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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:ミイラ

2021ねん 4がつ 22にち(もくよーび、晴れ)

今月はけっこう頑張ってます(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはオウムやインコのミイラが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は南米、チリ、アタカマ砂漠です。

上に挙げた地図で見と取れるようにチリの北部のほとんどを広大な砂漠が占めています。

これがアタカマ砂漠で、「世界で最も乾燥した砂漠」としても知られています。

一方で星がとても綺麗に見えるため、観測拠点として多くの天文学者が訪れる地域でもあります。


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上に挙げた写真の中に花が咲いているものがありましたが、このアタカマ砂漠にも他の砂漠と同様にオアシスがあります。

どこの砂漠でもそうですが、オアシスに人が集まり交易の要所として機能します。

今回の記事はそうしたチリの古代文明が利用したオアシス遺跡での発見のお話です(。・ω・)ノ゙




さて、当然ですがアタカマ砂漠にはインコやオウムは生息していません。

コンゴウインコなど色鮮やかな鳥たちは熱帯のジャングルに住んでるイメージです。

今回のケースでは直線距離でおよそ500kmも離れたアマゾン地方に生息しているオウムやインコを、アンデス山脈を越えて遥々このアタカマ砂漠まで連れてきたことが分かりました。

時期はCE1100-1450頃で、オウムやインコはオアシス遺跡の有力者の権力の象徴として機能しました。

遠隔地由来の簡単に手に入らないオウムやインコはペットとして飼育された他、権威を示す頭飾りの材料としてその綺麗な羽が用いられました。

この鳥のミイラの調査に当たったのはペンシルベニア州立大学の研究チームですが、オウムやインコが死後にミイラにされていることを明らかにしました。

また口を大きく開けていたり、飛んでいるかのように翼を広げた状態のミイラが見つかっています。

そのことから研究チームは、オウムが人の言葉を真似る能力に関係した儀礼の一部だった可能性があると解釈しています。



・・・このアタカマ砂漠のオアシス遺跡における文化(11~14世紀)がどのようなものだったのか知らないので何とも言えませんが、、、

素人質問で大変恐縮ではございますが、、、


そんな儀礼あるんですかね?( ・Д・)


剥製の起源って古代エジプトとかで2000BCEとかだから古いですけど、そちらもミイラです。

剥製標本の技術が高くなるのは日本だと明治期です。

江戸時代でもミイラ状にする技術はありました。

なのでアタカマ砂漠におけるこの時期のミイラ作りって、乾燥気候と夜の寒さを利用した所謂フリーズドライ(冷凍乾燥)法で剥製標本を作っているような感覚なのじゃないかなと思いますけどね。

希少なオウムやインコだからこそ、死後も剥製として飾っておくことに価値があったので、まるで生きているかのように口を大きく開けた状態にしたり、翼を広げた状態にしたのではないでしょうか?


↓動物のミイラ関係の記事を挙げてみた(*・ω・)ノ




↑最後のだけ動物と関係ない!みんな好きかと思って・・・( ・Д・)





おわりに

上に挙げた写真はコンゴウインコの一種です。

とても綺麗ですよね。

確かにこれで羽飾り作ったら映えますねΣ(・ω・ノ)ノ

古代マヤ文明でもコンゴウインコやケツァル鳥の羽が奢侈品あるいは威信財として重要視され、頭飾りなどの装飾品を製作する上で重宝されていました。

元記事に「定期的に羽を毟り取っていた」と書かれていて、一瞬可哀想だなと思ってしまいましたが、、、

この可哀想という感覚は倫理的に間違っていないかもしれませんが、声を大にして言うには難し過ぎる問題だと思います。

現代社会でも有力者・お金持ちは高価な物や所謂贅沢品を消費し誇示することが一種のステータスとして機能しています。

そう、モノは変わったかもしれないけど、本質的に私たち人類社会の在り方は遥か昔から全然変わっていないのです( -д-)ノ

ブランド物の代表格はバッグとか財布とかでその多くは皮革製ですし、原材料を得るために動物を殺してるわけですからね。


そう、我々は何も変わってないよ!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 11にち(すいよーび、くもり)

ハートストロングになりたい今日この頃( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはミイラが泥パックされてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプトです。

対象がミイラなので!

でも問題のミイラはオーストラリアのシドニー大学に寄贈されたもので、今回の発見自体はオーストラリアが舞台です。

ミイラは1860年に棺と共に寄贈され、CTスキャンによって複数回の分析が行われています。

上に挙げたものがそのスキャン画像になります。

一見すると雑な3D画像のようにも見えますが、ミイラ全体を覆うぬめっとした質感の正体が『泥』だと言うことが分かりました!

ミイラと言えば、やはり布で巻かれているイメージですが、実際には色々なもので覆われる事例が確認されています。

その中で『泥で覆われている事例』は初の発見となるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




このミイラは26~35歳の女性と考えられており、ミイラに巻かれた麻布に対する炭素年代測定によって、紀元前1207年前後にミイラとなったと推定されています。

先ほどは泥で覆われていると書いて、今は麻布の話をしているわけですが、、、

今から約3200年前の古代エジプトにおいてこの女性は亜麻布で巻かれて一般的なミイラとなりました。

その後、砂や泥、藁といった有機物からなる、住居の土壁を作る際の混合物のようなもので全身を覆い、更に亜麻布で包まれました。

上の画像はミイラの頭部を拡大したものですが、なにやら飛び出している細い棒状のものが藁などの植物です。

ちなみに最初の埋葬から60~70年後に何かしらの理由でミイラが損壊したために、補修の意味でこのような泥パックと麻布の覆いを行ったようです。

補修するってことは古いミイラを確認したりしていたってことですよね?

お墓参りみたいな風習があったのでしょうかね?

ちなみに樹脂で覆われたミイラはけっこうあるようですが……

こういった「補修の事例」が他に確認できるのかどうかがポイントになりますが、今後の研究の進展に期待ですね(*^・ェ・)ノ


↓ミイラ関連で人気な記事(・∀・)つ



↑けっこうたくさんあったので絞りました( -д-)ノ


おわりに

泥パックじゃないじゃん!って思われたかも知れませんが、泥パックは当然考古学遺物として、あるいは痕跡としてそもそも残りませんからね(・ε・)ムー

まぁ最古の事例があるとしたら歴史記録でしょうね。

ささっと調べてみたところ、いつからなのかよく分かりませんでした( -д-)ノ

ただ土器の歴史はとっても古いですし、日本の土器も世界最古級ですが16500年前とか記録があります。

お隣中国は世界最古で2万年前だとか・・・・・・

実際に土器作るとか、陶芸をやっていると分かるのですが、粘土触ってると手がすべすべになるんですよね。

ですからかなり古い段階から、美容という感覚があったかは別にして、粘土を塗ると肌がツルツルになることを経験的に知っていた可能性は十分にあるかなと思います。


…私も泥パックするかな!( ・Д・)



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2020ねん 2がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

こちらは調査開始後、ようやく最初の土曜日である。

のんびり寝つつも、しっかりと仕事したよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑声帯が再現されたミイラ、なんか怖いヽ(TдT)ノ(下記の動画の映像より)


今回の考古学・歴史ニュースは「ミイラの声帯を復元して当時の声を再現した研究があるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

上に挙げた写真のミイラが今回の研究の対象になったミイラです。

彼の棺には神聖文字が刻まれており、その名前は「ネシャムン」で、カルナック神殿で書記官や僧侶として働いていたことが分かっています。

ネムシャンは古代エジプト第20代王朝の第10代ファラオ、ラムセス11世(紀元前1098~1070年頃)の時期の人物で、埋葬されたのは紀元前1100年頃、つまりネムシャンのミイラは今から約3000年前のミイラということになります。

また彼の棺には「声の真実」を意味する贈り言葉(称号のようなもの)が記されており、彼は生前、神殿における儀式の際に歌を歌っていたと推測されています。

このことを理由に声帯の復元が行われた……のではなく、研究者側の事情でこのミイラ「ネシャムン」が選ばれたのだろうなと私は思います( -д-)ノ

というのもこの研究を行ったのは、イギリス、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイのデビッド・ハワード氏らの研究グループだそうです。

一方でこのネムシャンは同じくイギリス、リーズ私立博物館が所蔵するミイラであり、イギリスでも最も保存状態の良好なミイラなのだそうです。

やはり研究の上では許可の関係上、自国や影響力の強いところでやるのが普通です。

変わった研究であればあるほど、どうしてもそうなる傾向が強いですね( ・Д・)




ネムシャンのミイラは医療で用いられるCTスキャンを使用して内部構造が分析され、3Dプリント技術によって復元されました。

これによってミイラの唇から咽頭までのモデルが印刷・復元されたのです。

この復元モデルをコンピューターとスピーカーにつないで人工声道を作り、発声させました。

↓それがこれ↓(*何か怖いので注意!ヽ(TдT)ノ、音量にも注意!( -д-)ノ)






私は怖いの苦手なので、聴いた時はうわぁヽ(TдT)ノってなりましたけども……

面白い研究だとは思うのですが、どんな意味があるのかなってちょっと思ってしまいました。

海外ではこのような一般向けにインパクトのある研究がちらほらと散見されるのですが、日本ではほとんどないですよね。

私がこの研究について知って驚いたのは、「こういう研究にもお金が落ちるんだ!Σ(・ω・ノ)ノ」ってことですね。

世の中歴史好きが多いにも関わらず、人文科学は一体何の役に立つのかと叩かれっぱなしに思えます。

もちろん何の役に立つだろうかと研究者自身が自問することは大事だと思います。

そしてそれは研究の助成金申請時の書類の記述にもやはり現れてきます。

地道な基礎研究も大事ですが、日本でもこうした世間一般にインパクトのある面白い研究に対しても助成金が落ちるようになるといいですね(*^・ェ・)ノ

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2019ねん 11がつ 29にち(きんよーび、晴れ)

体調不良で月末死んでました……

申し訳ない!(/TДT)/

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↑古代エジプトの動物園を描いた壁画(「LAB」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは、「WEB版、ミイラ動物園をオープンしてみたよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

前回、古代エジプトにおけるライオンの赤ちゃんのミイラについて書きました。





今回はその流れで動物のミイラの画像を集めたら、動物園と言っていいくらいにけっこうな種類が集まるのではないか?という思い付きです(*・ω・)ノ

ちなみに動物園は古代エジプトや古代メソアメリカにおいて約5000年も前に成立しています。

動物園で死亡した動物をミイラとして埋葬したのであれば、けっこうな種類になりそうですよね?

ということでどんどん紹介していきたいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


①ネコのミイラ


②ライオンのミイラ



*シベリア、永久凍土中から発見された約4万4000年前のライオンの赤ちゃんです。


③ワニのミイラ
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④ハヤブサのミイラ
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↑右の黒っぽいのが最もそれらしく見えるかも(「AFP BB NEWS」の記事内画像より転載;credit : Khaled DESOUKI)



⑤ネズミのミイラ
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↑しおしおになってますね( -д-)ノ(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載;credit:Egypt Ministry of Antiquities )




⑥イヌのミイラ


⑦ウシのミイラ


⑧ヒヒのミイラ


⑨ヒツジのミイラ


⑩トキのミイラ
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↑素敵な木棺(?)、上部に頭部が見えています(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit : Richard Barnes, Nat Geo Image Collection)


⑪ガゼルのミイラ



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先に述べましたように、古代エジプト等での動物園の歴史は古い物ですが、ミイラとして残っているものの多くは神聖視された動物たち、各種の古代エジプトの神々の眷属、王族のペットだったもののようです。

簡単に調べただけで今回11種類を紹介できましたので、動物のミイラはまだまだありそうです。

ミイラばかり並べるのもどうかと思いますが、これも(主に)古代エジプト人の動物への敬意と愛情を示したものですので、また調べて第2弾として紹介しますね(*・ω・)ノ


↓動物園とか水族館っていくつになっても楽しいよね!↓
↓って思う人、押しましょう!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓



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2019ねん 11がつ 25にち(げつよーび、雨)

今月あと5日さえ頑張れば、楽になるんだ~!!!

しかし宣言したあと4記事書くことも達成したい(*・ω・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは、『古代エジプトのネコの女神の神殿からライオンの赤ちゃんのミイラが出土したよ!』ってお話です(。・ω・)ノ゙

ライオンはネコ科なわけですが、ライオンの赤ちゃん見てると、「あ~これはネコだわ!カワ(・∀・)イイ!!」ってなるじゃないですか?

まぁそもそも古代エジプト神の中に「ネコの女神」がいることを初めて知りましたが、その神殿でネコの赤ちゃんのミイラが出土するってことは、、、

やはり古代エジプトでも「ライオンの赤ちゃん=ねこ!」って感覚があったのだと思います(・∀・)つ

ということで、とりあえずぬいぐるみのようなライオンの赤ちゃんの動画をどうぞ(*^・ェ・)ノ



↑もふもふ感が良き!カワ(・∀・)イイ!!(先ほど紹介した朝日新聞の動画です)




さて、本題に入りますと、エジプト考古省は首都カイロ南郊の古代都市サッカラ(Saqqara)で、新たに発見された遺物群の公開がなされました。

上に挙げた写真で分かるように、サッカラ遺跡公園の中で特別展として公開されています。

展示された遺物群は、古代エジプト人が崇拝していた猫の女神バステト(Bastet)を祭る神殿の下から出土したものだそうです。

帰属時期は紀元前7世紀頃の古代エジプト第26王朝時代と推測されています。

展示の目玉は、上に挙げたような猫の像75体と、象形文字による装飾が施されたライオンの赤ちゃんのミイラ5体です。


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↑お座りしたネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑気になるお顔のネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑大小様々なネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコ科動物のミイラ(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコのミイラ①(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコのミイラ②(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



写真を見てて、どれがライオンの赤ちゃんのミイラなのか分からないんですけども……


恐らく「ネコのミイラ」と同定できているものは「ネコ」なのでしょう。


で、「ネコ科動物」と同定しているものが恐らく「ライオンの赤ちゃんのミイラ」なのだと思います。


なので展示ケースに8体横たわっている写真の中にライオンの赤ちゃんのミイラがあるはずですが、どの個体がそうなのかは分かりません。


8体中、4体ですし、恐らく小さい個体がそれに相当するのかなと思います( -д-)ノ



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↑ネコ科の動物のミイラらしい(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ライオンの赤ちゃんのミイラの全体像(「Yahoo Japanニュース」の記事内画像より転載;credit: エジプト考古省)



で、ライオンの赤ちゃんのミイラは全5体なのですが、残りの1体がこれ!


何かこういう「人面獣」的なマンガを読んだことがあります……


写真の撮り方にしてもなかなかインパクトあるなぁと思いますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑バステトの姿(「wikipedia」より画像を転載)



さて、これが古代エジプト神話に登場するネコの女神、バステト神です。


昔から、ライオンはデカいネコ!ライオンの赤ちゃんはもはやネコ!って思ってたのかなと、私はふと思ったわけですが、どうやら違うようですね。


バステト神は上に示したようにネコの頭部を有する女神ですが、本来はライオンの頭を有していたそうです。


そこから他のライオンの頭部を有する神と区別化されて、ネコの頭部を有する穏やかな性格の神様となったという経緯があるそうです。


なのでこのバステト神の神殿で、ネコだけではなく、ライオンの赤ちゃんのミイラが出土するのは不思議なことではないようです。



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↑可愛い画像でPV数を稼ぐ作戦(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(「SEKAI NO NEWS」の記事内画像より転載;credit: African Saffari Japan)



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普通は古代の儀礼行為等に関して「可哀相」とか、私は思いません。


やはり中立的な立場で過去を見るからでしょう。


ただ、直前に可愛いライオンの赤ちゃんを見たせいか、一瞬ミイラ見た時に可哀相って感覚に襲われてしまいました。


そういう意味ではあまり良い構成の記事ではなかったかなと反省しております。


でもせっかくなので、皆さんもそういう感情に襲われてみて、「何故、自分は可哀相と思うのだろう」、「何故、古代の人々はこういうことをしたのだろう」と考えてみるのも良いのかなと思います。


歴史を学ぶ意義は色々あると思いますが、その内の一つが「他者の理解」ではないでしょうか。



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……久々に記事を書いた気がします。


実際に久々だったわけですが、この調子で今月、残り3本書いていきたいなと思います。


けっこう動物のミイラ関連ネタがあるので、ミイラ特集でいこうかな!(・∀・)つ


ぼちぼちと更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします( -д-)ノ



↓実は色が綺麗だなって思いでこの順で配置しています( -д-)ノ↓


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2019ねん 9がつ 24にち(かよーび、晴れ)

仕事のペースを上げようと思う今日この頃。

新しいモチベーション上げる方法を考案して実践開始してみたよ( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは、「古代エジプトのミイラが消毒作業の前に一般公開されたよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

上に挙げた写真&サムネの画像は同じものですが、これは「宇宙人の解剖」の写真です。

フェイクだと思いますけど、おふざけで載せてみました。

インパクトあるかな~って( -д-)ノ

本記事とは無関係なのであしからず!(*_ _)ペコリ

ではでは、公開されたミイラの様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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さて、このミイラが公開されたのはエジプトの首都カイロにある国立エジプト文明博物館National Museum of Egyptian Civilization)です。

このミイラは墓職人であるセンネジェム(Sennedjem)という名の男性のものだそうです。

セティ1世(Seti I)とラムセス2世(Ramesses II)の治世下に使えた人物で、古代エジプト第19王朝(紀元前13~12世紀)の時期のミイラだそうです。

墓職人と言っても、「王墓造営の職人」なので、比較的高い身分だったようです。


そのため下に挙げる画像のような非常に美しい墓に埋葬されました。

住んでいた職人の村の名前も「真理の場」という名称で、彼自身も「真理の場の下僕」という称号を得ていました。

彼の埋葬遺構の発見は1886年なので、詳細は不明ですが、今回行われる消毒作業とは保存処理の一環として定期的に行われるものなのかも知れませんね。

・・・・・・私としては、海外ドラマに出てくる急患の人みたいに、フツーにベッドで運ばれていくミイラの姿が何ともシュールな気がするのですが、私だけでしょうか?( ・Д・)




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最後にまたおふざけ画像を載せておきました。

こういうの考える人いるんだな~と感心してしまいます(*・ω・)ノ

個人的にはふざけてても全然構わないので、考古学系(各種遺物とか神様とかミイラ、土偶とか?)で色々と量産して広く一般の人を惹き付けるような新たな考古学ブームを巻き起こして欲しいなと思いますねヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ダイエットしてるせいか、ミイラってスマートだなとふと感じてしまった( ・Д・)↓

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2019ねん 6がつ 3にち(げつよーび、晴れ)

今日は暑い!

そーめんが美味しい季節になってきた~

ここ最近はつけ麺ばかりだけども、そうめん、ひやむぎの出番かな~( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「2000年前の古代エジプトで犬もペットとして手厚く葬られていたよ!」ってお話です。

ペットの歴史とか、日本の縄文時代における犬の手厚い埋葬例の話も過去にありましたね。

確か渡来人が犬を食べる風習があったけど、縄文系の人々にその風習は根付かず狩りのパートナーであり家族でもあった犬を手厚く葬っていた事例が考古学的に確認されたという紹介だったような。

……うむ、過去の記事が見当たらない!( ・Д・)

ライブドアブログの記事検索は使いにくいからと人のせいにしておきます( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、今回の発見の舞台は現在のエジプトの中部にあるミニヤ(Minya)県に所在する遺跡、トゥーナ・エル・ガバル(Tunah Al-Gabalです。


遺跡はエジプトの首都カイロの南方およそ260kmに位置しています。


この遺跡は墓地遺跡で、所謂「ネクロポリス」です。


エジプト考古省の発掘調査によって同遺跡の地下に墳墓があることが確認されました。


地下墳墓は、地下およそ9mの位置に造られており、墓室はこれまでに6つ確認されています。


発見されたミイラは全部で40体以上にのぼり、内22体が成人、12体が子供、6体が動物でした(他に保存状態が良好ではないミイラが発見されている)。


これらの大量のミイラはその多くが墓室床面に設置されており、一部の限られたミイラだけが最初に挙げた写真のように棺に納められていました。


この棺は石棺ではなく、粘土由来の陶製棺であり、蓋がないのが特徴です。


陶製棺に納められた人々は、より高い社会階層に属した人々であったと考えられています。



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↑たくさんのミイラが安置されていた(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;Credit: MOHAMED EL-SHAHED / AFP



古代エジプトにおけるミイラ作りの歴史は長いですが、共伴して出土したパピルスの分析から、地下墳墓とこれらのミイラは古代エジプトのプトレマイオス朝(紀元前323~30年)の時期にに帰属すると推定されています。

 

今回発見された6体の動物のミイラのほとんどが「イヌ」であると同定されており、ヒトのミイラと共に安置されていました。


イヌは1万5000年前頃にオオカミと分化し、当時の人々の狩猟生活を支える上で実用面で非常に重要でした。

1万2000年前までには人間には欠かせないパートナーとなっていたと考えられています。

今回の発見からは、2000年前の古代エジプトの人々にとって犬が実用面だけではなくペットとして家族として非常に大切な存在だったことを示しています。

現在の私達のペットを想う気持ちと関係が、既にこの頃には誕生しており、ミイラとして共に埋葬するという形に現れているわけですね(*・ω・)ノ。


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ミイラと言えばやはりエジプトを思い浮かべますが、ミイラは歴史的に世界各地で見られる風習です。

また自然環境の影響を受けて自然にミイラができる地域もありますね。

以前、世界のミイラについてまとめて書いたような気がしますが見つかりませんでした( ・Д・)

何の考古学・歴史ニュースに併せて書いたのだったか……ヽ(TдT)ノ

探しておきますが、ひとまずミイラ関係の記事を紹介しておきます。


↓「ミイラ」関係のバックナンバー
↑良かったら併せてどうぞ!(。・ω・)ノ゙

↓あ、縄文のイヌに関する記事が見つかりました~!
↑こちらも良かったらど~ぞ~ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓SEO対策として「歴史」って無駄に書いてみるぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 7がつ 28にち(どよーび、めっちゃ晴れ)

空が青い!

遠くに見える山が綺麗!

昔、大学の先輩が言っていた……

みんな大体、考古学の他に宇宙や恐竜が好きだったと。

考古学専攻の人間はそもそも、時間的あるいは物理的に遠い何かに惹かれる傾向にあるのだと。

青くどこまでも広がる空と、遠くに連なる山々。

私の知的好奇心の原点を「再発見」した心地だ。


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今回紹介するのは、青銅器時代にイタリア、オーストリア国境近くで起きた「アイスマン殺人事件」です。

・・・・・・・・・・・・

ガイシャは1991年9月19日に、アルプス登山のルートから外れた場所を歩いていたニュルンベルクからの観光客によって、溶けた雪の下からミイラ化した状態で発見されました。

調べによると、ガイシャはイタリア、ボルツァーノ県ヴェルトゥルノ近辺に住む46才(推定年齢45~46歳)の男性です。無職ではないと思われ、恐らく牧畜を営んでいたかと思われますが、今のところ詳しいことは分かっていません。

鑑識によると遺体発見当時にガイシャの周りに散乱していたガイシャの持ち物と思われる品から、事件が発生したのは今からおよそ5300年前の青銅器時代前期と推定されています。


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当時ガイシャは、靴底が丈夫な熊の毛皮製の靴、革のゲートル、色違いのを縦縞模様に継ぎ接いで作った外套を着こんでおり、またベルトに附属する小型袋にはフリント(火打石)やスクレイパー(石製工具)、乾燥したキノコなどを入れていました。頭には熊の毛皮で作られた顎紐付きのフードを被っていたようです。

不思議なのは、アイスマン殺害当時、ガイシャは「作りかけの弓矢」や「精錬された銅製の斧」を所持していた点ですね。

また聞き込みによると、ガイシャは背中や脚に刺青を入れていましたが暴力団との繋がりはなく、腰痛持ちであったためにツボ療法の一環として刺青を入れていたようです。


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↑警部、アイスマンの検死解剖の様子です!(「ナショナルジオグラフィック」の記事内画像より転載)

……検死解剖の結果が出ました!。ガイシャは当初凍死したと思われていましたが、違ったようです。

X線撮影調査では左肩に「矢尻」が見つかり、これが死因である可能性が高いと分かりました。またコンピューター断層撮影装置により、「矢じり」による動脈を損傷した結果、失血死したことが判明しました。

加えて、右眼窩に骨にまで到達する裂傷が認められ、更に後頭部に即死に至る量の脳内出血の痕跡があることが分かりました。

これは彼を殺害した人物がガイシャに止めを刺すべく、矢を受けて倒れた彼の後頭部を石などの鈍器で殴ったと推測できるとのことです。また、彼を殺傷した矢の軸は見つかっておらず、殺害者が証拠隠滅のために持ち帰った可能性があります。

胃の内容物からは、最期にアカシカやヤギの肉と脂肪、ヒトツブコムギ等の穀類を食べていたことが分かりました。繊維、タンパク質、エネルギー豊富な多量の脂肪という雪の残る寒い高山に登るためによく準備された食事を摂っていたようです。

このことから、ガイシャが部族間の争いに巻き込まれ、山を越えて逃亡する最中に死亡したという線は薄いと考えられます。

またアイスマンの死亡時期は4月頃との推定結果が出ていますが、残雪が大量にある季節に3,000mを越える高地に登った理由が分かりません。

ガイシャの胃や腸から検出された花粉からは、彼が死ぬ直前の数日間の間に、モミが生える標高の高い場所から一度低い場所に移動した後、またすぐにモミが生える場所へ行くという強行軍を行っていた事も推測されましたが、このような行動の理由も分かっていません。

一方で4月は積雪がまだひどく山を登ることは不可能とする意見もあります。発見現場で採取された花粉が8~9月頃のものであることなどから、4月に麓で死亡した後に夏場に山の上に埋葬されたという説も浮上しています。

・・・・・・・・・・・・

結局、犯人が誰かは分かりませんが、アイスマン(愛称:エッツィ)の最期については、彼の発見から30年の歳月をかけて少しずつ分かってきています。

さて、考古学や関連諸科学領域で分かることを、「刑事もの」風にするとこんな感じになるのですね~。やっぱり犯人分からないとオチがないですかね?

考古学で犯人捜しするには、犯人にも近くで死んでもらって、ミイラ化等の方法で残存してもらわないと困ります( ・Д・)

今回の犯人は青銅器時代前期において証拠隠滅するくらいの相手ですからね、ちょいと考古学者には荷が重いかな~( -д-)ノ 

皆さんも、もし不幸に見舞われた際にはダイイングメッセージなどの直接的な証拠をガンガン残すようご協力お願いします。血文字はダメです。永く遺すには石に刻むことをお勧めします(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓やっぱり名探偵の道のりは遠いやヽ(TдT)ノ……それ、ぽちっとな!(ノд・。) グスン↓

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2018ねん 5がつ 15にち(かよーび、晴れ)

動物と少し触れ合った。

アルパカはデカかった。

アルパカにもイケメンとしょぼい顔のこがいた( ー`дー´)キリッ&ショボーン(´・ω・`)

動物たちの舌がやけに肥えていることに気付いた。

負けじといいものを食べたくなった!

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↑奈良県の仏像もといタイムカプセル、中はぎちぎちです!(Japaaan Magazineの記事より転載)

【目次】
  1. 奈良県の仏像は宝箱だった!
  2. オランダの仏像は棺桶だった!
  3. おわりに ー仏像ってタイムカプセルだわ、全部調べようよ!ー

1.奈良県の仏像は宝箱だった!
奈良県、奈良市にある法華寺(法華寺)が所蔵する仏像「文殊菩薩坐像(もんじゅぼさつざぞう)」の内部に大量の納入品があることが分かりました!

この仏像は鎌倉時代の作品だそうで、頭部内に巻子(かんす;巻物)や舎利容器などの約30点、胴部には巻子を中心に約150点もの納入品が詰め込まれていたんだそうです。

そのぎっちり感はこちら↓
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↑スキャンによる断面図(プレスリリースより転載)

めっちゃ入っとる~!想像以上に詰め込まれてますよね~!オオーw(*゚o゚*)w

この仏像に対しては2012年に一次調査が行われて仏像内の納入品の存在が確認されていたそうです。2017年に大型の文化財用X線CTスキャナを用いての調査が行われ、このようなデータが得られたとのこと。

しかも造立されてから一度も開けた痕跡がないことから、鎌倉時代の貴重な資料が保管されている可能性が高いそうです。

それにしても何のために納入したのでしょうね。埋納儀礼のようなものなのでしょうか。あるいは隠して保管したかったのでしょうか。中に入れた理由とか一通の手紙でいいから、記してくれると助かるのに!( -д-)ノ


2.オランダの仏像は棺桶だった!
さてさて、仏像に対してX線分析やCTスキャンをかけた事例は他にもあるのです。それがオランダ、ドレンテ博物館に所蔵されている仏像です。

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↑仏像の内部に人の骨格が見えます(「カラパイア」さんの記事より転載)

仏像にCTスキャンにかけたところ、仏像の内部に1100年前に死亡したとされる僧侶のミイラが入っていることが分かったのです。

このミイラは位の高い僧侶のものとされており、瞑想を続けて絶命しミイラになった即身仏を銅像に入れたのではないかと考えられているそうです。

すごいですよね、仏像はもう棺桶ですよ。まぁ即身仏を銅像に入れたという表現が適切かは分かりませんけど、棺桶って色んなサイズを作っておいて故人の身長に合わせて適切なのを選びますし、時に故人に合わせてオーダーメイドしますよね。

画像をみたところかなりジャストフィットしてますから、ミイラ化した即身仏に合わせて仏像を造立させたんでしょうね。そうだとすると、入れたというよりは覆ったという方が適切かもしれません。瞑想する姿を未来永劫に残して、より高い位の僧侶や仏陀になることを願って行った行為のように感じますね。


3.おわりに -仏像ってタイムカプセルだわ、全部調べようよ!-
仏像の歴史は非常に古いのです。さらに仏教って偶像崇拝を禁止してませんので、世界中に多量の仏像が現存しています。

しかしこのようなスキャンによる内部の確認は、これまでほとんど行われていないそうです。だとするとこれからもっともっとこのような事例が発見されることが期待できます。

もちろん宗教上の問題として、すっと分析させてくれないかも知れませんが、遥か古の先達者の残した奥義、秘儀があるかも知れないとしたら、分析させてくれるかも知れません。

とりあえず博物館所蔵の仏像を片っ端からスキャンして、事例を増やし周知させることが重要かも知れませんね。中の巻物等の保存状態が気になるところではありますが、仏像の歴史的価値がうなぎ登りの予感です。

古代の仏像がタイムカプセルとして周知される日も近いかも知れません!

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