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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:人骨の山

2020ねん 1がつ 3にち(にちよーび、雪)

訳あってサイコロ振りまくりの三が日でした( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはえ、縄文人も火葬してたの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は新潟県、上野遺跡です。

ちなみに上野と書いて「かみの」と読みます(*・ω・)ノ

上野遺跡ではこれまでに縄文時代の大規模な集落跡が発見されています。

今回はこの上野遺跡で火葬(?)と思われる『焼けた人骨が集中して検出」されたのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

葬制は宗教の影響を強く受けますから、世界的にはキリスト教やイスラム教の下、火葬が忌むものとして捉えられます。

しかし知ってのとおり、現代の日本社会では火葬はとても一般的です。

これは仏教の影響と言われています。

そのため日本で火葬の風習が一般化したのは8世紀以降の仏教の伝来以降と考えられています。

しかし火葬あるいは骨を焼く行為自体は考古学的にはもっともっと古くから確認されているのです。




これまでの発掘調査とその発見から、日本国内において最古となる焼けた人骨は縄文時代中期とされています。

ただし事例数が少ない上に、該当遺構における人骨の検出量も僅かなのです。

一方で、焼けた人骨がまとまって出土するようになるのは縄文時代後期の後半から晩期と考えられています。

今回の上野遺跡の事例では、この焼けた人骨がまとまった状態で検出されたのですが、その時期が縄文時代後期の前葉と推定されています。

『前葉』という言葉は聞きなれないかも知れませんが、縄文時代後期の『初めの頃』という意味です。

ざっくり言うと、今からおよそ4000年前の事例ということになります(*・ω・)ノ

こうして焼けた人骨がまとまって見つかった事例としては、今回の上野遺跡の4000年前の事例が最古のものとなるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ





さて、上に挙げたのが現代の真っ白に焼けた骨と、真っ黒に焼けた骨の写真です。

考古学ではどちらも「焼骨(しょうこつ)」です。

上の「白い骨」の方ですが、高温で長時間の被熱を受けた際にこのような色調になり、一部灰色や若干青みがかるような印象を受けます。

一方で「黒い骨」の方は、比較的低温で短時間の被熱の場合にこのような状態になります。

ちなみに「骨」ってそもそも白いイメージですが、焼けていない通常の骨は「黄色っぽい」色調を呈しています(*^・ェ・)ノ

今回の上野遺跡において発見された骨は、先に載せた写真で分かるように、白っぽいですよね?

なので、高温で長時間焼かれた骨、つまり火葬された人骨ではないかと推測されています。

今回見つかった人骨集中の中で、上に挙げた真っ黒の骨の写真で見られるような下顎骨が確認されており、2名以上の骨が混在しているかどうかは今後検証されます。

(*部位は合っていまずが、この写真自体は今回の発見とは無関係です( -д-)ノ)


arukemaya1318
↑記事の都合上、再掲

また先に挙げた現場の検出状況の写真の話に戻りますが、人骨の周りは気持ちへこんでいて、土の色は黒っぽい(黒灰色)感じがします。

これは浅いですが、土坑なのです。

なので骨が出ている部分は周辺より少し低いのです。

そして土の色が黒っぽいということは、、、

焼けた土(焼土;しょうど)は赤褐色を呈するため、この地点で直接人骨を焼いて、そのまま土を被せたわけではないということが分かります。

また人骨周辺から炭化物がほとんど出ていないことからも、ここで焼いたわけではないことが分かります。

以上の点から、今回の上野遺跡の事例では、遺体は別の場所で焼かれた後に、この地点に再葬されたと推定されています(*・ω・)ノ



arukemaya1320
↑近代的な火葬のイメージ(「Shuukatsu Life」の記事内画像より転載)


おわりに ~考古学的に火葬って何?~

2020年1~3月の私の調査で「古代マヤの一般層の人の焼けた骨が出たよ!」ってお話をどこかでしていると思います。

むしろ今年はそればっか話してる気がします( -д-)ノ

元々は私は葬制をテーマにしたことがほとんどなく(卒論くらい?)、そのせいもあって今年は「火葬」を中心とした葬制の勉強をしました。

さて、先に述べたように今回の上野遺跡の事例では、『見つかった地点の土が焼けていないことと炭の量の少なさから、別の場所で焼かれ再葬された』と推定されています。

こうした推定は、今回の発見があった新潟県や長野県、山梨県といった中部地方において縄文晩期に焼骨葬が広まったと考えられており、その特徴は土葬で1度葬った遺体を掘り出してから人骨を焼いて、再び埋葬するというものであるというこれまでの事例を根拠にしています。

……私の浅学の知識によると、どうやら一次的な埋葬(通常の埋葬)と、二次的な埋葬(再葬)の区別は、骨が揃っているか、解剖学的な位置を保っているかがポイントになるようです。

近現代の火葬を考えれば分かりやすいですが、焼くところと埋める(安置する)場所って異なりますよね(*^・ェ・)ノ

これって考古学的には「再葬」と判定されますよね。

平安期くらいから骨壺に入れられた火葬の遺構は見つかっていますが、現代だと骨壺に入れるのは普通で、この行為の際に解剖学的な位置は失われます。

北アメリカ先住民の事例だと、焼いた骨をピット(今回のものよりもっと深い縦穴)に埋めます。

これも解剖学的な位置は失われます。

ってことは火葬ってほとんどの場合、再葬扱いになるのでは?( ・Д・)

その場で焼いて、そのまま埋めるって事例の方が圧倒的に希少な事例な気がします( ・Д・)

更に今回の上野遺跡の事例のような場合は、一度土葬した後に骨だけ取り出して火葬しているのでしょう?

何でそう言えるのでしょう?(´・ω・`)

たぶん火力かな、、、

焼骨が黒っぽいので、テキトーに焼いている。

人体を比較的低温で短時間テキトーに焼いたら当然焼け残るし、そのビミョーな状態の遺体・人骨を別の場所に運んで埋めたとは考えにくいから……ってこと?

こういうのは前に書いた「狩猟採集時代のハンターに女性がいた!?」みたいなのや、「土器作りは女性の仕事?」をなんてのを代表として、我々現代の考古学者の思い込みかも知れませんね( -д-)ノ

ん~、土葬、火葬、再葬、焼骨儀礼、、、組み合わせアリなら、いかにしてそれぞれを区別可能か、奥が深い気がしますねヽ(TдT)ノ



……ちなみに同じ新潟県の緒立遺跡からは、弥生時代に帰属する穿孔された手や足の指の焼骨が見つかっています。

人為的に穴が開けられていることから、ペンダントのように装身具にしていた可能性が考えられます。

現代では10円硬貨とか一緒に焼いてお守りにするね!( ・Д・)



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2018ねん 5がつ 25にち(きんよーび、晴れ)

眠い(ρД-)

とても眠い(ρД-)

あくびがでまくる٩(๑´0`๑)۶

なのに眠れない……

前にもあったな、こういうの( -д-)ノ

今日は寝る努力をします!( ・Д・)

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今回、ご紹介するのは6世紀に東ローマ帝国で生じた「ユスティニアヌスの疫病」についてです!上の写真は戦闘の際の犠牲者の集団埋葬の検出状況です。スタッフからすると3m×2mに人骨集中が見られ、折り重なるようにかたまっていますね。保存状態がとても良いので、ちょっと怖い感じがします( ・Д・)

さて、今回のテーマである「ユスティニアヌスの疫病」は、西暦541-542年に、首都コンスタンティノープルを含む東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を中心として起きたもので、古代のパンデミックのひとつです。人類史の中で最も大きな災害の一つでした。まぁ一般的には14世紀の疫病(ペスト;黒死病)が最も有名ですね。



この疫病は、ビザンツ帝国、特に首都コンスタンティノープルや他の地中海港、ササン朝に影響を与えたユスティニアヌス1世(527  -  565 AD)にちなんで命名されました。ちなみにビザンツ帝国のユスティニアヌス自身は疫病に巻き込まれましたが、回復したと言われています。すごい生命力ですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで同時代にはエジプトにて最も致命的な疫病の流行が起きていたためエジプトが疫病の起源と考えられていました。つまりトルコのイスタンブール、コンスタンティノープルでのユスティニアン・ペストの流行は、エジプトから到着した穀物船でラット(ネズミが原因;黒死病と同じですね)が市内に運ばれた結果としてパンデミックとなったと考えられていました。



しかし541〜542年頃にアジアでも2500万人が死亡している可能性があることがわかり、この疫病の原因が、ユーラシア大陸のフン族の西への移動に関連している可能性があるということが示唆されました。

この発見は、ユーゴスラビアの草原で発掘された137体のヒトの骨格に見られるDNAの分析から判明したもので、上記写真のモンゴルの戦闘犠牲者の大量埋葬の人骨も分析対象でした。分析に用いられたこれらの匈奴の戦士たちは、後にフン族として知られる遊牧民と系統関係にあります。



ユーラシア大草原地域は広大な地域で、中国北東部から中部ヨーロッパのハンガリーまで約8,000キロメートルにわたって広がっており、検体サンプルの該当時期は2,500 BC〜1,500 ADといった大きな範囲をカバーしています。科学者たちは、これらの検体のゲノム情報から「ユスティニアヌスの疫病」に関係するペスト系のDNAを回収に成功しました。

DNAの分析結果から、これらのフン族の人骨の内のいくつかから、ヨーロッパにおいて何百万人もの人々を殺した「ユスティニアヌスの疫病」の基本的な形が見つかったのです!(。・ω・)ノ゙

このような広範な年代の人骨の分析によって「ユスティニアヌスの疫病」の起源が紀元200年頃にさかのぼり、疫病がヨーロッパを襲った数百年前のことであることが新たに分かったのです。またこのペスト系統のDNA解析は、14世紀の黒死病と同様に、ノミを介した感染を可能にする突然変異形があることも判明しました!(*・ω・)ノ

つまるところ、ウィルスの歴史が明らかになったのです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


さて加えて、関連する別の研究ではユーラシア大陸の古代人のB型肝炎を発見したそうです!

12人の古代人から回収されたウイルス配列から発見され、ヒトにおけるB型肝炎ウイルス(HBV)の最も古い証拠だそうでです。



これによって私達はB型肝炎ウイルスの歴史を解明しつつあるわけです。2015年度のデータでは地球人口の内、約2億7,700万人ものがB型肝炎ウイルスに感染していると推定されています。そして肝臓癌などの合併症のため約88万7000人が死亡したそうです。

さて、おわりとしまして、今回のテーマは最終的に「ウィルスの歴史」になったわけです。こう考えると考古学調査ってすごく現代医学とも繋がってるんだなと、正直驚きました!(つд⊂)ゴシゴシ 考古学すごいぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……あと余談ですけどね、生物兵器ってあるじゃないですか? 古代中国の歴史資料の記述に、匈奴の戦士たちは羊の死体を水源に入れて生物攻撃を行ってたそうです!



いやぁ、何でも起源は古くて、何でも歴史があるのだなぁと思いました( -д-)ノ 専門外のことを記事にすると翻訳・要約が中心となって面白く書けないなぁと思ってましたけど、私自身が勉強になって面白いですわ!

皆さんが楽しめる記事を書けるよう、これからも少しずつ知識を増やしていきますね(。・ω・)ノ゙ 皆さんも色々な記事を読んで、考古学・歴史に興味を持って頂ければ幸いです。

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