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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:レアな発見

2024ねん 9がつ 20にち(きんよーび、晴れ)

急遽転勤することになりました、たぶん( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは兵舎と兵士個人の遺物が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


いや~相変わらず、エジプトはいいよな~って思う記事です( -д-)ノ


さて、今回の舞台はエジプト北西部、アレクサンドリアです。

アレクサンドリアから南方約90km地点に今回見つかった遺跡があります。




arukemaya_z049



上に挙げた画像は今回出土した青銅の剣です。

黄金の剣に見えますが、青銅って銅と錫(スズ)の合金なのですが、その比率によって光沢というか色調が異なります。

日本の古墳時代で有名な三角縁神獣鏡も風化して緑青(ロクショウ)が発達するので緑色ですけど、本来は多くのものが銀色っぽく綺麗ですし、先に述べた合金の割合によっては本来金ぴか風であったと思われるものもあるのです。

なので上の金ぴか剣も、青銅の剣です。



この剣には「ラムセス2世」の名が刻まれている点で凄い発見です。

ラムセス2世と言えばあのアブシンベル神殿を建造したファラオとして有名です。

新王国時代のファラオで、治世は1279-1213 BCEと2番目に長く王座に君臨し、非常に安定した王国を統治していました。



まぁ普通はこのラムセス2世の銘がある金ぴか剣に着目するのですが、、、







私の場合はこっちですね( -д-)ノ

上に挙げた画像が今回見つかった古代エジプト軍の兵舎址です。



壁の基礎部が残ってるので間取りが分かります。

これが凄いことですヾ(´ω`=´ω`)ノ




マヤ文明研究で私が数理的なモデルを作ることが比較的容易な理由も建造物サイズが分かり易いからです。

だからこうした事例が他の文明であるととても嬉しく感じます。









そしてそれぞれの部屋からは様々な遺物が出土するわけです。

魚や陸棲動物の骨が入った陶器や調理に使われた竈(カマド)といった兵士の暮らしぶりが分かる遺物も出ています。

倉庫も見つかっていますが、外部からの補給だけではもたないでしょうから、自給自足のためか狩猟道具も見つかっています。



他に兵舎らしく戦争で使われた武器も見つかっています。

更には個人のアクセサリー、象牙製の化粧品塗布器具、古代エジプトで使われていた半貴石のネックレス、半分欠けた青銅の指輪も出土しています。

また上に挙げた画像のようなエジプトの神々を表す様々なスカラベも出ています。

兵士にとってのお守りだったのかも知れませんね。




こうした建造物の情報と出土遺物の組み合わせが分かる事例はとても重要です。

地道な分析を通して、古代の人々、今回の事例だと古代エジプト軍の兵士たちのリアルな生活が分かってくるわけなのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!






おわりに

アブシンベル神殿ってやっぱり有名で、テレビとかで一度は見たことがあるんじゃないでしょうか?

今回上に挙げた画像を見つけて驚いたんですけど、砂漠の中にあるのかと思ってましたが、、、、


海(?)に面してるんですね!

調べてみたら「ナセル湖」っていう湖だそうです。

知らなかった・・・( ・Д・)



この北にアスワンがあるので、色々と良くも悪くも有名なアスワン・ハイ・ダムがあるんですね。



個人的にはファミコンの「虹のシルクロード」ってゲームが想い出深くて、その中に「アスワンの都」って出てくるんですよね。

まぁ知らないでしょうが!( ・Д・)




何はともあれ、

やぱ死ぬまでに一度はエジプト行きたい!( ・Д・)



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2024ねん 9がつ 6にち(きんよーび、晴れ)

食欲爆発中!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「謎のピクト人の指輪を考古学大好きなアマチュアが発見したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



アマチュアか、、、スコットランドだし、また金属探知機系かな~って思ってたら違いました( -д-)ノ


アバディーン大学卒業の元エンジニアが母校が行っている発掘調査に参加して、見事、貴重な指輪を掘り当てた!というものでした。

それなら出土状況などの記録もしっかりしてていいですね(*^・ェ・)ノ



さて、ピクト人は古代ローマ帝国期にスコットランドに住んでいた集団です。

当時のスコットランドはカレドニアと呼ばれており、ピクト人に関する記述は多くはありません。

そのため「謎のピクト人」などと呼ばれています。



”謎”なだけあって、ピクト人はピクト語を話していたと思われますが記録が少ないせいでよく分かっていません。

「ガリア戦記」にて有名なユリウス・カエサルが、ピクト人は身体に青い入れ墨を入れていると書いています。

ピクト人はコーカソイド系ですので、白い肌に青い入れ墨は目立ったでしょうね。




8世紀にスコットランドに併合されることで歴史から姿を消しましたが、それまでこのカレドニアにおいて、特にハイランド地方を中心に発展していた集団で、文献史学者によると7つの王国が存在したそうです。


1世紀にローマ軍と戦ったことで歴史上にその名を登場させましたが、本当によく分かっておらず、考古学者の地道な発掘調査によって現在までに少しずつ彼らの文化が分かってきています。





今回発見されたのが上に挙げた指輪です。

こんなのが出たらテンション爆上げ間違いないですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



さて、ピクト人の指輪はこれまでに発見例がほとんどないそうです。

そして見つかった事例はいずれも保管目的で埋めたものと推定されています。

お宝ですから、併合時などに際して強者側に盗られないように隠したのでしょうね( -д-)ノ



この指輪が見つかったのは「普通の住居」の床あたりらしいです。

情報が少ないので床直(床面直上)検出なのか、床下に埋めて隠した状態であったのかは分かりません。

まぁこれまでの事例でいくと、恐らくは後者なのでしょう。




財の社会不均衡分布の観点から考えると、、、

何の変哲もない民家であってもこうした指輪を所有できるというのはピクト人とその王国が高度に発展していて豊かであったことを伺わせます。


”謎のピクト人”、続報に期待です(*・ω・)ノ






おわりに


さて、「ガリア戦記」にはピクト人は刺青を入れることで戦場で威嚇していたと記述があるそうですが、上に挙げた石彫に見られるような幾何学模様を刺青としていたのかも知れませんね。

この石彫がいつのものか不明ですが、マヤ文明と比べると、王国の割りに単純なモチーフの浅彫りだなと感じてしまいます( -д-)ノ

もしかしたらピクト人の文化の中でも古い時期の石彫かも知れませんね。




そして最初に挙げた画像の下に書いた通り、、、

「金属製の指輪を素手で掴むんだね!( ・Д・)」




マヤ文明は基本的に金属出ないんで良く分かりませんけども、

(後古典期なら出るが、私の専門は古典期なので!( -д-)ノ)



手袋しなくていいのかな? とか思っちゃいますね( ・Д・)





何はともあれ、

やぱお宝見つけたい!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 31にち(どよーび、雨)

次の休みは休めないな、研究と申請書で忙殺かな( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはタヌキの足跡が付いた土器がSNSで人気らしいけども・・・ね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


上に挙げた写真のように確かに土器の真ん中に動物の足跡が付いてますね。

土器は須恵器(口径13cm、器高3cm)で、愛媛県松山市、久米官衙遺跡群で出土したものです。

約1300年前の飛鳥時代に、祭祀で供え物を入れるなどして使われたようです。




で、タヌキの足跡が付いているのでSNSで人気ってのはいいんですけれど、、、

現代日本社会の人間的に見れば可愛いからね・・・




「古代人も可愛いものが好きだった?」みたいなタイトルの記事も散見されたけど、、、

それってほんと???( ・Д・)


*この先の「おわりに」は夢がないので閲覧注意!







おわりに


松山市考古館の担当者は「意図的に付けたか、偶然付いたかは分からない」と回答しているようですが、、、

偶然ならいいのさ、古代人も可愛いし、まぁいいか!ってなって焼いちゃったのでしょう。



でも普通はそんなことないので、失敗品は焼成しなかったり、焼いて失敗したものはそのまま廃棄したりするんですよね。

だって失敗品なんだもの。

私たちがゴミを捨てるのと同じ感覚だと思います。




さて、上に挙げた拡大図だけれど、足跡の特徴から「タヌキ」だと同定されているそうです。

しかも前足と後ろ足のそれぞれで踏んだように、重なって見えるんです。




でもタヌキって真っ直ぐ歩かないんですよね。



真っ直ぐ歩いて、前足と後ろ足が重なるのはキツネとか。



ってことはタヌキを捕まえて(生死問わず)、まだ柔らかな土器の器面(内面)中央部にタブ期の前足と後ろ足を押し付けてスタンプ文状の装飾とした、というのが実情かなと思います。


飛鳥時代においてもタヌキを狩猟してその肉を食べていたと思われるので、、、

人間がこういうことする時は大体・・・というか考古学者が出す安牌な答えとして「豊穣祈願」かも知れませんね。



度重なる増税と物価高で苦しむ日本ですが、それでも世界的に見ればまだまだ飽食の社会、、、

野生のタヌキを食べずに済む現代の私たちにとっては可愛く見えるタヌキも、古代人にとっては貴重なタンパク源なのが現実かと思います( -д-)ノ




何はともあれ、

やぱ可愛いは正義!( ・Д・)



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2024ねん 6がつ 29にち(どよーび、晴れ)

全然寝てないのに仕事頑張れてる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「古墳時代の埴輪・土器の製作址が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


これ、私の専門でもあるっていうか、

実は、私がグアテマラ、ティカル遺跡で行っているプロジェクトの本来の目的は「古典期ティカルにおける土器生産体制の解明」なのです( ・Д・)


……今遠回り中なので全然違ったことやってるように見えるでしょうけど、本来そうだし、諦めてないのですヽ(TдT)ノ   
 
まぁそんなこんなで今回の発見は個人的にとっても興味深いものなのです。



さて、今回の舞台は群馬県、伊勢崎市の石山南遺跡・石山南古墳群です。


上に挙げた写真見てみると、土の感じが違いますね。
 
表面がなめらかな感じがします。

これが雨が降った後の清掃じゃないのなら、たぶんシルト系の土壌なのかな~と思います。     



シルトは砂と粘土の中間サイズの粒径できめ細かい質感です。

なのでぱっと見で この周辺で粘土も採掘できそうな雰囲気ですね(*・ω・)ノ 





そして上に挙げた写真が窯(かま)の痕跡です。


この工房では埴輪の他に土器も作っていたようです。

ニュース上では情報がないけれど、たぶん灰原(はいばら;窯の焚き口の前面に広がる、窯の中から排出された灰や焼き損じ品を捨てた場所)が検出されていて、その中に埴輪や土器の破片が入っていたのでしょう。



ちょっとこれだけの写真だとよく分からないけど、炭化物たっぷりの層が見えるでしょう。

それが恐らくは燃焼部(燃料あるところ)や焼成部(土器焼くところ)の天井部なのかなって感じですけれど、そうだとすると下方にもっと押してもいい(もう少し掘るの意)気がしますが、、、

なんか全体的に厚みがないというか空間が狭いように感じます。

土圧でつぶれるとこんな感じなのでしょうか……

調べてみないと分からんのですが、まぁこの時代を専門に取り扱うプロが掘ってるんだからこれでいいに違いない!( ・Д・)


今回の発見のすごいところは、

①古墳から10m程度の距離に工房があった

②埴輪だけではなく、土器も作ってた

③材料となる粘土の採掘坑も見つかった


工房跡と採掘跡がセット関係で見つかるのが本当にレアな発見なのです。


いやぁ今後の情報開示に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




……そして日本の窯跡の勉強しなきゃな~って思う今日この頃です( -д-)ノ








おわりに

最後に挙げた写真は埴輪の頭部です。

シカだそうです。

こんなんだけど、鹿です。

 (しかのこのこのここしたんたんのアレです)



 確か東京国立博物館とかにシカの埴輪の立体パズルがあったような……



何はともあれ、

私にはナイトメアビフォアクリスマスの犬にしか見えない!( ・Д・)



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2024ねん 6がつ 28にち(きんよーび、大雨)

少ない研究時間の中よくやってると思うのだが!が!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは2000年前の古代ローマのワインが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はスペイン南部のカルモナです。

ヨーロッパの街並みって古めかしいカッコイイ感じがしますが、実際に古い住宅ってたくさんあるんですよね。

完全に壊さずに必要に応じて修復したり、補強したりして住み続けています。

伝統的な住居は趣あっていいですよね、実際に住むのは大変そうだけれども!( ・Д・)



スペインでもそうした風習はあって、今回の発見はそうした古い住宅の改装工事に伴って発見されたものです。

下に挙げた写真のように屋根がアーチ状になっているカタコンベ(地下墓室)状の遺構が発見されました。

カタコンベ内では骨壺に骨を入れるために遺体を火葬したと思われる痕跡があり、その薪の痕から象牙が検出されたようです。

恐らく儀礼的に遺体ともに焼いたのでしょう。



ニッチ(壁の中の窪み)の中に骨壺などが入れられていたわけですが、その蓋を開けてみたところ、液体状のワインが見つかったのですΣ(・ω・ノ)ノ


arukemaya113




ワインなどの食べ物や飲み物は考古学の発掘調査によって土器や陶器の中から見つかります。

でも基本的には『残滓』として僅かに残っていて、理化学分析によってその正体が分かります。




今回のケースでは『液体のまま』のワインが残っていた、というのが凄いことなのです。

特にアルコール分などは揮発しやすいですし、本当にレアな発見なのです。



しかもその総量は約4.5L!( ・Д・)

これは本当にすごい量です。


発見時、液体は赤みがかった様相でしたが、科学分析の結果、赤ワインにのみ含まれる物質「シリング酸」が含まれていなかったことから、元々は白ワインだったと推定されています。






おわりに

これまでも考古学で見つかっている液体状のワインはいくつかあって、当サイトでも記事にしてきましたが、最古でも1700年前?

今回の発見にある墓の古さが2000年前で確定ならば最古の記録更新となります。



ちなみに上に挙げた写真は1774年産の最古のワインです。

こちらはオークションで購入できて、飲めるものとして最古のものです。


過去にも同年産の黄ワインはオークションに出されていて、その時の価格は500万円~700万円ほどだったそうです。


ワインって高いですよね……



何はともあれ、

ワインの味はよくわからん!( ・Д・)



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2024ねん 6がつ 17にち(げつよーび、これから大雨)

喘息で死亡ちゅうヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは行方不明の化石人骨が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


行方不明と言っても「盗難」とかじゃないんです。

ただの遺物の管理の問題( -д-)ノ



今から55年前に鳥取県堺港市で「夜見ケ浜人」と命名された化石人骨が見つかりました。

部位は女性の下顎骨で、時期は後期旧石器時代に相当する約2~5万年前のものと判定されていました。




ただ50年以上前の話なので時期判定が正しいかは不明です。

当時から検出された状況を鑑みて縄文時代の骨かも知れないとする説があったのです。

そのため今回早稲田大学で再発見されたこの夜見ケ浜人の人骨は再分析される予定になっているそうです。




ちなみに下に挙げた写真が明石原人の骨です。

こちらも時期が分かっておらず、困った存在なのですが、第二次世界大戦の際に失われており、永遠のミステリーとなっています( ・Д・)



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↑明石原人の骨の写真( ・Д・)(「明石原人まつり実行委員会」の画像より転載)





おわりに

「遺物の管理の問題」とは書きましたが、多くの大学や埋蔵文化財関連施設では遺物が溢れていますから、こうした問題はよくあることのような気もします。

むしろ保管状況が悪くて失われてしまうケースもいくつか聞いています( ̄▽ ̄;)!!ガーン



……私のプロジェクトの遺物は、ティカル国立公園で大事に保管されているので特別問題はなさそうですが、

それでも継続的に発掘を行っているため、そろそろ総遺物量が凄いことになって、倉庫が溢れかえることになりそうです( ・Д・)

誰か倉庫新しく造るお金をちょーだい!ヽ(TдT)ノ



何はともあれ、

この顎、残りいいね!( ・Д・)



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2024ねん 6がつ 7にち(きんよーび、晴れ)

あとでお昼寝が必要だ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは明智光秀が造った城の一部が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は滋賀県、大津市の坂本城址です。

この坂本城はかの有名な比叡山の焼き討ちの後、1571年に明智光秀により築造されました。

織田信長が築造した安土城に次いで天下第2の城と評されるほどの豪壮華麗なものであったと伝えられています。



しかしながら1586年豊臣秀吉の命により坂本城は廃城になり、石垣等の資材は大津城築城に使用されました。

そのため歴史情報だけが残り、考古学的な遺構としはほぼ残っていない状況なのです。



上に挙げた復元図のように、坂本城は「水城」であり、水路で隔てられつつ、最右手の本丸、二の丸、三の丸で構成されています。



arukemaya094



今回見つかったのは三の丸の一部です。

三の丸の地点は現在そのほとんどが住宅の下にあり、一部は田畑の下にあります。

宅地開発に伴って事前調査したところ、上に挙げたような石垣と外堀が見つかったのです(*・ω・)ノ

それにしてもかなりの残りの良さですよねΣ(・ω・ノ)ノ



下の写真を見るとよくわかるように石組も綺麗に残っています。

長さは30m、高さは高いところで1m程度です。



宅地開発を行う予定であった地元の会社「三王不動産流通」は開発中止を決定し、更に遺跡の国史跡指定に向け相互協力する覚書を締結しました。

本島に素晴らしい会社ですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ







おわりに

文化財保護って大事ですよね。

失われたらもう後からは何もできないのだから。



今回開発をストップした「三王不動産流通」は本当に凄い、偉い!と思うけれど、、、

基本的に大体ぶっ壊すもんね。


↑こんな悪どい人もいる( ・Д・)

↓他方でこんな神もいる( ・Д・)



上の事例が本当にヒドイやつですね。

下の記事は本当に素晴らしい。

お金に余裕あったら工事して、こうした地下博物館で一杯の世の中になったらいいのにね。



野外は野外でいいのだけれど、今回の宅地建設も自分たちの地下にプチ博物館あったら素敵じゃない?(。・ω・)ノ゙



何はともあれ、

やぱ世の中、金だな!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 13にち(げつよーび、めちゃ雨!)

風邪ひいて痰がまだ絡む~(TДT)

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今回の考古学・歴史ニュースは戦国時代の籠手がいい感じで出てきたので公開するぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は埼玉県行田市の忍城跡です。

2019年の発掘調査時に保存状態が極めて良好な籠手が出土しました。



長さ59.6cm、最大幅45cmの鉄製の籠手でした。

鉄製であるのに保存状態が極めて良好なのは出土地点の環境によります。

今回の出土位置は、忍城の本丸と二の丸の間の堀の底付近でした。



出土地点が堀の跡ですが、長いこと水に浸かっていたことから良好な状態で保存されたと考えられます。

ちなみに出土状況としては右腕用の籠手が左腕用の籠手の上に重なって固着した状態でした。

2019年の発見なのに2024年5月になってからの一般公開となった理由は保存処理と、この固着状態からの解放に時間を要したということです。






おわりに

博物館に行くと戦国時代の刀剣や甲冑ってけっこう展示されていますよね。

まぁ「刀剣女子」とか生まれるくらいに全国にはたくさんあるのでしょう。



そういったものは基本的に伝世品だと思います。

それに対して今回の発見は考古学的なものなので、出土地点・状況のデータがあることが特異ですね。

堀の中からは他にも様々な出土品が出ていて、それらからの類推により今回の展示の目玉となっている籠手の帰属期間は1400年代後半から1500年代前半と考えられています。



展示は埼玉県行田市の郷土博物館にて展示中です。

籠手の他にも忍城に関連した具足や刀剣類を含めて計37点公開しているそうです。



とりあえず、戦国期の籠手がほぼ完全な形で発掘されるのは激レアなので、是非見に行ってみましょう!




何はともあれ、

戦国時代は人気あっていいな!( ・Д・)



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2024ねん 4がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

やっぱ健康第一だね(定期)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya065
↑こー見るとよく分らんが、、、目を凝らすと?( ・Д・)(「PBS」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「川から古墳!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は滋賀県、近江八幡市江頭町です。

ここに日野川という川が流れていて、上に挙げた地点で円筒埴輪が6点1列に並んだ状態で見つかりました。




上の写真だとパッと見は分かりにくいのですが、、、右手に白色や黒色の土のう袋(?)の列が見えると思いますがその辺りが発掘現場となります。

よく見ると調査地点の真ん中ぐらいになにやら細かな『破片群が縦一列』になっているのですがわかりますか???( -д-)ノ




arukemaya067
↑これならより分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


上に挙げた写真が、最初の写真の右手側から撮影したものです。

なので奥に少し川が見えている状態です。



これだと真ん中に破片群が「横一列(やや左肩上がり)」になっている状態が分かり易いかなと思います。

ちなみにその破片群の下側には青みがかった灰色っぽい地面が見えていますね。

これは『グライ土(無機質水成土壌)』です。

川の傍ではけっこう見られます。

というのも水分が絶えず供給されることで酸素不足になって(この現象はレアな遺物が残る理由としてもこれまでに何度も紹介しました)、その状態で土壌や粘土中の鉄分が還元すると青灰色や緑灰色になるのです。

土壌や粘土のグライ化なんて風にも表現します。


arukemaya068
↑たくさんの土器片(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


さて、もっと寄って撮影したものがこれです。

先ほどの写真の左側から撮ったものですね。



なので、左手に乾燥した地表面が見えていて、右手にぐちゃぐちゃな地面(グライ土側)が見えています。


破片群も奥側のものはかなり形が残っているようです。

これで円筒埴輪6個体分……?

もっと多い気がするけれど、まぁいいでしょう( ・Д・)



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↑これ見つかったやつ(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


見つかった破片試料群を接合するとこのような感じになります。

博物館の古墳時代のコーナーでは、特に右側のものは見たことがあるのではないでしょうか?




さて、タイトルは「川から古墳!?」ですが、これだと河岸から埴輪が見つかっただけの話になってしまいます(´・ω・`)


arukemaya066
↑これ分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


この写真には補助線が入っています。

埴輪は古墳の上に列を成して並べていることが通例です。

下側の黄色のラインが先ほどまで見てきたものです。

なのでやや左肩上がりのラインでしたね。



ってことは対になる埴輪のラインがあるはずで、それが上側の黄色のラインになります。

つまりこの地点にかつて前方後円墳があって、埴輪はその上に並んでいたのです。

長い時間経過や造成工事によって河川の経路が変わったため、古墳は削れてしまい、水没することになったようですね( ・Д・)

ほんとレアな発見だと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

今回、渡航中に書いていたものを時間が経過してから書き終えたため、写真のリンク情報を失念してしまいました( -д-)ノ

まぁ主に「滋賀News」のはずです……

これを機に、『書く時は一気に仕上げる』ように致します。

そして……時間ある時にリンク調べて追記しますね(*^・ェ・)ノ




何はともあれ、

レアな発見っていいな!( ・Д・)



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2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

ビール祭りだぁヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだやっぱり凄いよね、日本!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


日本列島への人類の移動

上に挙げた画像は東京都、上野にある国立科学博物館が実施した「3万年前の航海再現プロジェクト」で使用された丸木舟です。

学術クラウドファンディングで約6000万円集めてるんですよね。



実験考古学としての成果というよりは単純に集めた額がすごいなと思ってしまうのは私だけか( -д-)ノ

まぁでもほんとすごい。

この丸木舟は長さ7.5mなので、これまでに出土した平均的な長さの中で大きめのサイズとして作られてて、最大サイズとかではないんですよね。

それでいて、台湾から沖縄県、与那国島までの約225kmを移動したんですよね。

それはすごい(*・ω・)ノ





この記事では「縄文時代の丸木舟は約5~7mで二人乗り」って書いてます。

この話は復元の件も兼ねてるのですが「移動」のことではないんですよね。

例えば、前に一人、後ろに一人、間のスペースにモノを載せて「運搬」するとか、

二人乗りで「漁労」をして、間のスペースに網などの道具や釣果を載せるとか、

そういう生業関連の話なのです。




この科博の事例だと5人で乗ったそうです。

まぁ225kmの距離を移動することが目的なので、「漕ぎ手」がたくさんいないと困るんですよね。

舟なので体重分の重量が増えることよりもパワー・スタミナの方が大事なのです。




人類の移動か・・・

でもたかだか5人来た程度じゃ生き残れなさそうですね。

意図的に船団で移動したのか、あるいは継続的に遭難など潮の流れの関係で多数流れ着いていたのか、、、




とある生物学者が文明崩壊後に人類が再生するとしたら何人必要かという疑問に対して100人と答えていました。

近親交配を繰り返すとまずいのでDNAの問題からという回答ではあったけれど参考にはなりますね。

3万年前の大陸側から列島への移動に対して、100人もの集団が船団で移動したってのは当時の社会スケールからして考えにくいので、やはり後者かなって気はします(*^・ェ・)ノ





縄文時代最古の舟

さて、では日本最古の舟の話に移りましょう。

出土遺跡は千葉県、市川市雷下遺跡です。



上に挙げた丸木舟は全長約7.2m、幅約50cm、厚み約8cmで、本来は全長7.6mを超える当時としては大型の舟と考えらます。

当時というのは今から約7500年前、縄文時代早期の終わり頃のことです。



次に古い事例は、島根県、松江市の島根大構内遺跡で出土した丸木舟で、約6000-7000年前の縄文時代前期のものです。

サイズは6m程度です。

縄文時代の丸木舟のサイズ分布が5~7m程度ですから、雷下遺跡の丸木舟は最古級にして最大級の事例ということになります。

両者ともカイ(オール)も出土していますし、後者はヤス(漁労具)も出ているので本当にレアな事例と言えます。

また丸木舟はムクノキやスギを素材として、火で焦がしながら、巨大な樹を石器で削って作ったと考えられており、上の写真でも内面が焦げている様子が見て取れると思います。



さて、縄文時代は約16000年前から2400年前の期間として定められています。

ざっと1万4000年のもの期間になります。

その期間の細分として、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6期区分があります。



縄文時代の丸木舟と言ってもその多くの出土事例は後期・晩期に帰属するものが多いのです。

まぁ古くなると出土遺物量が減少するのは致し方ないのです( -д-)ノ



されども既に上で述べた貴重な2例があるように、縄文時代の早期の終わりから前期には既に丸木舟があったことが分かっています。




活発な遠距離海上交易はいつから?

現状、最古の化石人類は約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスですね。

最古の石器はまだやや古くなりそうですが、一般的には約260万年前のオルドワン石器ですね。

作ったのはホモ・ハビリスで、猿人-原人段階です。



他方で新人、ホモ・サピエンスは約20~30万年前に誕生しました。

その後、他の化石人類たちは絶滅して私たち現生人類だけが生き残りました。

つまり私たち現生人類はその誕生直後から道具を作り、使用できた、あるいは少なくとも化石人類の活動の観察から即座に学習できた環境にあったことになります。



恐らくこの最初期から人類は製作した道具の交換(交易)を行っていたかも知れません。

しかし事例が少な過ぎる他にも、活動領域での身近な石材を利用していたことから交換(交易)の実態は不明です。

産地が限定される黒曜石の利用が始まって交易が確認できるようになりますが、ニューギニアでの約1万9000年前の事例が最古です。



地中海域での海上交易の歴史も古く、約1万4000年前には1000km程度の交易網がありました。

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるです。




丸木舟の最古の事例は約7000年前でした。

東北地方の三内丸山遺跡などの事例では約5000年前には黒曜石、翡翠、琥珀が日本各地から集められており、海を渡って北海道由来のものも伝わっています。

ではいつからこうした活発な海上交易がおこなわれていたのでしょうか?



九州南部と沖縄の事例では縄文時代前期(約7000~5500年前)に土器の海上交易があったようです。

奄美大島では金雲母を含む鉱物組成の粘土・砂がありませんが、金雲母を含む土器が多数見つかっています。

これは九州本島南部や奄美大島より南の小島、あるいは沖縄本島で生産されたものが運ばれてきた可能性を示しています。



また北海道~九州の範囲では縄文時代草創期(約16000~11500年前)の『爪形文土器』が広く分布します。

北海道~九州という広い範囲における土器の類似性は活発な海上交易に伴うモノや情報の伝播を意味していると考えられます。

最北端である北海道の爪形文土器の事例が1万4000年前ですから、そこから考えると、繰り返しになりますが、

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるということになります。

すごいね、日本 (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

経済って複雑だけれど、面白い!って最近思えるようになりました。

考古学ってデータが限られているからこそ、経済などの様々な現象をシンプルに捉えることができるかな~って思ってますが、

ほんとに交易のレベルでも十分複雑で大変です。

大変ですが、面白い!



今年度は僅かでも古代社会研究を現代社会研究と繋げられるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

論文で書くことのない一般的な説明部分の箇所も多いので、分かり次第記事しますね~(・∀・)つ

「居酒屋の考古学」とかやりたいもの・・・

考古学研究から、現代社会の経済研究につなげて、ビジネスに役立つレベルの分析ができるようになりたい!( ・Д・)



何はともあれ、

焼き鳥食べたい!( ・Д・)



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