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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:レアな発見

2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


arukemaya1640
↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


どうですか、これ?

私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




どうですか?

あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

・・・

・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







正体は何なのか?

さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


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そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




一方でボクサーなのは何故でしょう?



arukemaya1640
↑再掲


まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




おわりに

小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

他に類例を知りません。



しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

よく取れずに残ったなと感心しますね。

よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



・・・・・・

余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

採用されないかな!?( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 2にち(どよーび、だいたい晴れ)

生まれ変わるぅ~( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはお墓251基出ただけでスゴイのに、三種の神器も出たってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は佐賀県、大和町の七ヶ瀬遺跡です。

弥生時代後期(1~2世紀頃)に属する遺跡で長軸61m、短軸25mの大規模な墓域遺構が見つかっています。

これまでの調査で251基の墓がまとめて見つかりました。

私が調査者なら嬉し涙半分、哀し涙半分ってくらい、231基の墓ってめちゃくちゃ多いんですけど、、、

これでも九州北部域では有数ってくらいで最多記録ではないのですΣ(・ω・ノ)ノ

縄文時代は土壙墓(どこうぼ)っていう単純に穴掘って埋葬する方式が一般的でした。

縄文時代でも後期や晩期になると所謂「甕棺(墓)」(かめかん(ぼ))のような土器棺墓が一部見られるようになります。

弥生時代になると集団としての規模も多くなるので、自然と墓の数も増えるのはなんとなく分かるでしょう?

それだけではなく、弥生時代の葬制が変わることで考古学的に墓が発見しやすい状況になるのです(*・ω・)ノ


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↑弥生時代の埋葬方法(赤穂市立有年考古館 2015の画像を一部加工)


上に挙げたようにまず弥生時代には埋葬方法が少し変わります。

土壙墓と土器棺墓は継続的に見られますが、弥生時代になると被葬者の身分によって異なる埋葬方法が取られるようになると考えられているのです。

縄文時代から見られる最も一般的な土壙墓は相変わらず一般的に見られる一方で、特に新たに見られる木棺墓や石槨墓は有力者と思われる人物に用いられるのです(*^・ェ・)ノ


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↑弥生時代の埋葬方法2(赤穂市立有年考古館 2015の画像を一部加工)


弥生時代には墓域を形成しますが、上に挙げたように一般向けの墓(左)と有力者向けの墓(右)に分けられる傾向が見られるようになります。

時期差もありますし、本当に『一般向け』なのかは問題ですが、こういった方形周溝墓や円形周溝墓は考古学的に検出しやすいのです。

更にこの(恐らく家族のためのお墓だから)複数のお墓を有する方形周溝墓は墓域において集中する傾向が見られます。

単独で立地するわけではなく、すぐ隣接した他の方形周溝墓が見られるのです。

なので結果として弥生時代の遺跡において一つの墓域を検出した際に非常に多くのお墓が見つかることがけっこうあるものなのです(*・ω・)ノ


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さて、話を戻しますと、七ヶ瀬遺跡では多数の墓が見つかっているわけですが、その中の墓から三種の神器が見つかりました。

三種の神器は天皇一族の伝世品として有名なもので、日本神話において天孫降臨の際に天照大御神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けた三種の宝物、つまり八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ;草薙剣)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指します。

三種の神器がセットで見つかる事例としてはこれが佐賀県で初の事例となります。

勾玉は翡翠製、剣は鉄製、鏡は銅製でした。

鏡は4面いずれも中国製であり、前漢に作られたものと後漢に作られたものを含んでいます。

一つの墓に鏡が複数面伴う事例は全国的にはけっこうあるのですが、佐賀県では4面も出ることは珍しく、同県の二塚山遺跡に並んで最多の事例となります。

こういう発見を見ていると、邪馬台国論争、九州説の論者の気持ちも分かる気がしますね(*^・ェ・)ノ




↑天叢雲剣(草薙剣)について触れてます(*・ω・)ノ


おわりに

「三種の神器発見!」ってだけで私は『お~!』ってなったのですが、「佐賀県で初」ってだけあって全国的にはけっこう出土例があるようですね。

私はそっちの方に驚きました、全然知らなかった!Σ(・ω・ノ)ノ

次回は国内出土の三種の神器の事例について調べて記事にしてみようかなと思います!

あ、今日誕生日だから生まれ変わって記事もYoutubeも頑張るよ!( ・Д・)



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2021ねん 8がつ 14にち(どよーび、晴れ)

完全に夏休みモードだった。。。頑張ります( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはイスラエルで土師器が出たのかと思ったけど違ったよ!でもレアな発見らしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル南部のキルベット・エル・ライ遺跡(Kirbat er-Rai)です。

まぁここで「士師記」の文章入りの土器が見つかったよってニュースなのですが、私には「土師器」かと思ってめちゃくちゃ驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

考古学やってる人なら、見間違えた人、私だけじゃないはず( -д-)ノ





土師器とは?

土師器って一般的には知られていない土器だと思います。

何故かというと小中高の歴史の教科書は「縄文時代は縄文土器」、「弥生時代は弥生土器」って教えるくらいの内容ですからね。

もちろんそれぞれの時期には他にもいくつか覚えるべき単語は僅かながらあるわけですが、テストにほぼ出ないですし、日本という国が学校教育として古代に興味関心がないのは明らかですね( -д-)ノ

この弥生土器に続く土器が「土師器」です。

まぁつまりは古墳時代の土器です。

正確には古墳時代だけではなく、奈良時代、平安時代にも作られます。

ちなみにこの土師器と対になるのが須恵器で、こちらは5世紀以降に窯焼きの技術の伝来と共に登場する高温焼成土器です。

上に挙げた写真だと左側の褐色系色調の土器が土師器で、最下段から右側にかけて配置されている灰色系色調の土器が須恵器になります。



写真にもあるように、土師器や須恵器には「高坏(たかつき)」がよく見られます。

下に挙げた写真が現代の高坏の例ですが、身の回りの事例だと、ひな祭りの飾りで見ませんか?

神棚に置く容器類も高坏のような形態、あるいは類似の「脚」が付く容器だったりします。

高坏は飲食物を載せる食膳具ですが、容器にはそもそも遮断の意味があるので、高い脚部を与えることで物理的に地面やテーブルなどの「汚れ」から離すことで、「穢れ」と遮断する宗教的意味合いを持つと考えられています。

神様や王族・貴族に対して「献上」の意味合いがある場合、その容器は高坏だったり、あるいは、器形が異なるとも同様の高い脚部を有するケースが珍しくありません。

ちなみに一番最初に挙げた写真の中、イスラエルのキルベット・エル・ライ遺跡で出土した土器群の左側にも高坏が2点見られます(・∀・)つ






士師記とは? 文字入り土器の重要性

士師記はキリスト教の旧約聖書の一部です。

出エジプトや十戒、海を割った話で有名なモーセの後継者であるヨシュアの死後から、予言者サムエルの登場に至るまでの約400年間に渡るイスラエルの民に関する歴史が描かれています。

具体的には他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達(民族指導者達)が救済する内容となっています。

さて、上に挙げた写真の土器は約3100年前のものと推定されているのですが、見事な保存状態です。

見たところ、焼きもしっかりしていますし、塗料の発色も素晴らしいですね。

描かれている文字は「jerubbaal 」で、エルバアルと読みます。

これは先に述べた「士師記」に登場する士師の一人である予言者ギデオン・ベン・ヨアシュの別名として知られている名です。


この土器は地面を掘った後に内部に石を敷き詰めた貯蔵穴の中から見つかったものです。

この遺構と地層の切り合い関係から問題の土器はBCE1100年頃、つまり士師記の時代のものであり、聖書以外で士師記の記述と一致する名が考古学のコンテクストで見つかった初めての事例となります。


まぁそのため嫌でも期待が高まるのでしょう。

こうした所謂「聖書考古学」をやっている人の中には「神学」の延長としてやってる人もいるので猶更なのですが、、、

調査者によると、土器は約1リットルの容量をもつ水差しであると考えられ、かつては油や香水、薬などの貴重な液体が入っていた可能性があるそうです。

また聖書におけるギデオンに関する記述と、このキルベット・エル・ライ遺跡の位置から、この水差しがギデオン本人の所有物であった可能性もあるとしています。


もちろん可能性はあります。

しかしこの土器破片資料から推定される形態の水差しは、特に油や香水、薬などの貴重な液体だけを入れる特殊なものなのでしょうか?(*^・ェ・)ノ?

また聖書の記述とは内容が異なる事例の場合、こうした個人の所有物であることを示すた
めに土器などに持ち主の名前を記すことは一般的だったのでしょうか?( -д-)ノ

当時、エルバアルさんはどれくらいいたのでしょうか?( ・Д・)


そもそもレアな発見であり、「聖書考古学」としても重大な発見ですから、広報として意図的に盛ってる可能性もありますが、論文化されないと評価のしようがありません。

真偽については続報に期待したいと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ





おわりに

最後に挙げた発掘現場の写真なのですが、、、

この辺りの発掘ではこうして土嚢袋(どのうぶくろ;略して「どのう」と呼ぶ)をベルトに並べるんだな~って思いました。

写真で見ると、土嚢の白いラインでくっきりと5つの小さな調査区(グリッド)が見て取れます。

このそれぞれのグリッドを隔てている未調査部分(つまりは土嚢の白いラインの下部)を『ベルト』と言います。


さてさて、なんでこんなことするのだろう・・・・・・


グリッドやベルトの説明をする上ではとても便利に感じましたが、こういう置き方だとベルトの保護になってないんですよね(組み方違います)。

写真の左側に、グリッド内側に落ちかけている土嚢が見当たりますが、こんな風にむしろ壁を壊してしまうんですよね。

乾燥地帯のようだから壁が脆いから保護してるのかと思ったけど、保護になってないし、

乾燥地帯で雨が突然降ってくると壁がやられるので保護してるのかとも思ったけど、そもそも日除けのテント建ててるし、、、

まぁ至る所の土嚢にガッツリ踏んだ痕跡あるので、、、免罪符的なアレかな。

さすが考古学者はこんなところにまでも象徴的な意味合いを持ってくるのだなと痛く感動してます。

・・・こいつらベルトを歩いてやがるぜ!( ・Д・)



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2021ねん 7がつ 19にち(かよーび、晴れ)

超多忙もあと3日!(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは新石器時代の儀礼具?『蛇の杖』が出土したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はフィンランド、ヤルベンスオ1(Jarvensuo I)遺跡です。

この遺跡はBCE4000-2000年にかけて居住された新石器時代の集落遺跡と考えられています。

所謂、「湿地遺跡」であり、現地表面は乾燥していますが、30cm程度掘るだけで分厚い泥炭層に当たります。

泥炭層と言えば、デンマークの『トーロンマン』が有名ですね。

湿地帯に広がる泥炭層から検出されたもので生きてるみたいな状態で見つかっています。






「歩け、マヤ」の記事でもよく取り扱ってますが、水分が常に供給されるような河川傍の遺跡や今回のような湿地帯遺跡、特に泥炭層では通常は腐敗してしまい残らない遺物が見つかる傾向があります。

なのでこのヤルベンスオ1遺跡でも貴重な木製品が出土しています。

中でも重要なのが今回紹介する『蛇の杖』です。




炭素年代測定法(所謂C14法)では今から約4400年前の遺物と推定されています、

なんと言っても完形品というのがスゴイですよね。

よく壊れなかった!Σ(・ω・ノ)ノ

とてもレアな、貴重な発見だと思います。



さて、日本の縄文時代などでも狩猟対象となるような動物の造形はよく見られます。

シカ、水鳥、イノシシなどですね。

バルト海地方でも同様に、生業に関わる動物なのでしょう、ヘラジカや水鳥を模した遺物が数多く報告されています。

でも蛇を模した遺物はバルト海地方ではレアだそうです。

蛇は多くの哺乳類にとって天敵ですし、獲物を丸飲みにする力強いイメージがあります。

また脱皮をすることから「生まれ変わり」を連想することもあります。

そのためか世界的に見て呪術的に重視される傾向が強いようです。

縄文時代でも蛇を象った土製品は少ないですが、縄文土器の浮文に蛇のモチーフが見られることが知られています。

ちなみにこの地域では蛇を丸飲みにしたヒトの糞石が検出されているとのことで、獲物を丸飲みにする力強い蛇を更に丸飲みにするという儀礼が行われていたことを示唆しています。

他に聞いたことの無い面白い事例だと思います(*・ω・)ノ



↓糞石の話が出てきたので関連記事を紹介しておきますヾ(´ω`=´ω`)ノ






おわりに

『蛇の杖』ってなんだかRPGとかのゲームの武器として出てきそうだなとか思ってたんですよ。

で、このヤルベンスオ1遺跡周辺の岩絵の画像を見て、『蛇』、『武器』・・・って考えてたらふと思いついたことあるんですけども!

ただの思い付きですが、日本の古代史との関係で比較してみたらそれなりに記事としては面白いかなと思うので、連続で記事にしてみますね。

乞うご期待!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


ところで、、、


蛇は美味しいよね!( ・Д・)



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2021ねん 6がつ 1にち(かよーび、晴れ)

やぱ新しく勉強したり研究するには、どうしても定時以降とか、休み使わないとダメだな( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは中国でなんだかフィーバーしてるね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

この遺跡で大きな発見がありまして、それは下に挙げたリンク先の記事で紹介しました。





ここでもさくっと概要を書くと、三星堆遺跡は今から約3000年前に四川省にあった青銅器時代相当の遺跡です。

青銅器時代ですから、青銅製品が多数出てくるのは当然なのですが、ポイントはその青銅製品の精巧さと金製品を伴うことです。

この遺跡では1986年に2基の墓が発見されており、2020年に新たに6基の墓が見つかりました。

1986年の調査時に青銅製の人物像と黄金仮面が出土したのですが、その他にも精巧な副葬品が多数出ています。

新しく見つかった6基の墓(第3~8号墓)からも多量の遺物が出ていて、どれも精巧な奢侈品ばかりです。


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青銅製品はどれも精巧な作りですし、「黄金の葉っぱ」も細工が美しいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

まぁ個人的には最後に挙げた青銅製の小像の濃ゆい眉の感じが好きですし、ついそこに目が行っちゃいますけど、重要なのは色彩が残っている点ですね。


arukemaya1540



さて、上に挙げた1枚目の写真は「象牙製品」です。

これも繊細な意匠が美しいです。

この時代に象牙を貴重品として交易していたことに驚きです。

どこのどの種の象さんの牙なのか知りたいですね。

そして象牙を素材として入手してこの地で加工・製作したのか、あるいは製品として入手したのか、これも気になるところです(*^・ェ・)ノ


2枚目の写真は「玉璋」です。

「ぎょくしょう」と読みます。

「玉」の字があることから分かるように玉製なんですが、斧とか刀とか実用の工具類を模したものです。

上の写真の場合は、「小刀」でしょうか?

上部が柄部で、下部が刃部に見えます。

この「玉璋」は三星堆遺跡で見つかっている独特の型式で、他には見られないレアな事例なのです(*・ω・)ノ

さて最後に、インディジョーンズ的なアドベンチャー映画のワンシーンかと思えるような画像を紹介しますね(*・ω・)ノ


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arukemaya1541a
↑にょろにょろとにょろにょろ型玉製品


おわりに

どうも玉璋の柄部と刃部の間の装飾が気になって、、、

にょろにょろ(ムーミンに出てくるやつ)にしか見えなくて、、、

ちょっと最後にふざけました( -д-)ノ


・・・さて、この感じだとまだ色々と出てきそうな感じがしますね。

出土品が眩いので、そこばかりに着目してしまいますが、この地域の青銅器文化ってどのようなものだったのでしょう?

一般の住居とかも発掘して研究して欲しいなって思っちゃいます。

実はやられていて、ニュースにならないだけかもしれませんがね( -д-)ノ

ともかく、、、

また中国は観光で一儲けできるね!( ・Д・)



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2021ねん 5がつ 31にち(げつよーび、晴れ)

切り詰めた生活を送ってた結果、最近、ご飯が美味しい.。゚+.(・∀・)゚+.゚

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「約3000年前の縄文時代のクルミでいっぱいのかごが公開されてるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は福島県、南相馬市の鷺内遺跡です。

「さぎうち」って読みます。

この鷺内遺跡で、上に挙げた写真に見られる依存体が発見されました。

なんだかテカテカしてて、ボコボコしてますけど、籠にみっちりとクルミが入っている状態です。

入っているのは3.5cm台のオニグルミで、約700個入っています。

上の写真で見るとなんだか大きく見えますが、竹や笹を割いて編み込んで作られた籠のサイズは長軸33cm、短軸20cmのサイズです。

時期は縄文時代晩期に属すると考えられ、約3000年前の資料ということになります。

見つかったのは2018年度の調査時で、最初に挙げた写真はその際に1日限りの一般公開をした際のものです。




これが防腐処理が完了した状態の資料です。

不思議なテカリが消えて、何だか生々しさが増加した気がしますね(*^・ェ・)ノ

この写真は教育委員会(考古学関係者の主な就職先です)提供とあるので、考古学関係者や学芸員などの博物館職員らが撮影したものでしょうから、展示用のケースを外した状態で撮影されていて、とても綺麗に撮れています。

福島県南相馬市鹿島区の鷺内(さぎうち)遺跡で出土した、縄文時代晩期(約3千年前)ごろのクルミ入り編みかごが16日、市内で一般公開された。全国でも出土例のないクルミでいっぱいの編みかごに、多くの考古学ファンからは「当時の食糧保存法が分かり、縄文人の暮らしがとても身近に感じられた」などの声が聞かれた。

 編みかごの公開は原町区にある文化財整理室であった。午前10時の開場とともに市内外からのファンらが室内に入り、竹やササ類を切り裂いて編み込んだ縦33センチ、横20センチの編みかごに興味深そうに見入った。

日本は山が多いだけではなく河川も多いので水に恵まれた土地柄だと思います。

なので水分の関係上、こうした珍しい植物依存体の検出事例はけっこう多い方だと思うのですが、さすがにこれだけ保存状態の良い事例は他にはありませんヾ(´ω`=´ω`)ノ

このクルミの詰まった籠は当時の地表面から穴を掘って埋めていたようで、その穴の中には水が湧いていて常に水分が供給される状態でした。

ですから保存状態がとても良かったのです。

保存のために食料を土器などに入れて埋める事例は世界各地で見られるので、クルミを籠ごと埋めたのは良いとして、、、昔から水が湧くようなところに埋めていたのでしょうか?

そういう保存方法だったのでしょうか?( ・Д・)




おわりに

今回は防腐処理などの保存処理が終わったということで1日限りの展示というわけではないのですが、それでも「特別展」として期間限定(2021.5.15-6.13)の展示だそうです。

近くにお住まいの方は是非、この機会に見に行くといいと思います。

神社仏閣の御開帳とは違って、考古資料の特別展って定期的なものではないので、次いつ見れるか分からないですからね(´・ω・`)


・・・古代の食べ物の研究も面白そうとは前々から思ってるんですけど、土器が専門だから土器からのアプローチしか考えてなくて・・・

保存方法に関する知識全然ないなぁって今回感じました。

とっても保存状態の良い事例ですから、この鷺内遺跡の報告書を読めば、この事例に関する当時のクルミの保存方法について書いてある気がしますね。

今度探してみます( -д-)ノ

何はともあれ、、、

オニグルミって食べれるの!?( ・Д・)



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2021ねん 5がつ 27にち(もくよーび、雨)

ずっと雨はやだねぇヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは砂浜から保存状態の良い古代ローマ期の遺構が検出されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はスペイン、アンダルシア地方にあるカーニョス・デ・メカの海岸です。

上に挙げた写真はイギリスのバースにある浴場なのですが、これは古代ローマ期の浴場施設で、且つ現在も使われているものだそうです。

当然世界遺産登録されているのですが、周りの街並みも風情があって綺麗でしょう?

ちなみにバースは街全体が世界遺産だそうですΣ(・ω・ノ)ノ

さて、イギリスにおけるこの事例、当然、現在までに何かしらの改修工事は行われているでしょうが、古代ローマ期の公衆浴場のイメージとして参考までに挙げてみました(*・ω・)ノ




さて、こちらが今回、スペイン南部の海岸で見つかった古代ローマ時代の複合浴場施設です。

時期は今から約2000年前のものだそうです。

壁が綺麗に残ってますね(*・ω・)ノ

何が「複合」してるのかは不明ですが、試掘の結果、おおよそ1ヘクタールに建造物遺構が広がっていると予測されていることから、まぁそれだけデカければ浴場施設だけではなく、複合的な施設だろうと見当を付けているのかも知れません。

この一番綺麗に残っている壁は約3.9mあるそうです。

紅白ポールが、、、これ何センのポールなのだろう・・・

目がチカチカして数え間違えてるかも知れませんが、赤と白の部分がそれぞれ10cmの規格になっているので、200cm(2m)のポールだと思います。

5mのバカボーとかスタッフあれば上部までしっかり測れそうですが、まぁ撮影用のスケールとして置いてるんだろうし、実際私のプロジェクトも長いやつは高いから持ってないし、まぁ海外の現場なんてそんなもんでしょうヽ(TдT)ノ


arukemaya1532




ポール入りの写真だと、確かに高い壁だなと思いますし、海岸の砂にどうやって埋まってたのだろうとか思っちゃいますけど、上に挙げた画像をみると分かりますね。

海岸の山側に砂丘状の巨大な堆積があって、その中に埋もれていたのですね。

人が立っている位置から、4~5m掘っていることになります。

現在までのところ、この浴場施設は古代末期(3~8世紀)に放棄され、砂に埋もれたと推測されています。

先ほど述べたように、遺跡の広さは1ヘクタールと推測されています。

つまり10000㎡ですから、分かりやすく正方形で考えると100m四方になります。

単純に考えて100×100mもの範囲の中で、まだこれだけしか調査が進んでいない状態なので、今後の成果に期待できそうですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

砂に包まれて色々な遺物もしっかり保存されていそうですしね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




↓お風呂関係の記事です(。・ω・)ノ゙


↑古代フェニキアのお風呂(*・ω・)ノ


おわりに

映画のテルマエ・ロマエを見ていてもそうですが、2000年も前から古代ローマ人は温泉好き・お風呂好きだったと聞くと、何だか日本人として親近感が湧きますね。

都市には必ずと言ってもいいほど公衆浴場があり、貴族やお金持ちは個人宅用の浴場を持っていました。

古代ローマ人は毎日1時間程度、長いと一日中浴場にいたそうです。

まぁずっと湯船に浸かっているわけではないでしょうが( ・Д・)

のぼせますものね(´・ω・`)

金持ちは有料の浴場を経営していて、一部の貴族たちに対しては無料で使わせることで浴場を政治的に利用していたこともあったそうです。

古代ローマ人にとって温泉というか入浴という行為は本当に重要だったんだなと思わせるエピソードです(*・ω・)ノ


私も温泉好きなんですけどね、、、

歳取ると長く入ってられなくない!?( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 21にち(すいよーび、晴れ)

引っ越しで金欠・・・二か月くらい頑張って生きなきゃ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「岡山初!古墳から煙突が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岡山県、津山市、高尾北ヤシキ古墳です。

この遺跡では近くの国道の改築工事に伴って、2020年より緊急調査が行われています。

高尾北ヤシキ古墳は「佐良山古墳群」の一つであり、直径約13mの円墳です。

上に挙げた写真が発掘現場の遠景ですが、大きな切株が「座布団」状に残されていて、そのすぐ左側に石列が見られます。


arukemaya1491


近寄って角度を変えて見てみると、上に挙げた写真のような感じになります。

玄室の壁面を構成する石列が綺麗に残っていますね!(・∀・)つ

この円墳の築造年代は6世紀と考えられており、けっこう立派な横穴式石室が墳丘の中心に設置されています。

サイズは残存長6.5m、最大幅1.7m、最大高1.9mです。



arukemaya1493


そして今回目玉がこれ!

『煙突』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

考古学用語としては「筒形土製品」と呼んでいます。

出土時点で割れていた部分は綺麗に接合されていますね。

古墳時代と言えば、カマドの伝来です。

この煙突はカマドに備え付けられていたものを模倣して作っていたもので、煤などの付着はなく使用痕跡はありませんでした。

カマドという新技術の伝来と関係して儀礼的な意味合いでお墓に入れられたものだと考えられます。

煙突はこれまでに韓国はもちろんのこと、近畿地方で多く見つかっています。

しかし岡山県で発見されるのは今回が初めてで、カマド技術や製鉄技術といった当時の朝鮮半島との関係が伺えます。


arukemaya1495
↑石室を出した時の写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


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↑棺の横に煙突とその他の副葬品が見られる(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


ニュースの画像だとちょっと何だかなって感じだったので、「概報(概報の概報みたいな簡易なもの)」に当たってみたところ、見やすい写真を見つけましたので紹介しますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

上に挙げた写真が石室の検出時の写真と、陶棺と副葬品の位置関係を示した平面図的な写真になります。

綺麗で見やすい写真ですね!

そしてこんな風に綺麗に出土するのですね。

掘るの大変そうだけど、出してみたい(*^・ェ・)ノ

ちなみに副葬品もかなり豪華で、須恵器、土師器、鉄製の鏃(鉄鏃;てつぞく)、馬具、ガラス製装身具が見つかっていますΣ(・ω・ノ)ノ



arukemaya1497
↑展開図的な写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


そしてこれが出土した「煙突」こと筒形土製品の展開図的な写真です。

これだと中が空洞であることや、厚みの程度がよく分かりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

また正しい置き方が三角コーンみたいな感じであることが分かります。

尖底土器みたいに尖った方を下にはしません( -д-)ノ

この「煙突」がどのように使われたかについては、下の図がとても分かりやすくて良きです(。・ω・)ノ゙

まぁこの復元図ではカマド(高温焼成による土器作り用の窯)の煙突ではなく、住居の中の炉(これはこれでカマドだが)の煙突として描いていますが使い方は同じです。


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↑遠くから見るとこんな感じ( ・Д・)(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


おわりに

世界中で色々な考古学的発見が起きてるなと思いますが、国内でも大発見がある地域って少し偏りがあるかな~って気がしますね。

岡山県の考古学ニュースはそんなにないので、こうしたレアな発見があるとちょっと嬉しいです。

地方でかつ小さな遺跡だと、せっかくの良い発見もなかなか良い記事になってないなと思います。

考古学の専門の記者の不在も理由にあるでしょうが、写真も文章も明らかに少ないのですヽ(TдT)ノ

是非、そういったニュースを当サイトで取り上げて、少し詳しく紹介出来たらなと思います(。・ω・)ノ゙


・・・ところで、私、このニュースのタイトルをチラッと見た瞬間、、、

古墳に煙突立ってるのかと思った!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

毎日少しずつだが、着実に仕事が進んでいく感じも悪くない(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「法面工事の時に色々と重要なものが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は富山県、富山市、番神山横穴墓群です。

この番神山(ばんじんやま)横穴墓群は呉羽丘陵に位置し、これまでに15基の横穴墓が発見されています。


・・・ところで記事タイトルにある「法面工事」って読めました?

普通に「ほうめん」かと思いきや、正しくは「のりめん」でした( -д-)ノ


”法面(のりめん)”とは、

 ”切土や盛土により作られる人工的な斜面のことです。 道路建設や宅地造成などに伴い、地山掘削、盛土などによりのり面が形成されます。 こののり面の斜面崩壊や地すべりなど土砂災害の拡大防止を目的として施工する工事のり面工事です。”


ということで、最初に挙げた写真が法面と法面工事の施工後の状態を示したものになります。

うん、ドライブしてるとよく見るやつね!(*^・ェ・)ノ

「落石注意!」って標識に書いてるけど、なにをどう注意したらいいか分からないやつね!( ・Д・)


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上に挙げた写真がテレビニュースの動画からもってきたものになります。

画像は粗いので、是非、上のリンクから元のニュース動画を見てみてください(*・ω・)ノ

さて、法面といっても再工事とかではなくて、本当に今にも土砂崩れしそうなポイントなのだなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

先にも述べたように番神山横穴墓群ではこれまでに15基の横穴墓が見つかっていて、今回の2基を加えて17基となりました。

ちなみに番神山には2基の古墳もあるそうです(。・ω・)ノ゙

今回の出土遺物としては完形の須恵器2点と土師器1点、そして馬具の轡(クツワ)が出土しています。

この見つかった馬具がレアな発見で、県内でこれまで見つかっている約360基もの横穴墓の中で副葬品として馬具が共伴する事例は今回で3例目なのです。

また今回の横穴墓は玄室部(埋葬部)の長軸が3mと北陸最大級であることも大きな特徴です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


今回のお墓の副葬品は立派ですし、有力者の墓だと分かります。

有力者の数は限られているとはいえ、古墳時代の横穴墓群として全部で17基って少し少ない気もしませんか?

全国に横穴墓群があるのですが、100基~300基級の遺跡もけっこうありますし、福岡の竹並遺跡なんて1000基もあるのです。

この番神山横穴墓群の場合は、一つの横穴墓の玄室から複数体の人骨が見つかっていて、それぞれの横穴墓が再利用されていたことが分かっています。

それが家族なのかどうかは分かりませんが、まぁ恐らくは少なくとも有力な家系の親族関係者でしょう。

過去の調査では人骨も出ているわけですから、保存状態にもよりますがDNA分析とかできるといいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

番神山横穴墓群を調べてみたところ、報告書はさすがにありましたが、、、

遺跡の写真が出てこない。

出てきたのは上に挙げた写真だけ( ・Д・)

どうやら史跡整備はされていないようですね。

まぁ法面工事で墓出すくらいだからそんなもんか( -д-)ノ


arukemaya1489
↑山が半裁されていますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の巻頭図版〇三より転載)

arukemaya1490
↑陶芸館とか考古資料館のために山を掘削してますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の第1図を一部改変)


報告書に当ってみたら少し写真と図が見つかりました。

南西から北東にかけて古墳が並んでて、そのおおよそ中間部に番神山横穴墓群があるのですね。

そして道路のためではなくて、建造物建設のために山を掘削したようですね。

今回のは珍しい発見ですし、予定されている出土資料の博物館展示だけではなく、是非何らかの遺跡保存をして欲しいなと思います。

考古資料館がこんなに近くにあるのだから、是非、周りの古墳も含めて史跡化して欲しいものです。

そしたら富山に行く理由ができる!( ・Д・)



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