あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    メソアメリカ

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    2026ねん 10がつ14にち(すいよーび、くもり)

    超久々の長編です!( ・Д・)
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    ↑やぱメキシコはドクロのイメージあるよね!( ・Д・)




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    🔬 2011年、ついに頭蓋骨を部品ごとに調べた

    疑問を決着させるため、2011~2012年に本格的な科学調査が行われた。

    舞台はライデン大学、博物館、そしてパリのフランス美術館研究修復センターだった。

    蛍光X線、X線回折、粒子線励起X線分析、顕微鏡観察、ガスクロマトグラフィー質量分析などが使われた。

    研究者は、頭蓋骨、モザイク片、接着剤を別々に判定した。

    「全体が本物か偽物か」と問うだけでは、巧妙な組み合わせを見落とすからである。


    🟦 モザイクの97パーセントは、本物らしいターコイズだった

    分析すると、モザイク片の約97パーセントはターコイズだった。

    残りには貝、ヒスイ輝石、沸石の一種である輝沸石、石英が含まれていた。

    顕微鏡でも、近代工具による製作痕は確認されなかった。

    つまり、青い小片は近代のガラスやプラスチックではない。

    古代の装飾品や埋葬から持ち出された、本物の先コロンブス期素材とみるのが妥当だった。

    偽物のために、本物の文化財が材料として消費された可能性が浮かぶ。






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    ↑額にある蛇のモチーフの目の部分の象嵌!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.5から転載; Copyright C2RMF)


    🐚 貝殻の土が、「別々に埋まっていた」と告げた

    眼の周囲などに使われた貝片には、土中で生じたリン酸カルシウム系の付着物が残っていた。

    長く埋まっていた証拠である。

    ところが、付着物の量と場所は貝片ごとに揃っていなかった。

    同じ物体の同じ面として埋葬されたなら、もっと似た状態になりやすい。

    研究者は、貝片が別々の場所や時期に土中へあった可能性を指摘した。

    本物の古代部品を寄せ集めた、という仮説に一歩近づいた。


    🦷 歯は「トウモロコシを食べた高地の人」と語った

    頭蓋骨は、死亡時35~49歳ほどの男性と推定された。

    観察できる特徴は、アメリカ先住民系の祖先を示した。

    歯の炭素・酸素・ストロンチウム同位体は、乾燥した内陸高地、火山性地質、トウモロコシ中心の食生活と整合した。

    その組み合わせは、オアハカ盆地を含むメキシコ南西部で想定できる。

    ただし、生前の民族名まで歯が教えるわけではない。

    2021年には放射性炭素年代測定も試みられたが、信頼できる値は得られなかった。

    頭蓋骨そのものの年代と出土地は、今なお完全には確定していない。


    🟣 紫外線の下で、二種類の糊が光った

    決定打は接着剤だった。

    紫外線を当てると、広い範囲の赤い発光と、部分的な黄緑色の発光が見えた。

    黄緑色の糊は、額、下顎、上唇付近の一部だけに重ねられていた。

    これは1962年、ニューヨークの修復家ノーマン・ウィーナーが補修した場所と一致した。

    分析すると、補修用の糊は松脂とナギモドキ属の樹脂を混ぜた近代材料だった。

    では、残り99パーセントの「元の糊」は何だったのか。


    🐛 シェラックを作る虫は、メキシコにいなかった

    主接着剤はシェラックだった。

    シェラックは、南アジアや東南アジアに生息するラックカイガラムシの分泌物から作られる。

    メキシコで古くから赤い染料に使われたコチニールカイガラムシとは、名前が似ていても別の虫である。

    ラックカイガラムシのシェラックは、征服以前のメキシコでは使えない。

    しかも糊は、後世の小修理だけでなく、モザイクの99パーセントを支えていた。

    古代の頭蓋骨と古代の石片が、近代に初めて一体化した可能性が最も高くなった。





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    ↑接着剤部分の拡大!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.6から転載; Copyright C2RMF)


    ➕ 本物+本物=本物、とは限らなかった

    結論は、単純な「全部偽物」ではない。

    骨はメソアメリカ先住民のものと考えられる。

    モザイク片も、先コロンブス期の本物とみられる。

    しかし両者の現在の組み合わせは、おそらく20世紀の創作だった。

    研究者マルティン・ベルガーは、ごく小さな可能性として、崩れた古代作品を近代人が完全に貼り直した場合も排除しなかった。

    それでも、形の違い、寄せ集めの部品、近代接着剤を総合すれば、「古代素材による近代の贋作」が最も合理的である。


    🎬 「血と頭蓋骨の文明」という先入観も、鑑定を曇らせた

    なぜ専門機関まで魅了されたのか。

    ベルガーは、西洋社会がメソアメリカを「流血、骸骨、人身供犠の世界」として描いてきた歴史を問題にした。

    映画『アポカリプト』のように、複雑な社会を暴力の印象へ縮めた作品もある。

    頭蓋骨、宝石、蛇、供犠を一つに詰め込んだ品は、観客が期待する古代メキシコ像に合いすぎた。

    物が「文化らしく見える」ため本物とされ、その物を見て人々が「文化らしさ」を学ぶ。

    この循環へ贋作が入ると、偽物が教科書になってしまう。


    🏷️ 贋作になった瞬間、価値はゼロになるのか?

    科学調査で、古代の傑作という肩書は失われた。

    しかし、頭蓋骨が無価値になったわけではない。

    それは20世紀の古美術市場、盗掘、収集家の欲望、博物館の鑑定史を語る資料になった。

    ベルガーらは表示案として、「後古典期、ミシュテカ/20世紀、メキシコ」という二重の年代と文化名を提案した。

    一つの物体の中に、古代の人間、古代の職人、近代の組立者、博物館の誤認が同居している。

    「何年前の物か」だけでは説明できない文化財なのである。





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    ↑同じ部分にブラックライトを当てた状態の写真!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.6から転載; Copyright C2RMF)


    ✈️ 2025年、頭蓋骨はメキシコへ帰った

    2022年、メキシコ人芸術家ダニエル・アギラル・ルバルカバがこの頭蓋骨を知った。

    彼はミシュテカ系の研究者らによるニチビ・ニュウ・サビ集団と協力し、返還運動を始めた。

    メキシコ政府も2023年に返還を要請した。

    オランダ政府は2024年12月、頭蓋骨の返還を決定した。

    人骨は植民地コレクション一般の政策枠外だったが、倫理的理由から個別返還が認められた。

    2025年5月、頭蓋骨は物理的にメキシコへ戻り、現在は国立人類学歴史研究所の管理下にある。


    🏠 最後の行き先は、大博物館ではなく共同体の博物館かもしれない

    返還を求めた人々は、頭蓋骨を単なる贋作とは呼ばない。

    モザイクが近代の創作でも、骨は実在した一人の人間だからである。

    オアハカ州ビジャ・デ・トゥトゥテペクでは、1020人が地域のユク・サア共同体博物館での展示を求めた。

    まずオアハカ文化博物館で公開し、設備が整えば2027年4月に共同体へ移す計画が報じられている。

    返還は「この作品を誰が作ったか」だけでなく、「この人を誰が祖先として迎えるか」という問いを開いた。

    鑑定と返還は、別々の問題ではなかったのである。


    📝 おわりに

    ライデンのターコイズ頭蓋骨は、発掘で地中から現れた大発見ではない。

    むしろ、博物館の展示ケースに長く置かれていた品を、素材、骨、歯、土、糊へ分解して読み直した発見だった。

    青い石は古かった。

    人骨も古代メソアメリカに由来するとみられた。

    だが、両者を結んだシェラックは近代だった。

    ほんの薄い接着剤の層が、1960年代から続いた壮大な物語を剥がしたのである。

    そして皮肉にも、「本物のミシュテカ美術」という肩書を失った後で、この頭蓋骨は一人の人間として故郷へ近づいた。

    本物か偽物かという問いは大切だ。

    しかしその先には、誰の骨を、誰が、何のために掘り出し、売り、飾り、研究し、最後に迎え直すのかという、もっと重い問いが残っている。

    本物の骨と、本物の石と、偽物の組み合わせ。

    そのどれよりも確かなのは、頭蓋骨の持ち主が、最初から「材料」ではなく一人の人間だったということなのだ!( ・Д・)



    何はともあれ・・・


    真っ当な考古学者より贋作製作者の方がお金になるよね!( ・Д・)







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    2026ねん 10がつ13にち(かよーび、くもり)

    疲れが取れない!何もしない日作らにゃかな!( ・Д・)
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    ↑家にミニ博物館つくりたい・・・それなりにでかい家に住まにゃ!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースは

    「オランダの博物館でミシュテカ文化の至宝とされた『ターコイズの頭蓋骨』を調べると、骨もモザイク片も先コロンブス期の本物とみられるのに、両者を貼った接着剤だけが近代製だと判明した。おそらく20世紀に組み合わされた贋作だった頭蓋骨は、それでも一人の祖先の遺骨として返還運動を動かし、2025年にメキシコへ帰っていた!( ・Д・)」

    ってお話です(*・ω・)ノ





    📰はじめに



    頭蓋骨の顔面を、青緑色の小さな石が覆っている。

    眼窩には白い貝殻がはめ込まれ、額から頬へ、羽毛ある蛇のような文様が走る。

    オランダ・ライデンの国立民族学博物館が1960年代に入手したこの品は、長く「後古典期ミシュテカの傑作」として展示された。

    人骨も古い。

    ターコイズも古い。

    貝、ヒスイ輝石、石英の小片にも、近代工具で切った明白な痕跡はなかった。

    だったら本物ではないのか?

    ところが、研究者が紫外線を当て、接着剤を化学分析すると、物語は一気に反転した。

    モザイクの99パーセントを貼り付けていたのは、先コロンブス期のメキシコには存在しなかったシェラックだったのである!( ・Д・)

    今回は、雨の民ミシュテカ、青い石を運んだ交易路、1932年のモンテ・アルバン7号墓、1960年代の古美術市場、2011~2012年の科学調査、そして2025年のメキシコ返還まで追いかける。


    🌧️ ミシュテカ人は、自らを「雨の民」と呼んだ

    ミシュテカ文化が栄えたのは、現在のメキシコ南部である。

    中心となったのはオアハカ州西部からプエブラ州南部、ゲレロ州東部へ広がる山地だった。

    彼らは自らを、雨の民を意味する「ニュウ・サビ」と呼ぶ。

    一つの統一帝国を築いたのではなく、小さな都市国家や領主国が婚姻、同盟、戦争を繰り返した。

    その王統と征服の歴史は、鹿皮や樹皮紙へ描かれた絵文書に残されている。

    西暦1300~1521年頃の後古典期後期には、金細工、骨彫、彩色土器、石のモザイクで名高い職人たちが活動していた。








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    ↑別のドクロ!なんかかわいい!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.4から転載)



    🌎 同じ時代、メキシコ中央高原ではアステカが台頭した

    ライデンの頭蓋骨に与えられた年代は、西暦1300~1521年だった。

    日本なら鎌倉時代末から室町時代に重なる。

    メキシコ中央高原では1325年頃にテノチティトランが築かれ、15世紀にはアステカ帝国が勢力を拡大した。

    一方、オアハカではミシュテカ系・サポテカ系の諸勢力が競い合っていた。

    戦争だけでなく、婚姻、貢納、市場、巡礼、職人の移動が地域を結んだ。

    「ミシュテカの品」と呼ばれる物も、一つの町だけで完結した製品とは限らない。


    🟦 ターコイズは、遠い北から来た青い権威だった

    メソアメリカ南部には、良質なターコイズの大鉱床がほとんどない。

    多くは現在の米国南西部やメキシコ北部から、何百キロもの交易路を通って運ばれたと考えられている。

    青緑色は水、空、時間、火、王権、神々など、複数の観念へ結び付いた。

    高価な石を細片へ切り、木、石、骨へ貼るモザイクは、物質そのものが遠距離交易と権力を示した。

    ただし「青い石があるからミシュテカ」とは言えない。

    技術も素材も、中部メキシコとオアハカを横断して共有されたからである。


    🧴 古代の職人は、松脂やコパルで石を貼った

    本物のメソアメリカ製モザイクでは、接着剤も重要な考古資料になる。

    英国博物館の作品からは、松脂、コパル、蜜蝋などが確認されている。

    コパルは、香としても燃やされた植物樹脂である。

    スペイン人修道士の記録には、ラン科植物や在来ミツバチの蝋を使った接着剤も現れる。

    石の種類だけを似せても、何で貼ったかまでは簡単に偽装できない。

    接着剤は、作品の裏側に残った時代の指紋なのだ。


    ⚱️ 1932年、墓の中から本物のモザイク頭蓋骨が現れた

    比較の基準となったのが、オアハカの古代都市モンテ・アルバンである。

    1932年1月、メキシコ人考古学者アルフォンソ・カソが7号墓を発掘した。

    墓は古いサポテカの建造物だったが、後古典期に再利用されていた。

    内部から金銀製品、宝石、骨製品、土器など、膨大な副葬品が見つかった。

    その一つが、ターコイズと貝で飾られた人間の頭蓋骨だった。

    管理された発掘で出土した、確実なモザイク頭蓋骨である。





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    ↑これが7号墓のドクロ!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.3から転載)


    🥣 だが7号墓の頭蓋骨は、ライデン品と形が違った

    7号墓の品は、ライデンの頭蓋骨と同じ種類ではない。

    頭頂部が切り取られ、孔は塞がれ、顔面だけでなく側面にもモザイクが及んでいた。

    杯、香炉、音を響かせる共鳴器など、複数の用途が提案されている。

    チチェン・イツァのセノーテから出た装飾頭蓋骨にも、頭頂部を切る加工があった。

    16世紀のディエゴ・デ・ランダも、マヤ地域で祖先の頭蓋骨を加工し、家の祭壇へ置く習俗を記している。

    古代に頭蓋骨を飾る文化は、たしかに存在した。

    しかし「古代に似た物がある」ことと、「目の前の品が古代製である」ことは別問題だった。


    🛍️ 1959年、よく似た頭蓋骨が市場へ現れ始めた

    ライデン品と同じく、無傷に近い頭蓋骨の正面だけを飾った一群がある。

    現在知られるのは約10点。

    最初期の三点は、1959~1960年に米国の収集家ロバート・ウッズ・ブリスが購入した。

    ところが、どの品にも発掘地点、発掘者、地層、共伴遺物の確かな記録がない。

    共通するのは、欧米の古美術市場を通ったことだった。

    物が似ているだけでなく、「出土状況がない」という経歴まで似ていたのである。


    🧪 四つ目の頭蓋骨は、家庭用接着剤で落第した

    ブリスには、当初四つ目の頭蓋骨も持ち込まれていた。

    しかし購入前の材料検査で、モザイクを貼った物質が「デュコ・セメント」と判明した。

    20世紀の家庭用接着剤である。

    ブリスは購入を断念した。

    すでに1960年頃には、「古代の骨と古代の石を近代の糊で合体させる」手口が市場へ入り込んでいたことになる。

    四つ目の品がその後どこへ行ったかは分かっていない。





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    ↑これが問題のドクロ!( ・Д・)(Geurds and Broekhoven  2013, Fig.2から転載)



    💌 1963年、館長は一目で魅了された

    1963年、米国人美術商ロバート・ストルパーが、ライデンの国立民族学博物館へ頭蓋骨を持ち込んだ。

    オアハカ州とプエブラ州の境にあるテオティトラン・デル・カミノ近郊の墓から出た、という触れ込みだった。

    だが、その話を裏付ける文書はなかった。

    当時の館長ピーター・ヘンドリック・ポットは、「極めて希少で価値がある」と購入へ動いた。

    通常なら収蔵委員会と地域担当学芸員が審査する。

    ところが今回は、館長が強く主導した。

    同僚は後年、彼が頭蓋骨へ「取り憑かれていた」と回想している。


    🐍 羽毛ある蛇は、本物らしさを演出した

    ポット館長は、額を走る図柄を「羽毛ある蛇の氏族標識」と解釈した。

    羽毛ある蛇は、メソアメリカ世界を代表する宗教的図像である。

    それなら本物らしい――そう考えたくなる。

    しかし研究が進むと、文様を作る刻線入りの石片は、もともと盾や人物像の別部分だった可能性が高くなった。

    古代の部品を並べ替え、いかにも古代らしい蛇を作ったのかもしれない。

    贋作者は無知だったのではない。

    買い手が期待する「ミシュテカらしさ」を、よく知っていたのである。


    🗺️ 来歴の空白は、美しさで埋められた

    博物館は1964年に頭蓋骨を正式に収蔵した。

    それ以前の確かな履歴は、現在も不明である。

    当時は7号墓の詳細な報告書や、ターコイズ・モザイクの大規模研究もまだ十分に刊行されていなかった。

    比較資料は少なかった。

    さらに20世紀中頃、先コロンブス期の品は民族資料だけでなく、色と形を鑑賞する「美術」へ変わりつつあった。

    出土地点よりも、唯一性と迫力が購入を後押しした。

    頭蓋骨は、博物館が欲しがる物語に、あまりにも美しく収まったのだ。




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    2026ねん 8がつ14にち(きんよーび、晴れのち雨)

    うぉ~!昨日の分も頑張るんだぁ~!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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    ↑メソアメリカだとマスクとかめちゃ盗難にあってるよね、ワンチャン海外の博物館にある方がマシな説もある気がする!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースは

    「オランダの博物館で約60年間展示されてきた、トルコ石で覆われた先コロンブス期の人間の頭蓋骨がメキシコへ返還されたけれど、科学分析をしてみたら、人骨も石片も古代の本物らしいのに、それらを貼り合わせた接着剤だけは20世紀のものだった! いったいこれは古代遺物なのか、現代の偽物なのか?( ・Д・)」

    ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに


    これは、ものすごく美しい。

    そして、ものすごく不気味である。

    人間の頭蓋骨。

    その顔面を、青緑色に輝く何百枚もの小さな石片が覆っている。

    額には細長い蛇の姿。

    眉の上には赤や白の帯。

    眼窩には円形の装飾。

    蛇の目には透明な水晶。

    青い部分の大半はトルコ石で、貝、翡翠、石英など異なる素材が組み合わされている。

    2026年8月、メキシコ国立人類学歴史研究所、INAHは、この頭蓋骨がオランダからメキシコへ返還され、現在INAHの管理下で登録・調査されていることを発表した。額のモザイクは模式化された蛇を表し、青色部分はトルコ石、眉や目の周囲の赤白色部分は貝、左眼窩には翡翠、蛇の目には水晶が使われているという。

    一見すれば、

    「500年前のミシュテカ人が作った、驚異的なトルコ石の頭蓋骨が故郷へ帰ってきた!」

    という話に見える。

    ところが、この頭蓋骨にはとんでもない研究史がある。

    2011~2012年、オランダとフランスの研究者たちが徹底的に分析したところ、

    人骨――古い。

    トルコ石などのモザイク材料――古い。

    石を加工した痕跡――現代工具ではないらしい。

    しかし、

    それらを頭蓋骨へ貼っている主要な接着剤――近代のシェラック。

    という奇妙な結果になった。研究を率いたマーティン・ベルガーは、最も可能性が高い説明として「古代の本物の頭蓋骨と、本物の先コロンブス期のモザイク片を、近代になって組み合わせたもの」を挙げている。

    つまりこれは、

    「本物か、偽物か?」

    では済まない。

    本物の人骨。

    本物の古代石材。

    現代の接着剤。

    そして20世紀の美術市場。

    異なる時代の物質が、一つの「古代美術品」に組み立てられているかもしれないのである。

    しかも今回は、その物自体が人間の遺骸だ。

    だから真贋問題だけでは終わらない。

    なぜ頭蓋骨をトルコ石で飾ったのか。

    古代メソアメリカには本当に同じような例があるのか。

    誰の頭蓋骨だったのか。

    なぜヨーロッパへ渡ったのか。

    そして「現在の姿が近代に作られた可能性が高い人骨」を、それでもメキシコへ返す意味とは何なのか。

    これ、考古学・考古科学・博物館史・文化財返還問題が全部一つになった、とんでもなく面白い資料なのである!( ・Д・)


    🌧️ まず「ミシュテカ文明」とは何なのか?

    この頭蓋骨は長く、メキシコ南西部のミシュテカ文化に属するものとして扱われてきた。

    ミシュテカ、Mixtecという名称はスペイン語・英語圏で広く使われる呼称だが、現在の先住民社会では地域や言語によってÑuu SaviやÑudzavuiなどの自称があり、「雨の民」「雨の地の人びと」といった意味に訳される。文化圏は現在のオアハカ州を中心に、プエブラ州やゲレロ州へも広がっていた。

    日本ではアステカやマヤほど知られていないが、先コロンブス期メソアメリカ美術を考えるなら、とても重要な文化である。

    特に西暦1200~1521年頃の後古典期後期には、動物皮へ鮮やかな絵を描いた折本形式の絵文書、いわゆるミシュテカ絵文書、非常に精巧な金工品、トルコ石や貝を組み合わせたモザイクなどで知られる。

    金のロストワックス鋳造。

    細かな擬似フィリグリー。

    石を数ミリ単位の小片へ加工するラピダリー技術。

    異なる色と質感を組み合わせるモザイク。

    「石を削る文化」というより、素材そのものが持つ色、光沢、希少性を組み合わせて、権力や宗教的意味を表現する文化だった。

    ただし「ミシュテカ帝国」という一つの巨大国家が存在したわけではない。

    オアハカ周辺には多数の都市国家・領主国が存在し、婚姻、戦争、同盟によって複雑な政治関係を結んでいた。

    そして東方では、15世紀になるとテノチティトランを中心とするアステカ帝国が拡大する。

    つまり今回の頭蓋骨が想定される後古典期後期は、

    ミシュテカの諸王国。

    サポテカ系諸都市。

    アステカ帝国。

    そのほか多数の地域社会。

    が交易と戦争と政治関係で結ばれていた時代なのである。

    だからトルコ石一枚を見ても、

    「地元で拾った青い石」

    とは限らない。

    そこには、原料を採る場所。

    加工する職人。

    運ぶ商人。

    受け取る支配者。

    儀礼で使用する人間。

    という長い社会関係が隠れている。





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    ↑考古学的な記録写真ではないんだけど、なんだかいいなって感じる撮り方、珍しいぜ!( ・Д・)(「INAH」の記事内画像より転載)


    💎 なぜ人間の頭蓋骨を、こんなに美しく飾ったのか?

    そもそも、なぜ頭蓋骨へ宝石を貼るのだろう。

    現在の感覚では、

    「死体を飾る」

    という行為に不気味さを感じる。

    しかしメソアメリカでは、人骨が単なる「死後の廃棄物」だったとは限らない。

    祖先。

    戦争。

    供犠。

    権力。

    神々。

    死者の身体は、さまざまな社会的・宗教的意味を持つ物質として扱われた。

    だから装飾頭蓋骨が存在すること自体は、あり得ない話ではない。

    しかも、決定的な考古資料がある。

    1932年1月9日、考古学者アルフォンソ・カソがオアハカの巨大都市遺跡モンテ・アルバンで発掘した「7号墓」である。

    モンテ・アルバン自体はもともとサポテカ人によって築かれた古代都市だが、古典期に造られた墓が後古典期になって再利用され、その内部からミシュテカ系の豪華な副葬品が大量に発見された。金、銀、翡翠、黒曜石、水晶、貝、真珠、琥珀、そしてトルコ石。現在INAHは、この墓の副葬品群を西暦1250~1521年頃に位置付けている。

    そこから、本当にトルコ石モザイクで装飾された人間の頭蓋骨が出ている。

    こちらは美術市場から買った物ではない。

    考古学者が墓の内部から発掘した。

    出土位置も分かる。

    一緒にあった遺物も分かる。

    つまり、

    「先コロンブス期メソアメリカでは、人間の頭蓋骨へトルコ石や貝を貼り付ける行為が実際に存在した」

    ことを証明する基準資料なのである。

    そして7号墓の頭蓋骨では、モザイクを固定するためにコーパル系の樹脂を含むペーストが使われていたことが研究されている。

    古代メソアメリカではほかにも松脂、コーパル、蜜蝋などがモザイクの接着に利用された。

    つまり職人は、骨へ石をただ並べたわけではない。

    数ミリほどの石片を切る。

    研磨する。

    色を選ぶ。

    図像を設計する。

    天然樹脂系の接着材を準備する。

    曲面である頭蓋骨へ、一片ずつ貼る。

    極めて高度な複合技術だった。

    今回返還された頭蓋骨の額にも、蛇が描かれている。

    INAHは模式的な蛇と説明し、過去の研究では羽毛ある蛇を思わせる図像として検討されてきた。

    ただし、これを即座にケツァルコアトルという特定の神格だと断定することはできない。

    問題は、この蛇が古代にこの頭蓋骨のために作られた図像なのかどうか、それ自体が分からないからである。


    🔵 トルコ石は、どこから来た? 研究史までひっくり返った「青」

    トルコ石は、後古典期メソアメリカで非常に重要な高級素材だった。

    長いあいだ研究者は、アステカやミシュテカのトルコ石の多くが、現在のアメリカ南西部――ニューメキシコやアリゾナ周辺から長距離交易で運ばれてきたと考えていた。

    実際、この説明は現在でも博物館の古い解説などに残っている。

    ところが2018年、トルコ石に含まれる鉛・ストロンチウム同位体を分析した研究によって、その図式が大きく揺らいだ。

    分析されたアステカ・ミシュテカのトルコ石は、アメリカ南西部の既知鉱床の同位体組成とは一致せず、むしろメソアメリカ内部の地質環境から採られた可能性が高いことが示されたのである。現時点でも具体的な古代採掘地は特定されていないが、「トルコ石=すべてアメリカ南西部から輸入」という古いモデルは維持できなくなっている。

    これも考古学のおもしろいところである。

    青い石そのものは、100年前から博物館にある。

    でも分析技術が変わると、

    「この石はどこから来たのか」

    という地図まで書き換わる。

    今回帰還した頭蓋骨でも、将来的に個々のトルコ石片を詳しく比較できれば、それぞれが同じ原料源から来たのか、それとも異なる古代遺物から集められたのかという問題へ近づける可能性がある。

    なぜなら、この頭蓋骨の場合、

    「美しいモザイクが一つある」

    という前提そのものが疑われているからだ。


    🇳🇱 1960年代、美しすぎる頭蓋骨がヨーロッパへ現れた

    問題の頭蓋骨がオランダの博物館へ入ったのは1960年代初頭だった。

    現在のINAH資料では1962年に美術市場を通じて取得されたとされ、博物館側の過去の研究記録では、アメリカ人美術商ロバート・ストルパーから1963年頃に持ち込まれ、1964年頃までに取得手続きが進んだ経緯が記録されている。

    つまり細かな年には資料差があるものの、確かなのは、

    「発掘によって博物館へ入ったわけではない」

    ということである。

    美術商が語った来歴では、メキシコ・オアハカ州北部、現在のテオティトラン・デ・フローレス・マゴン付近の墓から出たとされていた。

    しかし、それを裏付ける発掘記録はない。

    誰が掘ったのか。

    どんな墓だったのか。

    何が一緒に出たのか。

    頭蓋骨とモザイクがどの位置関係だったのか。

    すべて分からない。

    そして、これが考古学では致命的に大きい。

    なぜなら、同じ頃に非常によく似た「トルコ石モザイク頭蓋骨」が欧米の美術市場へ次々と現れていたからである。

    ダンバートン・オークス。

    サンフランシスコのデ・ヤング美術館。

    マルセイユ。

    個人コレクション。

    2013年の研究では、ライデンの頭蓋骨と同じように、顔面だけをほぼ完全な状態でモザイクが覆うタイプが約10点知られていた。

    ところが、こうしたタイプには信頼できる考古学的出土例がほぼない。

    さらに何点かを科学分析すると、

    古い人骨。

    古い石。

    現代の接着剤。

    という、同じ奇妙な組み合わせが何度も現れたのである。

    たとえばダンバートン・オークスでは、購入を検討した4点のうち1点から家庭用接着剤Duco Cementが検出され、購入が見送られた。

    デ・ヤング美術館の例についても、専門家ゴードン・エクホルムは、古代の人骨と古代のモザイク片を近代に組み合わせた物だと判断していた。

    マルセイユの頭蓋骨では、人骨自体は西暦772~900年頃と測定されたものの、接着剤は近代的なシェラックだった。

    つまりライデンの頭蓋骨だけが怪しかったのではない。

    20世紀の美術市場に、

    「古代メキシコらしく見える、極めて美しい装飾頭蓋骨」

    という一群が突然出現していたのである。





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    ↑迫力を感じるぜ!( ・Д・)(「HERITAGE DAYLY」の記事内画像より転載;credit: INAH)



    🔬 本物の骨+本物の石+現代の糊=これは何なのか?

    そこで2011~2012年、ライデンの国立民族学博物館とフランスのC2RMFなどが、本格的な科学調査を始めた。

    まずモザイク。

    X線回折、蛍光X線分析、PIXEなどを使って材料を調べる。

    その結果、モザイクの約97%はトルコ石。

    ほかに貝、翡翠、沸石類、水晶が確認された。

    顕微鏡で加工痕を見ると、石片には現代的な工具を使って作った明瞭な証拠がなく、材料と加工の両面から、多くのモザイク片は本物の先コロンブス期資料と考えられた。

    ところが貝片を調べると、おかしなことも分かった。

    一部には土中で形成されたとみられる付着物がある。

    しかし同じ材質の別の貝にはない。

    もし一つの完成品として同じ墓に置かれていたなら、同じような環境履歴を示しそうなのに、パーツによって履歴が違う。

    研究者は、

    「もともと別々の場所に埋まっていた古代資料を集めた可能性」

    まで考えるようになった。

    次に頭蓋骨。

    骨格形態と炭素・酸素・ストロンチウム同位体を調べると、この人物はヨーロッパ人ではなく、メソアメリカ先住民であることと整合する結果になった。

    歯の同位体からは、乾燥した高地・火山性地質を持ち、トウモロコシへの依存度が高い地域で育った可能性が示され、オアハカ周辺という想定とも矛盾しなかった。2013年の骨学的評価では男性、死亡年齢35~49歳程度とされた一方、現在INAHは既存分析を踏まえて約25~40歳の男性と紹介しており、年齢推定には幅が残っている。

    ここまでは、

    「やっぱり本物じゃん!」

    となる。

    最後に研究者が調べたのが、石と骨の間にあるもの。

    接着剤だった。

    紫外線を当てると、二種類の接着剤が見えた。

    一つは後の修復に使われたもの。

    問題は、モザイクの約99%を固定していた主要な接着剤である。

    GC-MSで分析した結果、それはシェラックだった。

    シェラックは東・東南アジアに生息するラックカイガラムシ類が分泌する物質から作られる。

    メキシコにも有名なコチニールカイガラムシはいるが、赤色色素を得る昆虫であって、シェラックを作るラックカイガラムシとは別物である。

    したがって、この接着剤が先コロンブス期メキシコで使われたとは考えられない。

    骨は古い。

    石も古い。

    しかし、それを現在の配置へ固定した行為は新しい。

    ベルガーは最終的に、

    「本物の先コロンブス期資料を近代に組み合わせた作品」

    である可能性が最も高いと結論した。

    ただし、ここにも考古学らしい留保がある。

    古代に本当にこの頭蓋骨へモザイクが付いていた。

    発見時には石が剥がれていた。

    近代の修復者が、それをシェラックで貼り直した。

    という可能性を完全に排除することもできない。

    発掘記録がないからである。

    だから研究者自身も「完全な偽物」と断言するより、

    「近代に再構成された可能性が非常に高い」

    という表現を選んでいる。

    ここ、本当におもしろい。

    「本物」と「偽物」は、二択ではなかったのである。


    ☢️ 炭素14で決着!……とはならなかった

    では人骨そのものを炭素14年代測定すればいい。

    そう考えるのは当然である。

    実際、2018年には頭蓋骨から少量の骨を採取し、グローニンゲン大学で放射性炭素年代測定が試みられた。

    しかし結果は出なかった。

    採取できた骨は約36ミリグラム。

    そこから得られたコラーゲンは約0.15ミリグラムしかなく、信頼できる年代値を得るには少なすぎたのである。

    2021年に発表された査読論文でも、この頭蓋骨について「信頼できる放射性炭素年代は得られなかった」と明記されている。

    だから、

    「炭素14で500年前と証明された頭蓋骨」

    と書くのは正確ではない。

    過去の報道にはそのような表現もあるが、現在の学術的な整理では、この個体そのものについて信頼できる直接年代はまだない。2016年の日本語報道でも当時は「放射年代測定で本物」と紹介されたが、その後の査読研究では頭蓋骨の年代測定は成功していない。

    そして2026年、メキシコへ戻ったことで、この問題に再び挑戦できる可能性が出てきた。

    INAHは、歯や側頭骨など保存のよい部分を利用した新たな放射性炭素年代測定や古代DNA分析を、今後の研究候補として挙げている。

    つまり帰還は、政治的なゴールだけではない。

    考古科学的には、

    「誰だったのか」

    を改めて調べ始めるスタートでもある。


    ✈️ 「偽物」でも、なぜメキシコへ返したのか?

    ここで非常に重要な疑問が出る。

    現在の形が20世紀に組み立てられた可能性が高いなら、

    なぜメキシコへ返還するのか?

    答えは、この資料が単なる偽造美術品ではないからである。

    中心にあるのは、本物の人間の頭蓋骨だ。

    しかも骨格・同位体分析から、メソアメリカ先住民男性の遺骨と考えられている。

    オランダ政府も2024年12月の返還決定で、「頭蓋骨と石そのものは古いが、接着剤は20世紀であり、現在の組み合わせは比較的新しい」と明記したうえで、それでも人骨には特有の倫理的問題があり、メキシコからの具体的な要請を受けて返還することを決めた。

    ここでは、

    「美術品として本物か」

    と、

    「誰の祖先の遺骨なのか」

    が別問題になっている。

    これは文化財返還を考えるうえで、とても大きい。

    絵画なら偽物と判明した瞬間、経済的価値は暴落するかもしれない。

    しかし人間の骨は、

    「モザイクの配置が近代だから、もう意味がありません」

    とはならない。

    その人物自身は実在した。

    生きた。

    食べた。

    育った。

    死んだ。

    そして何らかの経緯で墓あるいは乾燥洞窟のような場所から持ち出され、やがて美術市場へ流れ、ヨーロッパの展示ケースへ入った可能性がある。

    発掘記録を失ったこと自体が、別の歴史なのである。

    返還運動も突然始まったわけではない。

    2023年には、この「ライデンの頭蓋骨」を3Dプリントした複製を使い、オアハカ州サンタ・マリア・クキーラや米国カリフォルニア州のミシュテカ系コミュニティーの若者たちと、祖先の遺骨、博物館、返還について考える取り組みが行われていた。そこではÑuu Saviの研究者や芸術家自身が議論へ参加している。

    オランダ政府は2024年12月に返還を決定し、ハーグのメキシコ大使館へ引き渡した。

    頭蓋骨は2025年5月にメキシコへ到着。

    その後INAHが正式な登録、目録作成、保存処置、初の3Dデジタル記録を進め、2026年8月に現在の状況を公表した。

    現在はINAHの管理下にある。

    そしてオアハカ州ビジャ・デ・トゥトゥテペクのユク・サー共同体博物館が、将来的な保管・展示に関心を示している。

    ただし、移管が決定したわけではない。

    保存環境や安全性を含め、INAHとの協議が続いている段階である。





    arukemaya_y960

    ↑美しい!完璧な横づら!考古学の写真はこうでなくちゃね!( ・Д・)(「HERITAGE DAYLY」の記事内画像より転載;credit: INAH)



    🧬 この人は誰だったのか?――「美術品」の裏から人間を取り戻す

    今後の研究で最も知りたいのは、モザイクより先に、

    この人が誰だったのか

    ということかもしれない。

    古代DNAを採取できれば、

    生物学的な系統。

    地域集団との関係。

    場合によっては親族関係。

    を調べられる可能性がある。

    より精度の高い放射性炭素年代が得られれば、本当に後古典期の人物なのかも分かる。

    歯のストロンチウム・酸素同位体をさらに比較すれば、幼少期を過ごした地域も絞れるかもしれない。INAHの人類学者も、物理的な分析だけでなく「トルコ石モザイクの向こうにいる人物」を明らかにすることが重要だとしている。

    そして、その結果によってはもっと奇妙なことも起こり得る。

    例えば、

    頭蓋骨は後古典期。

    トルコ石片も後古典期。

    貝片の一部は別の遺跡。

    翡翠も別の古代品。

    そして全部を貼ったのは20世紀。

    そんな結果になる可能性すらある。

    これはもはや、一つの「年代」を持つ遺物ではない。

    考えてみれば、この頭蓋骨には少なくとも三つの時間が重なっている。

    一つ目。

    先コロンブス期を生きた、一人の人間の時間。

    二つ目。

    トルコ石、貝、翡翠、水晶を採掘し、加工し、古代社会の中で使った人々の時間。

    三つ目。

    20世紀になって、人骨と古代の石片を「ミシュテカ美術らしい一つの傑作」へ組み立て、それを購入し、展示した美術市場と博物館の時間。

    そして今、

    四つ目の時間が始まった。

    メキシコへ帰り、

    「美しい古代美術品」

    でも、

    「偽物」

    でもなく、

    祖先の人骨であり、考古資料であり、20世紀の収集史を背負った物として、もう一度調べ直される時間である。

    考古学的には、接着剤が現代だった瞬間に価値がゼロになるわけではない。

    むしろ、

    なぜ本物の人骨と本物の古代石材が、20世紀になって一つの「理想的な先コロンブス美術」へ組み立てられたのか。

    なぜ博物館は、それを本物だと思ったのか。

    なぜ美術市場は、こういう物を欲しがったのか。

    そこに新しい研究対象が生まれる。

    モンテ・アルバン7号墓から出土した本物のモザイク頭蓋骨。

    そこから着想を得たかもしれない美術市場の作品。

    科学分析によって見つかった20世紀の糊。

    そして60年後の返還。

    この頭蓋骨最大の謎は、

    「本物か偽物か」

    ではないのかもしれない。

    本当の問いは、

    「私たちは、いつの時代のこの頭蓋骨を見ているのか?」

    なのだ。

    青いトルコ石の下には、古代メソアメリカだけではない。

    一人の死者、失われた出土地点、20世紀の古美術市場、博物館の欲望、科学分析、そして現代の返還運動までが重なっている。

    オランダから帰ってきたのは、500年前の美術品一つではない。

    何度も意味を書き換えられてきた、一人の人間の頭蓋骨なのである!( ・Д・)






    なにはともあれ……

    メソアメリカで最も一般ウケの良い美しい遺物はやはりモザイクなのかな!( ・Д・)








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    2020ねん 3がつ 15にち(どよーび、晴れ)

    やぁみんな!飛行機に乗り遅れた管理人だよ!ハハッ!ヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya820


    今回の考古学・歴史ニュースは「グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文字の原型みたいなのが見つかったよ!


    でも最近の研究者って古いって言いたいだけで定義とかいい加減なやつばっかだね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


    不幸が3重に重なり、飛行機を逃した私は昼からお酒を飲みつつ仕事して心なしか荒ぶっております( -д-)ノ

    ……中庭のプール脇で仕事してるのですが、黒ビキニの綺麗なお姉さんが焼いてる姿に気付き、すさんだ心が少し癒された気がした今日この頃です( ・Д・)

    しかしがら今回は愚痴たっぷり、口悪く書きますのでご容赦ください(゚д゚)、ペッ




    タカリク・アバフ遺跡ってどこ? 何なの?

    昔、こういう感じの地図をゼミで出したら、「これじゃどこか分からん!(゚皿゚メ)」ってよく指導教員に言われたものです……

    メキシコ入ってるし分かるだろ!メキシコはUSAの南だ!!!

    私の専門マヤだし、当然中米だよ!

    他地域やったことねーだろ!

    覚えろよ!ハゲ!(指導教員はハゲていない。むしろハゲろ(#`皿´) ムキーーーー!)


    ってよく思ってましたね( -д-)ノ




    ……ブログタイトルとは異なり、実際にはけっこう専門分野を敢えて避けつつ(マヤ文明ばっかになっちゃうから)記事を書いてますけど、

    「歩け、マヤ」の熱心な読者はもうこの『ユカタン半島』の地図は見慣れたと思うので、北アメリカを含んだ地図はいちいち提示しませんよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    というわけで、タカリク・アバフ遺跡は、グアテマラ南西部、エル・アシンタルにある先コロンブス期の遺跡です(*・ω・)ノ


    arukemaya823




    最初に挙げた写真や上の2枚の写真のようにタカリク・アバフ遺跡は石碑や石彫がごろごろしている遺跡です。

    かつて一度だけ行ったことがあります。

    誰もいなくて、のんびりできます。

    つまり観光整備がテキトーなので、どうしてもマイクロバスでの移動になるので行ったり帰ったりするのが怖いですけどね( ・Д・)




    石彫は動物を象形したものが多く、どれも可愛げがあるので写真撮影にはもってこいですよ!(・∀・)つ

    この遺跡はもともとアバフ・タカリクと呼ばれていて、日本の古い文献にもそのように記載されている事例があります。

    最近と言っても15年くらいでしょうか、かなり前にタカリク・アバフになったんですよ。

    植民地期以降のマヤ語に由来した名称なのですが、名詞と修飾語の語順が正しく直された(元々はスペイン語からキチェ語への変換だった;西語では名詞+形容詞)結果です。

    この遺跡は『人頭像』で有名なメキシコ湾岸のオルメカ文明の系譜にあり、かつ後にマヤ文化へと変遷した興味深い遺跡なのです。




    発見された石碑・マヤ文字(?)に関して



    今回のこの遺跡で見つかった石碑は約2000年前の石碑です。

    古代マヤ文明で用いられた所謂「マヤ文字」の初期の文字が見つかったのです。

    見つかった「石碑87」は2018年に発見されてはいたのですが、初期の文字であるため、古典期(CE250-900)における一般的に知られているマヤ文字とは異なります。

    そのため発見後、解読が進められ、今回の発表へと至ったわけです( -д-)ノ

    ……なんかこの手の『最古』系のマヤ文字のやつ、タカリク・アバフ遺跡で聞いたことあるなと、デジャブ的に感じてたのですが、これが理由ですね!

    ちなみに石碑の推定時期はCE100年頃のものと考えられているようです。




    どうしても「古い!」と言いたい研究者できない研究者の叫び

    この石碑の解読は全部終了したわけではありません。

    しかしこの文字列の中には『支配者』の存在とその『称号』の証しが示されているそうです。

    研究者にとってお金(助成金)獲ってくることが大事なのは身に染みて分かっていますが、「古い!」って言いたいだけの人多いと感じますね。

    というか、『掘ったら何か出るのは当たり前』なのに、ひたすらただの強行なアピールを行う研究者が多いなって気がします。

    『国家』、『文明』、『支配者』、どれも危険・地雷ワードですよ!

    こんなニュースひとつで(それが事実ならば)現在の我々が有する古代マヤ文明観、ひっくり返りますよ。

    でも彼らは深くは考えない。

    それぞれの用語の定義を考えず、「ただの言葉」として使ってます。




    考古学や人類学の難しさは、専門用語と一般的な用語が概ね同じ単語であることなんですよね。

    つい先日Twitterで見かけましたが、「所謂、理系の専門用語は難しく、その内容が文字から推定できない」って。

    でも「文系の用語は超簡単」って。

    これ超有名な事例ですけど、じゃあ考古学で言う「文化」って、その文字・言葉から想像できるでしょうけど、その想像と実際の中身全然違うと思いますよ( ・Д・)

    「文化」ならまだ可愛いけど、「国家」や「文明」はめちゃくちゃ難しい(と、少なくとも私はそう思う)。

    ちゃんと定義を確認して、あるいは再定義して、私はこのように使うと明言して研究している人は世界でもあまりいないですね、少なくとも今生きている人では( -д-)ノ




    結論とおわりに

    朝起きてから16時間待ちで、ビールもしこたま入れてるのでこんな内容になりましたが、まぁたまにはいいでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    このニュースに関してはまだ国内ではあまり周知されておらず、確認できた記事も少なかったです。

    でもどれも『マヤ文明初期の文字』って書いてますね。

    マヤ文明って比較的有名ですからね。

    タカリク・アバフ遺跡の古代文字って書いても誰も分からないですからね( -д-)ノ

    その辺りは理解できるとは言え、、、




    どこからが「マヤ文字」ですか?

    どこからが「マヤ文明」ですか?

    「文明」って何ですか?

    「支配者」って具体的には何を意味しますか?

    国家形成を考える上で最重要な問題なのに、誰も何も言わない。

    皆、口を閉ざしたまま、陰で(懇親会や個々の集まりで)悪く言うだけ。

    だって言ったら、誰しも容易く「古い事例だ!」って言えなくなるし、ガチ喧嘩だからね!( -д-)ノ

    ……確信犯やん( ・Д・)

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    2020ねん 1がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

    連投で真面目な(?)考古学・歴史ブログであることを再度示そうと思うよ!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・






    今回の考古学・歴史ニュースは「大航海時代、スペイン征服期以前に白人がアメリカに到達していた!?」というお話です(*・ω・)ノ

    当サイトでは「オカルト」ちっくなものは基本的に扱いませんし、扱っても科学的・論理的に批判してしまうのですが、今回のはちょっと毛色が異なります。

    たぶん……他サイトでは見たことないテーマなので、日本語の記事としては初めてかな?

    きっと楽しんでもらえると思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    「新大陸」への白人の到達時期

    メソアメリカ(ざっくり言うとメキシコとかの所謂「中米」域)へのスペイン人の到達は15世紀半ばから始まる大航海時代によってなされます。

    ちなみに大航海時代と言えばスペインとポルトガルが有名ですが、だからこそ現在の中南米においてブラジルだけがポルトガル語、残りは全てスペイン語の文化圏となっています。

    高校の世界史Bなどでピサロによるインカの征服についてさら~っと習うと思います。

    メソアメリカでは、エルナン・コルテスにより1521年にアステカ王国が滅ぼされてしまいました。

    それに先立つ1492年にクリストファー・コロンブスが「新大陸を発見」するわけです。

    コンキスタドール(征服者)としてのコルテスの非道さは有名なのですが、コロンブスも略奪を繰り返し、男は殺し、女は強姦するというスペイン軍のやり方(遊び方;面白半分に殺し犯していたという記録があります)を最初にアメリカで実行した十分にヤバイ人物です。

    さて、ということでメソアメリカへの白人の到達は歴史上1492年ということになります。


    arukemaya673
    ↑ローマ人を模した彫刻(「ABC HISTORIA」の記事内画像より転載;スペイン語)


    アステカの「白い神」の神話

    最初に挙げた「This is Spartaaaaa!」は正直言って関係ないんですけども、まぁ顔の濃い白人のイメージとして用いました。

    上に挙げたのはローマ人を模した彫刻です。

    顔立ちとして明らかに彫りが深いですし、少なくとも、「あ~白人の顔立ち」だなって思えますよね。

    先に述べましたようにコルテスにより1521年にアステカが陥落するわけですが、簡単に陥落した理由の一つが「アステカの白い神の神話」の存在なのです。



     アステカには、かつてテスカトリポカ(ウィツィロポチトリ)神に追いやられた、白い肌をもつケツァルコアトル神が「一の葦」の年(西暦1519年にあたる)に戻ってくる、という伝説が存在した。

     帰還したケツァルコアトルが、かつてアステカに譲り渡した支配権を回復すると信じられていた。

     「一の葦」の年の10年前には、テノチティトランの上空に突然大きな彗星が現れた。また女神の神殿の一部が焼け落ちてしまった。その後も次々と不吉な出来事が起こった。アステカ人たちは漠然と将来に不安を感じていた。

     そうした折であった「一の葦」の年の2年前(1517年)から東沿岸に現れるようになったスペイン人は、帰還したケツァルコアトル一行ではないかと受け取られ、アステカのスペイン人への対応を迷わせることになった。

    (Wikipedeia より一部改変)


    この神話の概要は上の参考文の通りです。

    ちなみにケツァルコアトルは、マヤではククルカンと呼ばれる重要な神様で「羽毛の生えた蛇神」として顕現する至高神です。

    メソアメリカにはこうした白い肌を持つ「コーカソイド(白人)」を神聖視するような伝説が見られるのです。


    arukemaya700


    白い神の神話は実話を基にしているのか?

    この神話のポイントは白い肌の神が追い出されて支配権を譲渡したという点です。

    元々は白い神が支配権を有していたということになるわけです。

    そこで……『神話になるほど古い時代に、かつて本当に白人がメソアメリカに到達し、珍しいその肌の色から指導者として君臨し、後に在地の有力者によって排除された』なんてことがあったかも知れません。

    『こういった手の解釈』はオカルト、疑似科学でよくあることですが、ただの想像であって根拠はありません。

    でも今回のお話は当サイトで扱うくらいですからね、そう、根拠あるんですよ( ・Д・)



    arukemaya675
    ↑報告書にある遺物の掲載写真(Garcia-Payón 1993; Figure 1より転載)


    スペイン征服期以前のお墓からローマ人の頭が見つかった!?


    さて、上に挙げた写真は「本物の発掘調査報告書からの転載写真」になります。

    1933年にホセ・ガルシア=パヨン(José Garcia-Payón)によってメキシコの首都、メキシコシティの南西部に位置するトルーカで発掘調査が実施されました。

    ここには現在はカリストラウワカ(Calixtlahuaca)と呼ばれている遺跡があります。

    調査当時はマタジンカという名の古代都市遺跡として知られていました。

    この遺跡は後古典期(c.a. CE1000-1500)に属しており、当時のメキシコ建築様式として代表的な円形基壇を有した建造物が多数見られます。

    この遺跡でガルシア=パヨンは埋葬遺構の調査を行ったわけです。




    arukemaya702


    arukemaya703


    発掘された埋葬遺構は上に挙げた写真のような神殿ピラミッドの内部から検出されました。

    この埋葬遺構は未盗掘であり、金、ターコイズ、クリスタル、陶器などの副葬品が見られ、それらと共伴して「ローマ人の頭」が見つかったのです。

    この人頭像はテラコッタ製、つまり土製小像に分類されるものです。

    調査結果として、遺構が未盗掘であることと、共伴する土器等の遺物の分析から、埋葬遺構の帰属時期はCE1476~1510年と推定されました。

    記録上、スペイン人らコンキスタドーレスは1519年までメキシコの海岸に到達しなかったため、この遺物はスペインの征服以前の作品でなければならないことになります。





    当然と言えば当然のことですが、このガルシア=パヨンによる報告は「あり得ないこと」として無視されました。

    そして時は流れて1995年、理化学分析として熱ルミネッセンス法による試験のためにこの『ローマ人頭像』がドイツに送られました。

    この分析結果では、なんと紀元前184年から紀元前616年の生産日であり、発見された墓よりもはるかに古く、調査報告における推定よりも古い時代にアメリカに運ばれた可能性があることを証明しました。

    古典派の歴史家エルンスト・ベーリンガーは、2世紀および3世紀のローマの芸術作品に照らし合わせてこのローマ人頭像の美術様式を特定したことで、制作の日付をさらに狭めました。

    更にローマのドイツ考古学研究所のバーナード・アンドレアによって、2世紀の作品とまでにさらに狭められました。

    最終的には『ローマンヘッド』として知られるこの遺物について、「このヘッドは間違いなくローマンであり、研究室の分析によってそれが2世紀頃のローマの作品であり、髪型とひげの形がセビリア皇帝時代(CE193-235)の典型的な特徴を正確に表現している」と評価されたのです。



    上に挙げた写真は古代メキシコの美術様式と比較したものです。

    考古学調査の結果を信用するのであれば、コロンブスの新大陸発見が1492年ですので、『白い神』と思しき人物の情報がマヤ地域からメキシコまで一気に伝わって非常に写実的に土製小像が作られたとも考えられます。

    ただ当時の美術様式と比較すると写実的にも程があるというか、全くの別様式であることが分かりますので、強引過ぎる解釈でしょう。

    一方で理化学分析や美術様式との比較研究を信用すると、2世紀の古代ローマの遺物がメキシコに伝わり、その後『伝世品』として1300年もの間大事に保管された上で、16世紀初頭に副葬されたことになります。

    まさに『考古学ミステリー』ですね( ・Д・)


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    現在の解釈はこう! それでも真偽は謎のまま……


    「盗掘者がバレないように細心の注意を払って丁寧に掘って、しかも服装品を盗らずに考古学者を悩ますために遺物を追加した」とはもちろん考えられませんよね( ・Д・)

    となると「ローマンヘッド」自体は各種分析・研究結果から本物なのだと思います。

    そうすると考えられる可能性は『いたずら』です(/TДT)/

    ロミオ・H.・フリストフとサンティアゴ・ジェノベスの1999年の『ローマンヘッド』に関する出版物を出し、続いてメキシコ大学(UNAM)のポール・シュミット(Paul Schmidt)も『真実』について以下のように書いています。

    「...この人形はドン・ペペ(ホセ・ガルシア=パヨンの愛称)の調査中に埋められました。ドン・ペペはそれを非常に真剣に受け止めたので、誰も彼にそれが冗談だと​​言う強い心を持っていませんでした。そのようにジョン・パドックから言われたことを覚えています。(歩けマヤ管理人、一部修正)」

    しかし問題は調査実施から半世紀以上もの多大な時間が経っていて、発掘中に立ち会った人は誰も生きていませんでした。

    また発掘関係者であるパイオンの息子は、父から聞いた話ではパドックやモエダノ(別の証言者)は発掘現場にさえいなかったと述べています。

    さらにシュミットはこの暴露話を手紙で知ることとなったとしていますが、その手紙自体は非公開なのです。

    したがって、シュミットの結論(あるいは暴露)は最も論理的ですが、それに真実があるという証拠はどこにもないのです。


    arukemaya705
    ↑こんなのあるのね!( ・Д・)(「アマゾン」より転載;回し者ではありませぬ)



    この『考古学ミステリー』を再度考えてみよう!( ・Д・)


    もしローマンヘッドが現代における攪乱・混入ではないと仮定しましょう。

    そうなるとローマンヘッドは埋葬時とヨーロッパ人が本土に到着する前に持ち込まれなければなりません。

    先に述べたようにコンキスタドールは1519年までメキシコ本土に到達していませんでしたが、近くのカリブ海の島々は15世紀後半から植民地化されていました。

    最初期にコロンブスらがマヤ地域のホンジュラスからパナマまでの沿岸地域に到達していたためです。

    そうするとこの遺物はヨーロッパから持ち込まれ、先住民と取引された後、貿易ネットワークを介してカリストラウワカまで移動した可能性があります。

    この解釈だと、小さなローマンヘッドがどのようにして埋葬地にたどり着いたのかを説明できます。

    しかしスペインの植民地主義者や探検家が、何故2世紀の小さなローマンヘッドを持って取引するのか、何故アステカの貴族が死後の世界に同行させるためにローマンヘッドを選ぶのかが説明できません。

    後者については多少の説明ができそうです。

    先行するオルメカ文明(BCE1200~CE1)に帰属するサポテカに見られる巨石人頭像ではひげを生やした外国人風の男性像様式が使用されていました。

    トルテカ文明(CE700~1200)では彼らの文明はひげを生やした白人であるケツァルコアトルという神によって設立されたという神話があります。

    したがって、アステカの貴族が「髭を生やした異国人を神聖視する風習」の下で、ローマンヘッドを副葬する可能性はあるわけです。




    おわりに ~考古学研究とは~


    最近はあまり見かけませんが、所謂『オーパーツ』が非常にもてはやされた時期がありました。

    変わったモノが見つかるとやはり注目はされます。

    でも考古学という学問は、何か1つ変わったモノが見つかったからと言って直ちに定説が覆るような学問ではありません。

    上に挙げた写真のように、多くの人々の地道な調査・研究によって、多くの証拠が集められてようやく何かが少し言える、そんな学問なのです。

    メソアメリカにおける最初期の接触時に、ヨーロッパ勢と現地人の間で「物の交換」が行われた可能性は十分にあります。

    基本的に略奪者であるコンキスタドール達の性格からすると恐らく僅かにしかそういった行為は行われていないとは思いますが、タイムマシンがない以上、『新旧大陸の先スペイン期の接触』については今回の事例のような『奇跡的な発見』をもう少し繰り返す必要があるのです( -д-)ノ

    今回の記事で取り上げた『カリストラウワカのローマンヘッド(Calixtlahuaca Roman Head)』は現在、メキシコシティの国立人類学博物館で展示されており、ひとまずは植民地時代の作品としてアーカイブされています。

    ↓たまにはオカルト関連もあって良い(*・ω・)ノ↓

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    20XXねん 3がつ 28にち(すいよーび、晴れ)

    久々の歯医者。

    めちゃくちゃ怒られた。

    歯磨きします。酔い潰れません。


    ・・・・・・・・・・・・


    a027
    ↑お酒たくさん並んでいるよ~の図(出典不明、(m´・ω・`)m ゴメン…)


    【目次】
    1. 「お酒の考古学」について
    2. 古代マヤ人が飲んだお酒
    3. 古代メキシコ人のお酒とテキーラの歴史
    4. おわりに


    1.「お酒の考古学」について

    今回の内容はなんちゃって考古学です。巷でよくある、例の「~の考古学」です。



    考古学的な内容にはほとんど踏み込めないかなと思っています。善処致しますけども!




    さて、なにも酒に限らず「食」に関する文化って考古学的にはよく分からない世界なんです。


    というのも「調理」特に「煮炊き」は人類の偉大な発明ですし(食べれる物が増えたのです)、人工物(?;人が作った技術なので無形文化財か?)かも知れませんけど、少なくとも「遺物」じゃないんですよね。



    食べ物・飲み物は残る可能性はあるんですけど、基本的には腐敗してなくなってしまいます。


    エジプトの乾燥気候は有名でミイラとか色々残りますけど、魚の干物も残ってるそうですね。まぁ魚のミイラみたいなものですから!



    一方で日本では酸性土壌が広く分布しておりまして、まぁ動植物の依存体の残りはさほどよくないです。人骨もほとんど残らないです。


    貝塚の周辺だと、貝片由来のアルカリが作用して人骨など通常残らないものが残ったりします。



    中米の事例ではパナマは酸性土壌が深刻らしいですが、マヤ地域の多くをカバーするグアテマラ、メキシコはあたりはどうなんでしょう。


    石灰岩が母岩ですし、高温多湿で微生物の代謝速度が速いため土壌も発達しない地域なので、石灰岩の影響を受けそうですよね。




    詳しく知らない上に、調べても出てきませんでした。今度現地に行く時にリトマス試験紙でも持って行こうかな。


    マヤ文明で最も有名な都市の一つ、ティカル(グアテマラ北部にあります)では、母岩である石灰岩層まで現地表面から20~30cm程度のとこもけっこうありますし、土壌が石灰石粒をけっこう含んでるんです。


    なので予想では石灰の影響を受けてアルカリ土壌なのではないかなと思います。




    まぁ古代マヤ文明の貴族住居は石灰岩の切り石で作られていますし、立派なお墓になれなるほど、遺体は石灰岩の切り石で囲まれています。


    そのためマヤ地域では人骨が残存し易いんですね。




    そんなマヤ地域でさえ、食べ物は残りません!


    まぁ腐る、残るどうこうの前に、基本的に食べちゃうもんね!( ・Д・)



    残るとすればお墓の中に副葬された土器の中に残滓として発見されます。



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    ↑The Walters Art Museum所蔵の円筒形土器



    主に王墓ではこういった土器が10~20個とか副葬されます(時期、都市の規模、政情等々によって数量は変化します)。


    写真の土器は古典期後期(A.D.600-1000)のマヤ中部低地で典型的に見られる絵文書様式(コデックス・スタイル)の土器です。口縁部(土器の上部の口の辺り)に横走するマヤ文字帯があるのが分かると思います。



    ここには土器の所有者の名前やその役職、守護霊が書かれることがあります。



    その他にこの土器が何のためのものなのか、例えば、「これは~王の所有物で、ココアを飲むための器」なんて書かれている事例もあります。



    土器は様々な形を有していますけど、形からその機能を推定するのはなかなか難しいのです。このような文字記録、そして中に残った残滓の化学分析によって機能が推定されることがあります。




    ・・・・・・あ、ちなみにカカオの原産地はマヤ地域ですね。



    ココアを最初に飲んだのもマヤ人!



    ただハチミツとトウガラシで味付けしたもので、現代のように甘い飲み物ではなかったようです。王族・貴族が飲む貴重な飲み物だったようですね。


    (加筆・修正;上の「甘い飲み物ではなかった」ってのは、私たちが想像するようなココアとは全く異なるものだよって意味で、蜂蜜も唐辛子も風味程度のちょい苦い水って感じだったみたいです。どの材料も貴重品なんでバカスカ入れられなかったと思われます。)



    つまるところ、食べ物・飲み物はもちろん、お酒に関しても考古学情報は少なく限りがあるのです!ということを確認したところで、マヤ地域、メソアメリカ地域におけるお酒について見ていきましょう。




    2.古代マヤ人が飲んだお酒

    古代マヤ人が飲んだお酒は記録によれば「バルチェ酒」です。バルチェと呼ばれる樹皮を使ってハチミツと水の混合液を発酵させたお酒です。蒸留の技術はなかったのでアルコール度の低い飲み物だったようです。


    現代マヤ人にも作られていまして、マメ科植物の樹皮を利用して発酵させているそうです。また類似のお酒にシュタベントゥンという飲み物がありまして、これはハチミツではなく、朝顔の種の蜜を使って作っているそうです。確かこのシュタベントゥン、メキシコで普通にお土産として売っていたような…気のせいかな。



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    ↑お土産で見たシュタベントゥン(お酒の販売ページから画像借用したためGoogle AdSense規約に反しないようリンクを貼りません;必要な方は「Xtabentun」で検索下さい( -д-)ノ)



    これだ!朝顔の種の蜜の他に、アニスを使っているそうです。アニスって香草の一種で、エジプトやギリシアなどで使われた最古のスパイスの一つです。


    私はこのアニスの独特の味や香りがダメで、シュタベントゥンも全然飲めなかった記憶がございます。よかったらお試し下さい。


    回し者ではないので、画像クリックしても通販サイトに飛びませんのであしからず。



    さて、古代マヤのお酒の話はほとんど出てきませんでしたが、古代マヤのエリート層の人々は一種の「ハチミツ酒」なんてお洒落なものを飲用していたんですね。




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    ↑浣腸してアルコールを摂取する土製人形(出典不明(m´・ω・`)m ゴメン…)



    ちょっとショッキングかも知れませんが、このような土偶が出土しております。



    古代マヤの貴族らは自分の舌や性器を傷つけたり、トゲトゲの植物を通したりして放血儀礼を行っていたので決して楽な身分ではなかったようです(現代国家の支配階級とも言える政治家たちも自らを犠牲にする勢いで国を良くして欲しいものです)。




    上の画像では植物性か土製容器で、下の画像では海産の大型巻貝の貝殻を加工した容器を用いて浣腸をしています。


    直腸からアルコールを摂取するとあっという間に酩酊しますので、古代マヤの神官やシャーマンたちは、貴重なアルコールを少量浣腸して使うことで神との交信といった儀礼行為に及んでいた模様です。


    みなさんは危険なのでやめましょうね。ふつーに冷えたビールを飲むだけで幸せになれますから( -д-)ノ



    ・・・・・・ラテンだけかも知れませんが、ちなみにスペイン語の表現で「死ぬまで飲む」は「アスタ ベル マリア」=「マリア様が見えるまで飲む」です。今でもお酒で神との交信はできるようですが、お酒はほどほどに!( ・Д・)




    3.古代メキシコ人のお酒とテキーラの歴史

    古代メキシコのお酒と言えば、「プルケ酒」です!


    リュウゼツラン(スペイン語でマゲイ)の樹液を発酵させて造る白色のお酒です。見た目は甘酒みたいな感じですね。アルコール度数も4%程度と軽いお酒です。




    一般にはスペイン期の記録に残っているのでアステカ時代(14~16世紀初頭)のお酒と説明されています。


    原料となるリュウゼツランはその繊維から縄、棘から針、葉の薄膜は料理用の紙として生活の様々な場面で利用され、古くから栽培されていたと考えられています。


    西暦200年頃には栽培が始まっていたと考えられており、テオティワカンの南東部に位置するチョルーラではプルケ酒を飲んでいたと解釈されている壁画が見つかっています。




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    ↑チョルーラで発見された壁画(「Ancient Origins」の記事内画像より転載;英文)



    チョルーラはテオティワカンやマヤ諸都市と同時期の都市遺跡で、タルー・タブレロ様式建造物といったテオティワカンに類似する美術・建築様式を有しています。


    恐らくリュウゼツランの栽培が開始される西暦200年頃からプルケ酒も作られ始めたんでしょうね。




    さて、メキシコのお酒と言えば「テキーラ」!



    こちらは1600年に最初の工場ができたのだとか。1521年にアステカの首都、テノチティトランがエルナン・コルテスにより陥落したと考えると結構古い歴史を有しています。世界的に有名になるのは19世紀末以降で、それまでは国内消費されていました。



    こちらのテキーラもリュウゼツランから作られています。メキシコのイメージのせいか、テキーラはサボテンから作られるお酒と言われることもありますが、リュウゼツランはサボテンじゃないです。


    ユリ科の植物で見た目はアロエっぽいです。棘はありますけど、棘あったらサボテンなわけじゃないので(その理屈だとバラもサボテンになります)。



    シャンパンがフランスのシャンパーニュ地方で作られたものだけを指し、その他はスパークリングワインになってしまうように、テキーラも基本的にテキーラ村で作られたものを指します。


    正式名称はサンティアゴ・デ・テキーラです。現在はテキーラ町です。



    実際には町のあるハリスコ州とグアナファト等の周辺域で生育したテキーラ専用のリュウゼツラン(アガベ・テキラナ・ウェベル・バリエダ・アスル)を総原料の51%以上使ったものであればテキーラと名を打つことができます。


    最低2回の蒸留を行うなど細かい規定はありますけどね。



    ということで、日本でもお馴染みとなったテキーラは、古代マヤ文明のお酒バルチェ酒と同じくらい古い歴史をもつ古代メキシコのプルケ酒を源流にしているお酒なのです。



    4.おわりに

    お酒のウンチクが必要な場面は限られているかも知れませんが、考古学や古代史の方に重点を置いて話せばそこまで嫌がられることもないでしょう!


    世の中、どんなことどんな物にも歴史があるものです。普段何気なく口にしているお気に入りの飲食物の歴史について調べてみるのも面白いかも知れません。


    最近の各会社のサイトでは商品開発等について様々な企業努力をしていることが手軽に窺ますし、身近な日本酒の蔵やビール工場などに見学に行くのも良いかも知れませんね。


    是非、身の回りにある「歴史」に触れてみてください。


    ↓それ、ぽちっとな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓


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