あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    中国

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    2025ねん 10がつ 16にち(すいよーび、くもり時々雨)

    まだまだカツカツな生活続くぜ!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースはたくさん掘ったらたくさん出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ── 土と陶が紡ぐ“暮らしの声”が、一斉に目を覚ました日。──


    「考古学って面白いのは、掘れば掘るほど“当時の生”が立ち上がってくるところだよね」——そんな語りかけが聞こえてきそうな発見が、中国北西部で相次ぎ報告されました。今回の発掘では、仰韶文化(紀元前約5000〜3000年)にかかわる中期層の集落跡で600カ所余りの歴史的痕跡が確認され、住居跡、竪穴住居、焼成遺構、墓葬、土器群などが次々と明らかになっています。考古資料は単なる「遺物」ではなく、その社会の食・技術・儀礼・格差までをそっと覗かせてくれる窓なのです。





    🗺️ 発見の舞台 — どこで、どんな調査が行われたのか

    今回の発掘は中国北西部、陝西省(渭南市)などを含む地域での系統的な調査・発掘の成果報告としてまとめられています。地方の考古研究院や国の文化財調査(例:第4次全国文物普査の一環)により、旧石器〜新石器〜青銅時代にかけての痕跡が再検討され、今年度の発掘で仰韶文化中期に属する集落跡が大規模に確認され、600カ所以上の特徴的痕跡が特定されたと報じられました。これらは住居基底、竪穴・炉穴・貯蔵穴、墓域、陶器窯址などを含みます。






    🧱 出土のハイライト — なにが出たのか(暮らしの断片)

    調査チームが公表した情報を総合すると、発掘現場からは次のような要素がまとまって確認されています。

    • 住居基底(円形・半地下式住居など)や家屋群の配置:仰韶文化期に特徴的な円形・半地中式の住居跡が数多く検出され、集落の空間構成や住居規模の多様性がうかがえます。

    • 炉穴・焼成遺構、陶窯・陶器群:土器の大量出土、焼成跡、炭化植物・穀実の痕跡など、食と生産にまつわる物証が豊富です。炭化粟類の残存は、当時の主食(雑穀・粟類)を裏付けます。

    • 墓葬群と副葬品:一定の埋葬慣行が認められ、個体間の副葬品差から墓制の差、社会序列の可能性が示唆されます。

    • 石器・骨角器・装身具類:道具類は日常の生産・加工活動を示し、地域間の文化交流や交易の痕跡を示す素材も報告されています。

    これらは単発の「かけら」ではなく、集落の全体像(集中的な生業、貯蔵・調理・儀礼空間)を復元するのに十分な情報を含んでいます。




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    ↑どこにでも土製お面はあるね!( ・Д・)(「livedoor news」の記事内画像より転載; credit: Record China)



    🔬 年代測定と文化的帰属 — 本当に「仰韶」なのか?

    報告では遺跡層の含意(層位)と出土物の形式学的比較、そして可能なところではAMS放射性炭素年代測定や層位学的照合を行っているとされ、中期仰韶文化(おおむね紀元前5000〜3500年の括り)に属する遺物群として扱われています。


    学術的には、土器装飾様式(魚・渦・植物モチーフなど)と住居形態、出土穀類の同位体・炭化植物資料を総合して時期帰属が行われます。今回の検出は、仰韶文化が北西部のローカル変異を伴いつつ広域にわたって展開していたことを改めて示す結果です。






    🧩 なぜ重要か — 研究的・社会的インパクト(ざくっと整理)

    1) 集落規模と社会複雑性の再検討

    今回のように多数の住居基底や機能区画が確認されると、当該地域が単なる小規模農村ではなく、一定の社会的分業や祭祀・集会機能を持つ中核集落であった可能性が高まります。これは「仰韶文化=散在的村落」という古典的イメージを微修正します。


    2) 食料生産と環境適応の記録

    炭化穀類や穀物貯蔵遺構の情報は、雑穀(特に粟・きび)を中心とする新石器時代の農耕文化の強化と、乾燥地や黄土高原的環境への適応戦略を復元する鍵になります。安定同位体解析やフローテーションによる植物遺存体分析は、既に他の遺跡で行われているように(Jiangliu 等)、同地域研究と連動することで精密な食料史を示します。


    3) 地域間交流と物質文化の拡散

    石器装飾・材料の一部には遠方起源を示す可能性があり、広域的な交流ネットワーク(原材料や工芸技術の移動)の存在を示唆します。これは社会的ネットワークや交易の存在を示す重要な手がかりです。


    4) 保存・公開・地域振興の波及効果

    多数の遺構が明らかになったことで、現地の史跡公園化、地域博物館の展示、観光資源としての活用(ただし保護との両立が課題)といった“文化遺産の利活用”議論にも直接結びつきます。中国当局の発表は、発掘成果を年次報告や遺産登録の候補として扱う方向が見えます。






    ⚠️ 今後の課題(研究者目線で)

    1. 精密な層位学的分析と年代の積み上げ:多地点・多層の試料でAMS年代を増やし、集落の発展・縮小期を細かくたどる必要があります。

    2. 環境復元と古環境データの統合:花粉・炭化物・土壌学的分析で環境条件と農耕の関係を明らかにすること。

    3. 社会階層の検討:墓葬差や住居差を定量的に比較し、階層化の度合いを評価すること。

    4. 地域比較とネットワーク解析:周辺のYangshao系遺跡やLate Yangshao/Longshan 期遺跡との比較を通じ、社会変動のマクロ図式を描くこと。







    おわりに

    最近思うんですよね・・・



    サムネ画像やトップ画像に挙げた写真のように、国が大きくお金を出して、大規模に発掘調査して立派な博物館作って観光地化するっていう一連の流れは素敵だなと大事なことだなと思ってたんですよ。

    他方で日本政府や文科省は自分の懐が温かくならなければ何もやらんもんね( ・Д・)



    でも国を挙げてあっちこっちでやると、発掘調査は一度きりの実験のようなものだから、未来に残すべき重要なデータを今の技術で片っ端から取り上げることになるわけだし、

    上に挙げた写真のように人手が足りないのか、資金が足りないのか、能力不足なのか、素人がスマホで撮った写真にも負けるようなピンボケ写真を平気で記者に渡しちゃう事態になってる現状があるわけで・・・


    何事も一長一短かな( -д-)ノ






    何はともあれ、

    やぱ資本主義社会においてお金大事!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

    宣言通り昨日はYoutube動画つくったぜ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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    今回の考古学・歴史ニュースは💀🔥 火で乾かす『長生きの秘術』 — アジア発、世界最古級、煙乾燥ミイラ群の衝撃!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    *閲覧注意!:スモークドマミー(燻製ミイラ)の画像が下部にあるので、グロ系ダメなひとは見ないでください!




    📰 冒頭


    熱と煙の匂いが、1万年以上の時を越えて届いた――。


    南中国・東南アジアの複数遺跡を再解析した新研究が示したのは、“人為的に低温の煙で数日〜数週間かけて乾燥させる”ミイラ化行為が、紀元前1万年ごろ(あるいはそれより古く)に行われていた可能性だということ。


    これは「ミイラ=エジプト」の常識を揺るがし、葬送行為と祖先崇拝の起源に新たな光を投げかける。






    🔎 発見の要点:どこで何が確認されたのか

    🗺️ 国や地域:主に中国南部(広西、広東の遺跡)やベトナム、インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピンの旧石器〜前新石器層の埋葬群が再検討され、合計で数十例(54体を中心に解析した報告)が対象に含まれた。


    🔥 何が見つかったか:屈曲(しゃがむ/胎児様)位で埋葬された遺骸、骨の表面に見られる熱変性や煤(すす)付着、頭蓋の焼け痕・切開痕など、単なる偶発的な火災や焼失とは異なる「持続的で低温の熱処理(煙乾燥)」を示す痕跡が検出された。


    (重要)この研究は、化学分析(X線回折や赤外分光等)や顕微鏡観察を用いて「熱による骨や軟組織の段階的変化」と「煤の付着」が埋葬過程に関わったことを示している。





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    ↑普通に屈葬の骨に見えるね!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.2, 5より転載)



    🧪 「煙で乾かす」って具体的にはどうやったの?

    想像してみてほしい。死者を丸めて抱え、火のそばに横たえ(もしくは骨格を組み直して)長時間にわたり熱を当てる。


    温度は高温焼成(焼却)に至らない範囲で、低く持続的な熱(燻し)と煙が壁や被覆、周辺材に作用して身体から水分を徐々に抜いていく。


    研究チームは、骨の色変化・微細割れ・煤の粒子の挙動などから、こうした“煙乾燥(smoke-drying)”工程が積極的に行われた可能性を示した。




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    ↑こんな風にやるらしいよ!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.9より転載)



    🌍 なぜ重要か — 世界史の教科書を書き直すのか?

    従来、最古の“人為的なミイラ”として注目されてきたのは、チリ北部のチンチョーロ文化(約7,000年前)や古代エジプト(約4,500年前)だった。


    今回の発見はこれらより古く、最古クラス(論文では「1万年以上前」〜最古で約12,000年前とする報告もあり得る)の人為的保存行為を示す可能性があるとされる。


    もし確定すれば、ミイラ化の発明が“砂漠や巨大墓の文明”ではなく、むしろ熱帯・亜熱帯の小型・移動性社会(狩猟採集民)の葬送実践から出現した、という視点を与える。







    🧭 文化的・進化的な意味:葬送はなぜ生まれたのか

    葬送の起源をめぐる議論では、「衛生的理由」「遺体の保存」「祖先崇拝や社会的記憶の保持」など複数説がある。


    煙乾燥は“保存”と“儀礼”の両面を兼ね得る手法で、遺体を可能な限り“見える形で”保ち、長期間にわたって遺族の記憶を触発することを可能にする。


    小規模な集団での祖先記憶の維持や社会的結びつきの強化に寄与した――そんな仮説が考えられる。


    研究者はまた、現在もパプアなどで続く民俗的な燻製・ミイラ保存技術との連続性にも言及している。




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    ↑やぱ普通に屈葬の骨に見えるね!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.3, 4より転載)



    🔬 論拠の強さと慎重論:疑問点はなにか?

    重要な点だよ。報告は力強く示唆しているものの、以下の点で慎重さが求められている:


    1. 年代の確定精度 — サイトごとに年代測定法や層位の質が異なるため、すべてが同時期の同一習俗を示すとは限らない。

    2. 行為の意図性 — 熱による変性=意図的保存とは断定できないケースもあり、自然発生的な乾燥や偶発的な火の影響と区別する必要がある。

    3. 地域性の幅 — いくつかの場所では明確な儀礼的証拠が薄く、局所慣行だったのか、広域的な風習だったのかは追加研究が要る。


    学術界には既に慎重論も出ており、さらなる化学的解析、DNA・たんぱく質保存の検査、微痕跡学的研究が求められている。




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    ↑これが現代のスモークドマミー!さすがに生々しい(?)ぜ!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.8より転載)



    おわりに

    上に挙げた現代の例ですけど、インドネシア、パプアで2019年に撮影されたものです。

    この状態ならミイラだな~てなるけれど、さすがに約1万年も普通の土の中に埋もれていたらそりゃあ骨だけになるよね。

    ほんとただの屈葬にしか見えないんだもん( ・Д・)




    そりゃあさすがに反論も出るわ。

    どこの考古学者も(一般の方々もだけど)最古とか最大とか大好きだけど、

    中国は特に最古大好きな感じがするからなぁ。

    まぁ今回は中国南部と東南アジアの例として挙げてるけど、中国は東南アジアは中国のモノっておもってそうだし(苦笑)



    そういう意味ではなんか漠然と不安!



    でも日本人研究者も混じってるし、

    分析自体は同年代の他地域の人骨との比較で統計的に差異を出せばいいから時間と労力かければ何とかなる問題だし、

    最古のミイラの時期に関しては多少オーバーに言う民族性があれど、エジプトや南米の事例に比べりゃ遥かに古いので問題ないかと思う。



    ・・・絶対最古なんだから控えめに安全圏で言おうとする姿勢は日本人特有か?

    まぁでもそれが日本では美徳でも世界的に見れば日本人の弱さでもある。

    ガンガンに押していかないからな。

    一長一短かヽ(TдT)ノ



    あ、今回の論文、共同執筆者が全部で22名・・・

    考古学でも学際的研究を推進した結果(無理に進めた結果?)こうした理系論文で見られるような『大所帯』論文が散見されるようになったね。

    まぁアメリカ発の「論文数至上主義」的な病気が蔓延してるからみんな名前ぶち込みたいもんね。

    ま、特に関係ないし、いいんだけど!(*^・ェ・)ノ




    何はともあれ、

    久々にスモークチーズとか食べたいな!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



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    2025ねん 9がつ 11にち(もくよーび、雨降るらしいよ)

    最近調子いいな(・∀・)つ

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    今回の考古学・歴史ニュースは中国で最古の木棺を検出!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    🌲 『木棺の記憶:河南・賈湖(かこ)遺跡で8000年の眠りを覚ました木棺』


    🪵 発見の概況 — 賈湖遺跡で最古とされる木棺が姿を現す

    河南省・漯河市舞陽県にある新石器時代前期の賈湖遺跡で、約8000年前と推定される中国最古の木棺が発見されたと報じられています。調査では中心墓地で200基以上の墓が見つかり、そのうち10基には木棺の痕跡が見られました。その中に、長さ約2m、幅約0.6m、厚さ約6cmほどの木棺も含まれています。


    また、現地土壌のリグニン(木質成分)含有量が周辺よりも著しく高いことから、封土中で木質が保たれた環境があったと推測されています。




    🎑 副葬品と社会構造の兆し — 骨笛やトルコ石も並ぶ贅沢さ

    木棺があった墓には、副葬品として20本以上の骨笛が出土し、ある墓ではなんと「1つの墓に5本の骨笛」というこれまでにない発見も報告されています。それ以外にも、トルコ石(ターコイズ)や土器、三脚壺などが副葬されており、祭壇穴もあることから、既に社会的分化や儀礼的慣習が形成されていたことが示唆されます。


    「多様な埋葬地、棺、副葬品の多様性と豊富さは、賈湖遺跡において既に社会的な分化が起こっていたことを示しています」




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    ↑え、保存状態良くない?( ・Д・)(「Global times」の記事内画像より転載)




    🔎 8000年前に「木棺」? これまで木棺発見は6000年前の例が常識だった

    これまで、木棺を使った葬送は中国では大汶口文化(約6000年前)が最古例とされてきましたが、この賈湖の発見はそれを2000年さかのぼらせる可能性を持ちます。考古学上の書き換えになる大事件です。


    Jiahu site(賈湖)は元々、骨笛の出土で知られる文化豊かな新石器遺跡で、今回木棺が確認されたことで、葬送儀礼や社会構造の起源を考える上で極めて重要な材料となりました。




    🧐 保存状態と調査の現場 — 防護シェルターとこれからの取り組み

    発見された木棺がある墓地には考古学用の保存温室(保護シェルター)が建設され、重要な墓はそのまま“工程丸ごと”取り出して研究所へ持ち込む計画が進んでいます。


    今後は詳細な発掘・分析、植物・有機材分析、樹種判定、構造調査などが続き、遺物そのものだけでなく、当時の森林環境や利用習俗の把握にもつながることでしょう。


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    おわりに


    8000年前で新石器時代か、、、それで副葬品に格差が見られてて社会の複雑化がすでに起きている。

    やっぱ早いなぁ。

    自然と格差が生じるのはそういうものだと思ってるのだけれど、ぐいぐい推し進める要因ってなんなんだろうな~って興味深いです!



    あと、メキシコも文化遺産保護と活用に政府がお金つぎ込んでるけれど、中国も凄いよね。

    遺構全体を保護するシェルターとかカッコいいよね。

    日本なら全部ぶち壊してビル建てるね、地元民の反対も気にせずw(゚Д゚)ゴルァ!!



    いや、ほんとだよ、保護・活用なんかより目先の欲だから、、、

    そういうとこ途上国みたいで衰退を感じるね~

    初めてラテンアメリカに行った時の「僅かに先の未来すら考えない文化」に対するカルチャーショックを、今日本の政治家・資本家に感じる今日この頃!( ・Д・)


    *前に紹介したけど、日本には工事に際して見つかった重要な遺跡をそのまま保存して博物館にして一般公開してその上にビル建てた素敵な会社も存在します!多くのの建物でそうすればいいのにね。一階、半地下階は博物館。素敵だと思うんだけどね!



    何はともあれ、

    やぱお墓はいいな!( ・Д・)



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    2025ねん 6がつ 27にち(きんよーび、晴れ)

    将来が不安な今日この頃!( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは墓めちゃ出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は中国東部の安徽省、梅城鎮の遺跡です!



    今回は残念ながら肝心の遺物の写真が全然なくて悲しい気持ちでおります( -д-)ノ

    てか、中国では莫大な資金で調査されているせいか発見が相次いでいるし、埋葬遺構がどれも綺麗だし、今回のように盗掘されていても何故か遺物がけっこう残ってる!

    ほんと謎だけど!

    古い時代の埋葬遺構がきっちり残ってるあたりは古代中国いいな~って気がします(*・ω・)ノ



    まぁ、とりあえず記事の全容から!



    🧭 “あるけまや”的まとめ

    • 発見地:中国・安徽省潜山市

    • 時代:西漢時代(紀元前2〜1世紀)

    • 墓数:75基

    • 副葬品:ヒスイ、漆器、金属装飾、陶器など300点以上

    • 意義:古代埋葬習俗・階級格差・文化交流の手がかり




    🌏 中国安徽省で2000年前の墓75基、300点以上の副葬品が一挙出土!

    最近、安徽省潜山市で大規模な考古調査が実施され、約2,000年前に遡る墓が75基見つかったとの情報が国内外で話題になっています。中にはヒスイ、漆器、金属製装飾など、副葬品が300点以上も出土したそう。贅を尽くした遺物群を見ると、当時の人々の心の奥や社会階層が垣間見えるような気がして、わくわくしちゃいますね。





    🧭 時代と地域──どんな人たちの墓だったの?

    発掘された墓は西漢時代(紀元前2世紀)と見られ、地元の権力者やエリート層のものと推測されています墓室の構造や出土品の種類から、明らかに身分が高かった方々という可能性が高いとのこと。

    実際には帰属する時代の幅はかなり広いようですけども、戦国時代や漢王朝期、北宋時代もあるみたいですね。あと副葬品のすばらしさから身分の高い人の立派な墓に目が行きがちですが、下級役人や一般層の人々と思われる墓も見つかっているようです。



    🎁 出土した副葬品の世界

    調査で出てきた副葬品は実に多様!

    • ヒスイの装飾品:翡翠の光が、当時の富と美意識を物語る

    • 漆塗り容器:高級品として珍重された技術工芸

    • 金属装飾や鏡、ブロンズ製品:豊かさと権威の象徴に

    • 陶器や石製品など、日常と儀礼の狭間をつなぐ品々も

    これほど多岐に渡る出土品は、地域や時代の多様な文化交流を映しています。





    🕯 墓から語る人々の暮らしと死生観

    この一大発見から読み取れる当時の姿とは:

    1. 階級による差:墓の規模や豪華さから推測される身分格差

    2. 葬送・儀礼文化:副葬品の選定に込められた信仰や死生観

    3. 文化交流:墳墓に反映された技術・素材の多様性

    まさに、「死を美しく包む文化」の深層が見えてくるよう…。




    おわりに

    まるで古の宝箱みたいですね!翡翠の緑に漆の光…それぞれが語る当時の物語がこちらに届いてくるかのよう。75もの墓と300点以上の副葬品って、当時の社会構造がぜんぶ詰まってる気がします。リサーチすればするほど、埋葬に込めた想い、家族の祈り、そして社会の息遣いが感じられて、もうたまらなく歴史ロマン!古代の人々と対話するような気持ちで、また次も一緒に旅しましょうね〜✨


    何はともあれ、

    やぱ格差の人類史いいな!( ・Д・)



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    2021ねん 8がつ 19にち(かよーび、晴れ)

    背に腹は代えられぬ( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは「超古代文明が中国で見つかった上に、なんだかマヤ文明っぽいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、陜西(せんせい)省に所在する石峁(しーまお)遺跡です。

    考古学的に確認されている中国最古の王朝と言えば「殷」です。

    世界史でも出てくる単語ですね(*^・ェ・)ノ

    この殷はおよそBCE1700からBCE1046年まで続いた王朝です。

    これよりも600年ほど古い王朝と考えられるのが今回の石峁遺跡になります。





    超古代文明を定義してみる

    私のある意味大好きな『古代の宇宙人』などをはじめとした「超古代文明」に関連するYoutube動画を観ていると何故かみんな1万年前とか無茶苦茶古くしたがる傾向にあると思います。

    そしてそうした超古代文明の存在理由をアトランティスそのものとか、その子孫、宇宙人の仕業にしたがるんですよね。

    はっきり言って謎です、理解に苦しみます。

    一方で私は現役考古学者として滅多なことは言えないので、超古代文明という用語に対してオカルトな彼らとは異なる定義付けをしたいと思います( -д-)ノ

    超古代文明という単語を「超」+「古代」+「文明」に分けて考えます。

    歩けマヤで何度も述べているように「文明」の定義は様々ですが、基本的には「国家」です。

    少なくとも初期国家段階に達している社会を「文明」とします。

    文明と判断する要素は大人口、都市の出現、法制度の確立、官僚制の出現など、これこそ考古学以外の学問も含めて様々に定義されています。

    ここでは考古学的にぱっと分かりやすい要素として「モニュメント/公共大規模建造物の出現」、「専業制の存在を示す高度な技術」を用います。

    「古代」は古い時代ってことで特に気にしないことにして、この古代は文明にかかっていますから、「古代文明」は「とても古い時代の国家段階の社会」としましょう。

    最後に「超」は何かを超えてるという意味で、古代文明にかかっていますから、「超古代文明」は、これまでに知られている「古代文明」よりも(時間的に古さとして超越しているという意味で)一層古いものを指すと定義しましょう。

    この定義であれば超古代文明は存在し得ます。

    というか今回の発見はソレと言っても過言ではないでしょう( -д-)ノ

    まぁもちろん今回の発見を受けて、殷より古い王朝が認められれば、それは超古代文明から最初期/最古の古代文明になるわけですけどね( -д-)ノ




    石峁遺跡は「超古代文明」?

    対象物が何かは記載がないため不明(恐らく地層中の植物由来炭化物)ですが、放射性炭素年代測定によると石峁遺跡は4300年前の遺跡となるため、現在分かっている最古の王朝である殷より古いため、「超古代」の部分はクリアです。

    上に挙げた写真は石峁遺跡で見つかった「階段状ピラミッド」ですが、これは公共大型建造物としてカウントできるでしょう。

    またこの遺跡では翡翠(ヒスイ)製品が多数出土しています。

    下に挙げた写真のようにただの翡翠が出たわけではなく、板状飾り、円盤、刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものが見つかっており、高度な石材加工技術があったことが分かります。

    さらに石峁遺跡周辺では翡翠が産出することはなく、最寄りの産地でも1600km離れていることから「長距離交易の存在」が示唆されます。

    さきほどは挙げませんでしたが、長距離交易も国家段階あるいは文明の指標となるものです。

    よって石峁遺跡に見られる人類活動の痕跡は「超古代文明の所産」と言えるでしょうヾ(´ω`=´ω`)ノ


    arukemaya1624




    中国最古の王朝はマヤ文明に似てる?

    マヤ文明の特徴と言えば、「階段状ピラミッド」、「独特なピラミッド装飾レリーフ」、「翡翠」ですが、これって今回の発見とそっくりですよね( ・Д・)

    上に挙げた写真が石峁遺跡で検出されたレリーフですが、左右対称で非常に精巧な壁面装飾となっています。

    マヤ文明でも階段状ピラミッドや宮殿の基壇部に対して類似の壁面装飾が施されます。

    それがこれ!(*^・ェ・)ノ


    arukemaya1621



    ぱっと見、似てるんですよね~。

    まぁ専門としては石峁遺跡のモチーフはマヤ文明のそれに似ているというよりはメソアメリカ様式と言うべきか、、、もっと広い漠然とした感じで所謂「中米の美術様式」に似ている気はします。

    あるいは古代マヤってよりは、チチェン・イツァのようなマヤ-トルテカ様式とか、オルメカ様式にも似ている気がして、古代メキシコ文化領域の美術様式に類似する気がしますね。

    オカルトであれば、宇宙人やアトランティスの子孫が知識・技術を伝播させたから似ているんだ!ってロジックになるのでしょうが、、、

    もちろんそんなわけはなく、明らかに「他人の空似」です。

    下に過去記事を挙げましたが、石峁遺跡の美術様式は後代の中国の青銅器文化に類似したものが出ています。

    確認したところ、過去記事のものは黄金製品を中心に挙げているため、あんまり参考にならないんですが、、、

    でも確かに中国の青銅器で、先に挙げたレリーフのようなギザギザした歯を持つ獣(?)のモチーフを見たことがあるんですよね。

    逆にマヤのレリーフで、石峁遺跡のレリーフに激似の事例もあった気がする( ・Д・)

    今度どこかで見かけたら紹介することにしますね( -д-)ノ

    ・・・ということで、そもそも時期的に石峁遺跡の方がめちゃくちゃ古いのでマヤ文明のとの関連はもちろんないわけでただの釣りなのですが、文明の比較考古学としては面白いな~って思います(*・ω・)ノ


    ↓あんまり似てないけど参考までに( -д-)ノ





    おわりに

    やはり「超古代文明」とかオカルト系と「どエロの考古学」のようなエロ系はアクセス数が異常に伸びる!( ・Д・)

    歩けマヤの読者は私が真面目につまらない内容書いてても読んでくれるし、悪ふざけしても読んでくれるので、、、

    それに甘えて新規読者獲得のため、タイトルで釣ってみました( -д-)ノ

    この先の安定した研究生活の基盤として、ブログやYoutubeが機能するならば、、、多少は悪魔に魂を売る他ないのではないかと思う今日この頃です( ・Д・)

    まぁ今後、今回のようにタイトルやサムネイル画像で釣っても、中身は真面目に考察してますのでご安心ください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ・・・この調子で研究続けつつ、、、

    ブロガー&Youtuberになるか!( ・Д・)



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    2021ねん 6がつ 1にち(かよーび、晴れ)

    やぱ新しく勉強したり研究するには、どうしても定時以降とか、休み使わないとダメだな( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは中国でなんだかフィーバーしてるね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

    この遺跡で大きな発見がありまして、それは下に挙げたリンク先の記事で紹介しました。





    ここでもさくっと概要を書くと、三星堆遺跡は今から約3000年前に四川省にあった青銅器時代相当の遺跡です。

    青銅器時代ですから、青銅製品が多数出てくるのは当然なのですが、ポイントはその青銅製品の精巧さと金製品を伴うことです。

    この遺跡では1986年に2基の墓が発見されており、2020年に新たに6基の墓が見つかりました。

    1986年の調査時に青銅製の人物像と黄金仮面が出土したのですが、その他にも精巧な副葬品が多数出ています。

    新しく見つかった6基の墓(第3~8号墓)からも多量の遺物が出ていて、どれも精巧な奢侈品ばかりです。


    arukemaya1548

    arukemaya1543

    arukemaya1542



    青銅製品はどれも精巧な作りですし、「黄金の葉っぱ」も細工が美しいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

    まぁ個人的には最後に挙げた青銅製の小像の濃ゆい眉の感じが好きですし、ついそこに目が行っちゃいますけど、重要なのは色彩が残っている点ですね。


    arukemaya1540



    さて、上に挙げた1枚目の写真は「象牙製品」です。

    これも繊細な意匠が美しいです。

    この時代に象牙を貴重品として交易していたことに驚きです。

    どこのどの種の象さんの牙なのか知りたいですね。

    そして象牙を素材として入手してこの地で加工・製作したのか、あるいは製品として入手したのか、これも気になるところです(*^・ェ・)ノ


    2枚目の写真は「玉璋」です。

    「ぎょくしょう」と読みます。

    「玉」の字があることから分かるように玉製なんですが、斧とか刀とか実用の工具類を模したものです。

    上の写真の場合は、「小刀」でしょうか?

    上部が柄部で、下部が刃部に見えます。

    この「玉璋」は三星堆遺跡で見つかっている独特の型式で、他には見られないレアな事例なのです(*・ω・)ノ

    さて最後に、インディジョーンズ的なアドベンチャー映画のワンシーンかと思えるような画像を紹介しますね(*・ω・)ノ


    arukemaya1544

    arukemaya1545

    arukemaya1546





    arukemaya1539
    arukemaya1541a
    ↑にょろにょろとにょろにょろ型玉製品


    おわりに

    どうも玉璋の柄部と刃部の間の装飾が気になって、、、

    にょろにょろ(ムーミンに出てくるやつ)にしか見えなくて、、、

    ちょっと最後にふざけました( -д-)ノ


    ・・・さて、この感じだとまだ色々と出てきそうな感じがしますね。

    出土品が眩いので、そこばかりに着目してしまいますが、この地域の青銅器文化ってどのようなものだったのでしょう?

    一般の住居とかも発掘して研究して欲しいなって思っちゃいます。

    実はやられていて、ニュースにならないだけかもしれませんがね( -д-)ノ

    ともかく、、、

    また中国は観光で一儲けできるね!( ・Д・)



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    2021ねん 4がつ 9にち(きんよーび、晴れ)

    健康体になってきた(・∀・)つ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「3000年前の黄金仮面が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

    中国の古代文明と言えば、教科書でお馴染みの「黄河文明」です。

    これは広い中国の中でも黄河流域で栄えた文明なわけです。

    この黄河文明で最古の王朝は「殷(いん)」です。

    続く周王朝と同じく、所謂青銅器時代に属しています。

    殷が1700BCE-1046BCE、周が1046BCE-256BCEなので、今回の発見した遺物の時期である3000年前(1000BCE)はちょうど殷・周青銅器時代の真ん中辺りの頃ということになります(*^・ェ・)ノ




    今回のニュースのおよそ35年前に見つかったのが上に挙げた写真の黄金仮面になります。

    青銅器時代ですので、顔の造形というか人の造形は青銅を用いて作られていて、そこに金箔の仮面が装飾として不随している形になっています。

    三星堆遺跡は、この黄金仮面の他にも4mもの高さの青銅製の神樹や、世界最大の2.6mの青銅製人物立像が出土していたり、金の杖などの他の黄金製品も出土したり、象牙といった貴重な遺物も出たりと地元博物館にとっては願ったりの遺跡なのです。

    この黄金仮面を始め素晴らしい精巧な遺物を作った文明は、およそ3000年前に四川省一帯で栄えた「古蜀国」と考えられています。

    この一帯では5000年前(紀元前3000年前)頃から文化の興りが見られ、3000年前にはこのように青銅の扱いだけではなく、金箔を扱う技術を得るまでに発展していました。

    この文明に対する調査はまだまだ極一部であり、今後その性格が明らかになることが期待されていますヾ(´ω`=´ω`)ノ




    今回、新たに発見された黄金仮面も以前と同様にお墓の中の副葬品として出てきました。

    上に挙げた写真群が墓壙内の平面図的な写真と、出土状況を示した写真になります。

    ただでさえ、黄金製品はレアですし、いろんな意味で貴重ですし、柔らかいしで気を付けなければならないのですが、金箔だと猶更ですよね。

    最後に挙げた写真のように金箔だとぐちゃぐちゃになった状態で出てくるようで、これを頑張って復元するようですねΣ(・ω・ノ)ノ


    ↓遺物をガジッた(掘る時に傷付けた)と言えばこれ!ヽ(TдT)ノ

    ↑しかも黄金製品だし( ・Д・)




    そして上に挙げた写真が今回新たに見つかった黄金仮面で、向かって左半分が綺麗に残っています。

    右半分と上部はガジッたか、トバした(掘ってる最中にぶっ飛ばして無くなった)かしたのでしょうか?(´・ω・`)

    黄金製品としての質の高さ、美術的な美しさももちろん目を見張るのですが、、、

    やはり考古学的に気になるのは技術力の高さですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    青銅器時代ですから冶金技術はあるとは言え、金箔を作って精巧に加工する技術を有していたという点がすごいです。

    こうした技術はどのように生まれたのか、あるいは伝わったのか、そして中国の他の文明との関係性はいかなるものだったのか、知りたいことで一杯ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


    arukemaya1450


    おわりに

    恥ずかしながら、正直、古蜀国なんて全然知りませんでした( ・Д・)

    この春から所属が変わり、日本の弥生・古墳時代も少しかじっていこうと考えているので、中国や台湾、東南アジア辺りも勉強しなきゃなと思う今日この頃です( -д-)ノ

    でもやっぱりニュースになるような発見っていいよね・・・

    考古学はそんなトレジャーハンターみたいな仕事ではないと思いつつも、、、

    いつか言いたい!

    あれ、見つけたの俺!( ・Д・)



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    2020ねん 12がつ 4にち(きんよーび、くもり)

    あと少し!頑張るよ~!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはアジアのカジノ区の印象のあるマカオで西洋の大砲が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、マカオです。

    マカオは特別行政区で珠江河口を挟んで香港の対岸に位置しています。

    1999 年までポルトガルの植民地であったことから東西文化が融合しており、一見するとヨーロッパのような景色を楽しむことができます。

    マカオと言えば巨大なカジノが有名であり、「アジアのラスベガス」の異名を有しています。


    arukemaya1263



    大航海時代はスペインとポルトガルが世界の覇権を握っており、その内のポルトガルは1513年に中国に初渡来し、明王朝との交易を開始しました。

    その後、ポルトガルは継続的に献金を続けることでマカオを居留地として交易を続けていましたが、アヘン戦争(1840~1842年)の後に献金を停止、その後、1887年の中葡和好通商条約を経てマカオはポルトガルの植民地となります。

    先にも述べたようにマカオは1999年までポルトガルの植民地でした。

    このおよそ100年の間にポルトガルによって西洋風の建物が多く建設されたわけですが、現在でも観光地として知られているのが、上の写真に挙げた『モンテの砦』です。

    モンテの砦は1617~1626年にイエズス会の修道士によって、聖ポール天主堂とともに造られたものです。

    外部の攻撃から町を守るための砦で、22門の大砲が海側に向けて並んでいます。

    大砲は3方向に向いていますが全て海向きであるのは、中国と戦う意思がないことを表していました。

    上に挙げた写真ではマカオの街並みが映っているじゃないかと思うかもしれませんが、モンテの砦はポルトガル語で ”Fortaleza do Monte"、つまり「山城、山砦」を意味するので小高い丘の上にあり、またマカオ地区は沖合にあるタイパ島とコロアネ島を主とした島々の間を埋立てているため、現在マカオの砦の眼下にはマカオの街並みが広がっているのです。


    arukemaya1267


    上に挙げた写真は2020年4月に下水管整備のための道路工事の際に見つかった大砲です。


    この大砲の埋蔵時期は1889年から1933年の間で、マカオで製造されたものではないようです。


    大砲の形態と、構造の特徴が19世紀中期に英国で製造されたブロームフィールドフロントガンに相似していると判定されました。


    このタイプの英国製砲台は他にも複数、マカオ各地の砦の砲台に現存しているそうです。


    恐らく売買のため内港一帯に置かれていたものが、後の周辺の埋立造成時に埋められたと考えられています。




    上に挙げた写真は2020年11月に見つかった別の大砲です。


    この大砲は砲身部が全長約1.4mで口径が約80mmあるものでした。


    見るからに保存状態が良く、カッコいいですよね。


    私、家に1門欲しいですもん( ・Д・)


    大砲に関してずぶの素人である私にも美術的価値の高さが伺えるこの大砲は、マカオ政府文化局(ICM)も当然その重要性を認めて直ちに工事を一時中断し、出土地点周辺の測量調査や発掘調査を実施しました。


    しかし他の遺物は発見されなかったそうです。


    まだこの大砲の時期やタイプは判別できていません。

    しかし恐らくポルトガルの植民地期にポルトガル軍が沿岸部に設置したもの、あるいはポルトガルの軍艦が遺棄したものである可能性があるとのことです。  


    こうしたマカオで発見された大砲は、マカオにおける大砲の鋳造の歴史、武器貿易の歴史、沿岸防衛の歴史、海域の埋立ての歴史を知る上での高い史料価値を有するものとして、一般公開が予定されています。


    先ほど紹介した「モンテの砦」はマカオの街並みや中国本土を見渡す展望台として有名なだけではなく、『マカオ博物館』が併設されていることで知られています。


    おそらくこの大砲たちはこのマカオ博物館にて展示されるのでしょうね(*・ω・)ノ






    おわりに

    囲最後に挙げた写真が、大砲が見つかった工事現場なのですが、フツーに工事現場ですね( -д-)ノ

    中国の報道では「考古学的価値の高い重要な発見」としているのですが、その割に本当にただの工事現場過ぎて何だかなって思います。

    これらの大砲の発見によって学術調査が行われるということで、そういうところはポーズとしてしっかりしてるように見えますけど、こんな状態から考古学者が掘って何かわかるのかな~って疑問です( ・Д・)

    ただの考古学者のわがままであるのは重々承知なのですが、もう少し平らに掘って欲しいものです( -д-)ノ

    さて、こうして工事現場から遺物が出るのってけっこうよくある話で、熟練の重機の乗り手がショベルをぶつけた感覚から遺物だと気付いた、なんて話もよく聞きます。

    日本の考古学の話でその関連だと、『銅鐸』が大量に見つかった話が有名でしょうかね(*・ω・)ノ

    これまでも「世界各地の工事中に何々が見つかった!」って記事を挙げてきましたが、今回の写真だけが現場の写真を見て何も言えないレベルのものですね……

    もしかしたら撮影者がおかしな部分を撮っただけって可能性も考えられますね(*^・ェ・)ノ

    考古学では写真記録は大事なものです。

    だから、、、

    考古学関連記事でも写真は大事!( ・Д・)



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    2020ねん 11がつ 7にち(どよーび、晴れ)

    梅干しと食べると元気でる気がする(*^・ェ・)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1149


    今回の考古学・歴史ニュースは「2800年前の青銅製車輪付き馬車がバエるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    元記事が分かりにくいなと、そしてこの馬車の写真は何だか見覚えあるなと思っていたら、、、

    やはり今回の発見は2014年のものでした( -д-)ノ

    元記事における今回のニュースは「この馬車が復元されたよ!」ってことなのですが、肝心の復元された写真がないので混乱しました。

    なのでここでは単純に、「2800年前の青銅製車輪の付いた馬車の残り方がスゴイよ」って形で紹介することにします(。・ω・)ノ゙


    arukemaya1148


    発見の舞台は中国、陝西省にある周原遺跡です。

    西周(紀元前1100年頃-紀元前771年)の末期に帰属する馬車と推定されています。

    馬車の長さ(馬との連結部含み)は3.13m、幅は2.7m、高さは1.5mメートルです。

    馬車の前方には馬の骨があり、4頭分あることが確認されています。

    この馬の骨の一部を用いてDNAを解析した結果、4頭の馬はいずれも雄の黒馬だったことが判明したそうです(*^・ェ・)ノ



    この周原遺跡では多くの奢侈性の高い遺物が出土しており、かつて大規模に盗掘が行われ、闇ルートでの遺物の売買が行われたことで知られています。

    この遺跡ではそうした保存状態の良い遺物が豊富であり、またこの馬車も稀に見る保存状態の良さなわけですが、これらは意図的に黄土で埋められたことに起因しています。

    埋葬形態のひとつに「陪葬(ばいそう)」というものがあり、これは主君を埋葬した墳墓の近くに近臣たちを埋葬することを指します。

    一種の殉葬なわけですが、陪葬の場合は埋められた場所が異なるという点が違いです。

    また例えば殉葬の場合、メキシコ、テオティワカンの事例のように多くは後ろ手に縛られていたり、斬首されていたりと強制的に生贄にされていることが多いです。

    一方で陪葬の場合は、死後も主君にそのまま仕えることができるように丁寧に埋められているケースが多いのです。



    さて、写真に見られるように馬車の車輪のフレームは青銅製なのですが、それだけではなく馬車の装飾も豪華で、大量のトルコ石が埋め込まれた青銅部材に薄壁青銅獣面装飾、玉細工、彩色上絵が施された部材が大量に発見されたとのことです。

    残念ながらこの装飾品に関する写真はなく、元記事において考古学研究所はこのバラバラの装飾品類を復元したようですが、その写真もありませんヽ(TдT)ノ

    元記事における「復元した」の意味が、下に挙げる写真のような元々の位置関係を明らかにして3D復元予想図を作ったという意味なのか、あるいはそれを基に馬車を作り上げたのか不明です( -д-)ノ

    周原遺跡に関連した大きな博物館があること、中国は文化遺産の観光活用に力を入れて莫大な資金を投じる傾向にあることから、恐らくは展示用に馬車を復元していそうですね。




    保存状態の良さから馬車の構造や工法について色々なことが分かっており、この馬車があまり使われていなかったことも分かっています。

    「あまり」ということは陪葬用に準備した馬車ではなく、実際に君主によって使われていた可能性が高いと考えられます。

    また形態的には軍事用馬車なのですが、非常に装飾性が高いことから、戦闘用ではなく当時の上流貴族の儀仗(ぎじょう)用だったと考えられています。

    ちなみに儀仗というのは儀礼のために用いられる武器・武具のことです。

    こうした陪葬の車馬坑は周原遺跡ではいくつか事例がありますが、今回紹介した事例はこれまでで最高の保存状態であり、各部品が最も完全な形で残っている馬車なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    おわりに

    最後に挙げた写真の馬車の保存状態もスゴイですよね。


    ポンペイで見つかった馬を思い出すレベルの保存状態の良さです。


    2800年前の馬車というと当然、木製部位も多いでしょうによく残るものです。



    ……丁寧に扱えば、良く残る……


    逆に雑に扱えば、残らない……


    なるほど、それで「アカハラ万歳な」研究室では学生が残らないわけか!



    考古学知識が現代社会に役立ったね!( ・Д・)



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    2020ねん 8がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

    私は頑張るよ~っ!たくさん応援して~っ!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「中国で東アジア最古の彫像が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


    ……のっけからアレですが、コレほんとかなと、なんだか怪しい匂いを感じ取っております( -д-)ノ


    ま、ひとまずはご紹介をしますね!






    これまでの記録を8500年も上回る大発見!?

    発見があったのは中国・河南省にある霊井遺跡です。

    調査責任者は中国・山東大学の李占揚です。

    (これまで考古学者の実名は大部分敢えて控えてましたけど、今後はガンガンに出していきますね(*^・ェ・)ノ)

    上に挙げた写真のスケール(2mm)から分かるようにこの遺物はとても小さいものです。

    この彫像の大きさは、全長19.2mm、高さ12.5mm、幅5.1mmなのですΣ(・ω・ノ)ノ



    この問題の遺物は土器片や動物の焼骨などの遺物と共に見つかったそうです。

    そこで貴重な発見であるこの彫像を傷つけないように彫像に対しては放射性炭素年代測定法を使いませんでした。

    代わりに彫像と共に出土した同様の骨の一つを放射性炭素法で調べ、鳥の彫像の年代が1万3500年前のものと推定しました。

    結果、東アジア最古の彫像であり、同地域での彫像の記録を8500年も上回るものとして報告されました。






    怪しい予感……*あくまで元記事の記述に基づく個人の見解です( -д-)ノ


    さて、東アジアにおける彫像の歴史が一気に8500年さかのぼったわけですが、、、

    まずは時期を確認しましょう。

    13500年前と言いますと、日本では縄文時代の初め、縄文草創期(およそ16000~9000年前)に相当します。



    せっかくなので今度記事にしますが、日本でもこの草創期に当たる時期、1万1000年前に相当する『土偶』が最古として発見されています。

    日本の事例では彫像ではなく、土偶です。

    時期差は多少あるものの、3点ほど見つかっています。

    またこれらの土偶は住居址や縄文土器(当然、草創期の土器)と共に出土しています。

    なので時期判定は土器を中心として複数の根拠に支えられています(*・ω・)ノ



    何故日本の事例を紹介したかと言うと、この中国の事例は状況が大きく違うよ!と言いたかったからです( -д-)ノ






    さて、この霊井遺跡ではこれまでの調査で12万年前から3000年前の青銅器時代までの11層の地層が検出されています。

    この内の5番目の地層の大部分が1958年に実施された井戸の掘削作業で取り除かれ、近くにある廃棄物の集積地に捨てられていたそうです。

    この集積地はその後何年も手付かずのままだったようで、研究チームが土をふるいにかけて詳細に調べたところ、土器片や焦げた動物骨と今回の遺物があったという経緯なのです。




    (。´・ω・)ん?・・・・・・・





    ・・・・・・





    ・・・





    1次資料じゃないじゃん!( ・Д・)

    がっつりコンタミじゃん!( ・Д・)




    註;コンタミネーション(英語: contamination)は、特に科学実験の場における汚染のこと。「実験汚染」「実験室汚染」「試料汚染」などの訳語があてられる場合もあるが定訳はなく、そのままコンタミネーションとして、あるいは略してコンタミと呼ばれることが多い。 (wikiより転載)


    (以下「歩け、マヤ管理人」による追記)

    考古学では『攪乱』のことをコンタミと呼ぶことが一般的だと思います。

    今回の事例のように後世の人為的な攪乱の場合や、植物の根の広がり、倒木、動物の巣作りなど様々な原因で土がかき混ぜられてしまったり、遺物が”本来の位置”から移動してしまうことがあります。



    普通、井戸掘ったら、地表面から地下水に当たるまで掘り抜くから、5番目の層だけの集積地ってあり得る???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



    まぁこれだけで怪しいんですけど、最初に挙げた図のように成分分析やってるんですよね。

    焼けた骨を彫刻して作った鳥って判断してるのに……

    なら、分析かけずとも骨じゃんって思うんですけどね。



    なのに、傷つけることを恐れて炭素年代測定法は直接用いずに、他の骨に適用しています。

    しかも1点だけ!


    そして土器片も出てるのに、土器編年的にはどうなのだろうか。

    一切記述ない。

    写真もない。

    よくわからんくらいの小破片ということなのか……


    誠に以って謎!
    ( ・Д・)






    おわりに

    まぁなんだか怪しい発見ですけど、この「5番目の層」は広く広がってるはずですから、今後通常の発掘の過程で傍証となるような発見があることに期待したいですね(*・ω・)ノ

    実際、「素材である骨自体が古くとも、加工した時期が古いとは限らない」んですけどね。

    写真で見た限り、整形後に焼けた感じしないですしね( -д-)ノ




    ……まぁ最古っていいよね。

    「8500年も記録を大更新するくらい古いんだ!」って言えたらかっこいいよね。



    ……うん、気持ちは分かるが、、、

    誠実にいこうぜっ!( ・Д・)

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