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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:メソポタミア文明

2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

11月ラスト!今日は死ぬ気で頑張る(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは世界最古の地図はカルデア王国の地図!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイラク、バビロニアです!

メソポタミア文明で有名なティグリス川とユーフラテス川の両河川の下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。

中米でいうと、「メソアメリカ」みたいな感じ、文化史的領域なのでしょうね、きっと( -д-)ノ

さて、このバビロニアという領域は古代においては南部のシュメール地方と北部のアッカド地方に大別され、「シュメールとアッカドの地」という表現で呼ばれていたそうです。

バビロニアでは、BCE3000年にはシュメール人やアッカド人たちはバビロニア南部でウルやウルク、ニップル、ラガシュなどに代表される多数の都市国家を構築しました。


BCE2000年までにはアッカド帝国が広がり、ウル第三王朝が続きました。


BCE2000年期に入ると有名な古代都市バビロンを中心にバビロン第1王朝が興り、「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典で有名なハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)によってメソポタミア地域がほぼ統一されました。

この辺りまでは世界史で出てきますね(*・ω・)ノ


↓以前の「地図」に関する記事(*^・ェ・)ノ




上に挙げた過去記事ではコロンブスが「アメリカに到達」した後の最初の地球儀や、世界最古の地図のお話でした。

特に後者の「最古の地図」は集落内の地図でした。

今回紹介するのは「世界地図」です!

そしてその「世界最古の地図」はバビロニアでBCE6世紀に建国された新バビロニア王国、つまりカルデア王国で作られたものなのです。

文章と写真の配置関係の問題で、該当する遺物の写真は下部に挙げています、ご了承ください( -д-)ノ

さて、下の写真がバビロニアの世界地図、あるいはイマゴ・ムンディと呼ばれる遺物です。

メソポタミア諸文明でよく見られる粘土板です。

この粘土板は、古代都市バビロンの北方60kmに位置するユーフラテス川の東岸にあるバグダード・ビライェットのシッパルで発見されました。

粘土板の下部には世界地図が描写されており、地名などが添えられています。

粘土板の上部は一部欠損していますが説明文が刻まれています。

この説明文は1889年に初めて翻訳され、現在このイマゴ・ムンディは大英博物館に所蔵されています(*・ω・)ノ



さて、内容を詳しく見ていくと、、、

描かれた世界地図は円形で、外側に二つの円が描かれています。

この外側の二つの円はその間にある水を表しており、イドマラトゥム「苦い川」と「塩の海」と記されています

塩の海は、普通の海や『死海』のことなのでしょうね(*^・ェ・)ノ

この苦い川や塩の海で構成される大きな水の境界の外(二重の円の外)には、三角形で示される8つの地域があることになっています。

8つの地域の内、5つの地域の部分が残存していて、「ナグ;nag」と書かれています。

恐らく固有名詞ではなく、「外部の領域」の意味なのでしょう。

三角形で示されているのは「山」をイメージしているようです。




地図の中心はユーフラテス川で、北(上)から南(下)に流れています。

現在では地図の上が北を示すのは常識ですが、歴史的にみると時代や地域によってどの方位を上にするかは様々でした( -д-)ノ

世界地図の中央部、二重の円の内側には7つの小さな円があってそれぞれが都市を示しているようです。

地図中央の北側にあるのがバビロン、底部の平行線は南部の沼地(カルデア?)を表しているように見え、北から北東に向かってくる曲線はザグロス山脈を表していると考えられています。


【上の図の番号とその意味】
1. 山 ⇒ザクロス山脈?
2. 都市(アッカド語:uru) ⇒ウルのこと?
3. ウラルトゥ
4. アッシリア
5.?(アッカド語:der)
6. ?
7. 沼地 (アッカド語: ap-pa-ru) ⇒カルデアのこと?
8. スーサ(エラムの首都)(アッカド語:šuša)
9. カナル /「流出」の意味(アッカド語:ビットク)
10. ビット・ヤキン
11. 都市(アッカド語:uru)⇒これもウル……都市ってだけなのでしょう( -д-)ノ
12. ハブバン
13. バビロン(アッカド語: tin.tirki)、横長の長方形エリアでユーフラテスで分断されている。
14 – 17. 海(塩水、アッカド語:idmar-ra-tum; イドマール・ラ・タム)
18~22.外側の「地域」(アッカド語: nag)
23 – 25. 記述なし

描かれている都市の配置として、南にはエラムの首都スサが、北東にはウラルトゥが、北西にはカッサイ人の首都ハブバンが表示されていますが、位置関係を間違えているようです( -д-)ノ

まぁ古代において旅は危険なものですからね。

世界地図を描くためには並々ならぬ努力が必要だったでしょう。

所々にミスはあれど、これがカルデア王国時代の世界観なのですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

今回紹介した世界最古の世界地図はカルデア王国で作られたものでした。

カルデアと聞くと個人的には『Fate/Grand Order』しか出てこないのですが、、、

ゲームも人類の歴史や偉人の個人史に興味をもってもらう良い機会かな~って思ってますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

私は娯楽映画としての『インディジョーンズ』とか『ナショナルトレジャー』とか、ゲーム・映画の『トゥームレイダー』や『アンチャーテッドシリーズ』とか批判しないタイプなので!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

むしろ大好きヾ(´ω`=´ω`)ノ

批判しないよ、だって娯楽だもの!

リアルな考古学じゃドキュメンタリーになっちゃうし、地道なものだからそこまでウケ良くないでしょ!( ・Д・)

しかしながら私が学生の頃は、先生や先輩方には『親の仇』かってほど嫌悪してる方々がけっこういたのが事実です。

なので一般のフツーの考古学者とお話する際には気をつけてください( -д-)ノ

きっと今の若手研究者なら、そういった所謂「大衆文化」などが入り口だったとしてもそこまで嫌がらないはずです(*^・ェ・)ノ

今でも「考古学少年」以外受け入れない人もいるけどね!( ・Д・)



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2020ねん 2がつ 17にち(げつよーび、晴れ)

YouTubeも少しずつ成長してるから楽しいけど、1000人は遠過ぎる……

てかこっちの回線速度、遅過ぎる。

もうすでに素敵なビデオカメラと編集ソフト欲しい( ・Д・)


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arukemaya727


今回の考古学・歴史ニュースは「アッシリアの神々と王の行進を描いた彫刻が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

アッシリアと言えば、メソポタミア文明の内のひとつですね。

今回発見されたのはおよそ2700年前、つまり紀元前700年前の石彫です。

この時期は新アッシリア時代に相当します。

どうやら古代水道で見つかったこの石彫の推定時期は新アッシリア時代の中でもアッシリア帝国時代のものだそうです(*・ω・)ノ

アッシリア帝国は『歴史上最初の真の帝国』であったとされ、また『アッシリアの民は鉄器で武装した最初の軍隊を有し、高度な戦略を用いた最初の民族』であったとされています。

帝国を築くくらい軍隊も強かったわけですが、古アッシリア時代・中アッシリア時代に続き、圧政もひどかったため滅亡してしまいます。

王様はきっと歴史を学ぶべきでしたね( -д-)ノ

アッシリアの王は主神であるアッシュル神で、人間の君主はアッシュルの副王を名乗りました。

つまり「神権政治」ですね。

国の政(まつりごと)は直接的に神の指示なわけですから、権力が膨れ上がって圧政に至るのも想像に難くない気がしますヽ(TдT)ノ






石彫が見つかった場所は中東イラク北部、アッシリア帝国時代の水路網の壁面です。

王宮以外で見事なレリーフが見つかることはほとんどないため貴重な発見と言えます。

またレリーフに神々と共に描かれた王はサルゴン2世(紀元前722年 - 紀元前705年)であり、もっぱら戦争をしていて武勇で有名な彼が、公共事業にも貢献していたことを示す貴重な発見でもあります。

この水路は丘陵地を巡るように造られており、大麦、小麦などの作物を育てる大規模な灌漑に使われたと考えられています。

この大規模灌漑が機能していたからこそ、当時、世界最大級の都市であったニネベの10万人以上とも言われる住民に十分な食糧を供給できていたと推測されます。

サルゴン2世は即位後すぐに帝国南部のバビロニアに離反され、戦争が続く中で死亡してしまいますが、圧政の多いアッシリア帝国時代の王の中では民の事も考えた優れた王だったのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

 
arukemaya726


さて、このレリーフには、竜と角のあるライオンに乗った最高神アッシュールや、その配偶神でライオンが支える玉座に座ったムリッスといったアッシリアの神々の行進をサルゴン2世が見守る様子が描かれているそうです。

他にも愛と戦争の女神イシュタル、太陽神シャマシュ、知恵の神ナブなどが並んで行進している様子が描かれています。

こういった芸術作品が民衆のための水路にまで張りめぐらされていたことが分かったわけで、当時の帝国の力の強さを知る上でも本当に大きな発見と言えるでしょう。

またこの長大な古代水路にはそれを埋めている堆積物が多量にあるため、それを除去することで新たなレリーフが発見されることが十分に期待されます!

続報が楽しみですね!(*・ω・)ノ

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2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

ダイエットを本格的に開始した。

ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

お酒もやめた。

オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

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遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


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↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


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↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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