あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    レアな発見

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 12がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    眠いぞよ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y454

    ↑かわいいいもむし!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「まぁイモムシだよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    「チェンナイで、12本の脚をもつ2300年前の奇妙な棺を発見!」

    ……いや、待て待て待て。棺って、普通は“箱”じゃん? せいぜい取っ手があるくらいじゃん? なのに 脚が12本ってどういうことだよ。ムカデか?棺が歩くのか?夜に展示室から出てくるのか?( ・Д・)

    でもこれ、ただの珍ニュースじゃない。場所はインド南部タミル・ナードゥ州、チェンナイ近郊のパラヴァラム(Pallavaram)。そこで見つかったのは、テラコッタ(焼き物)の石棺=サルコファガス。年代はおよそ紀元前3世紀ごろ(約2300年前)とされ、しかも“ほぼ完全な形”で出てきたという。


    つまりこれは「変な形の棺」じゃなくて――南インドの古代社会が、死者をどう扱い、どんな技術を持ち、どんな共同体だったかを、いきなり可視化してくるタイプの出土品です。脚が12本ある理由? それを考え始めた瞬間、あなたの脳内で“古代の葬送”が動き出す。さぁ行こう。棺が歩く前に。




    🗺️ 発見の場所はどこ?チェンナイ近郊パラヴァラムの発掘でドン!

    発見されたのは、チェンナイ(Chennai)からほど近いパラヴァラム地区。報道によると、インド考古学調査局(ASI)の発掘で、2300年前クラスのほぼ完全なテラコッタ棺が見つかったとされる。さらに海外の考古学誌でも「チェンナイから約15マイル(約24km)ほどのパラヴァラム」と説明され、過去にも同地域で似た出土があったことが触れられている。




    arukemaya_y450

    ↑こんなとこらしいよ!( ・Д・)




    🦵 何が“奇妙”なのか:棺なのに脚が12本(しかも短い脚がズラリ)

    今回の棺は、写真を見ると一発で分かる。箱の底に、短い脚が12本――等間隔に付いてる。「脚がある棺」自体は、南インドのメガリス(巨石)文化圏の文脈で知られている例もあるけど、ここまで“脚が主張してくる棺”はインパクトが強い。報道では、ASI側のコメントとして「12本脚の技術」への言及も出ている。そして、ここで大事なのは“見た目が変”というより、人間が棺をどう運用していたかが見えてくる点。脚があると、地面に直置きせずに済む。湿気、虫、土圧、運搬……いろんな事情が絡む。つまりこの棺、死者を入れて終わりじゃなく、死者と棺をめぐる“運用”があった可能性があるんです。




    📏 サイズ感がリアルすぎる:だいたい170×45cm、深さ50cm級

    ベトナム系のまとめ記事(元ネタは別媒体)では、この棺の大きさがおよそ170×45cm、深さ約50cmとして紹介されている。ここが妙に生々しい。“子ども用?”“大人用?”“遺骨だけ?”“副葬品は?”――そういう疑問が勝手に湧く、絶妙なサイズ。さらに別報道では、棺のサイズが「亡くなった人の身長に応じて違う」タイプだという話も出ていて、棺が“規格品”ではなく“作り分け”されていた可能性も見えてくる。



    arukemaya_y451

    ↑確かに脚がたくさんあるね!( ・Д・)



    🕳️ 底の穴は何?「ロープで運ぶため」説がいきなり現実的

    Times of Indiaの報道では、脚だけでなく底部の穴にも触れられていて、それがロープを通して運搬しやすくするために使われた可能性がある、と説明されている。これ、めちゃくちゃ重要です。なぜなら一気に、棺が「儀礼の中で“動かされる物体”」になるから。

    • 埋める前に運ぶ

    • 埋葬儀礼の場で移動させる

    • 複数人で担ぐ

    • 共同体の行為として“棺を扱う”

    こういう世界が立ち上がる。脚12本の異様さが、急に“合理性”の側に寄ってくる瞬間。




    🧠 これが示すもの:パラヴァラムの「メガリス文化」と埋葬観の転換

    報道では、この発見がパラヴァラムにメガリス文化(巨石文化)が存在した証拠になる、という文脈で語られている。さらにNew Indian Expressでは、パラヴァラムの発見が南アジアの埋葬理解に影響を与えたというトーンで、講演内容も含めて紹介されている。そして海外のArchaeology Magazine(Archaeology.org)でも、この棺が「重要な発見」だとするASI側のコメントが掲載され、同地域で約130年前にも似た棺が見つかっていたことが触れられている。


    つまりこの棺、「脚が12本で草」だけでは終わらない。“死”を扱う技術が、共同体の形そのものを映している。脚が12本あるってことは、棺はただの箱じゃない。棺は――社会の装置だ。




    arukemaya_y452



    おわりに

    最初はポケモンのキャタピーをサムネ画像にしようかと思ったら、あのこ足が4本しかなかった。尾部?の力で状態を反り起こしてるぽい。なんて背筋力と柔らかさ。私にはできない・・・

    土器とかでも古代人は脚付けるの好きなんですよね。だからあんまり不思議じゃない気がする。私だけか? マヤ土器でも3~4脚は付く事例は多い。土器にしろ棺にしろ、容器の基本的用途の一つは遮断だからね。それが例えば地面と接していないぜ(そりゃあ脚は地面に着くけども!)、完全に内容物を隔離しているぜという想いが大事なんですよね。

    日本の現代の御神酒を入れる器とかも高坏状になってて地面から離れるようになってるじゃない? あれ昔からそんなもんだよね。日用のお椀でも高台が付いてるけど、日本人的には持ち上げやすくていいと思ってるかも知れないけれど、食器を持ち上げて使わない西洋食器でも高台ついてるよね。まぁ食事中以外であれば全く持ち上げないわけじゃないし機能面もあるけれど、つまり、人間は脚をなんだかんだ付けたいのよ!( -д-)ノ




    何はともあれ・・・

    ポケモンで虫系は弱いんだよな!( ・Д・)






    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 12がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    眠いぞよ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y449
    ↑昔けっこうやったなぁ!( ・Д・)
    (「グランブルーファンタジー」のゲーム内画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースは黄金の鉄槍って何?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ……いや待って。最古の鉄槍ってだけでも強いのに、黄金の装飾つきって何それ。しかも舞台は北欧デンマーク。バイキング以前の、もっと古い“青銅器時代の終盤”で、鉄(しかもゴージャス仕様)がもう出てくるって、歴史が一段ズレるやつじゃん。


    そして今回いちばん痺れるのは、ただの「武器が出た」じゃないところ。出土地点が、聖なる泉(スプリング)=水に捧げる儀礼の場なんですよ。つまりこれは、戦いの道具である前に、「権力と信仰と交易ネットワークが束になった“社会の槍”」なのだ……!( ・Д・)



    arukemaya_y446

    ↑現場の様子、遺物あげるための容器?が金属製なのが気になる!( ・Д・)




    🗡️ 発見はどこで?「黄金の宝庫」ボースルンデの地下で事件発生

    現場はデンマーク南西シェラン島(Zealand)のボースルンデ(Boeslunde)。ここ、近年ずっと“金が出る土地”として知られていて、狭い範囲から 金の誓いの指輪(oath rings)10個や、金のスパイラル約2200個みたいな、とんでもない量の金製品が見つかってきた場所です。で、2025年8月の調査で「なんで金がここに集中してるの?」を追ったら──金が置かれていた場所の直下で、「自然の泉(湧水)」が見つかった。そしてそのすぐそばから、今回の主役、金装飾の鉄槍(鉄製の槍先)2本が出土した、という流れ。




    👑 何がヤバい?「デンマーク最古の鉄」になった理由

    この槍、ただ古いだけじゃない。博物館側は、槍先に付着していた樺(カバノキ)のピッチ(樹脂)を、鞘や先端保護に使った痕跡とみてAMS年代測定を実施。結果は 紀元前900〜830年ごろ


    これが意味するのはシンプルで強烈:

    • デンマークで確認された“最古の鉄”になった

    • しかも時代は「青銅器時代区分V(Bronze Age Period V)」に入る

    「鉄器時代の前に、鉄がいる」みたいな、境界線がぐにゃっとする瞬間。最高( -д-)ノ




    arukemaya_y447

    ↑出土し立ての状態!( ・Д・)




    arukemaya_y448

    ↑バラバラですね!( ・Д・)



    🟡 金の装飾はどんな感じ?X線で“円形の金象嵌”が浮かび上がる

    保存状態がよい個体(X313とされるもの)は、現存長 47cm(本来は 60cmくらいあった推定)。
    X線撮影で、刃の部分に円形の金象嵌(ゴールドのディスク状インレイ)が複数入っているのが確認されています。これ、イメージとしては「最新テクノロジー(当時の鉄)」×「最高級素材(金)」の合体。

    つまり実用品というより、威信財(prestige weapon / goods)の匂いが濃い。




    💧 なぜ泉に槍を捧げる?“水への奉納”はヨーロッパの古典ムーブ

    この地点では、泉の周辺に調理穴(cooking pits)の密集も見つかっていて、繰り返し人が集まって、食事や儀礼的滞在が行われた可能性が示唆されています。さらに記事では、貴重品を水に捧げる儀礼はヨーロッパの先史時代に広く見られる、と位置づけられている。要するに、ここは「たまたま落とした」場所じゃなくて、“捧げるために行く場所”だった可能性が高いわけです。槍は、戦場で折れるためじゃなく、
    泉に沈むために作られたのかもしれない。槍先のようにロマンも尖っておる!( ・Д・)




    🌍 「北欧に前例なし」ってマジ?──交易ネットワークの匂いがする

    博物館の発表では、この時期に同様の金装飾をもつ鉄武器は北欧全体でも前例がない、というニュアンスで語られています。で、ここが重要なんですが、鉄って当時は“新技術”で、素材の入手も加工も簡単じゃない。そこに金まで乗せるというのは、単なる個人の趣味ではなく、遠距離の交換(distant networks)と、豪奢な環境が背後にあることを示す、とも説明されています。ボースルンデは「宗教と経済のハブだったのでは」という見立ても出ていて、金の集中、泉、儀礼の痕跡、そして今回の槍が、その像をさらに強化した形。





    おわりに

    今回の発見は「レアな発見系」にふさわしですね。「黄金に輝く2本の鉄の槍を発見」って最初、なんだろうなって思って、またアザラシみたいなやつかなと疑ってかかったら、今回素直に「金の鉄の槍」でしたね。まぁこれが普通か( -д-)ノ 

    今回の記事書いてて、青銅器時代に鉄器出ててデンマーク最古の記録更新で間違いないのだけれど、「青銅器時代」とか「鉄器時代」っていったい何だろうなって思いました。鉄製の装飾品とかじゃなくて武器だから利器扱いになると思うと鉄器時代分類だけど、威信財あるいは奢侈財としての価値が高くて、自前で生産できず、交易で入手可能としてもあまりに普及していない状態ならば青銅器時代かなって気もする。でも最古級の事例がいくつ増えればOKなんていう定義もないし、鉄器なんて脆いので依存状態だけじゃなく再加工の問題も含めて残りづらいから普及度なんて不明瞭だし、普及度だってどのくらいからがOKなんて決まりもないわけで、、、ならばやはり鉄器の登場という離散的変化を重視して鉄器時代にした方がいい気もする。難しいね!ってかめんどいね!



    何はともあれ・・・

    私なら鉄器時代にしちゃう!( ・Д・)






    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 12がつ 4にち(もくよーび、晴れ)

    東京は今日から冬!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    arukemaya_y428
    ↑ドローン欲しいな!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはトルコ料理は日本人に合うらしいね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    灰色のコンクリートに囲まれた現代の住宅街。その地面の奥深くで、千年以上の時を経てひっそりと眠っていたのは――湖を擬人化したとされる古代の女神像だった。水と人、自然と都市の境界線がぼやけたその像は、2025年における考古学界の最大級のサプライズのひとつ。「湖に祈る民」がいた――そのメッセージは、石ではなく、生きた信仰として刻みこまれていたのかもしれない。




    🏛️ どこで、どんなふうに見つかったか

    発見地はイズニク。2024年からこの住宅街で進められていた発掘調査中、ある住居裏手の地中から、古代ローマ期と思しきモザイク床や遺構とともに、女神と思しき石像が土の中から姿を現した。遺構全体は「ただの古びた屋敷」どころではなかった。かつてこの地は、湖や水域と直結し、“水の神聖地” として参拝や信仰の対象だった可能性が高いとされる。つまり現代の住宅街は、かつての聖地の上に築かれていた――そんな事実が静かに浮かび上がる。


    女神像は、肌の黒ずみや破損はあるものの、顔立ち、身体のライン、水を司る女神らしい表情が確認でき、彫刻の技法やスタイルから「湖または水域の守護者」を意識したものとみられている。




    arukemaya_y426

    ↑サイズ感が分かるね!( ・Д・)



    💧 なぜ “湖の女神”? ― 水と人を結んだ象徴

    今回 “湖を擬人化した女神像” と紹介された背景には、発掘された遺構の配置と出土状況が関係している。

    • 女神像が見つかった地は、かつて湖畔または湿地と接する地域だった可能性があり、水位変動や人の居住域の移動にも見える痕跡がある。

    • また、モザイク床、建物の基礎構造、水路や排水溝のような遺構も合わせて確認されており、「単なる住居」ではなく「儀式あるいは礼拝のための構造」だった可能性が高い。

    • こうした複合的な証拠から、研究者たちはこの像を「湖・水域を擬人化し、人々が敬意を払った女神」とみるに足る――と評価している。

    つまり、この像は単なるアート作品ではなく、水と人と信仰を結ぶ “橋”――古代の人々の精神世界を映す鏡だったのだ。



    arukemaya_y425

    ↑美しいぜ!( ・Д・)



    🔎 そもそも、なぜこのような像が造られたのか?

    古代トルコからギリシャ、ローマ帝国、オスマン帝国にいたるまで、水は生と死、日々の暮らしと宗教、通商と交易、あらゆる営みの中枢だった。湖や水域は飲料、漁、農耕、水運という実用の場であると同時に、神聖な領域でもあった。水を司る女神、河の精霊、湖の守護者――こうした信仰は、地中海世界に広く見られる。今回の女神像も、おそらくそんな信仰の産物だ。人々は「水に感謝し、水を恐れ、水と共に生きる」。そしてその敬意が、石に、人々の祈りに刻まれたのだ。




    🏙️ 現代との交差点 ― “遺跡の上の生活”

    このような発見が、なぜ住宅街の下で起きたか――それもまた、私たちの時間感覚と歴史観を揺さぶる。

    現代のコンクリートとアスファルトの下には、古代の信仰と暮らしが眠っていた。それを掘り起こすのは、ただの発掘ではない。「過去との対話」、あるいは「忘れられた文化との再会」だ。また、この発見は、考古学、都市計画、文化保存、住民の記憶──さまざまな軸を同時に問い直す契機となる。私たちは、今、古代と現代の境界線の上に立っているのかもしれない。



    arukemaya_y427

    ↑一度はこういう現場を掘ってみたい!( ・Д・)




    おわりに

    日本人にとってトルコ料理は美味しいらしい。ケバブとトルコアイスしか知らんがまぁ合いそうな気がする!今後、短期間的にエジプトやイタリアを調査地に選ぶとして、ついでにイギリス、フランス、スペインの博物館を見に行くとして、長期滞在するとやっぱり食は大事だよね。トルコは調査地にならないけれど、いいなぁって思う。治安は不安だけど、グアテマラよりマシでしょ(笑) だから食が大事!

    私のメインフィールドはグアテマラだぜ? 知り合いの関係でアルマジロやら何やら変わったものたまに食べてるけど、基本的に一日三食ほとんど同じものを食べるんだぜ? トルティーヤ、豆、卵、焼きバナナ、ボソボソのチーズ、以上!!!グアテマラで何度叫んだことか・・・




    グアテマラ人「なぁ日本人の主食って米なんだろ???」⇒


    私『日本人は肉食だ、肉食わせろ~!!!』( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 11がつ 28にち(きんよーび、晴れ)

    太った~!!!!!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y399

    ↑火山堆積物だからこんな風にボロボロとした小レキ群に覆われてるのね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「やぱポンペイを次の対象遺跡にするかな!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    古代ローマの街 ポンペイ。その灰に閉ざされた路地裏に、2,000年の時を経て、新たな驚きが舞い降りた。2025年11月――鉄道整備のための保存発掘中に、かつての街角食堂(ストリートフード店=トルモポリウム)の台所から、なんと エジプト製の光沢ある陶器の壺(ファイアンス製ビーズラ)が 発見されたというのだ。


    それは単なる古物ではない。遠くエジプト・アレクサンドリアから地中海を超え、土器屋でもなく貴族の館でもなく、街の “庶民の食卓” に流れ着いた──その事実が、古代の人々の暮らしと文化交流を、私たちに “生のまま” 見せてくれる。今回はその発見の舞台、陶器の由来、その意味、そして “古代のグローバル化” に思いを馳せてみたい。




    🏺 発見の舞台 — トルモポリウム「ロースター」の厨房跡

    この陶器が見つかったのは、ポンペイ市街の Regio V、かつてストリートフード店として使われていたトルモポリウム内。通称 Thermopolium del Gallo――“おおにわとりの店” という意味をもつこの小さな飲食店は、火山噴火で街が灰に埋もれた79年、そのまま時を止めた。


    2023年に始まった保存と修復のための発掘で、厨房の背後の部屋(貯蔵・調理スペース)から 色鮮やかな青緑の光沢をもつ壺 が現れた。壺には動物や狩猟の図柄が描かれ、明らかに地中海西側のローマ陶器やガリア陶器とは趣を異にする異国製だった。この “忘れられた台所” は、当時の庶民の日常──買い食い、貯蔵、調理、生活の一端──を宿した場所だった。その暗がりから現れた壺は、まるで時間の流れを断ち切る宝石のようだった。



    arukemaya_y397

    ↑有名なとこだからこれまでにも何度か紹介してるよね!「ポンペイ」で検索してね!( ・Д・)




    🌍 なぜエジプト陶器? — ローマ帝国内の文化と交易の交差点

    この壺は、技術的には古代エジプトおよびその後の地中海圏で広く用いられた ファイアンス(glazed ceramic)。ガラスのように光る釉薬と、鮮烈な色味が特徴で、もともとは庭園の装飾、上流階級の住まい、大きな邸宅や公共空間で使われる高級品だったという。


    それがなぜ、庶民向けの屋台に? 考古学者たちはこう分析する――当時のローマ帝国は、地中海域を海と道で結ぶ広大なネットワークを持っていた。エジプト、ギリシャ、イタリア、西地中海の属州間で商品と文化の交換が盛んに行われ、富裕層だけでなく、中流〜庶民層にまでその影響が浸透していたのだ。今回の壺は、その “下層社会のグローバル文化受容” を示す希少な証拠ともなり得る。


    つまり、古代の流通や文化は単なる羨望の産物ではなく、人々の日常に根付いていた。それは豪華なヴィラのガラス窓でも、王族の宝飾でもない——パンとスープとワインを供する市井の食堂の一角だった。そこに、エジプトの風が吹き込んでいたのだ。




    🔎 食卓に残る文化の “痕跡” — 壺が語る当時の食と習慣

    発掘チームによれば、この壺は “保存用/貯蔵用の容器” として使われていた可能性が高い。厨房の壁際、アンフォラが並ぶ棚の間にあり、周囲には他の土器、金属製の鍋、調理道具、研(すり鉢)などが発見されている。この配置は、ローマ庶民がどのように食材を保存し、調理し、提供していたかを示す、きわめて日常的な光景だ。火山灰の下で “冷蔵庫もなければ流通網も未発達” な時代。陶器、アンフォラ、保存壺――それらは食材の保存、持ち運び、再現を可能にする、当時のライフラインだった。


    加えて、壺の表面に浮かぶ狩猟のモチーフは、単なる飾りではなく、“送り主の出自や信仰” を示す文化的サインだった可能性もある。遠くエジプト/エーゲ海文化圏から流れ着いた器を使うことで、店主あるいは客は “異国趣味”“高級志向” をさりげなく演出していたかもしれない。





    arukemaya_y400

    ↑さすが高級品、立派だぜ!( ・Д・)



    🛠️ 発見と保存の舞台裏 — なぜ今この壺が見つかったか

    この壺が日の目を見たのは、決して狙った発掘ではなかった。近年進む観光整備とインフラ更新、保存工事の中で、たまたま手がかりが現れたのだ。トルモポリウムの修復に向けた細部の調査中、壁の奥、床の下、貯蔵室の瓦礫を除く過程で、慎重かつ丹念に行われた。


    また、ポンペイのような大都市遺跡では、貴族の邸宅や劇場、浴場など大きな建築物に注目が集まりがちだ。しかし、こうした “庶民の空間” の保存と調査こそが、実は “古代のリアルな生活像” を映す鏡となる。今回の発見は、その価値を改めて示すものだ。




    🌐 古代のグローバル化 — 文化交流は庶民の食卓にまで届いていた

    このエジプト陶器の発見は、単なる“珍しい壺”ではない。2,000年前の地中海世界に生きていた庶民たちが、エジプトの技術や芸術を受け入れ、日々の暮らしに取り入れていた “証拠” だ。遠く離れた地から、その文化が風に乗って、海を渡って、人の手に渡り、火と鍋とパンとワインの中に馴染んでいった――。それは、古代の「地中海的混交(メラング)」の記憶そのもの。


    また、この発見は今後の研究に大きな示唆を与える。たとえば、壺の釉薬・粘土の分析、残留物の化学分析によって、中に何が保存されていたか、どこから来たか、さらに詳しい交易ルートや食文化の実態が浮かび上がるかもしれない。そして忘れてはならないのが、この壺が庶民の “台所” にあったという事実。権力者でも王侯でもなく、街の片隅で働き、飯をつくり、客をもてなした人たちの暮らしの中にこそ、古代の “異文化の交差” があった――ということだ。







    おわりに

    マヤ文明、ティカルでのモデル構築が済んだわけじゃ全然ないんだけれど、私の方法論は古代日本では使いにくいんですよね。近現代とかは行けると思うけども。それで古代エジプトと古代ローマだとつながりもあるしいいかな~なんて次の応用先として考えてたんですけども、、、やっぱポンペイいいなぁ。どこか一つの都市を対象にするのならばポンペイな気がしますね。

    ポンペイの報告書ってどこで読めるかも知らないんですけどね。概説書も知らない・・・完全に他の領域やるのは大変だけども、ぼちぼちやっていこうと思います。幸い、古代ローマ史&考古学やってる知人がいるので協力してもらって何とかします!他方で古代エジプトの知り合いゼロなんですよね。そしてイタリア語はラテン語グループでスペイン語に似てるので趣味で少しやってたし、、、そういう意味でもやぱ次の舞台はイタリアだな!(*^・ェ・)ノ





    何はともあれ・・・

    まずは研究費獲得だぁ!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 11がつ 26にち(すいよーび、晴れ)

    今日は論文終わらせるまで寝れない!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y387
    ↑高坏だね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは池の水抜いてみたとか、なんだかみんな水中好きだよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    湖は、記憶を閉じ込める“時の水瓶”。そこに眠る遺物は、私たちの知らない過去の物語を、静かに語りかけてくる。滋賀県・琵琶湖の北端、葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡。その深さ約 64〜70 メートルの水底から、なんと 縄文時代初期(約1万1,000年前〜1万5,000年前) の土器が、ほぼ完全な形で発見された。


    これはただの「古い土器」の発掘ではない。破片として風化し散逸するはずだったものが、湖の深みによって「時のカプセル」となり、今の私たちの前に姿を現したのだ。あるけまや風に言えば、「水底に眠る時間旅行の入り口」が開かれた瞬間。この記事では、この大発見の背景と意味、そのロマンをたっぷりと辿ってみたい。




    🔎 湖底遺跡「葛籠尾崎」とは何か

    琵琶湖には、数多くの湖底遺跡が認められている。漁網にかかった縄文土器によって、1924年に最初に「葛籠尾崎湖底遺跡」が知られることになった。この遺跡では、これまでにも約 200点以上の土器片が、水深10 〜 70メートルの湖底から引き揚げられてきた。時代は縄文から平安にまでおよぶ。


    ただ、このように多数出土するにもかかわらず、湖底から「完形」に近い形の土器が見つかった例は稀だった。ほとんどは壊れ、破片化し、水中の運動や堆積によって散らばってしまうからだ。だからこそ、今回のような「ほぼ完全な形状の土器」の発見は、湖底遺跡研究においてきわめて重要だ。




    arukemaya_y384

    ↑これが砲弾型縄文土器、、、尖底土器のことなのね!( ・Д・)
    (リンク切れしてる)




    🏺 湖底に眠っていた、“砲弾型”縄文土器

    2025年10月、滋賀県は無人潜水機を使って葛籠尾崎湖底遺跡の約 2 万平米のエリアをスキャン。64 メートル付近で、 高さ約25センチの砲弾型尖底土器(底が尖って舟底に差し込むような形)が、ほぼ完全な形で存在することを確認した。県が発表した年代は、縄文時代初期前葉〜初中葉(約11,000〜10,500年前)あるいはそれ以前。これまで同遺跡で確認されていた最古の土器は約1万年前だったため、遺跡の始まりがさらに古く広がる可能性が浮上している。

    驚くのはその保存状態だ。湖底という暗く、動かない環境が「割れず、崩れず、時を閉じ込める」完璧な保存庫となっていたのだ。地上で発見される土器がたいてい破片であるのと比べると、その希少性は圧倒的だ。




    🌊 なぜ、水底に?さまざまな水没のストーリー

    では、なぜこのような古い土器が湖底に沈んでいたのか。それは、琵琶湖の地形・環境変動と人々の営みによると、研究者は分析する。

    • 当時、人々はこの地域を舟で往来していた可能性がある。湖上交通の積み荷が事故で沈没した。

    • または、地震・地盤変動や水位上昇によって、かつての陸地が水没し、集落や聖地が湖に飲まれた。過去には、噴砂や液状化による地形変動が確認されているという。

    いずれの説も、水底に沈んだ理由として有力で、今回の完形土器もそのいずれかの「事件」の産物である可能性が高い。






    🔍 水中考古学の醍醐味 ― ロボットが映した“時の底”

    この発見の背景には、水中考古学の技術進歩がある。滋賀県と琵琶湖博物館は、湖底遺跡の調査に 水中ロボット(無人潜水機) を積極的に活用してきた。これにより、水深70 m を超える深さでも湖底の様子を鮮明に映像で記録可能になったのだ。この技術がなければ、深海のような湖の底に埋もれた土器はおそらく永遠に闇に葬られたままだっただろう。現代の技術が、過去の姿を写し出す ― それはまさに考古学の新時代とも言える瞬間だ。






    🧭 遺跡が教えてくれる、“失われた暮らし”の断片

    この完形土器の発見が持つ意味は大きい。なぜなら、それは「割れずに残るかもしれない記憶」の存在を示しているからだ。湖底には、今回のような縄文時代初期の土器のほか、弥生・古墳時代、さらに近代に至るまで、実に多様な時代の遺物が眠っている。琵琶湖は、時代を重ねた人々の営みを、水の中で静かに抱えてきたのだ。


    もし今後もこうした“完形”の土器や、当時の舟、木製の道具、あるいは埋没林などが発見されれば ― 湖上交通や住居の構造、水没の原因、さらには古人の生活環境まで ― 私たちの縄文期や弥生期に対する理解は、一気に書き換えられるだろう。




    🌿 湖は沈黙を抱く大きな墓 ― それでも未来を開く場所

    今回の発見は、湖が単なる水域ではなく、「文化の墓所」にもなりうることを示した。だが、それは終わりではない。湖底に眠る“断片”を掘り起こし、つなぎ合わせることで、かつてこの地に暮らした人々の息遣いや暮らしぶり、失われた集落の姿を取り戻すことができる。


    琵琶湖は、古代の人たちにとっては「生活の場」であり、「交通の要所」であり、あるいは「儀礼の場」でもあったかもしれない。その多層的な営みの痕跡は、今も湖の底で静かに待っている。私たちはその扉の前に立ったと言えよう。




    arukemaya_y386
    ↑色々見つかってるし、何でか完形が多いね!( ・Д・)
    (「Start Home」の記事内画像より転載)




    おわりに

    やっぱ何か「発見」したことをメディアに売り込むのって大事なんだな~と最近強く思う。みんなそうやって強かに生きてるんだなぁって感じる。研究ってなんだろう、成果とは何だろうって思う・・・今私が面白いと思ってやってるパラダイムシフト系研究は即効性ないから全く売り込む要素ないんだけど!戦略間違えてるぜ!( ・Д・) ・・・まぁ来年度研究費獲れて調査できたら何でもかんでも売り込むぜ、魂までもね!( ・Д・)





    何はともあれ・・・

    私もティカルの池の水抜いてみるかな!ワニさんに怒られるけど!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 11がつ 25にち(かよーび、晴れ)

    昨晩飲み過ぎてびみょーに具合悪い!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y385
    ↑これがMig25だってさ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは私も戦闘機出土させたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    あるけまや風に語れば──人類文明のゆりかご、メソポタミア。その長い歴史の地層の中に、驚くべき「近代兵器」が眠っていた。2003年、イラク戦争のさなか、バグダッド西方のアル・タカドゥム空軍基地で、 MiG-25フォックスバット 戦闘機が地中から掘り出されたのです。普通なら空で舞うはずの戦闘機が、砂の下に埋もれていた。まるで時を超えた遺物のようなその姿が、戦闘、隠蔽、そして国家の焦りを物語っていました。この記事では、その発見の経緯、真相、そして意味を、歴史ロマンと軍事ドラマが交錯する語り口で掘り下げてみます。




    ⚙️ なぜ戦闘機が砂に眠っていたのか?

    • 2003年7月、米軍の捜索チームが アル・タカドゥム空軍基地(バグダッド西方) で、地表よりかなり深く埋もれた MiG-25 と Su-25 を発見。

    • この機体は 垂直尾翼が取り外され、主翼もない状態

    • なぜこんな極端な隠蔽を?それは、1991年の湾岸戦争を経て イラク軍が貴重な航空戦力を温存したかったから と伝えられています。

    • 実際、埋める前には 電子部品を保護するためにプラスチック・シートで包んだ機体もあった という証言があり、ただの捨てられた戦闘機ではなかった可能性がある。




    🔎 発掘の瞬間 — 米軍が砂を掘る

    • 米軍は 掘削機(ブルドーザーなど)で土を削り出しながら機体を引き出した

    • 写真には、MiG-25の双垂直尾翼が砂から顔を出している様子が写っており、発掘作業の過酷さが伝わってきます。

    • その後、機体はアメリカに持ち帰られ、一部が アメリカ空軍国立博物館に展示される計画 もあった。



    🛩️ このMiG-25ってどんな機体?

    • MiG-25(NATO名:フォックスバット)は、旧ソ連時代の 高高度・高速度迎撃機。スピード、航続距離ともに非常に高い性能を持つ。

    • イラクは冷戦時代にソ連製MiG-25を導入しており、その後も備蓄していた機体が複数あったとされる。

    • 埋められていた機体の中には 偵察モデル(RB型) とも言われ、電子機器を守るために特別な処理がされていたという説があります。




    🌍 歴史と戦略の交差点 — 埋葬の意味を読み解く

    • この発掘は単なる「隠された兵器」の話ではありません。イラク政権が 戦力を失わずに戦争をやり過ごそうとした戦略 の一端を示す証左です。

    • また、こうした「埋葬=隠蔽」が発覚したことで、隠された戦力や戦争準備の存在が国際的な議論にも。

    • アメリカ側としては、これらの機体を発掘・展示することで 軍事的優位性の象徴 として利用できるという思惑もあったかもしれません。




    🔧 発掘後の行方と展示計画

    • 国防総省(米)が発掘したMiG-25を回収してアメリカに輸送。

    • その後、 アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)での展示を目指す動きが報じられています。

    • ただし、展示には時間をかけた整備や補修が必要。翼が欠けていた機体も多いため、完全復元は簡単ではありません。

    この記事を通じて見えるのは、メソポタミア文明とはまた別の「物語の深さ」。砂の下に眠っていたのは、過去千年、あるいは数千年の遺跡ではなく、 意図的に隠された近代の戦力 だったのです。文明の地における「戦争の記憶」が、またひとつ、表面に顔を出しました。



    arukemaya_y384
    ↑載せるんじゃなく、引っ張るのね!( ・Д・)
    (画像元サイトがリンク切れしている)



    おわりに

    ベテランのオペさんの腕はすごいけれど、それにしてもショベルカー使って綺麗に掘り出すものだなぁと感心してました。でも考えてみたらそんなもんかなって気もしてきました。だって埋めて戦力温存したってことは後で掘り起こして使うつもりだったわけだもんね。精密機器だからちょっとでもガジったら大問題だよね!

    調べてみたら正確な額は分からないけれど、Mig25の価格は450万ドルを大きく上回る予想だとか。まぁ出土した戦闘機は翼ないから飛べる状態じゃないにしても5億円の価値はありそう。ってことはやっぱりガジったら首飛ぶね、、、イラクだからほんとに物理的に首飛びそうだね!( -д-)ノ





    何はともあれ・・・

    やぱ戦闘機かっこいいな!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 11がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

    締切明日だが間に合わん気持ちでいっぱい!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y345




    今回の考古学・歴史ニュースはあ~モーセの開いた海の道みたいなもんね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    エーゲ海──今では美しい島々と青い波が広がる観光地として知られていますが、数万年前にはかつて陸続きだった場所があった、という驚きの研究成果が報じられました。西トルコ、アイワルク(Ayvalık)の海岸線沿いで、考古学者たちは 138点もの旧石器時代の石器 を発見。これらはかつて海面が低かった氷河期に、アナトリア(現在のトルコ)とヨーロッパ本土をつなぐ陸橋が存在したことを示すものです。もしこの発見が描く通りであれば、人類がヨーロッパ大陸に拡散したルートの通説を大きく書き換える可能性があります。




    🔍 氷河期に現れた、もう一つの人類の道

    氷河期には地球規模で水が凍結し、海水面が現在よりも 100 m以上も低かった と推定されています。その頃、現在は島や半島として点在しているアイワルク周辺の地形は、連続した陸地を形成し、人の移動を可能にしていたのです。この「陸橋仮説」は、アイワルクの新しい調査によって裏付けられつつあります。



    arukemaya_y349
    ↑これがどこなのか全然分らん地図も珍しい、元論文見ても分らんかた!( ・Д・)

    (Mazza et al. 2013: Fif.2より転載)

    arukemaya_y344
    ↑とりあえずエーゲ海はここ!( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)


    arukemaya_y351

    ↑右側がトルコで左側がギリシャでヨーロッパなんだけど、エーゲ海の中で一番距離が短くて島が今でもあるのはこの辺りでない!?( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)



    🗿 海岸線で発見された、旧石器の証拠

    考古学チームはアイワルクの 10か所 にわたる調査地点で、138点の石器を収集しました。
    出土した道具の内訳は以下のように多様です:

    • ルヴァロワ(Levallois)方式 のナイフ状の破片 — 中石器〜旧石器時代で高度な技術を示唆。

    • ハンドアックス(手斧)クリーバー(割る道具) などの大型石器。

    • 原材料として 燧石(フリント)カルセドニー (玉髄)を利用した石器が含まれ、地元資源の活用も示唆される。

    これらの道具は、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの活動と結び付けられる典型的な旧石器遺物であり、単なる通過点というより 居住や長期利用の痕跡 を示す可能性があります。



    arukemaya_y347
    arukemaya_y348
    ↑海の中、調べてるわけじゃないのね。このレキ群の中から拾うのね!( ・Д・)
    (「Popular Science」の記事内画像より転載;Credit: Kadriye, Göknur, and Hande)



    🌐 新たな人類拡散モデルへの挑戦

    従来、ヨーロッパへの人類進出は、バルカン半島やレヴァント(中東)経由が中心的なルートと考えられてきました。しかしこのアイワルク陸橋仮説が正しければ、 エーゲ海を横断する別ルート が古代から機能していた可能性が出てきます。研究者たちは、単なる移動経路ではなく「技術と文化の交差点」として、この地域の重要性を指摘しています。




    🌿 地形の復元と生活の場としての陸橋

    古地理学的解析によれば、かつてのアイワルク地域は島々ではなく 内部陸地をもつ大きな平原 だった可能性があります。これは単なる通過地ではなく、 定住や道具づくりが行われた「暮らしの場」 であった可能性を示唆しており、研究チームはこの場所を移動経路以上の意味を持つ「ハビタット(生息地)」とみなしています。さらに、原材料の採集地点と道具製作地点の地理的な関係から、石器技術がローカルな資源を反映していたことも読み取れます。




    arukemaya_y350

    ↑この石材は割り方が分かり易いね!( ・Д・)

    (Karahan et al. 2025より転載)




    👩‍🔬 女性研究者チームとその情熱

    この発見を主導した調査チームは 完全女性メンバー という点でも注目を浴びています。Hacettepe大学の Göknur Karahan 博士らは、アイワルク地域の未踏性に挑み、小さな海岸沿いの草地や池などを丹念に調べました。彼女たちは発見した石器を手にした瞬間を「感動的で忘れられない」と語っており、これまで見過ごされてきた古代世界の扉を開いた喜びが伝わってきます。




    📈 今後の考古学・地質学へのインパクト

    • 人類史の教科書を書き換える可能性:これまで主流だった移動モデルとは異なるルートが、学術議論を再構築するターニングポイントとなりうる。

    • 水没地形の再評価:今後、沈んだ沿岸地形に対する地形復元や海底考古学の重要性がより認識される。

    • 技術伝播の新視点:レヴァロワ石器が示す技術共有や地域間交流の経路について、新たな比較研究が期待される。

    • 多分野協働のモデル:考古学・地質学・古地理学が融合するパイオニア的な研究アプローチとして注目される。



    arukemaya_y346
    ↑こう見ると島近いんだよな、いったいどこなんだ!( ・Д・)
    (「Popular Science」の記事内画像より転載;Credit: Kadriye, Göknur, and Hande)

    arukemaya_y352

    ↑地域名で調べたらまさかのここ?( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)



    arukemaya_y353

    ↑いやそりゃ隣のレスボス島までは近いけども・・・!( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)





    おわりに

    今回の発見は面白いんだけど、タイトルからしてまた水中考古学かぁ。流行ってるなぁと思ったけど、全員女性メンバーだから水着かぁとか思ったけど、海の中調べたわけじゃないみたいですね。そして場所が全然分からなくて、あんなに不親切な図面久々に見たわ。1970年代の図面を修正したらしいんだけど、全体図入れないのね。きっとトルコやヨーロッパの人々にとっては当たり前の図面なんだろうな。

    で、最後に調べた地図を上に載せたけども、、、どこに陸橋あったのだろう。広大な平野だった可能性もあるって言ってるから、確かにこのアイワクから直線的にギリシャを繋ごうとするとエーゲ海ほとんど陸地になる気がするよね。それはもう橋じゃないよ!考古学者なんだから橋の定義を考えろよ!記事用で注目集めるための言葉選びなんだろうけどさ!( ・Д・)





    何はともあれ、、、

    そういえばロシアから北海道まで泳いで逃げてきた人いたね!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 11がつ 15にち(どよーび、晴れ)

    頑張って2日で論文書いてる!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y343
    ↑たまたま原体踏んだまま焼いちゃったんだろうね( ・Д・)
    (「石岡市定例記者会見」用のPDFの画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースはあ~原体の痕跡ね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    白久台(しらくだい)遺跡から、考古学界をざわめかせる発見がありました。縄文時代中期(およそ5,000年前)と推定される土器の破片、その底に残されたわずかな凹み──しかしその痕は、ただの傷ではありません。研究チームはそれを「縄文原体(じょうもんげんたい)」、つまり土器の文様をつけるために実際に使われた縄の形跡だと断定しました。


    これが何を意味するかというと、人類学・考古学ファンだけでなく、縄文文化のロマンを追うすべての人にとって大きな意味を持つのです。なぜなら、土器に縄目模様をつける技術は縄文文化を象徴する特徴のひとつですが、実際にどんな縄が使われていたかを示す物理的な証拠は非常に希少です。今回の発見は国内でわずか3例目であり、しかも加曽利貝塚(千葉市)より古い可能性が指摘されていて、「国内最古」の縄文原体の証跡となる可能性が高いのです。




    🧭 白久台遺跡とは?

    茨城県石岡市所在の白久台遺跡は、縄文時代の集落として報告されており、小さな土坑や縄文土器などが出土しています。2025年2月の定例記者会見で、市教育委員会などの共同調査グループが、土器片から縄の圧痕(痕跡)を確認したことを発表しました。




    🔍 “縄文原体” 圧痕の発見 — その中身

    • 圧痕は長さ約 50ミリ、幅 3ミリ

    • 推定年代は縄文中期、約 5,000年前

    • これが意味するのは、土器の底面に、縄を転がして文様を付ける際に使われた「縄」の物理的な痕跡。

    • 実際の縄(縄文原体)は発見されていないケースが多く、その圧痕だけを頼りに縄の形を復元するレプリカ調査が行われています。

    • 圧痕はこれまで国内で 3例目

    • 研究グループはこれを、加曽利貝塚(千葉)での同様の痕跡より古い可能性があるとみています。



    🧶 技術の復元とその意義

    この発見を受けて、考古・文化財研究の現場では再現実験が始まっています。記者会見資料や学会発表では、圧痕から型を取り、樹脂を使って縄を復元。また、将来的にはその縄文原体を使って、実際に縄で模様付けした土器を再現するプロジェクトも視野に入れられています。


    このアプローチは、単なる「痕跡」の確認を超えて、縄文時代の土器製作技術や生活空間、道具の使われ方をよりリアルに理解するための強力な手がかりになります。




    🌍 縄文の文様技法をめぐって — ほかの事例との比較

    • 同じ石岡市の東大橋原遺跡からは、土器底部に敷物や編組(あみくみ)の圧痕が見つかっており、地域特有の編み技術が推定されてきました。

    • 学際研究では、縄目・網代・編組といった装飾技術を通して、地域間の技術伝播や衣食住のスタイルの違いを探る動きもあるようです。

    • また、縄文文化全体を俯瞰すると、縄目模様の土器は日本列島ほぼ全域で見られ、縄文時代の土器文化を象徴する技法となっています。


    arukemaya_y342
    ↑原体の復元もあるね~( ・Д・)
    (「茨城新聞クロスアイ」の記事内画像より転載)



    おわりに

    縄文原体って考古学の実習で作ったな~って想い出がありますね。記事の性質上、今回の発見も大事って書きましたけども、確かに大事には大事。でももう遥か昔の研究でたくさん実験的に作られて製作過程復元されてるから、そういう意味では大きな意義は内かなって思います。特にね、実際に原体作って縄文土器の実寸復元作ったこともありますが、あれって短いとけっこう大変なんだよね。

    かといって、長い原体作るのも大変なのさ。元々の紐がめちゃくちゃ長くないといけないからさ。まぁ折り返して作らないで紐を複数用意すればいいんだろうけども。でも長くつくると今度は回転させてる時に手で押せてない部分がぶんぶん暴れて器面に変な圧痕残したりするし困ったさんなんだよね。そう思うと原体って大体どれくらいの長さだったんだろうな~って個人的には思います。その意味で今回の発見は一部しか分からないから全体の長さは分からないよね。やっぱ完形で出てくれないとだめなのかな。


    何はともあれ、、、

    レプリカ法流行ってるね!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 29にち(すいよーび、晴れ)

    もう10月も終わる、急ぎ論文かかにゃ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y280
    ↑シリコン製の鋳型だってさ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「そりゃあめんどいからまとめて作るよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは。久々に日本の話題を取り上げます。今回のテーマは、福岡県春日市に所在する「奴国(なこく)」の王都とされる須玖遺跡群で出土された、なんと一度に3面の青銅鏡を鋳造できる石製鋳型――弥生時代後期(約2000年前)の新たな技術展開を示すこの発見は、鏡という「象徴性ある器物」の生産変化を浮かび上がらせます。


    「鏡」というと、貴人の副葬品や儀礼用具として私たちはまず「一点もの」的印象を抱きます。しかし、ここで出たのは“量産するための石板=鋳型”。これは、鏡の利用や流通、あるいは社会階層・交易・技術の変化を示す可能性を孕んでいます。さあ、鏡の向こう側にある、弥生後期の物質文化の動きを覗いてみましょう。




    🏺 発見:一度に3面鋳造可能な石製鋳型

    福岡県春日市、須玖遺跡群より報告された発見では、石製の鋳型(直方体形・約9cm四方・厚さ約4cm)が出土。片面には直径4 cmほどの鏡型が3面彫られ、溶融金属を流し込む湯口とそれらを連結する溝が確認されています。 


    この鋳型は弥生時代後期とみられており、石材で鏡を同時に複数製造できる構造という点で、全国的にも「鏡量産の証拠」として初めてのものとされています。 


    銅鏡製造というと個別・儀礼的というイメージが強かっただけに、「同時に複数」=“生産ライン的”という発想がここに出てきたことは、弥生後期の社会・技術観を刷新するものです。



    arukemaya_y278

    ↑見つかったのコレ!( ・Д・)



    ⚙️ 技術・社会背景:なぜ“鏡量産”だったのか?

    鋳型の発見は技術側面だけでなく、社会・流通・象徴という広い視野を提示します。

    • 鏡は当時、豪族・王の権力象徴・儀礼用具として重視されており、量の確保・流通の拡大が進んだ可能性があります。

    • 奴国の王都とされるこの地だからこそ、「対外交渉」「権威誇示」「流通拠点」という三位一体の機能があったと推測できます。

    • 鋳型が石製という点も興味深く、金属鋳型ではなく石で複数面を彫るという技術選択は、維持・再利用・コスト面などを考慮したローカル・プロダクションの工夫を示唆します。

      このように、「量産」という言葉が示すのは単なる数の問題ではなく、鏡という物の持つ意味・流通・社会階層・技術ネットワークが変化した可能性を含んでいます。




    🌏 広域視点:弥生後期鏡・量産化のグローバル文脈

    この発見を春日市というローカル遺跡だけで終わらせるのはもったいない。鏡量産化というテーマを広域的視点でも捉えてみましょう。

    • 日本列島では、弥生時代後期~古墳時代初期にかけて、銅鏡の量・分配・副葬化が顕著に増加しています。これは社会階層化・王権形成・広域交流の現れとされます。

    • 同時代の東アジア大陸でも、鏡の鋳造や流通が進展しており、鏡生産の“地域的プロダクション”化という潮流があったと考えられています。

      このように、春日市の鋳型出土は、国内史だけでなく東アジアの金属器生産・流通史ともリンクする発見であり、鏡という器物の意味が「一点豪華」から「量と流通」にシフトしつつあった転換点と捉えられるのです。


    arukemaya_y281
    ↑こんな風に作れちゃうようだ!( ・Д・)


    🧱 考古学的インパクト:何が変わるのか?

    この新発見が持つ意味を、少し整理します。

    • 鏡一個ではなく「複数同時鋳造」という設計思想があった痕跡=鏡の“在庫化・流通化”可能性。

    • 鋳型が出土したという事実により、鏡は単なる権威象徴ではなく、日常的・準儀礼的な物質としても位置づけられ始めていた。

    • 遺跡の立地(王都である可能性)と量産用鋳型という構造から、「国家的・部族的プロダクション拠点」の可能性も考えられる。

      この発見によって、弥生後期が「鏡のあり方を変えた時代」、技術・社会・象徴が交錯するターニングポイントとして再評価される可能性が大きままっています。




    おわりに


    3年前くらいかな、私のティカルにおける財の社会不均衡分布に関する数理モデルを日本研究に応用しようと思って、まずは古墳時代か!と思った時にやはりまず銅鏡のデータから取り始めたのを覚えています。でも私にとっては出土数とか数値さえあればそれで良いので全然鏡について知らないんですよね( -д-)ノ

    で、舶載鏡(中国産)と仿製鏡(国産)があって、仿製鏡の方がサイズがかなりデカいってデータがあったので、「今でいうマウント取るための装置」だからデカい方が目立っていいかぁ、古墳もデカいしね!とか思ってたんですけど、今回発見された銅鏡は全部ちっこいですね。直径10cmくらいだもんね。


    そういう小さい鏡とか、銅鏡模したチョコレートとかって博物館がやってる体験講座用だと思ってたけれど、実際小さいのあるんですね。もう手鏡じゃん!って思いましたダイソーとか100均で売って欲しい!まぁミュージアムショップでは売ってるのか・・・





    ん、何か・・・

    鏡欲しくなってきた!( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 22にち(すいよーび、雨)

    今日は超久しぶりの日中ずっと雨予報!(*・ω・)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「なんか薄い板が出たんだけど実はレアものだた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    📰はじめに


    こんにちは、今回のテーマは、なんと南トルコ、古代都市 Sagalassos(サガラッソス)の浴場遺跡から発見された、ローマ時代のエジプト神の図像。


    ローマ帝国の辺境、アナトリア山岳地帯に、なぜエジプトの神々が? 考古学的発見が投げかける「遠く離れた文明どうしの意外なつながり」に迫ります。


    アート、宗教、交易、装飾美術……さまざまな角度から読み解くこの発見は、歴史好きにも旅好きにも“ゾクッ”と響くネタ。どうぞお楽しみください。





    ✨ 出発点:サガラッソスで出土した驚きのレリーフ

    南トルコ、現在のブルドル県アーグラシュン(Ağlasun)近郊の山岳都市、サガラッソス。古代ローマ期にはピシディア地方の有力都市として栄え、現在でも優れた保存状態の遺跡群が残っています。
    2025年10月に発表された研究によれば、この都市のローマ期浴場(特に北部フリギダリウム=冷浴室)から、薄い大理石パネルに刻まれた、いわゆる「エジプト神」図像が確認されました。

    具体的には、

    • 中央にスフィンクス風の神格 Tutu が描かれ、

    • 左右に王冠を戴いた人間像(上・下エジプトの象徴か)や、鷹頭の神 Horus、ワニ頭の神 Sobek らが配置。

      興味深いのは、マーブル(大理石)はトルコ西部のアフヨンカラヒサル産(Afyon marble)であり、素材も技法もエジプト直輸入ではなく「ローマ期アナトリア的制作」であった点です。
      さらに、発見者である考古学者 Peter Talloen 氏らは「この図像プログラムが装飾目的に使われており、信仰対象というより“デコレーションとしてのエジプト風表現”である」旨を指摘しています。
      この段階で、すでにワクワクする事実が詰まっています:ローマ帝国が地中海を取り囲むだけでなく、エジプト→アナトリアの“アイコン”がやってきていたという。どうして? 以下で深掘りします。


    arukemaya_y262
    ↑なんか薄い板!( ・Д・)(「Anatorian Archaeology」の記事内画像より転載)


    🏛️ なぜエジプト風図像が? ローマ帝国における“エジプト主義”

    ローマ帝国では、征服地・交易路を通じてさまざまな宗教・理念が移動しました。なかでも、エジプトの神々はギリシア・ローマ文化圏において「奇異で魅力的なエキゾチック要素」として受け入れられてきました。例えば、合成神 Serapis(ギリシア・エジプトの神)は、プトレマイオス朝エジプトからローマ世界に広がった代表例です。


    しかし、「装飾」としての利用、しかも純粋に視覚的モチーフとして、エジプト神像がローマ期アナトリアの浴場に出てくるというのは、非常に稀少なケース。実際、研究者らは「エジプト外でこの図像が装飾目的で用いられた例はほかに知られていない」と述べています。
    ではなぜ、サガラッソスでこのような“エジプト風装飾”が生まれたのか? 幾つかの要因が重なっていると考えられます:

    • 交易・文化交流:サガラッソスはローマ期においてワイン・農産物などをエジプトなどへ輸出していた可能性があり、異文化接触があり得るという記録があります。

    • 装飾トレンドとしての“エジプト風”:ローマ時代、美的な理由でエジプト的モチーフ(王冠、スフィンクス、神格など)が好まれ、シンボルとして用いられた可能性。

    • 地域エリートのステータス表現:浴場という公共・社交の場において、異国的・知識的なモチーフを採用することで、地域都市の「世界とつながっている」感を出したかったのかもしれません。

    • 宗教的ではなく「象徴的使用」:先述の通り、このパネルは信仰対象ではなく、装飾目的と考えられているため、図像が“意味を超えて見せるもの”として機能した可能性があります。

    このように、「なぜここに」という問いには明確な単一解答はありませんが、“交易・装飾・文化的沸点”という三方向が交差していたことは明らかです。




    🛁 浴場という空間が持つ特異性

    今回発見されたパネルが用いられていたのは、浴場の“北部フリギダリウム(冷浴室)”という空間。なぜ浴場がこのような図像を伴う場だったのかも、考えてみる価値があります。


    浴場はローマ世界では単なる入浴施設ではなく、社交・衛生・リラクゼーション・美的演出が融合する公共施設でした。そこに装飾・図像が付加されることは珍しくありませんが、異国の神像をあえて取り込んだケースは非常にめずらしい。

    • フリギダリウムという“冷”の空間において、守護や転換のイメージを持つ神像(例えばスフィンクス‐Tutu)が置かれた可能性。図像が「外界からの守り」「異文化の知恵の象徴」として作用したかもしれません。

    • 浴場を利用する市民・エリートに対して、「世界がつながっている」「最前線だ」という感覚の演出。異国の神が現れることで、空間の“格”が上がる。

    • 装飾パネルという形式は、信仰儀礼の場ではなく“日常を彩る”場であり、浴場という“日常×社交”の場にふさわしい。

    つまり、この発見は「神殿」「祭祀場」ではなく「公共浴場」というありふれた空間に、遥かエジプトの神像が持ち込まれていたという点で、私たちの歴史観をぐっと揺さぶるのです。







    おわりに

    考古学ニュースはほとんど「なんちゃらを発見!」って感じだけれど、

    私は今回のような発見の方がいいな~って思います。



    ただ単に珍しいものが出たとか、「最大」とか「最古」とか、まぁそれらも重要なんだけれど、『ふ~ん( ・Д・)』って感じ。



    それよりは今回のように一見ただの「なんか薄い板」だし、装飾や造形が際立って美しく美術的価値があるわけでもない。

    でも考古学的価値はとても高くて、今後の研究の進展に繋がる・・・そんな発見の方が好きですね。




    まぁ単に、中南米における発見至上主義が嫌いなだけかも知れないけれど。

    たくさんの資本で、大きい神殿やら宮殿だけ掘って、”イイモノ”出すだけ。それが調査研究だと思ってる研究者とそれをよしとする学界と社会が嫌いなのだと思う( -д-)ノ



    あ、ふざけて始めて少し真面目に書いて、最後はふざけて終わる「あるけまやStyle」がぁぁああ( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱローマ・エジプト研究したいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

    このページのトップヘ