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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:マヤ文明

2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


arukemaya1640
↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


どうですか、これ?

私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




どうですか?

あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

・・・

・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







正体は何なのか?

さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


arukemaya1647




そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




一方でボクサーなのは何故でしょう?



arukemaya1640
↑再掲


まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




おわりに

小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

他に類例を知りません。



しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

よく取れずに残ったなと感心しますね。

よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



・・・・・・

余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

採用されないかな!?( ・Д・)



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2021ねん 8がつ 19にち(かよーび、晴れ)

背に腹は代えられぬ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「超古代文明が中国で見つかった上に、なんだかマヤ文明っぽいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中国、陜西(せんせい)省に所在する石峁(しーまお)遺跡です。

考古学的に確認されている中国最古の王朝と言えば「殷」です。

世界史でも出てくる単語ですね(*^・ェ・)ノ

この殷はおよそBCE1700からBCE1046年まで続いた王朝です。

これよりも600年ほど古い王朝と考えられるのが今回の石峁遺跡になります。





超古代文明を定義してみる

私のある意味大好きな『古代の宇宙人』などをはじめとした「超古代文明」に関連するYoutube動画を観ていると何故かみんな1万年前とか無茶苦茶古くしたがる傾向にあると思います。

そしてそうした超古代文明の存在理由をアトランティスそのものとか、その子孫、宇宙人の仕業にしたがるんですよね。

はっきり言って謎です、理解に苦しみます。

一方で私は現役考古学者として滅多なことは言えないので、超古代文明という用語に対してオカルトな彼らとは異なる定義付けをしたいと思います( -д-)ノ

超古代文明という単語を「超」+「古代」+「文明」に分けて考えます。

歩けマヤで何度も述べているように「文明」の定義は様々ですが、基本的には「国家」です。

少なくとも初期国家段階に達している社会を「文明」とします。

文明と判断する要素は大人口、都市の出現、法制度の確立、官僚制の出現など、これこそ考古学以外の学問も含めて様々に定義されています。

ここでは考古学的にぱっと分かりやすい要素として「モニュメント/公共大規模建造物の出現」、「専業制の存在を示す高度な技術」を用います。

「古代」は古い時代ってことで特に気にしないことにして、この古代は文明にかかっていますから、「古代文明」は「とても古い時代の国家段階の社会」としましょう。

最後に「超」は何かを超えてるという意味で、古代文明にかかっていますから、「超古代文明」は、これまでに知られている「古代文明」よりも(時間的に古さとして超越しているという意味で)一層古いものを指すと定義しましょう。

この定義であれば超古代文明は存在し得ます。

というか今回の発見はソレと言っても過言ではないでしょう( -д-)ノ

まぁもちろん今回の発見を受けて、殷より古い王朝が認められれば、それは超古代文明から最初期/最古の古代文明になるわけですけどね( -д-)ノ




石峁遺跡は「超古代文明」?

対象物が何かは記載がないため不明(恐らく地層中の植物由来炭化物)ですが、放射性炭素年代測定によると石峁遺跡は4300年前の遺跡となるため、現在分かっている最古の王朝である殷より古いため、「超古代」の部分はクリアです。

上に挙げた写真は石峁遺跡で見つかった「階段状ピラミッド」ですが、これは公共大型建造物としてカウントできるでしょう。

またこの遺跡では翡翠(ヒスイ)製品が多数出土しています。

下に挙げた写真のようにただの翡翠が出たわけではなく、板状飾り、円盤、刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものが見つかっており、高度な石材加工技術があったことが分かります。

さらに石峁遺跡周辺では翡翠が産出することはなく、最寄りの産地でも1600km離れていることから「長距離交易の存在」が示唆されます。

さきほどは挙げませんでしたが、長距離交易も国家段階あるいは文明の指標となるものです。

よって石峁遺跡に見られる人類活動の痕跡は「超古代文明の所産」と言えるでしょうヾ(´ω`=´ω`)ノ


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中国最古の王朝はマヤ文明に似てる?

マヤ文明の特徴と言えば、「階段状ピラミッド」、「独特なピラミッド装飾レリーフ」、「翡翠」ですが、これって今回の発見とそっくりですよね( ・Д・)

上に挙げた写真が石峁遺跡で検出されたレリーフですが、左右対称で非常に精巧な壁面装飾となっています。

マヤ文明でも階段状ピラミッドや宮殿の基壇部に対して類似の壁面装飾が施されます。

それがこれ!(*^・ェ・)ノ


arukemaya1621



ぱっと見、似てるんですよね~。

まぁ専門としては石峁遺跡のモチーフはマヤ文明のそれに似ているというよりはメソアメリカ様式と言うべきか、、、もっと広い漠然とした感じで所謂「中米の美術様式」に似ている気はします。

あるいは古代マヤってよりは、チチェン・イツァのようなマヤ-トルテカ様式とか、オルメカ様式にも似ている気がして、古代メキシコ文化領域の美術様式に類似する気がしますね。

オカルトであれば、宇宙人やアトランティスの子孫が知識・技術を伝播させたから似ているんだ!ってロジックになるのでしょうが、、、

もちろんそんなわけはなく、明らかに「他人の空似」です。

下に過去記事を挙げましたが、石峁遺跡の美術様式は後代の中国の青銅器文化に類似したものが出ています。

確認したところ、過去記事のものは黄金製品を中心に挙げているため、あんまり参考にならないんですが、、、

でも確かに中国の青銅器で、先に挙げたレリーフのようなギザギザした歯を持つ獣(?)のモチーフを見たことがあるんですよね。

逆にマヤのレリーフで、石峁遺跡のレリーフに激似の事例もあった気がする( ・Д・)

今度どこかで見かけたら紹介することにしますね( -д-)ノ

・・・ということで、そもそも時期的に石峁遺跡の方がめちゃくちゃ古いのでマヤ文明のとの関連はもちろんないわけでただの釣りなのですが、文明の比較考古学としては面白いな~って思います(*・ω・)ノ


↓あんまり似てないけど参考までに( -д-)ノ





おわりに

やはり「超古代文明」とかオカルト系と「どエロの考古学」のようなエロ系はアクセス数が異常に伸びる!( ・Д・)

歩けマヤの読者は私が真面目につまらない内容書いてても読んでくれるし、悪ふざけしても読んでくれるので、、、

それに甘えて新規読者獲得のため、タイトルで釣ってみました( -д-)ノ

この先の安定した研究生活の基盤として、ブログやYoutubeが機能するならば、、、多少は悪魔に魂を売る他ないのではないかと思う今日この頃です( ・Д・)

まぁ今後、今回のようにタイトルやサムネイル画像で釣っても、中身は真面目に考察してますのでご安心ください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・この調子で研究続けつつ、、、

ブロガー&Youtuberになるか!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 24にち(すいよーび、くもり)

くそ~、今月2月だから短いじゃん!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ社会においてカカオ豆は通貨じゃないよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はユカタン周辺、マヤ文明です。

今回は「お金の歴史」のひとつとして『マヤ文明の通貨』について紹介したいと思います。

上に挙げた写真でご察しの通り、マヤ文明の通貨と言えば、、、カカオ豆です。

ちなみに、マヤ文明と言えばチョコレートの発祥の地として有名です。

カカオは中南米原産で、古くは紀元前1900年頃にオルメカ文明において栽培されていたことが分かっています。

マヤ文明では古典期後期(西暦500-1000年頃)の土器などに見られる絵画でチョコレートを飲料として飲んでいる図像が頻繁に見られます。

なので明瞭に分かる事例として、最初のチョコレートは飲み物、つまりココアだったわけですヾ(´ω`=´ω`)ノ




現在だとココア作る時に、パウダーを牛乳で溶かして、ちょっとバター入れたりして作りますよね?

マヤ文明、古典期におけるチョコレート(ココア)は少なくとも、水で溶いて、少し蜂蜜を入れたとも言われていますが、香辛料も入れていたと言われています。

だから、マヤのココアは辛い?Σ(・ω・ノ)ノ

王族・貴族などのエリート層が飲む、滋養強壮効果のある貴重な飲料だったようです。

どうやら今のココアとは大きく違ったようですね( -д-)ノ


さて、チョコレートのスペイン語版はチョコラーテ、これは固形だけではなく飲料のココアも意味します。

チョコラーテの語源はアステカ文明が使ったナワトル語の「ショコラトル」です。

この時のショコラトルにも香辛料が入っていました。

このショコラトルを征服者であるスペインがヨーロッパに持ち帰り、17世紀にはココアが一大流行します。

そうして現在は甘いココアだけではなく、固形のチョコレートとして世界的に愛される品となっているのです(*・ω・)ノ




さて、話を戻しますと、最初に述べたように「マヤ文明の通貨はカカオ豆」というイメージがあります。

比較的新しい論文である「Baron 2018」によれば、古典期マヤ社会(西暦250-1000)でもカカオ豆が通貨であったとされています。

これは先にも少し述べましたが、「古典期後期に土器の図像などに飲料としてのチョコレート(ココア)が描かれることが増えたから」と、モチーフの変化を根拠にしています。




上に挙げた写真が典型的な古典期後期の絵文書様式土器(コデックススタイル土器)の図像(展開図)です。

絵文書様式土器に描かれるモチーフはここに挙げた事例以外にたくさんの種類があるのですが、ここでは「カカオ豆が通貨だった説」に関係あるものとして『高貴な身分の人物に贈り物をしているシーン』だけを意図的に集めて表示しています。

①は、、、この展開図自体がちょっと変です。

右の人物の手前にある縦長のバーというか壁みたいのが「仕切り」です。

なので、、、


arukemaya1417
↑本来の展開図(「歩け、マヤ」管理人が加工・作成)


本来はこのように展開させます。

上図中のダッシュは繰り返し部です。

「a」の人物が手を広げて、「どーぞ( -д-)ノ」的に品物を見せているシーンでしょうか。

その後ろには「目録」のような書類(斜めのバー+円形の支えから成るモチーフ」)が描かれています。

「b」、「c」の人物の手前には土器の容器に入った品物と風呂敷のような布に包まれた品物が置かれています。

また「c」の人物の後ろには「蓋付きの円筒土器」が置かれています。

この円筒土器がチョコレート(ココア)を飲むための容器と考えられており、しかし飲料の状態で運搬するとは考えにくいため、バロンはカカオ豆として運搬・献上したと考えているのです。

ちなみに土製の蓋が出土するのはメキシコの「テオティワカンの影響」によるもので、古典期前期後半(西暦350-550年)によく見られます。

その場合は三足円筒土器に付随する蓋です。

ここでは円筒土器に蓋が付随しているので、恐らく古典期後期前半(西暦550-650年)あたりの様子を描写したものである蓋然性が高いです(*・ω・)ノ


上に挙げた2枚の写真では、少し高い台状部分に腰かけた偉い人物がいて、彼に対して贈り物をしています。

様々な形の土器が並べられていて、時にマヤ文字による表記が見られます。

②の図の高貴な人物の右下の土器に置かれているものは「タマル」と呼ばれる、現在でもグアテマラなどで食べられるトウモロコシを蒸かした団子です。

現在では鶏肉を中に入れます。

この推測が正しいのならば、昔から食べられていたようですね(*^・ェ・)ノ


・・・・・・

さて、こうした色々な贈答品のやり取りが描かれた図像がたくさんあるわけですが、こういったものだけで「カカオ豆が通貨」であったとするのは難しいと思います。

16世紀以降のスペイン植民地期の記録では確かにカカオ豆が労働賃金として利用されていたのですが、古典期(西暦250-1000年)では確認されていません。

一般的に古典期マヤ社会の中心地はティカルの所在するマヤ中部低地と考えられていますが、カカオの生産が行われているのはずっと遥か南の太平洋岸域といった熱帯地域なのです。

希少価値が高いため信用性はあるとは言え、自分たちで生産もできず流通量も少ないカカオ豆を果たして通貨として利用したでしょうか?

たぶん間違いだと思います。

恐らくカカオ豆は交換財の一つとして機能はしていたでしょうが、ジャガーの皮、塩、織物、海産貝などの交易品も同様に交換財として機能しており、特定の通貨はなかったと考えるのが普通だと思います( -д-)ノ




おわりに

ところで、今回絵文書様式土器の展開図をいくつか紹介しましたが、図像に見られる土器だけを集めた研究も面白そうだななんて昔から思ってます。

でもなかなか実行できていません。

たぶん誰かやってそうですしね( -д-)ノ

次、手が空いたらのんびりやってみようかな。

図像学的な研究だけではなく、実際の土器研究と関係させて書けば先行研究ないはず!


問題はいつ手が空くかだ!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 26にち(げつよーび、晴れ)

今日は頑張ったな~(・∀・)つ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya1086



今回の考古学・歴史ニュースは「先古典期ティカルの貯水池にはクリスタルを用いた浄水機能があったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の記事は学術雑誌「Scierntific Reports」の最新号(2020年第10号)に掲載された論文を基に書いています。


【参考文献】
Kenneth Barnett Tankersley, Nicholas P. Dunning, Christopher Carr, David L. Lentz & Vernon L. Scarborough
 2020 ”Zeolite water purification at Tikal, an ancient Maya city in Guatemala”, Scientific Reports volume 10, Article number: 18021


ちなみに上に挙げたクリスタルスカルはインディジョーンズの映画やディズニーシーでお馴染みのものですが、本記事とは関係ありませんのであしからず( -д-)ノ

関係あるとすれば、クリスタルってことくらいですね( ・Д・)


では発表された論文の内容を紹介しますね!


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↑ティカルの位置と、コリエンタル貯水池の位置(Tankersley et al. 2020のFigure 1より転載)



この研究で取り上げたのはティカルの中心部であるアクロポリス群の南方に位置するコリエンタル貯水地です。

この貯水池は先古典期後期から古典期後期(BCE250-CE1000)にかけて、ティカルの人々にとっての重要な水源でした。

この時期判定は土層中の炭化物を対象としたAMS放射性炭素年代によって2185〜965 cal yr B.P.(1950年が起点)という結果から推定されたものです(*・ω・)ノ



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↑時期の判定(Tankersley et al. 2020のFigure 2より転載)



さて、これまでアメリカ大陸の先住民には正式な浄水システムがなかったと考えられてきました。

例えば、北米の事例では、自然にろ過された泉からきれいな水を得て、それを沸騰させて飲用に用いていました。

中米の事例では、アステカ人は水道橋を通じて都市に浄水技術を必要としない豊富な湧水を得ていました。

こうした水道橋は南アメリカのアンデス地域、インカの人々によっても建設・利用されていました。


一方で中米のマヤ社会は、所謂「新世界文明」の中で唯一水のろ過を必要としたと考えられています。

マヤ地域はその気候的特徴として極端な季節的干ばつの影響を受ける地域です。

また人口が過密状態の中で長期的に居住が続いていたことから、ティカルの飲料水は多数の微生物源(シアノバクテリアなど)や硫化水銀などの有毒鉱物からの浸出物による汚染を受けやすい傾向にあったと考えられています。

しかしこれらの汚染物質がどのようにして飲料水から除去されたかについては良く分かっていませんでした。


YouTube動画に上がっているサバイバル動画にあるような、砂、砂利、植物、布による、ろ過システムは、早くも紀元前15世紀にエジプト、ギリシャ、南アジアで記録されています。

一方でマヤ地域ではそういった証拠が見つかっていませんでした。

今回の論文では、先に述べたコリエンタル貯水池から、ゼオライト(沸石)と石英(水晶、クオーツ)が発見されたと述べられています。


arukemaya1089
↑貯水池から発見されたクオーツ(水晶)とゼオライト(「D」の部分)(Tankersley et al. 2020のFigure 3より転載)



この論文ではティカルのコリエンタル貯水池にはかつてゼオライトを用いたろ過システムが使用されており、これは『新大陸』における浄水の最古の事例となるということです。

また同時に、世界で最も古い、飲料水の除染のためのゼオライトの使用の事例となります。


上に挙げた図・写真に見られるように、コリエンタル貯水池とその周辺の調査結果として堆積物中からゼオライト(沸石)と粗い砂粒サイズの結晶性石英の混合物が発見され、これらを通して水をろ過していた可能性が指摘されています。

ゼオライト(沸石)は、無毒で、三次元的に多孔質で、結晶性の水和アルミノケイ酸塩であり、天然の吸着剤およびイオン交換特性を有し、飲料水から有害な微生物だけでなく、分散した不溶性および可溶性の毒素をも除去するものです。


このゼオライトは、『旧大陸』では古くから優れた吸収性を持つ鉱物として認識されていました。

例えば、約2700年前にギリシャ・ローマの技術者は、水道橋、橋梁、ダム、港湾などの大規模な水理構造物の建設にセメントのポゾラン(シリカ質混合材)としてゼオライトを使用していました。


砂等を用いた最も古い浄水形態はヨーロッパや南アジアで発生したと推定されているものの、ゼオライトが水質浄化のために利用されるようになったのは20世紀に入ってからと考えられてきました。

そのため今回の発見は歴史的にとても重要な、非常に大きな発見なのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

古代マヤ文明の凄さが増しますね!(笑)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑これが古代マヤの叡智!浄水システム( ・Д・)(Tankersley et al. 2020のFigure 4より転載)



今回の研究で、ティカルの人々は都市の北東30kmにある粗い結晶の凝灰岩からゼオライトと石英結晶を採取したと推定されています。

彼らは大量の人口を支えるための大量の飲料水を浄化するために、これらの自然の火山性鉱物資源を効果的に採取・利用していたようです。

ティカルでは貯水池へと続くようにプラットフォームを僅かに傾斜させていることが知られていました。

今回の研究によると、上の図のように貯水池に水が流れ込む直前にゼオライトと石英片、石灰岩のフィルターが準備され、水がそこを通って浄水された後に貯水池に流れ込むシステムになっていたようです。


こうした浄水システムは数あるティカルの貯水池の中でも、現在、コリエンタル貯水池においてのみ証拠が発見されています。

今後の調査で他の貯水池からも見つかる可能性がありますね(*・ω・)ノ





おわりに

いかがでしたでしょうか?

補足として、

このティカルにおける浄水システムの建設は紀元前250年頃です。

旧大陸における最古級の事例である南アジアの砂と砂利による水のろ過が1700~1600年前ですので、600年も古いものとなります。

またこのコリエンタル貯水池のゼオライト浄水システムは、ヨーロッパの事例としてロバート・ベーコンにより1627年に開発されたゼオライト砂粒を用いた最初のろ過システムより遥かに早いのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


マヤすげー!
水、うめー!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 14にち(すいよーび、晴れ)

YouTube頑張るから観てね!( ・Д・)


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arukemaya1034
↑サウナ遺構の発掘中の様子(「カラパイア」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ人は日本人よりずっと前からサウナ使ってたんだよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、サウナの発祥の地はフィンランドとされていて少なくとも1000年以上の歴史があるそうです。


現在でもフィンランドの多くの家庭にサウナがあり、総数は約550万人の人口に対して約300万基とするデータがあるそうですΣ(・ω・ノ)ノ



サウナの文化は古代ローマ帝国のテピダリウム(微湿浴室)とラコニクム(発汗室)、オスマン帝国などイスラム教圏のハマム、ロシアのバーニャ、メキシコのテメスカル、朝鮮半島の汗蒸(ハンジュン)などと多数確認されています。

本当にフィンランドが発祥なのかも正直怪しいのですが、どのように拡散したのかについては全く分かっていないようですね( ・Д・)



ところで、サウナと言えば、今や日本では一般化してますよね?


温泉施設に併設されていることが多いと思います。


ちなみに日本でサウナが普及したのは1964年の東京オリンピック後とされているので、比較的新しいのです(*^・ェ・)ノ




さて、フィンランドで1000年以上って言ってますが、古代マヤ文明ではもっと古いのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



中米のマヤ遺跡を訪れたことがある人で、マニアックな巡り方、散策の仕方をしている人は、様々な遺跡でサウナ遺構を目にしていると思います。


何せ、古典期(CE250-1000)のサウナ遺構は遺跡にもよりますが、凝灰岩や砂岩で作られているため、現在でもけっこう残っているものなのです(*・ω・)ノ


この古典期の時点で、マヤ文明のサウナは1500~1800年前のものですから、とっても古いのです(・∀・)つ



今回紹介するのは、そんな古代マヤ文明における最古のサウナの事例ですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑これが最古のサウナ!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



古代マヤ文明における最古のサウナの発見は、グアテマラ北部のナクム遺跡でのものです。


このナクムはペテン県に位置していて、ティカル国立公園の比較的近くにあります。


ティカルに行く時は必ずフローレス市を拠点としますが、ナクムへもここから行くことができます。


正式名称は「ヤシャ - ナクム - ナランホ国立公園」といって3つの遺跡から成る大きな公園です。


雨季に行くと悪路過ぎて間違いなく車両が立ち往生するので、乾季を狙っていきましょう( -д-)ノ





さて、このナクム遺跡で発見されたのは何と2500年前のサウナです。


先ほど書いたように、古典期におけるサウナは切り石で作られています。


一方でこの2500年前のサウナは先古典期中期(BCE1000-350)に属するもので、マヤだけではなくメソアメリカ最古の事例です。


なので切り石は用いられていません。




上の写真で見られるように全体が白いですよね?


これは恐らく、地下の石灰岩層を整形して作った構造物だと思います(*・ω・)ノ



グアテマラ、ペテン県は亜熱帯雨林に覆われており、高温多湿で微生物の活動が非常に活発です。

そのため土壌が発達せず、地表面から20~30cm掘るだけで、母岩である石灰岩層に到達することも多々あります。

なので地上に露出した石灰岩だけではなく、当時の人々にとってこういった地下の石灰岩を利用することも難しくはなかったのです(*・ω・)ノ


このサウナはその後、意図的に埋められていたため、非常によい保存状態を保っていました。


この埋め土から出土した遺物の時期判定から、このサウナは紀元前700年頃から紀元前300年頃まで使用されていたと推定されています(*^・ェ・)ノ




arukemaya1033
↑最古のサウナの復元図!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



おわりに

今回紹介した事例では最大で2700年前にサウナが使用されていたということが分かりました。

時を経て、現代日本ではスーパー銭湯のような温泉施設で誰もがサウナを利用することが出来ます。


しかし古代マヤ文明の場合は王族・貴族のみがサウナを使用できたと考えられています。

サウナを使用するというのは一種の儀礼行為であり、重要な儀礼の前に身を清める効果があったようです。


汗を流してデトックスってことか!( ・Д・)


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2020ねん 9がつ 25にち(きんよーび、曇り)

最近充実しているが、寝不足だヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya991
↑いつかアクロポリスも掘りたいね( -д-)ノ(「トラベルザウルスドットコム」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「ナショナルジオグラフィックでティカルが取り上げられてるけど、そこで頑張ってる日本人考古学者も取り上げてよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


ナショナルジオグラフィックでは、

「いつか訪れたい世界の旅先25」

というシリーズで色々な場所を紹介しているようですが、

その第21回にグアテマラの世界複合遺産、ティカル国立公園が選ばれました!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

そこでは以下のように書かれていました(赤字は私の強調箇所)。

行くべき理由:マヤの過去と現在に出会いにいこう。


知っておきたいこと:画期的なレーザー技術により、研究者たちにとっての宝の地図ができた。グアテマラ北部のマヤ生物圏保護区に広がるジャングルの林冠の下で発見が相次いでいる。


 約2100平方キロを上空から調査する事業「PACUNAMライダー・イニシアチブ」で集まった情報から、長年隠れていたピラミッドや監視塔などの遺構を考古学者たちが発見。


 ここに先コロンブス期の大規模な文明があったことや、その文明が多くのマヤ専門家の認識よりもかなり複雑だったことが分かってきた。一般にはまだ公開されていないが、これら最新の発見は、グアテマラが昔も今もマヤ文化屈指の拠点だとあらためて思わせる。


 古いルーツが特に濃く残るのが、密林に覆われたマヤ世界の中心、北端のペテン地方だ。ワシャクトゥン、ヤシュハ、エル・ミラドール、ティカル国立公園では、中央アメリカの先史時代をしのばせる宝物が見られる。


 多文化に彩られた現代のグアテマラは、マヤの子孫が人口の半分以上を占め、中米で唯一、先住民が文化の点で多数派の国となっている。アティトラン湖周辺のツトゥヒル族の村を訪ねると、マヤの文化を体験できる。


おすすめの時期:11月~12月


こちらもおすすめ:ツトゥヒル族の職人がツアーやワークショップを手掛けており、アティトラン湖に拠点を置く団体「エシカル・ファッション・グアテマラ」が提供する織物、革製品、毛糸が売られている。


(ナショジオの記事を転載)



まぁLiDAR(ライダー;リモートセンシング技術の一つ)で、ティカルの範囲が従来言われていたよりもずっと大きいことが分かったり、

ティカルの外縁部には境界線として長大な盛り土があったことが分かったりしてます。

前にも少し書いたように、古典期マヤ文明と同時期のメキシコのテオティワカン文明の戦士たちが居住したと考えられる住居群が見つかったりもしています。

ティカルはそんな新たな発見が相次いでいるマヤ文明の中心遺跡なのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ









まぁこんな感じで私も頑張って掘ってますし、

今年の春なんて、お墓も見つけたしさ!(*^・ェ・)ノ

地球の裏側で日本人考古学者が頑張って掘ってるんだから、取り上げてくれてもよくないかい?ヽ(TдT)ノ



やっぱり自分で売り込むしかないのかな?

「世界ふしぎ発見!」とか来てくれないかな?( ・Д・)







まぁ現在はコロナ禍もあるわけですが、

そもそもあまりに遠いのでお金も日数もかかるのですが、

是非、機会があれば一度は来て欲しいなと思っております(*・ω・)ノ


もし来るのであれば、ナショジオではオススメ時期が11~12月になっています。

向こうのスコールは激しいので、

乾季を狙った時期になっています。

しかもそこまで暑くない時期です!


でも私のお勧めする時期は異なります!( ・Д・)



オススメは2月!!!

まだ乾季だし、2月末でも少し暑くなり始めたかなくらいだし、

なんと言っても私が調査している!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


コメント欄とか、TwitterのDMくれれば、

調査中であれば現場見せれますよ?

というか見せます!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


現地考古学者である共同責任者はガイドの資格も有しているので、

現役のティカルを調査している考古学者2名による豪華なティカルツアーも開催できます!


料金はお気持ち程度で(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
↑ここ大事(*^・ェ・)ノ

頂いた料金は、もちろんプロジェクトの運営資金として使用させていただきます。



額にもよるけど、きっとガソリン代で消えますヽ(TдT)ノ

最寄りのフローレス市からティカルまでおよそ60kmくらいあるので、

1週間当たり1万円使うんですよ、ガソリン代(TДT)











おわりに

前にも話したことあると思いますが、小規模のプロジェクトで120万円あればとりあえずなんとかなるのです。

これまで100万円の助成金に、20万円持ち出しで何とか回してます。


当面の目標として、古典期(CE250-1000)ティカルにおける土器生産体制を解明すべく、

またティカル全体の土器の総量の算出、当時の階層制に関する検討、在地土器・搬入土器の判定による土器経済の理解を目標に頑張ってますが、

まぁやっぱり小規模な調査だと、私の人生的に時間が足りないのです。


もう1チーム追加するために、現地の調査員雇うのに月10万円くらい必要なのです。

現在は1か月程度の発掘調査期間なので、実質的に年10万円で済むのです。


助成金だけではなく、

なんとか当サイトの記事やYouTube動画で10万円稼げればなと思っております( -д-)ノ



まぁ今回の記事で言いたかったのは、、、



私ティカルで頑張ってるから、

「ナショジオ」さん、「世界ふしぎ発見!」さん、、、

同情するなら金をくれ!古いか!???( ・Д・)


【追記】
……あ、忘れてた!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

2021年1~3月も元気に調査する予定です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

調査許可申請を始めたとこなので、また確定したら記事にしますねヾ(´ω`=´ω`)ノ


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2020ねん 7がつ 4にち(どよーび、曇り)

二週間ぶりの休日を堪能した結果、仕事も何もしなかった( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「マヤ文明、水に含まれる毒で滅んだ説が浮上!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


珍しくガチで専門領域の話題ですね。

この発掘調査はすっごい昔に行われたものなのです。

なのでようやく理化学分析にかけたか……って感じです。


とりあえず紹介していきますね!(*・ω・)ノ


arukemaya914
↑私も何度もお世話になってるティカルレポートの地図(「Gigazine」の記事内画像より転載;明らかに論文等が引用元でしょう)



マヤ文明が崩壊した理由や、大都市ティカルが放棄された理由には諸説あります。

干ばつによる飢饉とか、戦争の激化とか、異民族の侵入とか、森林を切りすぎて農業できなくなったとか、、、

現在のマヤ考古学では『複合的な理由で滅んだ』ってことになってます。



まぁ私は『一種の逃げ』だと思ってますけどね。

他の研究者と喧嘩したくないし、どれか一つに絞るのも難しい。

だからみんな認めちゃえ!みたいな感じです( ・Д・)



私の印象ではナラティブな研究者は自分の世界に引きこもって戦わないですからね( -д-)ノ

まぁさすがにそろそろ各要因の有機的関係について整理・分析をした論文がアメリカから出てくるかなと予想しています。


さて、今回の舞台であるグアテマラの世界複合遺産、ティカルの中心部には全部で13基の貯水池があります。

今回の論文で扱ったのは、中でも本当に中心部にある大きな貯水池4基で、それらを選んで発掘、サンプリング、分析を行っています。



yarereta
↑以前コロナウィルとして使ったけど、毒だと思って!



分析結果として、有毒なシアノバクテリアのDNAや水銀が検出されました。

なので貯水池の水は飲用には適さなかったと結論付けています。




まぁこの結果自体は、「あーそーですか( ・Д・)」って感じです。

原文にしっかり当たってから批判したいのですが、昔の貯水池の調査報告読んだ記憶の下、今ぱっと思いつくのは……

それらの毒が堆積したのはいつ?( -д-)ノ

ってことですね。



ティカルの貯水池はいずれも現在干上がっていて機能していません。

また発掘調査では貯水池の底に3~5mの堆積物があって、先古典期から古典期後期まで(BCE1000-CE1000)の土器資料が層になって出てきているようです。


あれ、層位発掘できるじゃん!とか思うのですが、彼らはやってませんね。

土器編年に関する報告はありません( ・Д・)


話はそれましたが、層になってるなら毒が検出された時期がどこのタイミングなのかが分かるはずです。

一方で、中米の強いスコールによって神殿を覆っていた水銀朱から水銀が流れて貯水池に溜まったことになってますけども、それって古くから溜まり続けてないですか?って思います。

まぁ許容量を超えたのが古典期後期と言うつもりなのかも知れませんが……


シアノバクテリアが繁茂する、つまり藻類が繁茂する水を普段は飲まないけど、干ばつ時に喉が渇いて飲んで滅びたってこと?

海で遭難して、喉乾いて、ダメだと知ってて海水飲んで死んだみたいな?



とりあえず原文に当たりますけど、続報に期待ですね。

……ほんと、アメリカ人って一般受けする論文書くの得意だなって思います( ・Д・)





おわりに

さて、この手のニュースでありがちなのが、『マヤ文明滅亡の原因は……』ってやつですね。

当記事では『ティカルが放棄された理由』にしてあります。

まぁ主要都市とは言え、一都市におけるケーススタディが文明全体に適用できるわけないので、誇張が過ぎます。( ・Д・)



・・・・・・いやー、でもなんだか面白い気がしてきましたよ!

神殿造って、外壁を漆喰や朱で覆うのなんて昔からやってるわけで、貯水池には昔から流れ込んでて、それを飲んでた可能性もあるわけで……

なんでいきなり古典期後期末にダメになっちゃったの???Σ(・ω・ノ)ノ



少しだけの前進、ひとつ分かると、次の疑問がわいてくる・・・・・・


研究ってそんなもん!( ・Д・)

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2020ねん 6がつ 4にち(もくよーび、晴れ)

おい、いつ6月になったんだい???( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「ものは言いよう!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はマヤ文明です。

前にも少し書きましたけど、自分の専門領域のことはあまり記事にしていないんですよね。

中にはいい研究もあるけれど、自然とどうしても批判的になるので( -д-)ノ





でも上に挙げたタイトルがいつもと違うように、

もう黙ってられんぞと、

思ったわけですよ( -д-)ノ

まぁ愚痴を聞いてください(*^・ェ・)ノ





とりあえず記事の全文を引用

普段、当サイトではこうして直接全文引用することはありません。

が、今回は問題の所在を明らかにしたいなと思い、こうしました( -д-)ノ

大事なところは赤字にしましたので、そこだけ読んでもらっても構いません。



古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。

南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。

社会的な階層がはっきりしていない紀元前1千~800年に築かれたとみられ、研究チームは「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ」としている。


4日、英科学誌ネイチャーに発表した。 米アリゾナ大の猪俣健教授や茨城大の青山和夫教授、岡山理科大の那須浩郎准教授らの研究チームは2017年から、グアテマラ国境近くのタバスコ州で航空レーザー測量や地上探査を実施。

18年、森林や牧草地が広がる一帯の地下にアグアダ・フェニックス遺跡を発見した。調査を進めたところ、遺跡には南北約1400メートル、東西約400メートルにわたる大きな建造物があることが分かった。

研究チームは建造物の体積を320万~430万立方メートルと推定する。マヤ文明で最大とされてきたエル・ミラドール遺跡の建造物より、40万立方メートル以上大きいという。

建造物の上部には平面状の「基壇」が広がっている。発掘調査で未使用のヒスイの石斧(せきふ)が見つかったことなどから、建造物は共同祭祀に使われていたとみている。

茨城大の青山教授は「人々が定住を始めて間もない時期に造られたものだ。神聖な山を築くことで、共同体のアイデンティティーを確立しようとしたのでは」とする。他の遺跡で見られる権力者を示す石彫などは見つかっておらず、アリゾナ大の猪俣教授は「人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」と話している。

紀元前1千年ごろから16世紀まで、ユカタン半島を中心にメキシコ、グアテマラ、ホンジュラスなどで栄えた文明。各地の遺跡からは、宗教的な儀式が行われたとみられるピラミッドや、複雑なマヤ文字が刻まれた碑文などが見つかっている。(朝日新聞より)


arukemaya884
↑比較のため再掲

最大とか最古とか考古学者は言いたいのは金のため

さて、読んでお分かりになったと思いますが、

端折って言えば、基壇の長軸が1400mもあるから同時期(先古典期後期)で最大って言ってるわけです。

上の画像を見てもらうと、左斜め上に展開する長方形の茶色の基壇がそれだと思います。

長方形基壇の4辺には小マウンドが並んでいるのが分かります。




まぁ確かにでかい。

でもこれは堆積計算したら最大だよ!って売り込みを言葉巧みに『彼自身が』新聞社等に売り込んでいるのです。



・・・・・・

さて、彼が比べている「かつて最大と言われていた」エル・ミラドールの建造物を見てみましょうよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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arukemaya888
↑エル・ミラドールのラ・ダンタピラミッドに関する図像(「Gutemala, El Mirador」「Global Consevation」「Pinterest」「Leonidemartinblog」の画像をそれぞれ転載)


どうですか?( ・Д・)


最初の画像で、エジプトのピラミッドや、ティカルのピラミッドと比べているのでサイズ感をもっていただけるかと思います。



・・・・・・さて、

エル・ミラドールの事例は「神殿」です。

アグアダ・フェニックスは「祭祀場(?)」です。

これを両者とも「建造物」として扱っているわけですよ。

確かに間違ってないけど、これは『言葉のマジック』です。

記事内タイトルにも挙げたように、「物は言いよう」です。

私は、比較としておかしいと思います。




彼自身もそんなこと分かってることでしょう。

色んな意味で賢い方ですから(正直私は彼を、クセが激し~く強い中南米研究者の中では一番マトモだと思っています)。



では彼は何故、このようなことをするのか?



知名度上げるためです。

結果、助成金も獲得しやすくなります。

どうせ、最大の建造物(と思われる、とか濁すやもしれません)を発見した!って書きますしね。

金があれば、プロジェクトもでかくできる。

最新の技術も導入できる。

お金のある研究者の周りには主にお金の獲れない研究者が集まり、金持ち研究者の庇護の下、学閥的な集団を形成します。

学会の懇親会で最も厄介なYes Man集団ですね。

考古学研究も資本主義ですよ。

研究能力よりも、口の上手さが重要なのです。

まぁ、厚顔無恥であることも才能か?( ・Д・)






おわりに

まぁ私も「新発見」ってたくさん書いてるから、そんな人のこと言えないですけどね。

でも売り込みはしてないし、申請書には書きませんよ。

あくまで大きな研究プランの中で、段階的に、あるいは副次的にこういう新しいことが分かってきていますよ~て感じですかね。



あ~絶対、学会でイジメられるぜっ!( ・Д・)

(イジメられたら報告しますね(*^・ェ・)ノ)

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2020ねん 5がつ 7にち(もくよーび、曇り時々雨)

気付けば腹痛のままGW終わった……報告書放棄してでもyoutubeの考古学講座つくらにゃ( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・



今日の考古学・歴史ニュースは、「Twitterで出題したクイズ第二問の解答編、ティカルの中にはどれくらいの建造物マウンドがあるの?」ってお話です(*・ω・)ノ


最終的にこの出題に対して、またもや11回答も頂きました。

Twitter慣れてなさ過ぎてよく分かりませんが、前回と同じ回答者さんなのかなと思いますが、マヤ文明クイズにお付き合い頂き、誠にありがとうございます(*_ _)ペコリ



古代マヤ文明クイズ 第二問
「グアテマラが誇る世界複合遺産、ティカルにはどれくらいの建造物マウンドがある?」

①100
②500
③1000
④2000

という出題でした(*・ω・)ノ

ちなみに解答として多かったのは「③1000基」でした!



ではクイズの解答は・・・・・・・・・



・・・・・・・・・



・・・・・・



・・・






『④2000基です!( ・Д・)』


そうなんですよ、実は2000基オーバーあるんですよΣ(・ω・ノ)ノ

ではティカルの建造物マウンドの在り方や調査史について説明しますね(*^・ェ・)ノ


mapa tikal, pennsylvania
↑俗に言う、ティカルマップ(「Tikal Report no.11」Carr and Hazard 1961, Ruins of Tikal (p.27)を転載)



ティカルにおける測量調査

上に挙げた図がティカル全体の地図になります。

私が論文でも用いているのでそれなりの解像度だと思います。

たぶん皆様にとっては十分な画質だと思います。

DLしても構いませんよ(*・ω・)ノ



今度もっと高い解像度でデータ化しようかと考えていますので、『欲しいよ!( ・Д・)』って方はコメントないし、当該記事のTwitterにリプライ下さい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

っていうか何らかの理由で欲しいのであれば、PDFデータで報告書(英文)のデータごとあげますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


arukemaya864
↑ティカルマップに色付けてみた!(「Tikal Report no.11」Carr and Hazard 1961, Ruins of Tikal (p.27)を一部加工)


図版引用部に書いてあるように1961年に出版されたTikal Report No.11ですが、この時期にアメリカ、ペンシルバニア大学主導の大規模調査の一環としてティカルの測量調査が行われました。

上の図は基図を着色したものです。

基図のサイズとして、遺跡の4km×4km=16㎢の範囲をカバーしています。

左上の「緑色&黒色枠の部分」を見てください。

この大きさが一つの単位となっており、500m×500mの範囲となっています。

この左上を基準として右方向(東方向)にA~H、下方向(南方向)に1~8と、アルファベットと番号が振られてそれぞのエリア及び住居マウンドが管理されています。



例えば緑部分はエリアA1ですね(*・ω・)ノ

ここにある建造物マウンドは建造物を示す英語Structureの省略として『Str.』を先頭にし、エリア番号、建造物番号の順で記述して管理されています。



例えばこの緑部分エリアのとある建造物マウンド名は、『Str. A1-25』といった感じです。

私が年明けに実施した調査の対象建造物は「Str. 4F-19」と「Str. 4F-20」でした。

なんとなく調査した場所(エリア)が分かりますでしょうか?


↓調査に関してはこちら……そう言えばまとめ記事も書いてないや( ・Д・)



↑面白い発見がけっこうあったのですが、まずは報告書終わらせねば( ・Д・)


紫部分が3km×3km=9㎢の範囲で、この範囲が我々の述べる『ティカル中心部エリア』に相当します(以下、私がここで述べる中心部エリアはこの範囲とする)。

オレンジ色の部分を含めたエリア(16㎢)を中心部エリアとする場合もありますが、範囲の指定は論文ごとで明確に記述されています。

さて、紫部分とオレンジ部分の違いですが、紫部分はトランシットを用いた測量調査が実施されており、下に例示するような詳細な地図が存在しています。

一方でオレンジ部分(左上の緑部分も含む)は踏査によってマウンド数がチェックされたものの、詳細な測量図は存在せず、マウンドの位置や形状には疑問が残る範囲です。


北のアクロポリスのエリア

↑紫部分の一つ、グレートプラザ(大広場;D4, D5, E4, E5の範囲)の測量図、こちらも高解像度でDL可(「Tikal Report no.11」Carr and Hazard 1961, Great Plaza (p.32)を転載)


実際にかつて2016年度にエリア6Hにおける発掘調査を実施した際にトータルステーションによる測量調査も実施し、建造物マウンドの数、形状、位置には大きな違いがあることを私たちは指摘しました。

そのため今回のクイズの解答として、ティカル中心部エリア(紫色部)における建造物マウンド数をカウントすることにしたのです。

その結果は、2121基でした!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

これには神殿や宮殿といったあらゆる建造物をカウントしたものになりますが、それらの数を引いたとしても、やはり建造物マウンド数は2000基程度となるはずです。


arukemaya865
↑こんなパッケージもあった(「」の記事内画像より転載;ドイツ語)



おわりに

オレンジ部分における建造物マウンド数を加えると計2500基とかになりそうです。

また前回のクイズで、ティカルという都市国家の範囲・領域は分からないよってお話をしました。

今回挙げた地図の16㎢の範囲の外にも住居マウンドは広がっています。

密度は周縁部になればなるほど減じていくでしょう。

それでもトータル数はかなり増加するはずです。



中心部から離れれば離れるほど、建造物は小さくなり発見が困難になります。

また世界複合遺産ということで自然遺産の性質を含む関係で、周縁部エリアは完全に亜熱帯ジャングルの中に没しています。

こういった環境下での測量調査は困難を極めるでしょう。



近年はLiDAR(Light Detection and Ranging;レーザー画像検出と測距)と呼ばれる光を用いたリモートセンシング技術が考古学で扱われるようになり、鬱蒼としたジャングルにおけるマウンドの検出がより簡単になりました。

(問題は非常に高価ということで若手研究者には無理!( ・Д・))



この技術は考古学系ニュースなどで、非常にもてはやされはいますが、

古代マヤ人の最下層の人々、つまり農民などの一般層の人々は土製基壇の上に葉・枝等の植物由来の有機物を建築材としていたと考えられ、そのマウンドは非常に低く、小さいため、どこまで検出できているか不明です。

一般層住居の検出や、それを対象とした発掘調査、及び古代マヤ一般層の人々の生活の実態の解明は今後の古代マヤ考古学研究における要検討事項なのです。


そのため今後、このクイズの答えが変わる余地は多分にあります。

でもそれが考古学の面白さのひとつではないでしょうか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2020ねん 5がつ 5にち(かよーび、晴れ)

銀河英雄伝説やアルスラーン戦記のように、マヤ文明を語りたい( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・



今日の考古学・歴史ニュースは、「Twitterで出題したクイズ第一問の解答編、ティカルの人口はどれくらい?」ってお話です(*・ω・)ノ


最終的にこの出題に対して、11回答も頂きました。

正直、誰も参加してくれないかなと覚悟してました( -д-)ノ

唐突なマヤ文明クイズにお付き合い頂き、誠にありがとうございます(*_ _)ペコリ

ちなみに解答として多かったのは「10万人」でした!


ひとまずクイズの解答は・・・・・・・・・



・・・・・・・・・



・・・・・・



・・・






『分かりません!( ・Д・)』




もし私が解答者ならそう答えるってだけですね、意地悪ですけど( ・Д・)

普通、「ティカルの人口は?」と訊かれたら、最盛期の最高人口を答えるのだと思いますけど、

まぁ私なら『時期を指定して下さい』って言いますね。

先古典期なのか、古典期前期か後期か・・・

まぁその上でどの時期だろうと答えは『分からない』なんですけども( ・Д・)

(まぁ現在なら0かな、古代マヤ人の人口ならば!)



でもこれだとクイズの答えにならないので、wikipediaを見てみました。

日本語版だと人口についての記述はありませんでした。

英語版だと詳しく書かれていて、1万人~9万人くらい、衛星都市を含めると42万5千人と書かれています。

なので、wikipedia(英語版;「Tikal」のページ)を信頼すると、

②1万人
③5万人
④10万人

はいずれも正解ですね。

先古典期等のより古い時期であれば、①5000人も正解だと思います。


一応述べておくと、個人的な意見として、ティカルの人口は1万~2万人程度かなと考えています( -д-)ノ




さて、問題は何故私は最初に「分からない」と答え、最後に「個人の意見を述べた」のか?

そして1万人から40万人とティカルの推定人口は何故それほどまでに開きがあるのか?

この2点について今回はお話したいと思います(*^・ェ・)ノ


【注意】
*今回は内容が分かりにくく、無駄に文章が長いので、最後の『ティカルの人口の開きについて』までばっと読み飛ばして構いません。目印は「グアテマラの市場の写真」です( -д-)ノ

*あるいは『おわりに -スマートな模範解答例-』まで読み飛ばして下さい。




怪しい専門家を正しく疑う簡単な方法!!!

Youtubeの超古代文明関連の動画を見ているとコメント欄に、

『考古学は科学ではない』

とか、それに類似する発言が見られますが、ちゃんと科学ですよ。

考古学は生物学や地質学と同じ「観察科学」の仲間です。

”最も科学っぽい”「実験科学」とは異なりますから、その結論はより「蓋然性が高い」ものが導かれるはずです。

そうである確率が高いわけではなく、論理的にそのように導かれる確実性が高いという意味です。

考古学といっても現在では学問内部における細分化が顕著なので、方法論にもよりますが、少なくとも従来の考古学、例えば土器研究に普遍的な型式学的研究法では蓋然性の高さを問題にしています。

何が言いたいかと言うと、現在の結論は現在段階で入手可能なデータを基に蓋然性の高い結論を選択しているわけで、あくまでその範囲内での確実性です。

新たな説の登場や新たな発見によって理論が覆る可能性は常にあるのです(可能性と蓋然性の使い分けは難しいかも知れません、類似のものと考えて構いません( -д-)ノ)。

ギョペグリテペとか考古学理論にダメージを与える近年の好例ですが、またこの話は後日( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・

さて、真面目に書いてると無駄に長くなるので、本題の「怪しい専門家を疑う方法」ですが、、、それは、


『自分の推測を断言して言う人』を疑え!

です(*・ω・)ノ

どんなにデータを集めても推測は推測、予測は予測です。

そこに100%な確実性などありえません(極端な例はなしの方向で( -д-)ノ;ex.サイコロを一回振れば、間違いなく1~6の目が出る、とか)。



テレビを見ていると、コロナ騒動で様々な自称専門家がコメントしてますけど、

本当に専門なら構いません、自分の発言に責任をもって好きに述べればいい。

しかしながら、僅かでも小分野・小領域で違いがあるのなら、

『私は門外漢だから分からない、コメントできない』という姿勢が大事かなと思います。


『分からないものを分からないと言う勇気』がまっとうな研究者には必要だと思います(*・ω・)ノ




……ってコロナ関連のニュースを見てて思ったよって話なんですけど、、、

これでようやく、マヤ考古学でかつティカルをフィールドにしているというガチ専門内であっても人口研究は趣味程度にしか行っておらず一般紙のみで論文にしていない程度なので、「(勉強不足で)分からない」と最初に述べたというところに繋がります。

ただ腐っても専門なので、先行研究を参考に、また自己の調査経験を基に「1~2万人」程度ではないかと『私個人はそう考えている』と述べたのです( -д-)ノ

とても回りくどくて面倒だけど、研究者ってたぶんきっとそんなもんです(*^・ェ・)ノ

覚えておいてくださいね、「断言、断定する人」は信用ならんよってことをヾ(´ω`=´ω`)ノ

(様々な情報が得られる現在、他人の意見を鵜吞みにせずにきちんと疑い、自分の頭で論理的に考えて、自分の意見をもつという態度が重要な気がします、なんてね(*^・ェ・)ノ)




ティカルの人口推定値は何でそんなに開きがあるのか?

これは簡単です。

人口の計算は単純に掛け算だからです( -д-)ノ

例えば、ティカルではかつての住居などの建造物が、マウンドとして現地表面で確認できます。

そうしたティカルに、仮に1000基のマウンドがあったとしましょう。

1基のマウンドに1人が住んでいたら、ティカルの人口は1000人です。

2人だったら2000人、5人なら5000人、10人なら1万人、、、

実はそんなもんなのです( ・Д・)



問題はここから複雑さが増していきます。


【問題点】
①どの現代マヤ人あるいは部族の家庭を民族例として扱うのか?

②そもそも現代マヤ人の民族例は援用可能なのか(学史的な問題ですが、アメリカはこの手法が大好きです)

③ティカルのマッピングは終了していないのではないか。

④どのマウンドが住居で、どれがそうではないのか(倉庫とか)。

⑤すべての住居が同時使用されていたわけではないのではないか(各マウンドの時期は分かっていない)

⑥中心部と周縁部では人口密度が異なるが如何にして計算するべきか

⑦どこまでが、どの範囲がティカルなのか?



個人的には人口推定問題に関して⑦が一番大きな問題だと思っています。

都市地理学における同心円モデルを用いて、中心部と周縁部における人口密度を計算している研究事例が最も新しく優秀だと思っていますが、

それでも推定値は1万~42万人の開きがあるのです。

だってティカルの領域を広げれば広げるほど、掛け算の結果、人口増えちゃいますもの。

そして論文の数がモノをいうようになってしまったアメリカ考古学ないし科学会(日本も追随しています)では、どうしても違う数字を出さなければならない、大きな数を出さないとインパクトがない。

考古学では「最古」が大好きですが、最も大きいとか最も多いとか、極端な数字に支えられて、自分の調査域・研究領域はこんなんに凄いんだ!って言いたがりなものです。

というか、そうしないと研究費が取りにくい環境があることに関係している気もしますけども( -д-)ノ

ティカルの人口推定値がかくも異なるのはこういう研究背景に依拠しているのです( ・Д・)


arukemaya857
↑グアテマラシティの歴史ある建造物(「4travel.jp」の記事内画像より転載)



おわりに -スマートな模範解答例-


さて、ただのクイズの解答なのに、面倒な感じになってしまいまして申し訳ありません( ・Д・)

最後に最もスマートな模範解答を例示しておきたいと思います。


Q「ティカルの人口はどれくらいですか?」

A1「最盛期において1万~10万人程度だと考えられています。」

A2「最盛期において1~10万人、あるいは40万人とも言われています。そもそも考古学は人口推定が苦手なので、幅広くなっちゃうらしいんですよね~( -д-)ノ」



……現在の日本において、家の数・部屋の数を数えたら人口が分かりますか?

考古学者がやっているのはそういうことです。

遺体も全部残るわけではありませんし、家くらいしか数えられません。

でも現在の日本の人口は「戸籍」によって管理されており、きっと家の数から推測される人口値とは開きができるはずです。

まぁ考古学において、そこまで正確な数値が必要かと言われればそこまでですが、戸籍がない以上、「どこまで正確なのか」すらそもそも分からないのです。

個人的には考古学において信用ならないのは、(ぱっと思いつく範囲で( ・Д・))1に精神世界、2に人口推定な気がします( -д-)ノ

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