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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:マヤ文明

2020ねん 3がつ 15にち(どよーび、晴れ)

やぁみんな!飛行機に乗り遅れた管理人だよ!ハハッ!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文字の原型みたいなのが見つかったよ!


でも最近の研究者って古いって言いたいだけで定義とかいい加減なやつばっかだね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


不幸が3重に重なり、飛行機を逃した私は昼からお酒を飲みつつ仕事して心なしか荒ぶっております( -д-)ノ

……中庭のプール脇で仕事してるのですが、黒ビキニの綺麗なお姉さんが焼いてる姿に気付き、すさんだ心が少し癒された気がした今日この頃です( ・Д・)

しかしがら今回は愚痴たっぷり、口悪く書きますのでご容赦ください(゚д゚)、ペッ




タカリク・アバフ遺跡ってどこ? 何なの?

昔、こういう感じの地図をゼミで出したら、「これじゃどこか分からん!(゚皿゚メ)」ってよく指導教員に言われたものです……

メキシコ入ってるし分かるだろ!メキシコはUSAの南だ!!!

私の専門マヤだし、当然中米だよ!

他地域やったことねーだろ!

覚えろよ!ハゲ!(指導教員はハゲていない。むしろハゲろ(#`皿´) ムキーーーー!)


ってよく思ってましたね( -д-)ノ




……ブログタイトルとは異なり、実際にはけっこう専門分野を敢えて避けつつ(マヤ文明ばっかになっちゃうから)記事を書いてますけど、

「歩け、マヤ」の熱心な読者はもうこの『ユカタン半島』の地図は見慣れたと思うので、北アメリカを含んだ地図はいちいち提示しませんよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


というわけで、タカリク・アバフ遺跡は、グアテマラ南西部、エル・アシンタルにある先コロンブス期の遺跡です(*・ω・)ノ


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最初に挙げた写真や上の2枚の写真のようにタカリク・アバフ遺跡は石碑や石彫がごろごろしている遺跡です。

かつて一度だけ行ったことがあります。

誰もいなくて、のんびりできます。

つまり観光整備がテキトーなので、どうしてもマイクロバスでの移動になるので行ったり帰ったりするのが怖いですけどね( ・Д・)




石彫は動物を象形したものが多く、どれも可愛げがあるので写真撮影にはもってこいですよ!(・∀・)つ

この遺跡はもともとアバフ・タカリクと呼ばれていて、日本の古い文献にもそのように記載されている事例があります。

最近と言っても15年くらいでしょうか、かなり前にタカリク・アバフになったんですよ。

植民地期以降のマヤ語に由来した名称なのですが、名詞と修飾語の語順が正しく直された(元々はスペイン語からキチェ語への変換だった;西語では名詞+形容詞)結果です。

この遺跡は『人頭像』で有名なメキシコ湾岸のオルメカ文明の系譜にあり、かつ後にマヤ文化へと変遷した興味深い遺跡なのです。




発見された石碑・マヤ文字(?)に関して



今回のこの遺跡で見つかった石碑は約2000年前の石碑です

古代マヤ文明で用いられた所謂「マヤ文字」の初期の文字が見つかったのです。

見つかった「石碑87」は2018年に発見されてはいたのですが、初期の文字であるため、古典期(CE250-900)における一般的に知られているマヤ文字とは異なります。

そのため発見後、解読が進められ、今回の発表へと至ったわけです( -д-)ノ

……なんかこの手の『最古』系のマヤ文字のやつ、タカリク・アバフ遺跡で聞いたことあるなと、デジャブ的に感じてたのですが、これが理由ですね!

ちなみに石碑の推定時期はCE100年頃のものと考えられているようです。




どうしても「古い!」と言いたい研究者できない研究者の叫び

この石碑の解読は全部終了したわけではありません。

しかしこの文字列の中には『支配者』の存在とその『称号』の証しが示されているそうです。

研究者にとってお金(助成金)獲ってくることが大事なのは身に染みて分かっていますが、「古い!」って言いたいだけの人多いと感じますね。

というか、『掘ったら何か出るのは当たり前』なのに、ひたすらただの強行なアピールを行う研究者が多いなって気がします。

『国家』、『文明』、『支配者』、どれも危険・地雷ワードですよ!

こんなニュースひとつで(それが事実ならば)現在の我々が有する古代マヤ文明観、ひっくり返りますよ。

でも彼らは深くは考えない。

それぞれの用語の定義を考えず、「ただの言葉」として使ってます。




考古学や人類学の難しさは、専門用語と一般的な用語が概ね同じ単語であることなんですよね。

つい先日Twitterで見かけましたが、「所謂、理系の専門用語は難しく、その内容が文字から推定できない」って。

でも「文系の用語は超簡単」って。

これ超有名な事例ですけど、じゃあ考古学で言う「文化」って、その文字・言葉から想像できるでしょうけど、その想像と実際の中身全然違うと思いますよ( ・Д・)

「文化」ならまだ可愛いけど、「国家」や「文明」はめちゃくちゃ難しい(と、少なくとも私はそう思う)。

ちゃんと定義を確認して、あるいは再定義して、私はこのように使うと明言して研究している人は世界でもあまりいないですね、少なくとも今生きている人では( -д-)ノ




結論とおわりに

朝起きてから16時間待ちで、ビールもしこたま入れてるのでこんな内容になりましたが、まぁたまにはいいでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

このニュースに関してはまだ国内ではあまり周知されておらず、確認できた記事も少なかったです。

でもどれも『マヤ文明初期の文字』って書いてますね。

マヤ文明って比較的有名ですからね。

タカリク・アバフ遺跡の古代文字って書いても誰も分からないですからね( -д-)ノ

その辺りは理解できるとは言え、、、




どこからが「マヤ文字」ですか?

どこからが「マヤ文明」ですか?

「文明」って何ですか?

「支配者」って具体的には何を意味しますか?

国家形成を考える上で最重要な問題なのに、誰も何も言わない。

皆、口を閉ざしたまま、陰で(懇親会や個々の集まりで)悪く言うだけ。

だって言ったら、誰しも容易く「古い事例だ!」って言えなくなるし、ガチ喧嘩だからね!( -д-)ノ

……確信犯やん( ・Д・)

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2020ねん 3がつ 2にち(げつよーび、晴れ)

さて、3月か!

初っ端からオカルトちっくなテーマで飛ばしていくぜ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡でドラクエウォークしたよ! & ティカルには謎スポットがあるよ」ってお話です(*・ω・)ノ


まずはドラクエウォークの話、次にティカルの謎スポットの話について書きます。

ドラクエウォークに興味ない人は後半から読んで下さい。

もう1枚のオカルトな画像(「古代の宇宙人」の画像)が目印です( -д-)ノ

でもなんでティカルでドラクエウォークすることが凄いことなのでしょうか?

海外だし、遠いところだから?

違いますよ!

ティカル遺跡は複合世界遺産に登録されており、考古学的な遺跡の部分だけではなく周囲の576㎢にも及ぶ巨大な密林地帯も保護されているため、基本的に現代的な建物、つまり電波塔が建てられずあらゆる電波がないからです(*・ω・)ノ



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↑ドラクエウォークした位置


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↑位置がよく分からないのでひいてみた。下に湖が見える。


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↑「Google Map」におけるティカルと湖の位置関係


ティカル国立公園でドラクエウォークしてみた結果、出てきたモンスターは?

では少しだけドラクエウォークの話を・・・・・・( -д-)ノ

上に挙げた画像のようにティカルで無事にドラクエウォークをすることができました。

海外非対応なので、一切のスポットもなく、「ティカル国立公園」や「神殿」の表示もないので正直どこだか分かりませんが、しっかりティカルの内部でプレイしましたよ!

グーグルマップと見比べると、確かにティカルでプレイしているのが分かると思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


Screenshot_20200225-111224
↑プレイは出来ても、全然敵が出なくて泣きそうになっていると・・・・・・


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↑出た!!!!


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↑出たのはヒートギズモでした。しかも単体( -д-)ノ


Screenshot_20200225-112006
↑『ティカルのこころ』を得た!(・∀・)つ


てなわけで、昼休み中に散々待った挙句、出たのはヒートギズモ1匹のみ!

めちゃ暑い熱帯雨林に囲まれたティカルだけあって、それらしいモンスターが出現しました。

空気読んでますね!(*^・ェ・)ノ

しかも『こころ』くれたし、いい記念になりましたよ!っと、それだけです( -д-)ノ

お付き合い頂き、ありがとうございました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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『古代の宇宙人の基地』が埋まってる!?( ・Д・)ティカルにおける謎スポットについて

さて、本題に入りましょう。

初めに書いたようにティカル国立公園内には電波がありません。

ただしティカル国立公園と言っても576㎢に及ぶ広大な土地の全体を指します。

そのため近隣の村落に近い「境界部分」には電波が届く範囲もあるでしょう。

ここで述べているティカルとは広大な敷地における中心部の考古学遺跡エリアのことを指しています。

2012年頃でしょうか、確か「古代マヤの終末予言の日(?)」として世界的に有名になった『13バクトゥン』の日(約5000年にも及ぶマヤ暦が一周する日)のイベントに合わせて、現地の携帯会社であるTIGOが一時的に電波塔を設置する許可を得たことがあります。

やっぱ金があると法律を捻じ曲げて何でもできるんだなと感じた記憶があります。

電波塔の設置により、数か月はティカル全域で携帯が使えましたが、ハリケーンの襲来により電波塔が壊れてしまいました。

それ以降これまで通り、『古代マヤの森』の景観を守るためあらゆる電波塔の設置は認められておりません。

でもティカルにおいて電波のあるところがいくつかあるので紹介しますね!(*・ω・)ノ



①研究所と高級ホテル

まぁ当然と言えば当然ですが、近年ティカル内のホテルと研究所にwifiが設置されました。

皆さんが使用可能なのはホテルの方ですね。

ちなみにネットが使えるホテルは「ジャングルロッジ」です。

確か70~80ドルだったと思います。

ティカルでドラクエウォークしたい人は是非どうぞ。

ウォークはできませんけど、ホテル内をうろうろくらいはできます( -д-)ノ




②4号神殿の頂上

4号神殿の周辺は開けていないため、4号神殿自体を写真に収める人はまずいません。

なので上に挙げた写真のような4号神殿に登って撮った写真が一般的です。

背の高い白い神殿たちが緑の海から突き出していますね!(*・ω・)ノ

4号神殿はティカルの神殿の中では最も高く、およそ65mあります。

4号神殿は観光用の階段が設置されている一押しスポットなのでみんな登頂します。

この4号神殿の上では携帯が使えるのです。

これは昔からずっとそうであり、ジャングルの樹々より高いことから遥か遠方の電波塔の電波を受信できるためと考えられます。

なので、さほど不思議でもありません(*^・ェ・)ノ




③ティカル最大のミステリー(電波)スポット

ティカルには『最も古い』重要なエリアがあります。

その名も『ムンド・ペルディード(失われた世界)』です。

これはアメリカの調査隊がこの場所の風景を目にして、小説の「ロスト・ワールド」に出てくる景観と一緒だとして命名したものです。

英語表記ではそのまま「ロスト・ワールド」です。

これまでに行われた調査の結果、このムンド・ペルディードは先古典期から建設が始まったと考えられています。

ティカルにおける最初の居住はBCE1000年頃と考えられ、このムンド・ペルディード地区での建設開始はBCE400-300年頃と推定されています。


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『古代の宇宙人』的に述べるならば・・・・・・

なんとこのティカル最古のエリアの極めて限定された空間では携帯の電波が通じるというのです。

しかも亜熱帯ジャングルに囲まれた地表面レベルでです。

しかし何故そのようなことが起きるのでしょうか?

一部の「古代宇宙飛行士説」を唱える研究者には古代マヤ文明は突然として滅び、その時マヤの人々は宇宙に旅立ったと考えている者もいます。

その説では、古代マヤ文明の中心都市であったティカルはそもそも『古代の宇宙人』の来訪によってかつて「ムンド・ペルディード」が建設され、今も尚彼らの基地が地中に埋まっていると言うのです。

そのためこの最古のエリアでは極めて局所的に電波が通じるのです。

古代マヤの叡智の始まりとも言える『最古の神殿建築』の存在と、今尚科学的に証明できない『不可解な電波受信』、これが偶然と言えるでしょうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな感じですかね?

上記の内容は『主流学派(?)』は認めていませんけども、何故電波が通じるのかは不明で、論理的な説明がつかないのは事実です( -д-)ノ

実際にはムンド・ペルディードの神殿近くで受信できるのではなく、4号神殿のエリアとを繋ぐ散策路の入り口(ムンド・ペルディード側)でのみ受信できます。

本当に局所的です。

昔試した感じだと直径10~15m程度かな。

本当に何か埋まってるかも知れませんねΣ(・ω・ノ)ノ

YouTubeGT(グアテマラのYouTube)では日本語版『古代の宇宙人』が見れないので、曖昧な記憶を頼りに「古代の宇宙人風な言い回し」で書いてみましたがいかがでしたでしょうか?

気に入って頂けたら幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2020ねん 3がつ 1にち(どよーび、曇り)

同僚の緊急な用事で今日は休み。

久々にたくさん寝た v( ̄∇ ̄)v


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今回の考古学・歴史ニュースは「ユカタン半島北部、プラヤ・デル・カルメンの洞窟で古典期後期マヤのミニ神殿&祭壇が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

まだ発見されたてホヤホヤ過ぎて詳しい情報はないのですが、写真等を紹介しますね!

まずは美しい写真から!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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ということで、今回の発見の舞台はメキシコ合衆国、キンタナロー州です。

近くにはプラヤ・デル・カルメン(Playa del Carmen;カルメンの海岸)という一大リゾート地があります。

メキシコ北部ユカタン半島の先は、青く美しきカリブ海に臨む観光地として有名ですが、日本ではカンクンが最も有名だと思います。

新婚旅行でも使われるリゾート地です。

カンクンに次いで素敵なのがプラヤ・デル・カルメンです。

カンクンに負けじと高級ホテルが立ち並んでいますが、私がかつて旅行したイメージではカンクンよりも落ち着いてるというか、人がほど良く少なくてゆったりとした印象です。

そしてカンクンよりも安い!

これ大事ですね(*^・ェ・)ノ

結婚したら、新婚旅行としてティカル遺跡とチチェン・イツァ遺跡、そしてカンクンかプラヤ・デル・カルメンに行きたい!

(しかし、予定はない!( ・Д・))




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一番最初に挙げた写真が洞窟入り口ですが、凄く小さくて狭い印象ですよね。

この新たに発見された洞窟はカルスト洞窟です。

南部高地を除けば、ユカタン半島全体がほとんど石灰岩地帯ですからもともとカルスト地形で一杯です。

特にプラヤ・デル・カルメンが位置するようなユカタン半島北端部は石灰岩盤が陥没してできる「聖なる泉(セノーテ)」がたくさん見られます。

この新たな洞窟の内部はさほど広くないようですが、上に挙げた1枚目のように1m程度のミニ神殿が発見されました。

山や洞窟、地下世界、地下水はいずれも古代マヤ人にとって神聖な重要なものです。

重要な洞窟の内部で特に山のように盛り上がっている部分に神殿を設置したようですね。

古代マヤ人が儀礼の場として使ったであろう洞窟や地下水路の探検は現在非常に活発に行われています。

多くの場合、儀礼に使用した土器や遺体が見つかる程度なのですが、しっかりとした神殿や祭壇の発見は快挙と言えるでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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こちらは同じユカタン半島北部の洞窟で最近見つかった祭壇です。

残念ながら場所などの情報公開はされていませんが、非常に興味深い発見です。

これらのミニ神殿や祭壇はいずれも後古典期(CE1000-1500)に属するものと推定されています。

今後の調査で周囲から遺物が発見されればより詳しく時期や儀礼の内容について分かりそうですね!(*・ω・)ノ

またメキシコは文化遺産の保護と活用に非常に力を入れている国です。

考古学者にとっては天国みたいなところですね!

なのでこれらの洞窟もしっかりとした調査・保存修復が成された後に、観光地として整備される予定なのだそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



・・・

・・・・・・ところで、祭壇正面に顔みたいな突起がありますよね( -д-)ノ


私が個人的に『隠れミッキー』と呼んでいる三つの円で構成された文様がマヤ美術にあります。

昔の報告書では愛称として「スカルマーク」とか呼ばれる場合もありました。

この場合は、階段状の部位の左側に「隠れミッキー」が位置していて、対になる右側にはないので、装飾ではないかも知れません。

偶然顔みたいに見えるだけ?ヽ(TдT)ノ

私が通常「隠れミッキー」と呼んでいるものは古典期の石彫美術様式のことなので、これは時期・地域的な問題で変化しているのか、はたまたそもそも違うものなのか、写真写りの問題なのか・・・・・・

気になりますね!( ・Д・)

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2020ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

3月~5月もガチ乾季に向けて、もうすでに暑くなり始めたよ。

体力奪われる~( ・Д・)


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だんご大発見
↑ようやく見つかった!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡の一般住居址でお墓を見つけたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

王墓や貴族の墓じゃないので大したことないかも知れませんが、個人的に人生初の墓の検出なのでテンション上がりました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

さて、色々とあった第2週目ですが、成果の報告をしますね!

これまでの経過とかよく分からんよって人は是非前回の記事をまず初めにご覧ください( -д-)ノ


↓これです(*^・ェ・)ノ

↑ティカルの位置とか、ティカルにおける発掘区の位置についても説明しています(*^・ェ・)ノ


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↑発掘前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


前回掘っていたのは『L字状の建造物グループ』の西側の住居です。

今回掘ったのはより大きな北側の住居、『建造物4F-20』です。

上に挙げたように掘る前はこんな感じで何の変哲もありません( -д-)ノ


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↑表土層を剥いだ時の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


でもちょっと掘り始めただけで、長い切り石が出てきました。

しかし写真の手前側に続かず、なんでかなと思ってました。



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↑倒壊した壁が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


少し深く掘ってみると、倒壊した壁らしきものがどんどん出てきました。

最初に見えてた奥の長い切り石はやはり壁の一番下の基礎部分であることが分かりました。

でもはやり写真手前側に続かない。

倒壊した壁の一部達も写真の手前側(東側)には見当たらないので、植物といっても主に大樹の根の影響で破壊されてしまったのかなとひとまず考えていました。

最終居住面である床面もはっきりしませんからね( -д-)ノ


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↑床面の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


どんどん掘っていくと前回の住居同様に複数の床面が見えてきました。

上層の方の床面は保存状態が悪く、不明瞭でした。

特に東側は。

上の写真は2番目の床面です。

1番目の床面よりはマシですが、非常にボロボロとした薄い漆喰層です。



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↑表土層近くから出てきた動物骨たち(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


そんな折に、骨が出てきました。

古代マヤ人が食べた動物骨ですね。

しかし上の写真で1点だけ新しい綺麗な骨ありますよね?

これは牛の肋骨です。

ネズミ等の小動物が齧った痕跡があるので、けっこう深い部分まで攪乱(土が遺物ごと混ぜられてしまっている状態)が見られるのだなと思ってました。

だから、「あ~、この住居はヤラレ(攪乱のこと)がひどいから、層位資料は期待できないな~」とか思ってたら……



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↑指の骨!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


もう何も出ることもなく、最下層面である母岩面に辿り着いちゃうなヽ(TдT)ノ

って時に、骨がぽろぽろと出てきました。

しかし上の写真のように焼けているんですよ。

大体の骨がしっかりと焼けていて、すっかり炭化しているものも少なくなかったのです。

古典期(CE250-1000)のマヤ地域では土葬が一般的であり、火葬は後古典期(CE1000-1500)に一般的になるのです。

古代都市ティカルは古典期の終わりに放棄されていて、ティカルを中心とするマヤ地域中部低地の人々も次々と都市国家を放棄して南北に大移動します。

つまり後古典期のマヤ文化は時代も地域も大きく異なるです。

当然、火葬の文化の時間的位置や分布域も異なるわけです(TДT)

だから、『焼けている骨=食べるために焼いた=動物骨』って図式が頭の中にあって、動物骨の集中かなって思ってたら、、、

上の写真の通り、人の指の骨があったのです!!!(TДT)

(指の上に載せてるやつです。ちなみに一番手前の骨は歯)


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↑お墓の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
 

お墓かも知れない!!?ということになり、テンションアゲアゲで掘り進んでいったら、上の写真のような状態になりました。

上の方の茶色いのが『頭蓋骨』です(*^・ェ・)ノ

で、下の方にあるのが『捧げもの』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

いや~嬉しいものですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

最大の疑問は、なぜ古典期後期(CE500-900)に帰属する一般層マヤ人の住居に埋葬された人骨が焼けていたのか?

続く調査でおおよそ、その状況が解明されていきます。

第2週目のお墓に関する発掘の詳しい様子については下記のYouTubeに上げた動画を見て下さい。

調査5日目からが、お墓(?)の出た「建造物4F-20」に関する動画です。

↓面白そうなのはこの辺り(7日目)かな?(。・ω・)ノ゙
チャンネル登録よろしくお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

↑他にも色々あるので見てみてくださいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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まぁYouTubeに挙げてる動画はただの『動画による記録』なので、帰国したら編集して少しはマシな動画を作りたいな~と思っています。

カメラの能力で画質も良くないですし、回線速度の問題でアップも大変ですが、ひとまず今回はこんな感じで頑張って行きます。

調査はまだ続きますので、是非、応援よろしくお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

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2020ねん 2がつ 13にち(もくよーび、晴れ)

日本時間で日記書いてると混乱してくるので、現地時間に変更したよ( -д-)ノ


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↑建造物4F-19、3層上面の様子(
柳田康雄氏提供
「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「2020年度ティカル遺跡発掘調査、第1週目の成果をまとめるよ」ってお話です(*・ω・)ノ

「歩け、マヤ」では既に何度か紹介したことがあると思いますが、マヤ文明で最も重要な遺跡の一つであるティカル遺跡で発掘調査を実施しています。

ティカル遺跡はグアテマラ共和国の北部、ペテン県フローレス市にあります。

ティカル遺跡は、ティカル国立公園として世界複合遺産に登録されており、世界中から大勢の観光客が訪れる著名な大遺跡の一つです(*・ω・)ノ




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↑ティカル遺跡中心部の図(Carr and Hazard 1961のTikal Mapを加工)


上の3番目の図に示したように、紫色の四角部分が2016年に調査したエリアになります。

今回の調査エリアは赤色の四角部分です。

これまでにい古代マヤの土器焼成址(窯)は発見されていないのですが、それと思しき遺構を2017年の資料調査の際に検出しました。

それが赤色四角部分のすぐ東になります。

この古代の窯と思しき遺構に最寄りの一般層住居を発掘し、窯と思しき遺構との関係性について明らかにし、当該エリアが土器工人集団の工房エリアと言えるかどうかをチェックすることが今回の調査の主要な目的となります(・∀・)つ

国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。



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↑今回の調査エリアの拡大図(Carr and Hazard 1961の図を加工)


調査エリアの名称は『4F』です。

上に挙げた図がエリア4Fの拡大図になります。

「Op.~(オペレーション・ナンバー)」は窯と思しき遺構群の位置で、特にOp.14が重要な遺構になります。

このOp.14に近い住居として、青色の網掛け部分を調査対象にしています。

今回の調査対象である建造物グループは2つの建造物から成り、西側が建造物4F-19、北側が建造物4F-20になります。

調査第1週目はこの内の、『建造物4F-19』を対象に発掘を実施しました(*^・ェ・)ノ



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↑調査開始前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


調査開始前はこんな感じです。

ティカル国立公園で最も高級なホテルの裏手の従業員宿舎の更に裏に位置しています。

ホテルの拡大は禁止なのですが、実際には拡張しちゃってるので、いずれこの住居も無くなりそうですね( -д-)ノ



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↑石の列が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


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↑横から撮ってみました(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


地表面の土をどかしていくとすぐに石の列が出てきました。

2枚目の横から撮った写真が分かり易いのですが、一番左の一列は綺麗に直線的に並んでますよね。

それが住居の壁の一番下の切り石に当たります。

それより右にあるのは全て元々壁として上に積んであったもので、右側に倒壊した状態になっています(*^・ェ・)ノ



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↑倒れた壁をどかした状態(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


一番下の礎石だけを残して、倒壊した壁を取り除きました。

そうすると上の写真のように一面真っ白になりました。

これが『床面』です。

漆喰でコーティングされているので白いのです。

これが最終居住面になり、出土した遺物から古典期後期(ac.CE500-800)から終末期(ac.CE800-1000)頃に使用されたものと考えられます


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↑(「歩け、マヤ」管理人、撮影)

どんどん掘っていくと2番目の床、3番目の床が出てきました。

上の写真の左側、壁の礎石の下側に階段状に、帯状に残してあるのがそれぞれの床面です。

第1週目ではこの先も掘り進めて、母岩である石灰岩層まで到達しています。


【簡単なまとめ】

第1週目の成果は、

① 3回の床面の張替えを行っていることが分かった。

② 建造物4F-19における居住時期は全体的に古典期後期(CE500-800)だと分かった。

以上の2点です。

遺物の分析が進めば、土器焼成址(窯)との関係も分かるかも知れませんが、残念ながらこれまでのところ分かり易い明瞭な土器生産の証拠は見つかっていませんヽ(TдT)ノ


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一番下の動画、「くるくるシリーズ」は現地の人には大好評だったのですが、、、

実は『リコーシータV』がエラー起こして使えなくなりました。

よくあること(!?)らしく、問い合わせたところ、交換しないとダメらしいんですよねヽ(TдT)ノ

悲しいけど仕方ないので、また次の調査で「くるくるシリーズ」やりたいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ

ネット環境があまり良くないのでアップも難しいのですが、何とか頑張ります。

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