」って反発からこの『体制』が敷かれていると個人的には思ってます。




    というのも、そういう活動、、、怒られるだろうけど所謂欧米の白人集団はそういうのが大好きだなって思うし(歴史的に他者を一番差別してきたのはあなたがーたでは?とか思うのだけど)、

    はっきり言って、この文化相対主義って息が長すぎるんですよ。

    単純に『この上なく素晴らしい研究理論だから』というわけで存続しているのではなく、圧力がある気がするのです( -д-)ノ





    ・・・長い前置きですが、結局何が言いたいかと言いますと、、、




    個別記述主義の名の下、各マヤ遺跡で行われる調査や研究の結論は常に「ほにゃららだからこの遺跡(私の取り扱う遺跡)はユニーク!研究の価値あり!」ってなるんですよね。

    (面白いくらいそうなる、たぶんほぼ100%)

    まぁユニークというのはマヤ文化にバリエーションがあったことを示す上での表現の問題に過ぎないので、別にそれはそれで構わないという気持ちもあるのですが、、、




    一方で一般向けの概説書とかガイドブックとかになると特にですが、どうしてもマヤ文明に関して普遍化する必要があるのですよ。

    そこでは、ティカルではこう!コパンではこう!パレンケではこう!

    って記述しないんですよね。

    何故か一気に『古典期マヤはこう!』ってなるんですよヽ(TдT)ノ




    そうした時に、今回のような1遺跡で見つかった特殊な事例が普遍化されてしまうケースがあるのです。

    そして怖いことに、「高名な考古学者」は声が大きいので、気付けば定説化してたりするんですよね。



    発掘調査や遺物の保管には莫大なお金がかかる関係上、学閥とか権威主義とかの脅威は常にあると個人的には思っているので、是非皆さんも色々な記事やニュースを目にしたとしても、

    「自分の頭で考える」ということを忘れないで頂きたい。

    これ本当に大事です。

    種々雑多な情報が溢れる現代社会では特に、、、



    ちなみに、

    この記事も嘘かも知れんよ!( ・Д・)



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    2022ねん 5がつ 16にち(げつよーび、めちゃ雨)

    実は最近私は、考古学研究によって、人類史における格差社会の変遷を数式化&グラフ表示による可視化することをテーマにしてるんだよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明社会も格差社会だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は全世界です( ・Д・)

    紹介する論文は「Greater post-Neolithic wealth disparities in Eurasia than in North America and Mesoamerica」(Kohler et al. 2017)です。



    比較的最近の研究で、経済学における社会の不均衡、貧富の差を示すローレンツ・カーブとジニ係数を考古学に応用したものとして高く評価されたものです。

    あのNatureに載ったやつなのです!(*・ω・)ノ




    arukemaya1698

    ↑論文中のFig. 3a



    経済学の方法を応用した点は面白いんですけど、結論はさして評価されていないんですよ。

    なんでかって言うと、、、

    上に挙げた図の中で、青い色のドットやラインが旧大陸の遺跡におけるジニ係数を示していて、赤色のそれらが所謂「新大陸」の遺跡を示しています。

    上に行けばいくほど(Y軸の値が大きくなればなるほど)貧富の差が大きかったことを示しています。




    arukemaya1699

    ↑論文中のFig. 3b




    なのでぱっと見、旧大陸(青色)の方が貧富の差が大きい気がしますよね。

    特に上の図3bを見てみると、時間が経つと旧大陸の方はぐっと社会格差が拡大するのが分かると思います。

    論文の結論部ではこのようになる解釈として、旧大陸では新大陸にはない大型家畜が存在したため、その所有が貧富の差の拡大を助長したと述べています。



    ……ふーん、なんだ、結局普通じゃん、みたいなけっこう辛辣なコメントがなされているのです。

    経済学の手法の応用は興味深いけれど、解釈が従来の考古学の成果に寄り添った形であるのがもったいないってことなんでしょうか。

    近年のDNA分析の結果のように、従来の考古学の成果をひっくり返すことが求められているようにも感じて、私としてはちょっと震えてしまいますΣ(・ω・ノ)ノ






    載せた画像サイズがちょっと小さいですが、よく見ると「Tikal」って入ってるんですけど、旧大陸遺跡の中で唯一ぶっ飛んでるんですよね。

    図3aだと右側、図3bだと真ん中くらいの赤色ドットの一番上にあるやつがそうです。



    ティカルだけめちゃくちゃ不平等なんですよね(笑)

    旧大陸の遺跡中では突出して格差社会なので、外れ値扱いされています( ・Д・)



    ちなみにこの論文では住居サイズを経済指標と仮定して分析を行っています。

    考古学者の視点からすると、そういった前提条件は大切なのですが、発掘調査を通して実際に住居サイズの大小と出土遺物の量の多寡や質の良し悪しとが相関するのかどうかをチェックする必要があります。



    まぁそれをちゃんとやったのが私ということなのですが、それはまた今度のお話ということで!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    arukemaya1697
    ↑論文の冒頭部分


    おわりに

    このローレンツ・カーブとジニ係数を用いた古代の貧富の差を示す研究、、、

    負け惜しみを言うと私も同じアイディアでやろうと思ってたのです!

    (世界は広く、山は高かった(ρ゚∩゚) グスン)

    でもこの論文が2017年で、私は2019年に思い立ったのでそもそも負けてましたヽ(TдT)ノ



    まぁやっててもこの論文の方が遺跡数も多いし、圧倒的にスゴイんですけど、、、

    私はティカルやるだけで死にかけてたのに、彼らすごいな~って思ってたら……

    上に挙げた画像ですよ!



    共著18人!( ・Д・)


    人海戦術でも負けるわ~。

    というかこういう大人数で共同研究ができる環境がスゴイ。

    日本じゃコミュニティ小っちゃいし、研究費少な過ぎて人雇えないしね(´・ω・`)




    私も国内でスタッフ雇いたいけど大きな予算取れなきゃ無理だよね~。

    あるいはたくさん稼いで、そのお金で個人的に人を雇って、ブログとかYoutubeの編集とか手伝ってもらおうかな~(*^・ェ・)ノ



    それもありよりのあり!( ・Д・)



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    2022ねん 1がつ 30にち(にちよーび、晴れ)

    お肉食べたい( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1683
    ↑これはサンプリング調査地点の配置図( ・Д・)(「あるけまや」作成)


    今回の考古学・歴史ニュースは調査始まったけど、お金がない!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はグアテマラ、ティカル遺跡です。

    コロナの影響で2年ぶりの調査となりまして、なんだか本当に久々にこっちに来たな~って感じがしております。

    上に挙げた図は、粘土試料のサンプリング調査地点を示したものなのですが、今年はラ・ニーニャ現象の影響で乾季に差し掛かる1月末現在でも土砂降りのスコールが散見されるため、上手くいかないかも知れません。

    なんとかなれば、2月末を目途に結果報告をしたいな~と思っております。


    arukemaya1686
    ↑材料現地調達の手作り箒(「あるけまや」撮影)


    何故、お金がないのか?

    元々1月20日に出国予定だったのですが、コロナ禍の影響で便が欠航になったり、空港が使えなくなったりで2度変更になった結果、1月19日の23時発になってたのです。

    出発時間があまりに遅いので、のんびりしてて、準備も中途半端だったし、お土産も少し買い足そうかな~なんて思いつつお昼ご飯を食べながらYouTubeでコロナ関連情報を集めるべくニュースを見てたら・・・・・・

    「アメリカで5Gが実装され、電波がボーイング777などの機体制御装置に影響を与えるため、ニューヨーク便など全て欠航となりました」

    って見つけて、、、いや、見つけたおかげで助かったわけですが、、、



    見事に私の便はボーイング777のニューヨーク経由だったので、慌てて大学の旅行代理店に連絡して、便を変えてもらったら・・・

    今すぐ家出れば間に合うかもって・・・・・・

    で、僅か15~20分くらいで準備終わらせて、重いスーツケースを即時筋肉痛になりながらダッシュで運んで、飛行機に間に合ったのです。


    結果、いくつか忘れ物してしまって、一番効いたのが『生活費用のドルや現地通貨(ケツァール)』を置いてきたのです( -д-)ノ

    幸い財布に100ドル紙幣が1枚入っていたので、それで7週間生きることになったのですヽ(TдT)ノ

    ……まぁポジティブに考えると、こっち来て2週間で内臓脂肪全部使い切ったらしく、出発時にきつかったズボンがすっと入るようになりました( ・Д・)


    arukemaya1685
    ↑ピンポールもないので手作り( ・Д・)(「あるけまや」撮影)


    人員は十分だけど貧乏な調査

    おかげさまで、「アカデミスト」(学術クラファン)の支援金があったので、前回よりも2名の調査員を増員して調査を行っています。

    でも現金が12000円(100ドル相当)しかないので、先に挙げた写真の箒や上に挙げた写真の杭のように手作り用品を多用しております( -д-)ノ

    まぁ水糸とか水平器とかは前回日本から運んであるので、調査精度は落ちてません。

    足りない備品とかティカル国立公園側や友人の考古学者などに借りつつ調査を実施しているのですが、いやー「持つべきものは金」だなって思います、、、もちろん「友」も重要です( ・Д・)


    調査に関して

    arukemaya1682
    ↑調査区域(「あるけまや」作成)


    上に挙げたのが調査区域の図で、オレンジ色が2020年に掘った場所、青色が今年の調査区域です。

    調査開始してから1週間なのですが、思ったよりガンガン作業が進んで、1週間で終える予定の調査(上部の青丸ふたつ)が2日で終わったのです。

    デモで国道封鎖されて約2日潰れたことを考えても、1日の余裕ができました(土日は休みなので週5日計算)。


    arukemaya1681
    arukemaya1684
    ↑平らにしか見えない調査区(「あるけまや」撮影)

    arukemaya1687
    ↑ティカル遺跡のマウンドサイズ分布と、調査対象(「あるけまや」作成)


    この上の青丸2つの場所は上に挙げた写真に見られるように、ほとんど平らなのです。

    全然マウンドに見えないのです( ・Д・)



    3枚目の図にあるように、ティカル遺跡のマウンドサイズ分布は「べき分布」することが分かっており、これを足掛かりに各マウンドサイズと出土遺物の質・量との関係について明らかにしようと考えているわけですが、、、

    この図で分かるように「26番(Str.4F-26)」よりも小さいマウンドはたくさん存在しているけれども、もうこれ以上小さいマウンドは掘らずには確認できないという結論に至りました。

    なので今回掘った26番、27番がミニマムマウンドの事例として扱うことにしました。

    よって今後は大きい、分かりやすいマウンドの事例を増やしていくことで自己の新しい理論の証明と、数理モデルの構築を目指していくことになります。


    *上図ではオレンジ色が前回の調査マウンド、青色がこの1週間で掘ったマウンド、緑色がこの後3週間で掘るマウンドです(*・ω・)ノ



    ↑ 300円のご支援をお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ



    ↑気付けばもう第11回まであります、少しずつクオリティも上げてく予定なのでこちらもよろしくお願い致します( ・Д・)


    おわりに 面白い成果は出ているが、、、

    さて、比較的小さいマウンド群~中程度までのデータは集まったので面白い結果になっているのですが・・・・・・

    調査許可取得の際の法的な契約の関係で、詳細をお伝えすることができません。

    とは言え、完全に埋戻してますし、報告書も片っ端から書き始めていますので、2月末から前半部の報告をちょこちょことここで出来るかと思います。

    いち早く知りたいよ!って人はお手数ですが、上記のアカデミストにてご支援頂ければ、2月末のライブ配信で詳細を含め一気に全部をお伝えしたいと思っております(*・ω・)ノ



    さて、昨年末くらいから少しずつ私が設定する新学術領域「考古物理学」についてアピールを始めましたが、考古学データに基づく「ヒトとモノの関係の数式化」は見事に成功しそうだなとかなりの手ごたえを感じています。

    (1960年代の「プロセス考古学」の課題をスマートに乗り越えたと自負しておりますヾ(´ω`=´ω`)ノ)

    これを機に、一般に「役に立たない人文科学」と称される現状を少しでも打開し、考古学が歴史関係の諸学問に対して共に議論できる共通の土俵を提示できるようになるのではと、

    考古学をはじめとする歴史学一般と、現代社会とそれが抱える諸問題とを繋ぐ架け橋になればという想いで今後も尽力していきたいと思います。


    何はともあれ、、、

    お金ないとほんと不安だけが残る!( ・Д・)



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    2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

    おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

    この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

    それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


    arukemaya1640
    ↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


    どうですか、これ?

    私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

    もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




    少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

    やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

    でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

    そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




    どうですか?

    あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

    これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

    ・・・

    ・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







    正体は何なのか?

    さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

    ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

    何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




    ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

    これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

    ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

    またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




    さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

    そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


    arukemaya1647




    そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

    2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

    近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

    今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




    さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

    このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

    なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




    転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

    マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

    23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

    これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




    一方でボクサーなのは何故でしょう?



    arukemaya1640
    ↑再掲


    まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

    よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

    同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

    このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

    彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





    ・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

    私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

    これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

    「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

    でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




    23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

    あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




    ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

    マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

    その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




    おわりに

    小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

    まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

    古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


    ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

    「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

    「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

    でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

    他に類例を知りません。



    しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

    これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

    よく取れずに残ったなと感心しますね。

    よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

    いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



    ・・・・・・

    余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

    「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

    まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

    今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

    うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

    採用されないかな!?( ・Д・)



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