2019ねん 3がつ 22にち(きんよーび、曇り)

3月も残すところ、あと1週間程度。

充実した新年度を送るためにも、今頑張らねば!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『大阪城の三の丸跡から大名屋敷址と考えられる大型建造物の痕跡が見つかったよ!』ってことです。

大阪城は安土桃山時代に相当する1583年(天正11年)に豊臣秀吉によって築城されました。

江戸時代(1620年)には2代将軍、徳川秀忠によって修築され、1868年(明治元年)には廃城となりました。

1931年(昭和6年)から大阪城公園として開園され、現在も多くの人々の憩いの場となっています。


さて、上に挙げた写真は今回の発見があった大阪城の西側に位置する三の丸跡地ですが、奥にビルが立ち並んでいるのが分かりますね。




このような感じで三の丸跡は大阪城公園の外部に立地しているのです(*・ω・)ノ

また最初に挙げた写真で、現場には鉄骨が複数本垂直に立ち並んでいるのが分かったと思います。

この地点は地方合同庁舎の新庁舎の建設予定地なのです。

検出された大型の建造物址は東西約20m、南北約15mの規模で、敷地範囲は100坪を超えるものです。

また多数検出された柱穴から、礎石の上に柱を据える構造であったことが分かりました。

その規模だけではなく、この大型建造物の周囲を囲む玉砂利が見つかったことからも、格式高い建造物であったと思われます。






この調査現場における高い部分が大名屋敷址と思われる大型建造物址が検出された地点になります。

この大型建造物とは別の東側に並んだ建造物跡から、「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や、佐竹氏の家紋「扇に月丸紋」を有する瓦が出土しました。

そのことから、徳川氏や島津氏らと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる「佐竹義宣の屋敷跡」と推定されています。

また敷地内の低い場所には、杭を打って建てた簡素な建物群が作られていました。

この低い地点からは鋳型に鉛を注いだ「鋳バリ」がついたままの火縄銃の弾が出土しています。

そのことから豊臣方が大坂の陣(1614~1615年)に備えた武器工房があった可能性が指摘されています。



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↑(「朝日新聞DIGITAL」の記事内画像より転載;credit: 朝日新聞)


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↑大名屋敷周辺から出土した安土桃山時代の陶磁器類(「朝日新聞DIGITAL」の記事内画像より転載;credit: 朝日新聞)






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以上のように貴重な資料が多数発見されただけではなく、大阪城に関わる大名屋敷が発見されたこと自体が大きな発見だそうです。

今回発見された大名屋敷は大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿であったと推測されています。

 

↑発掘現場の様子(「産経新聞(産経ニュース)」の動画)


新庁舎の建設に伴う緊急発掘だと思いますが、これだけの遺物・遺構が出土したとなれば調査者や歴史ファンの方だけではなく、恐らく早期の建設開始を期待している方々もワクワクしていることでしょう!

もし余裕があるならば新庁舎の地下に一部でも遺構を保存し、遺構や出土遺物を見学できるようにしてくれると嬉しいのですが、そうもいかないのかも知れませんねヽ(TдT)ノ

↓フォロワーもいっぱい発掘したいものですね!( ・Д・)(プレッシャーをかけておく(・∀・)つ)↓