発見された石碑・マヤ文字(?)に関して
【文字の歴史】グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文明初期のマヤ文字が見つかりましたとさ。「マヤ文字」・「支配者」とかいい加減だよね、愚痴を聞き給え!( ・Д・)【考古学】
発見された石碑・マヤ文字(?)に関して
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
アステカには、かつてテスカトリポカ(ウィツィロポチトリ)神に追いやられた、白い肌をもつケツァルコアトル神が「一の葦」の年(西暦1519年にあたる)に戻ってくる、という伝説が存在した。帰還したケツァルコアトルが、かつてアステカに譲り渡した支配権を回復すると信じられていた。「一の葦」の年の10年前には、テノチティトランの上空に突然大きな彗星が現れた。また女神の神殿の一部が焼け落ちてしまった。その後も次々と不吉な出来事が起こった。アステカ人たちは漠然と将来に不安を感じていた。そうした折であった「一の葦」の年の2年前(1517年)から東沿岸に現れるようになったスペイン人は、帰還したケツァルコアトル一行ではないかと受け取られ、アステカのスペイン人への対応を迷わせることになった。(Wikipedeia より一部改変)
1.「お酒の考古学」について
今回の内容はなんちゃって考古学です。巷でよくある、例の「~の考古学」です。
考古学的な内容にはほとんど踏み込めないかなと思っています。善処致しますけども!
さて、なにも酒に限らず「食」に関する文化って考古学的にはよく分からない世界なんです。
というのも「調理」特に「煮炊き」は人類の偉大な発明ですし(食べれる物が増えたのです)、人工物(?;人が作った技術なので無形文化財か?)かも知れませんけど、少なくとも「遺物」じゃないんですよね。
食べ物・飲み物は残る可能性はあるんですけど、基本的には腐敗してなくなってしまいます。
エジプトの乾燥気候は有名でミイラとか色々残りますけど、魚の干物も残ってるそうですね。まぁ魚のミイラみたいなものですから!
一方で日本では酸性土壌が広く分布しておりまして、まぁ動植物の依存体の残りはさほどよくないです。人骨もほとんど残らないです。
貝塚の周辺だと、貝片由来のアルカリが作用して人骨など通常残らないものが残ったりします。
中米の事例ではパナマは酸性土壌が深刻らしいですが、マヤ地域の多くをカバーするグアテマラ、メキシコはあたりはどうなんでしょう。
石灰岩が母岩ですし、高温多湿で微生物の代謝速度が速いため土壌も発達しない地域なので、石灰岩の影響を受けそうですよね。
詳しく知らない上に、調べても出てきませんでした。今度現地に行く時にリトマス試験紙でも持って行こうかな。
マヤ文明で最も有名な都市の一つ、ティカル(グアテマラ北部にあります)では、母岩である石灰岩層まで現地表面から20~30cm程度のとこもけっこうありますし、土壌が石灰石粒をけっこう含んでるんです。
なので予想では石灰の影響を受けてアルカリ土壌なのではないかなと思います。
まぁ古代マヤ文明の貴族住居は石灰岩の切り石で作られていますし、立派なお墓になれなるほど、遺体は石灰岩の切り石で囲まれています。
そのためマヤ地域では人骨が残存し易いんですね。
そんなマヤ地域でさえ、食べ物は残りません!
まぁ腐る、残るどうこうの前に、基本的に食べちゃうもんね!( ・Д・)
残るとすればお墓の中に副葬された土器の中に残滓として発見されます。
↑The Walters Art Museum所蔵の円筒形土器
主に王墓ではこういった土器が10~20個とか副葬されます(時期、都市の規模、政情等々によって数量は変化します)。
写真の土器は古典期後期(A.D.600-1000)のマヤ中部低地で典型的に見られる絵文書様式(コデックス・スタイル)の土器です。口縁部(土器の上部の口の辺り)に横走するマヤ文字帯があるのが分かると思います。
ここには土器の所有者の名前やその役職、守護霊が書かれることがあります。
その他にこの土器が何のためのものなのか、例えば、「これは~王の所有物で、ココアを飲むための器」なんて書かれている事例もあります。
土器は様々な形を有していますけど、形からその機能を推定するのはなかなか難しいのです。このような文字記録、そして中に残った残滓の化学分析によって機能が推定されることがあります。
・・・・・・あ、ちなみにカカオの原産地はマヤ地域ですね。
ココアを最初に飲んだのもマヤ人!
ただハチミツとトウガラシで味付けしたもので、現代のように甘い飲み物ではなかったようです。王族・貴族が飲む貴重な飲み物だったようですね。
(加筆・修正;上の「甘い飲み物ではなかった」ってのは、私たちが想像するようなココアとは全く異なるものだよって意味で、蜂蜜も唐辛子も風味程度のちょい苦い水って感じだったみたいです。どの材料も貴重品なんでバカスカ入れられなかったと思われます。)
つまるところ、食べ物・飲み物はもちろん、お酒に関しても考古学情報は少なく限りがあるのです!ということを確認したところで、マヤ地域、メソアメリカ地域におけるお酒について見ていきましょう。
2.古代マヤ人が飲んだお酒
古代マヤ人が飲んだお酒は記録によれば「バルチェ酒」です。バルチェと呼ばれる樹皮を使ってハチミツと水の混合液を発酵させたお酒です。蒸留の技術はなかったのでアルコール度の低い飲み物だったようです。
現代マヤ人にも作られていまして、マメ科植物の樹皮を利用して発酵させているそうです。また類似のお酒にシュタベントゥンという飲み物がありまして、これはハチミツではなく、朝顔の種の蜜を使って作っているそうです。確かこのシュタベントゥン、メキシコで普通にお土産として売っていたような…気のせいかな。
↑お土産で見たシュタベントゥン(お酒の販売ページから画像借用したためGoogle AdSense規約に反しないようリンクを貼りません;必要な方は「Xtabentun」で検索下さい( -д-)ノ)
これだ!朝顔の種の蜜の他に、アニスを使っているそうです。アニスって香草の一種で、エジプトやギリシアなどで使われた最古のスパイスの一つです。
私はこのアニスの独特の味や香りがダメで、シュタベントゥンも全然飲めなかった記憶がございます。よかったらお試し下さい。
回し者ではないので、画像クリックしても通販サイトに飛びませんのであしからず。
さて、古代マヤのお酒の話はほとんど出てきませんでしたが、古代マヤのエリート層の人々は一種の「ハチミツ酒」なんてお洒落なものを飲用していたんですね。
↑浣腸してアルコールを摂取する土製人形(出典不明(m´・ω・`)m ゴメン…)
ちょっとショッキングかも知れませんが、このような土偶が出土しております。
古代マヤの貴族らは自分の舌や性器を傷つけたり、トゲトゲの植物を通したりして放血儀礼を行っていたので決して楽な身分ではなかったようです(現代国家の支配階級とも言える政治家たちも自らを犠牲にする勢いで国を良くして欲しいものです)。
上の画像では植物性か土製容器で、下の画像では海産の大型巻貝の貝殻を加工した容器を用いて浣腸をしています。
直腸からアルコールを摂取するとあっという間に酩酊しますので、古代マヤの神官やシャーマンたちは、貴重なアルコールを少量浣腸して使うことで神との交信といった儀礼行為に及んでいた模様です。
みなさんは危険なのでやめましょうね。ふつーに冷えたビールを飲むだけで幸せになれますから( -д-)ノ
・・・・・・ラテンだけかも知れませんが、ちなみにスペイン語の表現で「死ぬまで飲む」は「アスタ ベル マリア」=「マリア様が見えるまで飲む」です。今でもお酒で神との交信はできるようですが、お酒はほどほどに!( ・Д・)
3.古代メキシコ人のお酒とテキーラの歴史
古代メキシコのお酒と言えば、「プルケ酒」です!
リュウゼツラン(スペイン語でマゲイ)の樹液を発酵させて造る白色のお酒です。見た目は甘酒みたいな感じですね。アルコール度数も4%程度と軽いお酒です。
一般にはスペイン期の記録に残っているのでアステカ時代(14~16世紀初頭)のお酒と説明されています。
原料となるリュウゼツランはその繊維から縄、棘から針、葉の薄膜は料理用の紙として生活の様々な場面で利用され、古くから栽培されていたと考えられています。
西暦200年頃には栽培が始まっていたと考えられており、テオティワカンの南東部に位置するチョルーラではプルケ酒を飲んでいたと解釈されている壁画が見つかっています。
↑チョルーラで発見された壁画(「Ancient Origins」の記事内画像より転載;英文)
チョルーラはテオティワカンやマヤ諸都市と同時期の都市遺跡で、タルー・タブレロ様式建造物といったテオティワカンに類似する美術・建築様式を有しています。
恐らくリュウゼツランの栽培が開始される西暦200年頃からプルケ酒も作られ始めたんでしょうね。
さて、メキシコのお酒と言えば「テキーラ」!
こちらは1600年に最初の工場ができたのだとか。1521年にアステカの首都、テノチティトランがエルナン・コルテスにより陥落したと考えると結構古い歴史を有しています。世界的に有名になるのは19世紀末以降で、それまでは国内消費されていました。
こちらのテキーラもリュウゼツランから作られています。メキシコのイメージのせいか、テキーラはサボテンから作られるお酒と言われることもありますが、リュウゼツランはサボテンじゃないです。
ユリ科の植物で見た目はアロエっぽいです。棘はありますけど、棘あったらサボテンなわけじゃないので(その理屈だとバラもサボテンになります)。
シャンパンがフランスのシャンパーニュ地方で作られたものだけを指し、その他はスパークリングワインになってしまうように、テキーラも基本的にテキーラ村で作られたものを指します。
正式名称はサンティアゴ・デ・テキーラです。現在はテキーラ町です。
実際には町のあるハリスコ州とグアナファト等の周辺域で生育したテキーラ専用のリュウゼツラン(アガベ・テキラナ・ウェベル・バリエダ・アスル)を総原料の51%以上使ったものであればテキーラと名を打つことができます。
最低2回の蒸留を行うなど細かい規定はありますけどね。
ということで、日本でもお馴染みとなったテキーラは、古代マヤ文明のお酒バルチェ酒と同じくらい古い歴史をもつ古代メキシコのプルケ酒を源流にしているお酒なのです。
4.おわりに
お酒のウンチクが必要な場面は限られているかも知れませんが、考古学や古代史の方に重点を置いて話せばそこまで嫌がられることもないでしょう!
世の中、どんなことどんな物にも歴史があるものです。普段何気なく口にしているお気に入りの飲食物の歴史について調べてみるのも面白いかも知れません。
最近の各会社のサイトでは商品開発等について様々な企業努力をしていることが手軽に窺ますし、身近な日本酒の蔵やビール工場などに見学に行くのも良いかも知れませんね。
是非、身の回りにある「歴史」に触れてみてください。
↓それ、ぽちっとな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓