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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:中国

2020ねん 8がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

私は頑張るよ~っ!たくさん応援して~っ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「中国で東アジア最古の彫像が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


……のっけからアレですが、コレほんとかなと、なんだか怪しい匂いを感じ取っております( -д-)ノ


ま、ひとまずはご紹介をしますね!






これまでの記録を8500年も上回る大発見!?

発見があったのは中国・河南省にある霊井遺跡です。

調査責任者は中国・山東大学の李占揚です。

(これまで考古学者の実名は大部分敢えて控えてましたけど、今後はガンガンに出していきますね(*^・ェ・)ノ)

上に挙げた写真のスケール(2mm)から分かるようにこの遺物はとても小さいものです。

この彫像の大きさは、全長19.2mm、高さ12.5mm、幅5.1mmなのですΣ(・ω・ノ)ノ



この問題の遺物は土器片や動物の焼骨などの遺物と共に見つかったそうです。

そこで貴重な発見であるこの彫像を傷つけないように彫像に対しては放射性炭素年代測定法を使いませんでした。

代わりに彫像と共に出土した同様の骨の一つを放射性炭素法で調べ、鳥の彫像の年代が1万3500年前のものと推定しました。

結果、東アジア最古の彫像であり、同地域での彫像の記録を8500年も上回るものとして報告されました。






怪しい予感……*あくまで元記事の記述に基づく個人の見解です( -д-)ノ


さて、東アジアにおける彫像の歴史が一気に8500年さかのぼったわけですが、、、

まずは時期を確認しましょう。

13500年前と言いますと、日本では縄文時代の初め、縄文草創期(およそ16000~9000年前)に相当します。



せっかくなので今度記事にしますが、日本でもこの草創期に当たる時期、1万1000年前に相当する『土偶』が最古として発見されています。

日本の事例では彫像ではなく、土偶です。

時期差は多少あるものの、3点ほど見つかっています。

またこれらの土偶は住居址や縄文土器(当然、草創期の土器)と共に出土しています。

なので時期判定は土器を中心として複数の根拠に支えられています(*・ω・)ノ



何故日本の事例を紹介したかと言うと、この中国の事例は状況が大きく違うよ!と言いたかったからです( -д-)ノ






さて、この霊井遺跡ではこれまでの調査で12万年前から3000年前の青銅器時代までの11層の地層が検出されています。

この内の5番目の地層の大部分が1958年に実施された井戸の掘削作業で取り除かれ、近くにある廃棄物の集積地に捨てられていたそうです。

この集積地はその後何年も手付かずのままだったようで、研究チームが土をふるいにかけて詳細に調べたところ、土器片や焦げた動物骨と今回の遺物があったという経緯なのです。




(。´・ω・)ん?・・・・・・・





・・・・・・





・・・





1次資料じゃないじゃん!( ・Д・)

がっつりコンタミじゃん!( ・Д・)




註;コンタミネーション(英語: contamination)は、特に科学実験の場における汚染のこと。「実験汚染」「実験室汚染」「試料汚染」などの訳語があてられる場合もあるが定訳はなく、そのままコンタミネーションとして、あるいは略してコンタミと呼ばれることが多い。 (wikiより転載)


(以下「歩け、マヤ管理人」による追記)

考古学では『攪乱』のことをコンタミと呼ぶことが一般的だと思います。

今回の事例のように後世の人為的な攪乱の場合や、植物の根の広がり、倒木、動物の巣作りなど様々な原因で土がかき混ぜられてしまったり、遺物が”本来の位置”から移動してしまうことがあります。



普通、井戸掘ったら、地表面から地下水に当たるまで掘り抜くから、5番目の層だけの集積地ってあり得る???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



まぁこれだけで怪しいんですけど、最初に挙げた図のように成分分析やってるんですよね。

焼けた骨を彫刻して作った鳥って判断してるのに……

なら、分析かけずとも骨じゃんって思うんですけどね。



なのに、傷つけることを恐れて炭素年代測定法は直接用いずに、他の骨に適用しています。

しかも1点だけ!


そして土器片も出てるのに、土器編年的にはどうなのだろうか。

一切記述ない。

写真もない。

よくわからんくらいの小破片ということなのか……


誠に以って謎!
( ・Д・)






おわりに

まぁなんだか怪しい発見ですけど、この「5番目の層」は広く広がってるはずですから、今後通常の発掘の過程で傍証となるような発見があることに期待したいですね(*・ω・)ノ

実際、「素材である骨自体が古くとも、加工した時期が古いとは限らない」んですけどね。

写真で見た限り、整形後に焼けた感じしないですしね( -д-)ノ




……まぁ最古っていいよね。

「8500年も記録を大更新するくらい古いんだ!」って言えたらかっこいいよね。



……うん、気持ちは分かるが、、、

誠実にいこうぜっ!( ・Д・)

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2020ねん 7がつ 19にち(にちよーび、まぁまぁ晴れ)

効果あり!素数足し算、日課にする!( ・Д・)

あとはイライラ対策用の牛乳と、鬱対策用のカルピス飲めば元気ハツラツのはず(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「有名な神風で沈んだ船が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



教科書で歴史上の人物の発音は変化している!

さてさて、日本の教科書っていつの頃からか、「現地の発音に合わせる」って仕様に変更になったのご存じですか?

なので、(歴史の教科書では特に)有名なフランシスコ・ザビエルは、今では「シャビエル」なんですよ。

私は昭和生まれですから当然「ザビエル」勢ですが、皆さんは如何ですか???ヾ(´ω`=´ω`)ノ



ザビエル勢にとって(こんな言葉は今作った言葉です( -д-)ノ)、元寇で日本に攻めてきたのは「フビライ・ハン」ですよね?

シャビエル世代にとっては「クビライ・ハン」だそうです。

モンゴル語のラテン語への転写だと『Qubilai Qa'an』、このように書くそうなので、確かにクビライですよね。

じゃあ「皇帝(称号)」の意味の発音も「カーン」で良くない?(*^・ェ・)ノ

とか思いますが、まぁ大人の事情でしょう、知らんけど( -д-)ノ




クビライ・ハンと元寇と神風とぼく


さて、日本史で習ったことを簡単におさらいしましょう。

表記は新世代に合わせます(*・ω・)ノ


クビライ・ハンは、チンギス・ハンの血族として1215年に生まれます。

長いことモンゴル王朝内でハーン(カーン)の名を競って争い、1260年に漢語風の名を始めて付けた王朝を創始します。

それが『元』です。

簡単に言うならば、元はクビライ・ハンの政策により中国王朝化したモンゴル王朝です。



この元が日本に攻めてきたのが『元寇』です。

『神風』という名の、言わば台風でクビライ・ハンの船団は大打撃を受けて、二度の日本侵略に失敗するというお話です。


arukemaya919
↑再掲


発見されたクビライ・ハンの軍船

Twitterの情報なので今のところ情報も少ないのですが、元寇で沈んだ船が発見されたそうです。

水中考古学では基本的に歴史書に残っているものを探します。

続報というか論文読まないと詳細は不明ですが、史実を裏付ける発見はこれが初めてのようです。



以前紹介した、バルト海などの静かな海では船の残りも良好ですが、さすがに大荒れの日本海だと残ってるだけで奇跡のように思えます。

上の写真で見ても、、、

「これが船ですか?( ・Д・)」

ってなります。



まぁ日本海のど真ん中にこれだけしっかりとした木材が沈んでいるのは不自然ですし、『13世紀の遺構』とか「これは1281年に沈んだ船」と書かれているので、何らかの遺物(たぶん陶器とか)によって年代が割り出されているのでしょう。


・・・・・・

・・・

というか一回目の元寇って1274年……


わずか7年の差を判定できる基準があるのか、、、

文字か、文字なのか???

やはり続報に期待です( -д-)ノ





おわりに

以前は特段理由もなく水中考古学を毛嫌いしていましたが、やはり発見があるのは面白いですね。

そして文献史料で示されている事柄を、考古学的にクロスチェックするという姿勢は好きです。



【追記:2020/07/19】
↓沈没船関係の記事へのリンクを載せておきます(*・ω・)ノ







いいなぁ……

潜りたいなぁ……

マヤ文明でも場所によっては水中考古学はできるけどさ

いや、ティカルでもできるもんね!


ティカルは緑の海の中だからねっ!( ・Д・)

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2020ねん 6がつ 20にち(どよーび、晴れ)

シンクタンク作りたいけどすでに多忙過ぎる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「万里の長城の役割って、チンギス・ハーンの軍勢を止めるためじゃなかったらしいよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


まぁちょっとオーバーなタイトルかも知れませんが、今回分かったのはそういうことです( -д-)ノ



万里の長城は現存する長さだけでも約6259kmもある非常に長い壁です。

まぁ所謂「中国史」では北方の異民族との対立と彼らの侵入を繰り返してきたわけですが、その防御のために作られたのが「長城」です。



長城といっても時代として8期に分かれていて、色々な場所に建設されています。

BCE500頃から始まる戦国時代において各国が防御壁を作り始めたのが最初ですが、北方の異民族問題としては匈奴対策としてBCE214年に秦の始皇帝によって長大な防御壁が築かれたのが最初になります。

その後も前漢、北魏、北斉、髄・明などで長城は建設され続けました。



戦国時代の長城のように全ての長城が北方民族対策目的で建設されたのではなく、分裂期には隣国との境界にも造られています。

しかしながら概ね北方の異民族の対策と言えるでしょう。



arukemaya899


万里の長城について

こうした多々ある長城の内、最も大きいことからよく知られているのが「万里の長城」です。

先に述べたように、最初に築いたのは秦の始皇帝です。

BCE214年に匈奴対策として建設され、その後も増改築が繰り返され、ほぼ現在のような状態になったのは明代(CE1368-1644)になってからです。

北方の異民族集団は騎馬民族として有名なため、漢民族系である農耕民族と北方の遊牧民族の境界線として長城が説明されることが多いです。

しかしながら実際には長城は草原の中に建っているところが多く、長城を草原側にじわりじわりと侵入して建設することで遊牧民族に対し優位に立ち、勢力圏を可能な限り北方へと広げようとしたためと考えられています( ・Д・)

なんかやることがセコイ気がしますが、このように万里の長城の役割は北方の異民族対策と考えられてきたのです(*^・ェ・)ノ


arukemaya898
↑説明のため再掲


今回の発見と新解釈

ヘブライ大学のギデオン・シェラク・ラヴィ率いる研究者グループが無人機のレーダーシステムと高解像度の衛星画像を使用して長城の北線の地図を作成しました。

その長さは約750km!Σ(・ω・ノ)ノ

そうした中で上に挙げたような方形構造物も発見したそうです。



立体地図を作成してみると、長城の北方線のほとんどはモンゴルを通過しているものにも関わらず、土で造られていることが分かりました。

しかもその高さは非常に低いものだったのです。


一方で発見された方形構造物は関所や見張り小屋のような役割を果たした可能性を当初考えていましたが、この建造物基壇も土製で、高さはともて低く、さらに交通に便利な小道の傍に造られていました。

つまりこのエリアの長城も関所(?)も全く防御力がないことが分かりましたΣ(・ω・ノ)ノ



この区域が建設されたのはCE1001~1300頃で、ちょうど明が現在のような万里の長城に改築する前の頃になります。

従来はこの頃からチンギス・ハーンによる侵略から防御するために長城が改築されていたと考えられていました。

しかし今回の発見により、(あくまでこのエリアに関して)この時期の長城の役割は敵の侵略を抑止することを目的としていたのではなく、人や家畜の動きを監視したり、妨害したりすることで、課税するためのものだったのではないかと考られるということです。



まぁあれだけ大きい壁を建造するにもお金たくさんかかるもんね……( -д-)ノ

世の中、金だね!( ・Д・)






おわりに

高解像度の衛星画像とかLiDAR(小型航空機等を用いたレーザー測量技術)とか流行ってますけど、お金がねぇ( -д-)ノ

無料で利用できるものも存在してはいるのですが、とりあえず今の自分のやりたい研究とはマッチしないからいいかな……



そう言えば、(私自身は文系・理系の区別を好ましく思ってはいないが……)人文科学を中心としたシンクタンクを作りたいのですよ。

研究助成金は獲得してくるので、獲れたら誰か適切な若手研究者に手伝ってもらいたいなと思っております。

『子供の教育問題』とか『自然環境問題』とか色々な調査研究助成はあるものなのです。

全国の若手研究者(アンケート調査やフィールドワーク可能であれば誰でも可能)に登録して頂いて、専門性として適切な方に調査研究の仕事を振っていく形のオープンシンクタンクを構想しております。

興味ある方は是非ご連絡下さい(ひとまずはTwitterのDMでお願い致します)ヾ(´ω`=´ω`)ノ


あ、気付いた?そう、今回の終わりはただの宣伝だよっ!( ・Д・)


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2020ねん 5がつ 23にち(きんよーび、曇りのち雨)

報告書があと二日で終わる。てか終える。

結局週末働かにゃ終わらんってことやな、、、

どうなってる、私の「ひとり働き方改革」!?( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは「発掘調査で多量の金銀財宝が出て、中国版の埋蔵金伝説が真実だったことが分かったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は中国・四川省にある彭山江口明末古戦場遺跡です。

名前めちゃくちゃ長いですねΣ(・ω・ノ)ノ

この遺跡は、彭山区の江口鎮に所在しているので「彭山江口」と付いています。

次の「明末」は中国王朝のひとつである明王朝(1368-1644)の末期に帰属するという意味のようです。

で、「古戦場跡」はそのままですが、以前の調査で銃や様々な種類の鉛弾が発見されたことで古戦場跡であると解釈されたことによるネーミングだそうです。

ということで、長ったらしい名前ですが、遺跡の性格を端的に示している名称ということになります(*・ω・)ノ




3シーズンに渡って長期的な調査が実施されていて、今回の調査では重要文化財指定の遺物だけで2000点、トータル1万点の文物が出たそうです。

1万点の遺物ならば、マヤ文明の場合、土器片や石器片でいいなら簡単に出る量なのですが、時代が時代ですからね、きっといいもの(文物)ばかりで1万点のはずです(*^・ェ・)ノ

あまりにも出土遺物の質も量も良いため、約76億円をかけて「江口沈銀博物館」を来年建設開始するそうです。

この博物館の名前になっている「江口沈銀」というのが、中国版の埋蔵金伝説のひとつなのです。




江口沈銀の伝説の証明

「江口沈銀」の伝説とは1643年に大西王となった農民軍の首領・張献忠の軍船が岷江を南下する際に、明軍の攻撃を受けて沈没してしまい、積んでいた財宝が川底に沈んだというものです。

先に挙げた金印が最も重要な発見で、金の含有量がなんと95%!

重量が8kgだそうですよ!



……これ、誤植じゃないのかな?( ・Д・)

金印は1辺10センチメートル、厚さ3センチメートルの方形の印台って書いてますけどね。

紐を通すための穴が開いた亀形の飾り持ち手が付いていて、そのサイズ情報はないけれど……



印台の体積は10×10×3cm=300㎤になりますよね。

金の比重は1㎤=19.32gだから、300㎤だと約5.8kgか。

あ~、金ってとっても重いのね!!!

全然持ったことないから!ヽ(TдT)ノ




それにしても8キロの印鑑って使える???

数字が事実ならば、実用品ではなくて権威を示すための象徴、威信材なのかも知れませんね( -д-)ノ

ちなみに金印には「蜀世子宝」の4文字が鋳込まれており、蜀王の世継ぎである太子が歴代受け継いできたものと推定されています。

王が使う金印は卑弥呼の金印でもおなじみですけど、太子が使う金印の事例としては中国国内でこれが最初の事例だそうです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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おわりに

発掘調査自体も大規模なもので、相当な予算が組まれているはずです。

というか、これ、大河川の一部をせき止めてまで行っている調査らしいので、お金の掛け方が違いますよね。

そして約80億円も投じて博物館を造るわけですが、観光地として一躍有名になるでしょうし、元は取れそうですよね(*・ω・)ノ



やはりメキシコ、エジプト、中国かな。

こういった、国を挙げて考古学調査を支援して、しっかりと外貨獲得につなげようとしているのは。

日本は予算出さずに、何かいいもの出たらとりあえずニュースにして博物館で展示して小銭を稼ぐといった『搾取型考古学(搾取されるがまま考古学)』ですからね。

そう言えば、なんかTwitterで見ましたけど、埼玉の博物館で資料調査(写真撮影とか)に対してお金取るって決めたとこがあるらしいですね。

どれだけ搾取する気なのか。

そこまでされたら、、、



出土品、博物館に収めずに闇ルートで売るぞ!と思っちゃいますね。

(↑上手いこと炎上してお気楽に有名になりたいわ~なんて( ・Д・))



話は変わって最近、日本の埋蔵金伝説は下火ですね。

出ないかな~( -д-)ノ

日本にも明るい話題が欲しいよ!!!( ・Д・)


【謝辞】
今回の記事は以前にコメントを頂いた「M+さん」より情報提供を頂きました。

末筆ながら記して感謝申し上げる次第です。

(*_ _)激しくペコリ

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2019ねん 4がつ 7にち(にちよーび、ちょい雨)

一日あった休みを利用して、長距離ドライブした。

目的は河砂の採取。

この努力の成果も記事にできるといいな( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『2500年前の古代中国の墓から大量の無傷の卵が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

この大発見があったのは中国の江蘇(こうそ)省です。

日本海に面する省で上海の北に位置しています。

この江蘇省の溧陽(リーヤン)市に所在する遺跡にて古代の墓を発掘していたところ見つかったわけですね(*・ω・)ノ

世界各地で珍しい出土品が出る度に、いいな~うらやましいな~と思っておりますが、中国もけっこう色々残る地域なんだなって今回改めて思いました!

というのも以前、『麺』が出土するというケースがあったからです(。・ω・)ノ゙


↓中国における奇跡のラーメンΣ(・ω・ノ)ノ
↑「ラーメンの考古学」の第1回記事、最近外食でラーメン食べてないんで更新してないですねヽ(TдT)ノ

↓そう言えば、日本でも変わった「モノ」が出土してましたね

↑「最古のビールシリーズ①~④」も奇跡的だし、人気記事!良かったら、併せてどうぞ~( -д-)ノ




さて、遺物は基本的に残り易い物しか残らないわけですが、埋蔵環境によっては通常残らないものが奇跡的に残存するケースがあるわけです。

今回の事例では「卵」は2500年以上前の大型の土墩墓(どとんぼ)から出土しました。

土墩墓は中国江南地方特有の埋葬形態で、遺体を地面や石の床に置き、その上に盛り土をして土饅頭状にするものです。

近親者が亡くなると、墓を同心円状に拡張し、一つの大家族を埋葬するそうです。

(まぁ私は江南と聞いた時点で、PSYの「江南スタイル」しか思い浮かびませんけどね( ・Д・))

この地域での発掘調査でこれまでに38基の埋葬遺構を検出しており、いずれも時期は西周時代から春秋時代(BCE771-221)に帰属するものです。




問題の卵が出土したのは「子午墩」(しごとん)と呼ばれる直径約40m、高さ7.4mの大型の円形土墩墓です。

内部には上に挙げた写真のようにたくさんの副葬品を有する墓が見つかり、この内の一つの土器からたくさんのほぼ無傷の卵が発見されました。

卵が入っていたのは陶罐(とうかん;土器の一形態で所謂、「甕」)です。

この陶罐は出土した際には蓋がされており、中には鳥類のものと思われる卵が詰められていました。




無傷とは言うものの、中身の白味と黄身はほぼ分解されているそうです。

なので殻だけで空洞なのですね。

慎重に扱わないと割れますので、卵の具体的な数量はまだ確認を終えていないそうです。

X線CTスキャンを用いての土器の中の卵の数量を確認する予定だということです。

この多量の卵は少なくとも2500年を経ているという推定ですが、卵は一つが割れていただけで、残りは完全な状態を保っています。

本当に奇跡的な発見ですね!(・∀・)つ




卵の殻の内部には白味・黄身等の成分が僅かに残っていると考えられ、DNA鑑定などの方法を用いればこの卵が生卵の状態で副葬されたのか、何か醤油のような液体に漬けられたものなのか(味玉なのか?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)が分かる可能性があるそうです。


また卵の年齢も分かる可能性があるそうです。



さて、墓に卵が入れられた理由についてですが、雛鳥は卵から生まれることから、万物の生まれ変わり、子孫の繁栄を象徴しています。

世界的に卵は「再生や復活、生命力」の象徴として用いられています。

(そのせいで一部の方々には「宇宙卵」と呼ばれているようです。詳しくはYoutube等でヒストリーチャンネル、「古代の宇宙人」シリーズをどうぞ( ・Д・))。

何を副葬するか、つまりお墓に何をお供えするかは、人々の信仰や生活習俗と関係している可能性があります。

例えば墓の主人が生前、卵が大好きだったので、死後も卵を食べられるようにしたとも考えられるわけですね。

このような食器に食事を盛り付けて副葬したのであろうと考えられる事例も世界的に見られるのです(*・ω・)ノ

現在でもお盆等の際にお墓へのお供え物として、故人の好きだったものを選んだりしていませんか?

故人を想い、偲ぶ行動は、人類共通であり、かつ今も昔もさほど変わらないものなのかも知れませんね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

……ところで、江南の土墩墓で卵が出土したのは『今回が5度目』だそうです。

もちろん今回のような保存状態の良いものは初めてですけどね。

きっとこの地域の人々はめちゃくちゃ卵大好きで死後でも卵食べたいのでしょう……

うむ、個人的意見として「江南の朝食スタイル」は卵料理な気がしますね!( ・Д・)

↓卵、大好きなひと~?ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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