2018ねん 6がつ 24にち(にちよーび、くもり)

寝れるということは幸せである。

質の高い睡眠だなんて贅沢は言わない。

私は少しでも多く眠りたい!( ・Д・)

身近で見つけた幸せの白いおふとぅん(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回はイースター島のモアイのお話です。モアイってなんだか可愛いんですよね、私は好きです、モアイ!カワ(・∀・)イイ!!

さて、イースター島は南米のチリに属する島で、太平洋に所在します(下の地図を参照)。島の面積は 163.6km2で、日本の主要四島の中で最も小さい四国のざっと100分の1の大きさです(四国は18,800km2)。

人口は6600人、言語はスペイン語、ラパ・ヌイ語です。モアイを立てていた頃にはロンゴロンゴという絵文字を使用しており、フランスによる奴隷貿易によってタヒチ語の影響を強く受けた現在のラパ・ヌイ語から当時のロンゴロンゴの解読は困難とされています。
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↑日本に売却の打診もあったとか。しかしアメリカ、イギリスにも打診したと知り、政府は静観したのだと。日本の体質も変わらんね~、買っておけば今頃……( ・Д・)(Wikiより転載)


イースター島に最初に人が到達したのは西暦1200年頃と考えられています。この最初の移民は、遥か昔に中国大陸からの漢民族の祖先集団の南下に伴って台湾から玉突き的に押し出された人びとの一派、いわゆるポリネシア人と考えられています。

西暦7~8世紀頃に、アフ(プラットホーム状に作られた石の祭壇)作りが始まり、10世紀までにモアイの製作が開始されたそうです。このモアイ作りの伝統は17世紀まで続き、18世紀以降は破壊されていったそうです。

一言にモアイといっても種類があります。大きく4期に分けられ、時期ごとに造られるモアイが変化していったのです。

第1期:人の姿に近いもので下半身も作られている。
第2期:下半身がなく、細長い手をお腹の辺りで組んでいる。
第3期:頭上に赤色凝灰石で作られた、プカオ(ラパヌイ語で髭あるいは髪飾り)と呼ばれる飾りものが乗せてある。
第4期:全体的に長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口といったいわゆる一般的にモアイといって想像する形態である。

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↑モアイの形態の変遷(「歩け、マヤ」管理人(TheDANGOsan)作成;遊び心含む( ・Д・))

今回のお話はこの第3期のモアイが対象となります(上図の「第3形態」)。頭に帽子状の構造物を被っているモアイですね。先に述べましたようにプカオと呼ばれるもので、「髪や髪飾り」を意味するそうです。

今回の新説は、このプカオをどうやってモアイの上に載せたのか?です。モアイと一緒に切り出されて成形した後にプカオだけ着色しているわけではありません。

モアイの本体は凝灰岩が石材であり、プカオは赤色凝灰岩が石材です。別々に作って、モアイ本体にプカオを載せているのです。なので倒れたモアイ(第3形態)の傍にプカオも別に転がっている風景が見られます。

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↑モアイに帽子を被せる方法(Hixon et al. 2018より転載)

これまでの研究では、プカオは像がまっすぐに引き起こされる前に頭上に接着していたとする説が有力でした。しかし上の写真のようなプカオの底面から接着や擦り傷の痕跡が見つからなかったのです。

今回の成果を発表したシーン・ヒクソン(ペンシルヴァニア州立大学)は、当時の人々が植物の繊維からできたロープと長い傾斜路、そして掛け縄という手法を使っただろうと説明しています。

モアイが立つ土台で見つかった赤い岩滓の破片から、人々は傾斜路の上へとプカオを運んだ後に、最終的な手直しを施し、適切な位置に置いたと推測しています。

ヒクソンらが分析した50個のプカオはいずれも底面に擦り傷は確認できなかったため、引きずったわけではないと考えられます。つまり上図のようにプカオは石像の頭上へと傾けられていたのです。

プカオ設置後にモアイをまず垂直に立てて安定させ、その後に傾斜路は分解されたのだろうと推測されています。これが新説によるモアイの作り方なのです。

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おわりとしまして、モアイは石材の切り出し山から、安置場所まで自分で歩いて行ったという伝説があって、それを根拠にモアイの移動方法を考えたのが上の写真になります。

このような「モアイのお散歩」はみんなでワイワイと実験できて楽しそうですよね。今回の帽子の載せ方の研究は、最先端の3Dモデリング、遺物の分析、そして物理学から描写されたモデルとを組み合わせて行っているそうですが、これもぜひ実際にやってみてもらいたいものです。

この実験に携わる人々はきっと学生だけではないでしょう。昔はこういう研究ってどれだけの意味があるのかなと思っていた時期もありましたが、今は研究自体がある種のイベント的に多くの人々の関心を集め、また観光等の文化遺産活用にダイレクトに結び付くあたりが面白いなぁと思うようになりました( -д-)ノ

……ところで、エジプトのピラミッド建造にも傾斜路が作られていた説がありましたが(今はもっと効率的な方法が提案されていたはず、くるくる螺旋状に回って登っていくやつ!)、エジプトは砂でいっぱいじゃないですか?

でも転がったプカオの写真とか見てみると、乾燥土壌だなぁって思います。土集めるの大変そう。あの傾斜路ってけっこうでかいし、作るの大変そう。

モアイ設置予定の近くの土を採掘して、利用後に埋め戻してるんですかね?それならそういう人為的な掘削痕見つけれるのかな~て思ったり。

エジプトの砂はさらさら過ぎて無理だろうけど、上のモアイのお散歩写真に見られるくらいの土壌なら掘削・埋め戻し痕が残る可能性もあるのでしょうかね?

……死ぬまでに一度行ってみたいな、イースター島!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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