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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:レアな発見

2023ねん12がつ 16にち(きんよーび、秋?晴れ)

さっき早速図書館で「米の価格の変遷」を調べてきたよヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはやっぱポンペイはすごいぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



↓ポンペイ関連の記事はたくさんあるね

↑「日本のポンペイ」とかもあるから『ポンペイ』で記事を検索してみてね



さて、まずは基本情報を記しておきますね。



場所はイタリア、南部のポンペイ遺跡です。

有名だけれど、場所はいまいちわかりませんよね。

これまでも有名だからってことで紹介してなかった気がするので今回は場所を下に示します。



長靴形状で知られているイタリアですが、ポンペイは首都ローマの南東部に位置し、”部位”的には足首らへんにあります。





さて、ポンペイは西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって滅んでしまった都市です。

ローマ帝国の植民地で、商業が盛んな都市でした。



火山噴火により大量の灰で覆われてしまった地域って長い人類史の中ではけっこうたくさんあるものなのですが、、、

ポンペイのすごいところはこの年が滅亡してしまった点にあります。



つまるところ、放棄されてしまったのです。

多くの場合、人間って強いもので、あっという間に元の土地に戻ってきて、灰をどかしたりしてまた住み始めるものなのです。

そうした後の人類活動による再居住過程で遺跡として保存されることがあまりないのです。

でもポンペイは再居住されなかったのでとても残りの良い広大な遺跡が誕生することに繋がったということです。








さて、今回のニュースは当時のパン工房を検出するに至ったってことです。

最初に挙げた写真が調査範囲を上空から撮影したものですね。

本当に美しい!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

最近は安価なドローンも出てきているので、こうして真上から撮影できるのは非常に心強いものです。



上に挙げた写真はまさにパンを焼くところのものです。

パンを焼くためには小麦を挽く必要があるわけですが、今回見つかったのはその場所です。


密室になっていて窓はあるけれど高所にあるため外は見えないようになっていて、ドアもないそうです。

そんなところに3人の奴隷とロバを閉じ込めて強制的に小麦を挽く作業に従事させていたようです。

そういう状況を考えると上部の窓は最低限の食料を投入する場所なんでしょうね(*^・ェ・)ノ






おわりに

なんかとんでもないもの見つけましたね~って感じです(*・ω・)ノ


他サイトさんの記事だと「監獄」って書いてますけど、そんな生易しいレベルではない気がします。

私が付けるなら「地獄のパン工房」ですかね( ・Д・)



いやーほんとポンペイは古い割に残りが良過ぎてびっくりしますね。

その残りの良さ故に、私の今の理論研究の応用先候補No.1なので、もしかしたら今後めちゃくちゃ詳しく説明できる日がくるやも知れません!(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱ建造物が残ってるって大事だな!( ・Д・)



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2023ねん11がつ 10にち(きんよーび、台風!)

仕事はバリバリ進んでいる気がする……たぶん

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↑現在のアマゾンの人々(「COURRIER Japan」の記事内画像より転載; Credit: Scott Wallace/Getty Images)



今回の考古学・歴史ニュースはもしかしてアマゾン文明!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、ここ数年のところ特に『異常気象』なんて言葉をニュースでよく目にするようになったかと思います。

やけに暑かったり、寒かったり、洪水起きたり、ハリケーンとか台風の被害甚大とか山火事凄いとか氷山溶けまくりとか・・・

『観測史上最大/最強』とかよく見るな~って気がしています。



観測史上って日本だと1876年かららしいですが、まぁ過去150年の中でってことですよね。

それでも世界各地で異常気象と言えるほどの甚大な被害をもたらしています。

やはり人類活動のせいなのか、ほんと地球はどうかしている状況なのかも知れませんね( -д-)ノ




今回の話は「干ばつ」ですが、どんな状況かというと・・・






激しいね!Σ(・ω・ノ)ノ

これは激しい!



アマゾン川ってめちゃ大河なイメージですが、記録的干ばつによってこんな状況になっているそうです。

船での航行が不可能になってなかなか物資も届けられないようですね。

こんなになってしまうと魚とか水棲生物がたくさん死滅してしまい、現地の方々にとっては食料不足に陥りますし、大量に死んだ魚によって河川が汚染されてしまうので、飲料水や生活水も不足してしまうんですよね( -д-)ノ



チグリス・ユーフラテス川とかメソポタミア関係や、古代ローマ関係でも河川が干上がって遺跡が見つかったりしていましたが、今回はこんな状況のアマゾン川の川底から石彫が見つかったということです。






arukemaya045




場所はブラジル北西部のマナウスの近くです。

マナウスはアマゾナス州の州都で、その名の通り、巨大なアマゾン川のほとりに位置する大きな都市です。

このマナウスの南東部端でネグロ川とソリモエンス川/アマゾナス川が合流するのですが、ここにポント・ダス・ラジェスという遺跡があります。



この遺跡では2010年の干ばつ時に周辺の河川の水位が13m下がった結果、複数の石彫が見つかっていました。

2023年の干ばつでは14mも下がったため、新たに複数の石彫が見つかったということです。




考古学では石材にもよるけれど、石の年代を推定することはけっこう難しいものです。

この遺跡では道具の製作場所として関連遺物が見つかっていることから、先コロンブス期の遺構だと推定されています。



周辺の遺跡での調査成果から、この辺りでは1000 BCE-1000CEにかなり大きな規模のコミュニティがあったことが分かっています。

なので石彫の年代推定はおおよそその中間である、今から約2000年前としておくのが安牌かなって気がしますね( -д-)ノ


(考古学者のスケール感だとこれくらいアバウトでもよいのす。地質屋さんとかもっとすごいよ( ・Д・))







話は変わりますが、見つかるはいいけれど記録・保存を考えないとですよね。

ずっと沈んだままならまだ良いけれど、水位の変化が激しいのならば上に挙げた写真のように水による浸食を受けてしまいますからね。

なんとかして欲しいなと思います( -д-)ノ



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↑この大きな平らな石だけ選ばれたようだね(「MSN」の動画内より転載)


おわりに アマゾン文明!?な話



ところでところで、更に話を変えると、、、

『古代アマゾン文明』って知ってます?



中米と南米ってまぁ「新大陸」研究者から見たら一緒に見えるかもしれないけれど、確かに共通点は多いんだけれど、やぱかなり違うんですよ。

なので専門外なので全然知らないんですけれど、、、

アメリカ大陸のフィールドなので学会は同じなんです。



学部3年かな?

初めて東京に出てきて学会参加した時に、どこかの学部生の人に出会って、「実は古代アマゾン文明に興味あるんです!」って言われたのを覚えてます。



20年前くらいの話ですからね。

今みたいにスマホでネット検索なんて時代でもないし、何も知らなかった私は、あくまで心の中で、

「マジか?やばいやつじゃん。ここ、オカルト学会じゃないんだぜ?」って思ったことを記憶しております( -д-)ノ


(顔も名前も記憶していないけれど、もし南米研究で残っているならばごめんなさいって謝っておきますヽ(TдT)ノ)




言い訳をすると、当時はアマゾン文明なんてあるかどうかよく分かってないレベルだった気がするんですけどねぇ。

まぁ現在の国家形成をひとつのテーマに設定する研究者としては、、、



どうだろうね?

まず植民地期初期の記録として大きなコミュニティがアマゾン川周辺にたくさんあったことが歴史記録として残っているそうです。


それぞれのコミュニティは河川を交通網として利用していた他、陸路も繋いでいたようでかなり発展していた様相が伺えます。



では先コロンブス期は?というと、

先に書いたように、1000BCE-1000CEにやはり大きなコミュニティがアマゾン川周辺に複数あったことが確認されています。



ただ、それは文明だろうか?ってことですよね。




中米の亜熱帯ジャングルは大木に覆われているけれど、地面近くは比較的スカスカなんですよ。

でもアマゾンの熱帯雨林は地面下部までもっさりで真っ暗なガチジャングルですよね。




中米と類似して暑くて湿度も高いので微生物の活動が活発で土壌が堆積しづらい環境なのかなって思います、

それだと遺構が残りづらいのです。

こうした状況では浅い地点にある小さな遺構は植物の根で壊されてしまうのです。



よって都市レベルのコミュニティがかつてあったとしても、都市の規模を推定するための遺構が確認しづらいですね。

となると、やはり残存しやすい石造の巨大な公共記念物があればいいわけですが、たぶん見つかってないんでないかなと思います。

見つかってたら有名になってそうですからね( -д-)ノ





考古学的な初期国家の定義を数理的に示すことが一つの私の研究の目標であり、物質文化における変化は常に連続的なので、

現状では、『スパッ!!!と、ここから国家!』って言いづらいのですが、

まぁアマゾン文明(?)はネーミングとして一般受け良さそうですけれど、文明ではない気がしますし、そうだったとしても多くの考古学者が認める国家の称号を得るには時間がかかりそうです(*^・ェ・)ノ



まぁあれだけのジャングルだと、踏査も大変だから遺跡発見がそもそも大変だし、あれだけ鬱蒼としてると流行りのLiDARも使えなさそうですからね(ρ゚∩゚) グスン



まぁでも、

何はともあれ、

ロマンはあるね!( ・Д・)



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2023ねん 5がつ 8にち(げつよーび、曇り)

今年度はめっちゃ頑張るよ!(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはクジラの絵が描かれた弥生土器が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は福岡県、糸島市の深江城崎(ふかえじょうざき)遺跡です!

糸島と言えば、みんな大好き「邪馬台国論争」で出てくるやつですね。

魏志倭人伝に記された伊都国があったのが糸島周辺だったとされています。

「いとこく」の名が「いとじま」の地名として残ったとする解釈から来てるものです。

これってどれだけ信憑性のあるものなのか謎だなと昔から秘かに思っているのですが、まぁきっと専門にやってる人からしたら”当然そう”なのだろうと誰にも聞けずにいます( -д-)ノ




さて、今回はこの深江城崎遺跡から弥生時代に帰属する土器が出土し、その器面に「クジラ」が刻まれていたというお話です。





出土した土器は高さ60cmの壺です。

壺のくびれ部を頸部(けいぶ)と呼びますが、そのあと器の形としては膨らみますよね?

その部分を肩部(けんぶ)と言います。




今回のクジラはその肩部に描かれていました。

日本考古学だと正確にはなんて言うのか分からないのですが(申し訳ない!)、たぶん大きく分けると沈線文として扱われるはず!

アメリカ考古学ないしマヤ考古学では大枠がないので、刻線文(incision)になりますね。

画像サイズが小さいものしか見つからなかったので見にくいですが、ちょっと「ガリガリ削った感じ」がしません?




器面が柔らかい状態で施文したのか、乾燥してから施文したのかで分類しているのです。

乾燥した状態でゴリゴリ削ると刻線文です。




このクジラは全長8cmで尾びれまで描かれています。

胴体の左右には6本のラインが伸びていますが、これは恐らく「モリ(銛)」を表現したもので、つまりは弥生時代における捕鯨を表現したものと考えられます。





これまでに見つかった同様の事例は、長崎県壱岐市の原の辻(はるのつじ)遺跡での1例のみなので今回の発見は2例目というとってもレアな発見なのです。

恐らく湾や浜辺近くに迷い込んだクジラを狩猟したのでしょうが、大量の肉や油を提供してくれるクジラはまさに豊穣の象徴だったのでしょう。

きっとこの壺にクジラに対する畏敬の念や豊穣に対する祈りを込めて描いたのだと思われます。





クジラの脳油は古代から利用されていたようですがそのお話はまた別の機会に!

あと、現在でも漂着したクジラの死骸はこの油のため危険なのでむやみに近づくことを禁止されていますのでご注意を!( -д-)ノ





↑良かったら応援してね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

弥生時代後期から古墳時代初頭に出現する”謎”の「手焙形(てあぶりがた)土器」というのがあるのですが、、、

クジラの脳油と関係していると考える研究者もいるようですね。

ちょっと調べてみて今度記事にしてみます。




手焙形土器自体が形態も変だし、時期も限定されてるし、何に使われたのか謎だし、面白い題材なのです。

形態が特徴的だから記事を読んで知識を得てもらえば、博物館で実際のモノを見つけた時にはきっともっと楽しめるはずです。

ということでその内ちゃんと取り組みますね(*^・ェ・)ノ



何はともあれ、

クラファン応援して!( ・Д・)



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2023ねん 4がつ 14にち(きんよーび、曇り)

みんな、私は元気だぜ!v( ̄∇ ̄)v

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今回の考古学・歴史ニュースは金箔で覆われたミイラより、なんか気になる写真見つけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプト、サッカラです。

サッカラはよく聞く名前ですよね、インディジョーンズを始めとして冒険ものでエジプトのシーンがある時は大体サッカラが出てくる気がします。

気のせいかも知れませんが、まぁそんなサッカラは首都カイロの南郊にあります。




今回の記事はエジプト考古学庁が展示のために出し渋っているのか写真がないんですよね。

発見したお墓や出土品の写真はあるのに肝心のミイラの写真がない……

掲載されていた痕跡もあるけれどそれだけ非表示になっているので、止められたのかな~と思ったり。

記事の最後に「しかし、エジプト政府は観光客を増やすため、学術的な研究よりもメディア受けするような発見を優先しているとの批判もある」なんて書いてるしね。

まぁこれについては「おわりに」で触れます。




ということでなるべく写真を多用しようと頑張っている当サイトですが、ないものはないので今回はご了承ください。

最初に挙げた写真は関係ない写真だけれども、金箔で覆われたマスクなんですよね。




「金箔で覆われた」なんて書かれたら気になるけれど、よくよく考えたら、あれだけ黄金製品が出るエジプトでは対して目玉にならん気がするのだが気のせいだろうか……( -д-)ノ

ただ今回の発見があった墓は4300年前のもので、ファラオなど王族以外の墓としては最古かつ完璧な状態のものとしてレアな発見なのです。

未盗掘だったので保存状態が極めて良好だったようです。

盗掘されていたらミイラごと持っていかれてそうですもんね( -д-)ノ




さてさて、とりあえず私が一番気になった写真をどうぞ!





これって一般の人が見たらたぶん何の違和感も感じない写真だと思います。

ちなみにキャプションは「サッカラでの新発見発表後、発掘したものを修復する考古学者」です。





エジプト考古学のことは知らないけれど、、、

修復作業を現場でやるの!?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

そんなことある?

なんで???

ラボが遠いの?





写真だと小さくてよく見えないけれど、黄色の箱やチューブみたいなものが瞬間接着剤的なものに見えるけれど、、、

砂埃とか大丈夫なんでしょうか。

ってか洗浄具が周りにないけれど、土に埋まっていたわけじゃないから埃を払う程度なのかも知れないけれど、、、本当にそれでいいの?

土に埋まってないから土圧などで歪んでないから接合も楽ちんなんだろうけれど、ラボに帰ってからやればいいのにと思ってしまいます。




そんな大々的に発表するほど重要な墓から出た副葬品でしょ?

きっちり落ち着いて修復した方が展示映えもするだろうに……そう思ってしまうのは専門地域が異なるせいなのでしょうかね( ・Д・)

誰か理由を知っている方がいたら是非教えてくださいね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




↓ガンガンに宣伝していくぜ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑研究がんばるから支援よろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

メディア受けする調査を優先するのは世界各地でまぁ見られる現象です。

トレジャーハンターというか「許可書持ちの盗掘者」はどこにでもいます。

マヤ地域でもそういう考古学者がいますし、そういう日本人考古学者もいます。

彼らの見分け方は簡単!




論文書かない、報告書出さない、一般誌・一般書は書く、メディアに露出する。

こんなもんかな。




まぁ露出しててもしっかり研究者してる人も中にはいるようですけどね(*^・ェ・)ノ




確かに傍から見てると、そもそもエジプト考古学自体が、学術系そのものが発見至上主義に浸かってる気がしますけどね。

エジプトってあれだけ保存状態も質も良い考古遺物が大量に出て、たくさんの碑文資料もあって、周辺地域の文献史料もあってと、たぶん世界で一番データが豊富な地域だと思うんですよ。

でも世界の考古学を牽引している気がしない。




新たな考古学理論が誕生しても良さそうだけれど、何もないよね。

というかこれまでも一度もない。




私が知らないだけかな。

周りにエジプト考古学の人いないから、適当にエジプト考古学発の理論系論文を探してみるかな(*・ω・)ノ



もしかしたらデータがあり過ぎるせいで、文献史学的な世界に突入しているのかも知れませんね。

そういう可能性もある!





考古学にとって発掘調査が実験なわけで、かつ発掘調査は有限の一回性の実験なのだから、理論もなく掘りまくると間違いなく将来困りますよ。

証明も反証もできなくなる。


博物館のための、観光収入のための考古学。

どうやらエジプト考古学者は半世紀以上前の時代を生きているようですね( ・Д・)





まぁいいや、

何はともあれ、

私の研究が世界で一番!( ・Д・)



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2022ねん 12がつ 31にち(どよーび、晴れ)

もう今年最後だね!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「木製の埴輪ってあるんだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今の所属の関係もあり、元々国家形成研究の一環としてマヤ文明社会と古墳時代社会の比較をやってみたかったということもあり、ちょちょちょっと古墳の勉強してましたけど、、、

木製の埴輪ってあるんですね!?




知りませんでした( -д-)ノ


まぁ木製品にあまり興味ないもので、、、マヤってほぼ木製品出ないしね( ・Д・)




……話を戻すと、やはり埴輪って土製のイメージですよね。

古墳時代には石製品で様々なものの模造品とか作ってるから、木製で埴輪作っててもおかしくはないとは思うのだけれども、

埴輪って古墳の上に並べて使用するイメージもありますよね。




だとすると、これまでの記事でも紹介してきたようにレアな遺物が残存する条件はかなり狭くて、日本の木製品の事例だと大体が水分が供給され続けて酸素の供給が滞ってる場所なんですけど、

古墳のような墳丘上の所で絶えず水分が供給されるところなんてイメージ湧かないじゃないですか。

もし古墳が滝に打たれてたら別だけど!( ・Д・)




だから木製の埴輪があっても残存しないだろうな〜って思ってたら、あるんですね!Σ(・ω・ノ)ノ

世の中知らないことで一杯ですわ(*^・ェ・)ノ



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ってことで、今回の舞台は大阪府、羽曳野(はびきの)市にある峯ケ塚古墳です。



近年、世界遺産に登録されたことで有名な百舌鳥・古市古墳群はご存知の方も多いかと思います思います。

2019年の登録ですから本当に最近の話です。

今回紹介する峯ケ塚古墳はこの百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の一つなのです。

見つかったのは木製埴輪で長さは352cmと日本最大の記録をおよそ90cmも更新しました。



さて、最初に挙げた写真は真上から撮影したもので、考古学的にはそのような写真がベストですね。

さすがは市教委が撮影したものです。

一般的にはサイズ感が分かりにくいですが、専門としては周りに開いているサブトレンチの形状から大体の予想がつきます。

恐らくは別撮りでスケール入りのバージョンも撮影しているはずです。



続く2枚目の写真では人間がスケールの代わりを果たしているのですが、斜めから撮影しているのでせっかくの日本最大サイズの遺物が小さく見えますよね。

まぁこれも遺物の隣にスタッフ(長い定規みたいなもの)が置いてあるので3mちょいの長さがあることは確認できます。


3番目の写真は人間がイイ感じのスケール感を出しているのでデカいってことを知る上で一般的にはこれが一番良いのかなと思います。


こう見てみると、現場写真って先入観に囚われず色々撮った方が良いようですね(*^・ェ・)ノ









さて、今回のレアな遺物の出土地点は周濠です。

先に述べたように木製品の残存には水分が必要なことが多いですが、これで納得です。

完全に濠(ほり)の存在を忘れていました( -д-)ノ



出てきた木製埴輪の形状はやや分かりにくいのですが、上に挙げたような石見型木製品(いわみがた)です。

2枚目のものは類似形状の土製埴輪の事例です。




記事を見つけた時は本当に木製埴輪ってなんぞ?って思いましたが、写真探してて、ふと、あ、これ見たことあるやつだ!ってなりました。

皆さんも知ってたやつでした?



この「石見型」の資料は権力者の玉杖を模したものとか、儀礼の際に使う杖や武器、旗を模したものと色々な解釈がなされています。

また神聖な場を区切るための結界の意味があったとも言われています。



今回のケースでは、峰ケ塚古墳の北部に祭祀の場と考えられる造り出しがあり、その周辺の周濠から石見型木製品が出土したことから、本来は造り出し部に立てられていたものかも知れません。

造り出し部の調査や、今後こうした事例が増えていく中で、石見型木製品あるいはこうした形状の遺物の役割が明らかになるかも知れませんね。






おわりに

なんだかんだ今年も終わりますね~。

今年も古墳時代とか日本の研究や勉強する時間をあまり取れなかったけども、来年は少しはなんとかしたいですね。

まぁ来年は来年で、マヤ関係の欧米研究史をガガガっとまとめにゃならんのですが、、、

記事に少し力入れつつ最低限情報収集をするよう努めますね( -д-)ノ



そんなこんなで皆様も良いお年をお過ごし&お迎えください。


良いお年を!( ・Д・)



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2022ねん 12がつ 3にち(どよーび、曇り、寒い)

他の考古学者に勧められてカルチャーセンターの講師に応募してみた!どこかで合おう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回の考古学・歴史ニュースは日本のポンペイは他にもあるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は群馬県、渋川市金井の金井平氏裏遺跡です。

この遺跡は榛名山の北東部の麓に位置しています。

榛名山は古墳時代の後期に当たる6世紀頃に2度噴火しており、当該遺跡を含めて広い地域が火山灰などの多量の降下火砕物によって覆われました。

そのため周辺には他にも黒井峰遺跡、白井遺跡群などの火山災害を示す遺跡があります。




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↑これが激レア遺物です、「骨の鎧」Σ(・ω・ノ)ノ(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



イタリアのポンペイ遺跡で状態の良い様々な遺物・遺構が見つかっているように、日本のポンペイこと、ここ金井平氏裏遺跡でも多数の素晴らしい遺物が出土しています。

隣接する金井下新田遺跡では鍛冶工房が見つかっており、そのためか金井平氏裏遺跡では多数の金属製の遺物、写真に挙げたような鎧や兜が見つかっています。

ちなみにRPGゲームでは鎧・兜と書くけれども、この時代・地域のそれらは甲・冑と書きます。

甲冑(かっちゅう)のそれですね。



一番最初に挙げた甲は1800枚もの鉄製小札(こざね)を絹糸で連結したもので、当時の”武器屋”では「最強の鎧」だったことでしょう。

上に挙げた白っぽい甲は実は動物骨で作られたもので国内初の発見事例です。

まさに「骨の鎧」なわけですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



ちなみにこれらの甲の数え方は領(りょう)です。


*あとRPGに例えて一般向けに書いている時が鎧・兜表示で、考古学として書いてる時が甲・冑表示なんですけど分かりにくくてごめんなさい( -д-)ノ




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↑これが赤玉(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)




鉄製の鉾や鏃の他、馬も見つかっています。

当時、馬は飼育も大変でとても貴重なものでした。



様々なレアな発見がある遺跡ですが、上に挙げた甲を着た武人がうつ伏せになって発見された点が他に類を見ない事例だと思います。

被災されて亡くなったようですねヽ(TдT)ノ




上に挙げた赤玉は赤色顔料を丸めて団子状にしたもので100点ほど見つかっています。

当時の高級品が一堂に介した状況ですが、噴火によりパッキングされないと消費されてしまうのでこうした当時の具体的な生活の様子は分からないわけです。

災害の被害を受けたことは悲しいことですが、考古学者として感謝して余すところなくきちっとデータ化して活用する&皆さんに公開することが供養になるのかも知れませんね。



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↑これ古墳時代の人の足跡!(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



おわりに

この遺跡、古代人の足跡まで出てるんですよね。

本当に色々出る。



ちなみに住居址も複数見つかっていて、それぞれのおうちの中に遺物が残されていました。

被災して慌てて逃げてますから当然でしょう。

そうした状態のそれぞれの遺物の配置をデータ化して、当時の一般的な”間取り”というか生活空間の利用方法の特徴について分析した研究などがあります。

事例自体は少ないので考古学としては扱いにくいことが難点ですが、火山大国でもある日本では今後こうした良好なデータを得られる遺跡、『日本のポンペイ』が多数見つかる可能性が十分にあると思います。



今後に期待ですね。

ということで、


・・・私もレアな発見したい!( ・Д・)



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2022ねん 6がつ 18にち(どよーび、晴れ)

何度でも言おう、スマホ割れた。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

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今回の考古学・歴史ニュースは「こんなもん残る!?糸玉が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は徳島県、徳島市、南蔵本遺跡です。


サムネ画として上に挙げた写真があまりにインパクトつよつよですよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



時期は弥生時代前期!

長軸6.2cm、短軸4.5cmの大きさです。

見た目通り、保存状態は非常に良好です。

糸を巻き巻きしてまとめている感じがそのまま残っています。




これまでにも「まだ食べれるよ!シリーズ」とかやってきましたけど、これはまだ編み編みできるよ!って遺物です。

実際には用途は分かっていません。

現代的なイメージで、セーターを編むための糸玉ではなかったようです。

というのも、この糸玉は漆で固められているので、装飾品として機能した可能性が指摘されています。
 


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上に挙げたように、実際には小片もいくつか見つかっています。

問題は出土地点なのですが、「畑」です。




日本では「古代人の脳みそ」や「クワガタ」とかレアな発見も結構見られるわけですが、こうしたレアな発見を支えているのは「水分」です。

水場付近は絶え間なく水分が供給されるので無酸素状態が維持されて分解が進まないことがあります。

最近流行りの水中考古学で古い船舶が海底に残っているのはこのためです。




弥生時代は水耕や水の儀礼も盛んなためにこうしたレアな発見が多々見られるのですが、今回は畑(通常比較的乾燥している)なので様相が少し異なります。



1点目は湿度!

この南蔵本遺跡の出土地点は湿度が高く、乾燥するタイミングがなかったのです。

湿潤・乾燥の繰り返しでモノは分解されていくのです(*^・ェ・)ノ




2点目に漆!

縄文時代や古墳時代、それ以降も含めてですが、漆が塗られていると有機質の遺物も残り易いのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



このような条件が整って始めて残存した超レアな今回のケース、弥生時代の糸玉は史上初の発見となったわけです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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↑縄文時代の糸玉①(「東北歴史博物館」のHP画像より転載)



さて、史上初の発見と書きましたが、これはあくまで「弥生時代の糸玉として」です!

より古い時期である縄文時代ではなんと、すでに12例も見つかっているのです。





上に挙げたのは新潟県、青田遺跡の出土資料です。

この遺跡はレアな発見が多い所謂「低湿地遺跡」で水場遺構も見つかっているのです。


そんなタイムカプセルような素晴らしい埋没環境で、かつ漆でコーティングされているため、しっかりと残存しています。




下の写真の出土情報は不明ですが、どうやら縄文時代の糸玉の出土事例は全て漆コーティングによるもののようです。

つまり「水分+漆」の組み合わせが考古学における奇跡的な発見を生み出しているといっても良いでしょう、知らんけど( -д-)ノ



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↑縄文時代の糸玉②(「日本古来の「麻」手しごと暮らし日記」)







おわりに

色んな記事見てると、特に新聞会社の記事って考古学・歴史担当の記者がいるようですね。

みんな思い思いに写真を撮るのですが、見栄えをよくするためか「斜めから撮影する」ことがほとんどです。

私は記事を眺めながら、この写真はダメ、この写真はまぁヨシ、とか勝手に評価して遊んでるんですけど、今回最も良かった写真は上に挙げた徳島新聞の写真です。





おめでとうございます(!?( ・Д・))




ガッツリ斜めから撮ってる感じがアウトなのですが、唯一スケール入ってるところが評価点です(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



多分考古学やってない人ばかりなのでしょうが、接写に慣れてないのかピンボケばかりなんですよね。

何様ですが、プロなのだから被写体深度くらい上げて撮って欲しいものですねとか思ったり(´・ω・`)




何はともあれ、レアな発見はテンション上がるね!

うるし最強!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 19にち(かよーび、ぷち雨)

考古学ネタがあり過ぎて困る!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「縄文時代に焼かれた人骨が意図的に並べられて埋められてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は新潟県、阿賀野市、土橋遺跡です。

この土橋(つちはし)遺跡は今からおよそ4000年前の縄文時代後期の集落が見つかっている遺跡として知られています。

立地が良いのか、この遺跡からは弥生時代、古墳時代、中世の集落跡も見つかっています。




さて、この土橋遺跡から今回は「焼けた人骨が意図的に並び替えられた状態」で見つかりました。

この発見は「焼けた人骨」と「意図的に並び替えられた状態」という2点に分けて考えることが出来ます。


arukemaya1649


まず「焼けた人骨」と言うと、「火葬」を想像してしまいますが、今回のものはそれとは異なります。

火葬と思われる最初の痕跡は2世紀の弥生時代後半に見られ、高い蓋然性をもって火葬と推定できる事例は6世紀になります。

文字記録に残る最古の事例は700年で、元興寺の開祖である道昭が火葬されました。

その後日本では仏教の影響により度々火葬が用いられますが、現在のように火葬が一般化するのは明治期以降なのでとても新しい習俗です。




私たちの感覚だと埋葬行為は一度きりですが、かつては「再葬」という儀礼行為が行われていました。

文字通り、一度埋葬した遺体(人骨)を取り出して儀礼を行い、再び埋葬します。




再葬の定義は2回以上なので2度とはかぎらない点がポイントです。

但し基本的には2度でしょうし、以下に述べるような奇跡的・理想的な好条件でない限り考古学的には何回再葬されたか判別できません。

例えば石棺や墓穴といった明確な遺構に人骨の一部が残っていて、別の明確な遺構に再葬された人骨がやはり一部残っていて、更に別の明確な遺構に再葬された人骨が残っていて、それぞれ副葬品として時期の異なる土器などの遺物を伴っている場合です。

これならば人骨の分析から同一個体であることが判明しますから、3度埋葬されたこと、つまり2度再葬されたと言えるでしょう。




再葬はおよそ5500年前の縄文時代中期頃に始まり、弥生時代にも続きます。

同時期に人骨を焼いて再葬する「焼人骨葬」が現れ、この風習も弥生時代に引き継がれます。

なので、今回の発見の一つである「焼けた人骨」というのは珍しい事例ではないのです( -д-)ノ





これまでに人骨集中遺構の写真を2枚挙げてきましたが、小型の遺構のため薬品で固めてズボっとそのまま回収しています。

先ほど「珍しい事例ではない」と書きつつも、実際にはレアな事例のため、こうした保存方法が選ばれたのだと思います。




さて、今回の発見の2点目が「意図的に人骨が並べられていること」なのですが、これがちょっと『黒魔術』っぽい方法が取られているのです( -д-)ノ

その方法とは、一度埋葬した骨をまず取り出して、大腿骨(足の骨)で井桁状に組み、その中に他の骨を入れます。

今回の事例では、上腕骨(腕の骨)と足の脛骨を用いて四角形に組み、その中に頭蓋骨や肋骨を入れています。

挙げた写真だと分かりにくいのですが、説明を聞くとなんだかおどろおどろしくありませんか?ヽ(TдT)ノ




このタイプの埋葬方法は『盤状集積葬』と呼ばれ、愛知県の三河湾域で多数見つかっているものです。

でも愛知県の三河湾周辺域に集中している上に、他の地域では見られません。

そして愛知県の事例では「骨は焼かない」のです。

つまり今回の土橋遺跡の事例がレアな理由は、、、

愛知県の中でも限定的な地域でしか見つからない埋葬方法が新潟県で見つかり、更にオリジナルの埋葬方法では見られない「焼人骨再葬」との組み合わせの方法が取られている点です。




現在の愛知県の三河湾周辺に居住した人が遥々新潟県に移り住み、それぞれの葬制が混じり合った結果なのでしょうかね?

今後の類例の発見に期待です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

今回は写真の問題で『黒魔術』っぽいおどろおどろしさが伝わらなかったと思います。

黒魔術をイメージしたサムネ画像に名前負けしたような感じがしますヽ(TдT)ノ

なので、次回、リベンジします。

「日本にもこんなのあるんだ~!?」って驚かせるのを目標にしたいなと思います( -д-)ノ




そう言えば、グーグルアドセンスに不正なトラフィックがあるって言われて、現在、広告制限受けてるんですよね。

自分でクリックとかしないし、全然身に覚えないのに・・・

グーグル稼いでるくせに・・・

黒魔術かけるぞっ!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


arukemaya1640
↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


どうですか、これ?

私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




どうですか?

あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

・・・

・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







正体は何なのか?

さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


arukemaya1647




そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




一方でボクサーなのは何故でしょう?



arukemaya1640
↑再掲


まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




おわりに

小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

他に類例を知りません。



しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

よく取れずに残ったなと感心しますね。

よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



・・・・・・

余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

採用されないかな!?( ・Д・)



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午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1629
↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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