首と腰治ってきた!ヾ(´ω`=´ω`)ノ
↑マゾフシェ県の位置(「Wikipedeia」の画像より転載;credit: TUBS - このベクター画像には、次のファイルから取得または適用された要素が含まれています:, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17535432による)
やぱ新発見ってなんだかいいね!( ・Д・)
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
やぱ新発見ってなんだかいいね!( ・Д・)
さて、今回紹介するケルクアンは、前回の記事と同様にチュニジアのボン岬の近くにあったカルタゴの都市です。
ケルクアンは紀元前4世紀から紀元前3世紀の間に居住されていた都市で、第一次ポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前241年)の間にローマ軍に攻撃され放棄されたと考えられています。
この戦争時に都市の一部分が破壊されるにとどまったことで、ケルクアンは古代フェニキアの当時の街並みを知る上で最良の遺跡となりました。
↑壁材がしっかりと残る街並みが広がっている(「いなももの日記*ももログ」の記事内画像より転載)
↑モザイクの床面(「前向きに楽しく生きる為にする事」の記事内画像より転載)
↑タニト神(地母神、豊穣神、軍神)のマーク(「旅倶楽部「こま通信」日記」の記事内画像より転載)
最初に挙げた写真は神殿で、柱列がしっかりと残っています。
上に挙げた写真の1枚目では住居の壁が残っており、建造物の見取り図や街並みがしっかりと分かる状況にあります。
2、3枚目の写真に見られるように、細かなモザイクが施された床面も残っています。
住居以外には先に述べた神殿の他、公衆浴場があり、陶工、石工、ガラス職人、金細工師などの様々な工房が確認されています。
前回も紹介したようにフェニキア人の最重要の特産品と言えば巻貝から作る赤紫の染料、いわゆる「貝紫」を用いた製品です。
貝紫は王者の紫、ロイヤルパープル、フェニキアのティルスで多く生産されたことからティリアンパープル、フェニキアの紫、古代紫と様々な呼称があります。
上に挙げた写真のアッキガイ科の巻貝シリアツブリの内臓(分泌腺)から取る分泌液を化学変化させてつくる特殊な染料のため1つの貝からほんのわずかしか採取できません。
染料1gを得るのに100kg、おおよそ1000~2000個の貝が必要とされています。
そのためこの染料で染めた布は古代地中海世界で大変珍重され、富と権力の象徴にもなっていました。
貝紫で染められた物には「力が宿る」と信じられており、多くの権力者たちが禁色として、一般の人々の使用を禁じました。
特にローマ帝国では皇帝だけがこの色をまとうことを許されたことから、「紫衣(しえ)」という言葉はのちに皇帝位や王権の代名詞となりました。
さて上の写真の円形のくぼみは、染料を取りだす過程で貝を腐らせるために入れておいた穴と推測されています。
土器工人の工房や窯も発見されていますが、それとは異なるのです。
貝の内臓を溜めて腐らせておくということはつまり、ケルクアンは高価な特産品の代償として常に悪臭に悩まされていたと考えられます。
何故、そう言えるかというと、ケルクアンの住居の多くが浴室を備えていることから推測されています。
当時はローマでも公衆浴場が一般的であり(映画「テルマエ・ロマエ」のイメージ)、個人の家にお風呂があるなんてのは王族クラスや有力貴族くらいでした。
ケルクアンも同様に公衆浴場があるのですが、多くの住居はお風呂を備えていたのです。
超高級な貝紫で栄えていたので、みんなお金持ちだから個人宅にお風呂を備えていたとも考えられますが、、、
恐らくは体についた染料や髪についた臭いを、自宅のお風呂でしっかりと洗い落としていたのではないかと考えられています( -д-)ノ
↑個人住宅内の浴槽(「旅倶楽部「こま通信」日記」の記事内画像より転載)
英語の表現で、"born in the purple"(または "born to the purple")は「王家に生まれた」という意味を指します。
それほどまでにロイヤルパープルは王権の象徴だったわけです。
しかし乱獲のためか原料の貝が減少したことにより、後には王家の色といえばロイヤルブルーと呼ばれる濃い青に変わっています( -д-)ノ
さて、そんなとっても貴重なロイヤルパープルですが、CE1世紀頃の記録によると、ローマ人はロイヤルパープルで二度染めした羊毛およそ1ポンド(約450g)に対して、1,000デナリウスを支払っていたようです。
現代の価格と当時の価格を比較することは困難ですが、おおよそでいくと、CE1世紀に1デナリウスで購入できるパンの量で換算した場合、21USドル(約2200円)に相当します。
この「パンの量換算」で計算すると、ロイヤルパープル2度染め羊毛(450g)は220万円になりますね( ・Д・)
また、歴史記録によると、共和政ローマ後期とローマ帝国初期の単純労働者や兵卒の日給が税抜きで1デナリウスだったそうです。
アメリカ合衆国での最低賃金は8時間労働で税込み58USドル(約6000円)だそうで、この「日給換算」で計算すると、ロイヤルパープル2度染め羊毛(450g)は600万円になりますね( ・Д・)
ちなみに羊1頭からは3~4kg程の羊毛が取れるそうで、ちょうど羊毛掛け布団は1頭分の3.5kg前後あるそうです。
とある羊毛掛布団ブランドの詰め物重量を見てみると、シングルサイズに比べてキングサイズは0.8kg重いと表記されていました。
やはり王家としてはキングサイズ一択でしょう!( ・Д・)
ということで、高い方の「日給換算」で、何故かふと、とっても高貴なロイヤルパープル羊毛キングサイズ掛け布団を作ってみたらとしたら、そのお値段は・・・
およそ5730万円!!!( ・Д・)
この発見はベルゲン大学博物館の考古学者モーテン・ラムスタッド博士らによってノルウェー西部のイトレフォッセ村近くの墓地遺跡で行われた調査でなされました。
「Ludus latrunculorum」は上に挙げたようなチェスやチェッカー(ドラフツ)と似た盤と駒を使ったボードゲームだと考えられています。
チェスは、インドのチャトランガを発祥としているのは有名ですね。
前にも触れたでしょうか……
世界史でも有名な東インド会社の植民地期にチャトランガがイギリスに持ち込まれ、「女王陛下」が強くあらねばならぬイギリス社会の影響で、本来最弱の駒であった「宰相」が最強の「クイーン」になったという歴史があります。
私もチェスやりますけど、クイーンの動きは将棋の飛車+角行です。
どこまでも全方向に飛んでけます(ば、化け物かっ!( ・Д・))。
まぁチャトランガ、チェス、将棋のような戦略ゲームは世界中に類似ゲームがあります。
歴史書に残らないレベルの古代ではその発生については不明ですが、交易等を通じて伝播したのかも知れません。
あるいは古代社会において「ゲームは貴族の遊び」です。
こうした世界各地に見られるボードゲームの基本が「戦略ゲーム」だというのも、いざとなれば戦わねばならぬ貴族の軍事教育目的に由来して、後世に影響し合ったとは言え、本来的には各地でその必要性から自然発生したのやも知れません。
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このベネチアにある潟(ひがた;ラグーナ)に浮かぶサン・ラザロ島にある修道院で、中世の遺物として展示されていた金属の刀剣がありました。
修道院の記録文書によると、この刀剣は1886年の8~9月にトルコのトラブゾンにある同じ宗派の聖職者組織から贈り物として届けられたものだそうです。
で、問題の刀剣がこれです(*・ω・)ノ
↑実際に「中世」と記されていた刀剣(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載)
長さ約43cmの金属製の刀剣です。
この「中世」との表記があった刀剣の展示を見た博士課程の学生がその年代に疑問を持ったそうです。
とういうのもこの学生は青銅器時代が専門で、自分の調査研究で知っていた刀剣と形態が類似していることから、もっと古いものだと確信したそうです。
青銅器時代であれば5000年前に遡る可能性があります。
そこで、学生の所属するベネチア大学とパドバ大学が共同で刀剣の金属の化学組成を分析した結果、ヒ素を含む銅の合金で作られていることが分かりました。
申し訳ないことにここから先の記事の意味が理解できなかった(これまでの文章との前後関係が理解できなかった)ので、引用しておきます。
この合金は主に紀元前4世紀の終わりから同3世紀初めにかけて使われていたもので、青銅の使用が定着する前の年代であることを意味する。
同じ化学組成を持つ刀剣2本がトルコで見つかっているが、これらは形状も非常に似通ったものとなっている。
当時はコーカサス地方やアナトリア地方、エーゲ海諸島及びギリシャ本土で新たな貴族階級が勃興していた。考古学者らはこうした刀剣について、武器であると同時に権威の象徴としての役割も果たしていたとみている。
(CNN.co.jpより)
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どういうことなのか、さらっと読んだだけでは理解できないのです( -д-)ノ
(勉強不足で申し訳ない)
私なりの考えを以下に書いておきます。
まず上に挙げた刀剣をよく見て欲しいのですが、「緑青」が見えますよね。
「緑青」は銅が酸化した際の錆で、緑色になるのはご存じの方も多いかと思います。
だから青銅製の剣だなんてパッと見で分かるやん!って思います。
そしてヨーロッパにおける青銅器時代はBCE3000年に始まります。
ヒッタイトの滅亡により鉄器の知識が広がるのがBCE1200年頃です。
ということは、参考記事の「5000年前に遡る可能性がある!」なんて記述は、青銅器時代の始まりを指しているだけなんですよね( -д-)ノ
実際の分析結果では、刀剣の素材は銅とヒ素の合金でした。
こういった合金が使用されたのがBCE300-200頃だと書いてます。
なら古く見積もっても2500年前じゃない?
二倍も違うよ?( ・Д・)
また「青銅の使用が定着する前」ってのも全く理解できないですね( -д-)ノ
綺麗な考古学者もいるのですね。
ちなみに「美人・考古学者」で検索すると日本語、英語、スペイン語ではほぼヒットせず、アニメや映画のデータが見つかります。